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アムステルダムで芸術三昧:ゴッホ美術館から市立美術館へ

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/1回目

旅の10日目です。

アムステルダム4日目。この旅で初めてのような青空の朝です。でも、涼しい。もうすぐ7月というのにね。でも、暑くなくて体力を消耗しないのは嬉しい。

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今日はアムステルダム最後の日です。お昼過ぎからは2度目のオペラ《ルル》を聴きます。実は3日前にオペラ《ルル》を聴きに行って、そこでプログラムを見て、今日の開演時刻が1時半であることに初めて気が付いたんです。大パニック! ずっと、夜の7時開演だと誤認していました。既にお昼は、市立美術館に予約を入れています。

ということで、今日は予定変更して、午前中にゴッホ美術館Van Gogh Museumと市立美術館Stedelijk Museumを駆け足で見ることにします。
ゴッホ美術館は朝1番の9時からの予約を入れてありますので、その予定を順守します。
日曜日ということもあり、美術館はものすごく混み合うだろうという予測の下、しっかり予約をしていたんです。ホテルを出て、ゴッホ美術館に向かいます。そのままホテルに戻らずオペラに行くので、そこそこの格好で出かけます。ゴッホ美術館は歩いてすぐそこですが、美術鑑賞の前に朝食を食べたいですね。でも、今日は日曜日。パン屋さんもコーヒーショップも、お店は全部お休みです。美術館の広場の周りのお店も休みなのか、まだ開いていないのか・・・店員さんはいるのでまだ準備中のようですね。

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市立美術館の先にゴッホ美術館の新館が見えています。まだ辺りは静まり返って、人影も見当たりません。

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広場の一角の芝生が丘のように盛り上がっているところがあります。実は、この芝生の丘はスーパーAlbert Heijnの入り口で、お店は地下にあります。配偶者がとっても気に入っている発想の構造です。スーパーも日曜日はお休みのはずですが、なんだか人が出入りしているような気がします。近づいてみると、お店はやっています。

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よかったね。早速中に入って、朝食を探します。

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サンドイッチと牛乳を購入。やっと牛乳が買えました。実は一昨日も牛乳を買おうとしたのですが、美味しそうなコーヒー牛乳のパックが目に留まったので、そちらを購入したのです。注いでみると、それはどろどろのチョコレートだったのでした。
ミュージアム広場Museumpleinのベンチで朝食を頂きましょう。日中はあんなに賑わうのに、まだ誰もいなくて爽やかです。

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簡素な朝食を美味しくいただきます。

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広場の中で掃除の車が働いています。やはり掃除はするんですね。というのは、アムステルダムに来てずっと気になっているのですが、とってもごみが多くて汚いのです。昨年の旅で、スペインがごみが1つも落ちていなくてものすごく美しいことに驚いただけに、逆の意味で驚いていたのです。

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そろそろ9時も過ぎたし、ゴッホ美術館に向かいましょう。ミュージアム広場の中を歩いていると、アムステルダム国立美術館Rijks Museumの前に「 ミッフィー アートパレード 」のミッフィー像がずらっと並んでいます。昨日ユトレヒトUtrechtで見たミッフィー像よりも数多く並んでいます。10体ほどはありますね。びっくりです。

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ゴッホ美術館の前に到着。どんだけ行列が長いかと期待して行ったのですが、数十人という程度の行列です。

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もちろん私たちは予約してるので、並んでいる行列の横を失礼します。

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これがネットで購入したEチケットです。ミュージアムカードを購入することを前提にしていたので、無料のチケットです。入館予約時間は9時になっています。

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Eチケットを提示して、すっと入れます。このゴッホ美術館には以前来たことがありますが、その後大改装されました。中の様子はずいぶん変わりました。真ん中が吹き抜けになった4階建てで、こじんまりとしていて、とっても鑑賞しやすいです。でも、ゴッホを年代順に整理したという感じの展示の仕方で、少々作品の展示数が少ないような気がします。もう十分ゴッホを見た!と思うくらいいっぱい見たかったな。特にゴッホの後期作品の展示が減ったような気もしますが、展示は分かりやすくはなりました。ゴッホ以外の作品も展示されるようになっていました。ゴッホのお友達の作品などです。とりわけルドンの2作品が素晴らしく、じっと見入ってしまいました。特に木の下のブッダを描いた作品はブッダの周りに描かれた花々も美しく、ルドン独特の色彩感覚に感銘を受けました。ルドンのファンになってしまいそうです。
ちょっと物足りませんが、楽しかったです。ゴッホ美術館は館内での写真撮影は禁止なので、残念ながら絵のご紹介はできません。

ゴッホ美術館は1時間ちょっと見ただけで切り上げて、お隣にある市立美術館に移動します。観光もたけなわの時間帯ですから、長蛇の列を予想したのに誰も並んでいません。拍子抜けします。

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一昨日の国立博物館も誰も並んでいなかったし、どういうことなんでしょう。昨年の春にsaraiの長男が国立博物館に行ったときは、その後移動するバスの時間も迫ってきて、鑑賞を諦めようかと思うほど並んだらしいのですけどね。分かりませんね。館内もそんなに人がいません。

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ということで、予約時間前でしたが、空いていたので何にも言われずに入館。予約時間が違っていることには気づかれなかったのかもしれません。
これがネットで購入したEチケットです。今回はマティス展をやっているので、ミュージアムカードを持っていてもマティス展の追加料金1人5ユーロが必要でした。通常は無料です。

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これがマティス展の時間予約チケットです。12時から14時の入館予定になっています。今はまだ10時半ですけどね。

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入館して、英語版のマティス展の案内パンフレットをいただきます。無料です。

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ここは嬉しいことに写真撮り放題です。
マティスの作品を中心に展示作品をご紹介していきます。それは次回で。


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アムステルダムで芸術三昧:市立美術館のマティス展(前半)

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/2回目

アムステルダムの市立美術館Stedelijk Museumの展示作品を見ていきます。市立美術館は近現代の作品を所蔵する美術館です。今は《マティスのオアシス展》を開催しています。マティスは後年に体が弱って、油絵の筆をとるのが困難になり、切り絵で新たな表現を極めます。マティスはベッドの上で紙を切り、アシスタントがマティスの指示を受けて、その切り絵をアトリエの壁に張り付けていきました。そして、アトリエは切り絵で満たされてオアシスと化していったそうです。マティスのオアシスとは、切り絵の世界のことを指します。この《マティスのオアシス展》では、マティスが切り絵の世界にどのように至っていったのかをマティスや同世代の画家たちの作品を通して紹介していくそうです。もちろん、最後は切り絵の作品を展示します。

まずは1階に展示されているマティスの作品群36点を時代順に見ていきます。

マティスの《読書する女》です。1895年、マティス26歳頃に描かれた作品です。マティスはもともと画家の道を目指していたわけではありませんでした。親の意向に沿って、パリの法律学校を出たマティスは地元であるフランス北部の小さな町で法律事務所に勤務し、堅実に勤勉に働く毎日でした。そんなある日、マティスは病気で長期療養のため、入院生活に入ります。21歳の時のことです。母親が息子のことを気遣って、気晴らしのために油絵の道具を贈りました。それがマティスの人生の転機になります。マティスは自分の人生の意味を絵を描くことに見出します。親の反対を振り切って、画家を目指すために再びパリに出ます。マティス22歳のときです。あまりに遅い画家への出発でした。パリの私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンに入学し、美術学校の最高峰であるエコール・デ・ボザールへの入学を目指しますが、入学は叶いませんでした。しかし、ボザールの教師であったギュスターヴ・モローの美術教室で個人指導を受けることができ、あせらずにじっくりと絵の修行に取り組みます。この作品はギュスターヴ・モローの美術教室にはいった頃の一作です。絵のセンスのよさは感じられるもののマティスらしさはまったく感じられません


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マティスの《ノートルダム》です。1900年、マティス31歳頃に描かれた作品です。色彩の使い方の後のマティスの萌芽のようなものが見られます。絵画のレベルはまだまだでしょう。


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マティスの《立っているヌード》です。1900~1902年、マティス31~33歳頃に描かれた作品です。線画なので、色彩感は分かりませんが、デフォルメにマティスらしさが十分に感じられるようになりました。完成度は低いですけどね。

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マティスの《午後の休息(サン=トロペ湾)》です。1904年、マティス35歳頃に描かれた作品です。色彩の表現が独特です。マティスの個性が目覚めました。構図に固さがありますが、こういう暖色系の色遣いはとても印象的です。


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マティスの《アルクイユの通り》です。1904年、マティス35歳頃に描かれた作品です。構図も柔らかでピンクを主体にした色彩の構成は見事です。形へのこだわりがなければ、青騎士にも通じるものがあります。


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マティスの《鸚鵡(オウム)咲きチューリップ》です。1905年、マティス36歳頃に描かれた作品です。点描法的というか、ゴッホ的な大胆なタッチで描かれていますが、注目すべきはやはり個性的な色彩感覚にあります。この年に描いた《帽子の女》はサロン・ドートンヌに出品されて、野獣(フォーヴ)的な色彩だと揶揄されて、以後、マティスは野獣派(フォーヴィズム)という名称で呼ばれることになります。この作品もまた同様な色彩表現に満ちています。


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マティスの《アンドレ・ドラン》です。1905年、マティス36歳頃に描かれた作品です。モデルのアンドレ・ドランは野獣派の仲間の一人。この作品ではピンク系で描かれた顔からもマティスの独特な色遣いが感じられますが、完成度においては《帽子の女》に比べて、あっさりめという感じは否めません。


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参考のためにマティスの絵画の事実上の出発点となった《帽子の女》を見ておきましょう。実に見事な作品です。

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マティスの《立っているヌード》です。1907年、マティス38歳頃に描かれた作品です。これは意表を突かれて、一目ではマティスと分からない作品です。ごつごつした表現。そして、あの煌くような色彩が失われてモノトーンでの人間の描き方。彫刻的な絵画表現にも思えます。新たな表現方法を模索していたのでしょうか。


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マティスの《海辺のヌード》です。1909年、マティス40歳頃に描かれた作品です。版画的なようなデフォルメ表現が印象的です。形の細部にこだわらないようになってきました。また、体を平面的に描く表現も目立ちます。ダンスをテーマにした一連の作品群にも通じるものがあります。ただ、ここにはダンス作品にあるような躍動感は見られませんけどね。


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マティスの《水浴びをする人》です。1909年、マティス40歳頃に描かれた作品です。シンプルな構図に単色系の簡素な色遣い。躍動感はありませんが、力強い動きは感じられます。ダンス作品群ともつながる作品です。


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マティスの《オレンジ籠の静物》です。1912年、マティス43歳頃に描かれた作品です。色遣いは結構、セザンヌ風ですが、もっと、対象をデフォルメしています。それなのにテーブルクロスの柄は細かく描き込んでいる対比が面白いですね。

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マティスの《ノートルダムの眺め》です。1914年、マティス45歳頃に描かれた作品です。先ほど14年前に同じテーマで描いた絵を見ましたが、いかにこの間、マティスが前に進んだか、驚かされます。とは言え、マティスがこういう抽象的な描き方をしていることのほうが驚きです。モノトーンでのお洒落な絵ですね。この方向性を極めても面白かったかもしれません。

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マティスの《オダリスク》です。1920~1921年、マティス51~52歳頃に描かれた作品です。この時期あたりからマティスはまさに円熟期にはいります。これぞ天才のみにしか描けない作品です。一言で言うと、女性と寝椅子がマッチしていて、ひとつのオブジェクトとして一体化して、非常に心地よく感じられることが一番です。まさにこうでなければならないという描き方です。そして、黒髪の長い女性の魅惑的なこと、これこそ美ですね。あえて、淡い色で構成された色彩の魅力も完璧に思えます。安定感のある構図も素晴らしいです。

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マティスの《もたれているオダリスク》です。1923年、マティス54歳頃に描かれた作品です。これはエッチング。線だけで描かれていますが、ほどよいデフォルメが心地よい作品です。

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マティスの《小さな夜明け》です。1923年、マティス54歳頃に描かれた作品です。これはリトグラフ。精密な作品に仕上がっています。女性美の魅力も満点です。完成度が高いだけにマティスの色彩の美しさも見てみたくなってしまいます。

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マティスの《二人のオダリスク》です。1928年、マティス59歳頃に描かれた作品です。いやはや、マティスの円熟の筆は実にリッチな内容の画面を作り上げていますね。着衣とヌードの女性を描き分け、何より背景の文様の素晴らしさ。多過ぎるくらいの色彩を盛り込んだ画面もけっしてごちゃごちゃにならず、収まるところに収まっている感じです。22歳から絵を描き続けてきた成果がここに結実しています。勤勉で真面目な画家が40年近くでここまで到達したということなんでしょう。才能だけで描ける絵ではなさそうです。

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マティスの《ヴェールをかぶった若い女》です。1929年、マティス60歳頃に描かれた作品です。これはドライポイント。色んな版画技法を使い分けますね。マティスの線画も円熟の境地です。線画はこうして描くものというお手本になるような見事な出来栄えです。20世紀ではクレーの線画と双璧をなす素晴らしさです。

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マティスの《青の女》です。1931年、マティス62歳頃に描かれた作品です。もう、この時期の作品は大変な完成度の絵ばかりで、見ていて、ため息の出るような素晴らしさです。構図、色彩、形のデフォルメ具合、女性と背景の描き分け、どれをとっても完璧です。そして、ここには上質の美感があります。

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この後、円熟期から晩年にかけての作品を見ていきます。時代は暗い状況になっていきますが、絵画に埋没するマティスにとってはそれが何なのでしょう。勤勉画家マティスはどんどんと高みに上っていきます。


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アムステルダムで芸術三昧:市立美術館のマティス展(後半)

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/3回目

アムステルダムの市立美術館Stedelijk Museumの展示作品を見ています。まず、1階にある作品のうち、特別展で展示されているマティスの作品を時代順に見ています。これからは円熟期の60代半ば以降の作品を見ていきます。

マティスの《髪をほどけた女の肖像》です。1933年、マティス64歳頃に描かれた作品です。これは鉛筆で描いた素描です。えっ、これがマティスって感じですが、あくまでも素描のスケッチですね。

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マティスの《ストライプのドレス》です。1938年、マティス69歳頃に描かれた作品です。ドレスだけが強調して描かれており、モノの形が明確ではありませんが、ふわっとした色彩の感覚が楽しめる作品になっています。

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マティスの《ダンス》です。1938年、マティス69歳頃に描かれた作品です。マティス終生のテーマ、ダンスですが、紙の上に切り貼りして構成した作品です。Verve誌のための再構成したようです。ステージ上でのダンスのように見えますね。

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ここまで何度か《ダンス》について、言及してきましたが、このマティスの代表作はロシアの富豪でマティスの大パトロンだったシチューキンの注文で描かれたものです。1909年、マティス40歳の頃です。ところがこの作品を組になる作品《音楽》と一緒に展覧会に出したところ、批評家たちには不評。それどころか、今まで崇められていたはずのピカソやブラックにまで酷評される始末。その状況で注文主だったシチューキンまでが購入を渋ります。時代は1907年に《アヴィニョンの娘たち》を描き上げ、その後、ブラックとの共同創作でキュビズムを完成させたピカソの隆盛期にさしかかり、マティスは過去の人になりかねない状況になっていました。結局はパトロンのシチューキンが《ダンス》と《音楽》を購入してくれることになり、危機は脱します。さらにはピカソのコレクターでもあったシチューキンの強いサポートも得られて、マティスは自分の道を見出すことになります。今ではマティスの代表作、それどころか20世紀を代表する作品のひとつである《ダンス》は実に危機的な作品でもあったんです。このシチューキンのコレクションだったマティスの傑作群はロシア革命でロシア政府(ソ連政府?)に接収されて、今ではエルミタージュ美術館のマティスの部屋に収まっています。
参考のためにそのエルミタージュ美術館にある《ダンスⅡ》を見ておきましょう。

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ちなみに題名が《ダンスⅡ》になっているのは、《ダンス》の絵は2枚あるからです。《ダンスⅠ》は現在、ニューヨーク近代美術館(MOMA)にあります。この作品はシチューキンに注文された《ダンス》を描くための習作だったと言われています。ついでにこの《ダンスⅠ》も見ておきましょう。ほとんど《ダンスⅡ》と同じですが、女性たちの体の色が普通に肌色ですね。やはり、赤く塗られた体のほうが躍動感があります。さきほど見た1938年の作品の中で使われているのは《ダンスⅡ》ですね。

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マティスの《赤い背景に毛皮のコートの若い女》です。1944年、マティス76歳頃に描かれた作品です。シンプルな作品ですが、何か心惹かれる魅力があります。変な言い方ですが、色気があります。

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マティスの《女の肖像(リディア・デレクトルスカヤ)》です。1945年、マティス76歳頃に描かれた作品です。これは紙の上にチャコール(木炭)で描いたスケッチです。非常に魅力的に女性の顔が描かれていますが、それもその筈。この10年ほど前からモデルをつとめていたリディア・デレクトルスカヤはマティス最愛の人となっていました。10年前に彼女をモデルに描いた作品《大きな横たわる裸婦》は傑作として知られていますが、この1枚を完成するのに毎日毎日描き続けて半年もかかったそうです。その過程でモデルのリディアはなくてはならない人になったようです。それにしても女性の内面から湧き出る魅力までも絵に描けるマティスの筆力には脱帽です。

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マティスの《ヴェネチアの赤の室内:静物》です。1946年、マティス77歳頃に描かれた作品です。赤一色に塗られた画面・・・マティス独特の個性です。何というか、統一感、落ち着きを感じます。絵画芸術も音楽芸術も究極は調和に尽きることを思い至らさられる1枚です。こういう色彩感覚は幾多の画家に影響を与えたことでしょう。

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マティスの《赤い室内:青いテーブルの静物》です。1947年、マティス78歳頃に描かれた作品です。この作品も赤の調和を主軸とするものですが、思い切った壁の文様も印象的です。それにテーブルの静物の単純化はどうでしょう。実に考え抜かれており、かつ、それを感じさせずに、大胆にも思わせる卓抜さです。

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マティスの《ヌード、猫の頭、青の横顔、赤の横顔》です。1947~1948年、マティス79~80歳頃に描かれた作品です。画家として遅い出発だったマティスも遂に80歳の大台にさしかかります。この日まで、毎日たゆまなく描き続けたマティスはもう達人の域です。この作品群は紙の上に鉛筆で描いたものです。自在なフォルムで無理なく描いています。もう焦りも野心もなく、ただ絵を描くことだけに心をくだいていることが分かるような作品です。

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マティスの《黒いシダのある室内》です。1948年、マティス80歳頃に描かれた作品です。この作品も赤を基調に丸テーブルの静物というマティスの定番のような画面になっています。顔の表情が描かれない女性が登場しているのはどういう意味があるのかと考えてしまいます。この女性が誰かによるかも知れませんが、きっと、マティスにとって大事な人なんでしょうね。マティスの人間味の増した絵だと解釈しておきましょう。

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マティスの《聖母子、ヴァンス礼拝堂の壁の装飾のための習作》です。1949年、マティス80歳頃に描かれた作品です。マティスは前年の1948年から南仏のヴァンスの町の礼拝堂装飾の仕事にとりかかります。2年かけて、1950年にその仕事を終えます。ヴァンス礼拝堂は光に満ちた実に美しい礼拝堂です。しかし、齢80になる頃にマティスは宗教的な作品をてがけたんですね。この習作は結構、描き込みが密ですが、実際に壁に描かれた絵はシンプルな線画です。それ以上に美しいのは色彩に満ちたステンドグラスでした。

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マティスの《女の肖像(リディア・デレクトルスカヤ)》です。1949年、マティス80歳頃に描かれた作品です。これは色鉛筆画です。さっきのリディアの肖像画から4年後です。相変わらず、マティスの最愛の人のようですが、4年で結構お年を召されたようですね。シンプルな線画はますます磨きをかけています。

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マティスの《ミモザ》です。1949~1951年、マティス81~83歳頃に描かれた作品です。いよいよ切り絵の登場です。この8年前、1941年に十二指腸癌の大手術を受けて、ベッドの上の生活を強いられた結果のひとつが切り絵でした。どんな状況にあっても芸術創作活動から離れることができなかったマティスの一つの選択でした。切り絵は明確過ぎるくらい色彩と形をクリアにさせます。マティスのそれまでの作品とは大きくスタイルが異なります。過去からの発展ではなく、新たな芸術表現への模索が始まります。年齢は関係ありませんね。この作品・・・saraiは残念ながら、あまり評価できません。マティスの洒脱とも思えた色彩感はあまり感じられないからです。

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マティスの《無題(青い裸婦の習作)》です。1952年、マティス84歳頃に描かれた作品です。切り絵の作品《青い裸婦》のためのスケッチです。こういうスケッチを膨大に描いて、1枚の作品にたどり着く。それが勤勉な画家マティスのスタイルでした。しかし、見事なスケッチです。もう、これで完成のようにも思えます。

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マティスの《無題(青い裸婦の習作)》です。1952年、マティス84歳頃に描かれた作品です。これもスケッチの1枚です。大変な創作活動です。頭が下がります。

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マティスの《青い裸婦、蛙》です。1952年、マティス84歳頃に描かれた作品です。これができあがった切り絵の作品のひとつです。切り絵もシンプルな構図で単色で素晴らしいレベルに到達しましたね。この《青い裸婦》シリーズはまるで版画のように何枚も作成されました。

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参考のために、スケッチと同じ構図の《青い裸婦》シリーズの1枚《青い裸婦Ⅳ》を見ておきましょう。これはニースにあるマティス美術館所蔵の作品です。切り絵ですが、何と素晴らしい作品でしょう。絵画と装飾の間にあるような高い芸術性を持った作品です。

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マティスの《赤い背景に黒い葉》です。1952年、マティス84歳頃に描かれた作品です。この切り絵も実にシンプル。作品のレベルでは《青い裸婦》が優ります。

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マティスの《小さな少女》です。1952年、マティス84歳頃に描かれた作品です。これも切り絵ですが、今一つでしょうか。

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マティスの《Verve誌のための表紙スケッチ》です。1954年、マティス85歳頃に描かれた作品です。この切り絵は以前描いていた油絵のように赤の調和を目指したかのような作品になっています。まだ、本当の美へ到達したようには感じませんが、85歳のエネルギー、凄まじいですね。

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これで1階にあるマティスの作品を見尽くしました。1941年の大病まででマティスは芸術上の頂点に達したようです。大手術後は切り絵で1から出直して新たな世界を創作していきます。2階にはその集大成の切り絵の大作が展示されているようです。

その前に1階にあるマティスと同時代のほかの画家たちの作品を見ていくことにします。マティスに影響を与えたり、逆に影響を与えらえた画家たちの作品です。


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アムステルダムで芸術三昧:市立美術館・・・ゴッホ、セザンヌ、ルドン、キルヒナー、マレーヴィチ、シャガール

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/4回目

アムステルダムの市立美術館Stedelijk Museumの展示作品を見ています。まず、1階にある作品のうち、特別展で展示されているマティスの作品を見ました。これからはマティスと同時代のほかの画家たちの作品を見ていくことにします。マティスに影響を与えたり、逆に影響を与えらえた画家たちの作品です。おおよそ、時代順に見ていきます。


コローの《マンドリンを持つ若い女》です。1865~1870年、コロー69~74歳頃に描かれた作品です。この作品とマティスの関連はちっとも分かりませんが、マティスはコローの絵画をスケッチして、随分、勉強したのだそうです。特にオダリスクはコローの影響を受けたようです。コローは結構、印象派以降の画家に影響を与えていたそうです。分からないものです。

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マネの《読書する女》です。1881年、マネ49歳頃に描かれた作品です。まあ、これも分かりませんが、マティスはともかく初めの頃は色んな画家の作品をたくさん勉強したんだそうです。基礎を学んだというところでしょう。

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ゴッホの《モンマルトルのキッチンガーデン》です。1887年、ゴッホ34歳頃に描かれた作品です。ゴッホのパリ時代の作品ですね。ゴッホらしいタッチも少し感じられます。マティスは大いにゴッホに影響を受けたと言われています。特に色彩の自由さはゴッホから影響を受けたものでしょう。

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ゴッホの《ルーラン夫人(揺り篭を揺らす女)》です。1889年、ゴッホ36歳頃に描かれた作品です。アルル時代の作品ですね。素晴らしい作品です。ゴッホ好きにはたまらない絵です。色彩の鮮やかさ、背景の色柄など、マティスも大いに感じるところがあったでしょう。ゴッホとマティスの絵画がこんなに共通するところがあるとはあまり気が付きませんでした。

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セザンヌの《サント・ヴィクトワール山》です。1888年、セザンヌ49歳頃に描かれた作品です。《サント・ヴィクトワール山》シリーズはセザンヌのトレードマークのような作品ですね。saraiもわざわざ南仏エクサン・プロヴァンスまで、この山を見に行きました。なるほど量感のある美しい山でした。しかし、実際の山以上にセザンヌはその山の本質を抉り出すような絵を描きました。この作品も素晴らしいです。構図も色彩も完璧です。マティスもこのセザンヌを目標に絵の修行に励んだことは想像に難くありません。その結果、セザンヌを超えられたか・・・マティス自身は超えたと思ったかもしれません。saraiの判定としては、がっぷり4つで水入り引き分けというところ。セザンヌの後継者がマティスであることは間違いありません。けっしてピカソではないと思っています。

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セザンヌの《ボトルと桃》です。1890年、セザンヌ51歳頃に描かれた作品です。やっぱり、セザンヌの静物画は特別ですね。マティスもセザンヌを意識した静物画を描いていますが、こればかりはデフォルメするだけしか、打つ手がなかったような気がします。この美術館にあったセザンヌはこの2枚だけですが、これだけでセザンヌの凄さが思い知らされます。

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ルドンの《花を持つ女》です。1900年、ルドン60歳頃に描かれた作品です。これは凄いですね。こういう絵を見ると、参ってしまいます。先ほどゴッホ美術館でルドンの素晴らしい作品を2枚見たばかりですが、今日はまるでルドンの傑作を見るための日だったようです。こういう絵はもう何が描いてあるかなんてことはどうでもよく、ただただ、絵の美しさに圧倒されるだけです。今日1日でルドンの存在はsaraiの中で急上昇。ルドンの傑作を求めて、美術館巡りをしたい気分です。一番の魅力は茫洋とした色彩の美しさに尽きます。こういう絵を描ける感性は天才的としか言えません。

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ヴラマンクの《ブージヴァルの眺め》です。1906年、ヴラマンク30歳頃に描かれた作品です。ヴラマンクは野獣派のひとりです。マティスの同士ですね。この頃のマティスの風景画も似た感じではありますが、ヴラマンクは表現主義的ですね。マティスよりもヴラマンクのほうが野獣派という言葉に合っているかもしれません。

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ヴァン・ドンゲンの《老いた道化師の肖像》です。1906~1910年、ヴァン・ドンゲン29~33歳頃に描かれた作品です。表現主義的と言えば、この作品こそ、その代表みたいなものですね。なんだか、近寄りがたい怖い絵です。この人も野獣派の作風だということですが、なんだか、マティスとは相容れないような感じがあります。

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ヴァン・ドンゲンの《アンナ・デ・ノアイレス》です。1913年、ヴァン・ドンゲン36歳頃に描かれた作品です。ヴァン・ドンゲンも随分、まるくなったというか、上品になった感じですね。でもやっぱり、マティスとは相容れない感じかな。

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キルヒナーの《カーテンの後のヌード》です。1910/1926年、キルヒナー30/46歳頃に描かれた作品です。キルヒナーはドイツの画家グループ「ブリュッケ」の一員でしたが、フォーヴィズム(野獣派)の影響も受けたと言われています。この作品も大胆な色遣いやデフォルメした構図に影響がみられます。

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キルヒナーの《座っているヌード》です。1911年、キルヒナー31歳頃に描かれた作品です。これは木版画。他の「ブリュッケ」の仲間らとともにベルリンに移住した頃の作品です。何とも奇妙な作品ですね。キルヒナー独自の世界かな。論評できません。

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マレーヴィチの《水浴びをする人》です。1911年、マレーヴィチ32歳頃に描かれた作品です。マレーヴィチはロシアの画家で、抽象絵画の始祖とも呼ばれています。通常はモンドリアンとカンディンスキーが有名ですが、マレーヴィチの抽象画は大変、高額(数十億円以上?)らしいですね。この作品は具象画ですが、はっきり言って、訳が分からんですね。これこそが野獣派にふさわしいのではと思ってしまいます。マティスは上品なものです。ロシアの大地に根差した農民の土臭い姿を描いているそうです。

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マレーヴィチの《男の肖像》です。1912年、マレーヴィチ33歳頃に描かれた作品です。この作品はマレーヴィチとしては実に穏やかな作品です。マティスの《帽子の女》の路線です。影響を受けたとしか思えません。

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ここに展示されていたマレーヴィチはこれだけですが、これだけだと、マレーヴィチを誤解しそうなので、参考のために一番有名な抽象画をご覧いただきましょう。1915年の《黒の正方形》です。絵のモティーフが何であったのか、すべての痕跡を消し去ることによって、絵画の絶対性を確立しようという画期的?な作品で、市場に出れば百億円とも言われている名画です。ちなみに定規は使っていないそうです。

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シャガールの《7つの指の自画像》です。1912~1913年、シャガール25~26歳頃に描かれた作品です。これは素晴らしいシャガールの作品ですね。こんなものが見られるとは思ってもみませんでした。若いシャガールの尖った作品です。ピカソやマティスの洗礼を受けてこその作品ではありますが、シャガールの独特の個性が発揮された傑作中の傑作です。

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シャガールの《緑のドレスのベラ》です。1934年、シャガール47歳頃に描かれた作品です。最愛の妻ベラを描いた作品です。シャガールの愛情が詰まった作品です。いいとか何とか言うようなものではありませんね。ベラはこの10年後、第2次世界大戦の亡命先のアメリカで没します。

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マティスの同時代の画家の作品はまだ続きます。ピカソやブラックやモンドリアンも出てきます。



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アムステルダムで芸術三昧:市立美術館・・・ピカソ、モンドリアン、そして、マティスの切り絵

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/5回目

アムステルダムの市立美術館Stedelijk Museumの展示作品を見ています。1階にある作品のうち、特別展で展示されているマティスの作品を見た後、マティスと同時代のほかの画家たちの作品を見ています。マティスに影響を与えたり、逆に影響を与えらえた画家たちの作品です。おおよそ、時代順にゴッホ、セザンヌ、ルドン、キルヒナー、マレーヴィチ、シャガールなどの素晴らしい作品を見ていきました。これから残りの画家たちの作品を見ていきます。


ヤウレンスキーの《チューリップ、青い水差し、黄色いコーヒーポットのある静物》です。1913年、ヤウレンスキー49歳頃に描かれた作品です。ヤウレンスキーはこの頃、ミュンヘンの青騎士の活動にどっぷりと浸かっていたはずですが、この作品は青騎士というよりもマティスの野獣派的な感じもあります。パトロンだったヴェレフキンとの不和も顕在化した時期の筈です。ヤウレンスキーとしては珍しい、鮮やかな色彩の静物画です。

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レジェの《煙草を吸う人》です。1912~1913年、レジェ31~32歳頃に描かれた作品です。これはキュビズム作品ですね。後にレジェは独自の作風に変化していきますが、この頃はまさにピカソ・ブラックもどきですね。

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ピカソの《ストローのあるグラス》です。1911年、ピカソ30歳頃に描かれた作品です。ピカソの分析的キュビズムの代表的な1枚です。この頃、分析的キュビズムを完成させたピカソはまさに破竹の勢いでした。

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ピカソの《お互いを見ている二人の女性のヌード》です。1934年、ピカソ53歳頃に描かれた作品です。分析的キュビズムももう20年も過去の話。ピカソは様々な様式を変転していきます。このエッチング作品は実に端正に描かれています。特に安定感のある構図が素晴らしいですね。マティスとはまったく別の道を歩んだピカソです。

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ピカソの《頭部》です。1943年、ピカソ62歳頃に描かれた作品です。あまりピカソらしくありませんね。

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ピカソの《茄子》です。1946年、ピカソ65歳頃に描かれた作品です。ピカソが静物画を描くとこうなるという作品です。これも論評できません。

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ピカソの《庭の前のヌード》です。1956年、ピカソ75歳頃に描かれた作品です。これは傑作ですね。キュビズムの技法も用いていますが、マティスを意識したに違いないように思えます。

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ブラックの《ナイフのある静物》です。1932年、ブラック50歳頃に描かれた作品です。ピカソとの共同制作に熱中したキュビズム時代はもう昔の話。ブラックの燃えるような時代は終わっていました。この頃、ブラックは小型円形テーブルの静物画を幾何学的に構成する絵画を描き続けました。何か、寂しいものがあります。

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モンドリアンの《コンポジション No.15》です。1913年、モンドリアン41歳頃に描かれた作品です。抽象画を極めた《コンポジション》シリーズの1枚です。素晴らしい作品です。落ち着いた色彩の構成が完璧に思えます。

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モンドリアンの《タブローIII、楕円のコンポジション》です。1914年、モンドリアン42歳頃に描かれた作品です。これは傑作ですね。華やかな色彩が抽象パターンの中で煌いています。ある意味、これまでモティーフの形が重荷だったのが、ここで解き放れて自由に飛翔しているのが分かります。これこそ抽象画のひとつの理想を極めた作品と言えるでしょう。

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モンドリアンの《青、黄、赤、黒、灰色のコンポジション》です。1922年、モンドリアン50歳頃に描かれた作品です。モンドリアンの抽象画も次第にシンプルさを獲得していきます。その芸術的頂点に差し掛かった作品のひとつと言えるでしょう。マティスとは別の道ですが、20世紀美術のひとつの到達点です。

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ボナールの《エステレル山》です。1917年、ボナール50歳頃に描かれた作品です。この作品は南仏の風景を描いたもので、明るい色彩が印象的です。この後、ボナールの絵画はマティス同様、暖色系の色彩を帯びていきます。

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ルオーの《ピエロ》です。1920年、ルオー49歳頃に描かれた作品です。ルオーは、パリの美術学校でマティスらと同期で、フォーヴィスム(野獣派)の画家に分類されますが、独自の作風を持った画家です。この作品はルオーの典型的な作品のひとつで、彼はこういう作品を膨大に生み出しました。

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1階の会場を見終わって、2階に上がります。

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マティスの大きな切り絵の作品があります。彼の芸術の集大成ですね。《インコと人魚》です。1952~1953年、マティス83~84歳頃に描かれた作品です。この美術館の宝のような作品ですが、あまりの大きさに若干、辟易しました。どうも切り絵は苦手です。

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これも大作です。《ポリネシア、空》です。1946年、マティス76歳頃に描かれた作品です。素晴らしい作品なんですが、やはり、マティスは60歳頃の頂点を極めた作品のほうが好みです。

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2階にはたくさんの切り絵が並んでいますがささっと見て切り上げます。

何故か、ポップアートの旗手リキテンシュタインの作品も展示されています。戦火を開くイメージを描いた1964年の作品《As I Opened Fire》です。

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最後はマティスの作品です。《クリスマス・イヴ》と題したステンドグラスの作品です。1952年、マティス84歳頃に創られた作品です。ヴァンスのロザリオ礼拝堂のために創った作品をもとにLife誌がマティスに委嘱した作品だそうです。これは美しいですね。

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膨大な数のマティスの作品、ピカソ、シャガール、モンドリアンなどの名作がずらっと並び、壮観でした。この市立美術館はアムステルダムの美術館では一押しです。国立美術館のフェルメール、レンブラント、ゴッホ美術館のずらっと並ぶゴッホも見ものですが、この市立美術館が一番楽しめましたと言うのが正直な感想です。
特にすばらしいマティスをたくさん見られて大満足です。
市立美術館の外に出ます。ほぼ1時間ほどで、これらの作品を見ましたが、ぎゅっと詰まった濃密な絵画鑑賞でした。

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オペラまでにまだ少し時間があるので、急いでランチをいただきましょう。



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アムステルダムで芸術三昧:オペラ《ルル》を鑑賞後、モイツァ・エルトマンの嬉しいサイン会

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/6回目

アムステルダムの市立美術館Stedelijk Museumでしっかり絵画鑑賞が出来ました。こんなにマティスをちゃんと見たのは初めてです。そろそろお昼にしましょう。ゴッホ美術館と市立美術館を急いで見たので、オペラに行く前にランチの時間も取れます。ランチは市立美術館に併設のレストランにします。広いテラス席に座ります。

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市立美術館の隣の建物は工事中。その右手に見えているのはアムステルダム・コンセルトヘボウですね。今回はコンサートを聴けなくて残念でした。

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まずは冷たいドリンクをいただきます。

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なんと生牡蠣が食べられます。まるでシーフード専門店みたいですね。とてもおいしいです。saraiは大喜びです。

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名物のクロケットもいただきます。

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立派な昼食でしょう。でも、これでおしまいではありません。

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メニューを見ていて面白いものを見つけたんです。うどん味噌ラーメン。なんだか美味しそうです。

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なかなか美味しいラーメンです。うどんという名称は何故なのか不明です。

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市立美術館に併設するレストランは非常に充実しています。

ランチを食べ終えたところで、saraiは持参していたネクタイを締めて、オペラに向かいます。トラムに乗車して、乗り換え停留所のダム広場Damに向かいます。

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トラムに乗ると、楽器のケースを持って正装のズボンをはいた人を発見。きっとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の人だろうと声をかけると、単なるアマチュアとのこと。持っている楽器はバッソン(フランス式のファゴット)でした。音楽談義をするうちに乗り換えの停留所ダム広場に到着。そこで彼とお別れして、別のトラムに乗り換えてネーデルランドオペラの本拠地ミュージックシアターMuziektheaterに到着。ここでも楽器を持っている女性がいますが、この人はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の楽員かな?

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ネットで購入したチケットを提示して入館。

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ホールに入館すると、サイン会の告知があります。実は、今日は終演後にサイン会があるので是非サインしてもらいなさいと、昨日のお友達からアドバイスされていました。楽しみですね。

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ロビーのCDショップで、このサイン会の案内状をもらいます。

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席に着きます。今日ももちろんかぶりつきの最前列です。

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1時半から開演のオペラ《ルル》を無事、鑑賞。今日も素晴らしい演奏でした。2度目の鑑賞となったオペラ《ルル》の詳細記事はここです。

終演後、楽しみにしていたサイン会です。嬉々としてCDを買って列に並ぼうとしますが、行列がありません。日本だと、長蛇の列で大変なのにね。それでも短い行列を発見。並んでいるのは10人足らずです。

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サイン会用のテーブルが用意されています。

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10分ほどで今日のオペラで歌った女性歌手のお2人がやってきて、サイン会が始まります。

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オペラも今日が最終日なので、とてもリラックスしてサインしてくれています。

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saraiの前にはまだ5人ほど並んでいますが、間もなくサインしてもらえそうです。

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saraiの後ろにも少し行列ができていますね。

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ようやくsaraiの番になりました。カメラ目線でこちらを見てくれているのは、美人ソプラノのモイツァ・エルトマン(主役のルル)。笑顔が綺麗ですね。右に座っているのは共演のジェニファー・ラーモア。

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モイツァ・エルトマンと親しくお話しもできました。とてもフレンドリーな方です。日本からこのオペラを見るためにわざわざ駆けつけたことと、以前に日本でも彼女の歌唱を聴いたことをお話しすると、9月に日本に行くのでコンサートに来てねって言われました。ハーイ! もちろん行きますよ!

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手持ちの日本のお菓子を少々ハンカチに包んでプレゼントもしました。最後に一緒に写真に収まるという嬉しいことになり、saraiは有頂天。単純ですね。saraiはとてもお見せできないほど、満面にやついています。握手もしましたよ。

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後でお友達に聞くと、オランダは終演後にサインをもらうという習慣がなく、いつもこんな風にサイン会に参加する人は少ないんだそうです。

オランダは最後に嬉しいことになりました。


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アムステルダムで芸術三昧:レンブラント広場のアイリッシュ・パブで祝宴

2015年6月28日日曜日@アムステルダム/7回目

素晴らしいオペラ《ルル》を聴いた後にモイツァ・エルトマンのサイン会という嬉しいおまけまで付き、ご機嫌のsaraiは気分的にこのままホテルには帰れないので、どこかで祝宴を開きましょう。
ネーデルランドオペラの本拠地ミュージックシアターMuziektheaterを出て、アムステル川Amstelに架かるブラウ橋(青い橋)Blauwbrugの上からミュージックシアターの全景を眺めます。

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ブラウ橋には欄干の上に立派な街灯が並んでいます。夜景が綺麗でしょうね。

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ブラウ橋から南から流れてくるアムステル川を眺めます。マヘレの跳ね橋Magere Brugも遠方に見えています。

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こちらは橋から北へ流れ、蛇行して西に向かうアムステル川です。ハウスボートなどが係留されています。美しい水風景になっていますね。

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トラムに乗って、アムステル通りAmstelstraatを移動します。窓の外を見ていると、面白い名前のお店が見えます。ワガママWagamamaというお店です。和食レストランでしょうか。

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一停留所先のレンブラント広場Rembrandtpleinで降車。広場にはレンブラント像があります。この広場は、レンブラント・ファン・レインの生誕400周年を記念して2006年に整備されたそうです。なお、レンブラントの家はアムステル川を越えて、市庁舎の先にあります。

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レンブラント像の前には、2006年から2009年にかけて造られたブロンズ製の《夜警》の立体彫刻があります。等身大の全22体の群像が立ち並びます。

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saraiはフランス・バニング・コック隊長としっかりと握手させてもらいます。夜警と何か連帯感のような気持が起きます。もっとも、モイツァ・エルトマンと握手したsaraiはすっかり握手癖がついただけかも。ともかく上機嫌のsaraiです。

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レンブラント広場の一画にあるアイリッシュ・パブSt. James Gateのテラス席で祝宴を開きましょう。

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アイリッシュ・ビールで気炎を上げます。オランダでアイリッシュ・ビールは変ですけどね。まあ、いいでしょう。

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ビールのお伴はフィッシュ・アンド・チップス。なかなか美味です。

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祝宴も、やがてお開き。席を立ち、広場からこのアイリッシュ・パブSt. James Gateを眺めます。お洒落なレストランです。

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アムステル通りのトラムの停留所からレンブラント広場を眺めます。広場では、アート市をやっていたようです。日曜日だけ市が立つようですが、今日はもう終わってしまったようですね。

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レンブラント像と夜警の群像も見えています。横からの眺めですけどね。

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レンブラント広場は木々が茂る緑濃い綺麗な公園です。

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トラムに乗って乗り換えのスパイ広場Spuiで降りると、ここにも3日前にホテルの近くで海鮮料理を食べたお店シーフードバーThe Seafood Barのスパイ店があります。このレストランはアムステルダムに少なくとも2店舗あるんですね。ちょっとした発見です。

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スパイ広場の中を、乗り換える2番か5番のトラムの停留所をうろうろしながら探し回ります。

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ようやく停留所を発見。停留所から正面に見えている教会はシンゲル運河Singelの対岸にあるチョーク山の教会De Krijtberg Kerkです。

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トラムに乗って、ホテル最寄りの停留所ファン・バールレ通りVan Baerlestraatに戻ってきました。通り沿いの行きつけのパン屋さんBroodbakker Simon Meijssenは今日はお休み。

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ホテルに戻り、アムステルダムの夜は更けていきます。といっても窓の外の空はまだまだ明るいです。

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明日はアムステルダムを発ち、アントワープに向かいます。いよいよベルギー周遊の旅の開始です。


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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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