この日のプログラムは以下の内容です。
指揮:マリス・ヤンソンス
管弦楽:ウィーン・フィル
ハイドン:交響曲第94番ト長調《驚愕》
リスト:交響詩《レ・プレリュード》
《休憩》
ハイドン:交響曲第88番ト長調《V字》
バルトーク:演奏会用組曲《中国の不思議な役人》
まず、有名なハイドンの交響曲《驚愕》です。オーケストラは対向配置で、コンパクトな編成。第1楽章は弱い響きの弦の響きは心地よく聴こえますが、フォルテになると響き過ぎに感じてしまいます。もっとシャープで繊細な響きを期待していましたが、不満な演奏です。ヤンソンスの曲のまとめかたも不満。しかし、標題の《驚愕》という名前の元になった第2楽章は弦の実に繊細な合奏で期待通りの素晴らしい響き。フォルテは上品な響きですが、それでも集中して聴いていたら、思わず、ビクッとしてしまい、これがハイドンの仕掛けた《驚愕》であることを初めて実感しました。ハイドン、ウィーン・フィル、ヤンソンスの3者の見事な仕掛けに脱帽です。この第2楽章の素晴らしさがすべてでした。全体としては、実に普通の演奏で何も言うべきことはありません。ヤンソンスももっと、何かやれなかったかなあと思いますし、ウィーン・フィルももっと磨き上げた響きが出せなかったかなあと思いました。後半もハイドンの交響曲が演奏されますが、何とかならないかなあという思いです。
この普通でおとなしいハイドンの後は、リストの交響詩です。一転して、実に華々しい演奏です。古典派からロマン派にいかに音楽が変遷していったのかを実感します。そういう効果を狙ってのプログラムと演奏なのかとも思いますが、いかがなものでしょう。確かにリストの曲は華麗に響きますが、派手に演奏し過ぎとも思えます。面白くは聴けましたけどね。まあ、リストの《レ・プレリュード》が名曲であることも感じた演奏ではありました。
ここまでが前半で休憩にはいります。ここまではあまり、ぴんとこない演奏で、後半に期待しましょう。
後半はまた、ハイドンの交響曲で始まります。今度は第1楽章から素晴らしい響きです。フォルテも《驚愕》と同様にホールに強く響きますが、決して、うるさい感じではなく、心地よく感じます。管の編成がさらに小さくなったせいもあるかもしれませんが、演奏の精度があがっている感じに思えます。これこそ、古典派の音楽という感じで気持ちよく聴けます。第4楽章が終わるまで、見事な演奏が続きました。とても満足です。これでこそ、ウィーン・フィルの演奏するハイドン、期待通りの演奏でした。
続くはバルトークです。このところ、《中国の不思議な役人》の演奏が多いような気がします。これも流行でしょうか。この日のウィーン・フィルのバルトークは、バルトーク好きにとっては、たまらない演奏で、本当に興奮してしまいました。決して、これがバルトークの正統的な演奏には思えませんが、実にセンセーショナルな演奏です。ウィーン・フィルという世界でも最高の美音のオーケストラが恥じらいを投げ捨てて、本音の響きを披露したという風に聴こえてしまいます。そのウィーン・フィルの響きを受け止める楽友協会のホールもさらに響きを増幅させて、ホール全体がセンセーショナルな響きに満たされます。こんな響きは公序良俗に反するのではないかと思ってしまいますが、sarai自身は楽しく、嬉しく、興奮していくのみです。古典派の上品なハイドンの後に、こういう強烈なバルトークを持ってきたヤンソンスに尊敬の念を禁じ得ません。ヤンソンスものりのりの指揮です。しかし、100年近くも前に作曲された曲が今でもセンセーショナルに響くとは、バルトークの才能の凄さを再認識します。特に初期のバルトークの先鋭さは群を抜いています。晩年の名曲群も素晴らしいですが、ある意味、今後はこの《中国の不思議な役人》こそ、バルトークの代表作になるのではないかと予感させるような素晴らしい演奏です。ウィーン・フィルがこういうバルトークを演奏できるのも驚きだし、ヤンソンスがバルトークを見事に指揮したのにもびっくり。多分、イヴァン・フィッシャー指揮のブダペスト祝祭管弦楽団も面白い演奏をするだろうし、過去にブーレーズも見事な指揮をしていましたが、それらを凌駕するかもしれない演奏です。聴衆も立派。演奏が終わるとやんやの拍手と声援。この場面をバルトークに見せてあげたいと思いました。あまりに先鋭的で強烈な音楽は作曲当時は不謹慎(特に台本)だと批判され、演奏の機会が少なかったと聞いています。今や世界の頂点のひとつであるウィーン楽友協会のウィーン・フィルのコンサートで聴衆に広く受け入れられるようになったんですからね。それも、たんたんとした演奏ではなく、物凄く踏み込んだ内容の演奏ですから、バルトークとしては本望でしょう。ここまでやるのなら、演奏会用組曲ではなく、全曲を演奏してもらいたいものです。演奏会用組曲は終盤のさらに強烈な音楽をカットしたものですから、全曲ならば、気絶しそうな響きになったことでしょう。
ハイドン、リストというハンガリー系の作曲家とハンガリーそのものというバルトークを組み合わせたコンサートでしたが、結局、バルトークがいかに偉大な音楽的な進化を果たしたのかということを思い知らされたコンサートになりました。前半、少し、不満もありましたが、終わってみれば、さすがにウィーン・フィル、さすがにヤンソンスという大満足のコンサートでした。このコンサートを聴くために旅の日程を無理して延ばしましたが、その無理は十分に報われました。
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