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プラハで音楽・美術三昧:ミュシャ作品展(イワン・レンドル所有のポスター完全コレクション)の世界ツアーのプレミエ公開

2013年6月18日火曜日@プラハ/1回目

旅の19日目です。今日はプラハ滞在4日目です。

saraiは今日も朝寝坊。起きたのは10時をとっくに過ぎた頃。配偶者は待ちかねて、呆れ顔です。でも、夜更けまでブログの執筆・整理をしている故から、配偶者からはご苦労様とは言ってもらえましたけど・・・。

今日も快晴で外の気温はぐんぐんあがっているようです。エアコンが効かなくなってきます。
今日は実質的にプラハPrahaの最終日。やり残したことをやっておきましょう。saraiが起きてくるまで、配偶者は今日はどこにいこうかと観光案内書をぺらぺらとめくっていたようです。saraiはゆっくりと朝寝をしたにもかかわらず、プラハのあまりの暑さに朝からぐったりです。このホテルには湯沸し器があるので、コーヒーでも淹れてのんびり朝ごはんがわりにしようと、配偶者に提案してみます。それもいいねっていうことになります。

次の提案は、今日は船に乗ろうよと持ちかけます。クルーズ大好きのsaraiは、昨日ヴルタヴァ川のクルーズ船を見てからウズウズしていたんです。あまりにも暑そうな外の気配に歩いての観光はうんざりの様子の配偶者も、この提案にのってくれます。

今日の予定が定まったところで、行動開始です。まずはホテルの部屋に置いてあるツアーパンフレットをチェックします。


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そのパンフレットの中で、時間的に適当なクルーズのツアーを決めます。ランチ付のクルーズとケーキ付のクルーズの2つがありますが、ランチ付のクルーズは出発時間が間に合いそうもなく料金も高いので、ケーキ付のクルーズにします。


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プランを決めたところで、ホテルのレセプションでお願いします。が、希望のコースは今日はやっていないとのことで、そのツアーに近いものを勧められます。大差ないので、お勧めに従い、1時半からの2時間コースを予約します。チケットは手書きです。料金は1人550コルナですから、3,000円くらいですね。まあ、普通でしょう。


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ツアーの集合地点は市民会館Obecní důmの前です。それならば、そのツアー開始までに、市民会館で開催中のミュシャの作品展(元プロテニスプレーヤーのイワン・レンドルの所有するミュシャのポスター完全コレクション。本当に完全かな?)の世界ツアーのプレミエ公開を見たいというsaraiの希望を配偶者に申し出て、これも了承されます。この作品展に行けば市民会館に入れるので、うまくすればスメタナホールの内部も見られるのではないかとの企みもあります。トラムに乗って市民会館に向かいますが、ものすごい暑さです。市内交通の3日間乗り放題チケットは昨日までで有効期限が切れたので、今日は24時間乗り放題チケットを利用します。これは1人110コルナです。500円くらいですね。


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市民会館に着いてミュシャ展のチケットを買おうとすると、受付のお姉さんから・・・シニアは半額よとのお申し出。ありがたいことですが、何の疑いもなくシニアだと思われたことが不満のsaraiです。配偶者には、よほど自分は若く見えると思っているようねって、からかわれます。配偶者に言わせると、saraiは十分年相応の風貌だそうです。お蔭で思いがけず、安い料金でチケットが買えました。1人90コルナです。500円弱くらいですね。本来は1000円ほどの料金です。


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パンフレットもいただきます。作品展はこの4月から来月末(2013年7月)までプラハで開催して、その後世界中を回るようです。


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これがミュシャ完全コレクションの持ち主のイワン・レンドルです。ウィンブルドンで活躍していた頃からはずい分と年を重ねたようですね。


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市民会館の正面階段から、入場。階段上から市民会館入り口を振りかえってみます。ここから先は自由に2階にある会場まで階段を上っていけます。


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会場以外への階段は入場禁止のロープが張ってあります。


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ここから階段を上っていきます。


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ところで、saraiには秘密任務があります。そう、スメタナホールです。会場の2階展示室に上がる途中で、首尾よくスメタナホールでのリハーサル風景をドアの窓から覗くことが出来ます。美しいホールですね。今度はここでプラハ交響楽団の演奏を是非聴いてみましょう(チェコ・フィルの本拠地はドヴォルザークホールでスメタナホールはプラハ交響楽団の本拠地)。


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ミュシャ完全コレクション展示をこれから見ていきましょう。


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プラハで音楽・美術三昧:ミュシャ作品展(イワン・レンドル所有のポスター完全コレクション)前篇

2013年6月18日火曜日@プラハ/2回目

ミュシャ作品展をやっているプラハ市民会館Obecní důmの2階にある会場にやってきました。会場はとても大きな部屋2つで、壁にいっぱい、ミュシャの作品が展示されています。展示されているミュシャのポスター作品は確かに凄い数で、ミュシャ美術館の展示を上回るかもしれません。パリ時代、アメリカ時代、チェコ(ボヘミア)時代に分けて、展示されています。パリ時代は圧倒的に商業ポスターが多いです。可愛い女の子と花を散りばめたポスターは何とも言えず、魅力的です。
まずはパリ時代の幕開けを飾る作品から見ていきます。女優サラ・ベルナールを描いたポスター群です。パリで画家修業をしていたミュシャは後援者からの資金援助を断たれ、経済的な苦境の中、本の挿絵を描いたりしながら、何とか生計を立てていました。その経験が商業的な絵への才能を育てたのですから、人生は何が幸いするか、分からないものです。そうした生活も6年を過ぎ、1984年のクリスマス・イブに奇跡が起きます。サラ・ベルナール主演の舞台劇《ジスモンダ》が翌年の1985年1月に再演されることになり、そのポスター制作の依頼がミュシャが勤めていた工房に舞い込みます。クリスマス休暇のため、工房に残っていたのはミュシャだけでした。そのため、ミュシャがこのポスター制作の仕事を請け負います。それがミュシャの本格的なデビューになり、大成功を収めます。このまるで、クリスマス・キャロルのような伝説は後にずい分、脚色されたものかも知れませんが、それが真実に思えるほど、デビュー作の出来栄えは見事なものです。

デビュー作の《ジスモンダ》です。1895年、ミュシャ34歳の作品です。舞台劇《ジスモンダ》はアテネが舞台になった宗教劇で、サラ・ベルナールが演じる主役ジスモンダはビザンティン風の衣装を身に着け、手には棕櫚の枝を持っています。これは舞台のクライマックスの場面だそうです。この見事なポスターを描いたことで、ミュシャは一夜にして、パリの人気アーティストの仲間入りを果たします。写真で見ると、若い頃のサラ・ベルナールは大変な美人だったようですが、このとき、彼女は既に50歳を超え、女優としての頂点は過ぎていました。ミュシャはその彼女を若返らせて、魅力たっぷりに描きました。女性を可愛く描くミュシャの才能が炸裂した瞬間だったわけですね。


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このポスターはミュシャの成功にもつながりましたが、同時にサラ・ベルナールの女優としても復活にもなりました。再び、劇場が活気を取り戻したそうです。サラ・ベルナールとミュシャは6年間の契約を結び、ミュシャはこの後、6枚のサラ・ベルナールのポスターを制作することになります。

《椿姫》です。1896年、ミュシャ35歳の作品です。これは2枚目のポスターです。ヴェルディのオペラでも有名な作品ですが、サラ・ベルナールは女優として、この役柄を好み、生涯で何度も再演したそうです。サラはこのポスターがお気に入りでこの後、アメリカ公演でもこのポスターを使用したそうです。


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《ロレンザッチオ》です。1896年、ミュシャ35歳の作品です。これは3枚目のポスターです。16世紀のフィレンツェの歴史劇です。従妹のフィレンツェ公爵のアレッサンドロを殺害するロレンザッチオをサラ・ベルナールが演じました。このポスターはロレンザッチオが殺害方法を熟慮している場面を描いています。男役を演じるサラ・ベルナールはジスモンダ役よりは少し魅力に欠けますね。ミュシャはやはり女性を描くのが得意のようです。ところで、この歴史劇は、塩野七生のルネッサンス歴史を舞台にした殺人事件3部作の第2作《銀色のフィレンツェ-メディチ家殺人事件》に詳しく描かれています。とても面白い小説です。読んでいない方はご一読を。


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《サマリアの女》です。1897年、ミュシャ36歳の作品です。これは4枚目のポスターです。この演劇は聖書からのテーマをもとにサラ・ベルナールのために書き下ろされた作品です。サラは古代パレスチナのサマリア地方の女フォティナを演じました。サマリア人をキリスト教に改宗させるという役柄です。


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《メディア》です。1898年、ミュシャ37歳の作品です。これは5枚目のポスターです。これはギリシャ悲劇の定番ですね。オペラにもなっています。腕に着けた蛇のブレスレットはミュシャが独自にデザインしたものですが、これを気に入ったサラ・ベルナールは実際に小道具として作らせて、舞台で身に着けたそうです。ミュシャの装飾デザイナーとしての才能はこの後に開花していくことになります。


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《トスカ》です。1898年、ミュシャ37歳の作品です。これは6枚目のポスターです。今では《トスカ》はプッチーニの人気オペラとして知られていますが、このときはまだオペラ化される前で、サラ・ベルナールのために書かれた作品でした。もちろん、サラが悲劇のヒロイン、トスカを演じました。このポスターは例外的に小さなサイズです。


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《ハムレット》です。1899年、ミュシャ38歳の作品です。これがミュシャがサラ・ベルナールを描いた最後のポスターになりました。これはシェークスピアの代表作ですね。サラ・ベルナールはロレンザッチオに続く男役ですが、やはり、男役ではミュシャの才能がもったいないですね。ポスター下部にオフィーリアが描かれていますが、オフィーリア役をサラ・ベルナールが演じれば、いいポスターになったのにと悔やまれます。


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サラ・ベルナールを描いて人気アーティストになったミュシャですが、その成功をきっかけに、パリの名高い展覧会《サロン・デ・サン》に参加することになります。それがデビュー直後の1895年ですから、如何にミュシャの登場が爆発的なものであったかが分かります。この展覧会にはロートレックも参加しています。翌年の《サロン・デ・サン》のポスターをミュシャが描いています。

《サロン・デ・サン》のポスターです。1896年、ミュシャ35歳の作品です。これって、ヌードのポスターですね。こんなものも描いているとは、びっくりです。ミューズだから、ヌードなんでしょうか。


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同じく《サロン・デ・サン》のポスターです。1897年、ミュシャ36歳の作品です。これは先ほどの翌年の6月のポスターです。こちらの作品のほうが魅力的ですね。


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人気アーティストになったミュシャが多く手掛けるようになったのは、商業ポスターです。とりわけ、名高いのが鉄道会社に依頼された旅のポスター。ちょうど、この時期に鉄道が敷設されるようになり、大々的な宣伝が必要でした。

《モナコ・モンテカルロ》のポスターです。1897年、ミュシャ36歳の作品です。これはミュシャらしさが炸裂した見事なポスターですね。もっとも、美しい女性の姿が目立って、絵だけでは何のポスターか、判然としません。女性の背景に南仏コート・ダジュールが描かれています。女性を装飾する花輪がコート・ダジュールの春を演出するあじさいとライラックの花で表現されています。女性のうっとりとした表情が旅への憧れをイメージしているそうですが、分かりませんよね。もっとも、この一見、何の宣伝か分からない絵は現代のCMの先取りとも言えますね。


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続く商業ポスターは製品の宣伝用のものです。

巻き煙草用紙《ジョブ(JOB)》のポスターです。1897年、ミュシャ36歳の作品です。JOBは紙巻き煙草の巻紙を製造する会社で、ミュシャはこの会社のために2枚のポスターを制作しており、これは1枚目のポスターになります。これも一見、何のポスターかは分かりづらいですが、描かれた女性の美しさは素晴らしく、ポスターも芸術の域にはいったことが実感できます。デフォルメしながら、女性の美の本質に鋭く迫った傑作と言えるでしょう。


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《リュイナール(RUINART)・シャンパン》のポスターです。1897年、ミュシャ36歳の作品です。これも女性が主体に描かれていますが、手に持つシャンペングラスとそこから弾ける泡が印象的で、シャンペンの宣伝であることがよく分かります。しかし、saraiは紙巻き煙草の巻紙製造会社JOBのように、あくまでも女性のみが印象的なポスターのほうが好みです。まあ、女性モデルがJOBのほうが美人だったせいかもしれませんけどね。


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《モエ・エ・シャンドン(グラン・クレマン・アンペリアル)》のポスターです。1899年、ミュシャ38歳の作品です。これもシャンパンの宣伝用ポスターです。ミュシャはこのほかにも多くのお酒のポスターを描いています。ミュシャの魅惑的なポスターがお酒にぴったりなんでしょう。


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《ルフェーヴル=ユティル、ビスケット:シャンペン風味》のポスターです。1896年、ミュシャ35歳の作品です。LU(ルフェーヴル=ユーティル社)はナントを代表する製菓会社で、このポスターは新商品の発売時に吊り下げるディスプレイとして描かれました。パリの社交界の華やかな雰囲気が描かれています。ミュシャとしては珍しい構図かもしれません。


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《ルフェーヴル=ユティル、ビスケット》のポスターです。1896年、ミュシャ35歳の作品です。同じく、LU(ルフェーヴル=ユーティル社)のビスケットのために描かれた作品です。下の方にある半円形の部分にはカレンダーが書き込まれます。美しい乙女がビスケットをすすめてくれる構図ですね。


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《ルフェーヴル=ユティル、サラ・ベルナール》のポスターです。1903年、ミュシャ42歳の作品です。これもLU(ルフェーヴル=ユーティル社)のビスケットのために描かれた作品です。再び登場したサラ・ベルナールは演劇《遥かなるプリンセス》のプリンセスに扮しています。でも、このポートレートはあまり、サラ・ベルナールらしくは思えませんね。


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ミュシャは商業ポスターの制作と並行して、カレンダーの原画や室内装飾用パネルの制作にも手を広げます。

《黄道十二宮》です。1897年、ミュシャ36歳の作品です。これは雑誌《ラ・プリュム》のために描かれたカレンダーの原画です。これは本当に美しい作品です。パリ時代を代表する作品であるだけでなく、ミュシャの代表作とも言えます。saraiの最も愛するミュシャ作品です。そういうわけで、この作品は我が家の壁を飾っている作品(以前、ミュシャ美術館で購入し、額装してもらったもの)でもあります。我が家の作品(もちろん、複写ですが)のほうが大きいような気がするのは我が家が狭いからでしょうか?


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前にも一度、本ブログで紹介したような気がしますが、我が家のオーディオルームの壁もご覧ください。左がミュシャの複写品を額装したもの。額装費用は複写品の価格の10倍以上かかりましたが、まるで本物のように見えます(笑い)。右はトゥルンにあるエゴン・シーレ・ムゼウムの小さなポスターです。非売品をおねだりして頂きました。絵はシーレの《ひまわり》。どれもsaraiの宝物です。


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本題に戻りましょう。
《シャンプノワのカレンダー》です。1898年、ミュシャ37歳の作品です。この作品は当初、1898年用のカレンダーとして制作されましたが、あまりに美しい作品なので、様々な用途のポスターとして用いられるようなりました。シャンプノワというのは、ミュシャの作品を印刷していた会社の名前で、かなり多くの作品がシャンプノワ社によって印刷・販売されました。


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ミュシャが一番輝いたパリ時代はまだ続きます。


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プラハで音楽・美術三昧:ミュシャ作品展(イワン・レンドル所有のポスター完全コレクション)後編

2013年6月18日火曜日@プラハ/3回目

ミュシャ作品展(イワン・レンドル所有のポスター完全コレクション)を前回に続いて、見ていきましょう。ミュシャのパリ時代(1895年~1904年)を見ています。ミュシャのパリ時代はサラ・ベルナールとの出会いに始まり、商業ポスター、カレンダーの原画と続き、パリでの人気アーティストの地位も不動のものとなっていきます。並行して、手がけたのは、室内の装飾パネルです。多くは4点からなるセットでした。

まず、その4点セットの一つ、連作《四季(1896年)》です。1896年、ミュシャ35歳の作品です。ミュシャの連作の中でも最も人気のある作品です。この後も2回、同じテーマで制作の依頼を受けます。それらもこの後、紹介します。

《春》です。金髪の美しい少女が緑色の枝と金髪の毛で竪琴を作っています。


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《夏》です。ブルネットの少女がなにか物憂げな視線で物思いにふけっています。


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《秋》です。赤毛の美女が葡萄を摘んで食べようとしています。


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《冬》です。褐色の髪の少女が小鳥に暖かい息を吹きかけて温めているところです。


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次も4点セットの一つ、連作《四季(1897年)》です。1897年、ミュシャ36歳の作品です。前作の連作《四季(1896年)》の成功を受けて、印刷業者シャンプノワの勧めで同じテーマで制作した作品です。

《冬》と《春》です。うーん、なかなか、いいですね。妖精を描いていますが、モデルが美しいですね。


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《夏》と《秋》です。これはなかなか大胆なポーズです。


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次も4点セットの一つ、連作《四季(1900年)》です。1900年、ミュシャ39歳の作品です。同じテーマの3作目です。これもシャンプノワ社が印刷しました。素晴らしい名作です。

《春》と《夏》です。成熟した女性の魅力にあふれています。


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《秋》と《冬》です。可愛い女性に魅惑されます。


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次も4点セットの一つ、連作《一日の四つの時刻》です。1899年、ミュシャ38歳の作品です。ゴシック様式のステンドグラスを思わせる連作になっています。

《朝の目覚め》と《昼の輝き》です。ほっそりした美女の立ち姿が美しいですね。


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《夕べの夢想》と《夜のやすらぎ》です。横に構えた女性の横顔が美しいですね。


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次も4点セットの一つ、連作《花》です。1898年、ミュシャ37歳の作品です。女性に花をあしらった連作です。女性と花・・・最高のコンビネーションですね。ミュシャの傑作です。

《カーネーション》と《百合》です。何と美しいのでしょう。


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《アイリス》と《薔薇》です。これも言葉にならない美しさです。


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次も4点セットの一つ、連作《4つの星》です。1902年、ミュシャ41歳の作品です。4点を順に見ていきます。

《明けの明星》です。抑えた色調ながら、女性の美しさが浮き出てきます。これも珍しい女性ヌードですね。


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《北極星》です。あえて強調した北極星の明るい光に照らし出される女性の横向きの姿です。女性を光の輪で包んだ構図も見事です。


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《宵の明星》です。後ろからの明るい星の光に照らされながら、顔をそむける女性のポーズが美しいです。


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《月》です。月の輪を背景とした女性のはにかむような顔はちょっとポーズを付け過ぎかもしれませんが、むしろ、女性の美しい肢体が見事に描かれています。4作とも装飾的に絵の周辺を様式化した花で囲んでいますが、装飾パネルにはふさわしいデザインになっています。まさにアール・ヌーヴォー様式です。


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次は2点セット、連作《桜草と羽根》です。1899年、ミュシャ38歳の作品です。これもシャンプノワ社が販売した装飾パネルセットです。。

《桜草》と《羽根》です。光輪を背景に宝冠を着けた女性美はミュシャの独壇場です。


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ミュシャのパリ時代での重要な出来事は1900年のパリ万博でボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾を全面的に手がけたことですが、パリの人気アーティストであったミュシャはこのパリ万博の公式カタログの表紙も制作しました。1899年、ミュシャ38歳の作品です。ミュシャの装飾へのセンスの素晴らしさが如何なく発揮されています。


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1900年のパリ万博では、ミュシャはオーストリアのパビリオンの室内装飾も依頼されます。当時のチェコはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にありましたから、チェコ出身のミュシャは帝国内出身の著名なパリ在住アーティストとして、ウィーンから派遣された政府代表から声を掛けられました。同時にポスター制作も手掛けます。1899年、ミュシャ38歳の作品です。


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1904年のセントルイス万国博覧会のポスターも制作しています。インディアンの酋長と手を取り合っている少女が万博へ招待している構図です。パリからセントルイスまで、汽船で7日、汽車で1日の行程であることを知らせ、フランス人の来訪を呼び掛けています。航空機のない時代、なかなかの長旅だったんですね。


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その自分の描いたポスターに触発されたわけではないでしょうが、1904年にミュシャは新天地のアメリカに出発します。アメリカ時代の始まりです。1910年にチェコ(ボヘミア)に戻るまでの彼の活動はその後の《スラヴ叙事詩》へのステップでもありました。事実、次の作品はそれを裏付けるものです。

《スラーヴィア(Slavia)》です。1907年、ミュシャ46歳の作品です。このポスターはアメリカの保険会社のために描かれましたが、内容はスラヴの女神スラーヴィアで、そのモデルは後に《スラヴ叙事詩》制作の後援者になるアメリカの大富豪チャールズ・クレインの次女ジョゼフィンです。この作品をもとに翌年、油彩画《スラーヴィア》が描かれています。プラハ国立美術館(ヴィレトゥルジェニー宮殿)でも見たばかりです。


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続いて、アメリカ時代の作品を3つほど見ておきましょう。

《トライナー・アンジェリカ・ビター・トニック》です。1907年、ミュシャ46歳の作品です。シカゴに移住したチェコ人のジョゼフ・トライナーは薬用酒の製造業者でした。これは彼のために描いた宣伝用ポスターです。当時、ミュシャは基本的には宣伝用の作品は手掛けていませんでしたが、同国人のトライナーの依頼を断れなかったのでしょう。素晴らしいポスターです。


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《実用的な住まい》誌の表紙です。1907年、ミュシャ46歳の作品です。《実用的な住まい》はインテリア雑誌です。ミュシャはインテリア装飾も手掛けるようになっていました。まさに総合的なデザイナーです。


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《レスリー・カーター》のポスターです。1908年、ミュシャ47歳の作品です。アメリカ時代もミュシャのアール・ヌーヴォー様式のポスター制作は相変わらずで、アメリカ人にも好評でした。レスリー・カーターは舞台女優キャロライン・ルイス・ダッドレーの舞台用の名前で、以前、富豪のレスリー・カーター氏と結婚していたことがあり、レスリー・カーター夫人を名乗り続けていました。このポスターは彼女のブロードウェイでの芝居用に描かれたものです。


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1910年、ミュシャは《スラヴ叙事詩》の後援者を得、ボヘミアの地に戻ります。これ以降はチェコ時代になります。ミュシャは制作時間の大半を《スラヴ叙事詩》にあてるため、それ以外の作品はごく限られたものになります。友人からの依頼やチャリティ目的、民族色を打ち出した展示会用ポスター、政府委託のものなどです。

《モラヴィア教師合唱団》のポスターです。1911年、ミュシャ50歳の作品です。国際的な活動をしていた合唱団のポスターです。パリ時代の華麗な美女ではなく、モラヴィアの田舎娘が描かれています。しかし、こういう絵でもミュシャの描く女性は何と魅力にあふれていることでしょう。色彩の鮮やかさも見事です。


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《南西モラヴィア連盟の宝くじ》のポスターです。1912年、ミュシャ51歳の作品です。貧しそうな少女と泣いているスラヴィアが描かれているポスターは地域の学校制度を支えるための宝くじの購入を呼び掛けるためのものです。宝くじ1枚は1コルナだったようです。


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《イヴァンチッチェでの地方展》のポスターです。1912年、ミュシャ51歳の作品です。イヴァンチッチェはミュシャの故郷の町です。彼はここで畢生の大作《スラヴ叙事詩》に取り組んでいました。この頃、自分の心にかなうもの以外は描いていませんでしたが、これはよほど、気持ちが向かった作品だったのでしょう。


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《チェロ奏者ズデンカ・チェルニー》のポスターです。1913年、ミュシャ52歳の作品です。ミュシャがアメリカ滞在時に世話になったチェルニー家の次女ズデンカはチェロ奏者で、彼女のヨーロッパ公演用に描かれたポスターです。チェルニー家はミュシャと同郷のモラヴィア出身でした。ミュシャのポスター制作の腕は健在で、女性も美しく描かれています。この時代、ポスター制作を減らしたのはもったいないことでした。


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《第6回ソコル大会(1912年)》のポスターです。1911年、ミュシャ50歳の作品です。ソコル大会はプラハで開かれた体育大会です。ソコルSokolはチェコ語で鷹を意味し、1862年に始まった、若者の体を鍛える目的の運動・組織でした。これが次第に民族運動的な色彩も帯び、ミュシャも連帯したのでしょう。スラヴ叙事詩も連想させるスラヴ民族色の強い作品です。少女の描き方は相変わらず、達者なものです。


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《第8回ソコル大会(1926年)》のポスターです。1925年、ミュシャ64歳の作品です。若者の健康な身体を描き出しています。


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《ロシアを再建すべし》のポスターです。1922年、ミュシャ61歳の作品です。ロシアは革命のために国が荒れ、国民は窮乏状態になっていました。このポスターはロシアの飢えた家族を救うための募金キャンペーンを呼び掛けるために描かれました。心のこもった感動的な作品です。


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《スラヴ叙事詩展》のポスターです。1930(1928?)年、ミュシャ67~69歳の作品です。スラヴ叙事詩は17年の歳月をかけて、1928年に全20枚が完成しますが、その年、プラハでチェコ国民に公開されます。また、1930年にはブルノで公開されます。このポスターはそのブルノでのスラヴ叙事詩展のためのポスターです。なお、2年前のプラハでのスラヴ叙事詩展でも同じポスターが使われました。ポスター下部の文言が違っているだけです。したがって、このポスターのオリジナルの制作年は1928年で、1930年にブルノ用に作り直されただけです。ポスターの中心のハープを弾く少女はスラヴ叙事詩の第18作《スラブ菩提樹の下で宣誓する青年たち》の中で手前に描かれた吟遊詩人ルミールの部分で、モデルはミュシャの娘ヤロスラヴァです。ミュシャの人生を締め括るのにふさわしいポスターと言えます。


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これで、ミュシャ作品展(イワン・レンドル所有のポスター完全コレクション)を完了。膨大なコレクションなので、ひとつひとつすべてを詳細に見ることができなくて、とても残念です。しかし、プラハで思いがけず、この作品展とスラヴ叙事詩に出会えて、とても幸運でした。ところで、イワン・レンドルはまだ現役のテニス選手だった1982年から、ミュシャの作品のコレクションを始め、これまでにほとんどすべてのポスター作品のコレクションを完成したそうです。世界中のどの個人コレクション、美術館よりもコレクションは完全なのだそうです。偉大なテニス選手は今や、偉大なミュシャのコレクターなんですね。日本でも講談社から、このレンドルのミュシャ・コレクションを紹介する本が1986年に発行されているようですから、約30年前にはコレクションは既に相当なものだったようです。現在のコレクションはその上にさらに積み重ねたもので、レンドルのコレクターとしての努力には頭が下がります。1枚1枚のポスターも実に保存状態のよいものばかりでした。


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sarai

Author:sarai
オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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お役に立てて、なによりです。我が家では今でもメインのCDプレーヤーとして活躍しています。ただ、最近はCDはいったんリッピングしてHDDに格納し、USBオーディオでオーディ

01/18 15:18 sarai

父からアンプとセットで譲り受けたもののトレイが動かず困っていましたが、
ブログを見て自分で購入・修理することができました。
利益目的でもなくまた素人でも分かる記事

01/18 13:50 hisa

のりしんさん

saraiです。コメントお寄せいただき、ありがとうございました。
同じ追っかけ仲間、今後ともよろしくお願いいたします。
彼女の声は素晴らしいですね。

12/01 12:07 sarai

私も中村さんの追っかけやっております。昨日の演奏も圧倒的でしたね。中村さんの歌を聴いていると、なぜか涙腺が緩んで来ます。

12/01 09:39 のりしん

Steppkeさん

saraiです。ティーレマン信奉者にとって、《あまり好きでない》=《嫌い》に思えてしまうのです。まあ、夜道でうんぬんはいかにティーレマン信奉者でもやりま

11/15 10:39 sarai

sarai さん。
そんな..Thielemann が「嫌い」などと、夜道で後ろから刺されるようなことは言わないで下さい。
別に「嫌い」ということはないですよ。
今年は既に4回も聴

11/15 09:39 Steppke

Steppkeさん

saraiです。最前列で聴いたので、ほとんど弦セクションの音が響きました。それが狙いなので、満足しました。本文にも書きましたが、ウィーン・フィルのブルッ

11/14 13:15 sarai
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