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ブリュッセルで美術三昧:ブリュッセル公園から王宮へ

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/1回目

旅の17日目、ブリュッセル3日目です。

今日も暑いのでしょうか。ホテルの7階の窓からは全く分かりません。
ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueに11時の開館と同時の入館予約をネットで済ませてあります。10時半前にホテルの玄関を出ると、それほど暑くはありません。それに雲もあります。何とかしのげそうです。92/93番のトラムでベルギー王立美術館のあるロワイヤル広場Place Royaleに向かうことにします。ホテル前のトラム停留所に到着。トラムがやってくるほうを眺めると、ロワイヤル通りRue Royaleの突き当たったところにロワイヤル・サント・マリー教会Eglise Royale Sainte-Marieの美しい姿が見えます。

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これから向かう方向を眺めると、真正面にロワイヤル広場にある聖ヤコブ教会l’église Saint-Jacques-sur-Coudenbergが見えています。その後ろに見えている高層ビルはザ ホテル ブリュッセルThe Hotel Brusselsのようです。昔はヒルトン・ホテルだった27階建てのビルです。

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saraiが宿泊中のホテル・ブルームHotel BLOOM!の前にはトラムの停留所が2つあり、当初はボタニークBotaniqueを利用していましたが、昨日、詳細に検討した結果、ジヨンGillonのほうが近いという結論に達し、今日もこの停留所の前に立っています。

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が、なかなかトラムが来ません。やはり日曜日は本数が少ないですね。待っている人たちもうんざりしているようです。

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ようやく来たトラムに乗りますが、そろそろロワイヤル広場に到着するときになって、トラムがストップします。

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何事かと思ったら、市民マラソンです。皆さん、この暑い中をよく走りますね。

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トラムはランナーが道路を横断するのをちょっと待っただけで、すぐに進み始めます。道路はブリュッセル公園Parc de Bruxellesに沿っています。まだベルギー王立美術館の開館の11時には少し時間があるので、ロワイヤル広場の一つ前の王宮前Palaisの停留所で降りて、王宮Palais de Bruxellesの写真でも撮っていきましょう。

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ここまでのトラムのルートを地図で確認しておきましょう。

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停留前の歩道を市民ランナーが走っていきます。ブリュッセル公園内から道路を渡ってきた人たちですね。ご苦労様。

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おやおや、歩いているランナーもいますね。暑いので無理は禁物です。

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パレ広場Place des Palaisに出ると、王宮Palais de Bruxellesの大きな建物が目に入ってきます。

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ブリュッセル公園の入口があるので、公園の中を歩いて、王宮のほうに向かいましょう。公園の中は大きな樹木が濃い緑の景色を作っています。

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これが今、入ってきた公園のゲートです。立派な彫像が門柱を飾っています。

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公園とパレ広場の道路は鉄柵で仕切られています。鉄柵沿いに進んでいきます。

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鉄柵の先に次のゲートが見えてきます。そろそろ王宮の前あたりでしょう。このあたりで公園の外に出ることにします。

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公園にはライオンの石像が飾られています。その先には広々とした緑の空間が広がっています。

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広いブリュッセル公園Parc de Bruxellesでは、マラソンやいろんな運動をする人で賑わっています。市民の憩いの場ですね。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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公園を出て、王宮の建物を鑑賞します。



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ブリュッセルで美術三昧:王宮からロワイヤル広場へ、そして、王立美術館へ

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/2回目

ブリュッセル公園Parc de Bruxellesのゲートを出ると、王宮Palais de Bruxellesの真っ正面です。王宮は今はもう国王の住まいとしては使われていないらしいのですが、国王が国内にいるときは王宮に国旗が上がっているそうです。今日は国内にいらっしゃるようですね。

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王宮はとても大きな建物です。全体は見渡せません。左に視線を移すとこんな感じです。

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ちょっと左側のほうに移動して、王宮を眺めます。前庭はフランス式庭園になっています。

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これが王宮前のパレ広場Place des Palaisです。向かい側がブリュッセル公園になっています。パレ広場は自動車道路になっています。

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これが王宮のゲートです。さすがに威厳がありますね。

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いかにも王宮という感じの金を多用した柵です。

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少しずつ、ベルギー王立美術館のほうに移動しながら、王宮を色んな角度から眺めます。

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パレ広場の東のほうを眺めます。右が王宮、左がブリュッセル公園になります。正面に見えているのがアカデミー宮Palais des Académiesです。この新古典様式の建物は現在は学術機関に使用されています。

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そろそろベルギー王立美術館も開館でしょう。ロワイヤル通りRue Royaleに出ると、ツーリスト・インフォメーションがあります。寄っている暇はないのでパスします。

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ロワイヤル広場Place Royaleに出ると、聖ヤコブ教会l’église Saint-Jacques-sur-Coudenbergの建物が目に入ってきます。広場中央には第1次十字軍の指導者で、エルサレムの初代聖墓守護者となったゴドフロワ・ド・ブイヨンGodefroy de Bouillonの騎馬像が建っています。

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通りの反対側に渡って、そこからロワイヤル広場を眺めます。

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さらに聖ヤコブ教会の向かいから、ロワイヤル広場を眺めます。聖ヤコブ教会も含めて、ロワイヤル広場は新古典様式で造られています。

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聖ヤコブ教会のほぼ正面からロワイヤル広場を眺めます。

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最後に少し右側のほうからも眺めます。

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そのうちにマグリット美術館Musée Magritteの建物を通り過ぎ、ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの本館の建物の間の通りの前に来ます。右がマグリット美術館、左がベルギー王立美術館の本館になります。マグリット美術館はベルギー王立美術館の分館なので、別の建物にはなっていても実は地下通路でつながっています。

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本館の建物は古めかしい彫像で飾られています。

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ベルギー王立美術館は新古典様式の堂々たる建物です。

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何故か、日本語で《ベルギー王立美術館》と書かれています。

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美術館の入口前に行くと、ちょっと入館待ちの列が出来ています。開館5分ほど前です。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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いよいよ、ベルギーの美術の殿堂、ベルギー王立美術館の鑑賞が始まります。


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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、イタリア絵画~ヤン・ブリューゲル、ハルス、レンブラント

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/3回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの入口前は朝11時の開館直前で入館待ちの行列ができています。

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saraiは予約チケットを持っているので、並ぶ必要はないのですが、入館するにはこの列に加わるしかありませんね。ガランガランとロワイヤル広場前の聖ヤコブ教会l’église Saint-Jacques-sur-Coudenbergの鐘が鳴り響いています。しばらくすると入り口のドアが開きます。整然と行列のまま、入館します。

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中に入ると、エントランスホールのあまりの広さに戸惑います。素晴らしく豪華な内装にも圧倒されます。

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建物の装飾自体が美術品みたいなものですね。

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王立美術館への矢印とともに、マグリット美術館Musée Magritteへの矢印もあります。隣の建物のはずですが、ここからも行けるようですね。そう言えば、マグリット美術館も王立美術館の一部なんですね。マグリット美術館は午後2時の予約をしているので、まずは王立美術館をじっくり見ていきましょう。チケットはネットで購入済です。ちゃんとシニアチケットを購入していますよ。

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王立美術館(古典絵画エリア)の案内パンフレットだけ、いただきます。古典絵画は本館の3階部分に展示してあるようです。

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自宅でプリントアウトしたチケットをスタッフのかたに見せるだけですっと入場できます。ほぼ、一番乗りです。

王立美術館の古典絵画エリアには、15世紀から18世紀のフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画の粒よりの作品が展示されています。順に見ていきましょう。

まず、イタリア絵画があります。目に付く作品をざっと見ていきましょう。

グエルチーノことジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリの《4聖人と聖母子(Giuseppe Gaetano Righettiの寄進)》です。1616年、グエルチーノが25歳のときの作品です。若い頃はカラッチの影響があったそうです。なかなか、よく描けています。もう少し、後年の作品なのかもしれません。美術館の説明には制作年がありませんでした。

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ジュリオ・チェザーレ・プロカッチーニの《天使に救われる聖セバスチャン》です。制作年は不明です。マニエリスムの影響を少し受けているバロック期のイタリア絵画ですね。

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グイド・レーニの《エジプトへの逃避行》です。制作年は不明です。バロック期にあって、カラヴァッジョ風の陰影表現も見られますが、むしろ、古典的な美の追求こそが彼の最大の美点でしょう。この作品でもそれが感じられます。

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イタリア絵画でめぼしいものは以上の3点。この後はフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画になります。

まず、花のブリューゲルことヤン・ブリューゲルです。有名なピーテル・ブリューゲルの次男ですね。有名な父親の作品も兄の作品も後で登場します。彼はアントワープに工房を持ちましたから、ベルギーの画家の一人です。子供のヤンも画家なので、ヤン・ブリューゲル(父)もしくはヤン・ブリューゲルⅠと表記します。彼はルーベンスとも共同制作をしたことが知られています。父親のピーテルとはまったくと言っていいいほど、作風が異なります。父親の模作の多かった兄のピーテル・ブリューゲル(子)とは違った方向に進みました。

ヤン・ブリューゲルの《金の皿と花輪の静物画》です。1618年、ヤン・ブリューゲル50歳のときの作品です。あだ名の花のブリューゲルに恥じない美しい作品です。

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次はオランダの画家、フランス・ハルスです。この旅でもハーレムのフランス・ハルス美術館、アムステルダム国立美術館でたくさんの絵画を見てきました。

フランス・ハルスの《ウィレム・ファン・ヘイトハイゼンWillem van Heythuysenの肖像》です。1650年、フランス・ハルス68歳頃のときの作品です。いかにもハルスらしい、くだけた表現でいて本質を突いたような肖像です。

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次もオランダの画家、レンブラント・ファン・レインです。彼の傑作《夜警》をアムステルダム国立美術館で見てきたばかりです。

レンブラント・ファン・レインの《ニコラース・ファン・バムベークの肖像》です。1641年、レンブラント35歳頃のときの作品です。アムステルダムの豊かな商人を描いた肖像ですが、レンブラントらしい陰影のくっきりとした端正な佇まいの作品です。

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次はまとめて、フランドルの画家、アンソニー・ヴァン・ダイクを見ていきます。


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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、アンソニー・ヴァン・ダイク

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/4回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
次はまとめて、フランドルの画家、アンソニー・ヴァン・ダイクを見ていきます。彼は肖像画家として知られています。ここでも肖像画を中心とした展示になっています。

アンソニー・ヴァン・ダイクの《彫刻家フランソワ・デュケノワの肖像》です。制作年は不明です。きりっとした目は知的な内面を感じさせます。見事な肖像画ですね。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《ポルツィア・インペリアーレと彼女の娘マリア・フランチェスカの肖像》です。1628年、ヴァン・ダイク29歳の作品です。この母と娘はイタリアのジェノヴァの貴族の銀行家の家系に属していました。ヴァン・ダイクはジェノヴァ滞在中に貴族のファミリーの肖像画をたびたび描いています。黒いガウンをまとって座る母の決然とした姿と娘の優しく無邪気な姿を対照的に描いた佳作です。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《ジェノバ総督ジャン・ヴィンチェンツォ・インペリアーレの肖像》です。1626年、ヴァン・ダイク27歳の作品です。かつてジェノヴァ艦隊の司令官も務めたジェノバ総督ジャン・ヴィンチェンツォ・インペリアーレの威厳ある姿を完璧に描き上げています。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《アントワープ市の書記アレクサンドル・デッラ・ファイユの肖像》です。制作年は不明です。ヴァン・ダイクは肖像画において、眼差しを描くのが特に見事です。市の行政を預かる謹厳な性格がきっちりと描き込まれています。少し堅苦しいと思えるほどの姿勢も性格を表すためには有効だと思えます。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《聖ペトロの殉教》です。制作年は不明です。ヴァン・ダイクは肖像画家として有名ですが、歴史画、宗教画、神話画にも才能を発揮しました。この作品は一瞬、ルーベンスかと思ってしまいました。ルーベンス工房で師ルーベンスの薫陶を受けたことが分かります。ルーベンスに比べると、少し粗いタッチで淡い色彩が印象的です。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《酔ったシレノス》です。制作年は不明です。ヴァン・ダイクの宗教画に続いて神話画です。シノレスはギリシャ神話に登場する山野の精です。醜い年寄りですが、賢く、預言術や音楽に精通しているため、ディオニソスの養育係ともみなされています。ソクラテスがシレノスになぞらえられたのは、その容貌の醜怪な点だけではなく、その知の深さと皮肉好きな点からだととされています。この作品も師匠のルーベンス仕込みですね。こういうたるんだ肉体の表現がそれはそれでなかなかのものではあります。saraiの趣味ではありませんけどね。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《年老いた女性の肖像》です。制作年は不明です。ヴァン・ダイクもまあ地味な肖像画を描いたものですね。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《イエズス会神父ジャン=シャルル・デッラ・ファイユ》です。制作年は不明です。優し気な眼差しでこちらを眺めています。地球儀やコンパスが描かれているので、神父と言っても科学に明るい教育者なのでしょう。ヴァン・ダイクは本当にその人の醸し出す雰囲気を絵の中に込めることが見事です。穏やかな画面が素晴らしいです。

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アンソニー・ヴァン・ダイクの《年老いた男の肖像》です。制作年は不明です。これは人生を悟りきったような老人の眼差しが印象的です。

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こんなにまとめて、ヴァン・ダイクの作品を見たのは初めてかもしれません。やはり、肖像画家として、多様な人間性を描き出す術を心得ていたようですね。

次はベルギーの画家、ピーテル・ブリューゲル親子の作品をまとめて見ていきましょう。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ピーテル・ブリューゲル親子

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/5回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
次はまとめて、ベルギーの画家、ピーテル・ブリューゲル親子の作品を見ていきます。彼ら親子は同じ名前ピーテル・ブリューゲルなので、ピーテル・ブリューゲル(父)、ピーテル・ブリューゲル(子)またはピーテル・ブリューゲルⅠ、ピーテル・ブリューゲルⅡという表記で区別することになっています。ピーテル・ブリューゲル(子)はピーテル・ブリューゲル(父)の長男で、父の作品の模作が多いので、美術館でちょっと見ただけでは結構、父親の作品と誤認することがあります。名前も同じなのでややこしいですね。その点、次男のヤン・ブリューゲルは作風も異なり、名前も区別がつくので問題ありません。

まずはピーテル・ブリューゲル(子)の作品から見ていきましょう。

ピーテル・ブリューゲル(子)の《屋外の結婚式の踊り》です。制作年は不明です。ピーテル・ブリューゲル(父)が1566年に描いた同名の作品(デトロイト美術館所蔵)を模作したものだと思われます。模作というのは模写ではないので、まったく同じ絵ではありません。構図や雰囲気、色彩感を参考に作成した作品です。もっとも細部の違いを別にすれば、同じ絵だと誤認するかもしれません。この模作はある意味、素晴らしい出来で、父親の作と言っても通るほどです。

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ピーテル・ブリューゲル(子)の《謝肉祭と四旬節の喧嘩》です。制作年は不明です。ピーテル・ブリューゲル(父)が1559年に描いた同名の作品(ウィーン美術史美術館所蔵)を忠実に模写した作品です。作品のテーマは復活祭の前に先立つ四旬節のさらに前の週に行われる謝肉祭での人々の行き過ぎた行いを戒めるものです。フランドルの謝肉祭では野放図な飲酒や性的放免が横行していましたが、作品では謝肉祭と四旬節の対立する様子を人々の醜い争いを通して描いています。ピーテル・ブリューゲル(父)が得意とした寓意画のシリーズの1枚です。この模写はオリジナルに比べるともうひとつの出来に思えます。

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ピーテル・ブリューゲル(子)の《ベツレヘムの戸籍調査》です。制作年は不明です。この作品も模写です。何とこの作品のオリジナルのピーテル・ブリューゲル(父)が描いた作品もこの美術館に展示されているんです。そちらも合わせて見ていきましょう。

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こちらがピーテル・ブリューゲル(父)の《ベツレヘムの戸籍調査》です。1566年、ピーテル・ブリューゲル(父)の39歳頃の作品です。作品のテーマはキリストの父ヨセフと母マリアがローマ帝国皇帝アウグストゥスの発した住民登録の命に従うために生活していたナザレからヨセフの出生地ベツレヘムに赴いたときの様子です。身重のマリアはそのベツレヘムでキリストを産むことになります。画面中央の黒いマントを着て、ロバに乗っているのがマリアです。ロバを引いて前を歩いているのがヨセフです。遠いベツレヘムに到着して疲れ切っているようです。画面には無数とも思える多くの人々が描き込まれています。宗教画でも寓意画でもブリューゲルの作品のトレードマークのようなものです。雪景色のベツレヘムが印象深い名画です。ピーテル・ブリューゲル(子)の模写に比べて、雪景色がより白い色彩で描かれています。

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また、ピーテル・ブリューゲル(子)の作品に戻ります。
ピーテル・ブリューゲル(子)の《芝居小屋や行列のある村祭り》です。制作年は不明です。この作品も模作もしくは模写のようですが、この作品のオリジナルのピーテル・ブリューゲル(父)の作品は特定できませんでした。英国のケンブリッジ大学のフィッツウィリアム美術館にあるピーテル・ブリューゲル(子)の《聖ユベールと聖アントニーに敬意を表した演劇と行列の村祭り》も同じ作品(どっちが模写かは分かりません)です。

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続いて、父親のピーテル・ブリューゲル(父)の作品を見ていきましょう。

ピーテル・ブリューゲル(父)の《スケーターと鳥の罠の冬景色》です。1565年、ピーテル・ブリューゲル(父)の38歳頃の作品です。この作品は当時、よほど人気があったようで、ピーテル・ブリューゲル(子)は工房の9人の画家をフル動員して、130枚もの模写を作ったそうです。日本の国立西洋美術館にある作品もその1枚です。そのオリジナルがこのベルギー王立美術館にあったんですね。

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ピーテル・ブリューゲル(父)の《反逆天使の失墜》です。1562年、ピーテル・ブリューゲル(父)の35歳頃の作品です。この作品には、大天使ミカエラが彼を助ける熾天使(してんし)たちとともに神に反逆した天使や悪魔の軍勢を打ち破る場面が描かれています。聖書の黙示録に基づいた主題をブリューゲルらしい独特の表現で描いた傑作です。この複雑な構図は同じフランドルの画家ボッスの影響が明らかに感じられます。「彼は第2のボッスというあだ名を持つ」と当時から言われていたそうです。

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ピーテル・ブリューゲル(父)の《イカロスの墜落》です。1558年、ピーテル・ブリューゲル(父)の31歳頃の作品です。この作品は、風俗画、風景画、宗教画を主に描いた彼の唯一の神話画です。主題になっているイカロスは画面の右下の海面に足を出しているのみです。画面に登場している人物たちはイカロスの墜落にはまったく関心を示さずに彼らの仕事に専念しています。父親の忠告に背いて空から転落したイカロスのように己の力量を忘れて破滅することのないように、日々の仕事に励みなさいという教訓を描いています。それにしても素晴らしい風景描写と色彩感に優れた作品です。

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ピーテル・ブリューゲル(父)の《東方三博士の礼拝》です。1556年、ピーテル・ブリューゲル(父)の29歳頃の作品です。この作品も聖書に題材を取って、ベツレヘムの風景を描いたものです。まだ、ブリューゲルらしさはあまり感じられません。修行時代なんでしょうか。

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ピーテル・ブリューゲル(父)の《聖マルティン祭のワイン》です。ただし、これはピーテル・ブリューゲル(父)の真作ではなく、模写みたいです。展示場所も離れたところでした。オリジナルは2009年に世紀の大発見として、プラド美術館で見つかったようです。ということはsaraiもプラド美術館で見たのかな? うーん、覚えていない・・・プラド美術館ではほとんどの展示作品は見ましたが、膨大な数だったし、写真撮影不可だったので、写真も残っていません。残念!! ブリューゲルの描いた作品の中では特大サイズだそうです。

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思いのほか、このベルギー王立美術館にはブリューゲル(父)のコレクションが充実していて嬉しい驚きでした。もちろん、ウィーン美術史美術館のブリューゲル(父)のコレクションが世界最高であることは間違いありませんが、ブリューゲルのファンはこのベルギー王立美術館は必見です。特に《スケーターと鳥の罠の冬景色》と《反逆天使の失墜》と《イカロスの墜落》の3点は見逃せないでしょう。

次はこれまた充実のクラナッハのコレクションを見ていきましょう。saraiはクラナッハの大ファンですから、大いに楽しみます。


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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ルーカス・クラナッハ、ダヴィト、メムリンク

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/6回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
次はいったんドイツ絵画を見ます。ドイツのルネサンス期の画家、ルーカス・クラナッハのコレクションです。クラナッハはsaraiのご贔屓ですから、これまでもドイツを中心に随分、見てきました。この美術館ではどんな作品を見られるか、楽しみです。

ルーカス・クラナッハの《ヴィーナスとキューピッド》です。1531年、ルーカス・クラナッハの59歳頃の作品です。クラナッハの描く女性ヌードは実に素晴らしいですが、このヴィーナスはクラナッハの全作品の中でも傑作の一枚です。いやはや、こういう作品があるとはこの美術館は凄いですね。息子のキューピッドが蜂蜜を盗んで食べたために蜂にさされているのを、美しい母はそしらぬ顔で微笑むばかり。体のバランスが微妙におかしいヴィーナスですが、クラナッハのこういうところが大好きなんです。大変、魅了されて、しばし、この絵の前に立ちすくんでしまいます。

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ルーカス・クラナッハの《アポロンとダイアナ》です。制作年は不明です。クラナッハ得意の神話画ですが、この画題の作品を見るのは多分、初めてです。アポロンは太陽神、ダイアナは狩猟、貞節と月の女神。ダイアナはアポロンの双子の妹とする説もあります。アポロンは「遠矢射るアポロン」として疫病神の性格を持ちますから、この作品の隠れた主題は疫病を払うということなのかもしれません。ダイアナは足のとげを抜くために鹿の背中に腰かけていますが、そのため、あまり、いい姿勢ではなく、ダイアナの美しさが今一つなのは残念です。

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ルーカス・クラナッハ(子)の《カリタス》です。制作年は不明です。クラナッハのヴィーナスにしてはもう一つだと思っていたら、描いたのはクラナッハ息子でした。画題のカリタスは愛を意味します。ただし、神の愛です。転じて、チャリティ、慈善の意味にもなりました。ブリューゲル親子もそうですが、なかなか、親を超える才能の子供はいませんね。

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ルーカス・クラナッハの《ヨハネス・シャイリンク博士の肖像》です。1529年、ルーカス・クラナッハの57歳頃の作品です。ヨハネス・シャイリンク博士はマグデブルグ市長も務めた人物ですが、容貌魁偉ですね。死後に描かれた肖像画です。こういう迫力ある肖像画もクラナッハは描きました。ルターの肖像画が有名です。

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思いがけないクラナッハの傑作に出会えて、saraiは興奮気味です。次はまた、フランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画に戻ります。

ヘラルト・ダヴィトの《ミルクスープの聖母子》です。1520年、ヘラルト・ダヴィトの60歳頃の作品です。この画家は初めて知りましたが、何か惹かれる作品です。聖母マリアの美しい佇まいがとても印象的です。ヘラルト・ダヴィトGerard David,1460年頃 - 1523年8月13日)は初期フランドル派の画家です。彼はオランダ・ユトレヒト州の町オウデヴァーテルで生まれましたが、ブルージュの町で活躍した画家です。

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ヘラルト・ダヴィトの《東方三博士の礼拝》です。1500年、ヘラルト・ダヴィトの40歳頃の作品です。この作品もなかなかいいですね。彼の作品には穏やかな静謐さが漂っています。ブルージュのグルーニング美術館にも彼の作品が展示されていたそうですが、あまり、気に留めませんでした。ちゃんと見ておけばよかったなと後悔しています。

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アードリアン・イーゼンブラントの《臣下はブルージュの聖母教会の7つの悲しみの聖母の祭壇画を残した(聖ゲオルグと聖バルバラに伴われたブルージュ市長のヨリス・ファン・デ・ヴェルデと妻バルバラと子供たち)》です。制作年は不明です。整然と同じ方向に向かって並ぶ人たちが印象的に描いてあります。何か気になる作品です。

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ハンス・メムリンクの《男の肖像》です。制作年は不明です。いよいよ、ベルギーを代表する画家の一人、メムリンクの登場です。まずは精密な人物表現が見事な肖像画です。

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ハンス・メムリンクの《聖母子》です。制作年は不明です。いかにもメムリンクらしい聖母子、特にマリアだなと思っていたら、えっとびっくり。何とマリアの胸から乳房が見えています。イエスが乳を含んでいますね。なかなか大胆な構図ですね。

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ハンス・メムリンクの《聖セバスティアンの殉教》です。制作年は不明です。メムリンクが描くと残虐な場面も静謐な雰囲気になってしまいます。背景の町の様子も丹念に描き込まれています。

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さらにフランドル絵画はまだまだ続きます。


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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、氏名不詳の初期ネーデルランド派の画家たち、そして、謎多きロベール・カンパン

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/7回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
メムリンクに続いて、フランドル絵画を鑑賞します。

南ネーデルラント派(ブリュッセル)の画家による《ジーリックジーの三連祭壇画の扉絵(フアナ (カスティーリャ女王)とフィリップ美公の肖像)》です。1495年~1506年に描かれた作品です。これは三連祭壇画の扉絵ですが、通常と違って、この扉絵こそ重要です。まあ、saraiが勝手に思っているだけかもしれませんけどね。右側のパネルに描かれた女性は誰でも一度見るとはっとして忘れられないでしょう。

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女性のパネルだけに注目しましょう。何と艶やかな女性でしょうか。単に綺麗な女性かと思っていたら、実はスペインのイザベル女王(カスティーリャ女王)とアラゴン国王フェルナンド2世の娘という超名門出身なんです。フアナJuana(1479年11月6日 - 1555年4月12日)というカスティーリャ美人です。本当にこんなに綺麗なのかは定かではありませんが、saraiは信じることにしましょう。彼女は上の左側のパネルに描かれているフィリップ美公と情熱的な結婚をします。このフィリップ美公はハプスブルグ家のマキシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)とマリー・ド・ブルゴーニュ(ブルゴーニュ公国最後の君主)の間に生まれた長男です。マリー・ド・ブルゴーニュと言えば、今もブルージュの聖母教会に眠る《美しき姫君》として知られています。その息子のフィリップですから、当然、イケメンだったようです。名門の美男・美女の結婚だったんですね。フアナとフィリップ美公の間に生まれたのがカール5世(神聖ローマ皇帝)です。ハプスブルク帝国の絶頂を築いた偉大な王です。カール5世は有名な肖像画が何枚もありますが、残念ながらイケメンではありませんね。何故でしょう? また、フアナの妹キャサリンはイギリス国王ヘンリー8世の妃として有名です。ヨーロッパの王家の輝かしい栄光がこの絵に描かれているのですね。しかし、フアナの末路はあまりよくなかったようです。母イザベル女王の死去でカスティーリャ女王となりますが、夫フィリップ美公の色恋沙汰に悩まされて、不仲となります。その夫が早くして亡くなった後は完全に正気を失い、狂女と呼ばれます。王位にありながらも40年も幽閉生活を続け、そのまま死去します。やはりイケメン夫を愛し続けていたのですね。フアナの幽閉生活の間、息子のカール5世(スペイン国王としてはカール1世)がぐんぐん頭角を現して、国力の増強を果たしますから、フアナの幽閉も無駄ではありませんでした。なお、息子のカール5世はそんな母親でもフアナを愛していたようで、フアナが崩御した後は地位と領土を息子フェリペ2世と弟フェルディナント1世に譲ります。これを持って、強大なハプスブルク帝国はスペインとオーストリアに2分されることになります。

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小説にでも書けるようなストーリーがこの2枚の扉絵にひそんでいました。やはり、ヨーロッパの美術館は面白いですね。ヘンリー8世とキャサリンのスキャンダルなど書きたいことは多いですが、このへんで止めておきましょう。

初期フランドル派の画家、いわゆる聖カタリナの伝説の画家Maître de la légende de Sainte Catherineによる《聖カタリナの伝説からの場面》です。作者は氏名不詳で、この作品にちなんで、聖カタリナの伝説の画家と呼ばれるようになりました。この画家は1470年~1500年にかけてブリュッセル周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖カタリナの伝説のうち、神秘の結婚の場面が描かれています。画面の右下では聖カタリナが幻視によって、聖母マリアに会って、イエスと婚約する場面が描かれています。左下では、現実に教会でキリスト(実際は十字架像)と結婚する場面が描かれています。後に彼女は車輪にくくりつけられて転がされる拷問の末、斬首刑によって殉教します。

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初期ネーデルランド派の画家、いわゆる聖ルチアの伝説の画家Maitre de la La légende de Sainte Lucieによる《聖母子が聖女たちに囲まれている場面 (Virgo inter Virgines)》です。作者は氏名不詳で、聖ルチアの伝説の画家と呼ばれています。この画家は1480年~1501年にかけてブルージュ周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖母子を聖女たちが囲んでいる場面を描いています。聖女たちはおそらく、聖アグネス 、聖ルチア 、聖チェチーリア 、聖カタリナ、 聖バルバラ 、聖ウルスラ 、聖アガタといったあたりでしょう。

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ベルギーの画家、いわゆる聖ウルスラの伝説の画家Maître de la Légende de sainte Ursuleによる《聖アンナと聖母子が聖人たちに囲まれている場面 》です。作者は氏名不詳で、聖ルチアの伝説の画家と呼ばれています。この画家は15世紀の終わりにブルージュ周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖アンナと聖母子を洗礼者聖ヨハネ、聖ルイ、聖カタリナ、聖バルバラが囲んでいる場面を描いています。細部まできっちりと描き込まれ、色彩も鮮やかなフランドル絵画の名作です。

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ネーデルランドの画家、ロベール・カンパンの《受胎告知》です。作者は名前が特定されず謎の画家と言われて、仮にフレマールの画家と呼ばれていましたが、近年、ロベール・カンパンこそ、その人であると資料などにより解明されました。フレマールの画家という呼び名は、ベルギー南東部の町リエージュ近郊にあるフレマールという町にある修道院にあったという祭壇画にちなんだものです。なお、そのフレマールの祭壇画はフランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵されています。この作品は緻密な画面構成、鮮やかな色彩の油彩が印象的ですが、ヤン・ファン・エイクと同時期に油彩表現・技術を確立した先駆的な作品のひとつです。作品自体の完成度の素晴らしさはもちろんですが、ネーデルランド絵画の創始者として、弟子のロヒール・ファン・デル・ウェイデンを始めとして、後続の西洋美術へ多大に貢献したことは疑いない事実です。
この作品《受胎告知》は彼の代表作の三連祭壇画『メロードの祭壇画』の中央パネルの《受胎告知》とほぼ画面構成が同じです。『メロードの祭壇画』はメトロポリタン美術館の別館クロイスターズに所蔵されています。よく見比べると、マリアの顔と大天使ガブリエルの顔の描き方がかなり異なっています。もしかしたら、このベルギー王立美術館の作品は弟子のロヒール・ファン・デル・ウェイデンもしくはジャック・ダレーの模作かも知れません(saraiの勝手な見解)。実はそれほど、『メロードの祭壇画』は素晴らしく、ヤン・ファン・エイクと並び立つほどだと感じます。実際に生で見たわけじゃありませんけどね。

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参考のために、その『メロードの祭壇画』をご覧ください。

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さらにその中央パネル《受胎告知》の主要部分を拡大してご覧ください。素晴らしいですね。

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次はそのロベール・カンパンの弟子にして、初期ネーデルランド絵画をヤン・ファン・エイクとしょって立つロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品群を見ていきます。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/8回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
謎の画家ロベール・カンパンに続いて、彼の弟子ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品を見ていきます。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《聖母子》です。制作年は不明です。この作品は大変に美しく、さすがにファン・デル・ウェイデンだと思いましたが、どうやら、作者はファン・デル・ウェイデンとは認められていないようです。そもそも、ちゃんとファン・デル・ウェイデンだと絶対的に認められている作品はひとつもなく、3作品のみが一応、真作であろうと言うことになっているだけのようです。それはファン・デル・ウェイデンがいったん歴史の闇に消え去った画家であり、最近になって、ようやく、ヤン・ファン・エイクにも並び立つ画家と言う評価になったため、多くの作品が失われたり、資料が失われたからのようです。そういう事情はともかく、また、この作品が誰の手になるものかをさておいて、美しいものは美しいとsaraiは断じたいと思います。マリアの気品あふれる様はどうでしょう!

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《ピエタ》です。制作年は不明です。これは格別に素晴らしい作品。ヤン・ファン・エイクの作品にもひけをとらない優れた作品です。聖母マリアの悲しみ、聖母マリアの青い衣装と聖ヨハネの赤い衣装の対比の見事さも素晴らしいですが、その精緻な表現がフランドル絵画の最大の特徴です。しばし見入ってしまいます。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《矢を持つ男の肖像》です。1456年頃、ファン・デル・ウェイデン57歳頃の作品です。ファン・デル・ウェイデンは肖像画を描かせても見事ですね。斜め正面向きに描かれていますが、これは北方美術独自の形式だそうです。首にかけた装身具が精緻に描かれていますが、これはブルゴーニュ公フィリップ善良公が創設した金羊毛騎士団の徽章です。絵のモデルはフィリップ善良公の庶子アントワーヌ・ド・ブルゴーニュだと言われています。彼は嫡子シャルルと共に戦場で次々と勲功を挙げて金羊毛騎士団の騎士に任ぜられました。その彼の少し遠くを見るような、ちょっと物思わし気な表情は何を物語っているのでしょうか。人間の哀感漂う名作です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《ジャン・ド・フロアモンの肖像》です。1460年頃、ファン・デル・ウェイデン61歳頃の作品です。この作品は前側で裏側にも絵が描かれており、両方が見られるような展示になっています。

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こちらが裏側に描かれた《聖ローレンス》です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデン工房の《スフォルツァ三連祭壇画》です。1460年頃、ファン・デル・ウェイデン61歳頃の作品です。これは工房で手掛けた作品のようです。

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一応、中央パネルを拡大して見ておきましょう。十字架のキリストですね。

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以上がロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品ですが、ピエタの深い表現に心を打たれました。

次は初期フランドル派、ネーデルランド絵画の異才ヒエロニムス・ボッスの作品を見ていきましょう。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ヒエロニムス・ボッス

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/9回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
次は初期フランドル派、ネーデルランド絵画の異才ヒエロニムス・ボッスの作品を見ていきます。ヒエロニムス・ボッスの本名はイェルーン・ファン・アーケンJeroen van Akenですが、「ヒエロニムス」は本名のラテン語読みで、作品にはボッス(Bosch)とサインをしています。ボッスという名前の由来は彼がオランダのベルギー国境近くの町ス・ヘルトーヘンボッス(デン・ボッス)で生まれ、そこに暮らしていたことによります。

ヒエロニムス・ボッスの《十字架のキリスト》です。1480~1485年頃、ヒエロニムス・ボッス30~35歳頃の作品です。ボッスは生地ス・ヘルトーヘンボッスの聖母マリア兄弟会の会員で、聖母マリア兄弟会のために多くの作品を描きました。この作品もそのひとつです。この作品では、十字架のキリストの左側に聖母マリアと聖ヨハネが立ち、右側に聖ペテロに付き添われた寄進者が跪いています。背景には美しい田園風景と町が描かれており、北方絵画の伝統を感じさせます。

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ヒエロニムス・ボッスの三連祭壇画《聖アントニウスの誘惑》です。制作年は不明です。リスボン国立美術館にある同名の作品の画家本人による忠実な模写です。聖アントニウスは、エジプト生まれの修道士で、貧困に喘ぐ者へ財産を与えて、その後砂漠に移り住み、隠修士として瞑想と苦行の生活を送った、修道院制度の創始者として考えられている人物です。本作品では、その聖アントニウスが砂漠で修行中に、悪魔の誘惑を受けて、奇怪で生々しい幻想に襲われる場面を描いています。作品の主題は誘惑に耐える聖アントニウスの信仰心が描き出すことです。こういう作品でこそ、ボッスの真骨頂が活かされます。ボッスの大ファンの配偶者は喜んで見入っていました。

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中央パネルを見てみましょう。画面の真ん中で黒い法衣に身を包み、跪いて、壇上で一心に祈りを捧げているのが聖アントニウスです。周りは得体の知れない怪物が取り囲んでいます。画面下の水面では奇怪な魚やエイが蠢いています。画面右には巨大なねずみにまたがった悪魔たちがいます。ボッスならでは怪奇世界です。

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左翼パネルは聖アントニウスの飛翔と墜落が描かれています。画面上部の空中には、化け物に放り投げられて連れ去られそうになっている聖アントニウスがおり、下のほうには空から墜落して気絶した聖アントニウスが3人の僧衣に人物に支えられています。3人の人物のうち、一番右の青い頭巾の人物はボッス自身が描かれていると言われています。

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右翼パネルには聖アントニウスの瞑想が描かれています。瞑想する聖アントニウスを女性に化けた悪魔が誘惑しようとしています。

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この美術館の展示では、この三連祭壇画の裏に周り込めるので、扉絵も見ることができます。これは右翼パネルの扉絵です。

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これでボッスはお終い。

このコーナーで最後に何となく気になった作品を最後にご紹介しましょう。


南ネーデルラント派の画家による《死んだ鳥を持つ少女》です。制作年は不明です。作者の名前も不詳です。この絵の背後には、クラナッハのヴィーナスが見えています。この対比がとても面白いです。北方絵画では色んな才能の画家、名のある人もない人も芸術の花を開かせていたんですね。

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初期フランドルの絵画コーナーから、さっと別の絵画展示室を見ながら、移動します。

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次はバロック絵画に飛びます。ベルギーの代表的画家ルーベンスの出番です。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ピーテル・パウル・ルーベンス

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/10回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
15~16世紀の絵画、とりわけ充実した初期フランドル絵画のコレクションを見終えて、次は17~18世紀の絵画のコレクションを見ます。


まずはバロック期のフランドルを代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスの作品を見ていきましょう。この旅でもアントワープでルーベンスの家を見てきたばかりです。

ピーテル・パウル・ルーベンスの《黒人の顔・四つの習作》です。制作年は不明です。ルーベンスとしては珍しい作品だなと思っていたら、顔を描くための習作でした。しかし、こういう構成の絵画があってもおかしくありません。習作ながら、ルーベンスはあえて、芸術的な仕上げを試みたんでしょうか。ルーベンスがもっと近代に生まれていたら、どんな作品を描いたんだろうと想像してしまいました。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母マリアの戴冠》です。1620年頃、ルーベンス43歳頃の作品です。これは美しい絵ですね。ルーベンスの妙などぎつさもなく、爽やかでさえあります。色彩もあっさりしています。ただし、これはルーベンス工房の作品なので、あまり、ルーベンスの絵筆が入っていないのかも知れません。この作品はかつてアントワープにあったレコレトリュム修道会からの注文で制作されました。レコレトリュム修道会はフランス大革命時になくなってしまったそうです。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母被昇天》です。制作年は不明です。これは2段階の構成の凝った構図になっています。奥の聖母被昇天の画面の手前に聖母マリアの棺を覗き込んで驚いている使徒たちが描かれています。劇的な表現と言えばそうですが、やり過ぎといったら、やり過ぎですね。これもルーベンス工房の作品です。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖フランチェスコのいるピエタ》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品もアントワープにあったレコレトリュム修道会からの注文で制作されたようです。レコレトリュム修道会は聖フランチェスコ派の修道会でした。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母マリアと聖フランチェスコの神への仲介が神の否妻を止める》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品はゲントにあったレコレトリュム修道院の主祭壇画として制作されました。レコレトリュム修道院というとアントワープのレコレトリュム修道会もほかの作品を注文しています。ルーベンス工房の重要な注文主だったんですね。この作品の主題は、人の世が悪いことで堕落、腐敗したことに怒ったイエスが神の稲妻で世界を焼き尽くそうとするのを聖母マリアと聖フランチェスコが止める場面です。ここにも聖フランチェスコが登場するのはレコレトリュム修道会が聖フランチェスコ派の修道会だったからでしょう。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖リヴィナスの殉教》です。1633年頃、ルーベンス56歳頃の作品です。これもルーベンス工房の作品です。この作品の主題は、キリスト教の聖人リヴィナスが殉教する場面です。いい意味でも悪い意味でもルーベンスらしいダイナミックで迫真性のある表現です。こういう表現ではルーベンスは抜きん出る存在ですが、ワンパターンと言えばワンパターンです。どうもsaraiは好きになれません。ルーベンスほどの画力があれば、もっと上品に描けるのにね。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《東方三博士の礼拝》です。1618~1620年頃、ルーベンス41歳~43歳頃の作品です。これもルーベンス工房の作品です。これは見事な出来の作品ですね。この作品はフランドルの南西部の町トゥルネのカプチン会修道院からの注文で制作されました。この作品の制作には当時工房の弟子だったヴァン・ダイクが参加していました。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《ゴルゴダの丘行き》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品はキリストが十字架を背負って、ゴルゴダの丘に登る場面が描かれています。倒れたキリストの頭の血を自身の頭巾の白い布で拭っているのが聖ヴェロニカです。この布がもとになったのが有名な聖骸布伝説です。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《エレーヌ・フールマンの肖像》です。1630年代、ルーベンス53歳以降の作品です。これはルーベンス工房の作品だという説もありますが、この活き活きとした表現はルーベンス自身の筆になるものだとsaraiは感じます。1626年最初の妻イザベラ・ブラントが死去し失意に暮れるルーベンスは年来の友人であったアントワープの絹織物商ダニエル・フールマンの娘エレーヌと1630年、ルーベンス53歳、エレーヌ16歳と歳の差婚を果たし、人生の喜びを取り戻します。ウィーン美術史美術館に有名な裸体画《エレーヌ・フールマン》が残されていますが、このベルギー王立美術館の作品はより、エレーヌの若々しいキュートさが愛情深く描き込まれています。saraiはこういうルーベンスのほうが好きです。画家の素直な愛が感じられるからです。

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さすがにルーベンスの本場ベルギーだけあって、ルーベンスのコレクションは充実しています。もっとも工房で絵画を大量生産したルーベンスはヨーロッパの多くの美術館が充実したコレクションを誇っていますけどね。

次はフランスの新古典派の巨匠ダヴィッドの作品を見ていきます。フランスの画家ダヴィッドはこのブリュッセルと縁が深いんです。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ジャック=ルイ・ダヴィッドと新古典主義の芸術家

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/11回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。
フランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画を見終えて、最後は17~18世紀の絵画のコレクションのフランス絵画部門を見ます。

ここで見るのは、フランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品です。何故、ここにジャック=ルイ・ダヴィッドの作品が展示されているのかというと、彼の生涯を概観する必要があります。詳細はウィキペディアでも参照してもらえばいいのですが、ここでも簡単に説明しておきます。

ジャック=ルイ・ダヴィッドは1748年にパリで生まれ、親戚にロココ絵画の大家フランソワ・ブーシェがいたことから、彼の紹介で画家としての修行にはいります。長い修行を経て、26歳で見事、ローマ賞を勝ち取り、国費留学生として、イタリアで約5年間、古典絵画の研究に没頭します。フランスに帰国後、1784年にルイ16世からの注文で描いた《ホラティウス兄弟の誓い》は新古典主義の画家としての名声を確立するものでした。一方、彼は芸術面だけでなく、政治的な活動にも乗り出します。1989年のフランス大革命の勃発の頃、彼はジャコバン派の山岳派に属し、急進的な政治活動の中核を担います。しかし、ロベスピエールの失脚に伴い、ダヴィッドの立場も危うくなり、一時投獄されたりもします。その後、ナポレオンの登場に伴い、ナポレオンの庇護を受けたダヴィッドは復活を果たします。1804年にナポレオンの首席画家に任命され、1806年から1807年に有名な《ナポレオンの戴冠》を描きます。しかし、ナポレオンの失脚後、ダヴィッドはまたも失脚し、1816年にブリュッセルへ亡命し、9年後の1825年に故国に思いを馳せつつ77年の生涯を終えます。死後、遺体は故国への帰還も許されなかったそうです。ルイ16世の処刑に1票を投じたためです。ということで、ダヴィッドは最後の9年間、ブリュッセルで人生を過ごし、ブリュッセルとの大きな縁を持つことになりました。

ベルギー王立美術館にあるジャック=ルイ・ダヴィッドの作品を見ていきましょう。ところで、ルーヴル美術館にあるダヴィッドの作品《レカミエ夫人》はsaraiの大好きな作品なんです。ダヴィッドの名前を聞くと、すぐにあの美しいレカミエ夫人を思い出します。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの《マラーの死》です。1793年頃、ダヴィッド45歳頃の作品です。ジャン=ポール・マラーは山岳派の指導者の一人で、ジロンド派党員のシャルロット・コルデーによって暗殺されました。マラーは皮膚炎の治療のためオートミールを浸した浴槽に入っているところをコルデーにナイフで刺され、その傷が致命傷となってマラーは死亡しました。ダヴィッドはそのマラーの死の場面を死後数か月で描き上げます。革命の殉教者として、マラーを美しく描いています。一見して、saraiはマラーを女性と誤認しました。この作品では革命の英雄として、マラーを取り扱い、まるでキリスト教の宗教画における殉教者のように描いているかのようです。発表当時はこの作品は革命を喧伝する作品として称賛されましたが、ロベスピエール失脚と処刑の後は歴史の闇に消えます。19世紀半ばに批評家によって再発見され、1886年から遺族の申し出により、このベルギー王立美術館に展示されるようになりました。新古典主義の巨匠たるダヴィッドの力量を示す、とても美しい作品ではありますね。ところで画面中、マラーの左手にある紙には暗殺者のシャルロット・コルデーの名が書かれているそうです。シャルロット・コルデーはその後、処刑されました。時代を経て、血なまぐさい恐怖政治に立役者のマラーを排除したことで、フランスを救ったヒロインとして、シャルロット・コルデーが賛美されることもあるようです。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《少年の肖像》です。制作年は不明です。さすがにダヴィッドの肖像画はきっちりと描かれていますね。詳細は不明です。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《フランソワ・ドヴィエンヌの肖像》です。1792年頃、ダヴィッド44歳頃の作品です。フランソワ・ドヴィエンヌは18世紀フランスの作曲家・木管楽器奏者です。パリ音楽院のフルート教授を務めました。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《ビーナスに武装を解かれた軍神マルス》です。ダヴィッドがブリュッセルに亡命しているときに描いた作品です。雲の上のビーナスの神殿ですっかり寛いだマルスは3美神に盾と弓を預け、サーベルも手放そうとしています。ビーナスは美しい背中だけを見せていますが、この世界1の美女の前では男は誰でも気を許してしまうでしょう。マルスの足元でサンダルのひもを外しているのは2人の間に生まれた子供キューピッドです。新古典主義の巨匠ダヴィッドは最後まで大変な画力を持っていたことが分かります。素晴らしく美しく、魅惑的な作品です。

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以上がジャック=ルイ・ダヴィッドの作品ですが、彼の弟子、ベルギーのフランソワ=ジョゼフ・ナヴェスの作品も見ておきましょう。


フランソワ=ジョゼフ・ナヴェスの《砂漠のハガルとイシュマエル》です。1820年頃、ナヴェス33歳頃の作品です。この作品は主題を旧約聖書の物語から取っています。ハガルはアブラハムの妻サラの女奴隷です。子供のできなかったサラは子孫を残すためにハガルにアブラハムとの関係を持たせるように仕向けます。その結果、生まれたのがイシュマエルです。やがて、サラ自身もイサクを産みます。その結果、ハガルとイシュマエルはわずかな食料を持たされて、追い出されることになります。ハガルとその息子イシュマエルはベエル・シェバの荒野をさまよい、水が尽きそうになります。この作品はその場面を描いています。それにしても、ナヴェスは師匠のダヴィッドゆずりの素晴らしい画力を持っていますね。少年イシュマエルの弱り切った様子、母ハガルの美しさと困り果てた様子、どこまでも広がる砂漠の荒涼たる風景が見事に描き出されています。ちなみにその後の物語では、この親子は神によって救われます。

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ベルギー王立美術館の古典絵画エリアで最後に目に付いたのは美しい彫刻作品です。

マシュー・ケッセルス(マティアス・ケッセルス)の《大洪水からの場面》です。1832年~1835年頃、ケッセルス48歳~51歳頃の作品です。ケッセルスはオランダのマーストリヒト出身の新古典主義の彫刻家です。大洪水から妻と子供を救おうとしている男でしょうか。テーマはともかく、素晴らしい美しさに魅了されます。

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どんな角度から見ても素晴らしいです。しばし時間を忘れて、見とれてしまいました。

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これで古典絵画エリアはすべて見終えました。初期フランドル派からバロック、新古典主義までの数々の傑作を見られて収穫の多い鑑賞になりました。これらの古典絵画を見るだけで一息つきました。でも、まだ印象派以降の絵画で特にデルヴォーやクノップフなどの作品が見れていません。変ですよね。どこにあるのでしょうか。うろうろ探しますが、分かりません。地下の方に行く階段があるのですが、そちらなのでしょうか。でも、その地下の方へはsaraiの購入したチケットでは行けないようです。いくら考えても分からないので、階段の前にいる係りの人に美術雑誌のデルヴォーの写真を見せて、これはどこにあるのかと訊くと、なんとクローズしてるとのことです。エ~、そんな・・・。諦めきれず、入り口まで戻り、チケット売り場のお兄さんにも同じことを訊いてみますが、やはり改装のため近代部門エリアはクローズしているとのこと。ただし、少しは展示しているので見てねとのことです。
もうガッカリですが仕方がないですね。ガンガン冷やしてある館内で体と共に心も冷えちゃいます。次は、マグリット美術館を楽しむことにして、休憩をかねて昼食にしましょう。王立美術館のカフェテリア・レストランに行きます。スープとサラダとコロッケをトレイに乗せてテラスに出ます。

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これが野菜サラダ。たっぷりしたボリュームでいろんなものがはいっています。

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これがコロッケ。オランダのクロケットとはちょっと違うようです。

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テラスからはなかなか素敵な眺めです。雲が広がり涼しいです。

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最後にコーヒーとワッフルもいただきます。

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テラスから見えているのはノートルダム・デュ・サブロン教会Eglise Notre Dame du Sablonでしょうか。女性の彫像もそちらを眺めています。

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さて、たっぷり休んだので、そろそろ次はマグリットを楽しみましょう。



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ブリュッセルで美術三昧:マグリット美術館、前半

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/12回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞し終えました。いよいよ、楽しみにしていたマグリット美術館Musée Magritteに入館します。マグリット美術館はベルギー王立美術館の一部門ですが、部門別のチケットを購入する必要があります。事前にネットで午後2時入館のチケットを購入してあります。もちろん、シニアチケットです。

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さあ、時間ですから、入館しましょう。まずは案内パンフレットをゲットします。マグリット美術館は本館とは別の建物、分館になっています。本館とは地下の通路でつながっています。

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これがマグリット美術館の地下2階のエントランスです。ここから地上階にある展示室に上ります。

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では、実際の展示順ではなく、マグリットが描いた年代順に展示作品を見ていきましょう。もっとも基本的に展示は年代順ですけどね。

ルネ・マグリットは19世紀も終わろうとする1898年11月にブリュッセルから30km離れた小さな町レシーヌに生まれました。父親は商人であったため、一家は転々と引っ越しを繰り返しました。7歳のある日、偶然にある画家との出会いがあり、そのキャンバスを覗いたマグリットは大いなる啓示を受けて、後の画家人生が決まったそうです。1912年、マグリット12歳のとき、衝撃的な事件があります。母親が突然入水自殺を遂げます。彼は川から引き上げられた母がガウンがまくれて裸体で、ただ顔のみがそのガウンに覆われていたとその情景をまるで見たかのように語っています。実際に見たかどうかは分かりません。17歳になったマグリットはブリュッセルの王立美術学校に入学します。しかし、そこでは伝統的な絵画技法しか教えていないことに失望して、授業を放棄します。自ら印象派から抽象絵画まで模索することになります。その頃に描いた1枚がこれです。

《ピエール・ブロードコーレンスの肖像》です。1920年、マグリット22歳頃の作品です。まるで青騎士のようでもあります。

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1922年、23歳のマグリットは偶然にブリュッセルの植物園で再会した初恋の人ジョルジェットと結婚します。その頃に描いた1枚がこれです。

《女性騎手》です。1922年、マグリット24歳頃の作品です。キュビズムですね。

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この年、画家として、大きな転機が訪れます。友人が持っていた雑誌に掲載されていたデ・キリコの作品《愛の歌》との出会いです。古代彫刻の頭部と外科手術用の手袋が何の脈絡もなく並べられた一見、理解不能の絵画でした。そこにマグリットは鑑賞者の常識とかけ離れた芸術家の孤独を感じとり、己の行く道を悟ります。シュールレアリスト、マグリットの出発点となる出来事でした。その3年後、初めてのシュールレアリスム作品《迷える騎手》を完成させます。そして、次々とシュールレアリスム作品を描き上げます。

《真夜中の結婚》です。1926年、マグリット28歳頃の作品です。題名も内容も不可解なのがマグリットの特徴です。

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1927年、マグリットはパリを訪れます。当時、パリはアンドレ・プルトンが1924年に《シュールレアリスム宣言》を発表し、芸術革命が進行中でした。マグリットはパリ郊外のアパルトマンに居を構え、プルトンたちのグループと活発な活動を展開します。パリを訪れる直前にもブリュッセルで多くのシュールレアリスム作品を描いています。それらをブリュッセルの個展で発表しますが、批評家たちには理解されませんでした。

《外海の男》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《邪悪なデモン》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《発見》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《ポール・ヌジェの肖像》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《女盗賊》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《秘密の遊戯者》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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これはパリ時代の作品です。

《言葉の用法》です。1929年、マグリット31歳頃の作品です。

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マグリット美術館での鑑賞はこれで半分ほどです。まだまだ、続きます。



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ブリュッセルで美術三昧:マグリット美術館、後半

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/13回目

マグリット美術館Musée Magritteでの鑑賞中です。

マグリットはパリに3年間滞在した後、ベルギーに帰国します。パリ滞在中にプルトンたちのシュールレアリスムとは異なる独自の手法を再認識することになりました。彼の手法は心に浮かぶモティーフを組み替えて、その結果生まれる意外な組み合わせで常識に縛られる鑑賞者に衝撃を与えるというものです。彼は終生、その手法を貫き通すことになります。ベルギー帰国後の作品を見ていきましょう。

《意外な返事》です。1933年、マグリット35歳頃の作品です。

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《ジョルジェット》です。1937年、マグリット39歳頃の作品です。妻ジョルジェットの肖像画ですね。単なる肖像画に終わらせないところがマグリットです。

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《接吻》です。1938年、マグリット40歳頃の作品です。

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《美しい歌(ベルカント)》です。1938年、マグリット40歳頃の作品です。

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1939年、あの忌まわしい第2次世界大戦が勃発します。1940年5月10日にドイツ軍がベルギーに侵入します。ナチスは前衛的な芸術を退廃芸術とみなして、徹底的に攻撃します。シュールレアリストのマグリットもその存在を脅かされることになります。それはベルギーが解放される1944年まで、4年間続くことになります。その頃のマグリットの作品を見ていきましょう。

《帰還》です。1940年、マグリット42歳頃の作品です。これは名作ですね。青空はマグリットのシンボルのようなものです。

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《宝島》です。1942年、マグリット44歳頃の作品です。

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結局、マグリットはナチスの手から逃れて、なんとか生き延びることができました。この過酷な体験はマグリットの作風を大きく変えることになります。明るい色彩で印象派風の技法で作品を描くようになります。それは1950年代にシュールレアリスムに回帰するまで続きます。その頃の作品です。

《黒魔術》です。1945年、マグリット47歳頃の作品です。

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《涙の味》です。1948年、マグリット50歳頃の作品です。

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《石ころ》です。1948年、マグリット50歳頃の作品です。これがマグリットとはね・・・。

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マグリットは再び、シュールレアリスムに戻りますが、かつてのような作風に戻ったわけではありません。もう、作品からは鑑賞者を不安にさせる毒は消え、幸福さや希望を感じさせる透明感が支配的になります。そして、代表作が生まれます。

《光の帝国》です。1954年、マグリット56歳頃の作品です。結局はやはりマグリットといえば、この作品に落ち着くということをこの美術館で多くのマグリット作品を見てきた結果、体感しました。saraiや配偶者が魅惑されてきたマグリットの魅力はこの1枚にすべてが凝縮されているようです。

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マグリットも晩年にはいります。その名は世界中に広まり、毎年、マグリット展が催されるようになります。その頃の代表的な作品です。

《アルンハイムの領地》です。1962年、マグリット64歳頃の作品です。絵のタイトルはマグリットが熟読したエドガー・アラン・ポーの作品名から採られています。

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そして、最晩年の作品を見ましょう。明るい青空を最後まで描き続けたんですね。

《空白のページ》です。1967年、マグリット68歳の作品です。

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《囚われの美女》です。1967年、マグリット68歳の作品です。

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この1967年、マグリットはブリュッセルの自宅で68歳で人生を終えます。アトリエとして使っていた台所には、描きかけの作品が残されていたそうです。もちろん、透明感に満ちた作品だったようです。

これで、マグリット美術館の鑑賞を終えます。お気づきだったでしょうか。saraiは彼の作品に対して、感じた印象をほとんど書きませんでした。そこそこマグリット美術館にはマグリットの代表作はありますが、なんだか今一つ彼の魅力が伝わってこず不満足だったんです。流石に1950年以降の4作品は見ごたえがありましたが、大きな期待は空振りに終わった感じです。

そういうことで、気持ちが治まりません。このベルギー王立美術館でデルヴォーやクノップフが見れなかったのも大きく影響しているのは間違いありません。ところで、受付のお兄さんが、ちょっとは展示してあると言ってたけど、1枚も見てないよね・・・ということに2人の意見が一致。館内案内のパンフレットをじっくり検討すると、どうも王立美術館には3つのエリアがあるようなのですが、王立美術館の古典絵画部分とマグリット美術館の部分以外のエリアにどうも行けていません。それが、気になっている階段の下の部分です。もう一度、階段横の係りの人に2枚のチケットを見せて駄目なのかと訊くと、行っていいわよと通してくれました。ヤッタと階段を下りて、その奥の入場の機械にバーコードをかざしますが、ゲートが開きません。と、ゲートの上部にメッセージが出て、このチケットでは駄目とのこと。ここは別料金のようです。奥に見えているのは、印象派の絵です。やはり、この奥に見たいものはあるようです。チケット売り場に取って返し、2枚のチケットを見せ、残りのエリアに行くにはどうすればよいのか訊くと、3ユーロの別チケットを買い足してねとのことでした。はいはい、買いますよ。これが購入したコンビチケットです。

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ようやく謎が解けた気分で、新たなチケットを持って、第3のエリアに向かいます。ようやくゲートが開きます。ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの素晴らしい展示が待っていました。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、印象派とアンソール

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/14回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画部分とマグリット美術館の部分を見終えて、最後の世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの展示スペースに入場することができました。これが世紀末部門の案内パンフレットです。地下3階から地下4階までを抜けて、地下5階から地下8階までがそのエリアになっています。

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世紀末部門の珠玉の作品群を見ていきましょう。

ニカイス・デ・カイザーの《ルイス・ヴァン・カンペンボートの肖像》です。1847年頃、デ・カイザー34歳頃の作品です。このベルギーの画家は今は有名な画家ではありませんが、この作品はなにか気になる作品です。

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フィンセント・ファン・ゴッホの《農夫の肖像画》です。1885年頃、ゴッホ32歳頃の作品です。有名な《ジャガイモを食べる人達》の登場人物を描いたと言われています。こういうゴッホも素晴らしいですね。

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ここからは近代ベルギーを代表する画家の一人であるジェームズ・アンソールの作品を見ていきましょう。この旅でも北海沿岸の町オステンドでアンソールの家(お土産物屋)を見たことを思い出します。

ジェームズ・アンソールの《奇妙な仮面》です。1892年頃、アンソール32歳頃の作品です。アンソールは20代半ばから急に仮面の人物の作品を集中的に描き始めます。この作品はその中でも傑作だと言われています。仮面を描くことでその人間の内面を暴き出すという屈折した作品です。

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ジェームズ・アンソールの《陰鬱な婦人》です。1881年頃、アンソール21歳頃の作品です。仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。

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ジェームズ・アンソールの《エイ》です。1892年頃、アンソール32歳頃の作品です。魚とは思えないような不気味な印象の作品です。

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ジェームズ・アンソールの《カラリスト》です。1880年頃、アンソール20歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。カラリストとは、色彩効果を重視する画家のことだそうです。色彩画家とも言うそうです。

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ジェームズ・アンソールの《団扇とシノワズリー》です。1880年頃、アンソール20歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。ジャポニスムにはまっていたんですね。ただ、中国と混同していたのはご愛敬かな。

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ジェームズ・アンソールの《ロシアの音楽》です。1881年頃、アンソール21歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。印象派風ですね。

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アンソールに続いて、フランスの画家たちです。


ジョルジュ・スーラの《グランド・ジャット島のセーヌ川》です。1888年頃、スーラ29歳頃の作品です。精密な点描法の作品です。大変な労作です。この超人的ともいえる作品作りが画家の命を縮めたと言われていますが、それも納得できそうな凄さです。

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ポール・シニャックの《岩だらけの入り江》です。1906年頃、シニャック43歳頃の作品です。これまた、点描法の労作。本当に点描法は体に悪い!

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エドゥアール・ヴュイヤールの《二人の小学生》です。1894年頃、ヴュイヤール26歳頃の作品です。ヴュイヤールはナビ派の一人。このくっきりとした色彩の明確さはいかにもナビ派らしい作品です。

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アルフレッド・シスレーの《ルーヴシエンヌの道》です。1873年~1874年頃、シスレー34歳~35歳頃の作品です。印象派で独自の道を歩んだシスレーの作品を見ると、心が和みます。このふわっとした空気感はいいですね。

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アルフレッド・シスレーの《村のはずれ、春》です。1885年頃、シスレー46歳頃の作品です。シスレーは強い主張がありません。自己の内面に従って、素直な画面を作るだけ。それがシスレーのいいところです。

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次はいよいよ、この美術館の白眉とも言えるクノップフの作品群を見ていきます。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、素晴らしきフェルナン・クノップフの作品群

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/15回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの珠玉の作品群を見ています。
次はいよいよ楽しみにしていたベルギーの象徴主義の旗手フェルナン・クノップフの作品群を見ていきます。

フェルナン・クノップフの《シューマンを聴きながら》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。クノップフ初期の代表作です。母親をモデルにして、クノップフが熱狂的に傾倒していたロベルト・シューマンの音楽に耳を傾けている様子を描いたものです。この作品は前回紹介したジェームズ・アンソールの《ロシアの音楽》との類似性が論議の的になり、アンソール自身が非難の先頭に立ったそうで、以後、クノップフとアンソールの間の亀裂は埋まることがなかったそうです。saraiの意見では両作は同様のテーマであるものの、クノップフの作品はこめかみを押さえる画面中央の女性の内面に踏み込んだ表現になっており、シューマンのロマンあふれるピアノ音楽が底流に流れている見事な作品に仕上がっており、アンソールの作品とは本質的に異なる作品であると言えます。それにしても、ピアノで弾いているシューマンの作品は何でしょう。シューマンのピアノ曲を愛するsaraiはとても気になります。saraiなりに推理してみると、本当は声楽曲《女の愛と生涯》とか《ミルテの花》がふさわしいと思いますが、ピアノを弾いているのでやはり、素直にピアノ独奏曲だと考えるべきでしょう。するとやはり《幻想曲》以外にはありえないような気がしてきます。うん、きっとそうでしょう。《幻想曲》が聴いてみたくなります。定番のリヒテル・・・アラウかシフもいいな。ホロヴィッツというのもありますね。

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フェルナン・クノップフの《ヴァン・デル・ヘクト嬢の肖像》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。何故か、クノップフは肖像画も多く描いています。その中の代表作の1枚です。

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フェルナン・クノップフの《聖アントワーヌの誘惑、ギュスターヴ・フロベールにもとづく(シバの女王)》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。ギュスターヴ・フロベールは《ボヴァリー夫人》で有名なフランスの小説家ですが、彼が《聖アントワーヌの誘惑》という文学作品を1874年に出版しています(日本語訳も出ているようです)。ウィキペディアによると以下のような文学作品です・・・紀元3世紀の聖者アントワーヌ(アントニウス)が、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品で、対話劇のかたちをとった散文詩のような形式で書かれている。
クノップフはギュスターヴ・フロベールの《聖アントワーヌの誘惑》から着想を得て、いかにも象徴派らしい幻想的な作品を描き出しています。描かれた場面は聖アントワーヌがシバの女王の幻覚と対峙しているところなのでしょう。フランス象徴派のギュスターヴ・モローの《出現》を思い出させる作品ですね。《出現》はほぼ8年ほど前に描かれていますから、きっとクノップフはそれに影響されたものと思われます。ちなみにフロベールの《聖アントワーヌの誘惑》はジェノヴァのバルビ宮殿でピーテル・ブリューゲルの描いた『聖アントニウスの誘惑』を見て着想を得て書かれたそうですから、芸術はインスピレーションの連鎖によるものも少なからずあるようです。

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フェルナン・クノップフの《マルグリット・クノップフの肖像》です。1887年頃、クノップフ29歳頃の作品です。クノップフの絵画と妹マルグリット・クノップフは切っても切り離されません。彼女を描いた作品がクノップフの最高の絵画だとsaraiは信じています。何故、愛する恋人ではなく、愛する妹にそんなに執着したのかは分かりませんが、クノップフにとって妹マルグリットは最高のモデルでした。ロセッティにエリザベス・シダルとジェーン・バーデンが欠かせなかったのと同じです。この肖像画もただ、そのまま妹の姿を描いたようにも思えますが、やはり、作品からはただならぬオーラが漂ってきます。

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フェルナン・クノップフの《記憶》です。1889年頃、クノップフ31歳頃の作品です。まず、ガラスの映り込みで右側がほとんど見えない状態であることをお詫びします。右側には2人の人物が描かれていますが見えませんね。左側の5人だけをご覧ください。いずれもモデルは妹のマルグリット・クノップフで同一人物が同じ画面上に7人も描かれているという珍しい構成の作品です。まあ、それほどにも妹マルグリットへの強くて異常な愛着があったということでしょう。作品の別名に「ローン・テニス」という名前のあるように画面上のマルグリットたちはラケットを手にしています。優雅にも幻想的にも見える不思議な作品です。

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フェルナン・クノップフの《若い英国女性の顔》です。1891年頃、クノップフ33歳頃の作品です。彫像は珍しいですね。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王、ブリトマール》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。とても美しい作品です。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王、アクラシア》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。これまた、とても美しい作品です。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王》です。上の2枚の絵が一対になった作品です。もっともさらに《孤独》を加えた三幅対の作品がリエージュ美術館に展示されているようです。この作品はイギリスの詩人エドマンド・スペンサーが書いた寓意詩《妖精の女王》の登場人物、女騎士ブリトマートと裸体のアクラシアを描いた作品。いずれも6歳下の妹マグリットを思わせる顔が描かれています。この官能美はベルギー象徴派という枠を超えて、永遠の美を感じさせます。saraiはこの作品の前で立ちすくんでしまい、この作品から立ち去りがたく感じてしまいました。感動の一作です。

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フェルナン・クノップフの《ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像》です。1893年頃、クノップフ35歳頃の作品です。とても可愛いですね。クノップフが描いたとは信じられません。

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フェルナン・クノップフの《フォッセ、モミの木の林》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。クノップフが描いた風景画は珍しいですね。クリムトに通じるところを感じます。そんなに強い印象は抱きませんでしたが、クノップフを代表する1枚だそうです。

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フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。これは油彩画です。クノップフお気に入りの素材を集めるとこうなるのだそうです。マルグリット、ギリシャ彫刻の頭部、翼。

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フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。油彩画の《青い翼》を写真に撮って、色付けをした彩色写真です。凝ったものを作りましたね。

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フェルナン・クノップフの《木の下》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。詳細は分かりませんが、中世の騎士を描いたのでしょうか。精密に描いた作品です。

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フェルナン・クノップフの《スフィンクスの愛撫》です。1896年頃、クノップフ38歳頃の作品です。これは傑作ですね。素晴らしいとしか言えません。想像上の生き物スフィンクスが両性具有的な人物を愛撫する様を描いたシュールな作品です。もっともこの時代にはまだシュールレアリスムなんてありませんけどね。スフィンクスの胴体は実はネコ科のチータなんだそうです。邪悪な蛇を模しているんだそうです。スフィンクスも人物もモデルは明らかに妹のマルグリットです。妹はとっくに結婚していますがクノップフは彼女から離れられませんね。クノップフ自身が結婚するのはまだ10年以上も先の50歳を過ぎたころです。未亡人と結婚しますが、結婚生活は3年ほどで終わります。なんだか分かるような気がします。

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顔の部分を拡大してみましょう。やはり、クノップフのモデルは妹マルグリット以外にはありえませんね。こんなに世紀末にふさわしい絵もありません。クノップフの最高傑作でしょう。

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フェルナン・クノップフの《クノップフの家とスタジオ》です。1902年頃、クノップフ44歳頃の建築デザインです。このクノップフの家は取り壊されたので、現在は存在していません。この家が保存されて、クノップフ美術館になっていればよかったと思うのはsaraiだけではないでしょう。今からでも遅くないので、復元したらどうなんでしょう。

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色んな角度から眺めてみましょう。

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フェルナン・クノップフの《メリザンド》です。1907年頃、クノップフ49歳頃の作品です。ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲『ペレアスとメリザンド』の女主人公メリザンドを描いたものです。この頃、クノップフはブリュッセルのモネ劇場でオペラの衣装と舞台セットのデザインを手掛けていたので、これはドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』に基づいたものなのでしょう。なお、このオペラは1902年に初演されていますから、早々とブリュッセルでも上演されたようですね。

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フェルナン・クノップフの《R・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」のクリテムネストラの衣装デザイン》です。1910年頃、クノップフ52歳頃のオペラの衣装デザインです。クリテムネストラは主人公エレクトラの妹ですね。クノップフのデザインした衣装と舞台セットの楽劇「エレクトラ」を見てみたいものです。

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フェルナン・クノップフの《呪文》です。1888年~1912年頃の作品です。詳細は不明です。

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フェルナン・クノップフの《ブラバント公、レオポルド王子の肖像》です。1912年頃、クノップフ54歳頃の作品です。このレオポルド王子が後のベルギー国王レオポルド3世のことだとすれば、11歳のときの肖像です。

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以上がクノップフの素晴らしいコレクションです。肝心のポール・デルヴォーの作品は一部のスペースが改装中のため、見られませんでしたが、素晴らしいクノップフの作品を見られたことが今回の王立美術館訪問の最大の成果でした。
もう少し、この世紀末部門の展示作品が残っています。続けて見ていきます。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、バーン=ジョーンズからミュシャまで

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/16回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの珠玉の作品群を見ています。
フェルナン・クノップフの素晴らしい作品群を見て、大満足。残りの作品も見ていきましょう。

エドワード・バーン=ジョーンズの《プシュケの結婚》です。1895年頃、バーン=ジョーンズ62歳頃の作品です。バーン=ジョーンズはラファエル前派とみなされることもありますが、彼独自の作風で精巧でロマンあふれる作品を描いています。この《プシュケの結婚》及び、一連のプシュケ・シリーズもそういう彼の作風を代表するものです。プシュケはギリシャ神話の世界の登場人物で大変な美貌の持ち主です。その美貌ゆえに愛の神キューピッドからの求婚を受け、神の世界に迎い入れらえます。この絵はプシュケがキューピッドの花嫁になるために天上の世界に向かう場面を描いたものです。華やかな場面の筈ですが、この絵では暗い沈んだ印象があります。結婚というよりもむしろ、神への生贄になるという見方もできるのかもしれません。ただ、そういう穿った見方よりも、プシュケの後の運命を象徴しているのかもしれません。プシュケは結婚のときの契約であったキューピッドの姿を見ないということを破ったためにキューピッドの愛を永遠に失ってしまうんです。

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画面の右側を拡大して見てみましょう。先頭の松明を掲げる乙女に続いて、4人の乙女が薔薇の花びらを撒き、その後ろが花嫁のプシュケです。いずれの乙女もその美しさと言ったら言葉もありませんが、ひときわ、プシュケの美しさが秀でていますね。

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プシュケを拡大して見てみましょう。とても美しいですね。モデルは誰でしょう。

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フランツ・フォン・シュトゥックの《家族のグループ》です。1909年頃、シュトゥック46歳頃の作品です。これはまるでベラスケスの描いたマルガリータ王女のパロディーですね。シュトゥックはミュンヘンで世紀末に活躍した異形の画家です。そのうちにミュンヘンのヴィラ・シュトゥックを訪れて、彼の業績の一部でも垣間見たいと思ってはいます。

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アンリ・ド・グルーの《リヒャルト・ワーグナー》です。1895年頃、ド・グルー29歳頃の作品です。世紀末にワーグナー信奉者が多くいたそうですが、このド・グルーもその一人なのでしょう。

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アンリ・ド・グルーの《ワーグナーの楽劇「ニーベルンクの指輪」からの場面、ハーゲンに殺されるジークフリード》です。1890年頃、ド・グルー24歳頃の作品です。『ニーベルングの指環』四部作の最後を飾る『神々の黄昏』を描いたのですね。

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ヤコブ・スミッツの《ケンペン(地方)のシンボル》です。1901年頃、ヤコブ・スミッツ46歳頃の作品です。印象派的な作品でしょうが、とても厚塗りの作品です。日常風景にキリストやマリアが登場するのはドイツ印象派のフリッツ・フォン・ウーデもよく用いていた手法ですね。

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ヤコブ・スミッツの《Mater Amabilis(慈愛深い母)》です。1901年頃、ヤコブ・スミッツ46歳頃の作品です。もちろん、聖母子をイメージした作品でしょう。

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アルフォンス・ミュシャの4点セットの一つ、連作《一日の四つの時刻》です。1899年、ミュシャ38歳の作品です。ゴシック様式のステンドグラスを思わせる連作になっています。左から《朝の目覚め》、《昼の輝き》、《夕べの夢想》、《夜のやすらぎ》の4点です。シャンプノワ社が販売したパネル・セットの中の1セットです。当時の価格は40フランだったそうです。今はどれくらいの価値があるんでしょう。

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アルフォンス・ミュシャの《ナチュール(自然)》です。1899年~1900年、ミュシャ38歳~39歳の作品です。ミュシャがこういうブロンズ像を制作しているのは知りませんでした。ブロンズ像でもやっぱりミュシャらしい作品に仕上がっていますね。

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折角のブロンズ像ですから、左右からも眺めてみましょう。実に美しい女性像ですね。

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このあたりで鑑賞を終えます。最後にもう一度、バーン=ジョーンズの《プシュケの結婚》とクノップフの《妖精の女王》を眺めておきましょう。いや、素晴らしく美しいです!!

出口へのエレベーターに乗り込むと、びっくり。最後まで楽しませてくれます。エレベーターの中まで、なかなかベルギー王立美術館はきめ細かい演出をしてくれますね。ここでゆっくりしていきたいくらいです。

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出口への通路にはさりげなく、面白い木彫作品が置いてあります。

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最後は地上への階段を上って、世紀末部門もお終い。配偶者の後ろ姿からも満足感と精気が感じとれます。saraiの気持ちが反映しているのかもしれません。

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世紀末部門ではバーン・ジョーンズの作品もとても魅力的でした。まあ、それにしても、素晴らしいクノップフを見られたことで最後は大満足のベルギー王立美術館でした。
粘って粘って探して本当によかったです。11時の開館と同時に入館し、お昼ご飯も含めて、5時まで滞在。結局6時間も滞在してしまいました。ベルギー王立美術館は古典美術館、マグリット美術館、近代美術館(実際は世紀末部門)の3つのドメインに分かれていますが、地下通路で結合されているため、ずっと建物からは出ずじまい。その間、外では雨が降った模様ですが、まったく気が付きませんでした。また、館内はガンガンに冷房が効いていて、寒いくらい。暑い日にはこの美術館にこもるのが一番です。もっとも、今日は雨になったこともあり、昨日までの暑さは一段落。ようやく普通の陽気に戻ったようです。よかったです。
次は王立美術館を出て、明日の遠征のための鉄道チケットを購入するためにブリュッセル中央駅に向かいます。


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ブリュッセルでグルメ三昧

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/17回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueから外に出ると、大雨の降った後で道路はビショビショ。大勢の人が雨宿りをしています。しかし、もうほとんど止んでいるので、バス停まで歩き始めましょう。ロワイヤル広場Place Royaleのバス停から、乗り慣れた71番のバスでブリュッセル中央駅Gare de Bruxelles-Centralに向かいます。明日は元々はお友達の町を訪ねる予定でしたが、お友達の都合が悪くなったために予定キャンセル。丸1日スケジュールが空いてしまったので、急遽アルデンヌ地方ArdennesのディナンDinantに遠征することにしました。その鉄道チケットを買うためにブリュッセル中央駅に行くんです。やってきた71番のバスでブリュッセル中央駅に到着。ブリュッセル中央駅は美しい形の建物です。

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駅の中に入ると、ロビーは美しい内装です。

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駅の構内は地下に続いていて、ホームはそちらにあるようです。

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大きなチケット窓口もありますね。

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チケットは自動販売機で購入します。ちゃんと割引のシニアチケットを買うことが出来ました。

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明日の準備が終わったところで、夕食をどうするか配偶者と相談します。その結果、昨夜と同じお店シェ・レオンChez Léonで夕食をとることにします。昨日シェ・レオンでの食事があんまり美味しかったので、今日もシェ・レオンで別の料理にチャレンジすることにします。ブリュッセル中央駅を出て、シェ・レオンの方に歩きだします。

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途中、グラン・プラスGrand-Placeに立ち寄ります。相変わらず賑わっています。ところが昨日とは様子が違って、広場に椅子が並べられて、何かのイベントをやっているようです。

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広場の真ん中にユニフォームを着た人が球を投げています。どうやら、広場を仕切って、球技大会をやっているようです。

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市庁舎Hôtel de Ville de Bruxellesの前にはちょっとしたスタンドもできています。

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この球技大会の見物人も加わって、グラン・プラスの広場はさらに大勢の人出になっているようです。

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さて、今日もこのグラン・プラスに立ち寄ったのは、昨日、あることを忘れたことに気が付いたからです。それはこんな広場には必ずある、触ると幸せになるという像の存在です。広場の南側にある《星L'Etoileの家》の下にあるセルクラースの像Everard t'Serclaesがそれです。探すとすぐに見つかります。ピカピカに光っていますね。よほど、多くの人に触りまくられたと思えます。

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セルクラースの像は1388年に暗殺されたブリュッセルの町の英雄エヴェラール・セルクラースを記念して造られた像です。セルクラースは1356年の嵐の夜、王位を狙っていたフランドル伯の旗を、星の家によじ登って正統なブラバン公の旗に取り替えてしまったそうです。これで士気を高められて、王位は正統なブラバン公に継承されることになりました。このセルクラースの像に触れると、その人は幸福になると言い伝えられています。saraiもあやかることにしましょう。とりあえずタッチします。

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セルクラースの像のあった《星の家》と市庁舎の間の路地を、しばらくうろつきます。

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再び、喧噪渦巻くグラン・プラスに戻ります。いやはや、賑わっていますね。

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球技大会もたけなわのようです。得点板によると、3対0でKerkskenチームがリードしています。

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早々にグラン・プラスの喧噪を抜けだして、シェ・レオンに食事に向かいましょう。途中、豪華なギャルリー・サン・チュベールLes Galeries Royales Saint-Hubertを抜けていきます。

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レストランの立ち並ぶブシェ通りRue des Bouchersに到着。

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迷うことなく、シェ・レオンChez Léonに入店します。
とりあえず、ベルギービール。

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ベルギービールは瓶のデザインも可愛いですね。

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まずはパンが出てきます。パンも美味しいです。

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路地の様子を眺めながら、美味しいビールをちびちびと飲みます。路地の先には市庁舎の尖塔が見えています。

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今日は、さすがにムール貝以外のものをいただきます。でも海鮮料理がいいですね。
まずは生牡蠣の盛り合わせです。これは超美味!!

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それに魚のスープです。フランスパンを浸していただきます。これも美味しいです! 大満足です。

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あっという間に完食です!!

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暑さも一段落したので、体力も回復し元気一杯のsaraiです。それに美味しいものを食べるとご機嫌になります。ゆったりと路地を余裕で眺めながら、会計を済ませます。

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さて、ホテルに戻りましょう。マルシェ・オー・エルブ通りRue du Marché aux Herbesでワッフル屋さんのゴーフル・ド・ブリュッセルGaufre de Bruxellesの前を通りかかります。そのまま通り過ぎるのも何ですね。フリッツ(ポテトフライ)をテイクアウトしていきましょう。

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お店の前の巨大なフリッツの模型の前にお買い上げのフリッツをかざします。

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ルンルン気分でホテルに向かいます。中央駅に着き、バス停で71番のバスを待ちますが、バスはなかなか来ません。と、後からやってきた若者が、後2分で来るよと仲間に指を2本立てて知らせています。え~、なんで分かるの? 時間表示のパネルなんてないのに・・・と思いながら探すと、待合の屋根の下にありました。知ってないとこれは見えないよね。また一つ賢くなりました。
ロワイヤル広場でバスを降りて、92/93番のトラムへの乗り換えの移動をしていると、通りの向こうからトラムがやってくるのが見えます。ダッシュしながら、配偶者は得意の運転手とのアイコンタクト。しっかりトラムは停まって待ってくれます。こういうときに配偶者は頼りになります。もちろん、配偶者はサンキュウと運転手に挨拶して乗りこみます。降りるときにも、感謝込めて配偶者がさようならの挨拶をすると、運転手はウインクしてました。これがベルギー人なのねって、納得です。フランス人、イタリア人と一緒ですね。

ホテルのお部屋に帰ってきました。またまたブログを書いて、お風呂に入って寝ましょう。おやすみなさい。

明日はアルデンヌ地方を訪れて、ベルギーの旅を終えようと思います。


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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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