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ティーレマン指揮ウィーン・フィル《シューマン尽くし》2回目@ウィーン楽友協会 2012.4.21

前日も聴いたティーマン指揮のウィーン・フィルのシューマンを2日連続で聴きます。こんな贅沢なことはありません。前日のステージ上のオーケストラ席から、今日は平土間の3列目中央の席です。真ん前の眼の高さには指揮台が聳え、今日はティーレマンの足元にひれ伏す感じでの鑑賞です。すぐ横には、コンサートマスター席が間近に見えます。オーディオ的に言えば、ステレオスピーカーにへばりついて聴くようなものです。左右の分離度は最高でしょう。前日、配偶者の隣に座っていた大阪から来られた女性はやはり、2列目の横のほうに座り、今日も開演前に音楽の話に花が咲きました。saraiの隣席には音楽のお友達のsteppekeさんも来ており、みんなで開演前の盛り上がり。滅多にない経験で演奏の前からウキウキ状態です。

今日ののキャストとプログラムは前日とまったく、同じです。

 指揮:クリスティアン・ティーレマン
 ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
 管弦楽:ウィーン・フィル

 シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ Op.52
 シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 Op.38《春》


  《休憩》

 シューマン:ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー ハ長調 Op.131
 シューマン:交響曲第4番 ニ短調 Op.120

今日の席からもは指揮者が出入りするドアの中がよく見えます。ティーレマンの姿が見えて、最初に拍手するのはsaraiの役目のようです。

基本的には、コンサートの内容は前日と変わらないので、《差分》を中心に書きます。前日の感想も合わせて、読んでいただければと思います。

まず、《序曲、スケルツォとフィナーレ》です。この席では、左右の対向配置のヴァイオリンが極めて近く、集団としてまとまって響いてくるのではなく、直接、個々の奏者の音が聞こえてくる感じで、前日の音響とのあまりの違いにすごく戸惑いながらの聴き始めになりました。
そういうわけで、静かな演奏ではさすがのウィーン・フィルのヴァイオリンも少し不揃いに感じます。音量が高まると不思議に揃って響いてきます。序曲でのロマンチックな倦怠感があまり前日ほどは感じられません。場所のせいもありますが、前日ほどの出来ではないようです。それでも、主題部での弦の美しい響きは変わりません。ただ、前日のように身震いすることはありません。
序曲が終わったところで、今日は聴衆から拍手が出ることはありません。スケルツォのリズミカルなフレーズは前日同様の美しい響きです。
最後のフィナーレの快活で悦びに満ちた弦の響きは前日同様です。耳が贅沢になったのか、聴いている席の音響のせいか、前日の素晴らしい演奏には及ばない感じです。誤解のないように言えば、前日と比べての話で、シューマンを実感させる素晴らしい演奏には違いありません。saraiも熱狂的に拍手しました。

ティーレマンが再度登場し、前日同様、拍手も鳴り止まらないうちに、交響曲第1番《春》の第1楽章を始めます。高音弦の上昇音形のフレーズの響きの美しさには前日同様うっとりします。ただ、全体に前日に比べて、演奏の精度がもうひとつです。
第2楽章にはいり、ヴァイオリンの綿綿とした旋律が続きます。ティーレマンが第1ヴァイオリンに音量を抑えに抑えるように指示を出しているのは前日同様ですが、前日よりも指示があっさり。ウィーン・フィルとはそれなりに折り合いがついたようですね。
第3楽章のスケルツォは前日同様、悠々たるテンポのスケールの大きな素晴らしい響きです。
そして、輝かしい第4楽章に突入。祝典的に開始し、ヴァイオリンのリズミカルで美しい旋律が続きます。今日は昨日と違い、対向配置の第2、第1ヴァイオリンのこの旋律がステレオ的に綺麗に響きます。とても美しいパートです。フルートソロに続くパートでも、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが呼応して、その旋律を引き継いでいく様が美しく聴こえてきます。とても素晴らしく感じます。祝典的なフレーズがたっぷりと響き、そのまま、コーダに突入。ティーレマンの圧倒的な盛り上げ方は天才的、カリスマ的です。素晴らしいフィナーレです。ただ、今日の前半の2曲はいまひとつの感は否めずです。後半に期待しましょう

ここで休憩。sarai自身も感性の感度が前日よりも落ちている感じです。休憩中に立て直しましょう。

休憩後はコンサートマスターのキュッヒルがソロヴァイオリンとして、登場です。
《ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー》という滅多に演奏されない曲。
キュッヒルのソロヴァイオリンは最初から、前日を上回る熱演。そこらのソロヴァイオリニストにはとても弾けないような美しい響きの演奏です。オーケストラとの音質の同質性もあり、アンサンブルも含め、素晴らしい演奏です。前日の若干の不満を吹き飛ばす快演でした。
この曲の終了後、前日同様、ティーレマンとキュッヒルの愛情に満ちた態度はほほえましいものでした。ティーレマンとウィーン・フィルも蜜月状態なんでしょう。ウィーン・フィルはこの不世出との思えるカリスマ指揮者を離さないためにも、音楽監督ポストを復活して、ティーレマンを迎えてほしいと思います。ティーレマンは信奉者も嫌う人も半ばするかも知れませんが、その才能は誰しも認めるでしょう。シュターツカペレ・ドレスデンとウィーン・フィルに君臨し、新世代のスーパースターとして、西洋音楽を盛り立てていってほしいと心から思うものです。ティーレマンを嫌いなかたもここらで気持ちの整理をつけてもいいだけの、ティーレマンは音楽的成熟度に達していると思います。決して、恣意的な音楽表現ではなく、伝統に根差した新しい表現で広く共感を得るだけの高みに上りつつあると思います。それにクラシック界にもそろそろ新しいスターも必要でしょう。

再び、キュッヒルがコンサートマスター席に戻り、最後の交響曲第4番です。前日の素晴らしい演奏に何を付け加える必要があるでしょう。あのままで十分だと思い、固唾を飲みながら演奏を待ちます。
今回も、ティーレマンは拍手も止まぬうちにタクトを打ち下ろします。前日とは、序奏から違っていました。オーケストラをあまり抑えません。印象的な旋律が美しく流れます。まるでフルトヴェングラーみたいに聴こえます。(前日はフルトヴェングラーの伝説的名演と比べないといったのに性懲りもなく、また、比べてしまっている。)その序奏の勢いに乗って、主題部のロマンチックな旋律が美しく歌いあげられます。とても素晴らし過ぎる。ウィーン・フィルの美しい高弦がうねるように響き続け、前日の桃源郷のような音楽の世界を通り越し、彼岸の世界にいっちゃいます。ワーグナーすら感じてしまいます。今日も素晴らしい音楽に向かい合い、それに身を委ねる自分、ただ、それだけです。昨日以上に完全に音楽と一体化できました。流麗な音楽で体が揺れ始めそうです。それを必死に食い止めながら、ダイナミズムを心で受け止めます。そして、ティーレマンがまたしても高揚感に満ちたコーダをたたき込んできます。凄い音楽です。
第2楽章はチェロの独奏とキュッヒルのヴァイオリン独奏で癒されながら、一息つきます。
第3楽章のスケルツォは弦楽合奏の分厚く、美しい響きが前日以上に迫ってきます。こんな音楽をやられたら、堪らないですね。繰り返して演奏されるこの素晴らしい弦楽合奏に気持ちは高揚するばかりです。いったん、沈静化した音楽は、アタッカでぐんぐんクレシェンドしながら、終楽章へ突入。
第4楽章は一気にテンポを上げ、祝典的でもあり、瑞々しい悦びにも満ちた主題が合奏され、頂点を目指し始めます。理屈抜きで、ウィーン・フィルの素晴らしさ、楽友協会のホールに音の素晴らしい響きに体がとろけそうです。ティーレマンが剛直に音楽を推進していき高みを目指していきます。前日同様、いったん、テンポをスローダウンし、スケール感と美しい響きを整え直して、オーケストラの響きが磨き上げながら来たるべき頂点への期待を高めていきます。そして、終盤に向かい、ティーレマンもテンションがあがります。テンポを一気に上げ、誰も上ったことのない頂上に上りつめていきます。ティーレマンは前日以上に凄まじい気迫に満ちています。感動の痺れるようなフィナーレでした。神のごときティーレマンの指揮に、ただただ、ひれ伏すのみです。実際、ひれ伏す席なんです。まさか、あの素晴らしかった昨日以上の演奏に出会えるとは想像していませんでした。楽友協会のホールは沸きに沸きました。指揮者だけのステージ登場も2回に及びました。もし、これが東京なら、5回は呼びだしたでしょう。ティーレマン渾身のシューマンでした。

このコンビでシューマンのCDを録音すれば、フルトヴェングラーの伝説的名演と並び立つ名演になるでしょう。それほどのシューマン(第4番)でした。


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       ティーレマン,        キュッヒル,        ウィーン・フィル,  

ネメット70歳記念《チャルダッシュの女王》@ウィーン・フォルクスオーパー 2012.4.21

ほぼ1年ぶりでフォルクスオーパーのオペレッタ《チャルダッシュの女王》を見ることになりました。昨年聴いたときの感想はここです。今回の旅では、1年前に聴いたばかりだし、聴かないつもりでしたが、お友達のsteppkeさんから、ネメットさんの70歳記念公演(フォルクスオーパー出演30年記念)で、ネメットさんのフェリ・バチは今回で最後の舞台になりそうだという情報をいただき、あわてて、チケットを購入しました。ネメットさんのフェリ・バチといえば、ちょうど10年前に初めてフォルクスオーパーでオペレッタを聴いたときの《チャルダッシュの女王》で大変、楽しい体験をさせてくれたことを思い出します。ヨイ・ママンのリフレインを日本語でやってくれたときのことは今でもまざまざとよみがえってきます。あれでオペレッタの楽しさを知ったんです。saraiのオペレッタへの道を開いてくれた恩人とも言える人の記念すべき公演を聴き逃すわけにはいきません。

今日のキャストは以下です。

カールマン:オペレッタ《チャルダッシュの女王》 
 指揮:ルドルフ・ビーブル
 演出:ロベルト・ヘルツル
 アンヒルテ(侯爵夫人):マリア・ハッペル
 アナスタシア(スタージ):エリザベート・シュヴァルツ
 シルヴァ・ヴァレスク:アネリー・ペーボ
 レオポルト・マリア侯爵:ペーター・マティック
 エドウィン・ロナルド:トーマス・シグヴァルト
 オイゲン・フォン・ローンスドルフ陸軍中尉:マルクス・コフラー
 ボーニ:ロマン・マーティン
 フェリ・バチ:サンダー・ネメット
 シギ・グロス:ニコラウス・ハッグ

演出は1年前と同じです。派手なバレエが多く、踊り手のレベルも見事なものです。また、舞台のセットは何度見ても素晴らしく美しいです。アールヌーボー調でミュシャの絵もどきの大きな絵が目をひきます。

序曲が華やかに響き、開演です。ビーブルさんのつぼをしっかり押さえた指揮で見事な演奏です。第1幕の冒頭、舞台の大階段からシルヴァ役のペーボが華やかに登場、とても大柄でスタイルがよく、役柄にあっています。声は高域がしっかりと出ており、及第点です。中低域の声があまり出ていないので、すこし聴きとりにくい感じ。演技・踊りはしっかりとこなしています。シルヴァ役としては前回聴いたシェプフと同じくらいで立派な出来と言えます。ボーニ役のマーティンはとにかく声がよく通り、歌もうまく、とても満足な出来です。もちろん、演技も踊りにもうーんとうなされます。足りないと言えば、カッコよさくらいですね。フェリ・バチ役の注目のネメットはもう存在感だけでも華があります。お歳ですが、スタイルもよく、踊りも十分こなしています。せりふの声はさすがに少し声量が落ちている感じですが、saraiはドイツ語が分からないので、特に問題なし。歌はメリハリをきかせて、ここぞというところでは頑張って歌ってくれていました。まだまだ、やれそうな感じなので、これでフェリ役がおしまいなのは残念です。エドウィン役はシグヴァルト、声も演技もまあまあというところでしょう。第1幕はバレエの華やかな踊りに乗って進行します。また、カールマンの哀愁のあるメロディーの数々すべてがとても素晴らしい。一緒に口ずさみたくなってしまいます。前回はなかったリフレインまでがあり、聴衆は手拍子で乗りまくりになります。舞台の中心にはネメットが立ち、全体をとりしきり、しまった舞台を形作ります。あっという間に第1幕は大拍手のなか、終了。

休憩後、第2幕から第3幕まで休憩なしに一気に舞台は進みます。舞台の転換の見事さには前回同様でてきぱきと物語は進行していきます。2幕目では、スタージ役のシュヴァルツが登場。白いドレスに身を包み、立ち姿の美しさに目を惹かれます。歌声も綺麗で、踊りもうまく、演技もなかなかのものです。前回、とても評判になったスタージ役のゲッツには溌剌さで少し及びませんが、十分、満足できる歌手です。
第2幕も哀愁のメロディーが続き、saraiは聴き惚れてしまいます。ビーヴルさんの指揮による部分が大きいと感じます。前回は、このフォルクスオーパーの大きさでは鳴らし過ぎも感じましたが、今回はうまくオーケストラをメリハリをきかせて鳴らし、鳴らし過ぎに感じる部分もなく、それでいて、十分なダイナミックレンジで幅の大きな演奏を聴かせてくれました。ネメットのお祝いということで、オーケストラのメンバーも力がはいっているのでしょう。最後はシルヴァが身を引く悲しいシーンで幕切れです。

すぐに引き続き、アールヌーボー調のセットの第3幕が始まります。この幕にはいると少しそわそわしてきます。いよいよ、楽しみにしているヨイ・ママンが近づいてくるからです。登場人物も入れ替わりながら、徐々にヨイ・ママンの3人に絞られていきます。さあ、いよいよです。まずはネメットが歌い始めます。十分に声が響いてきます。この場面が見たくて集まった聴衆がほとんどでしょう。まさに千両役者。踊りも素晴らしい。聴いているsaraiも興奮します。歌はシルヴァ、ボーニに歌い継がれて、最後のダンスの見事さ。万上の拍手です。もちろん、ネメットに対しての賛辞です。まずはハンガリー語(マジャール語)でのリフレインです。ホール全体が熱気に包まれます。名歌手、1世1代の素晴らしい歌と踊り。シルヴァとボーニも素晴らしいサポートです。まだリフレインは続きます。お待ちかね、日本語と英語でのヨイ・ママン、聴いているsaraiは感動に包まれ、嬉しくもあり、悲しくもあるという不思議な感情にとらわれて、もうボロボロになって聴いていました。これで聴きおさめかと思っていたら、まあ、今日の聴衆の凄いこと。ここでホールに聴衆全員が万雷の拍手でスタンディングオベーションを始め、延々と止めません。もちろん、saraiもその一員です。オペラでも滅多に幕の途中でこんなことになることはありません。ステージ上のネメットも困ってどうしたらいいのか分からない様子。後で聞いた話では、客席から見ていた総裁のロベルト・マイヤーがもう1度リフレインをやるようにステージに指示を出したそうです。素晴らしい判断です。最後のリフレインはまたマジャール語でした。素晴らしいヨイ・ママンでした。聴衆もこれで満足して、3回にわたるリフレインが終了。ネメットの素晴らしい晴れ舞台でした。
フィナーレのハッピーエンドで、またほろりとして、終幕。カーテンコールは延々と続き、ネメットさんの祝賀式典もありました。

大満足のネメットさんのフェリ・バチで、今回のウィーン訪問も幕。このままで終われないのは、日本からここへ駆け付けたオペレッタ好きの面々です。今晩はウィーン国立歌劇場でガランチャの《ばらの騎士》もやっていましたが、それを振って、フォルクスオーパーに集まったんです。それにふさわしい出来でした。近くのカフェ・ワイマールで祝杯を上げるために予約までしてあります。大いに盛り上がって、ウィーン最後の夜が更けていきました。もう、ウィーン抜きの人生はありません。



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この記事へのコメント

1, えりちゃさん 2012/04/27 21:02
sarai様、奥様、こんにちは。
ウィーンでご一緒させて頂いた大阪のオバハンこと、えりちゃです。
その節はお話出来て楽しかったです、ありがとうございました。
素晴らしいコンサートでしたね。あの地鳴りのするような弦の音、すごかったです。身体にしみ込みましたね。
ヨイ・ママンもハイマシ・ペーターも聞きたかった!!皆様、さすが情報通でいらっしゃる。
すごいブログやなあ、と読んで感心しました。私ならたった一言、”よかった”、”楽しかった”、で終わるのに、かくも詳細かつ丁寧に書いてあると、オノレの語彙の無さ、貧弱な表現力をただただ恥じるばかり。
また今後共、よろしくお願いします。

2, saraiさん 2012/04/28 02:54
えりちゃさん、無理やりのコメント、ありがとうございます。ずっとお待ちしていました。

ティーレマン+ウィーン・フィル凄かったですね! 一緒にお話しできて、楽しかったです。3回目の《ばらの騎士》はガランチャがよかったそうですね。楽しめたことでしょう。

音楽のブログでもありますが、中心は旅ブログです。これから、今、終えたばかりの旅の詳細編を書き始めますので、是非、ご愛読の上、コメントと人気ランキングの投票をお願いしますね(笑)。

ところで配偶者がEメールアドレスを教えてほしいそうで、mail欄にアドレスを記入してもらえませんか。一般公開はしないようにしますので。

3, Steppkeさん 2012/04/28 15:25
sarai さん、奥様、こんにちは。
悪い道に引き込んだ Steppke です。何とか1週間を乗り切りました。
(ちょっと長いので、分けてコメントします)

Németh さん、素晴らしかったですね。あの公演に立ち会えて、本当に幸福でした。
私の記憶の為にも、細かな点を幾つか。

第1幕の途中、O jag dem Glück nicht nach auf meilenfernen Wegen(遠くへ行っても幸せは見つからない)の前、大きな拍手が起こって1回目のスタンディングオベーションで劇が止まりましたが、Németh さんの Feri bácsi が「Es lebe die Jugend!(若さに乾杯!)」と言ったからでした。16日の公演ではそんなことはなかったので、やはり21日は特別でした。

4, Steppkeさん 2012/04/28 15:26
Jaj mamám(ヤイ、ママーン) の3回目のアンコール(これも16日には無し)は、最初はハンガリー語でしたが、リフレインの部分はロシア語でした。(私もロシア語は分かりませんが、Németh さんが歌う前にそう言ったので)

Németh さんも、終演後の式典で、目に涙を浮かべておられましたね。
Volksoper の女性スタッフからも花束が贈られましたが、一緒にアルバムも渡されました。Németh さんの Volksoper での活躍の写真が貼ってあるそうです。(私も欲しい..) 最後の数ページは、これからの活躍の為に空いていると言っていました。

これからも Németh さんの舞台に接することはできそうですが、老け役でしょうし、あれだけの役柄・名演とはなかなかいかないでしょうね。

5, えりちゃさん 2012/04/28 19:24
Sarai様、奥様、
またしてもコメントさせて頂きますね。
Steppkeさんのコメントを読んで、またまた感心!全部聞き取れているんですね!ひょっとしてテキストも全部、頭に入っている(@@)???!Volksoperに行くと、聞き取れないせいか、笑いのツボが分からなくて、寂しい時があります。
チャールダッシュの女王は、それこそまだ私が初々しいお姉さんの頃(遠い目)、20数年前の来日公演で聞いて、好きになりました。フムフム、今回がそんなオタカラ公演だったとは。
sarai様のブロクを精読して(!!!)、以後、聞き逃さないようにしますね。

6, saraiさん 2012/04/28 23:26
Steppkeさん、saraiです。

実に詳細なフォロー、ありがとうございました。本文よりも詳しかったりして・・・(笑)。さすがにオペレッタの先達・師匠です!

同じネメットさんが出演した公演でも、この日は特別だったんですね。
ヨイ・ママンの最後のリフレインはロシア語だったとは驚きです。

ネメットさんの目に涙は6列目のsaraiの席からは判然としませんでしたが、かぶりつきの中央に陣取ったSteppkeさんだからこそ、観察可能だったようです。
それにしても、Steppkeさんのお人柄からはそんなにオペレッタに熱くなるのは想像しがたいと配偶者と話していました。

ガランチャのオクタヴィアンもsaraiとは別の見方のようですから、同様にコメントをいただけると幸いです。

7, saraiさん 2012/04/28 23:39
えりちゃさん、saraiです。再度のコメントありがとうございます。

Steppkeさんへのお尋ねの件はご本人からコメントいただくとして、saraiの場合はドイツ語がほとんど聴きとれていないので、笑いのツボが分からない場合も多いですが、お芝居よりも音楽中心で楽しんでいるので、そんなに気になりません。

それよりもえりちゃさんはオペレッタ、フォルクスオーパーについて、saraiよりもずい分、先輩だったんですね。凄い! saraiはまだ、オペレッタ歴、たった10年で、何かとSteppkeさんたちにご指導・情報提供いただいています。当ブログでも、そういう情報も発信できるでしょう。ご精読いただければ嬉しいです。

8, Steppkeさん 2012/05/05 01:44
えりちゃさん、こんばんは。Steppke です。
楽友協会では、失礼しました。

私も、ほとんど聞き取れていません。
Die Csárdásfürstin は、1985年の来日時から何度も舞台に接していますし、東京文化会館でのライブCD(私はその場に居ました)も繰返し聴いたので、台詞も含めて事前に頭に入っています。なので、ちょっとした違いが分かっただけです。

Volksoper での笑いのツボは、半分も分かりません。
19日には Die Fledermaus に行きましたが、第3幕の Frosch(Gerhard Ernst さん)は時事ネタとか入るし、定番の冗談を除くとお手上げです。
しかし、ドイツ人でも分からないとか聞いていますし、地元の人でないと無理と最初から諦めています。

9, Steppkeさん 2012/05/05 01:46

そう言えば、3月に Baden で Viktoria und ihr Husar(ヴィクトリアと軽騎兵)に行った際、皆が笑い転げているのに独り笑えないでいると、隣の席のオバサマが外国人には駄目でしょうねとか話しかけて来ました。

それでも、オペレッタは、曲がきれいで親しみやすいし、面白いし(他人が笑い転げているだけでも楽しくなります)、やめられません。

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ジャンル : 音楽

 

ティーレマン指揮ウィーン・フィル《シューマン尽くし》1回目@ウィーン楽友協会 2012.4.20

期待していたティーレマン指揮のウィーン・フィルでシューマンを聴きます。今日は1回目。明日も同じプログラムを聴きます。同じプログラムを連日聴きたいほどのコンサートです。この日のコンサートは人気沸騰でチケット入手困難。何とか、オーケストラ席、すなわち、ステージ上のオーケストラの横に椅子を置いた席をゲット。オーケストラのメンバーがはいってくる同じ扉から入ります。席は左側ですから、目の前に第1ヴァイオリン奏者たちが並んでいます。横にはホルン。幸いにティンパニは逆サイドでした。配偶者の隣には大阪から来られた女性が座り、音楽の話に花が咲きます。ウィーンではほぼ同じような内容のオペラ、コンサートを聴いているようです。誰しも聴きたいものは同じですね。

今夜のキャストとプログラムは以下です。

 指揮:クリスティアン・ティーレマン
 ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
 管弦楽:ウィーン・フィル

 シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ Op.52
 シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 Op.38《春》


  《休憩》

 シューマン:ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー ハ長調 Op.131
 シューマン:交響曲第4番 ニ短調 Op.120

今日のオーケストラ席からは指揮者が出入りするドアの中がよく見えます。誰よりも早く、ティーレマンの姿が見えます。ティーレマンは勢いよく、ステージに出てきます。
まず、《序曲、スケルツォとフィナーレ》の序曲からです。この席での音響がどうなのか、正直、心配でした。ところが、実に弦楽器の音が綺麗に揃って響いてきます。序奏ではヴァイオリンで、シューマンらしくロマンチックな、それでいて、少し倦怠感がある屈折感の響きが見事に演奏されます。出だしから魅了されます。間に低弦の深い響き。すぐに主題にはいり、快活なテンポに変わり、弦の美しい響き。しばらくすると、弦の高音部の輝かしい響きです。艶があって、なんとも言えないウィーン・フィル独特の美しい響き身震いします。高音部の響きが鳴るたびについ、身震いしてしまうことを止められません。この席はオーケストラと同じ床面なので、耳からだけではなく、床からの振動も一緒に感じます。ウィーン・フィルの美しい響きをオーケストラと文字通り、共有できるとは、何という幸福感でしょう。シューマンのこの曲はあまり聴きこんでいませんが、小交響曲と言っていいほど、聴きごたえがあります。ティーレマンも軽いタクトさばきですが、的確にシューマンの音楽を把握した見事な指揮。さすがです。そうそう、この席からはオーケストラの奏者と同じ目線で指揮者の指揮ぶりを見ることができます。
序曲が終わったところで、聴衆からぱらぱらと拍手。これは困りますね。ティーレマンは若干、苦笑しながら、右手を上げて、拍手を制します。観光客なんでしょうか。こういう素晴らしいコンサートに来てほしくない聴衆です。しかし、ティーレマンは少しも意に介さない様子で、スケルツォにはいります。弦が中心で付点が続くリズミカルなフレーズを美しい響きで奏でます。曲想的には軽い部分です。そのまま、穏やかに曲を閉じます。
すぐに最後のフィナーレにはいります。トゥッティで素晴らしい響きが鳴り響き、すぐに弦で快活で悦びに満ちた主題にはいります。対位法的で勢いのある楽想をなんと見事に表現していることか、まさにこれぞシューマンの祝典的な音楽の正統な演奏です。ティーレマンの棒にウィーン・フィルがパーフェクトに応え、シューマンワールドにどっぷりと身を置きます。素晴らしい!! そのまま、ぐんぐん盛り上がり、音楽の楽しみを満喫しながらのシンプルなコーダ。最初から、シューマンのミニ交響曲の完璧な演奏を聴いた思いです。聴衆ももっと沸いていいのにとsaraiは一人で不満を持ちます。この後の演奏がますます、楽しみです。しかし、ここでコンサートが終わってもsaraiは満足して会場を後にしたでしょう。それほどの素晴らしい演奏でした。

ティーレマンが再度登場します。拍手も鳴り止まらないうちに、交響曲第1番《春》の第1楽章が始まります。金管のファンファーレが鳴り響きます。その後、スローダウンしてぐっとオーケストラを抑え込んで、次第にテンポアップして、解き離れたように悦びにみちた主題が奏でられます。高音弦の上昇音形のフレーズの響きの美しさにうっとりします。何という美しさでしょう。主題提示部が繰り返され、またもや、高音弦の上昇音形の美しさに幻惑されます。じっくりと展開部が奏でれられます。色々な楽器で引き継がれる上昇音形は悦びに満ちた音楽です。いったん、音楽が登りつめ、壮大なスケールで美しいメロディー。また、音楽は落ち着きを取り戻し、高音弦の上昇音形も登場し、少しスローダウンした後、フルートのゆったりした上昇音形に導かれ、トゥッティで快活なコーダにはいり、ヴァイオリンの細かい旋律が美しく奏でながら、フィナーレ。シューマンの悦びに満ちた音楽を何と素晴らしく聴かせてくれることでしょう。
第2楽章にはいり、ヴァイオリンの綿綿とした旋律が続きます。ティーレマンはコンサートマスターのキュッヒルに対して、音量を抑えに抑えるように指示をしつこいくらい続けます。ただ、ウィーン・フィルは響きを損ねない程度に抑えた演奏に留めます。このあたりの指揮者とオーケストラの葛藤は音楽を作り上げる上では重要ですね。少しずつ、抑えが解き放され、抒情感にあふれる演奏が続きます。聴衆もこのあたりは一息つけるところです。
第3楽章のスケルツォが始まります。悠々たるテンポのスケールの大きなフレーズが素晴らしい響きで鳴り渡ります。第2パートをはさみ、また、冒頭の部分が素晴らしい響きで繰り返されます。耳に心地よいですね。また、次のパートを挟み、冒頭の部分を短く繰り返し、最終パートで音楽は沈静化。
そして、輝かしい第4楽章です。トゥッティの素晴らしい響きで祝典的なフレーズを奏で、第1、第2ヴァイオリンでリズミカルで美しい旋律を奏でます。このあたりは対向配置が効いているようですが、聴いている場所がステージの端なので、ヴァイオリンは第1も第2も同じように響いてきます。このあたりは明日、もう一度、聴き直させてもらいましょう。音楽は美しく続きます。フルートソロが見事に響き、先ほどの弦のリズミカルで美しい旋律を奏で、続いて、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが呼応して、その旋律を引き継いでいきます。このあたりのシューマンの音楽的感受性にいたく心を打たれます。そして、いくつかの楽想を経て、冒頭の祝典的なフレーズがたっぷりと鳴り渡ります。弦の演奏が実に美しく輝かしいです。その祝典的な気分のまま、コーダにはいっていきます。ティーレマンの下からすくいあげるような《まくり》が圧倒的です。オーケストラもそれに呼応して高揚感のある響きを高らかに歌い上げます。高音弦の素晴らしい響きのフレーズが光り輝きながら、フィナーレ。何という演奏でしょう。究極のシューマンです。ティーレマン恐るべし。この後の交響曲第4番は一体、どういうことになるのでしょう。

ここで休憩。ふーっ・・・。こころがかき乱されて、言葉も出ない状態です。次第に落ち着きを取り戻したところで休憩時間が終了。

コンサートマスター席には、先ほどまではキュッヒルの隣の席に座っていたホーネックが移り、今度はキュッヒルがソロヴァイオリンとして、ティーレマンを従えて、登場です。
《ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー》という珍しい曲が演奏されます。
まさに曲名通り、オーケストラがロマンチックで幻想的な旋律を美しく響かせます。続いて、キュッヒルのソロヴァイオリンが華麗なフレーズではいってきます。響きは美しいのですが、コンサートヴァイオリニストのような派手やかな響きとは別世界。オーケストラと溶け合うような響きです。途中から、ティーレマンはキュッヒルを覗きこむように顔を付きだし、タクトをキュッヒルに向かって振りはじめます。まるでインスパイアしているみたいです。指揮者がソロヴァイオリニストに対して、タクトを振るのは初めてみました。そのせいか、後半のヴァイオリン演奏は精彩のある素晴らしい演奏に感じ始めました。それにしても、この曲はシューマンぽくない奇妙な曲です。特にヴァイオリン独奏部は細かい動きのフレーズが続き、ファンタジーというよりもカプリッチョみたい。ただ、聴き終わり、この曲は来たるべきR・シュトラウスの世界を先取りしているようにも感じました。やはり、シューマンは実に多彩な才能を持った偉大な作曲家で西洋音楽の中核の流れにいたことを確信しました。
この曲の終了後、ティーレマンのキュッヒルへの敬意に満ちた態度は、父親への慈しみにも似た雰囲気でほほえましく感じました。キュッヒルもまんざらではない様子でにこにこ顔。ティーレマンとウィーン・フィルも蜜月状態なんでしょうか。音楽的には、これ以上のコンビは世界中見渡しても思い当たらないくらいです。まあ、別格として、ハイティンク+コンセルトヘボウがあるくらいでしょうか。

再び、キュッヒルがコンサートマスター席に戻り、最後の交響曲第4番です。saraiの関心事は伝説的なフルトヴェングラーの演奏にどれだけ肉薄できるだろうかということです。
またしても、ティーレマンは拍手も止まぬうちにタクトを打ち下ろします。序奏は意外なことにオーケストラを抑えに抑えます。しつこいくらいです。印象的な旋律が聴こえづらいほどです。しかし、そのために聴衆としては逆に緊張し、耳を凝らさざるを得なくなります。そして、主題部にはいり、手綱はゆるめられ、あのロマンチックな旋律が美しく流れ始めます。カタルシスにも似た感覚を覚えます。ウィーン・フィルの美しい高弦がうねるように響き続け、桃源郷のような音楽の世界。こういう音楽を聴きたくて、長い間、音楽を聴いてきたんです。気持ちの高揚感は表現ができないほどの素晴らしさ。素晴らしい音楽、それに身を委ねる自分、ただ、それだけです。完全に音楽と一体化できました。流麗で、それでいて、ダイナミックな音楽が体を突き抜けていきます。そして、ティーレマンの迫力に満ちた指揮棒が強く振られて、高揚感に満ちたコーダです。これ以上、望むものは何もありません。しかし、まだ、第1楽章が終わったばかりです。
第2楽章は一転して、チェロの独奏で瞑想的な美しいメロディーです。心の安らぎを感じます。続くヴァイオリンのゆったりとした波は憧れに満ちた感情を呼び覚まします。また、チェロの独奏で安らぎ、続くキュッヒルの独奏で美しいヴァイオリンの響きがさざ波のように流れ、最後はチェロの独奏で優しく、心をあたためてくれます。ここで一息ついた感じです。
第3楽章のスケルツォは弦楽合奏の分厚く、美しい響きに圧倒的されます。こんなに心を揺り動かされる音楽があるでしょうか。そして、抒情的なパートにはいります。繰り返しが多いのですが、少しも気になりません。心の落ち着きを得るのみです。そして、また、冒頭の素晴らしい弦楽合奏が再現されます。気持ちが高揚しかけたところで、抒情的なパートに戻り、平静な心に落ち着きます。音楽は沈静化し、アタッカでクレシェンドしながら、終楽章へ。
第4楽章はゆったりした楽想を経て、一気にテンポを上げ、付点のある悦びに満ちた主題が合奏され、高揚していきます。ウィーン・フィルの素晴らしい合奏力で楽友協会のホールに音が満ちて行きます。ティーレマンがどんどん推進力を増していき、中核部に迫っていきます。いったん、テンポをスローダウンし、スケール感を増したオーケストラの響きが次第にヒートアップ。美しい響きを充満させながら、終盤に向かっていきます。テンポを上げ、頂上に上りつめていきます。ティーレマンの凄まじい気迫にsaraiも上りつめていきます。語ることのできない究極のフィナーレでした。まさに重量戦車を思わせる剛直なティーレマンの指揮に、ただただ、ひれ伏すのみです。終楽章はティーレマンの緻密であり、小細工抜きの直球勝負の圧倒的な名演でした。もちろん、楽友協会に響き渡ったウィーン・フィルの弦楽の美しさ、特に艶のある高弦の輝きには目も眩むほどでした。

シューマンの究極を聴いた今、過去のフルトヴェングラーの伝説的名演と比べようとしていた自分を恥じています。音楽はその一瞬に輝き、消えていくもの。特に生演奏は一期一会の自分だけの体験。そこで感動した自分を過去の他の演奏とどう比べようがあるのか、あるわけありません。フルトヴェングラーの素晴らしさは揺るぐものではありませんが、ティーレマンのシューマン、特に第4番はあくまでもティーレマンのシューマンです。その素晴らしさは感じ取れるものだけの宝でしょう。その宝を大事に大事に胸の奥深くにしまっておきましょう。そっとね・・・・



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       ティーレマン,        キュッヒル,        ウィーン・フィル,  

ウィーン交響楽団、ヨルダン、ツァハリス@ウィーン楽友協会 2012.4.19

今日からは楽友協会でオーケストラのコンサートを聴きます。

今夜のキャストとプログラムは以下です。

 指揮:フィリップ・ヨルダン
 ピアノ:クリスティアン・ツァハリス
 管弦楽:ウィーン交響楽団

 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83

  《休憩》

 ストラヴィンスキー:バレエ音楽《火の鳥》

今日は特上の平土間中央の席です。
大きなピアノが正面にドーンと置いてあります。
ピアニストのツァハリスと指揮のヨルダンが登場します。
ツァハリスはこれまで縁がなく、初聴きです。
まず、ピアノの音がホールに響き渡るに驚きます。オーケストラ全体と変わらないくらいに感じます。このホールの特性でしょうか。昨年、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いたときには、特にそういう印象がなかったので、ツァハリスがブラームスということで鳴り響かせているのかも知れません。タッチ自体はクリアーですが、ともかく響きます。オーケストラパートにはいると、ウィーン交響楽団がこれぞブラームスという美しい弦の響きを聴かせてくれます。ウィーン風のブラームスですね。渋さは感じられません。オーケストラパートだけ聴いていると、まるで交響曲を聴いている感じです。一方、ピアノが弾き始めると、オーケストラ並みに響き、これもピアノによる交響曲を聴いている感じです。まとめると、ピアノ版オーケストラと通常オーケストラの2つのオーケストラが一緒に交響曲を演奏している感じに聴こえます。この曲って、そんな風でしたっけ。まあ、それはそれで実に面白く聴けます。そもそも4楽章構成なので、無理なく、交響曲として聴けます。指揮者もピアノ演奏部分はツァハリス、通常オーケストラ部分はヨルダンとそれぞれ分担して、お互いの領分を守って演奏している感じです。実際、この曲はそれぞれが別々に演奏する部分が多いので矛盾もありません。この曲は結構苦手なんですが、こういう演奏は分かりやすく聴けます。それにしても、楽友協会のホールの響きの良さは、素晴らしいなんてものではありません。こういうホールで聴くブラームスの響きはなんとも気持ちのよいものです。楽友協会は今年で200周年だそうですが、これこそ世界遺産にすべきホールです。ともあれ、長大なピアノ協奏曲を聴き、ピアノと通常オーケストラと2つの交響曲をいっぺんに聴いてしまったような妙なお得感を感じました。本来はsaraiの趣味では、先日、ベルリンで聴いたペライアのような澄み切ったクリアーなピアノ演奏が好みなんですが、ブラームスのこの曲に関しては、こういう演奏もありかなと納得しました。まあ、音楽は楽しめれば、それでいいでしょう。例え、ツァハリスのピアノにミスタッチが多かったにせよ・・・

休憩後はストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》全曲です。組曲版ではありません。
これは大変、聴き応えがありました。バレエの伴奏でこんな演奏をやったら、ダンサーが踊れないのではないかというようなオーケストラ演奏の極致を感じさせる、ド派手な演奏です。それでいて、決して、下品とかいうのではなくて、表現力豊かな演奏です。火の鳥が登場する場面では、決して誇張ではなく、楽友協会のホールの上を火の鳥が飛びまわっていました。最初から最後まで、息つく暇もなく、物語がオーケストラの響きとともに進んでいきます。トゥッティでのホール全体が鳴動するのには驚嘆しかありません。体全体で音楽を受け止める感じです。ロシアの民俗風のメロディーが優しく流れるときのソロ奏者たちの演奏の素晴らしさ。特にフルートの響きの美しさは特筆ものでした。ストラヴィンスキーの音楽はやはり木管の上手いオーケストラでないといけませんが、ウィーン交響楽団は皆達人揃いでした。
指揮のヨルダンですが、タクトなしで、長い両手の長い指を駆使して、見事にオーケストラを操ります。彼自身が魔王カスチェイであるかのごとき、魔術のような指揮です。平凡な演奏であると、特に全曲版は退屈なものに陥ることもありますが、これだけの指揮を見せてくれた非凡な才能には、これからも期待が膨らみます。縦横に音楽を動かし、構成していく力はオペラ指揮者としての彼の今後が楽しみになってきます。昨日も書きましたが、《薔薇の騎士》のような自在な音楽の組み立てが必須なものには、ヨルダンの才能が最も活かされると感じます。

楽友協会のホールの響きのよさ、ヨルダンの自在な指揮、ウィーン交響楽団の素晴らしい響きに魅了された、大変、幸福なコンサートでした。



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《薔薇の騎士》ガランチャ、リドル、ペション@ウィーン国立歌劇場 2012.4.18

20年ぶりに聴くウィーン国立歌劇場での《薔薇の騎士》です。とても素晴らしい公演で感動しました。特に第2幕冒頭の銀の薔薇の献呈での愛の2重唱の素晴らしさには涙を禁じ得ませんでした。

タイトルロールの薔薇の騎士、ことオクタヴィアンが主役だと感じる《薔薇の騎士》を聴いたのは初めてです。たいていは元帥夫人が主役だと思うことがほとんどです。クライバーが指揮したときは、もちろん、主役は指揮者。今日はオクタヴィアン役のガランチャが主役以外の何ものでもありませんでした。
今日のガランチャには本当に魅了されました。普通はsaraiにとって、歌手はあくまでも声がすべて。しかし、ガランチャは声だけでなく、姿かたち、顔、仕草などすべてがキュートで魅力たっぷり。騎士姿はかっこいいし、女姿は可愛いこと、この上なし。まさにオクタヴィアンを歌い、演じるために生まれてきたような女性です。その声ですが、《アンナ・ボレーナ》のときのような深くてたっぷりした声というよりも、透き通った美しい声に感じました。これもsarai好みです。産休明けということで心配しましたが杞憂でした。特に第2幕の素晴らしさと言ったら、もう、何と表現すればいいか、涙なしには語れません。
もう一人、オックス男爵を歌ったクルト・リドルも、もう少しで主役に躍り出る勢いでした。20年前にこのウィーン歌劇場でオックス男爵を歌ったときは渋いとしか言いようのない、それでいて、人をうならせる歌唱でした。それから20年、渋さに軽味が加わり、深くて多彩な表現力を身に着けたようです。R・シュトラウスがこのオペラを作曲したときに題名を《オックス男爵》と考えていたとのことですが、それを実感させてくれる歌と演技でした。
今日の最大の収穫は実はソフィー役を歌ったミア・ペションです。今まで、ソフィー役はバーバラ・ボニーが断トツの素晴らしさでほかの誰にも追随を許しませんでしたが、今夜のペションはボニーに肉薄。感動の歌を聴かせてくれました。それに見栄えもいいし・・・。 まだ、若いのでこれからも彼女のソフィーを聴けるでしょう。嬉しいですね! 彼女には、2006年のグラインドボーン音楽祭のヴィデオでフィオルディリージを歌うのを聴いて(見て)から、密かに注目していました。やっぱり素晴らしい歌手に成長していました。
今日の最大の問題点は元帥夫人を歌ったニーナ・シュテンメです。悪くはないのですが、第1幕は声が重くて、高音部も苦しそう。この役は美しく透明な高音が必須です。第1幕終盤のモノローグも平凡な出来。昨年聴いたミラノ・スカラ座でのシュヴァンネヴィルムスに遠く及ばない感じでした。それでも第3幕の終盤の3重唱では、まあ納得の声の響きでした。最初から、あの調子だったならと悔やまれます。
ファーニナルを歌ったグルンドヘーバーはさすがの素晴らしい歌唱。こんな役ではもったいない感じでした。
そうそう、イタリア人歌手役のホー・ヨン・チュンの歌唱は素晴らしかったです。韓国人テノールということですが、声にはりがあり、なかなか聴かせてくれました。あれだけ歌ってくれると満足です。
ほかにロイダーのバルザッキ役、バンクルの警部役など、豪華な歌手を並べ、まったく隙のない布陣。さすがにウィーン国立歌劇場です。

今夜のキャストは以下です。

 指揮:ジェフリー・テート
 演出:オットー・シェンク
 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 元帥夫人:ニーナ・シュテンメ
 オックス男爵:クルト・リドル
 オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ
 ファーニナル:フランツ・グルンドヘーバー
 ソフィー:ミア・ペション
 ヴァルザッキ:ミヒャエル・ロイダー
 アンニーナ:ヤニーナ・ビークル
 警部:ヴォルフガング・バンクル
 イタリア人歌手:ホー・ヨン・チュン

まず、オーケストラの前奏です。あれっという感じ。あの流麗なR・シュトラウスの音楽ではなくて、少しぎくしゃくした感じの演奏です。音の響きそのものはウィーン国立歌劇場のオーケストラですから、美しい響きですが、どうも指揮のテートとオーケストラが合わない感じです。テートは流麗なウィーン風ではなく、自分なりにきちっとした表現をしたいようです。こういう緊張関係も面白いです。なれあい演奏ではありませんからね。オーケストラが主導権を握ってウィーン風になったり、テートがきちっとリズムを刻んだり、展開がころころ変わります。流麗なウィーン風はクライバーの遺産のようにも感じます。あのとろけるように甘く輝かしい薔薇の騎士の音楽にうっとりとします。ここにクライバーがいれば、今でも15年前の世界に戻れそうです。
幕が開き、オクタヴィアンと元帥夫人の登場です。ガランチャの声量は朗々たるものではありませんが、よく通る美声。ちょっと物足りないかな。シュテンメは冒頭に書いた通り、声が重く、高音も抜けていません。これは全然物足りません。それでも、ガランチャの演技の溌剌さが目を奪います。リドルのオックス男爵が登場すると、完全にリドルがステージを支配します。素晴らしい存在感、渋さと洒脱さのミックスされた熟年男性の魅力です。ここで声は発しませんがマリアンデルに変身したガランチャのコケティッシュぶりにsaraiはノックアウト。可愛いこと、この上なし。ガランチャってこんなに綺麗だったっけ!
次にどやどやと人が入ってきて、ステージは満員すし詰め状態。そのなかでも一際存在感のあるのはリドル。たいしたものです。突如、イタリア人歌手の張りのある歌声に耳を奪われます。素晴らしい歌声です。合格点!この韓国人テノールのチュンは初めて聴きました。ここらから、元帥夫人の憂鬱が始まります。シュテンメの演技はそのあたりの雰囲気を醸し出しています。ただ、モノローグにはいり、歌声に透徹した響きが欠けるのが問題点。高い声は苦しそうです。事前の喉作りがうまくいかなかったのでしょうか。いずれにせよ、透き通った高音を歌うタイプではないので、saraiの好みからは外れます。シュヴァネヴィルムスとかデノケあたりがタイプです。途中から、ガランチャも騎士姿で再登場しますが、その姿の凛々しさにはまたもやノックダウン。少々太り気味なのも気になりません。歌はまあまあの状態です。ほかの歌手の歌うオクタヴィアンよりは格段素晴らしいのですが、ガランチャならもっと歌えるでしょう。ただ、まだ、第1幕なので、少しセーブして長丁場を乗り切る必要もあるでしょう。ガランチャとリドルは全幕出っ放しですからね。第1幕は、少し指揮の問題はあるにせよ、オーケストラの美しい響きだけでも聴きもので十分満足です。

第2幕にはいると、ソフィー役のペションの登場。まあ、美人の部類でしょう。それになかなかの美声です。声量も十分。いよいよ、ガランチャも銀の薔薇を持って登場。ソフィーとオクタヴィアンの初対面・一目ぼれの最高のシーンです。美女と美女で実に様になっています。そして、ガランチャもエンジンがかかってきて、声量・響きともに素晴らしい。ペションは驚くべき美声を披露。あの高音部が楽々と出ています。バーバラ・ボニー以外に出せなかった声です。2人の声も姿も素晴らしい愛の2重唱を聴いて、涙が滲んできました。今までで最高の2重唱です。もともとsaraiはこの2重唱が大好きで、遂に最高のものを聴いてしまいました。空前絶後の素晴らしさです。オックス男爵が登場した後はまた彼がステージを支配します。なんという自由闊達な歌と演技でしょう。こんな素晴らしい熟年に惹かれないソフィーがおかしいんじゃないかとさえ感じます。オックス男爵のワルツの素晴らしさ、何故、世の女性たちはこれがわからないんでしょう。R・シュトラウスも意外とファルスタッフのような魅力的な人物として力を注いだんでしょう。オックス男爵にマリアンデル(つまり、オクタヴィアン)から恋文が届き、オックス男爵が上機嫌になって、歌い踊るところで2幕目は終わります。それにしてもリドルの一見、男の単純さ、しかし、悲哀を秘めたあたりを表現する軽妙洒脱、軽みは何という高みに達していることでしょう。脱帽です。

第3幕はまたリドルの深い歌唱・演技とガランチャの美しさで惹きつけられます。まさに主役2人の絡み合いで一瞬も気を抜けません。
そして、遂に終幕の3重唱。第1幕よりも格段に調子を上げたシュテンメの元帥夫人、好調なペション、そして、美声で押し通すガランチャ、見栄えもいい3人でステージ一杯に素晴らしい声が響きあいます。そこにオーケストラの爛熟した響きも合わさって、感動のフィナーレです。
ちょっと融通のきかない感じの指揮者のテートでしたが、そんなものは吹き飛ばす勢いのあるのがR・シュトラウスの音楽です。結局は美しく、流麗に盛り上がってしまうし、細かいニュアンスも聴こえてきてしまいます。
パーフェクトとは言えなくても、それでもsaraiを感涙させるウィーンのR・シュトラウスは流石、流石、流石です。

来年の1月はデノケが元帥夫人をやるそうです。今日のキャストでデノケが元帥夫人で指揮がヨルダンであったなら、saraiは気絶していたかも知れません。この旅でデノケもヨルダンも聴くのだから、あり得ないことではなかったのに・・・

恨み言を言いつつ、大満足して、最後まで拍手を送り続けたsaraiでした。


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この記事へのコメント

1, ぶらあぼさん 2012/07/30 01:57
はじめまして。ガランチャで検索していましたところ、このサイトのタイトルに興味ありクリックしました次第です。
昨年4月、ネトレプコとガランチャの共演を聞きつけ、見逃すまいと「アンナ・ボレーナ」を見に行きました。ネトレプコを食ってしまうほどのガランチャにの歌唱、演技にすっかり嵌ってしまい、先日の7月25日に、ミュンヘンの歌劇場でのガランチャの「ドイツリート」のコンサートを聴きに参りました。素晴らしいの一言です。アンコールに5曲も歌いました。、客席から「パパゲーノ」という観客の声に、突然ガランチャが何故か大笑い。で魔笛から歌うのと誰しもが思った筈ですが、カルメンのハバネラを歌い、やんやの喝采でした。
終演後にロビーでサイイン会もあり、長蛇の列でした。超人気の程がよく分かりました。次はオクタビアンを目標とします。長々と失礼いたしました。

2, saraiさん 2012/07/30 09:44
ぶらあぼさん、初めまして、saraiです。
コメントありがとうございました。
「アンナ・ボレーナ」よかったですね。以下の記事もご覧ください。
 http://traveler.co-blog.jp/sarai/11174
ガランチャのオクタヴィアンは来年6月のドレスデンでも聴く予定です。指揮がティーレマンですから聴き逃せません。4月のウィーンでガランチャのシャルロッテも聴く予定です。6月のウィーンでのガランチャのカルメンは迷っています。ハバネラいいでしょうねえ。
また、コメントをお寄せください。

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《ウェルテル》カサロヴァ、テジエ@ウィーン国立歌劇場 2012.4.17

DVDでは、ガランチャ、アルヴァレスの素晴らしい公演を見ています。同じウィーン国立歌劇場で同じ演出です。今夜、大きく違うのは、当初、ウェルテル役がテノールのサッカだったのが、バリトンのテジエに変更になったことです。バリトン版もあるんですね。
この日の公演では、全編流れるマスネの美しい音楽がウィーン国立歌劇場管弦楽団によって、実に綺麗な響きで演奏されました。特に高音弦と木管の奏でる美しい調べには、茫然とするばかりです。室内オーケストラのような一体感のある整ったアンサンブルには驚嘆します。生でこのオーケストラの響きを聴くだけでも、ここへくる価値があります。カサロヴァはこの役をどんなドスのきいた声で歌うにかと思っていたら、さにあらず、抑えた美しい声で悲しく優しい役柄を歌い切りました。時折、張り上げる劇的な表現にも心を打たれます。静かな表現でも声がよく通っており、生で聴くカサロヴァの素晴らしさを再認識させられました。姿形や若さではガランチャに及ばないわけですが、音楽的な表現では、拮抗しているという感じです。来年、4月はこのウィーン国立歌劇場でガランチャが《ウェルテル》を歌う予定なので、是非、聴き比べてみたい思いです。
バリトンのテジエですが、やはり、いつも彼らしく、少しクールで冷たい感じですが、声の響きは大変素晴らしい。素晴らしくて、堂々としているところが、このナイーブなウェルテル役とのギャップを感じてしまいます。どうしてもテノールのほうが愛の情熱に打ち震える青年の心にあいそうです。それでも、バリトンでも、もっと線の細い表現ならば、それなりに死ぬほど女性を恋い焦がれる心情にあったかもしれません。辛目の言い方になりましたが、さすがに素晴らしいバリトンで第3幕、第4幕のリリカルな歌唱も巧みに歌い、聴衆の心を揺さぶってはくれました。

今夜のキャストは以下です。

 指揮:ミカエル・ギュットラー
 演出:アンドレイ・セルバン
 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 ウェルテル:ルドヴィク・テジエ
 アルベール:ター=ヨーン・ヤン
 大法官:アンドレアス・ヘルル
 シャルロッテ:ヴェッセリーナ・カサロヴァ
 ソフィー:ダニエラ・ファリー
 シュミット:ペーター・イェロシッツ
 ヨハン:ジェイムズ・ロザー
 
特に続けて演奏される第3幕~第4幕には、心を打たれました。オーケストラの素晴らしさはもちろんですが、カサロヴァの円熟した歌唱力によって、とても感動しました。バリトンのテジエもオシアンの歌ではさすがに聴かせてくれました。フィナーレでは思わず、胸にジーンとくるものがありました。こういう1流の布陣で聴くオペラは生の迫力で素晴らしいです。やはり、オペラを生で聴くのは最高です。


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ベルリン・フィル+ペライア@フィルハーモニー 2012.4.13

ベルリンのフィルハーモニーのホールへ初見参です。
最前列の最高の席で、目の前で世界最高のピアニストとして崇めているマレイ・ペライアのピアノを聴くことができ、その素晴らしい演奏に感動しました。共演のサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルも切れ味鋭い演奏でバックアップ。今まで聴いた最高のシューマンのピアノ協奏曲です。やはり、生での緊張感はたまりません。

今日の演奏者、プログラムは以下です。

 指揮:サイモン・ラトル
 ピアノ:マレイ・ペライア
 ソプラノ:ケイト・ロイヤル
 ソプラノ:バーバラ・キント
 バリトン:クリスティアン・ゲルハーヘル
 管弦楽:ベルリン・フィル
 合唱:Rundfunkchor Berlin

 べリオ:ソプラノと14楽器のためのシチリア風子守唄《E vo》
 シューマン:《夜の歌》Op.108
 シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54

  《休憩》

 べリオ:メゾソプラノと5人の演奏者のための《O King》
 フォーレ:レクィエム ニ短調 Op.48

まず、合唱団が入場。次いでベルリン・フィルの面々が入場。期待感が高まります。オーケストラは対向配置です。最前列の席なので、演奏者が入場してくる控えの間の様子が見えます。ソプラノのバーバラ・キントに続いて、ラトルが入場です。キントは若いソプラノでまったくの初聴きです。ラトルは以前よりもまた太った感じ。ご自慢のふさふさした銀髪も頭頂部が透けています。若かった彼もこれから円熟期を迎えることになるのでしょうか。
ベリオの作品は歌曲というよりも、声を楽器にしたような作品です。ベルリン・フィルのフルオーケストラが勢ぞろいしていますが、その中で演奏しているのはトップ奏者たちだけです。その高度なテクニックの演奏をバックにキントの熱唱です。どんな楽譜か、想像もつきませんが、パーフェクトに思える歌唱というか、声を使った演奏です。だんだん、熱を帯びた声の演奏になっていきます。子守唄という雰囲気からは程遠い感じですが、妙に一体感を持って、演奏に集中できます。こちらまで熱くなって、聴きいった演奏でした。この作品も現代音楽という枠を超えて、古典として消化されているように感じました。
そのまま、間を置かずにシューマンの《夜の歌》に突入していきます。男性合唱の地味な歌唱から始まるので、そんなにベリオとの違和感は感じません。後半にはいると、女声合唱が主体になり、シューマンらしいロマンあふれる曲想で聴く者の胸に抒情感を誘います。やはり、シューマンはいいですね。この旅での最初のシューマンですが、それにふさわしい爽やかなロマンで盛り上げてくれます。今回の旅ではこのベルリン・フィルと来週のウィーン・フィルでシューマンのオーケストラ作品の傑作を聴く予定です。この《夜の歌》は前奏曲のように胸に響きました。

ここで演奏は一区切りで万雷の拍手です。次の演奏に備えて、セッティングが始まります。最初からステージの一番前にピアノが置かれていましたが、オーケストラの座るステージからは1段低くなっていました。2階層のまま、演奏するのかなと思っていたら、ピアノが置いてあった部分のステージがせりあがり、後方のステージと同じ高さになり、ほかのホールと同様な形でおさまりました。さすがにベルリンのステージは機械化されています。
準備が整い、控の間をのぞきこむと、ペライアの顔が見えます。期待でわくわくします。彼のピアノが聴きたくて、わざわざベルリンまで足を運んだんです。

いよいよ、ペライアラトルの登場です。saraiのまさに目の前にペライアが腰かけました。シューマンのピアノ協奏曲の耳馴染んだフレーズが流れ始めます。ペライアの顔の表情も鍵盤をたたく指の動きもすべて見えます。ピアノの向こうからはラトルのペライアへのアイコンタクトも見てとれます。第1楽章の中間部あたりのピアノの静かなさざ波のような響きの美しいこと、感動して聴き入ってしまいます。ベルリン・フィルもピアノが休む部分では切れ味鋭い合奏でシューマンの情感あふれる曲想を見事に表現します。フィナーレに向かって、ペライアのピアノもダイナミックなタッチで盛り上がっていきます。ペライアのピアノは響きの美しさはもちろんのこと、熱い感情のほとばしりも感じさせてくれます。まさに最高のシューマンです。特にカデンツァはシューマンのピアノの独奏曲を聴いている感じでうっとりするばかりでした。
第2楽章は全体、同じメロディーが繰り返され、いつもは退屈することもありますが、この日の演奏は一味違います。すべてのメロディーに心が込められ、移りゆくニュアンスに心が翻弄されます。実に美しい音楽です。ペライアの美しいタッチで紡ぎだされる瑞々しい響きに酔ってしまいそうです。シューマンの音楽の真髄を聴いた思いです。
そのまま、第3楽章にはいります。熱い思いが爆発し、祝典的にも思える喜びの歌です。永遠にも感じる長い楽章ですが、感動は増すばかりです。ペライアのシューマンはこんなに素晴らしいとは、やはり生で聴くということはこういうことですね。終盤に向け、さらに音楽は盛り上がり、深い感動を覚えながら、フィナーレです。きっと、もう2度と、こういうシューマンのピアノ協奏曲は聴けないと思います。ピアノのタッチミスもいくつかはありましたが、機械のようなパーフェクトな演奏が聴きたいんじゃありません。音楽は美しくなくてはならないって言ったのはこのペライアだったでしょうか。美しく、ロマンに満ちた最高の演奏でした。ペライアは今生きているピアニストの中で世界最高であるという確信をますます強くした今夜の演奏でした。やはり、ベルリンまで来て、本当によかったと幸福感に浸りました。

休憩にはいり、目の前のピアノはぐんぐんせり下がり、地下2階まで下がり、舞台下に引っ張っていかれました。すごい構造に感心しきりです。

休憩後はまた、ベリオの声楽作品です。今度はシンフォニアです。ソプラノは長身のケイト・ロイヤルです。今度もフルオーケストラの中で演奏者は数名です。オーケストラはこの後のフォーレのレクィエムに備えた編成になっています。コンサートマスターは何と、左側に陣取った2部編成のヴィオラのトップ奏者です。1部編成のヴァイオリンは右側に配置です。
このベリオの作品は紛れもなく、ソプラノの声は楽器扱い。弦楽器がトリルを奏でると、声も巧みにトリル。アタックだけが強く発せられ、詠唱のような単調な響きが積み重ねられていきます。それでも妙に気がそそられて行きます。そして、フィナーレで強く、高い声ではっきりと「マルティン・ルーサー・キング」と歌われ、音楽はカタルシスを迎え、フィナーレ。saraiは何の脈絡もなく、若い頃に読んだカフカの短編小説「流刑地にて」を思い起こしました。小説は処刑される者が処刑機械によって処刑針で肉体に刻み付けられる判決内容を12時間かけて、最後に理解するという戦慄の内容です。このベリオの作品もずっと何の内容なのか分からずに聴いていて、最後に暗殺されたキング牧師のことだと理解するわけです。ある意味、聴衆は処刑される立場であって、人類としてテロの責任を負っていることを最後に理解して、強い自省感にとらわれなくてはならないといっているように思えました。カフカの小説でも処刑される人間は自分が何の罪を犯したのか、当初はまったく理解していないのと同様に、人類として、差別や無関心という罪を常に負っていることをベリオは訴えたいのかと勝手な解釈をしてしまいました。
ベリオの作品を序章として、続けて、フォーレのレクィエムの演奏が始まります。フォーレの第3改訂版通りのヴァイオリンも含めたフルオーケストラ編成です。ただし、ヴァイオリンの出番はスコア通り、半分以下で、手持ち無沙汰にしていました。最近はオリジナルの演奏も流行っていて、その場合、ヴァイオリンは独奏のみのバージョンですが、フォーレの清澄な音楽を聴くにはオリジナルバージョンのほうが好ましく感じることも多いです。この日の演奏は通常のフルオーケストラ版でしたが、さすがにベルリン・フィルの演奏能力は高く、美しき清らかな響きに満ちていました。バリトンのゲルハーヘルはさすがの美声で最高の出来。特に第6曲のリベラ・メの素晴らしい歌唱にはうっとりとするばかりでした。少しドラマチック過ぎるきらいは感じましたが、こんな素晴らしい歌唱の前ではそういう個人的な趣味は引込めましょう。第4曲のピウ・イエスはとても好きな曲です。実は誰が歌っても聴き惚れてしまいます。この日のロイヤルの歌唱にも、感動して聴き入ってしまいました。美しく澄み切った高音でした。第5曲のアニュス・デイはヴァイオリンも含めた弦楽器の響きが木陰の清涼感を醸し出し、素晴らしい演奏です。バッハのマタイ受難曲のイエスの死の後の清涼感ある音楽を想起してしまいます。ベリオとフォーレを一体として構成する企画はちょっと無理があった感じですが、それぞれ好演でした。

この日はフィルハーモニーに初デビューで、素晴らしいシューマンが聴けて、超満足でした。来週からはウィーンで音楽三昧の日々です。本当に音楽って素晴らしい!


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       ペライア,        ラトル,        ベルリン・フィル,  

エイフマン振付バレエ《アンナ・カレーニナ》@ウィーン国立歌劇場 2012.4.9

初めて観るバレエ《アンナ・カレーニナ》です。もちろん、ウィーン国立歌劇場です。この演目は今シーズンの最終公演です。このバレエはもともとフォルクスオーパーでプレミエをやって、そこでの公演が続いていましたが、何といってもエイフマンの振付の秀逸のバレエで現在はウィーン国立歌劇場に引っ越して上演されています。ウィーン国立歌劇場での公演ということは、フォルクスオーパー管弦楽団から演奏が実質ウィーン・フィルに変わったということです。音楽はチャイコフスキーの弦楽セレナード、交響曲第6番《悲愴》、幻想的序曲《ロミオとジュリエット》という名曲が演奏されるので、それをウィーン・フィルで聴くだけでもお得感が増します。事実、ダナイロヴァがコンサート・ミストレスを務めた今夜の演奏の美しかったこと、賛辞を惜しみません。それに彼女のヴァイオリン独奏が多く、その響きの美しかったこと、とても気持ちよく聴けました。昨夜の《パルジファル》でも彼女はオーケストラの一員として演奏していましたが、コンサートマスターはキュッヒルでした。もちろん、彼のヴァイオリン独奏も美しかったんです。さすがにウィーン・フィルのコンサートマスターとなれば、皆、そこらのソロヴァイオリニストにも出せない音楽を奏でます。
肝心のバレエですが、まあ、唖然とするほどの美しさです。特にアンナ・カレーニナ役のダグマー・クローンベルガーの美しさは言葉では表現できないほどです。リフトでのピタッと決まる姿勢、それも斜め逆さの姿勢で微動だにしません。体のラインの美しさも人間の限界を極めています。また、ベッドの手すりの上に見事に直立した姿勢から体を投げ出すときのケレンミのないことには驚きます。見事に受け止めるパートナーも立派ですけどね。実際の夫婦だからこその信頼関係でしょうか。でも、夫婦で信頼関係があるとは限らないので、やはり、これは鍛え上げられた練習の賜物でしょう。

実は今日はプログラムを購入し、予定されていたキャストが変更になったことを知りました。主役に予定されていたパパヴァの妖艶な演技も期待していましたが、今夜のダグマーのパーフェクトな演技を見ては何も言うことはありません。

今夜のキャストは以下です。

 指揮:グイレルモ・ガルッチァ・カルヴォ
 振付:ボリス・エイフマン
 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 アンナ:ダグマー・クローンベルガー
 カレーニン:エノ・ペシ
 ウロンスキー:シェーン・ A・ヴュルトナー
 
第1幕はチャイコフスキーの弦楽セレナードのとても美しい演奏のもと、舞踏会のシーンでアンナ役のダグマーの美しい体の線、そして、夫カレーニン役のエノ・ペシとの踊りで早速、魅了されます。その後、アンナが密会するウロンスキーとの絡みの美しいこと、ダグマーもシェーンも最高で、うっとりし続けです。
そして、最高潮に達するのがチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》の第1楽章の演奏でダグマーとシェーンの踊るところの美しさ。バレエの美しさを最高に極めたものです。まあ、陶然とするほどのウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏、これはバレエ抜きでも最高に素晴らしい響きです。その上、素晴らしい踊り、特に見たことのないような高度で美しいリフトの数々、それがパーフェクトに決まり、その姿の美しいこと、まるで夢の世界のようです。初心者のsaraiでも、これが如何に素晴らしいか、確信を込めて、賛美できます。
古典的なバレエと違って、全編、息抜く暇のない、凝縮した踊りの連続、3人のダンサーだけでなく、群舞のダンサー達も体力・技術の限りを尽くし、観るものを圧倒し続けます。

休憩になり、はっぱさんと合流し、一気に盛り上がりました。そして、第2幕です。
第2幕もダグマーの美しさが光ります。アンナとウロンスキーがイタリアに駆け落ちし、ヴェネチアでの仮面舞踏会。このシーンでの仮面を付けた群舞の凄まじさには圧倒されるのみです。とても美しく、爽快感のあるダンスシーンです。
イタリアでウロンスキーがアンナをモデルに絵を描くシーンも、とても愛に満ちたというよりも、愛に燃え上がる感じが素晴らしく、またしても、ダグマーの美しさに魅せられます。やがて、イタリアでの生活にピリオドを打ち、ロシアに戻った二人は舞踏会に登場。そして、最高潮に達するのがチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》の第3楽章に乗って、狂おしいダンスが踊られるシーンです。ここでもオーケストラの響きの素晴らしさに圧倒されます。切れがよく、美しい響き、最高です。
この後はアンナの転落の詩集です。どこまでも落ちていくアンナ。ダグマーが渾身のダンスで表現していきます。
それでも、チャイコフスキーの幻想的序曲《ロミオとジュリエット》の美しい音楽で踊られるダグマーの秀逸で美しいダンスで救いも感じます。何故、こうも美しいのか・・・。
最後は客席が振動するほどの機関車のダッダッという響きでアンナが身を投げて、轢死してフィナーレ。実際に高いところからダグマーが身を投げたようなのですが、この最高のシーンは照明がブラックアウトして、saraiの目には見えませんでした。また、このブラックアウトのせいで、そこでフィナーレと勘違いした観客が拍手してしまい、間抜けな終わり方になってしまいました。照明ももう少し何とかしてほしかったものです。

それにしても、実に美しいバレエでした。この路線のバレエはsaraiも大好きです。しかし、来シーズンはラインアップされていないようで、今夜の公演でこの演目は見納めかも知れません。やはり、バレエ監督のルグリの路線には合わないかも知れません。そういう意味でも、いいものを見せてもらいました。ダグマー始め、素晴らしいダンサー達、そして美しい演奏のオーケストラに感謝です。
なお、このバレエについてはわが友はっぱさんが素晴らしい記事を書いており、かなり、参考にさせていただきました。これにも感謝です。



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ティーレマンの《パルジファル》、デノケも最高@ウィーン国立歌劇場 2012.4.8

かなり期待して臨んだ復活祭の日曜日に上演するワーグナー舞台神聖祝典劇《パルジファル》でしたが、恐ろしく思えるほどに磨き上げられた演奏にただただ感動するのみでした。それにしても、主役は指揮者のティーレマンに間違いありません。オペラで指揮者が主役だったのはこれまでsaraiにはカルロス・クライバーの《薔薇の騎士》しかありませんでした。ティーレマンは当地では絶大な人気を誇りますが、その実力たるや、底知れない感じで、指揮する姿だけ見ていても、クライバーとは別の意味で魅了されるものがあります。
今夜のティーレマンは神が乗り移ったような指揮で、あくまでもsaraiの素人としての感想では、世に名高い1962年のバイロイトでのクナッパーツブッシュの演奏にも匹敵するものでした(クナッパーツブッシュファンの皆さん、恐れ多いことを言ってごめんなさい)。まさに今夜はティーレマンの《パルジファル》でした。
第3幕は舞台からつい目が離れ、ティーレマンの指揮する姿に釘づけといった感でした。
もちろん、ウィーン国立歌劇場のオーケストラ(実質、ウィーン・フィルです。当夜もコンサートマスターはライナー・キュッヒル、その横はダナイロヴァと豪華な顔ぶれ)という名器あればこそ、ティーレマンも縦横にその力を発揮できたわけです。歌手陣も充実していましたが、何といってもクンドリー役のアンゲラ・デノケの澄みきった声の素晴らしさはうっとりと聴き惚れるしかないものでした。演技も聖俗すべてをあわせ持つ難しい役どころを見事にこなし、体当たり的とも思えるヌードまで披露してくれる大サービス。saraiも男性の一人として、脱帽するのみです。もちろん、彼女はソプラノなので、声域的に低音が苦しい部分もありましたが、逆に高音域の清らかな声は次第に聖化していく女性像を美しく表現していました。特に第2幕の長いモノローグ、パルジファルとの絡みなどはこれまでのクンドリー役としては最高の出来栄えに思えました。ワルトラウト・マイヤーが現在、最高のクンドリー役として評価されていますが、清らかさへの昇華という観点からデノケに軍配を上げたい気持ちです。

今日のキャストは以下です。

 指揮:クリスティアン・ティーレマン
 演出:クリスティーネ:ミーリッツ
 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 アンフォルタス:ファルク・シュトルックマン
 ティトゥレル:アンデレアス・ヘール
 グルネマンツ:クァンチュル・ヨーン
 パルジファル:サイモン・オニール
 クリングゾル:ヴォルフガング・バンクル
 クンドリー:アンゲラ・デノケ

saraiと配偶者の陣取った席は平土間の前から4列目の中央右寄りという好位置。間近にティーレマンの姿も見えます。
まず、第1幕への前奏曲が始まります。何と厳かで宗教的とも思える演奏でしょう。オーケストラの柔らかく美しい響きで空間が満たされます。こちらも厳粛な面持で緊張感いっぱいです。やがて、祈りのような音楽の果てに幕を透かせてステージが見えてきます。そして、幕が上がります。グルネマンツ役のヨーンが歌い始めますが、なかなかの美声で意外な驚きです。表現力もあり、素晴らしいバリトンです。グルネマンツは言わば、狂言回しのような役どころでとても重要な押さえどころですが、十分、満足して聴けました。うっとりと聴き入ることもしばしばでした。すぐにクンドリー役のデノケも登場。頭の頭巾も含め足首まで黒づくめの衣装です。第1幕では、美声を少し聴かせてもらう程度で、お楽しみは第2幕です。次いで、アンフォルタス役のシュトルックマンの登場。彼の実力からすれば、このあたりではまだまだ抑えた歌唱ですが、ベテランらしく、そつなくこなしていました。そして、タイトルロールのパルジファル役のオニールです。多分、初めて聴くテノールですが、パルジファルにしては明るい声でイメージが違います。ただ、このあたりではパルジファルは悟りにいたっていないので、少し、能天気っぽいのもよいのでしょう。事実、第2幕後半の聖人に昇華するあたりでは、実に熱っぽい歌唱に変化していました。最強のパルジファルではありませんが、十分満足できるパルジファルであると言えます。第1幕終盤の聖杯の場面はさすがにウィーン国立歌劇場の合唱が響き渡り、素晴らしいものでした。ただ、女声合唱が舞台裏(下?)からなので、もうひとつ弱かったかなという印象です。事実、舞台がリフトアップされて、下から女性及び少年合唱が登場するとなかなかの響きでした。演出上の問題もありますが、音楽最優先がsaraiの好みです。
長大な第1幕も緊張感をきらすことなく聴き通せたのは、いかに素晴らしい音楽が展開されたかの証しでしょう。幕があり、ぱらぱらと拍手が起きましたが、ウィーンやバイロイトでは第1幕後は現在でも拍手は慣例として禁止です。シーッという観客の声で拍手も止みました。ここで休憩。

休憩中、念願のウィーン国立歌劇場のネクタイをゲット。これで楽友協会とここへは専用のネクタイでこれから通うことになります。

第2幕は怪人クリングゾル役のバンクルの登場です。実に素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。第2幕だけの登場ではもったいないほどの素晴らしさでした。続いて、デノケが胸をはだけた体当たり的な衣装で登場。ぎょっとします。しかし、その歌声は人間の生の声、苦悩する人間の弱さ・強さを見事に表現していました。続いては花の乙女たちの登場。ミラーボールが回り出したのには苦笑しましたが、実に妖艶な雰囲気が醸し出されて、なかなよい演出でしょう。また、この場面は続くパルジファルとクンドリーの葛藤と昇華への導火線にもなっており、必然性が感じられました。ということで、クンドリー役のデノケが再登場して、いよいよ音楽は最高潮に達していきます。デノケの歌声の素晴らしさ。何を語っているのなんか、saraiにはどうでもよい感じ。ただただ、彼女の透き通った声の響きにひたっているだけで幸福感に包まれます。さらにその歌声に呼応すかのように、新しく生まれ変わったともいえるパルジファル、すなわちオニールの熱のこもった歌声が響き渡ります。彼らの聖人対俗人の対決、愛の葛藤、聖人への昇華、もう、凄まじい歌声で響き渡る中、saraiはもう感動の嵐です。ティーレマンの率いるオーケストラも負けじと美しい響きを奏でます。これこそ、最高のワーグナーです。第2幕が終わったとき、もうsaraiはこのまま帰っても満足という感じでした。ここでまた休憩。

第3幕は冒頭に書いた通り、もう、ティーレマンの独り舞台。なんという素晴らしい指揮でしょう。座って指揮していますが、ときおり、ここぞという時に立ち上がり、オーケストラを鼓舞しますが、そのスケールの大きな演奏には圧倒され、もうひれ伏すだけです。ものすごい指揮です。というわけで第3幕は舞台は半分も見ていなかったかもしれません。ただただ、ティーレマンの指揮の素晴らしさ、その作り出す音楽の美しさ、重厚さ、強靭さ、もう表現は難しいですが、なるほど、これがワーグナー音楽の頂点だということは理屈抜きで体感しました。フィナーレの神々しさには参りました。
満場総立ちでティーレマンに怒号の声援です。ティーレマンに初めて、ワーグナー音楽の奥義を教えられた思いです。
それにしても、ウィーンでのティーレマンの人気は凄まじいものでした。実力あってのことですね。今回の旅では最後にティーレマン指揮のウィーン・フィルのコンサートを2回も聴きます。ますます、楽しみです。


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       ティーレマン,        デノケ,  

ドゥ・ビリー+ウィーン交響楽団《ウィーンの春》@ウィーン楽友協会 2012.4.7

旅の最初のコンサートは軽く名曲ガラコンサートです。いつもはこの手のコンサートには行かないのですが、今回は指揮が大御所プレートルというわけで特別な思いでチケットを入手しました。しかし、無念にも直前で指揮者が交代。ドゥ・ビリーになりました。
そういうわけでますます気軽に聴けるコンサートになりました。
1時間ほど前に楽友協会に着き、予約していたチケットを受け取ります。今日はもちろんsaraiは楽友協会のネクタイ着用です。係のかたが目ざとく見つけて、「ベリー・ナイス!」と声を掛けてくれました。だんだん、楽友協会にも馴染んできました。しばらくすると開場です。今日はORF(オーストリア放送協会)のテレビ中継があるようで、両サイドのパルテッレ・ロジェの前方はテレビカメラがずらっと並んでいます。日本のコンサート会場でこんなに派手にテレビカメラが並んでいるのは見たことがありません。これがウィーン流なんですね。

sarai達の席はステージから少し遠くて、パルテッレの16列目。それは端っこです。でも、楽友協会のグローサーザールはそんなに大きなホールではないので、まあまあの位置です。楽団員の顔もしっかりと見えます。

今日のキャスト、プログラムは以下です。

 指揮:ベルトラン・ドゥ・ビリー
 ヴァイオリン:アントン・ソコロフ(ウィーン交響楽団のコンサートマスター)
 司会:バーバラ・レット(ORFのアナウンサー)
 管弦楽:ウィーン交響楽団

 スッペ:オペレッタ《軽騎兵》序曲
 ポンキエッリ:オペラ《ラ・ジョコンダ》より《時の踊り》
 ガーシュイン:《パリのアメリカ人》

  《休憩》

 トマ:オペラ《ミニヨン》序曲
 サン・サーンス:オペラ《サムソンとダリラ》よりバッカナール
 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
 ビゼー:《アルルの女》第1組曲より第1曲《プレリュード》
 ビゼー:《アルルの女》第2組曲より第4曲《ファランドール》

《アンコール》
  オッフェンバック:オペレッタ《天国と地獄》序曲
  ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル《雷鳴と電光》

開演前に購入したプログラムに付属していた来シーズンの予定を見ていたら、目が点に・・・。何と来年5月にウィーン交響楽団と我が庄司紗矢香が共演するではないですか。ウィーンのコンツェルトハウスです。指揮者は大野和士です。ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏するとのこと。どうもウィーン交響楽団の日本ツアーの一環のようです。

さて、ドゥ・ビリーが颯爽と登場し、演奏開始です。まずはスッペの軽騎兵序曲、実に有名な曲ですが、生で聴くのは多分初めてです。ウィーン交響楽団の素晴らしい響きで聴くのはもったいないくらい。ビリーはオペラ指揮者として研鑽を積んできた実力を遺憾なく発揮して軽快な指揮ぶりです。特に中間部の抒情的な部分でのメロディーの歌わせ方は実に美しいです。
次はポンキエッリの時の踊りです。序奏に続く主題はかって《レモンのキッス》でしたっけ、歌謡曲にも取り入れられた有名なメロディーです。この演奏も先ほどの軽騎兵と同様で非の打ちどころのない美しい演奏です。弦の厚みのある響きが印象的で、やはり、抒情的なメロディーの歌わせ方が見事なのはビリーの老獪さでしょう。
前半最後はガーシュインです。ガーシュインのシンフォニックジャズを聴いていると、この流れがバーンスタインのウェストサイドストーリーに繋がってくるのがよく分かります。この曲は音の響きは素晴らしいのですが、ちょっと音楽のノリがもうひとつに感じます。やはり、アメリカ人の演奏家にやらせたほうがうまそうな感じです。
曲の切れ目ごとに司会のバーバラ・レットのアナウンスがはいります。ドイツ語なのでよく分かりません。分からなくても支障ありません。基本的には、演奏曲の説明をしているようです。指揮者のビリーへのインタビューもはいり、ビリーの生声が聴けたのが面白かったくらいです。

休憩後、まず、トマのミニヨン序曲です。この曲は初めて聴きますが、平明で分かりやすい曲で名曲コンサートにうってつけの曲です。ウィーン交響楽団の実力で美しい響きを聴かせてくれます。
次はサン・サーンスのオペラ《サムソンとダリラ》からバッカナールです。管楽器で中東風のメロディーを歌わせ、テンポのよい曲想が流れます。オペラの場面を彷彿とさせます。ビリーは的確な指揮ぶりです。
次は何とツィゴイネルワイゼン、あまり、コンサートでは聴きませんね。独奏ヴァイオリンはウィーン交響楽団の第1コンサートマスターのアントン・ソコロフです。音程もしっかりし、音色も美しいのですが、上品過ぎるといった感じです。もっと、ばりばりと名人芸を披露してもらいたい感じです。気持ち良く聴けたことは間違いないのですが・・・。
最後はビゼーのアルルの女です。やはり、こういうフランスものはビリーの得意とするところで、色彩感豊かな演奏で、煌めいた響きです。ファランドールのフィナーレは圧倒的でした。

期待通り、アンコールは2曲もありました。オッフェンバックの《天国と地獄》は運動会の定番でカステラのCM曲、さらにはフレンチカンカンでもありますね。楽友協会のホールに賑やかな響きが轟き渡りました。結構!結構!
そして、最後はやはり、ウィンナーワルツ。それも定番の《雷鳴と電光》です。ビリーの2年前のウィーン放送交響楽団との来日コンサートでもアンコール曲でした。満足!満足!です。

まあ、通俗名曲のコンサートで感動するようなものではありませんが、楽友協会でウィーン交響楽団の名手たちの贅沢な響きを聴かせてもらい、音楽旅の序章としてはとてもよかったと思います。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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