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何故か胸にぐっときた!《イェーダーマン》@ザルツブルク音楽祭(大聖堂広場) 2016.8.6

ホフマンスタールの演劇《イェーダーマン》はザルツブルグ音楽祭に欠かせないものです。ザルツブルグ音楽祭立ち上げのメンバーでもあったホフマンスタールが書いた詩作を原作に、同じく立ち上げメンバーだったマックス・ラインハルトが演出して1920年に上演されたのがザルツブルグ音楽祭の開始でした。ザルツブルグ音楽祭に折角行くので、この作品だけは絶対に見逃がせないと思いました。

とは言え、この演劇はドイツ語で演じられます。ドイツ語はちっとも分からないので、頭に入れておいたあらすじを参考に劇の進行を見ていきます。イェーダーマンというのは英語で言えばエヴリマン。つまり、どこにでもいる誰かという感じでしょうか。劇の中では固有名詞のように主役の金持ちの男がイェーダーマンという名前で呼ばれます。冒頭は《神》(少年の姿)が《死》(白装束の老人)を呼び出して、イェーダーマンに死を告げるように命じます。これは別に不条理劇などではなく、単に日常的な死がいつも隣り合わせにあるということを示すだけのことです。《神》と《死》が舞台から去ると、イェーダーマンが現れます。彼は大変な金持ちであることを誇示します。貧乏人が施しを求めると、さんざんにからかいながら、コインを1個与えるだけ。さらに、警官に連行される男が現れます。イェダーマンに借りた金を返せなかったために逮捕された男です。男の妻や子供も現れますが、イェーダーマンは非情です。イェダーマンの母親が現れて、イェーダーマンに神への信仰を大切にするように諭します。根負けしたイェーダーマンは信仰について考えることを約束し、母親は喜んで帰ります。やがて、賑やかな一団が現れます。その中に自転車に乗った美しい若い女性がいます。イェーダーマンと親密です。にぎやかな宴が続きます。イェーダーマンはその親密な女性にプロポーズします。宴もたけなわになったところで突如、鐘が鳴り、周り四方からイェーダーマンと呼ぶ声が聞こえてきます。それはイェーダーマンにしか聞こえません。やがて、《死》が現れて、イェーダーマンは今日死ぬことを告げます。イェーダーマンは驚き、その告知をなかなか受け入れられません。やがて、イェーダーマンは1日でいいから、死を待って欲しいと懇願しますが、《死》は聞き入れません。《死》はしばらく離れるから、キリスト教徒として残された時間を有益に過ごすように言い、いったん消え去ります。イェーダーマンは悪あがきを始めます。友達に救ってくれるように頼みますが、誰も逃げ腰でしかありません。やがて、大きな箱から異形の怪物があらわれます。お金の神様マモンです。奇妙な動きを見せた後、どんな金持ちも死ぬときは裸で死んでいくと言って、また、箱の中にはいります。次は高い棒の尖端の椅子に腰かけた、病人のような《善い行い》がイェーダーマンに諭します。実はこの《善い行い》はイェーダーマンのこれまでの善行の生き写しなので、あまり善行を積んでこなかったイェーダーマンの生き方を反映して、病弱な姿をしています。《善い行い》が女性の姿をした《信仰》を呼び出します。《信仰》に神様が救ってくれると諭されて、次第にイェーダーマンは気持ちがほぐされます。イェーダーマンがお祈りを捧げていると、《神》(少年)に手を引かれた母親が私の息子は救われたと感謝しながら通り過ぎます。ようやく信仰心が得られそうになったイェーダーマンは大聖堂の中に入っていきます。突如、舞台の下から現れた悪魔がそのイェーダーマンを追いかけようとします。しかし、《善い行い》と《信仰》に行く手を阻まれて、悪魔は引き下がります。やがて、イェーダーマンが大聖堂から出てきて、《善い行い》と《信仰》に導かれて、イェーダーマンが静かに死への道に自ら入っていきます。横たわって布を掛けられたイェーダーマンの上に皆が土をかけていきます。大聖堂の鐘が鳴ります。イェーダーマンの死です。

事前の情報ではちょうど1時間の上演だということでしたが、実際は2時間に及ぶ長い上演でした。ドイツ語は分からなくてもとても見ごたえがあって、じっと見入っていました。楽しいシーンや賑やかなシーンが多かったのですが、人間の死というテーマをあまり深刻ぶらずに見せるという意図もあるのでしょう。最後にイェーダーマンが静かな死を迎えるところは素晴らしいものです。死というものは誰にも一度は起きるもの。金持ちも貧乏人もどんな人にも等しく起きることですが、気持ちの整理がついて、清らかに死んでいく人がこんなにも清々しいものであることを見て、そして、感じて、強い感動を受けます。素晴らしい演劇でした。ザルツブルグ音楽祭の看板とも言っていい演目であることを実感しました。よいものを見ることができました。

なお、1920年のオリジナルの演出はマックス・ラインハルトでしたが、その後、多くの演出家による演出が行われました。2013年からは現在のBrian Mertes/Julian Crouchの演出になっています。オリジナルとはかなり変わった演出になっています。音楽アンサンブルの演奏が大きな特徴です。オリジナルのマックス・ラインハルト演出の舞台も見てみたいものです。

この演劇は1920年以来、ずっと野外の大聖堂広場(ドーム広場)で上演されてきました(雨の場合は祝祭大劇場などの屋内で振替上演されます)。この日も前日が丸1日雨が降り続いたので、とても心配でしたが、晴れ女の配偶者の力もあって、上演時は青空も見える絶好のお天気。伝統の演劇をオリジナルの場所で見ることができて幸運でした。終演後、ホテルに戻って、次のコンサートに向けて、タキシードに着替えて、外に出ると、何と雨でした。公演直後に雨になったんです。ますます、自分の幸運に感謝するやら、驚くやらの《イェーダーマン》でした。



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マーラーはやっぱりウィーン・フィルで聴かないとね@ザルツブルク音楽祭(祝祭大劇場) 2016.8.6

ザルツブルク音楽祭を聴くのもこれが最後になってしまいました。ちょうど1週間前のウィーン・フィルの演奏会に始まり、最後もウィーン・フィルの演奏会。ウィーン・フィルは昔からザルツブルグ音楽祭の顔です。今日の指揮は80歳を過ぎたズビン・メータ。1週間前の演奏会と同じく、今日のプログラムもすべてウィーン・フィルが初演した曲で固めてあります。なかでもマーラーの《亡き子をしのぶ歌》は作曲家マーラー自身の指揮で初演ですから凄いですね。そのマーラーの《亡き子をしのぶ歌》は圧巻の演奏でした。ウィーン・フィルのしみじみとしたなよやかな演奏には強く胸を揺さぶられます。そして、その伴奏で歌うゲルネの歌唱も抑えた歌唱を中心に時として激しく燃焼し、マーラーの傑作を見事に歌い上げます。昨日のR・シュトラウスも素晴らしかったですが、やはり、マーラーもウィーン・フィルで聴くと格別のものです。指揮のメータも巨匠への道を歩いていくかのごとく、少ないタクトの動作でウィーン・フィルの自発性のある演奏をインスパイアしていきます。《亡き子をしのぶ歌》は5曲とも素晴らしく、第5曲の最後の言葉、ムッターハウスMutter Haus(生家にいるかのように・・・)は胸に深く刻みつけられます。そして、静かに静かにウィーン・フィルの演奏は閉じていきます。こういう音楽が聴きたくて、ここへ来たのだという気持ちが沸き起こります。思い切って、ザルツブルグ音楽祭に来てよかったと強く感じました。

最初に演奏されたペルトの《白鳥の歌》は一定のリズムと旋律が繰り返される一種のミニマル・ミュージックですが、静かな抒情性に満ちた魅力的な音楽でした。
後半のブルックナーの交響曲第4番はメータに触発されたかのようにウィーン・フィルが激しい響きを立てます。いつもはそれでも柔らかい響きに満ちていますが、今日は狂奔するがごとき響きに少々、辟易とします。それでも段々とその響きに耳慣れしたのか、第4楽章ではそのダイナミックかつ大胆な演奏に魅了されます。いささか芝居がかったような音楽にも思えますが、意外にそれがいいんです。ブルックナーの交響曲第4番はこういう演奏が分かりやすくていいのかもしれません。この祝祭大劇場ではやたらに響き過ぎの感もありますが、ウィーン楽友協会だったら響き過ぎでももっと感じが違ったかもしれませんね。まあ、退屈の対極にあるような演奏で結構でした。

プログラムは以下です。

  指揮:ズビン・メータ
  バリトン:マティアス・ゲルネ
  管弦楽:ウィーン・フィル

  ペルト:白鳥の歌
  マーラー:亡き子をしのぶ歌

   《休憩》

  ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』

結局、最初も素晴らしいマーラーで始まり、最後も素晴らしいマーラーで終わったザルツブルグ音楽祭でした。昨日のR・シュトラウスの《ダナエの愛》が白眉。アデスの《皆殺しの天使》もよかったし、《コジ・ファン・トゥッテ》は最高でした。多分、これが最初で最後のザルツブルグ音楽祭になるかと思うと寂しさもあります。


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静謐の美に深く感動!!《ダナエの愛》@ザルツブルク音楽祭(祝祭大劇場) 2016.8.5

R・シュトラウスの晩年の音楽って、何て素晴らしいんでしょう。彼の書いた15のオペラのうち、最後の2つ、《ダナエの愛》と《カプリッチョ》はなにものにも代えがたい作品。そして、R・シュトラウスを聴くんだったらウィーン・フィルほど、色んな意味でふさわしいオーケストラはないでしょう。3年前に聴いた《カプリッチョ》に続き、遂に《ダナエの愛》もウィーン・フィルで聴くことができました。それもザルツブルグ音楽祭という特別な機会ですから、R・シュトラウス好きとしては感慨深いものがあります。1944年、R・シュトラウス自身でザルツブルグ音楽祭で初演する筈だったのが無念のゲネプロで終わり、R・シュトラウスの生前は結局、上演されることはありませんでした。そして、1952年に盟友クレメンス・クラウスの指揮で初演されたのもザルツブルグ音楽祭でした。いずれもオーケストラはウィーン・フィル。このザルツブルグ音楽祭でウィーン・フィルの演奏でこの《ダナエの愛》が聴けたのは望外の喜びです。

演奏は第3幕の後半、オーケストラの間奏のような美しい音楽が奏でられて、ダナエが心の平安と愛をしっとりと歌い上げるところから後はもう静謐な美に包まれて、静かな感動に心を浸すのみです。主役はウィーン・フィルの美しい響き。そして、それを引き出したウェルザー・メストのタクト。ストヤノヴァの美しい歌唱も心に響きます。ユピテル役のトマス・コニエチュニーのしみじみとした歌唱も心に沁みます。ウィーン・フィルの響きが静かに消えて、音楽が終わった後、本当の感動が心に残りました。R・シュトラウスは何て素晴らしい音楽を遺してくれたんでしょう。第2次世界大戦の激しい戦闘中に作られた音楽とは思えません。

今回の公演は第1幕、きらびやかな衣装と舞台装置で華々しく幕を開けます。ウィーン・フィルの演奏もウィーン国立歌劇場合唱団の合唱もそれにふさわしく、実に華々しく演奏されます。この派手とも思える劇的な展開は第2幕まで続きます。そして、第3幕後半に至り、それまでの展開の裏返しのように貧しさの中の愛と平安の物語に移り変わります。この対比が素晴らしいんです。見る者はこの物欲からの脱却に美を感じるでしょう。R・シュトラウスの芸術の力です。そして、今回の公演に参加した人々すべての熱意の結晶がこの素晴らしい演奏・舞台につながったのだと思います。
これまで、このオペラはあまりヴィデオ化されてきませんでしたが、今日はオーストリア放送協会が多くのカメラで録画していたので、きっとヴィデオ化されるでしょう。この素晴らしいオペラが正当に評価されるきっかけになることは間違いありません。また、今後、この公演をもとにウィーン国立歌劇場でも上演されることを望みたいと思います。

キャストは以下です。

  指揮:フランツ・ヴェルザー・メスト
  演出:アルヴィス・ヘルマニス

  ダナエ:クラッシミラ・ストヤノヴァ
  ユピテル:トマス・コニエチュニー
  ミダス(クリゾフェル):ゲルハルト・ジーゲル
  メルクール:ノルベルト・エルンスト
  ポリュックス:ヴォルフガング・アプリンガー=シュペルハッケ
  クサンテ:レジネ・ハングラー
  セメレ:マリア・チェレン
  オイローパ:オルガ・ベツメルトナ
  アルクメーネ:ミカエラ・ゼーリンガー
  レダ:ジェニファー・ジョンストン
  
  合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
  管弦楽:ウィーン・フィル

ところで先日、ひょんなこと(モーツァルテウムでの魔笛の作曲小屋探し)で日本人テノールのKさんと知り合いました。彼はウィーン国立歌劇場合唱団の一員として、今回の舞台の中央に立って、活躍していました。同胞として、嬉しかったです。今後の活躍をお祈りします。昨日の《マノン・レスコー》の合唱にも参加されていたようです。



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久しぶりのネトレプコは?《マノン・レスコー》@ザルツブルク音楽祭(祝祭大劇場) 2016.8.4

久々に聴くスーパースターのネトレプコですが、正直、こんな出来では満足はできません。普通の歌手ならば、素晴らしかったと絶賛するところですが、ネトレプコはこんなレベルの歌手ではないでしょう。単に一流のソプラノという感じ。ですから、決して悪かったというわけではありません。それなりに楽しませてもらいました。ただ、これまでに聴いたときのようなスーパースターの輝き、そして、突き抜けるようなピュアーなソプラノの響きを感じられなかったんです。演目の選択の問題、周りの歌手との兼ね合い、色んな問題もあるのかもしれません。saraiが最後に聴いたのは2011年春のウィーン国立歌劇場での《アンナ・ボレーナ》。そうです。ガランチャと競うように歌った絶唱でした。狂乱の場の素晴らしさは今もって耳に残っています。あれから5年。新しい伴侶との舞台ですが、事実上、彼女の独り舞台のようなオペラ。こういう形でのオペラ出演は決してよくないように感じます。第1幕の平凡な出来から徐々に調子を上げて、第2幕では声の響きが素晴らしくなり、後半に期待も持たせるような感じでした。第2幕のアリア「このやわらかいレースに包まれても」がこの日の最高の歌でした。ですが、第3幕でまた調子を落とし、第4幕では絶唱に至りませんでした。今回は3回の公演があるので、ほかの日はもっとよいのかもしれませんね。今日は絶好調ではなかったのでしょう。もっとも今までネトレプコは決して期待を裏切る歌唱をしたことがないので、やや、心配ではあります。比較するのも変ですが、先日のトーマス・アデスの新作オペラ《皆殺しの天使》で歌った女声歌手たちの輝きのある歌唱のほうがよっぽど素晴らしかったというのがいつわざるところです。ネトレプコも新境地で他の歌手たちと切磋琢磨したほうがいいのじゃないかとさえ思ってしまいました。誤解のないように言いますが、saraiはネトレプコの大ファンなんです。だから、残念なんです。今日はコンサート形式なので、普通のオペラとは条件が異なりますが、歌と音楽という点では変わりがありませんから、そういう面での問題ではありません。この後、メトロポリタンオペラでは普通のオペラでこの作品をやるようですが、どうなるんでしょうね。

キャストは以下です。

  指揮:マルコ・アルミリアート

  マノン・レスコー:アンナ・ネトレプコ
  騎士デ・グリュー:ユシフ・エイヴァゾフ
  マノンの兄レスコー:アルマンド・ピニャ
  ジェロンテ・デ・ラヴォワール:カルロス・ショーソン
  エドモント:ベンジャミン・ベルンハイム
  
  合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
  管弦楽:ミュンヘン放送交響楽団

ところで第3幕の舞台はル・アーヴルの港。今回の旅で訪れたばかりの町なので何か懐かしい感じ。その第3幕の前で演奏された間奏曲はミュンヘン放送交響楽団の素晴らしい演奏でした。ドイツの放送局オケはどこも大変な実力を持っていますね。



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鉄壁のCT!ベジュン・メータ カンタータの夕べ@ザルツブルク音楽祭(モーツァルト劇場) 2016.8.3

ヨーロッパで音楽を聴く楽しみの一つはバロック音楽を聴けることとそれに関連してカウンター・テノール(CT)を聴けることです。今回のザルツブルグ音楽祭では人気と実力のCTの一人であるベジュン・メータの《カンタータの夕べ》と題されたコンサートを聴くことができました。saraiはもちろん、初聴きです。
フィリップ・ジャルスキーやフランコ・ファジョーリほどのスター性がないせいか、それほど評判にはなっていないようですが、その実力たるや、なかなかのものでした。まず、CTにありがちな不安定さがまったくないこと、それに高音から注低音までの声の均質性に優れていること、さらには強弱のコントロールがきっちりとできるために表現の幅が広いことなどが印象的でした。こういう資質はオペラで聴けば、その素晴らしさが感じられるだろうなあと思いました。前半のプログラムでは、アジリタが上滑り気味で物足りないと感じましたが、後半には調子を上げて、素晴らしいアジリタを聴かせてくれて大満足です。強い声のCTにもかかわらず、抒情性に優れているのもプラスポイントです。ただ、やっぱり、ジャルスキーやファジョーリのようなカリスマ性・スター性に欠けるのは残念ですね。ヘンデル、バッハは素晴らしい歌唱でしたし、ヨハン・クリストフ・バッハのラメントのような地味な曲でも哀調のある歌唱で聴かせてくれたのはよほどの実力ならではことでしょう。なお、彼は名前から分かるようにインド系のアメリカ人でズービン・メータの親戚だそうですね。若いのに頭を剃り上げているのは何故でしょうね。終演後、会場は大変な盛り上がりでスタンデョング・オベーションの嵐でした。saraiは十分に評価できるCTだと思いました。いずれ、オペラで聴きたいものですね。

プログラムは以下です。

  カウンター・テノール:ベジュン・メータBejun Mehta
  指揮:デイヴィッド・ベイツDavid Bates
  古楽アンサンブル:ラ・ヌオヴァ・ムジカLa Nuova Musica

  ヘンデル:カンタータ「汝らは露にぬれたばら」HWV 162 よりアリア
  ヘンデル:カンタータ「私の胸は騒ぐ」HWV 132c
  コレッリ:合奏協奏曲ヘ長調Op.6-9
  ヨハン・セバスチャン・バッハ:カンタータ「我は満ち足れリ」 BWV 82

    《休憩》

  ヨハン・クリストフ・バッハ:ラメント「ああ、私の頭が水で満ちていたなら」
  ヴィヴァルディ:カンタータ「涙と嘆き」 RV 676
  ヘンデル:5声のソナタ 変ロ長調 HWV 288
  メルヒオール・ホフマン:カンタータ「いざ、待ち望みたる時を告げよ」 BWV 53
  ヘンデル:歌劇(オラトリオ?)「ヘラクレスの選択」HWV 69 より ”Yet can I hear that dulcet lay“ (私はその甘美な歌を聴くことができようか:sarai訳)

そうそう、古楽アンサンブルのラ・ヌオヴァ・ムジカは2007年にイギリスで指揮者のデイヴィッド・ベイツ(彼は元々歌手)が立ち上げたグループだそうで、今日は登場しませんでしたが声楽も含んでいるそうです。いわば、BCJのような存在のようですが、saraiの耳では、まだまだの実力に聴こえました。もっともBCJなどと比べては酷かもしれませんけどね。色々とハプニングがあり、会場では受けていましたが、やはり、音楽の実力で受けないとね・・・。



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圧巻のベートーヴェン!!ルドルフ・ブッフビンダー・ピアノ・リサイタル@ザルツブルク音楽祭(祝祭大劇場) 2016.8.2

ウィーンを代表するピアニストと言っても過言でないルドルフ・ブッフビンダーのピアノ・リサイタルを聴きます。祝祭大劇場が満員になったのはびっくり。彼の人気の度合いが分かりますね。実はこれまで機会がなく、saraiはブッフビンダーのピアノを生で聴くのはこれが初めてなんです。うつむき加減で元気なく舞台に現れたブッフビンダーはピアノの前に座るとシャキッとします。最初のハイドンのピアノ・ソナタを弾き始めますが、驚くほど色彩感豊かな響きです。もちろん美しい響きです。これがハイドンかと言う感じの豊かな響きですが、決してもたれるような音楽の流れではありません。残念ながらハイドンのピアノ・ソナタはほとんど聴き込んでいないので、詳細な部分までは聴きとることができませんがとても美しい演奏でした。2曲目のシューマンの謝肉祭は男性的というか、スケール感のある演奏です。そもそもシューマンのピアノ曲は大好きなので、とても楽しんで聴けます。シューマンらしい気分がくるくると変わっていくような曲想をダイナミックに演奏していきます。繊細で美しい部分と激しく大胆な部分のコントラストがくっきりとした演奏で特に強いタッチの演奏が目立ちます。最初と最後の祝典的なパートの演奏が見事です。パーフェクトな演奏という感じではありませんが、シューマンを満喫させてくれる演奏でした。シューマン好きとしては満足の演奏です。ロマンチストたるシューマンの爽やかさを楽しみました。

後半のベートーヴェンになると、ブッフビンダーの演奏がガラッと変わります。やはり、この人はベートーヴェン弾きなんですね。特にピアノ・ソナタ第10番はパーフェクトとも思える見事な演奏です。実に流麗で磨き抜かれた響き。この曲はこんな響きだったのかと再認識させられました。ピアノ・ソナタ第23番《熱情(アパッショナータ)》もピアノ・ソナタ第10番ほどでないにしても素晴らしい演奏です。ダイナミックというよりも繊細さが勝った演奏です。これがウィーン風なんでしょうか。ほどほどの熱さですが、とても美しい演奏です。引き込まれるように集中して聴いてしまいました。ブッフビンダーのベートーヴェンには脱帽です。こういう演奏が生で聴けるのは嬉しい限り。ベートーヴェンの偉大さも今更ながら感じさせられます。

アンコールがあるようです。曲目を紹介しますが、声が聴きとれません。演奏が始まった途端、あっと驚きます。ベートーヴェンの名曲中の名曲、《テンペスト》の第3楽章です。まさか、アンコールでこういう曲を取り上げるとは思ってもみない嬉しい驚き。《アパッショナータ》以上の素晴らしく充実した演奏でした。感激です。こんなものを弾いてくれたのでアンコールはもうお終いと思っていたら、もう1曲、弾くようです。今度もシューベルトという声が聴けただけ。弾き始めると、即興曲です。流麗な美しい響きの素晴らしい演奏。見事です。ここで満場、スタンディング・オベーション。すると、舞台を去るフェイントをかけて、また、ピアノに戻り、3曲目のアンコール。バッハです。耳馴染みのある曲ですが、曲名は思い当たりませんでした。心を落ち着かせてくれる演奏です。再び、満場、スタンディング・オベーションで名演奏を称えます。素晴らしいピアノ演奏でした。

プログラムは以下です。

  ハイドン:ピアノ・ソナタ第62番 変ホ長調 Hob.XVI:52
  シューマン:謝肉祭 Op.9

    《休憩》

  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 Op.14-2
  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 Op.57《熱情(アパッショナータ)》

    《アンコール》

  ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2《テンペスト》 より 第3楽章 アレグレット
  シューベルト:即興曲 Op.90,D.899 第2番 変ホ長調
  バッハ:??



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アデスの新作オペラ《皆殺しの天使》@ザルツブルク音楽祭(モーツァルト劇場) 2016.8.1

トーマス・アデスの新作オペラ《皆殺しの天使》The Exterminating Angelの公演をモーツァルト劇場で聴きます。本来は昨年のザルツブルク音楽祭で世界初演される筈でしたが、今年にずれこんだお蔭で聴くことができます。トーマス・アデスのオペラと言えば、昨年、ウィーン国立歌劇場で《テンペスト》を聴いて、大変、感銘を受けました。この新作オペラ《皆殺しの天使》はルイス・ブニュエル監督のメキシコ映画の《皆殺しの天使》El Angel Exterminadorが原作です。この原作の映画は原題が《プロビデンシア(神意、摂理)通りの遭難者たち》でしたが、最終的に《皆殺しの天使》に変更されました。監督のルイス・ブニュエルは脚本家のイス・アリコリサと組んで、この不可解なストーリーを組み上げたそうです。1962年制作の白黒映画です。映画には奇妙な繰り返し(まったく同じシーンが繰り返されます)があって、最初はDVDの再生が故障したのかと思いました。一体、この理解不能とも思える不条理なストーリーをどうオペラ化するのか、興味は尽きないところです。

まず、あらすじはオペラ《ランメルムーアのルチア》を見た紳士・淑女が14名、ブルジョアの邸宅でのアフターオペラの晩餐会に招待されて集まるところから始まります。ところが晩餐会が終わっても誰一人帰ろうとしません。これは不条理ものの典型ですね。結局、彼らは邸宅から出られなくなり、水も食料も尽きます。最後は迷い込んできた羊を殺して、料理して飢えをしのぎます。最終的には大パニックに陥り、殺し合いが始まろうとしますが、ワルキューレというあだ名の外国人の若い女性(オペラ《ルチア》のプリマドンナ)の導きで難局を脱します。

このワルキューレ役を歌うのがオードリー・ルーナ。彼女はオペラ《テンペスト》でも彼女にしか出せない金切り声を上げていましたが、今回も超高音の歌唱。よくあんな声が安定して出せますね。フォン・オッターは末期がんで苦しむ患者レオノーラ役です。幻覚に襲われるシーンでの彼女の素晴らしい歌唱は特筆すべきものでした。ブルジョア邸宅の女主人ルシア役はソプラノのアマンダ・エシャラズ。とてつもない声の響きをホール中に轟かせていました。シルヴィア役のソプラノのサリー・マシューズもまた超高音の美しい声が素晴らしく、よく、こんな人をキャスティングしたものだと感心しきりです。ブランカ役のクリスティーネ・ライスはピアニストを演じつつ、なんとまあ素晴らしく表現力のある見事な歌唱を聴かせてくれました。とここまで書いてきたところでお気づきでしょうが、女声歌手の実に充実していたことは驚異的ですし、彼女らに高音の歌を作曲したトーマス・アデスは余程の女声好きと思えます。しかし、こういうキャスティングをしないといけないとなると、公演できるオペラハウスは限られるかもしれません。現在のところ、来年、英国ロイヤル・オペラ、メトロポリタン歌劇場での公演が決まっているそうですが、少なくともルーナ、フォン・オッター、サリー・マシューズの出演は欠かせないのではないかと思えます。
男声陣ですが、閉じ込められたグループを何とか助けようとする医師の役はジョン・トムリンソン。さすがにボリューム感のある見事な歌唱でした。イェスティン・デイヴィスはちょい悪のシルヴィアの弟フランシスコ役ですが、誠実派の彼が役にはまり込んで見事に歌い切っていました。ブルジョアのホストのノビレ役がチャールズ・ワークマン。いかにもブルジョワ的で、ちょっと突けばひ弱な人間を役になり切って歌っていました。
このほか、トーマス・アレンもロック役で登場。実力派の活躍するオペラでした。ともかく閉じ込められた15人の人間がすべて重要な役どころなので大変なオペラですね。

ところで映画には奇妙な繰り返しがあることは書きましたが、オペラでも冒頭のブルジョワ邸に客が到着するシーンでしっかりと奇妙な繰り返しが演じられました。見事な演出でした。それと舞台に羊は登場するのかなと思っていたら、開演前に3匹の生きた羊が登場。さかんに排出物を出して、お世話係はその掃除に大変そうでした。さすがに幕が開くとすぐに羊たちは退場。迷い込んできた羊を殺して食べるシーンは映像のみでした。
基本的なシナリオは映画と同じですが、最終シーンが映画とは異なり、不条理な閉じ込めから脱出して、神に感謝というところで幕です。映画は神に感謝する教会でまた、閉じ込められてしまい、その後はどうなるか分からないという永遠の不条理で終わります。

トーマス・アデスの音楽ですが、前作の《テンペスト》と同様にノントナールの音楽を軸にしていますが、やはり、耳馴染みのよい響きが多く、聴衆にも受け入れやすそうな雰囲気の音楽です。今回は不条理ものなので、前作ほどの抒情性は引っ込んでいますが、ところどころに抒情的なメロディーが顔を出すのも彼のよさですね。なお、映画はスペイン語でしたが、オペラは英語のテキストでした。前作の《テンペスト》と同様に今後も上演が続きそうな作品です。
saraiが特に気に入ったシーンはやはり、フォン・オッターが幻覚に襲われて歌うシーンと終幕の荘厳なレクイエム(ルクス・エテルナ)です。これはもう一度聴きたいな。

キャストは以下です。

  指揮:トーマス・アデスThomas Adès
  演出:トム・ケアンズTom Cairns

  ルシア:アマンダ・エシャラズAmanda Echalaz
  レチチア:オードリー・ルーナAudrey Luna
  レオノーラ:アンネ・ゾフィー・フォン・オッターAnne Sofie von Otter
  シルヴィア:サリー・マシューズSally Matthews
  ブランカ:クリスティーネ・ライスChristine Rice
  ベアトリッツ:ソフィー・ベヴァンSophie Bevan
  ノビレ:チャールズ・ワークマンCharles Workman
  ラウル:フレデリック・アントゥーンFrédéric Antoun
  コロネル:デヴィッド・アダム・ムーアDavid Adam Moore
  フランシスコ:イェスティン・デイヴィスIestyn Davies
  エドゥアルド:エド・リヨンEd Lyon
  ルッセル:エリック・ハーフヴァーソンEric Halfvarson
  ロック:トーマス・アレンThomas Allen
  医者:ジョン・トムリンソンJohn Tomlinson
  ジュリオ:モーガン・ムーディMorgan Moody

  合唱:ザルツブルク・バッハ合唱団Salzburger Bachchor
  管弦楽:ウィーン放送交響楽団ORF Radio-Symphonieorchester Wien




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イザベル・ファウスト・ヴァイオリン・リサイタル:バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲@ザルツブルク音楽祭(コレギエン教会) 2016.7.31

夜の8時半に始まり、深夜12時までのコンサート。たった一人で演奏したイザベル・ファウストの体力も凄いですが、聴く側のsaraiもへとへとになりました。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲を生で聴くのは初めてですが、これは大変なものです。会場はコレギエン教会。祝祭大劇場、モーツァルト劇場の目の前ですが、入口は反対側の大学広場です。モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》を見終わって、1時間半少しの時間があったので急いで夕食をいただき、8時過ぎに会場へ。教会内にはいると、バロック様式の美しい空間が広がっています。ちょうど真ん中がクロッシングになっていて、そこに仮設の高い舞台が作られています。客席はクロッシングから4方に設置されています。4方向から聴く形式です。心配なのは残響が長すぎて、ヴァイオリンの響きがクリアーに聴き取れないことです。配偶者にそれを言うと、演奏者はプロなのだから、大丈夫よと一笑に付されてしまいます。それもそうでしょう。saraiの席は前から3列目。もっとも4方向に席がありますから、3列目は4つあります。スタッフに場所を訊いて、席に着きます。譜面台の置き方から、こちらが正面で演奏するようです。

イザベル・ファウストが出てきます。意外に気の張らないさりげない衣装です。実は演奏もそうだったんです。お人柄そのものなんでしょう。にこやかに笑みを浮かべて、挨拶。さあ、聴きましょう。おっ、意外に小さな音量で繊細な響きです。響きは実にクリアー。教会なのに残響が感じられません。演奏はごく自然なスタイルでまったく力みが感じられません。ノン・ヴィブラートなのは予習した彼女のCDの通りですが、CDと違って、ゆったりとした演奏です。特にソナタはしみじみと真摯に素晴らしい音楽です。どうやらパルティータとは雰囲気を変えて演奏しているようです。なるほどね。弓を弦にあまり強く押し付けないで軽く弾いているような感じがします。それでもストラディヴァリウスはよく響きます。前半3曲を聴き終えたところで、イザベル・ファウストがCD録音時よりも熟成した音楽を聴かせてくれるようになった感じを抱きます。今日は録音も録画もしているようですから、ライブのCD、あるいはテレビ放送があるのかもしれません。CDでこの演奏をじっくりと聴けば、また、その素晴らしさがさらに味わえそうな感じです。

長い休憩後、残りの3曲の演奏が始まります。今度は反対側を向いての演奏なので、背中しか見えません。イザベル・ファウストのヴァイオリンの響きは実に安定していて、一貫性のある表現を保ち続けます。前半と違って、今度は響きが直接的に聴こえてくるのではなく、少し教会の建物の残響を伴って聴こえてきます。クリアーではあり、前半よりも響きという点ではこちらのほうが好ましく感じます。前半はソナタ、パルティータ、ソナタの順でしたが、今度はパルティータ、ソナタ、パルティータの順です。前半と同様にソナタが素晴らしかったのですが、パルティータ2曲も素晴らしい演奏。最後に置かれたシャコンヌで終わるパルティータ第2番は素晴らしい演奏でCDで聴いたちょっと違和感のある演奏を脱却したものです。長大なシャコンヌで見事な演奏の締め。saraiの体力切れで終始、集中できなかったのが残念ではありました。でも、美しい演奏に耳を傾けていると、つい、ふらっとくるのは素晴らしい演奏の証拠かなと強がったりします。よいものを聴かせてもらいました。教会の外に出ると軽く雨が降っています。眠い目をこすりながら、ホテルへ歩きます。今日はモーツァルト、バッハの充実した音楽を楽しめました。

プログラムは以下です。

  バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲

   ソナタ第1番ト短調 BWV1001
   パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
   ソナタ第2番イ短調 BWV1003

    《休憩》

   パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
   ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
   パルティータ第2番ニ短調 BWV1004


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       ファウスト,  

最高のモーツァルト!!《コジ・ファン・トゥッテ》@ザルツブルク音楽祭(フェルゼンライトシューレ) 2016.7.31

いやあ、こんな凄い公演が聴けるなんて、さすがにザルツブルク音楽祭ですね。もう満足を通り越して、唖然としてしましました。実は今回のザルツブルク音楽祭でsaraiが購入したチケットで最高額の公演なんです。会場は祝祭大劇場でなく、フェルゼンライトシューレだし、オーケストラはウィーン・フィルでなく、モーツァルテウムだし、指揮者も若手のダントーネだし、歌手も超一流ではないし・・・何故こんなにチケットが高いのって思いで公演に臨みます。そんなに期待していたわけではなく、ザルツブルク音楽祭でモーツァルトのオペラをひとつくらい聴いておかないといけないなっていう軽いノリでした。
会場はモーツァルト劇場と共通の入口です。入るとフェルゼンライトシューレの大きなロビーというか大広間が見えます。その広間の中ほどにホールへの入口があります。このホールは映画《サウンド・オブ・ミュージック》でコンクールのあった会場です。エーデルワイスの大合唱を聴いて感動した青春の日を思い出します。フェルゼンライトシューレは直訳すると岩窟乗馬学校で、乗馬学校の裏の岩山を利用した劇場です。映画ではまさにそういうイメージでしたが、今や、相当に改修されたようで、屋根はついているし(ステージ上方は開閉式)、座席は立派です。痕跡があるのは舞台後方の岩山をくりぬいた大きな3段の回廊と側面に露出している岩肌くらいなものです。このホールに入ると、まだ開演前なのに既に舞台上に役者が10人ほど上がって演技?中です。この舞台は見たことのないような広大なもので幕は下せないようです。野外オペラの一種なんですね。ですから、舞台は丸見えなので何か演技らしきものをしているのでしょう。演出家ベヒトルフの細かい気遣いが感じられます。saraiの席は前から2列目。1列目とも段差があるので、凄く見やすいです。オーケストラピットと最前列の間にはちょっと広めの通路があります。そして、ピットの前には舞台からの狭い通楼が巡らせてあります。オーケストラの前に出て、観客席の前でも歌うようです。まるでコンサート形式みたいです。てなことを観察したり、プログラム(高い! 9.5ユーロもする)を読んだりしているうちに開演です。
普通はここで序曲ですが、先に狂言回しのドン・アルフォンソが登場して、ちょっと何か歌って、さあ、序曲。おっ、なかなか素晴らしい響き・・・ザルツブルク・モーツアルテウムもなかなかやりますね。それにホールの響きもとてもよろしい。もちろん、ピリオド奏法ですが、オーケストラ自体はモダーンオーケストラですから、普通に聴こえます。途中からテンポが速まるところから、ぐっとオペラへの期待に気持ちが引き込まれていきます。序曲が流れるなか、舞台には登場人物は総登場。何故かフィオルディリージ、ドラベッラ、デスピーナの3人は正体不明の男たちに襲われて、眠り薬をかがされて、昏倒します。
このあとの展開は意外に素直な演出。衣装も普通です。もっと現代的な訳の分からない演出を覚悟していたので、ある意味、満足です。あらすじはここでは語りません。まずは若手の指揮者ダントーネの見事な音楽作りとザルツブルク・モーツアルテウムの健闘を称えたいところです。これだったら巨匠率いるウィーン・フィルと変わりませんね。そして、何と言っても、このホール(舞台がとても広い)の特性を生かした面白い演出が最高に素晴らしいです。使えるところはどこでも使うって感じですね。広い舞台のあちこち、オーケストラの前の通楼、奥の岩屋の回廊、観客席最前列の前の通路、どこでもありです。非常に立体的な演出です。音楽的にもよく考えられていて、ここぞという歌唱はオーケストラ前で歌われます。saraiの目の前ですから、とても迫力があります。音楽が分かり、モーツァルトがわかった演出家のなせる業です。さすがに演出家ベヒトルフの面目躍如ですね。
そして、フィオルディリージ役のユリア・クライターの美貌とその美しく澄み切った声の響きに魅了されました。昨年、ベルギーのゲントで聴いたフィガロの伯爵夫人も素晴らしい歌唱でしたが、今や、最高のモーツァルト歌いという感じです。独唱のアリアもよし、ドラベッラとの2重唱の美しさも最高です。また、ドン・アルフォンソを歌ったミヒャエル・ヴォッレの演技と歌、とても貫禄があり、知恵と悪を感じさせるものです。フェルナンドを歌ったマウロ・ペーターの伸びやかなテノールの響きも好感の持てるものでした。まあ、saraiはフィオルディリージとドラベッラが若くて美しく、それに美しい肢体なのが目の保養にもなりました。
ともかく6人の主要キャストが歌も演技も最高に素晴らしく、ザルツブルグのモーツァルトはさすがに格別でした。
ところで終幕は普通はわだかまりはあってもまるく収まりましたというのが通例ですが、お遊びで始めた恋愛ごっこでフィオルディリージとフェルランドは結構本気モードになり、それにやきもちを焼くグリエルモという構図で最後はまるく収まらないというのが今回の演出。saraiは納得の演出です。どうしてかっていうと、やはり、ソプラノとテノールが結ばれるのがオペラの定番ですから、なるべくそれに近い線がよろしいようで・・・。

キャストは以下です。

  指揮:オッタヴィオ・ダントーネOttavio Dantone
  演出:スヴェン・エリック・ベヒトルフSven-Eric Bechtolf

  フィオルディリージ:ユリア・クライターJulia Kleiter
  ドラベッラ:アンジェラ・ブロワーAngela Brower
  デスピーナ:マルティナ・ヤンコヴァMartina Janková
  フェルランド:マウロ・ペーターMauro Peter
  グリエルモ:アレッシオ・アルドゥイーニAlessio Arduini
  ドン・アルフォンソ:ミヒャエル・ヴォッレMichael Volle
  合唱(演技?):ウィーン・フィルハーモニー・アンゲリカ・プロコップ・サマーアカデミーのメンバー
  合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団・コンサートユニオン(Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor)
  管弦楽:ザルツブルク・モーツアルテウム・オーケストラ

モーツァルトの生誕の地で始まったザルツブルク音楽祭で聴くモーツァルトのオペラは一味も二味も異なるものでした。


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ウィーン・フィルの美しきマーラー10番@ザルツブルク音楽祭(祝祭大劇場) 2016.7.30

いよいよ、ザルツブルク音楽祭を聴き始めました。まずはウィーン・フィルの演奏会。指揮はダニエル・ハーディング。目玉は前半に演奏されたペーテル・エトヴェシュの《ハレルヤ》の世界初演でしょう。エトヴェシュは1944年生まれのハンガリーの作曲家です。《ハレルヤ》は同じハンガリーのペーター・エステルハーツィのテキスト(ハンガリー語)に基づくオラトリオでザルツブルク音楽祭により委嘱された作品です。現代の諸相を語り手、独唱(メゾ・ソプラノ、テノール)、合唱、管弦楽で表現した4楽章の大規模な作品です。基本は声楽と語り手によるペーター・エステルハーツィのテキスト(ドイツ語翻訳)を歌い、語ることにあります。管弦楽はノントナールな表現で声楽と語り手を伴奏音楽的に支えるという役割です。これって、まさに映画音楽的ですね。内容は、我々が何者で、どこから来て、何を欲しているのかということを軽妙、かつ深刻という微妙なバランスで表現しています。中心的な素材は2001年の9.11の事件や1914年のサラエボ事件が扱われています。音楽的にも微妙なバランスを保っており、前衛的かつ古典的でもあります。ロベルト・シューマンのピアノ曲集《森の情景》の第7曲《予言の鳥》をメイン・モチーフに、もちろん題名にもある《ハレルヤ・コーラス》を散りばめて、比較的、とっつきやすい感じの楽曲に仕上がっています。独唱者の二人は見事な歌唱。特にメゾ・ソプラノのイリス・フェルミリオンの安定した表現力豊かな歌唱が印象的でした。また、ハンガリーの合唱団も自国の作曲家の作品だけに歌い込んだ完璧な響きを聴かせてくれました。ウィーン・フィルはまあこんなものでしょう。実力通りの合奏力を聴かせてくれました。感銘度がさほどでなかったのは、熱い音楽ではなかったことが主要因のような気がします。元からそんなものを目指していない音楽です。聴き手としても現代のこういう冷めた作品をどういう感性で受け止めるかを問われてしまいます。saraiにはまだそんな力はありません。

休憩後の2曲は最初の曲と同様にウィーン・フィルが初演した曲です。ブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》は1873年にブラームス自身の指揮によりウィーン楽友協会で初演されました。ブラームスはその前年に楽友協会の音楽監督になっていました。この作品はブラームスの作品にしては食い足りない感じですが、まだ、交響曲第1番を作曲する以前の初期の管弦楽曲なので致し方ないかもしれません。ウィーン・フィルの特に管楽器の柔らかい響きには魅了されました。

この日、一番の聴きものだったのはマーラーの交響曲第10番の第1楽章《アダージョ》です。期待していましたが、期待通りの素晴らしい演奏にもううっとりして聴き入ってしまいました。マーラーを愛し、ウィーン・フィルを愛するものにとっては堪らない演奏です。それに指揮のハーディングはこの曲でウィーン・フィルへのデビューを果たしたという歴史もありますし、ハーディングのマーラー演奏の軸になるのがこの第10番でお得意の曲でもあります。ハーディングの美質はユダヤ的な粘りがなく、清廉に美しくマーラーを演奏するというところです。それがウィーン・フィルにもマッチして、とりわけ美しいマーラーになります。残念ながら熱い共感を持ったという感じにはなりませんが、こういうマーラーもウェルカムです。惜しむらくはアダージョのみだったことです。全曲聴きたかったところです。アダージョ自体もクック版だったので、そのまま、第2楽章以降に進んでいってもらいたかったところです。でも、十分満足しましたけどね。

プログラムは以下です。

  指揮:ダニエル・ハーディング
  メゾ・ソプラノ:イリス・フェルミリオン
  テノール:トピ・レティプー
  語り手:ペーター・シモニシェク
  管弦楽:ウィーン・フィル
  合唱:ハンガリー放送合唱団

  ペーテル・エトヴェシュ:Oratorium balbulum. 《ハレルヤ》(世界初演)

   《休憩》

  ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
  マーラー:交響曲第10番より《アダージョ》(クック版)

明日からはいよいよオペラを聴きます。怒涛の音楽週間に突入です。


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プッチーニの遺した“愛”:オペラ《トゥーランドット》@ブレゲンツ音楽祭 2016.7.26

今年は夏のザルツブルク音楽祭を初めて聴くことにしたので、その前哨戦というわけではありませんが、成行き上、ブレゲンツ音楽祭も初めて聴くことになりました。フランス、スイスと周って、ブレゲンツに到着したのはオペラ上演の夜、公演の1時間前という慌ただしさ。ブレゲンツ駅前のメルキュールホテルにチェックインして、音楽祭会場に向かいます。と言っても、ボーデン湖畔の会場はすぐお隣で徒歩1分という便利さです。夕食がまだだったので、会場内の特設レストランで急いで美味しくいただき、会場の席に向かおうとすると、開演15分前なのに入口はクローズされています。既に中に入場した人も外で待っている人もいます。

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どうやら風が強いために公演を実施するかどうか検討中のようです。野外オペラでは天候に左右されます。待つしかありません。結局、30分ほど待って開演が決定。ほっとします。待っている人たちからも大きな拍手が巻き起こります。

席は右手の前から6列目。思ったよりも見やすい位置です。音はどうせスピーカーでの音なのでどの席でも聴きやすさは変わりありません。ステージはボーデン湖の湖上に突き出したところに北京の紫禁城の城壁を模した派手なセットが作り上げてあります。このあたりの感じはメルビッシュ湖上音楽祭と似ていますね。

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オペラはやっぱりいいですね。それもプッチーニとくればなおさらです。お祭りのようなオペラではありますが、オーケストラはウィーン交響楽団だし、しっかりとプッチーニの味を出しています。抒情的なプッチーニの音楽が流れてくると、自然とsaraiの心はオペラモードにスイッチが入ります。なんとも心の襞を優しく撫でてくれるような音楽に胸がジーンと熱くなってしまいます。プッチーニのオペラでは断然、《ラ・ボエーム》が好きですが、この《トゥーランドット》はプッチーニの未完の最終作品。聴けば聴くほどプッチーニのすべてが詰まっているような作品です。実演で聴くのは実に15年ぶり、2度目です。舞台演出はとても派手で踊りあり、火を使った場面あり、飽きさせることはありません。湖面を船が進むシーンなど盛りだくさんです。といってもsaraiにとっては音楽がすべて。別室で演奏しているオーケストラと合唱の音がスピーカー越しに聴こえてくる違和感はぬぐえませんがその迫力と精度はなかなかのものです。舞台上の歌手とどうやって連携しているのかは不思議ですが、ぴったりと合ってはいます。王子カラフを歌ったテノールの歌唱が光りました。《誰も寝てはならぬ》は聴き映えがしました。リューもよかったのですが、saraiの好みではもっとピュアーな声だったらなという感じです。素晴らしいアリアが2曲もあるのでちょっぴり残念。トゥーランドットはなかなか聴かせてくれました。表現力はよかったです。惜しむらくは力強さに欠けるというところ。最後の一声、《それは愛》、最近はやりのアムールですが、これはよかったです。フィナーレは補作部分ですが、合唱の《誰も寝てはならぬ》には感銘を受けます。プッチーニ自身のピアノスケッチではピアノで終わるそうですが、この補作のような感動のフィナーレでもよかったでしょう。

ということでとても満足したオペラでした。それになんとも気楽に聴けるのも音楽祭のよいところですね。

プログラムとキャストは以下です。

  指揮:Paolo Carignani
  演出:Marco Arturo Marelli
  管弦楽:ウィーン交響楽団
  合唱:Bregenz Festival Chorus/Prague Philharmonic Choir/Children's choir of Musikmittelschule Bregenz-Stadt

  トゥーランドット姫
   Erika Sunnegårdh
中国の皇帝アルトゥーム
   Christophe Mortagne
ティムール
   Mika Kares
身分を隠している名前の知れない王子(実はカラフ)
   Riccardo Massi
リュー、若い娘
   Marjukka Tepponen
ピン、皇帝に仕える大蔵大臣
   Matija Meic
パン、内大臣
   Taylan Reinhard
ポン、総料理長
   Cosmin Ifrim
役人
   Yasushi Hirano



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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