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こんなバルトークを聴くのは痛々しくて辛い:ハーゲン・クァルテット@トッパンホール 2019.10.3

今年のハーゲン・クァルテットの〈ハーゲン プロジェクト 2019〉、3夜連続のハイドンとバルトークのコンサート・シリーズの第3夜、最終回です。

今日のバルトークは第6番。ナチスの圧力でヨーロッパを去ることになるバルトークがヨーロッパで最後に完成させた作品です。バルトークにしては少しメローな作品。ハーゲン・クァルテットならば、第4番か第5番を選ぶと思っていました。しかし、ハーゲン・クァルテットの演奏は決して、そういう女々しい表現に陥ることはありません。あくまでも綺羅星のように並ぶ、バルトークの6曲の弦楽四重奏曲の1曲として、真摯に向かい合った演奏です。第1楽章冒頭のヴェロニカ・ハーゲンのヴィオラソロのメストはまなじりをきっとあげた演奏。かっこいいね。第1楽章はもっと強く突っ込んだ演奏がほしかったところですが、バルトークらしい複雑な線で織りなす音楽の妙を味わえます。第2楽章はクレメンス・ハーゲンの素晴らしいチェロソロでメストが演奏された後、付点音符の行進曲風のメロディが諧謔的に演奏されますが、これは素晴らしい。さらにトリオでの奇妙なパートも、ヴェロニカのギター風のピチカートを織り交ぜた演奏が見事。こういう演奏は耳だけでなく、目でも楽しめます。第3楽章の精度の高い演奏を経て、第4楽章はリトリネロ主題のメストが全面に浮き立つ哀歌です。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲はベートーヴェン個人の諦念に満ちたものですが、バルトークの場合、個人的な思いは時代を象徴するような音楽表現に昇華します。《絃と打とチェレスタの音楽》では限界状況を浮き彫りにするような恐ろしい音楽になりましたが、この弦楽四重奏曲では、時代を弔うようなペーソスと、さらに言うならヨーロッパ文明への絶望感に満ちた音楽になります。そんなネガティブ感に満ちた音楽をハーゲン・クァルテットは精妙なアンサンブルでパーフェクトに歌い上げます。saraiはこんなバルトークは嫌いです。バルトークはアグレッシブで先鋭的であってほしい。こんなバルトークにした時代を憎みます。同様にシュテファン・ツヴァイクを自殺に追いやったのもこの同じ時代。そんな時代が再来する予感がする今の時代にも大いなる危惧を抱いています。
最後は音楽以外の何かわけのわからないことを思いながら、ハーゲン・クァルテットの演奏に耳を傾けていました。やはり、今回のツィクルスのシメは第5番あたりがよかったとも思いました。何故なら、色んな意味で未来への展望がなくなるからです。

一方、最初と最後に演奏されたハイドンの《エルデーディ四重奏曲》は今日も典雅で美しい演奏です。ハイドンの時代には悩みはなかったのか、それとも古典主義の音楽は、そういうネガティブな概念を音楽に持ち込まなかったのか、変なことに頭を捻ってしまいます。これも今日のバルトークの第6番という選曲が悪かったからではないでしょうか。
それにしても最初に演奏された弦楽四重奏曲第79番《ラルゴ》の完成度の高い演奏には圧倒されました。美し過ぎて、天国に連れていかれた思いです。それに名曲ですね。ピログラムノートにもありましたが、過小評価されて、それほど演奏機会がないのが残念です。いずれ再評価されて、ハイドンのブームがやってくるのかな・・・。

ハーゲン・クァルテットは見栄えも成熟して、音楽もいい意味で成熟して、これからがますます楽しみです。来日するのはまた、2年後でしょうか。バルトークの残りの3曲を演奏することをで忘れないでくださいね。 → 関係者各位

今日のプログラムは以下のとおりでした。

 〈ハーゲン プロジェクト 2019〉ハイドン&バルトーク ツィクルス Ⅲ

ハーゲン・クァルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  ハイドン:弦楽四重奏曲第79番 ニ長調 Op.76-5 Hob.III-79《ラルゴ》
  バルトーク:弦楽四重奏曲第6番 Sz114

   《休憩》

  ハイドン:弦楽四重奏曲第80番 変ホ長調 Op.76-6 Hob.III-80

   《アンコール》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第13番 イ短調 D804《ロザムンデ》より 第3楽章 メヌエット


最後に予習したCDです。

=======ここは昨日と同じ===============
 バルトーク:弦楽四重奏曲(第3番、第6番)
  ハーゲン・カルテット 1995~1998年録音

 ハイドン:弦楽四重奏曲 エルデーディ四重奏曲 Op.76
  ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 1950年-1954年 ウィーン、コンツェルハウス、モーツァルトザール セッション録音

ハーゲンのバルトークは文句なしですが、もっと弾けるような気もします。昔実演で聴いたバルトークはもっと個性豊かで迫力がありました。第6番は素晴らしい演奏でした。この録音から20年を経た今、彼らはどんなバルトークを聴かせてくれるのでしょう。

ハイドンは意外によい録音がありません。結局、古いウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の落ち着きます。彼らの力強い演奏に驚かされます。昔日のウィーンの郷愁を呼ぶという演奏ではありませんが、ハイドンの高い音楽性を表現してくれます。モーツァルトでも素晴らしい演奏を聴かせてくれたハーゲン・カルテットはハイドンでも精度の高い演奏を聴かせてくれると信じています。

=======ここまでは昨日と同じ===============

バルトークの弦楽四重奏曲第6番は追加予習をしました。

 手持ちのLPで予習しました。予習したのは以下のLP2枚です。

 LP:ハンガリー四重奏団(1961年)、ジュリアード四重奏団(2回目録音、1963年)

LPコレクションはsaraiの宝物。すべて名演で素晴らしい演奏です。ちなみにsaraiがこの曲を最初に聴いたのはハンガリー四重奏団でした。人間の記憶はあてにならないもので、ハンガリー四重奏団の演奏はもっとしっとりとしたものだと思っていました。しかし、その力強い表現に驚かされました。この曲は今回のハーゲン・クァルテットの演奏もそうですが、多様な音楽を内包していて、色んな表現が可能だということを痛感しました。一方、ジュリアード四重奏団は、これは超名演です。この時代のジュリアード四重奏団のバルトーク演奏は全6曲、バイブルみたいなものであることを今更ながら、強く感じました。このジュリアード四重奏団の2回目の録音が旧約聖書、エマーソン・カルテットの録音が新約聖書でしょうか。そして、成熟したハーゲン・クァルテットが再度、録音すれば、その2強に割ってはいれるのではないかとひそかに思っています。



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幽玄なバルトークの世界:ハーゲン・クァルテット@トッパンホール 2019.10.2

今年のハーゲン・クァルテットの〈ハーゲン プロジェクト 2019〉と銘打った3夜連続のコンサート・シリーズはハイドンとバルトークの作品を並べたものです。何と言っても、彼らのバルトークが注目されます。第1夜のコンサートはアンジェラ・ヒューイットのコンサートと重なり、聴けずに残念でした。個人的な体験ですが、初めて、ハーゲン・クァルテットの実演に接したときに聴いたのがバルトーク。そのときの個性的なアタックの強い演奏に衝撃を受けたことを今でも覚えています。それ以来、彼らのバルトークを再度聴きたくて、この日まで待っていました。

そして、今日のバルトーク。第3番といえば、最も先鋭的な作品。冒頭の響きは宇宙の深淵を感じさせるミステリアスな響き。素晴らしいアンサンブルです。ルーカスの美しい響き、それに呼応するライナー・シュミット、ヴェロニカ。そして、クレメンスが深々とした響きでスケールの大きな音楽に盛り上げていきます。得も言われぬアンサンブルの妙です。第2部に入ると、音楽が高潮し、熱く燃えがります。以前聴いたハーゲン・クァルテットのバルトークの響きと違い、ある意味、オーソドックスな演奏ですが、実にバルトークの本質に切り込んだ最高の音楽です。この頃のバルトークは恐れるものもなく、己の音楽に一番、没頭している感もあります。彼の6曲の弦楽四重奏曲の中でも1,2を争う傑作に思えます。こういうアグレッシブな作品がバルトークに似合っています。すっかり、ハーゲン・クァルテットのバルトークを堪能しました。

一方、最初と最後に演奏されたハイドンの《エルデーディ四重奏曲》はこれぞ古典という美しい演奏です。アンサンブルの極みとも思える演奏に何のコメントも必要ありません。ただ、ゆったりとその美しさに体を委ねるのみです。4本の弦が順に重なり合う様はポリフォニー音楽の原点を見る思いです。古典主義音楽はそのシンプルさにこそ、すべてがあるという感を抱きます。こういう音楽は一分の隙もない音楽表現を要求されますが、今のハーゲン・クァルテットのアンサンブルは盤石と言えるでしょう。両作品とも楽章構成はほぼ同じですが、終楽章の盛り上がりは聴きものでした。また、《皇帝》の有名な第2楽章の変奏曲は各楽器が主題を引き継ぎながらの変奏ですが、ハーゲン・クァルテットの優しくて、ピュアーな響きの演奏は弦楽四重奏の理想形とも思える最高の演奏でした。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

 〈ハーゲン プロジェクト 2019〉ハイドン&バルトーク ツィクルス Ⅱ

ハーゲン・クァルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  ハイドン:弦楽四重奏曲第77番 ハ長調 Op.76-3 Hob.III-77《皇帝》
  バルトーク:弦楽四重奏曲第3番 Sz85

   《休憩》

  ハイドン:弦楽四重奏曲第78番 変ロ長調 Op.76-4 Hob.III-78《日の出》

   《アンコール》

  ハイドン:弦楽四重奏曲第80番 変ホ長調 Op.76-6 Hob.III-80より 第4楽章


最後に予習したCDですが、もちろん、ハーゲン・クァルテットのCDを軸に聴きました。


 バルトーク:弦楽四重奏曲(第3番、第6番)
  ハーゲン・カルテット 1995~1998年録音

 ハイドン:弦楽四重奏曲 エルデーディ四重奏曲 Op.76
  ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 1950年-1954年 ウィーン、コンツェルハウス、モーツァルトザール セッション録音

ハーゲンのバルトークは文句なしですが、もっと弾けるような気もします。昔実演で聴いたバルトークはもっと個性豊かで迫力がありました。第6番は素晴らしい演奏でした。この録音から20年を経た今、彼らはどんなバルトークを聴かせてくれるのでしょう。

ハイドンは意外によい録音がありません。結局、古いウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の落ち着きます。彼らの力強い演奏に驚かされます。昔日のウィーンの郷愁を呼ぶという演奏ではありませんが、ハイドンの高い音楽性を表現してくれます。モーツァルトでも素晴らしい演奏を聴かせてくれたハーゲン・カルテットはハイドンでも精度の高い演奏を聴かせてくれると信じています。

さらに以前、バルトークの弦楽四重奏曲第3番の予習をしたときの記事を参考に引用しておきます。

 手持ちのLP、CDを総ざらいして、予習しました。予習したのは以下のLP3枚、CD6枚です。

 LP:ハンガリー四重奏団(1961年)、ジュリアード四重奏団(2回目録音、1963年)、バルトーク四重奏団(1966年)
 CD:ジュリアード四重奏団(1回目録音、1950年)(3回目録音、1981年)、ヴェーグ四重奏団(1972年)、アルバン・ベルク四重奏団(1983年)、エマーソン・カルテット(1988年)、ハーゲン・カルテット(1995年)

LPの3枚、ハンガリー四重奏団、ジュリアード四重奏団(2回目録音)、バルトーク四重奏団はわざわざLPをコレクションするほど気に入ったものですから、もちろん、すべて名演で素晴らしい演奏です。ちなみにsaraiがこの曲を最初に聴いたのはジュリアード四重奏団(2回目録音)でした。今回、ジュリアード四重奏団の3回の録音を聴くと、1回目のモノラル録音は表現主義的とも思える切り込んだ演奏ですが、音楽的には2回目の録音が鋭角的で美しい演奏でこれがベスト。3回目は少なくとも、この第3番はアプローチが弱い感じ。全体で最高に素晴らしいのは、エマーソン・カルテットの演奏です。最高のテクニックでやりたい放題とも思える自由な演奏ですっかり魅惑されました。


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シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス III:ハーゲン・カルテット@トッパンホール 2017.7.5

ハーゲン・カルテットの〈ハーゲン プロジェクト 2017〉と銘打った3夜連続のコンサート・シリーズの3夜目(最終日)です。シューベルトとショスタコーヴィチの後期の作品を並べたものですが、今日は2人の最後の弦楽四重奏曲、第15番が演奏されました。

前半のショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第15番は何という張り詰めた緊張感の演奏でしょう。saraiも聴衆も息をひそめるような雰囲気です。この作品は作曲した翌年にショスタコーヴィチがこの世を去りますが、彼は自分の死を悟って、最後の弦楽四重奏曲を作ったようです。そのため、弦楽四重奏曲というよりもモノトーンのレクイエムといったほうがふさわしい作品です。この作品を聴くときはいつも、ショスタコーヴィチを偲ぶ会に参列しているような気分になりますが、今日もまさにそんな感じです。ハーゲン・カルテットの集中力のある演奏には感銘を受けるばかりです。単なる音楽を超えた何かが心に響いてきました。演奏者も聴衆も最後は魂のぬけがらのようになってしまうくらい、緊張感の持続を強いられました。ふーっ、疲れた!!

そして、真の意味で音楽に魅了されたのは後半のシューベルトです。このシューベルトの作品は同じく最後の弦楽四重奏曲とは言え、ショスタコーヴィチと違って、シューベルトは死の予感などはなく、彼の創作力の頂点で作られた傑作中の傑作です。最晩年の室内楽作品を別にすると、室内楽の高みを極め、さらに上を目指していくというものです。ハーゲン・カルテットの演奏はアーティキュレーションの限りを尽くして、シューベルトの魂の奥底に迫る絶対的な名演を聴かせてくれました。とりわけ、第4楽章の精妙さとダイナミズムを兼ね備えた演奏はただただ、惹きつけられるものでした。ハーゲン・カルテットのメンバーも力を出し尽くした感のある究極の演奏でした。どのフレーズもパーフェクトで心のこもった演奏で、saraiはその演奏に頭が下がる思いです。音楽を演奏する行為は大変な労苦を強いられることが間近で聴いて実感できました。これまた、聴いているこちらも疲れました!! でも充足感に満ちた演奏に大満足。もちろん、力を出し尽くした彼らはアンコールなし・・・当然です。

今日のプログラムは以下のとおりです。

 〈ハーゲン プロジェクト 2017〉シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス III

ハーゲン・カルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 Op.144

   《休憩》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第15番 ト長調 D887


大変、素晴らしい3日間でした。特にシューベルトの魂と通じ合ったような演奏は最高でした。成熟の時を迎えたハーゲン・カルテットは次に何を聴かせてくれるのでしょうか。
最後にこのコンサートに集まった聴衆のレベルの高さにも敬意を表したいと思います。曲の終了後のフライングの拍手などは皆無で、静まり返ったホールは聴衆の感動に満ちていました。演奏したハーゲン・カルテットもこういう聴衆には満足したでしょう。



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シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス II:ハーゲン・カルテット@トッパンホール 2017.7.4

ハーゲン・カルテットの〈ハーゲン プロジェクト 2017〉と銘打った3夜連続のコンサート・シリーズの2夜目です。シューベルトとショスタコーヴィチの後期の作品を並べたものですが、今日は2人の最後から2番目の弦楽四重奏曲、第14番が演奏されました。

前半のショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第14番は昨日の第3番に比べると、創作力自体は下回っているかもしれませんが、晩年のショスタコーヴィチの思いが詰まったような作品で大変聴き応えがありました。特に第2楽章のアダージョの悲哀に満ちた音楽を第1ヴァイオリンのルーカス・ハーゲンが表情たっぷりに演奏し、合の手にチェロのクレメンス・ハーゲンがリッチな響きで応えるという風情は素晴らしいものでした。途中、慟哭のように4人が凄い響きで奏するパートの盛り上がりも大変なものでした。ショスタコーヴィチは自分の人生を重ねたのか、あるいは矛盾に満ちた政治状況を告発したのか定かではありませんが、思いのたけが詰まった音楽です。そして、第3楽章のコーダは哀愁に満ちた雰囲気で静かに音楽を閉じていきます。ハーゲン・カルテットの成熟した音楽性が遺憾なく発揮された素晴らしい演奏でした。

後半のシューベルトは昨日ほどではないにしても、やはり、素晴らしい演奏でした。とりわけ、両端楽章の気迫に満ちた演奏が圧倒的でした。第4楽章は終始、その迫力に魅惑される思いで聴きましたが、コーダの高潮ぶりは凄まじいものでした。有名な第2楽章、《死と乙女》の主題と変奏ですが、これはハーゲン・カルテットとしては普通の出来に思えました。昔日の演奏、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ブッシュ四重奏団の鄙びたような味わいの演奏はもう今日的なカルテットの演奏では不可能とも思えてしまいます。20世紀の中頃までの時代でないと出せない味わいではないかと思えてなりません。今日はもしかしたら、ハーゲン・カルテットが時代を遡った奇跡のような演奏を聴かせてくれるかとも期待しましたが、見果てぬ夢に終わりました。まあ、これもsaraiの趣味の問題かもしれません。ああいう昔日の名演奏に捉われてしまっているんです。第2楽章を除けば、理想的とも思えるシューベルトの演奏で満足しました。

今日のプログラムは以下のとおりです。

 〈ハーゲン プロジェクト 2017〉シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス II

ハーゲン・カルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 Op.142

   《休憩》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810《死と乙女》

   《アンコール》

  ハイドン:弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.76-4より 第2楽章 アダージョ



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瑞々しくてロマンに満ちたシューベルト:ハーゲン・カルテット@トッパンホール 2017.7.3

今年のハーゲン・カルテットの〈ハーゲン プロジェクト 2017〉と銘打った3夜連続のコンサート・シリーズはシューベルトとショスタコーヴィチの後期の作品を並べたものです。なぜ、シューベルトとショスタコーヴィチを並べるのか、不思議な感じです。昨年のコンサートで、バッハのフーガの技法とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番を続けて演奏したことから考えて、彼らはバロック・古典派と現代のショスタコーヴィチの連続性を意識しているのかも知れません。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は20世紀の作品の中ではバルトークなどと異なり、それほどの前衛性は感じません。とりわけ、今日の弦楽四重奏曲第3番は新古典的な色合いが多く、意外に古典派の作品と相性がいいかもしれません。

実際に今日、ショスタコーヴィチ、シューベルトと並べて聴くと、色んな思いが脳裏に浮かびます。前半のショスタコーヴィチはアンサンブルの整った見事な演奏で、特に新古典的な部分の美しさが際立っていました。この作品は戦争交響曲を作曲していた頃のものですから、もちろん、強烈に攻撃的な第3楽章などもありますが、全体的には、落ち着いて、抒情的とも思える音楽が支配的に思えます。先週聴いたアルディッティ・カルテットのとても前衛的なバルトークの演奏との違いに愕然とするほどです。まあ、ここでショスタコーヴィチとバルトークの比較をするつもりはありませんが、やはり、saraiにとって、バルトークは20世紀を代表する作品。ハーゲン・カルテットにしても、まさか、バルトークとシューベルトを並べたコンサート・シリーズは考えないでしょう。誤解のないように付け加えれば、saraiはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲も好きですよ。CDの全集で言えば、バルトークは9組、ショスタコーヴィチは6組、所有しています。それぞれの良さは認識しています。
話が脇道にそれましたが、話を戻しましょう。後半のシューベルトの弦楽四重奏曲第13番の見事さはショスタコーヴィチの比ではありませんでした。アンサンブルの精度の高さでは同等でしたが、ハーゲン・カルテットの体から滲み出てくるような音楽性の高さは尋常ではありませんでした。彼らにして、そういう演奏をさせてしまうシューベルトの偉大さを実感しました。このことを言葉にするのは困難ですが、こういうことではないかと思います。ショスタコーヴィチの音楽は高い知性がベースにあって、ソヴィエトの政治状況の中で屈折したとも思える音楽を作ってきました。時代に合わせて、新古典的な作風や民衆に分かりやすい熱い音楽を作ったり、滅法、絶望的とも思える沈痛な作品を作ったりということです。要するにショスタコーヴィチの音楽の本質は見極めにくいということです。ですから、演奏は客観的なクールなものが主流になりがちです。それを聴衆が自分の心で受け取って、それぞれの思いで解釈して味わうということになります。分析的な聴き方になってしまいます。一方、シューベルトは魅惑的な旋律を軸に素直に魂の深いところを音楽として表現します。若くして逝ってしまったシューベルトですが、その音楽のロマンは実に奥深いものがあります。今日のハーゲン・カルテットのように、それに共感した、しみじみとした演奏を聴かされると、誰しもシューベルトの魅力に参ってしまいます。分析も知性も必要なく、シューベルトの揺れ動くような魂の声にただ、共感すればいいんです。シューベルトがいかに偉大な音楽家であったか、このところ、saraiは痛切に感じることが多くなっています。今日もそのひとつ。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンも偉大でしたが、シューベルトの偉大さは光り輝きます。

曲それぞれの詳細な感想を書くべきところですが、今日はむしろ、ショスタコーヴィチ、シューベルトという音楽家について、そちらのほうに心が向いてしまいました。でも、ちょっとだけ。シューベルトの弦楽四重奏曲第13番の第1楽章の第1主題はシューベルトが初期に書いた歌曲《糸を紡ぐグレートヒェン》に基づいています。ゲーテの《ファウスト》を題材とした歌曲です。ファウストを一途に恋するグレートヒェンの心情が歌曲になっています。saraiはアメリンクの歌で親しんでいますが、グレートヒェンの心情を切迫した感じで歌いこんでいます。紡ぎ車を思わせるピアノ伴奏が歌に拍車をかけます。弦楽四重奏曲では第2ヴァイオリンがピアノの紡ぎ車を模しますが、至って抑えた表現です。そして、メロディーを演奏する第1ヴァイオリンも抑えた響きで切迫感はあまりありません。みしろ、しみじみとした郷愁を感じさせるような感じです。これは今日のハーゲン・カルテットに限った話ではなく、シューベルトがそのように弦楽四重奏曲では書き換えたんです。それはそうですが、ハーゲン・カルテットの抑えたけれども精度が高い演奏は、技術を超えて、音楽の本質に迫っていました。シューベルトの音楽の抒情性、ロマン、郷愁、瑞々しさ、そういうものがすべて表現されていて、最高の演奏でした。第2楽章の《ロザムンデ》に基づくメロディーも同様に素晴らしいものでした。(ちなみにこの《ロザムンデ》に基づくメロディーは晩年のピアノ独奏曲の傑作、即興曲Op.142の第3曲の素晴らしい変奏曲の主題になっています。saraiの大好きな曲です。)しかしながら、本当に素晴らしかったのは、第3楽章、そして、とりわけ、第4楽章でした。本当にシューベルトに寄り添った魂の音楽でした。抒情性はもちろん、ダイナミズムも見事でした。ダイナミズムが見事だからこそ、pの美しさが際立っていました。やはり、ウィーンの音楽の本質はpの美しさなんですね。(これは吉田秀和氏から学んだことです)

今日のプログラムは以下のとおりでした。

 〈ハーゲン プロジェクト 2017〉シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス I

ハーゲン・カルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 Op.73

   《休憩》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第13番 イ短調 D804《ロザムンデ》

   《アンコール》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 D87より 第3楽章 アダージョ


アンコールのシューベルトはCDで数度聴いたことしかありませんでしたが、とっても美しい演奏です。ハーゲン・カルテットにシューベルトの弦楽四重奏曲全集を出してもらいたいですね。ハーゲン・カルテットのシューベルトに魅惑されました。明日からの第14番、第15番がとっても楽しみです。


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Author:sarai
首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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08/04 21:31 G線上のアリア

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06/18 12:46 sarai

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06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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