2014年5月29日木曜日@マドリッド~トレド/9回目
サンタ・クルス美術館のエル・グレコ没後400年の特別展「トレドのギリシャ人」を鑑賞します。展示作品数が73作品と膨大な数です。以前、東京・上野の東京都美術館で
エル・グレコ大回顧展を見ましたが、そのときの作品数は51作品でした。それを上回る規模ですし、何と言ってもエル・グレコが活躍したトレドの地で開かれる特別展です。
展示作品の73作品は世界中から集められたものです。前回、多くはトレドにある作品と書いてしまいましたが、よく調べてみると、トレドにある作品は12作品のみで、マドリッドから17作品も出展されています。それらも含めて、スペイン国内の作品が40作品。残りの33作品がアメリカなどの外国からの出展です。特にアメリカからの15作品が目立ちます。
エル・グレコはギリシャ出身の画家で後半生はスペイン、それもほとんどトレドで画業を全うしました。略歴はプラド美術館訪問時にも書いたばかりなので、それを以下に再録します。
エル・グレコは1541年にクレタ島のカンディア(現イラクリオン)に生まれたギリシャ人です。本名はドメニコス・テオトコプーロスと言いましたが、スペインに渡ってからは、発音しづらい本名では呼ばれずに、ドメニコ・グリエゴ(ギリシャ人ドメニコ)とかエル・グリエゴ(ギリシャ人)と呼ばれていたようです。死後、エル・グレコと呼ばれるようになりました。《エル》Elはスペイン語の定冠詞、《グレコ》Grecoはギリシャ人を意味するイタリア語です。イタリア語が使われるのは、スペインに来る前にイタリアで絵の修業をしたからでしょうか。本人は自作にサインする場合は必ず、ギリシャ語で本名を書いていたそうです。
エル・グレコは画家を志して、1567年頃にヴェネツィアに行き、ティツィアーノの工房で修業。1570年にイタリアの芸術の中心地ローマに移動。20代後半からの約10年をイタリアで過ごしました。この後、1576年頃に画家としての成功を夢見て、フェリペ2世のもとでエル・エスコリアル造営が始まり、多くの美術家が集まっているスペインに向かいます。宮廷画家になる望みはフェリペ2世に気に入られなかったので実現しませんでしたが、スペインの宗教・学問の中心地であったトレドで画家として成功し、その生涯をトレドで過ごし、そこで1614年に没することになります。
順次、制作年順に作品を見ていきます。73作品中、32作品をご紹介します。
まず、エル・グレコがイタリア時代に描いた作品です。
これは《小型三連祭壇画》です。1567年頃の作でイタリア・モデナのエステ美術館所蔵です。エル・グレコ26歳頃の作品です。彼はこの頃、ヴェネツィアにいました。若き日のエル・グレコの作品で現存するものは少ないので、貴重な作品です。特別、エル・グレコらしさは見い出せませんが、ドラマティックな作風は未来を予感させるものではあります。

これは《燃え木で蝋燭を灯す少年》です。1570~75年頃の作でイタリア・ナポリのカポディモンテ美術館所蔵です。エル・グレコ29~34歳頃の作品です。彼はこの頃はローマに移り住みました。ヴェネツィア時代に修得した絵画技法を駆使して描いた作品です。光を意識した作風は後の傑作群につながるものです。

これは《盲人を癒すキリスト》です。1571~72年頃の作でイタリアのパルマ国立美術館所蔵です。エル・グレコ30~31歳頃の作品です。これもローマ滞在時に描かれた作品のようです。この頃、ストーリー性のある作品を描いていました。この絵では、盲人に手をかけて、視力を取り戻すキリストの奇跡が描かれています。視力を取り戻した盲人の一人は左に手を上げて、見えるようになった驚きを示しています。一方、右側にいる人々はキリストが安息日に治癒行為を行ったことを非難しています。エル・グレコはこの絵でキリストの霊的能力、そして、暗に教会の腐敗と堕落を描いたようです。しかし、こういう主題では、エル・グレコの芸術性は十分に発揮されていないように感じます。作品に力を感じません。

これは《悔悛するマグダラのマリア》です。1576年頃の作でブダペスト国立西洋美術館所蔵です。エル・グレコ35歳頃の作品です。これもよく取り上げられる題材ですが、まだ、この時期のエル・グレコには、後の時代の迫力が不足していると感じます。ただ、こういう作品作成を通じて、芸術性を鍛え上げていったんでしょう。

これは《受胎告知》です。1576年頃の作でマドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵です。エル・グレコ35歳頃の作品です。これはスペインに移る直前にイタリアで描かれたものですが、よい雰囲気の作品です。ただ、まだ芸術的には、これからの感です。

ここまで、イタリア時代の作品を見てきましたが、エル・グレコとしては、あくまでも後の芸術開花に向けた助走の段階だったと思います。この後、スペイン、トレドに移ってから、エル・グレコの才能がきらめいていくことになります。
これは《胸に手を置く騎士の肖像》です。1577~79年頃の作でプラド美術館所蔵です。エル・グレコ36~38歳頃の作品です。スペインに移って、初期の作品のひとつです。エル・グレコは肖像画家としても力を発揮していくようになります。胸に置いた右手の指の形はエル・グレコのトレードマークのようです。多くの作品でこの表現が見られます。また、人物の内面を表現することも見事です。騎士の優美で静謐な内面が表現されています。

これは《白貂の毛皮をまとう貴婦人》です。1577~90年頃の作でグラスゴー美術館(ポロック・ハウス)所蔵です。エル・グレコ36~49歳頃の作品です。とても美しい作品ですが、どう見てもエル・グレコ作には思えません。一説によると、モデルはエル・グレコの内縁の妻だということですが、そういうプライベートな作品なので、こういう写実的で美しい作品を描いたのでしょうか。saraiの勝手な思い込みでは、この作品はエル・グレコ作ではないことに1票です。

これは《聖ラウレンティウスの前に現れる聖母》です。1578~81年頃の作でモンフォルテ・デ・レモスのヌエストラ・セニューラ・デ・ラ・アンティグア財団所蔵です。エル・グレコ37~40歳頃の作品です。スペイン到着後の作品ですが、ローマ時代かと思うような表現で、今一つの作品です。聖ラウレンティウスはスペイン出身の殉教聖人で、ウァレリアヌス帝の命で火刑に処せられました。この作品では聖ラウレンティウスは雲上の聖母子に視線を送っています。彼の幻視体験を絵で表現したものになっています。

これは《聖パウロ》です。1585年頃の作でマドリッドの個人所蔵です。エル・グレコ44歳頃の作品です。聖人を描くのもエル・グレコのライフワークでした。この人間的に描かれた聖人像もエル・グレコの卓越した筆さばきに驚かされます。

これは《聖母の前に現れるキリスト》です。1585年頃の作でトレドのサン・ニコラス教区聖堂所蔵です。エル・グレコ44歳頃の作品です。綺麗には描かれていますが、後の時代の作品に比べて、内的なエネルギーに乏しいと感じます。ただ、あまりにマリアが美しいので、そこには強く惹かれます。この頃から、スペイン美人の美しいマリアが描かれるようになります。エル・グレコの魅力が輝き始めます。

これから、徐々にエル・グレコの傑作が生まれ出し始めます。特別展の鑑賞はまだまだ続きます。
↓ saraiの旅を応援してくれるかたはポチっとクリックしてsaraiを元気づけてね
いいね!