正統派の知性派を代表する世界最高のピアニスト、アンドラーシュ・シフ、ヴィルトゥオーゾの伝統を一身に背負う個性派を代表する世界最高のピアニスト、アンドレイ・ガヴリーロフ。この二人のピアニストの凄い演奏をコロナの年の日本で聴けたのは大変な僥倖でしたが、実はお二人に共通点がありました。お二人とも奥様が日本人です。ですから、コロナ禍でも来日が可能になり、また、日本でのコンサートに意欲的だったわけです。
ともあれ、今日の演奏・・・異端のショパン、とても聴きたかったのですが、期待通りの素晴らしい演奏で、その響きは印象派のドビュッシーにつながることに初めて気づかされました。極めて、フランス風のエスプリに満ちたショパンは初体験です。最初に弾いた第1番のノクターンだけは、まだ、調子が出ずに濁った音色や弾きそこないもありましたが、それでかえって、ガヴリーロフがいかに繊細な演奏をしているのかを知ることができました。繊細さだけではなく、即興性も兼ね備えた究極のショパンでした。
リストのピアノ・ソナタ ロ短調・・・これはピアノ演奏の可能性の限りを尽くした、物凄い演奏で、ロマン性のかけらもなく、今を生きるピアニストの実存をかけた生命の証明をこの曲に託したという風情の圧巻の芸術でした。宗教性、愛、色んな要素をないまぜにした圧倒的な表現は恐るべき高みに上り、かって、若いころのリヒテルがカーネギーホールで響かせたライヴの名演を霞ませるほどの素晴らしさで深く感動するのみでした。こんな演奏を聴くと、今後、リストは誰が弾いても満足できないでしょう。しかし、リストは本当にこんな凄い作品を書いたのでしょうか。それとも、ガヴリーロフがこのリストの曲に託して、己のピアノ芸術を作り上げたものなのでしょうか。saraiは思うのです。音楽という芸術は作曲家と演奏家が互いをアウフヘーベンしてこそ、本当の芸術に昇華するものだと・・・。昨年、ルツェルン音楽祭で聴いたクルレンツィスのモーツァルトのダ・ポンテ3部作もそういう芸術だったと今更ながら、理解できました。(この演奏を聴いていて、脳裏に浮かんだイメージはベルニーニの最高傑作《福者ルドヴィカ》と《聖テレサの法悦》でした。宗教性と愛の渾然一体に思いが至りました。)
20分の休憩では湧き上がったsaraiの高揚感は静まるものではありません。高鳴る心のsaraiの前にガヴリーロフが現れて、前回のコンサートで聴きたくなったプロコフィエフの戦争ソナタを望み通り、演奏してくれます。第7番のソナタでは爆演に心を持っていかれたでしょうが、第8番は無機的で静謐な表現の中に人間の温かみを感じるような演奏が続きます。これが第2次世界大戦の最中に書かれたプロコフィエフの表現する実存、すなわち、人間を描いたものなのかと秘かに感じます。時として、爆発的な感情の炸裂もありますが、音楽の底には限界状況をじっと耐え抜いて、生き抜く人間の切なさがあります。第3楽章に至り、テンポよく音楽が展開していきます。そして、ガヴリーロフのピアノがどんどん熱く燃え上がって、ある種のカタルシスに至り、深い感動と共感が生まれます。ピアノは突然のように終わり、同時にガヴリーロフはピアノの前から、軽業師のように立ち上がります。完璧な終止です。
ショパン、リスト、プロコフィエフ、聴きたいものはすべて聴き尽くした思いです。ガヴリーロフも燃焼し尽くしたでしょうが、saraiもともに燃焼し尽くしました。完全燃焼とはかくも爽やかな思いに至るものなのですね。
アンコール曲3曲・・・すべて、凄い演奏。何も語る言葉はありません。最後は愛してやまないモーツァルトの幻想曲ニ短調。saraiの心の奥底を見透かしたかのような選曲と演奏。グレン・グールドの演奏が究極だと思っていましたが、こんな演奏があるとは、絶句です。
ホロヴィッツもリヒテルも実演は聴かず終いでしたが、そんなことを吹き飛ばしてくれるような破格の巨人、ガヴリーロフの究極の演奏に究極の満足感を覚えました。
この日のプログラムは以下の内容です。
ピアノ:アンドレイ・ガヴリーロフ
ショパン:夜想曲 第1番ロ短調 Op.9-1 / 第8番変ニ長調 Op.27-2 / 第4番ヘ長調 Op.15-1 / 第20番嬰ハ短調(遺作)
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調
《休憩》
プロコフィエフ: ピアノ・ソナタ 第8番 Op.84「戦争ソナタ」
《アンコール》
ラフマニノフ:幻想的小品集 第1曲 エレジー 変ホ短調 Op.3-1
プロコフィエフ:4つの小品 悪魔的暗示 Op.4-4
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397/385g
最後に予習について触れておきます。
1曲目のショパンの夜想曲はもちろん、ガヴリーロフのCDで予習をしました。
アンドレイ・ガヴリーロフ 2013年録音
こんな夜想曲は聴いたことがありません。ガヴリーロフのリサイタルの予習は彼の演奏を聴くしかありません。クルレンツィスと同じですね。
2曲目のリストのピアノ・ソナタ ロ短調は以下のCDで予習をしました。
スヴィヤトスラフ・リヒテル 1965年5月18日 ニューヨーク、カーネギー・ホール ライヴ録音
若い頃のリヒテルでしか弾けないような没入感たっぷりの演奏です。究極の演奏だと思っていました。今日のガヴリーロフを聴くまでは・・・。
3曲目のプロコフィエフのピアノ・ソナタ 第8番はもちろん、ガヴリーロフのCDで予習をしました。
アンドレイ・ガヴリーロフ 1992年録音
ガヴリーロフは2000年頃を境に変わったのではないでしょうか。この演奏も凄いけれども、今のガヴリーロフの予習にはなり得ないと思います。ただ、再録音してほしいとは思いません。実演を聴けば分かりますが、彼の即興性は録音できるような代物ではありません。
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