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ブダペストの2日間:ブダペスト西洋美術館~素晴らしきエル・グレコ・コレクション

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/6回目

さあ、今日の最大のイベントのブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeum(ブダペスト国立美術館)に行きましょう。
ブダペスト西洋美術館は英雄広場Hősök tereの西側に建つギリシャ様式の重厚な建物です。


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まず、チケット窓口でチケットを購入します。一人1800フォリント(約900円)です。チケットの絵柄はセザンヌ、カラヴァッジョ、シーレ。いずれもsaraiの思い入れのある画家たちです。


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おっと、忘れてはいけないのはフォトチケットの購入です。このチケットがあれば、館内の絵画の写真撮影は自由です。もちろん、ノーフラッシュ、手持ち撮影ですよ。このチケットは300フォリント(約150円)。1枚だけ購入します。


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館内マップは無料。マジャール語と英語の併記ですから、分かりやすいですね。日本語の館内マップは見当たりません。


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早速、館内マップを見ながら、入場します。まずは2階に直行。2階のスペイン絵画がお目当てです。


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いやはや、スペイン絵画のコレクションの素晴らしさには感嘆するのみです。特にここのエル・グレコのコレクションは充実していて凄い! いずれはスペインのトレドにエル・グレコを見に行く気持ちが一層強まります。この美術館で見られるエル・グレコの全作品をご紹介しましょう。

エル・グレコと言えば、半年前の2013年1月に東京・上野の東京都美術館でエル・グレコ大回顧展を見たばかりです。その時の記事はここです。今回はそれに引き続いて、小エル・グレコ展を見るような感じです。
ご存じだと思いますが、エル・グレコは、ベラスケス、ゴヤと並んでスペインの3大画家の一人。しかし、グレコは本名をドメニコス・テオトコプーロスと言って、地中海のクレタ島で生まれたれっきとしたギリシャ人です。エル・グレコという通り名はスペイン語でギリシャ人という意味です。エル・グレコはクレタ島の港町カンディア(現イラクリオン)で才能を育み、マエストロ(画家組合の親方)として独り立ちします。その後、イタリアに画家修業に出かけ、ヴェネツィア、ローマで美術ばかりでなく、文学、哲学などの教養も身に着け、10年の時を過ごします。スペインのトレドに移住したのは30代も後半のことです。そして、この地で才能を開花させます。以下に紹介する《オリーブ山のキリスト》は晩年のエル・グレコがトレドで円熟期を迎えた70歳ごろの作品です。この最晩年の5年間に描かれた作品はマニエリスム絵画の最高峰とも言える傑作揃いで見逃せないものばかりです。しかし、エル・グレコは死後、忘れ去られた存在になります。そのエル・グレコに再び脚光が集まったのは、19世紀末からのヨーロッパの大観光ブームで古都トレドにヨーロッパ中から人が押し寄せるようになってからです。そのときに、ようやくエル・グレコの作品が再評価されるようになりました。かくして、エル・グレコ没後500年を迎える2014年、saraiもエル・グレコに惹かれて、トレドを訪問する予定です。エル・グレコの最高傑作を見ないと死ねません。その前にこのブダペスト西洋美術館のエル・グレコの珠玉の作品群を見ていきましょう。

これは《聖衣剥奪》です。1580年から1600年頃の作品です。この作品は1577年から1579年頃にトレド大聖堂の聖具室を飾るために描かれたエル・グレコのスペイン時代初期の傑作を改めて、小さなサイズで描き直したものです。エル・グレコ大回顧展で別のレプリカを見たばかりです。エル・グレコの有名な作品にはレプリカがいくつもあるようですね。エル・グレコ自身が描いたものなので単なる複製画とは違います。この作品には、キリストを十字架にかけるために刑場に引き立てていく途上、聖衣を剥ぎ取ろうとする場面が描かれています。マニエリスム表現の極端に引き伸ばされた肢体や捻じ曲げられた体の曲線という最晩年の特徴はまだ明確に姿を見せませんが、エル・グレコの敬虔な精神性は十分に表れています。トレドでの名声を確立した歴史的な作品です。この5月末にはトレドを訪問する予定なので、トレド大聖堂でこの作品の原画が見られると思うと気持ちが高ぶります。


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これは《オリーブ山のキリスト》です。1610年から14年頃の最晩年の作品です。キリストが最後の晩餐の後、オリーブ山にこもり、神に祈り続けています。一方、起きて待つように指示していた弟子たちは眠りこけています。それらが絵の上段と下段に分けられて配置されています。キリストは神から啓示を受けた後、そのだらしない弟子たちを咎めます。背景、構図の異様とも思える緊張感はこの時期に共通するものです。キリストの捻じ曲げられた体のマニエリスム絵画表現と赤い衣の色彩感も劇的な場面を盛り上げています。この作品全体はキリストの緊張した内面、すなわち精神世界を表しているようにも感じられます。最晩年ならではの傑作です。もともと、この作品はトレド郊外の小さな教会に飾られていましたが、ハンガリーの大銀行家ヘルツォグが入手し、その後、1951年にこの美術館におさめられました。この美術館のエル・グレコの充実したコレクションの根幹を成す作品と言えるでしょう。


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これは《聖アンデレ》です。緑の衣をまとった聖アンデレは12使徒の一人です。エル・グレコの描く聖人は高い精神性と敬虔さを感じさせられます。エル・グレコが多く描いた聖人の肖像画・人物画のなかでも傑出した表現が見られます。作成年が明示されていませんが1600年頃ではないかと想像されます。


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これは《悔悛するマグダラのマリア》です。1576年頃の作品です。この作品はつい最近までエル・グレコ大回顧展のために来日していました。ブダペストには戻ったばかりの筈です。saraiも半年前に見たばかりの作品です。マグダラのマリアはよく取り上げられる題材です。半年前の印象は、この時期のエル・グレコには、まだ後の時代の迫力が不足しているということでした。しかし、こうしてホームグラウンドで眺め直すと、美しく清らかな表現に思えます。エル・グレコはこういう作品作成を通じて、芸術性を鍛え上げて、最終的に迫真の劇的表現に高めていったんでしょう。


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これは《男の習作》です。1580年から1585年頃の作品です。12使徒の聖ヤコブを描いたものです。当時49歳だったエル・グレコの自画像とも言われています。何と言っても男の眼差しが印象的です。己の内面を厳しく見つめているかのような真摯な眼差しです。彼の思いは何なのでしょう。この作品を見ていると、おのずとsarai自身の内面と向かい合ってしまいます。


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これは《受胎告知》です。1600年頃の作品です。これは何と表現すればいいのか・・・乙女のような清らかなマリアが大天使ガブリエルからの受胎告知を従容として受け入れていますがその背景の凄まじさは衝撃の強さを表しているのでしょうか。美しくも激しい絵画と感じます。この作品は現在マドリッドのプラド美術館に収められているドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院にあった大祭壇衝立画の中の1枚、《受胎告知》の一部分を切り取ったような作品です。また、大原美術館にある《受胎告知》と構図は全く同じで色合いが少し違ったもので、これらはレプリカと言えるんでしょう。


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これは《聖アンナのいる聖家族》です。まったく同じ構図の作品をエル・グレコ大回顧展でも見ました。そちらは1590-95年頃の作でトレドのメディナセリ公爵家財団タヴェラ施療院所蔵の作品でした。これもレプリカなんですね。聖母マリアの美しさが際立っている1枚です。聖アンナは聖母マリアの引き立て役のような・・・。


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ここまでエル・グレコの傑作を思う存分堪能しました。これだけでこの美術館を訪問した目的は十分に果たせました。ただ、スペイン絵画部門だけでもまだまだありますから、鑑賞を続けましょう。


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ブダペストの2日間:ブダペスト西洋美術館~スペイン絵画コレクション

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/7回目

ブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeum(ブダペスト国立美術館)の充実したコレクションの紹介を続けます。
エル・グレコ以外にもスペイン絵画コレクションは充実しています。

これはベラスケスの《食事をする農夫たち》です。1618年頃、ベラスケス19歳のときの作品です。カラヴァッジョの影響を受けたのか、光と陰の明暗表現が印象的です。


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これはフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソの《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》です。作成年不詳の作品です。この作品はてっきりベラスケスの有名なマルガリータ王女のシリーズと思いましたが、考えてみれば、ウィーンの美術史美術館とマドリッドのプラド美術館にしか、ベラスケスのマルガリータ王女の作品はある筈がありません。よく見ると、知らない画家の作品です。でも、それにしてもベラスケスの作品そっくりでよく描けています。後で調べてみたら、この画家デル・マーソはベラスケスの長女フランシスカと1633年に結婚した人でした。結婚したときには娘のフランシスカは14歳だったというのですから、ベラスケスがよほど見込んだ娘婿だったんでしょう。この作品はベラスケスの《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》(1659年)の模写です。《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》はウィーン美術史美術館に所蔵されています。このデル・マーソの《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》もウィーンにあったようですが、同じハプスブルグ家の都だったブダペストに移されたようです。同じような作品をウィーンに2枚置いておく必要がなかったのでしょう。なお、ベラスケスの絶筆になった《赤いドレスのマルガリータ王女の肖像》は《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》の描かれた翌年1660年に描かれますが、弟子にして娘婿のデル・マーソが最後に筆を加えて完成させたそうです。これはプラド美術館に所蔵されているので、5月に訪問予定のプラド美術館でよく鑑賞させてもらいましょう。また、マルガリータは1666年、14歳でウィーンの神聖ローマ皇帝レオポルド1世に嫁ぎますがそれに先立って、喪服姿で肖像画を描かれています。喪服姿なのはその前年1665年に父親のフェリペ4世が亡くなったためです。この肖像画を描いたのは、時既にベラスケスは亡くなっているので、その後を継いだ形のデル・マーソです。これはデル・マーソのオリジナルですが、ベラスケスそっくりの描き方です。ベラスケス様式とでも言えるのかもしれません。この作品もプラド美術館に所蔵されています。長くなりましたが、これがデル・マーソの《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》です。


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なお、この《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》の元になった《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》も参考のためにご紹介します。ウィーン美術史美術館に所蔵されています。こちらは正真正銘のベラスケスの作品です。ウィーンにある3枚のマルガリータ王女のシリーズの最後を飾る傑作です。


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これはムリーリョの《エジプトへの逃避行》です。1668年から1670年頃の作品です。エステルハージイ・コレクションより所蔵替えになったものです。幼児キリストを慈しむマリアの優しさが滲み出るような美しい作品です。


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これはムリーリョの《巡礼者にパンを配る幼児キリスト》です。1678年頃の作品です。これもエステルハージイ・コレクションより所蔵替えになったものです。ムリーリョ晩年の作品で幼児とは言え、キリストのきりっとした荘厳さが表現されています。


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これはムリーリョの《幼き洗礼者聖ヨハネのいる聖家族》です。1668年から1670年頃の作品です。これもエステルハージイ・コレクションより所蔵替えになったものです。この作品は引き締まった画面構成とマリアの美しさが際立った作品です。ムリーリョの描くマリアはいずれも美しいですね。


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これはスルバランの描いた《聖アンデレ》です。1635年から1640年頃の作品です。12使徒の一人、聖アンデレは茶色の衣をまとっています。エル・グレコには及ばないものの、精神性の高い表現が素晴らしいと思います。エル・グレコの強い影響が感じられます。


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これはスルバランの《無原罪の御宿り》です。1661年頃の作品です。スルバランはベラスケスと同時代を生きたセビーリャ派のスペイン・バロックを代表する画家の一人ですが、この作品はその事実を認識させられる素晴らしいものです。白い衣で空中を浮遊するマリアの清らかさは作品のテーマを見事に表現しています。一度見たら忘れられない印象的な作品です。


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これはスルバランの《聖家族》です。1659年頃の作品です。敬虔さに基づいていますが、同時に普通の家族の親密さも感じさせる作品になっています。


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これはゴヤの《ベルムーデス夫人の肖像》です。1790年頃の作品です。モデルは著名な美術批評家ベルムーデスの夫人です。黒の背景色と対照的に華やかなドレスを見事に描き切っています。もっとも、この派手な色彩感覚はsaraiの趣味とは程遠いものです。


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これはゴヤの《ホセ・アントニオの肖像、マルケスカバレロ》です。1807年頃の作品です。肖像画家としてのゴヤの実力を遺憾なく示した作品。ただ、あまり、面白味には欠けるかな。


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これはゴヤの《みがき屋》です。1808年から1810年頃の作品です。一心にナイフを磨く職人の姿が描かれています。市井の名もなき人の姿を描く画家の眼は曇りがありません。


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これでスペイン絵画コレクションは完了。エル・グレコを中心とした素晴らしいコレクションに感嘆しました。次からはお気に入りの画家の作品にスポットをあてて、ご紹介していきます。


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ブダペストの2日間:ブダペスト西洋美術館~クラナッハ

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/8回目

ブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeum(ブダペスト国立美術館)の充実したコレクションの紹介の続きです。
今回はクラナッハの作品ほかを見ていきます。

これはクラナッハの《キリストと姦淫の女》です。1532年頃、クラナッハ60歳のときの作品です。
絵のテーマは以下の通りです。

 律法学者たちやファリサイ派の人々が、
 姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、イエスに言った。
 「この女は姦通をしているときに捕まりました。
  こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
  ところであなたはどうお考えになりますか。」
 イエスは言われた。
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
 これを聞いた者は年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまいました。                              
           ヨハネ福音書より


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同じテーマの作品は多く、saraiもミュンヘンのアルテ・ピナコテークで見ています。そのときの記事はここです。

これはクラナッハの《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》です。1530年頃、クラナッハ58歳のときの作品です。同じような構図の作品としては《ユディット》がありますね。衝撃的な絵画ですが、何故か、惹きつけられる魅力があります。とても好きな作品です。サロメの物語は後にオスカー・ワイルドが書き、R・シュトラウスが傑作のオペラを完成させました。


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これはクラナッハの《幼子に授乳する聖母》です。1512-16年頃、クラナッハ40-44歳のときの作品です。クラナッハの聖母子像も多いですが、この作品は聖母マリアの表情が沈んでいます。キリストの受難を予感しているのでしょうか。クラナッハにはマリアを美しく描いてほしいですね。


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これはメムリンクの《十字架磔刑》です。1491年以降の作品です。キリストの磔刑を中央に描いた最後の大祭壇画。メムリンクはドイツ生まれでベルギーのブルージュで活躍した画家です。来年あたり、ブルージュを訪れ、メムリンクの作品群を鑑賞することを現在、目論んでいます。


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これはヴェロネーゼの《十字架のキリスト》です。制作年不詳です。エステルハージイ・コレクションから移された作品です。ヴェロネーゼはヴェネツィア派の画家で、迫力のある大作を描いています。


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ブダペストの2日間:ブダペスト西洋美術館~モネ、ゴーギャン、ボナール、ドニ

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/9回目

ブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeum(ブダペスト国立美術館)の充実したコレクションの紹介の続きです。
今回はモネ、ゴーギャン、ボナール、ドニの作品を見ていきます。

これはモネの《釣舟》です。1886年頃、モネ45歳のときの作品です。1874年の第1回印象派展からは10年以上の月日も過ぎ、愛妻カミーユとも死別し、居をジヴェルニーに構えたのは1883年のことで、この絵はその3年後の作品です。この頃、モネは頻繁に旅をしており、この作品も旅先で描いたのでしょう。3艘の釣り船は荒々しい波にさらされています。これはモネの心境なのでしょうか。


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これはモネの《秋咲くリンゴの木》です。1879年頃、モネ38歳のときの作品です。上の作品に先立つこと7年の作品。パリからはセーヌの50kmほど下流にある小さな村ヴェトゥイユで暮らしていました。この作品はそのあたりの風景でしょうか。やはり、モネにはこういう風景が似合いますね。


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これはゴーギャンの《雪に覆われた庭》です。1879年頃、ゴーギャン31歳のときの作品です。ゴーギャンはこの頃は株式仲買人(証券会社の社員)として働くかたわら、日曜画家として絵を描いていました。この絵もとても綺麗な風景画ではありますが、後のポン=タヴァン派のリーダーとしての新しい作風の特徴は見られません。


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これはゴーギャンの《黒豚》です。1891年、ゴーギャンが43歳で憧れていたタヒチに渡ったときの作品です。画業に専念し、ポン=タヴァン、ゴッホとの共同生活を経た後の作品です。ポン=タヴァン派の特徴であるくっきりした輪郭線で描かれ、南国の島の明るい色彩が印象的です。平面的な描き方も顕著に見られるようになってきました。


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これはボナールの《午餐》です。1899年頃、ボナール31歳のときの作品です。ボナールはゴーギャンを師と仰ぐナビ派の中核的存在です。この作品は最も日本浮世絵からの影響が感じられる作品です。テーブルや人は画面の端で断ち切られた構図になっていますが、伝統的な西洋絵画ではなかったものです。色彩は落ち着いた茶系なのもこのころまでの特徴で、この直後には華やかな色彩の絵画に変わっていきます。


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これはボナールの《祖母と子供》です。1894年頃、ボナール26歳のときの作品です。上の作品と同様にテーブルも祖母も画面から大きくはみ出していますね。「日本的なナビ」と呼ばれる所以です。


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これはドニの《母の喜び》です。1895年、ドニ25歳のときの作品です。ドニもナビ派を代表する画家のひとりです。絵画作品は見たものをそのまま描くのではなく、精神創造活動の賜物という信念を貫いています。この作品はドニらしい特徴が諸処にうかがえる作品です。特に白の衣服のこんもりとした質感は素晴らしいですね。


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ブダペストの2日間:ブダペスト西洋美術館~ウーデ、ベックリン、マカルト、レンバッハ

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/10回目

ブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeum(ブダペスト国立美術館)の充実したコレクションの紹介の続きです。
今回はウーデ、ベックリン、マカルト、レンバッハの作品を見ていきます。

これはウーデの《キリストの埋葬》です。1900年頃、ウーデ52歳のときの作品です。フリッツ・フォン・ウーデはドイツの印象派を代表する画家の一人です。エッと驚かれるかもしれません。宗教画とも思えますね。ウーデは普通の意味での印象派の画家ではなくて、印象派と宗教性との融合を図った作品を多く描いています。この作品でも死せるキリストを囲むのは現実の世界です。同様の絵画はベルリンの博物館島にある旧ナショナル・ギャラリーでも見ました。そのときの記事はここです。そのときにも書きましたが、現実の風景にキリストを登場させる意味はあまり理解できません。


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これはウーデの《山上でのイエスの説教》です。1887年、ウーデ39歳のときの作品です。これも現実の世界にイエス・キリストが登場し、教えを説いています。こんなにキリストの登場する絵を描いているのは、世紀末の終末思想の故なのでしょうか。現実の世界に失望し、救世主の再登場を希求しているかのようです。


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これはベックリンの《春の夕べ》です。1879年、ベックリン52歳のときの作品です。ベックリンはスイスのバーゼルで生まれ、イタリアのフィレンツェのフィエゾレの地で没しました。ドイツを活躍の場としたため、ドイツの象徴主義の画家と考えられます。ベックリンは何と言っても《死の島》で有名ですね。saraiもベルリンの旧ナショナル・ギャラリーとバーゼル美術館で《死の島》を見ました。今回の作品は《死の島》と同様にフィエゾレに住まいを定めた円熟期に描かれたものです。裸体の女性と怪物が登場する幻想的な絵画はベックリンの典型的なテーマです。残念ながら、あまり、saraiの好みではありません。


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これはベックリンの《鍛冶屋にいるケンタウルス》です。1888年、ベックリン61歳のときの作品です。空想上の生物ケンタウルスが現実の鍛冶屋でひずめを直してもらっているという奇妙なテーマの絵画です。そのアンバランスさが面白いのかもしれませんが、なんだかね・・・。


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これはマカルトの《デイアネイラDeianeiraを連れ去るケンタウロスのネッソスNessos》です。1880年頃、マカルト40歳のときの作品です。ハンス・マカルトはオーストリアの19世紀の画家で、ウィーンの宮廷で活躍し、歴史画の大作を数多く描いたアカデミック美術を代表する画家です。この作品もそのひとつですが、こうやって見ると、ベックリンの作品と似ていますね。マカルトの作品の特徴は色使いの美しいことです。最近、ウィーンではマカルトを大きく取り上げた美術展が開かれて、再評価の動きもあります。


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これはレンバッハの《ローマのティトゥス帝の凱旋門》です。1860年頃、レンバッハ24歳のときの作品です。フランツ・フォン・レンバッハ伯爵は伯爵画家として知られています。ドイツの写実主義の画家です。この作品は古代の遺跡を舞台に精密な人物描写が光る作品になっています。


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今回のブダペスト西洋美術館での鑑賞はこのあたりで切り上げます。まだまだ、見きれていない名品も収蔵されている素晴らしく充実したコレクションの美術館です。旅の初日ですから、作品鑑賞はこれぐらいが体力の限界でした。

美術館を出て、英雄広場Hősök tereを少し見ましょう。美術館の前からは英雄広場は横から見ることになります。とても広い広場です。


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英雄広場はブダペストのシンボルのようなところです。23年ぶりに見てみます。



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ブダペストの2日間:懐かしい英雄広場、そして、素晴らしいオペラ

2013年5月31日金曜日@ブダペスト/11回目

ブダペスト西洋美術館Szépművészeti Múzeumの充実したコレクションを見た後、美術館の前に広がる英雄広場Hősök tereを見ます。23年前の1990年に訪れたときの記憶とまったく変わりません。英雄広場はハンガリー建国1000年を記念して、1896年に作られました。アンドラーシ通りAndrássy útの北端に位置します。広場で一番目立つのは中央に建つ塔です。これは高さ35mの建国1000年記念碑Millenniumi emlékműです。上に立つ像は大天使ガブリエルです。言い伝えでは、西暦1000年のクリスマスにローマ法王シルベステル2世の夢に大天使ガブリエルが現れ、イシュトヴァーン1世にハンガリー国王の王位を授けるように告げたということです。


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この建国1000年記念碑の背後の左右には扇形上に列柱が並び、柱の間にハンガリー歴代の国王や英雄達の14人の像が配置されています。左右の扇状の柱の上の両端には4体の像が並びます。手前から順に《労働と繁栄》、《戦い》、《平和》、《学問と芸術》を表しているそうです。


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広場の向かい(西洋美術館から見て)には、西洋美術館と同様にギリシャ様式の建物が建っています。これは現代美術館(ミューチャルノクMűcsarnok)です。現代アートの企画展が行われているそうです。


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これは建国1000年記念碑の基部です。騎馬像がぐるりと並んでいます。9世紀後半にハンガリーの地に足を踏み入れた7人のマジャール族の部族長たちです。ハンガリー建国の父たちとも言える人達です。


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英雄広場を後にする前に最後にもう一度、西洋美術館の重厚な姿を眺めます。


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英雄広場からは地下鉄M1に乗ってホテルに戻ります。最寄駅バイチ・ジリンスキ通りBajcsy-Zsilinszky útに着き、地上に上がるために、また超高速エスカレータに乗ります。少し慣れてきたので、思い切って乗りましょう。


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とても長いエスカレータです。これは超高速にしてもらったほうがいいでしょうね。


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地上には果物屋さんがあります。特別な果物は見当たりませんが、異国の店先は珍しく感じます。


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4時頃にホテルに戻りました。

ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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どうも旅の初日は疲れます。いったん、ホテルの部屋で休憩(お昼寝)します。元気を回復したところで正装してハンガリー国立歌劇場Magyar Állami Operaházに向かいます。旅の初夜はハンガリー国立歌劇場でオペラ鑑賞です。ホテルからはバス1本で移動できます。70/78番のバスでバス停アンドラーシ通りAndrássy út (Opera M)まで行くと、すぐ近くにハンガリー国立歌劇場があります。ハンガリー国立歌劇場は重厚な造りの立派な歌劇場です。


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これが建物正面です。ネオルネサンス様式の堂々たる建物です。1884年に完成した歴史あるものです。


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内部も色大理石を多用した美しい装飾です。


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開演45分前でまだ入場できません。いったん外に出ます。建物前には可愛いスフィンクス。saraiの好みの像です。だって、女性のスフィンクスですからね。


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少しハンガリー国立歌劇場周辺を散策します。ハンガリー国立歌劇場正面に向かって右手には小さな通りがあります。ハヨーシ通りHajós utcaです。以前、BS放送でこのハヨーシ通りの住民達の生活を取り上げていました。そのときから気になっていたハヨーシ通りなので、歩くのが楽しみです。


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街角には綺麗なカフェがあります。


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ハヨーシ通りを進むと、BS放送の番組で取り上げられた小さな電気屋さんと思われるお店を発見。何となく成就感があります。お店のご主人の姿は残念ながら見えません。彼はオペラのファンでした。今日もオペラを見に来るかもしれませんね。


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通りの名前Hajós utcaの銘板があります。


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こういう美しい通りも交差しています。


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歌劇場の前に戻ってきました。歌劇場は大きなアンドラーシ通りAndrássy útに面しています。この通りを北に進むと英雄広場Hősök tereに達します。


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ここまでの散策のルートを地図で確認しておきましょう。


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ようやく開場したので、入場します。チケットはネットで購入し、自宅プリンターで印刷済です。前から2列目の最上の席が1枚12000フォリント(約6000円)ですから、大変低価格です。


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内部は天井画、シャンデリアなど凝った装飾になっています。素晴らしいですね。


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かなり聴衆も入ってきました。オペラの始まる前の雰囲気はいつもながら、わくわくしてしまいます。


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オーケストラピットの中では、オーケストラ奏者たちが練習に余念がありません。


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今日のオペラはヴェルディの《シモン・ボッカネグラ》です。期待以上の素晴らしい出来に大満足。大変堪能しました。詳細記事はここです。

オペラ鑑賞後、バスでホテルに戻ります。長い1日に力尽き、バッタリと就寝です。オヤスミナサイ・・・


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Author:sarai
首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
大学入学直後からの長いお付き合い、素晴らしい伴侶に巡り逢われて、幸せな人生ですね!
京都には年に2回もお越しでも、青春を過ごし

10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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