2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/15回目
ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの珠玉の作品群を見ています。
次はいよいよ楽しみにしていたベルギーの象徴主義の旗手フェルナン・クノップフの作品群を見ていきます。
フェルナン・クノップフの《シューマンを聴きながら》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。クノップフ初期の代表作です。母親をモデルにして、クノップフが熱狂的に傾倒していたロベルト・シューマンの音楽に耳を傾けている様子を描いたものです。この作品は前回紹介したジェームズ・アンソールの《ロシアの音楽》との類似性が論議の的になり、アンソール自身が非難の先頭に立ったそうで、以後、クノップフとアンソールの間の亀裂は埋まることがなかったそうです。saraiの意見では両作は同様のテーマであるものの、クノップフの作品はこめかみを押さえる画面中央の女性の内面に踏み込んだ表現になっており、シューマンのロマンあふれるピアノ音楽が底流に流れている見事な作品に仕上がっており、アンソールの作品とは本質的に異なる作品であると言えます。それにしても、ピアノで弾いているシューマンの作品は何でしょう。シューマンのピアノ曲を愛するsaraiはとても気になります。saraiなりに推理してみると、本当は声楽曲《女の愛と生涯》とか《ミルテの花》がふさわしいと思いますが、ピアノを弾いているのでやはり、素直にピアノ独奏曲だと考えるべきでしょう。するとやはり《幻想曲》以外にはありえないような気がしてきます。うん、きっとそうでしょう。《幻想曲》が聴いてみたくなります。定番のリヒテル・・・アラウかシフもいいな。ホロヴィッツというのもありますね。

フェルナン・クノップフの《ヴァン・デル・ヘクト嬢の肖像》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。何故か、クノップフは肖像画も多く描いています。その中の代表作の1枚です。

フェルナン・クノップフの《聖アントワーヌの誘惑、ギュスターヴ・フロベールにもとづく(シバの女王)》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。ギュスターヴ・フロベールは《ボヴァリー夫人》で有名なフランスの小説家ですが、彼が《聖アントワーヌの誘惑》という文学作品を1874年に出版しています(日本語訳も出ているようです)。ウィキペディアによると以下のような文学作品です・・・紀元3世紀の聖者アントワーヌ(アントニウス)が、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品で、対話劇のかたちをとった散文詩のような形式で書かれている。
クノップフはギュスターヴ・フロベールの《聖アントワーヌの誘惑》から着想を得て、いかにも象徴派らしい幻想的な作品を描き出しています。描かれた場面は聖アントワーヌがシバの女王の幻覚と対峙しているところなのでしょう。フランス象徴派のギュスターヴ・モローの《出現》を思い出させる作品ですね。《出現》はほぼ8年ほど前に描かれていますから、きっとクノップフはそれに影響されたものと思われます。ちなみにフロベールの《聖アントワーヌの誘惑》はジェノヴァのバルビ宮殿でピーテル・ブリューゲルの描いた『聖アントニウスの誘惑』を見て着想を得て書かれたそうですから、芸術はインスピレーションの連鎖によるものも少なからずあるようです。

フェルナン・クノップフの《マルグリット・クノップフの肖像》です。1887年頃、クノップフ29歳頃の作品です。クノップフの絵画と妹マルグリット・クノップフは切っても切り離されません。彼女を描いた作品がクノップフの最高の絵画だとsaraiは信じています。何故、愛する恋人ではなく、愛する妹にそんなに執着したのかは分かりませんが、クノップフにとって妹マルグリットは最高のモデルでした。ロセッティにエリザベス・シダルとジェーン・バーデンが欠かせなかったのと同じです。この肖像画もただ、そのまま妹の姿を描いたようにも思えますが、やはり、作品からはただならぬオーラが漂ってきます。

フェルナン・クノップフの《記憶》です。1889年頃、クノップフ31歳頃の作品です。まず、ガラスの映り込みで右側がほとんど見えない状態であることをお詫びします。右側には2人の人物が描かれていますが見えませんね。左側の5人だけをご覧ください。いずれもモデルは妹のマルグリット・クノップフで同一人物が同じ画面上に7人も描かれているという珍しい構成の作品です。まあ、それほどにも妹マルグリットへの強くて異常な愛着があったということでしょう。作品の別名に「ローン・テニス」という名前のあるように画面上のマルグリットたちはラケットを手にしています。優雅にも幻想的にも見える不思議な作品です。

フェルナン・クノップフの《若い英国女性の顔》です。1891年頃、クノップフ33歳頃の作品です。彫像は珍しいですね。

フェルナン・クノップフの《妖精の女王、ブリトマール》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。とても美しい作品です。

フェルナン・クノップフの《妖精の女王、アクラシア》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。これまた、とても美しい作品です。

フェルナン・クノップフの《妖精の女王》です。上の2枚の絵が一対になった作品です。もっともさらに《孤独》を加えた三幅対の作品がリエージュ美術館に展示されているようです。この作品はイギリスの詩人エドマンド・スペンサーが書いた寓意詩《妖精の女王》の登場人物、女騎士ブリトマートと裸体のアクラシアを描いた作品。いずれも6歳下の妹マグリットを思わせる顔が描かれています。この官能美はベルギー象徴派という枠を超えて、永遠の美を感じさせます。saraiはこの作品の前で立ちすくんでしまい、この作品から立ち去りがたく感じてしまいました。感動の一作です。

フェルナン・クノップフの《ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像》です。1893年頃、クノップフ35歳頃の作品です。とても可愛いですね。クノップフが描いたとは信じられません。

フェルナン・クノップフの《フォッセ、モミの木の林》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。クノップフが描いた風景画は珍しいですね。クリムトに通じるところを感じます。そんなに強い印象は抱きませんでしたが、クノップフを代表する1枚だそうです。

フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。これは油彩画です。クノップフお気に入りの素材を集めるとこうなるのだそうです。マルグリット、ギリシャ彫刻の頭部、翼。

フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。油彩画の《青い翼》を写真に撮って、色付けをした彩色写真です。凝ったものを作りましたね。

フェルナン・クノップフの《木の下》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。詳細は分かりませんが、中世の騎士を描いたのでしょうか。精密に描いた作品です。

フェルナン・クノップフの《スフィンクスの愛撫》です。1896年頃、クノップフ38歳頃の作品です。これは傑作ですね。素晴らしいとしか言えません。想像上の生き物スフィンクスが両性具有的な人物を愛撫する様を描いたシュールな作品です。もっともこの時代にはまだシュールレアリスムなんてありませんけどね。スフィンクスの胴体は実はネコ科のチータなんだそうです。邪悪な蛇を模しているんだそうです。スフィンクスも人物もモデルは明らかに妹のマルグリットです。妹はとっくに結婚していますがクノップフは彼女から離れられませんね。クノップフ自身が結婚するのはまだ10年以上も先の50歳を過ぎたころです。未亡人と結婚しますが、結婚生活は3年ほどで終わります。なんだか分かるような気がします。

顔の部分を拡大してみましょう。やはり、クノップフのモデルは妹マルグリット以外にはありえませんね。こんなに世紀末にふさわしい絵もありません。クノップフの最高傑作でしょう。

フェルナン・クノップフの《クノップフの家とスタジオ》です。1902年頃、クノップフ44歳頃の建築デザインです。このクノップフの家は取り壊されたので、現在は存在していません。この家が保存されて、クノップフ美術館になっていればよかったと思うのはsaraiだけではないでしょう。今からでも遅くないので、復元したらどうなんでしょう。

色んな角度から眺めてみましょう。



フェルナン・クノップフの《メリザンド》です。1907年頃、クノップフ49歳頃の作品です。ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲『ペレアスとメリザンド』の女主人公メリザンドを描いたものです。この頃、クノップフはブリュッセルのモネ劇場でオペラの衣装と舞台セットのデザインを手掛けていたので、これはドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』に基づいたものなのでしょう。なお、このオペラは1902年に初演されていますから、早々とブリュッセルでも上演されたようですね。

フェルナン・クノップフの《R・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」のクリテムネストラの衣装デザイン》です。1910年頃、クノップフ52歳頃のオペラの衣装デザインです。クリテムネストラは主人公エレクトラの妹ですね。クノップフのデザインした衣装と舞台セットの楽劇「エレクトラ」を見てみたいものです。

フェルナン・クノップフの《呪文》です。1888年~1912年頃の作品です。詳細は不明です。

フェルナン・クノップフの《ブラバント公、レオポルド王子の肖像》です。1912年頃、クノップフ54歳頃の作品です。このレオポルド王子が後のベルギー国王レオポルド3世のことだとすれば、11歳のときの肖像です。

以上がクノップフの素晴らしいコレクションです。肝心のポール・デルヴォーの作品は一部のスペースが改装中のため、見られませんでしたが、素晴らしいクノップフの作品を見られたことが今回の王立美術館訪問の最大の成果でした。
もう少し、この世紀末部門の展示作品が残っています。続けて見ていきます。
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テーマ : ヨーロッパ
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