2012年4月20日金曜日@ウィーン/5回目
レオポルド美術館Leopold Museumのクリムト展を堪能し、今回のウィーンWienでのクリムト三昧は完了。面白いものを色々と見せてもらいました。さすがにウィーンは凄い。
せっかくレオポルド美術館に入館したからには、他の展示も楽しみましょう。窓からのウィーンの街の眺めも楽しみます。

ウィーンの街といえば、こんな写真も展示されています。奥の方に分離派会館Wiener Secessionが見え、その手前に見えているのは昔のナッシュマルクトNaschmarktでしょう。この頃は分離派会館の見通しがよく、分離派会館の存在感がありましたね。

レオポルド美術館の展示は前回の訪問時にかなりの量の絵画作品をご紹介済みです(記事は
ここにアップ済み)。今回は、まだ未紹介のなかで、saraiが気になるものをご紹介しましょう。
レオポルド美術館と言えば、まずこの人に登場してもらわないといけないでしょう。エゴン・シーレです。レオポルド美術館はシーレ美術館と改称してもおかしくないほど、世界最大のシーレ・コレクションを所蔵しています。それに今回の旅では、遂にシーレが生誕し青少年期を過ごしたトゥルンTullnにまで遠征しましたしね。
彼の気取ったポーズの写真も大目に見ましょう。彼は根っからのナルシストですね。

まだ見ていない作品を発見しました。シーレ25歳、つまり死の前年に描いた《ラヴメーキング》です。日本語には翻訳し難いです。この絵は、紙の上に鉛筆とグワッシュ(水彩絵の具の1種)で描いたものです。

次の絵は、既にご紹介済の「ヴルタヴァ川に面したクルマウ(チェスキー・クルムロフ)」です。23~4歳頃の作品です。クルマウ(Krumau)というのはチェスキー・クルムロフČeský Krumlov(チェコ語)のドイツ語での表記です。

何故この作品を再度ご紹介したかというと、この絵の横にチェスキー・クルムロフの写真が展示してあったからです。この写真に似た風景ということなのでしょう。

この写真は明らかにチェスキー・クルムロフのお城の塔の上からの写真です。そして、橋の右手の建物は昨年saraiが泊まったホテルなんです。最上階の建物の角のバルコニーのある部屋が、その時宿泊した部屋です。偶然この光景を発見して驚きます(チェスキー・クルムロフ訪問時の記事は
ここ)。
クリムト、シーレとくれば、次はココシュカの登場です。
これは《自画像》です。

ここで忘れてはならないのが、「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」です。イタリアのアルプスに当時の恋人アルマ・マーラーと旅したときの作品です。この翌年には彼らは破局を迎え、感動的な傑作「風の花嫁」が生まれます。

saraiはスイスのバーゼルまでわざわざその「風の花嫁」を見に出かけ、とても感動しました。その「風の花嫁」の背景に描き込まれているのが、この「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」の山岳です。

saraiは今でも「風の花嫁」を見たときの感動が忘れ難く、2か月後の旅でスイスのバーゼルを再訪することにしています。「風の花嫁」との再会がとても楽しみです。
他の画家の作品で気に入ったものをピックアップしてみましょう。
ハンス・マカルトの「ベスタの処女」です。色使いの綺麗な美しい作品です。このマカルトの美しい色使いは「色の魔術師」とも呼ばれ、クリムトが最初に影響を受けたと言われています。ハンス・マカルトはオーストリア19世紀の画家で、ウィーンの宮廷で活躍し、歴史画の大作を数多く描いたアカデミック美術を代表する画家です。

ヨゼフ・マリア・アオヘンタラーの「小川の妖精」です。とても美しい絵です。アオヘンタラーはウィーン分離派の主要なアーティストの一人です。

次はコロマン・モーザーの作品をいくつかピックアップします。コロマン・モーザーは19世紀末から20世紀始めにウィーンで活躍したデザイナーで、ウィーン分離派の一人。愛称はコーロ(Kolo)で、コーロ・モーザーとも呼ばれました。 実際、ここでの展示でも、両方の呼称が使われていました。
これは第13回分離派展のポスターです。実にモダンですね。

これは「高い水平線のヴォルフガング湖」です。彼はデザイナーですが、画家でもありました。クリムトがアッター湖の風景を描いたように、彼は同じザルツカンマーグートのヴォルフガング湖の風景をよく描いています。しかも、クリムトが風景画を正方形のキャンバスに描いたことに影響されているようです。

これは「洞窟のヴィーナス」です。人物画もよく描いています。

これは「恋人達」です。少しシーレの影響が感じられます。

次はリヒャルト・ゲルストルの作品を3枚ピックアップします。リヒャルト・ゲルストルは19世紀末から20世紀始めのごく短い期間に象徴主義の画家としての人生を燃焼させました。作曲家シェーンベルクの妻マティルデと深い仲になり、作曲家は苦悩し、画家は若干25歳で首吊り自殺してしまいました。
これは「ヘンリカ・コーンの肖像」です。死の年に描かれました。病的な作品ですね。

これは「庭のマティルデ・シェーンベルク」です。問題の愛人ですね。これも自殺した年に描かれたものです。画家はどんな気持ちでこの絵を描いたんでしょうか・・・。
ちなみにマティルデ・シェーンベルクの旧姓はツェムリンスキーです。そうです。あの作曲家ツェムリンスキーの妹なんです。

これは「グムンデン近くの湖畔の道」です。死の前年に描かれました。アッター湖の近くのグムンデンでの作品です。これもクリムト風に真四角な風景画です。
グムンデンも2か月後の旅で訪れる予定の街です。

ゲルストルについては、もう少し取り上げてもいいかなとも思います。そのうちに気が向いたら、またご紹介しましょう。なお、シェーンベルクがこの時期に「弦楽四重奏曲第2番」を書いています。ソプラノ独唱付きの変わった楽曲です。シェーンベルクが妻の不倫に心を乱されて、エモーショナルになって作曲したと言われています。興味のあるかたは、ラサール弦楽四重奏団の素晴らしいCDが出ていますので、聴かれてみてはいかがでしょう。
新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲集:ラサール四重奏団(4CD)
十分にレオポルド美術館の鑑賞を終え、ムゼウムシュクヴァルティアーの中庭に出ます。相変わらず、若者達で賑わっています。美術館の中では、ココシュカとアルマの愛の苦悩、ゲルストルとマティルデの愛の苦悩が渦巻いていましたが、若者達は青春を謳歌しているようです。

次の目的地に向かいます。
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