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田部京子、胸の熱くなる究極のモーツァルト with 佐渡裕&新日本フィルハーモニー交響楽団@すみだトリフォニーホール 2021.1.16

昨年は田部京子が弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴く機会が多くて、その素晴らしい演奏に魅了されました。しかし、今日のモーツァルトのピアノ協奏曲は別次元の素晴らしさ。ピアノの響き、タッチ、フレージング、切れ、音楽表現などのあまりの美しさに胸が熱くなりました。天才ピアニスト、田部京子にしても、この演奏レベルの素晴らしさに至るためには、このコンサートに向けて、よほどの準備を重ねたんでしょう。この演奏の素晴らしさを表現するには言葉を尽くしても足りません。

第1楽章、美しいオーケストラの音楽が雰囲気を高めていきます。力の抜けたバランスのよい演奏です。初聴きかもしれない佐渡裕の指揮も好感を持てます。いわゆるデモーニッシュな表現とは対極をいくような繊細な音楽が奏でられます。そのオーケストラの好演をエネルギーに変えて、田部京子の切れの良いタッチのピアノが純粋無垢な響きを奏でていきます。特に右手で奏でる高域の響きが心地よい旋律を浮き立たせます。聴いているsaraiの魂が揺さぶられます。その桃源郷のような世界に浸っているうちにカデンツァが始まります。ベートーヴェンの作ったカデンツァですね。カデンツァ終盤の見事なトリルはまるでベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の第2楽章を想起させるような素晴らしい演奏です。

第2楽章はピアノのソロで始まります。冒頭はもうひとつの響きですが、オーケストラ、とりわけ、弦の美しい響きに触発されるかのようにピアノの響きも純化していきます。この楽章のトリオが終わった後、また、冒頭のメロディーが戻ってきたときは見違えるような美しい響きで細部の表現も磨き上げられたようなタッチで描き出されます。うっとりしながら、この楽章を終えます。

第3楽章は一転して、切れのよいピアニズムで進行します。それも音楽が進行するにつれて、実に流麗な音楽が流れ、saraiの心も浮き立ちます。いつしか、最後のカデンツァに突入し、田部京子の音楽表現の見事さに感動するのみです。最後は鍵盤上をダイナミックに指が左右に音階を奏でて、カデンツァが終わります。まるで独奏曲のフィナーレのようです。一瞬の間を置き、オーケストラが一気にテンポを上げて、コーダに向かっていきます。田部京子のピアノもそれに同期して、実に切れのよい響きを奏でていきます。そして、圧巻のフィナーレ。心の中でブラボーをコールします。最高のピアノ協奏曲第20番でした。

最愛のクララ・ハスキルとは違った音楽表現でしたが、丁寧で美しいタッチ、繊細さでは上回ったかもしれません。恐ろしいほど、緊張感に満ちた究極の演奏に呆然とするだけでした。佐渡裕指揮の新日フィルも素晴らしいサポートでした。特に高弦の美しいこと、この上ありません。

ベートーヴェンの交響曲2曲について、もはや、書くべき気力がありません。佐渡裕の思ったほど力みのない美しい表現でベートーヴェンを満喫しました。新日フィルのアンサンブルも特に最後に演奏した交響曲第6番「田園」で美しさの極みを発揮していました。終楽章の心の安寧を思わせる極上の世界に心を洗われました。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:佐渡裕
  ピアノ:田部京子
  管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団  コンサートマスター:崔文洙

  ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 Op. 93
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466

   《休憩》

  ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目、3曲目のベートーヴェンの交響曲第8番、交響曲第6番「田園」は以下のCDを聴きました。

 ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィル 1971~73年、ミュンヘン、ビュルガーブロイケラー セッション録音
 
ケンペが首席指揮者を務めていたミュンヘン・フィルを使って録音したベートーヴェンの交響曲全集です。ケンペはこの全集を完成した3年後、65歳の若さで急逝しました。ケンペの残した遺産のひとつです。


2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲第20番は以下のCDを聴きました。

 田部京子、下野竜也指揮紀尾井シンフォニエッタ東京 2012年3月14-15日 上野学園 石橋メモリアルホール セッション録音
 
田部京子の美しい演奏がすべてです。しかし、今日の最高の演奏には及びません。今日のライヴ録音がCD化されないかな・・・。



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       田部京子,  

すべてを超越した精神的境地のベートーヴェンを詩情豊かに表現 田部京子シューベルト・プラス特別編《ベートーヴェン生誕250年記念》@浜離宮朝日ホール 2020.12.16

生きている実感を感じさせてくれるような情感に満ちた田部京子のピアノでした。コロナ禍のために1年ぶりとなった田部京子のソロ・リサイタルは期待を上回る音楽にあふれていました。
ベートーヴェン生誕250年記念と銘打ったシューベルト・プラス特別編はベートーヴェンの音楽の最高峰のひとつである最後期の3つのピアノ・ソナタを聴かせてくれました。聴きたかった田部京子のベートーヴェンはなんとも穏やかで熟成した大人の香りの音楽でした。静かな、静かな感銘で心がいっぱいになりました。

最初に弾いたシューベルトのアダージョ D.612は田部京子らしい夢のような詩情に満ちた音楽。中間部での盛り上がりもありましたが、ロマンにあふれる音楽に心が和みます。短い音楽が終わっても誰も拍手をせずにホール内は静けさに満ちています。田部京子がピアノに向かって、呼吸を整えている雰囲気に聴衆は静まり返ります。そして、そのまま、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番が静かに始まります。とても美しい演奏です。それも心の内部から滲み出るような美しさです。ベートーヴェンが描いた世界はもっと諦念に満ちていたような気がしますが、今日の演奏は充足感に満ちた穏やかさを湛えています。この曲は素晴らしい音楽ですが、それでも第31番/第32番に比べるとどうしても聴き劣りしてしまうのが正直なところですが、今日は第31番/第32番に肉薄するレベルの音楽に聴こえます。素晴らしい第1楽章から間を置かずに第2楽章が迫力ある演奏で続きます。そして、第3楽章の変奏曲の美しさはどうでしょう。下降音型から上昇音型に続くフレーズの美しさの極みには心が震えます。第3楽章の後半には高域の美しいタッチでそのフレーズが弾かれて、まさに情感の極みです。これが田部京子のベートーヴェン後期の表現ですね。いわゆる枯れた演奏ではなく、諦念に満ちたわけでもなく、ベートーヴェンが高い精神性の境地に達した桃源郷のような美しい世界です。演奏が終わっても、とても強い拍手を送るような気分ではなく、ただただ、田部京子への熱い共感で、うんうんとうなづきたい思いだけが残ります。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番も第30番のソナタと同様な展開です。静かに始まり、満ち足りた時間が美しいピアノの響きとともに過ぎていきます。長大な第3楽章は序奏に続き、いわゆる《嘆きの歌》が始まりますが、哀感あふれる嘆きではなく、色んな感情を超越した境地の穏やかな精神性の熟成した美しさが表現されます。そして、続くフーガも実に静謐に響きます。フーガは高潮した音楽になっていきますが、その底には透徹し、充足した精神性が貫かれています。田部京子の安定し、成熟した大人の女性として磨き上げられた心の美しさが音楽に反映されていると感じます。田部京子だけしか弾けないベートーヴェンです。音楽はやはりテクニックではなく、心や魂で表現するものであることを強く実感します。壮大なフィナーレですが、余韻を味わいたいと念じるような演奏でした。数人の聴衆が余韻を打ち消すような拍手を送ったのは残念でした。そういう類の演奏ではなかったでしょう。大多数の聴衆はじっくりと余韻を噛みしめているようでした。saraiはそっと拍手を送りました。それがこの素晴らしい演奏にふさわしいものだと思えたからです。


休憩後の後半はベートーヴェンの最後のソナタ、第32番です。冒頭はデモーニッシュに強い響きが続きます。フーガはもはや、普通のフーガではなく、ベートーヴェン流で強い響きが続きます。圧巻の第1楽章ですが、心に響いたのは第2楽章の変奏曲です。田部京子は後期の3つのソナタに共通して表現した高い精神性の境地を、ここで決定的に歌い上げます。後半にはいってのこれでもか、これでもかと続く美しい歌謡性はシューベルトの遺作ソナタに引き継がれ、さらなる高みに達するものです。田部京子がシューベルト・プラス特別編と題して、ベートーヴェンの後期の3つのソナタを取り上げた意義はここに秘められていたのではないでしょうか。ここでも下降音型から上昇音型に続くフレーズの美しさの極みが強く耳に残ります。今、このブログ記事を深夜書いていますが、saraiの頭の中ではそのフレーズが鳴り響き続けています。いつまでも永遠に続けてほしい美しい音楽も、ある意味、唐突に終わりを告げます。ベートーヴェンがもうこれくらいでいいでしょうって語りかけてくるようなフィナーレです。田部京子、納得のベートーヴェンでした。ベートーヴェン・イヤーを締めくくるにふさわしい最高の後期ソナタでした。もっとも、まだ、久しぶりに来日するジョナサン・ノットが東響を指揮する第9番交響曲が残っていますけどね。

アンコールは田部京子の定番ともいえるシューベルトのアヴェマリア。美しいピアノの響きに魅了されました。最後の2音、アーメンが心に響きます。

コロナ禍で大変な音楽界でしたが、12月の半ばになり、庄司紗矢香、田部京子の最高の演奏を聴き、さらにはノットの第9も控え、終わりよければ、すべてよしの心境に浸っています。音楽は人生のすべてです。


今日のプログラムは以下です。

  田部京子シューベルト・プラス特別編
   《ベートーヴェン生誕250年記念》

  ピアノ:田部京子
 
  シューベルト:アダージョ ホ長調 D.612
  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110

  《休憩》

  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111

  《アンコール》
   シューベルト:「アヴェ・マリア」(編曲:田部京子、吉松隆)


最後に予習について、まとめておきます。

シューベルトのアダージョ D.612を予習したCDは以下です。

 ミシェル・ダルベルト 1993年1月、1994年1月・6月 スイス、コルゾー、サル・ド・シャトネール セッション録音

ミシェル・ダルベルトはシューベルトの未完のピアノ・ソナタ第10番 D.613の2楽章を両端楽章に置いて、アダージョ D.612を中間楽章として挟んだ形で演奏しています。彼の明るい響きが若いシューベルトのこの作品の美しさを引き出しています。ミシェル・ダルベルトのシューベルトは実演でも聴いていますが、明るい響きの個性的な演奏に感銘を覚えています。彼のシューベルトは今後、注目です。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番/第31番/第32番 Op.109-111を予習したCDは以下です。

 田部京子 2015年8月12-14日 東京都、稲城ⅰプラザ セッション録音

田部京子はその優しい詩情だけでなく、確信に満ちた強い表現も兼ね合わせた素晴らしい演奏を聴かせてくれます。ベートーヴェンの後期ソナタの代表的名盤のひとつと言えます。



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       田部京子,  

田部京子、極上のベートーヴェン with 東京都交響楽団@東京芸術劇場コンサートホール 2020.10.11

今年はコロナ禍のお陰で日本人音楽家の演奏を例年よりも多く聴くことができます。なかでも、田部京子のベートーヴェンを何度も聴けて、saraiはご機嫌。ピアノ協奏曲第3番、第1番に続いて、今日は第4番。生憎、第5番《皇帝》は聴き逃がしましたが、これで3曲も聴けます。気が早いですが、年末にはベートーヴェンの締めとして、後期の3ソナタのリサイタルも予定されています。ベートーヴェンの生誕250周年の主役は田部京子で決まりの感があります。ベートーヴェン・イヤーとコロナ禍の重なった稀有な年、田部京子のベートーヴェンを聴く機会が重なったのは僥倖としか言えません。

今日のコンサートは都響のメンバー全員がマスクなし。コロナ禍が始まった後、こういうすっきりしたコンサートは初めてです。もちろん、指揮者も田部京子もマスクなし。田部京子のマスクなしのお顔を拝見するのは久々です。心なしか、ピアノ演奏への負担も少ないように思われます。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番はピアノ独奏から始まります。いつも通りのピアノ演奏ですが、第1楽章の終盤まではもう一つ、集中できていないようで、切れがありません。前回のコンサートでもそうでした。どうもエンジンのかかりが遅いようです。マスクはありませんが、客席の聴衆がコロナ配置で半分以下なので、ホールの響きをつかみ切れていないのかもしれません。都響のアンサンブルも同様でもう一つの響きです。しかし、第1楽章のカデンツァに入る前あたりから、本来のピアノの響きが戻ってきます。カデンツァはまだ最高の演奏とは言い難いのですが、十分に魅了してくれます。ようやくエンジンがかかってきたようです。

第2楽章は田部京子の独壇場のピアノ演奏です。オーケストラの強奏とナイーブなピアノ独奏が交互に続くベートーヴェンの独創的な音楽で、田部京子の抒情味豊かなピアノの響きが心を打ちます。オーケストラの激しい荒波に耐える一輪のか弱い花が美しい歌を歌い上げます。田部京子だけが表現できる美しい詩情に感動します。とりわけ、最後の独奏パートでの長いトリルの始まる前の絶唱には強い感動を覚えて、涙が滲みます。そして、素晴らしいトリルで音楽は絶頂を迎えます。感動の第2楽章でした。思わず、脳裏に少女時代のマルタ・アルゲリッチがクラウディオ・アラウの演奏を聴いて、この同じ部分で音楽とは何かということを初めて悟ったという逸話が浮かび上がります。アルゲリッチはその後、この曲の演奏を封印したそうです。多分、今でも弾いていないのではないでしょうか。確かに録音で聴くアラウの演奏の素晴らしさは極め付きと言えますが、今日の田部京子の美しい詩情はそれ以上にも思えます。

第3楽章は一転して、切れのよいピアニズムで進行します。そして、圧巻のフィナーレ。終わってみれば、最高のベートーヴェンでした。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲はアンドラーシュ・シフの至高の名演を昨年末に聴いたばかりですが、田部京子の演奏はやはり、彼女にしか弾けない極上の逸品です。まあ、このお二人はsaraiが熱愛するピアニストですから、こういう演奏を聴かせてくれるのは当然と言えば、当然です。去年と今年、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の名演を聴けて、幸福感いっぱいです。

後半はドヴォルザークの交響曲第7番。都響は大編成で素晴らしい響きを聴かせてくれました。想像以上の素晴らしい演奏でした。美しい旋律が満載の曲だけに、都響の弦パートの美しい響きは実に心地よく聴けます。とりわけ、第4楽章では都響のアンサンブルの響きが最高潮に達して、感銘を受けます。梅田俊明のツボを押さえた指揮も見事でした。

演奏とは関係ありませんが、東京芸術劇場のレストランもなかなかの充実ぶりです。友人のSteppkeさんとsarai夫婦で、コンサート前には、2階のカフェ・ビチェリンでイタリア・トリノの名物のビチェリンを味わいました。トリノのアル・ビチェリンの支店もしくは提携店のようで、本場同様の味が楽しめました。もっとも、トリノのアル・ビチェリンのように、ビチェリンを混ぜないで飲んでねというメッセージはありませんでしたけどね。スプーンが出されなかったので、混ぜたくても混ぜられないから、メッセージは不要なのかもしれません。三層の味を口の中でミックスする味わいは極上です。
コンサート後はそのカフェ・ビチェリンのお隣のアル・テアトロで美味しいイタリアンとスプマンテを頂きました。とてもリーズナブルな料金でコースディナーが楽しめます。お勧めですよ。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:梅田俊明
  ピアノ:田部京子
  管弦楽:東京都交響楽団  コンサートマスター:四方恭子

  ベートーヴェン:序曲《コリオラン》 Op.62
  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58

   《休憩》

  ドヴォルザーク:交響曲第7番 ニ短調 Op.70 B.141


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のベートーヴェンの序曲《コリオラン》は以下のCDを聴きました。

 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1966年10月29日 クリーヴランド、セヴェランスホール セッション録音
 
セルのゆるぎない指揮のもと、素晴らしいサウンドの演奏です。ハイレゾで音質も最高です。


2曲目のベートーヴェンのピアノ協奏曲 第4番は以下のCDを聴きました。

 内田光子、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 2010年2月20日 ベルリン、フィルハーモニー ライヴ録音
 
ラトルはモダンな表現での演奏で、内田光子のピアノも素晴らしいタッチの響きを聴かせてくれ、見事です。しかし、ここは田部京子の演奏を聴いておくべきだったと後で反省。それは復習で聴きましょう。


3曲目のドヴォルザークの交響曲第7番 は以下のCDを聴きました。

 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1960年3月18-19日 クリーヴランド、セヴェランスホール セッション録音
 
セルのドヴォルザークは素晴らしいです。クーベリックと甲乙つけがたしです。ハイレゾでの音質も素晴らしいです。



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       田部京子,  

田部京子のベートーヴェンは熱いパトスの奔流@すみだトリフォニーホール 2020.7.17

コンサートがなかなか聴けない日々が続きますが、その中で、田部京子のベートーヴェンを聴く機会があるのは僥倖としか言えません。先月は東響とのコンビでのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番でしたが、今日は新日フィルとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。いずれも彼女のCDも出ていない作品で絶対に聴き逃がせません。今回は昨日になって、ぎりぎりのタイミングで追加チケットが売り出されて、慌ててゲット。実際に会場に行ってみると、かなり空席が目立ちます。もちろん、席は前後左右は空けた配置ですが、その配置でもかなりの空席。何故に追加チケットの販売がぎりぎりになったのか、謎です。それにしてもこれでは、コンサートはかなりの赤字でしょう。某大物政治家の3密の3000人規模のパーティーが許されるのなら、整然と行われるオーケストラコンサートが定員半分以下の1000人に制限する理由は判然としません。政治資金が必要な以上にオーケストラの維持費用は死活問題です。制限するのなら、オーケストラへの資金援助は必須でしょう。せっかく日本のオーケストラが欧米のオーケストラの水準まで向上したのに、この音楽文化が後退することになるのは国としての損失です。そういうことを思わせるような素晴らしいオーケストラの演奏でした。頑張れ!新日フィル。

さて、本題に戻りましょう。前半は田部京子が独奏ピアノを弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。実はこの曲、最近のsaraiのお気に入りの作品の一つです。昨年のアンドラーシュ・シフの演奏は最高でした。
今日の演奏ですが、まず、長いオーケストラの主題提示部が続きますが、オーケストラのピュアーで美しい響きに魅了されます。ほとんど、この新日フィルは聴いていませんし、指揮者の太田弦は多分、初聴きですが、彼らの演奏の見事さに聴き惚れます。そして、田部京子のピアノが満を持して入ってきます。中盤まではエンジンがかからずに彼女のいつもの切れがありません。高域の響きも少し繊細さを欠きます。何せマスク着用での演奏なので、集中力のある演奏が困難なのかしら。しかし、第1楽章の後半あたりから、だんだん、全開モード。集中力のある演奏で切れも響きもよくなります。とりわけ、カデンツァでは、華麗なピアニズム・・・使い古された表現ですが、熱いパトスがほとばしる素晴らしい演奏にぐっと惹き付けられます。第2楽章は何というか、気高い精神の音楽表現でベートーヴェンの本質を突いた最高の音楽が展開されます。ベートーヴェンが作り上げた高邁で深い精神世界を田部京子の詩情あふれるピアノが歌い上げて、太田弦指揮の新日フィルが美しい響きでしっかりと支えます。人間でありながら、神の領域に上り詰めたベートーヴェンの音楽の素晴らしさを現代の日本の音楽家たちが忠実に再現していきます。何か不思議な感覚です。ウィーンの自然の中を散策しながら深い思索にふけるベートーヴェンの姿が現出したような思いに駆られます。音楽は人間が作り上げた最高の文化であることを実感しつつ、また、こうして、生の音楽が聴けることに感謝しながら、演奏家たちと思いを一つにして、最高の音楽を味わいます。第3楽章は音楽の祝祭であり、突進する勢いで終始、奏でられます。高揚する気持ちでフィナーレを迎えます。素晴らしい演奏でした。ただ、田部京子はまだまだ余力を残した演奏。これ以上の演奏ができるだろうと思います。いつか、最高の演奏を聴かせてもらいましょう。もしかしたら、明日のコンサートではもっと弾けるかもしれません。残念ながら、明日は東響のコンサートがあるので、今日と同じ内容のこのコンサートが聴けず、残念です。

後半はシューベルトの交響曲第8番 「グレイト」。第1楽章冒頭のホルンで、テンポがかなり早いので、ちょっと違和感を覚えます。もう少し、ゆったりと重厚なテンポでないとしっくりきません。しかし、これが若き指揮者の太田弦の表現のようです。saraiは今まで、この曲はシューベルトの遺作で最後の交響曲という意識で聴いてきました。ですから、それらしい音楽を期待してしまいます。まあ、考えてみれば、シューベルト自身、この曲が最後の交響曲という意識はなかったでしょう。そうだとすれば、この曲は本来はシューベルトの中期を飾る交響曲で、シューベルトの本当の音楽的熟成はこの後に作曲されるだろう、4曲ほどの交響曲の先にあったはずでしょう。今日の若い指揮者はそのあたりを考えて、ベートーヴェンであれば、第3番《英雄》あたりの位置づけで、このシューベルトの交響曲を演奏しているのではないかと思いながら、saraiもそういう意識を持って、演奏に聴き入ります。うんうん、少し違和感はあるものの若きシューベルトの意欲に燃えた作品として、なかなか素晴らしい演奏ではあります。それに新日フィルのオーケストラの澄み切った響きも素晴らしいです。第1楽章のテンポに慣れたせいか、第2楽章、第3楽章はこれまで聴いてきた演奏とさほど差異は感じられません。ただ、清新な演奏ではあります。そして、第4楽章の晴れやかな音楽は若きシューベルトがこれから、新しい音楽を切り開いていく気概に満ちた宣言のようにも感じられます。その伸びやかな高揚感にあふれた音楽にsaraiも同調して、気分が高揚します。これがシューベルトの中期の音楽だとすれば、シューベルトの音楽的才能はモーツァルトやベートーヴェンを超えるかもしれないと驚愕します。あの遺作の3曲のピアノ・ソナタも中期の作品(ベートーヴェンで言えば、アパッショナータやワルトシュタイン)とすれば、後期のピアノ・ソナタはどんな高みに上り詰めたんでしょうか。太田弦が提示した音楽はある意味、衝撃的でした。もっとも、音楽表現自体はよく練れた穏当なものではありました。これからはシューベルトの晩年の作品の聴き方が変わるかもしれません。やはり、生で聴く音楽は色々と感じるところがあります。早く、音楽が普通に聴ける状況になることを切に願います。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:太田弦
  ピアノ:田部京子
  管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団  コンサートマスター:崔文洙

  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op. 15

   《休憩》

  シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 「グレイト」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のベートーヴェンのピアノ協奏曲 第1番は以下のCDを聴きました。

 内田光子、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 2010年2月4日 ベルリン、フィルハーモニール ライヴ録音
 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団 1979年、TV放送のために催された特別公開演奏会でのライヴ録音
 
何といっても、ジュリーニの指揮での分厚い響きの素晴らしさとミケランジェリの切れ味鋭いピアノの演奏は最高の音楽を聴かせてくれます。ミケランジェリの録音の中でも最高の1枚です。一方、ラトルはモダンな表現でこの曲の別の一面を聴かせてくれ、内田光子のピアノも素晴らしいタッチの響きを聴かせてくれ、ミケランジェリ盤に肉薄します。


2曲目のシューベルトの交響曲第8番 「グレイト」は以下のCDを聴きました。

 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1970年、セッション録音
 
ゆったりしたテンポのスケール感のある演奏ですが、それでいて活き活きとした見事な演奏です。これはセルの最後の録音のうちの一つ。ハイレゾでの音質も素晴らしいです。



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       田部京子,  

東響の川崎定期も再開! 田部京子の圧巻のピアノ@ミューザ川崎シンフォニーホール 2020.6.28

一昨日は実に3か月ぶりにコンサートでしたが、聴き逃がせない迫真のコンサートでした。今日は場所をサントリーホールからミューザ川崎シンフォニーホールに変えて、まったく同じコンサートを聴きます。田部京子と東響のコンビで聴けるコンサートがコロナのお陰で実現したんですから、絶対に聴き逃がせません。何度でも聴きたいコンサートです。

今日はいずれの曲もサントリーホールでの演奏を上回る精度と熱気です。

最初はベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。東響の弦楽アンサンブルは見事に輝きを取り戻りました。冒頭の和音から素晴らしいアンサンブルの響きです。そして、主部に入ってからの細かい動きになると、さらに弦楽アンサンブルが高い精度の音楽を展開します。完璧とも思える演奏でした。指揮の飯守泰次郎の音楽作りも文句なしです。

次はベートーヴェンのピアノ協奏曲 第3番。田部京子は今日も好調。さらに繊細さを極めたピアノです。第1楽章はディテールをよい感覚で磨き上げていきます。ほっそりした白い指が鍵盤を動き回る様に見とれてしまいます。東響の弦楽アンサンブルとの心地よい響きに魅了されます。長大な楽章ですが、田部京子のピアノの響き、律動的な進行に心がとろけそうです。カデンツァでの名技は素晴らしく華麗で、これぞ、ピアノ協奏曲の極みです。第2楽章はピアノのソロで心の独白が語られます。ベートーヴェンの内なる魂の声を田部京子が代演しているかのごとくです。孤高の精神が深い思索にふけっています。やがて、オーケストラの演奏が加わり、その思索はウィーンの美しい自然の中を散策しながらのものであることを悟ります。自然を感じながら、沈潜した思いは次第に解き放たれていきます。自然と自己が一体化して、心が高揚していきます。オーケストラに自然を奏でさせ、独奏ピアノで己の心の奥底を語っていくという卓抜なベートーヴェンの音楽に心を打たれます。田部京子のピアノの表現力と東響の美しいアンサンブルでこそ、このベートーヴェンの音楽の本質が描き尽くされます。素晴らしくて、深い表現の音楽に共感するだけです。初めて、この協奏曲の本質の一端に触れることができました。第3楽章は一転して、きびきびした音楽が展開されます。今日も東響の女性陣の木管アンサンブルが見事な演奏を聴かせてくれます。とりわけ、クラリネットとファゴットの深い響きに感銘を覚えます。やがて、短いカデンツァを経て、田部京子のピアノが主導して急速なテンポアップ。圧巻のコーダに心が浮き立ちます。素晴らしい演奏でした。一昨日に続いての演奏ですが、何度も聴きたいと念じてしまうような最高の演奏でした。

休憩後、メンデルスゾーンの交響曲 第3番「スコットランド」。東響の弦楽器アンサンブルが最高に近い出来でその響きの美しさに聴き惚れます。木管の4人の女性奏者の見事な演奏も華を添えます。すべての楽章が素晴らしい演奏で、メンデルスゾーンの音楽の美しさや郷愁に満ちた響きを堪能しました。こういう音楽は細かい感想は不要に思えます。ただただ、音楽の素晴らしさに興じるのみです。指揮者の飯守泰次郎の音楽作りが成功したのでしょう。生涯で聴いた最高の「スコットランド」でした。今日も指揮者コールになりましたが、それも当然でしょう。

こういう素晴らしい音楽を聴かせてくれた東響、そして、田部京子に感謝するのみです。音楽なしの人生はあり得ません。


今日のプログラムは以下です。サントリーホール定期演奏会と同じです。

  指揮:飯守泰次郎
  ピアノ:田部京子
  管弦楽:東京交響楽団  コンサートマスター:水谷晃

  ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲 Op.43
  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 Op.37

《アンコール》 メンデルスゾーン:無言歌集 第2集から「ベネツィアの小舟 第2」嬰ヘ短調 Op.30-6

   《休憩》

  メンデルスゾーン:交響曲 第3番 イ短調 op.56「スコットランド」


最後に予習について、まとめておきます(前回と同じです)。

1曲目のベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲は以下のCDを聴きました。

 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル 1968年11月 ウィーン、ムジークフェライン大ホール ライヴ録音


2曲目のベートーヴェンのピアノ協奏曲 第3番は以下のCDを聴きました。

 内田光子、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 2010年2月10日 ベルリン、フィルハーモニール ライヴ録音
 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団 1979年、TV放送のために催された特別公開演奏会でのライヴ録音
 
内田光子はクルト・ザンデルリンクとの力演も記憶に残りますが、このCDもその強靭でかつ繊細なスタイルの演奏で見事な演奏です。ミケランジェリとジュリーニはもう何も言うことのない歴史に残る名演です。


3曲目のメンデルスゾーンの交響曲 第3番「スコットランド」は以下のCDを聴きました。

 オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団 1960年1月22,25,27,28日、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ セッション録音
 
クレンペラーということで荘重な演奏を予想していたら、なんとなんと瑞々しくて軽やかな演奏。メンデルスゾーンの本質を突く素晴らしい演奏です。巨匠の凄さを再認識しました。決定盤のひとつでしょう。



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オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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えりちゃさん、お久しぶりです。saraiです。

なかなか、海外渡航の見通し、立ちませんね。来年あたりはどうでしょうね。長期戦覚悟で我慢するしかありませんね。

こちら

04/10 02:37 sarai

saraiさま、
お久しぶりです!
お元気にコンサートや旅行を楽しんでおられますね!
ブログ、楽しく拝見しています。おフランス、良いね😊
私は春だというのに、仕事と用事以

04/09 05:29 えりちや

気になってたずねても 
誰にも知らんと言われなんやろ
と思いつづけて居ました❗
写真みつけてこれだと思いました❕スッとしました
教えて下さって嬉しいです
ありがとうご

02/13 22:26 みーちゃん

みーちゃんさん、saraiです。

あの謎の建物は雄琴沖総合自動観測所という施設で琵琶湖の水質を測定しているそうです。

https://www.water.go.jp/kansai/biwako/html/repo

02/13 21:40 sarai

ずーと前にうきみどうに行きました
やはり、琵琶湖の真ん中の建物が何なのか気になったままです
分かりましたか
教えてください

02/13 20:54 みーちゃん

五十棲郁子さん、コメントありがとうございます。

水道水のこと、tap waterって言うんですね。知らなかった。単にwaterで通していました。ましてや、フランス語はほとんど

02/11 00:12 sarai

フランスも地方へ行くと英語が通じないでしょう。tap water ぐらいフランス語で言えないとね。

02/10 12:54 五十棲郁子
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