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アミアン大聖堂:パリ北駅からアミアンへ

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/1回目

ノートルダム大聖堂巡りの4日目。今日はアミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensを訪れます。その後、いったん、パリParisに戻って、それからフランス第3の都市リヨンLyonに移動します。リヨンのノートルダム大聖堂への訪問も予定しています。

今日の予定ルートを地図で確認しておきましょう。

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今日の空は雲一つありません。旅始まって以来の快晴です。
今日はパリを離れるので、朝のうちに荷物をまとめます。オペラ用のカバンは封印してあるので、日常のカバンを1つ片付けるだけですから簡単だと配偶者は言っています。
今日はアミアンAmiensに出かけるだけなので、スケジュール的には楽なのですが、あまり都合のよい電車がないので、待ちが多い日程になってしまいます。朝も早い電車に乗ることになります。7時過ぎにはホテルをチェックアウトをしてレセプションにカバンを預けます。リヨン駅Paris Gare de Lyonのホームで高速電車RERを待ちます。

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高速電車RER(エール・ウ・エール)でパリ北駅Gare du Nord Parisに向かいます。日曜日の早朝のせいか、電車は空いています。すぐに北駅に到着。大きな駅で賑わっています。

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朝食をゲットしてアミアン行きの電車が出るホームに向かいます。

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表示板をチェックします。左側の青い表示板が出発する電車の表示盤です。上から2つ目の電車がアミアン行きの電車です。あと10分ほどで発車です。

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14番ホームに行くと、既に7時58分発のアミアン行きの電車は入線しています。

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いかつい形の機関車ですね。

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早速、ファーストクラスの車両を探して乗り込みます。

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ファーストクラスの車内はガラガラ空いていて、座席も豪華です。快適な鉄道旅になりそうです。

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北駅のホームは大きなガラス張りの鉄傘があります。パリの大きな駅はすべて、素晴らしいですね。

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さて、早速、朝食をいただきましょう。配偶者が選んだフランスパンのサンドイッチです。美味しいコーヒー付きです。

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定刻通り北駅を発車した電車はパリの街の中を走り抜けていきます。

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パリの街を出た電車は20分ほどで最初の停車駅、オリ·ラ·ヴィル·コイ·ラ·フォレOrry la Ville Coye la Forêtに到着。緑の多い小さな駅です。

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この駅を出ると、大きな森の中を電車は走っていきます。

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次の停車駅はクレイユCreilです。

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綺麗な駅員さんに見送られながら、この駅を後にします。

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まだ、電車に乗って30分ちょっとです。アミアンまでは1時間弱かかります。車窓でも楽しみながら、ゆっくりとしていきましょう。



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アミアン大聖堂:アミアン駅へ到着・・・アミアン駅の素晴らしいデザイン!!

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/2回目

今日はアミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensを訪れます。パリ北駅Gare du Nord Parisから電車に乗って、アミアンAmiensに向かっているところです。
クレイユCreilの駅の次の停車駅クレルモン=ド=オワーズClermont-de-l'Oiseを発車しました。ここは町らしい町ではありませんね。

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クレルモン=ド=オワーズを出ると車窓には一面の麦畑が広がります。

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美しい麦秋の風景です。

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サン=ジュスト=アン=ショセSt-Just-en-Chaussée SNCFの駅に到着。クレルモン=ド=オワーズから10分ほどです。アミアンまではあと30分ほどです。

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サン=ジュスト=アン=ショセを出るとまた麦畑です。麦畑の向こうには風力発電ユニットが点々と並んでいます。

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車窓は緑色の畑に変わります。

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珍しく改札があります。saraiはフランス・レイル・パスを提示してOK。改札しているのは正規の車掌なのか、物騒なシャツを着ています。RIDE FREE DIE LAST・・・無賃乗車すれば、最後には死ぬってことでしょうか。

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この二人組の殺し屋みたいな車掌は改札しながら通り過ぎていきます。

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やがて、電車はアミアンの町に入っていきます。

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アミアンに到着です。パリ北駅から直通で1時間半ほどでした。

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ホームを歩いて、駅舎に向かいます。

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ホームから階段を上って、移動。

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コンコースは大きなガラス窓からの明るい陽光が差し込んでいます。時計は9時半ちょっと前を告げています。

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駅舎のロビーは天井の高い大きな空間になっています。巨大なコンクリートむき出しの壁が印象的です。はて、これって、どこかで見た建物に似ているような・・・??

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駅舎を出ると、駅前は巨大な庇が巡らされています。大きな傘に覆われたような空間です。アミアンの駅は新しくてなかなかモダンなデザインですね。何故、こんなに美しいデザインの駅があるのか、不思議な感じです。

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この屋外天井の下の通路を歩いていきます。

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屋外天井の端まで行くと、駅前の大通りに出ます。

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通りも広く、緑も多く、街全体が清々しい印象です。

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駅舎の前の屋外天井で覆われた広場の概観はこんな感じです。中央のオープンなスペースは一段低い広場になっていて、駅の下層に通じているようです。何か、驚くほど素晴らしいデザインです。

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このデザイン、どこかで見たものに似ているような気がします。後で調べてみて、疑問が氷解しました。なんとオーギュスト・ペレが1954年に爆撃で破壊された駅舎を新たに作り直した作品なんだそうです。オーギュスト・ペレと言えば、一昨日訪問したル・アーヴルの町を1からデザインし直した天才建築家です。ル・アーヴルの後に手掛けた最晩年の仕事がこれだったんですね。やはり、天才の見事な作品でした。この後、さらに彼の手による異彩を放つ建物を見ることになります。因みにあの有名なル・コルビジェはペレの建築事務所に所属したこともあり、多大な影響を受けたそうです。アルマ・マーラーが再婚したヴァルター・グロピウスもペレの影響を受けた建築家の一人です。

さて、ここから歩いて、アミアン大聖堂に向かいます。



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アミアン大聖堂:アミアンの綺麗な路地を歩いて、大聖堂へ

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/3回目

アミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensを目指して、アミアンAmiensの駅に着いたところです。オーギュスト・ペレが設計した素晴らしい駅舎の前に立っています。駅前に、異様に高い塔、ペレ塔Tour Perretが立っています。名前の通り、オーギュスト・ペレが最晩年の1954年に残した作品です。ル・アーヴルのサン・ジョセフ教会にそっくりです。27階建ての高さ104mを誇ります。残念ながら、内部は公開されていません。

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この塔は後で駅に戻ってくるときに、駅の目印になりますね。町のランドマークです。さて、アミアン大聖堂を目指して歩きます。
駅前の大通り、ベルフォール通りBoulevard de Belfortを渡って、歩行者天国のノイヨン通りRue de Noyonを歩きます。

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左手に緑の広場が見えます。ルネ・ゴブレ広場Place René Goblet(サン・ドニ広場とも呼ばれています)です。石碑に“Aux Picards Martyrs de la Resistance”と刻まれています。《ピカルディ地方のレジスタンスの殉教者たちへ》とでも訳すのでしょうか。いずれにせよ、第2時世界大戦の慰霊碑ですね。

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綺麗な花々が咲き誇っていて、可愛い広場です。

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駅のほうを振り返ると、ランドマークのペレ塔が陽光に輝いています。

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広場の横を歩いていくと、広場の中央に銅像が見えます。アミアン出身の歴史家にして言語学者のシャルル・デュフレスン・デュ・カンジュ卿Charles Dufresne sieur Du Cangeだそうです。(アミアン出身のフランス貴族でビザンツ学の確立者。1670年代以降、ビザンツ史家全集パリ版の主要編纂者として多くのビザンツ著作の校訂と注釈を行う。歴史学、文献学、系譜学、地誌学、古銭学の領域でも成果を上げた。古代ギリシア語、中世ギリシア語それぞれの百科事典や中世・近世ラテン語辞典を編纂。~東海大学付属図書館の資料を参照)

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ルネ・ゴブレ広場の端まで歩くと、その先は道が4本ほどに分かれています。

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分岐路には素晴らしく綺麗なフラワースタンド(ポール型)があります。さすがにフランスですね。

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さて、どの道を進みましょうか。これが一番美しい通り、トロワ・カイヨー通りRue des 3 Caillouxです。歩いてみたくなる通りです。

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しかし、右に折れる通りの先を覗くと、尖塔が見えます。きっと、アミアン大聖堂でしょう。この通りはヴィクトル・ユーゴー通りRue Victor Hugoです。

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このヴィクトル・ユーゴー通りに歩み入ります。

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2番目の角で左に曲がり、ルジュアール通りRue Lesueurを歩きます。すると、最初の4つ角で右に大聖堂の立派なファサードが見えます。

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ロベール・ド・ルザルシュ通りRue Robert de Luzarchesに入って、大聖堂に向かいます。

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アミアン大聖堂の素晴らしいファサードに近づきます。

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尖塔が空を突き抜ける勢いです。

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ファサードの扉口には精細な彫刻が施されています。扉の真ん中に柱には、聖母子の彫像があります。これでこそ、ノートルダム大聖堂です。

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しかし、よく見るとここは南側面のファサードです。それでは西正面のファサードはどんなに凄いのでしょう。逸る気持ちを抑えて、南側面に沿ったコルモン通りRue Cormontを歩いていきます。そして、すぐにノートル・ダム広場Place Notre Dameに出て、西正面のファサードに向かい合います。さすが、アミアンの大聖堂は凄い!! 立派としか言えません。

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ここまでの移動ルートを地図で確認しておきましょう。歩いて15分足らずの移動でした。

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今日は日曜日。これから日曜ミサが始まりますから、急いで内部を見学しましょう。



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アミアン大聖堂:日曜ミサの前に大聖堂の内部を急いで撮影

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/4回目

アミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensの前に着きました。西正面のファサードの素晴らしさは圧倒的です。ところで、今日は日曜日なので日曜ミサがあるはずで、ミサが始まると写真は撮れません。早く大聖堂の中に入りたいところですが、saraiは急に催してきて、SOS。配偶者は呆れて、困ったもんだという顔をしています。でも自然現象なので仕方ないですよね。大聖堂前のカフェでお茶して、トイレを借りしましょう。待っている配偶者はぽつねんと椅子に座って、大聖堂のファサードを眺めるのみです。

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用を足し終えて、落ち着いたところでsaraiは今度は大聖堂内部の写真を急いで撮らないといけないことに思いが至ります。配偶者は勝手な人だと、また、呆れ顔。まだ、オーダーしたお茶は出てきていません。配偶者にカフェで待っていてもらって、とりあえずミサの前に写真だけ撮ってくるということで、saraiだけ大聖堂に向かいます。

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saraiが急いで内部に入ると、ミサはまだまだのようです。内部はとても大きなゴシック空間です。

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身廊を進んで、内陣に向かいます。

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内陣の前のクロッシングに着きます。内陣は区切られていて、祭壇は見えません。

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クロッシングから北翼廊を眺めます。大きな薔薇窓です。

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こちらは南翼廊。北翼廊とそっくりです。

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南翼廊の前には、大きな絵画と彫像があります。絵画のテーマは聖母被昇天? 絵画の両側の彫像は左が聖女ジュヌビエーブ、右がホロフェルネスの首を斬るユディトです。

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ここから後陣の周歩廊を歩きます。聖ヨゼフの礼拝堂があります。彫刻はイエスと聖ヨゼフという珍しい取り合わせの彫刻です。

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周歩廊を進んで後陣奥に行くと、素晴らしいステンドグラスが並んでいます。

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サクレ・クールの礼拝堂のステンドグラスです。サクレ・クールとは「聖なる心臓」(聖心)を意味し、イエス・キリストに捧げ、守護として祀っている礼拝堂です。

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聖母の礼拝堂です。ステンドグラスが美しいですね。

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この頃、配偶者は、1人で大聖堂を見上げながらゆったりと時間を過ごしていたそうです。

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既にお茶は届いています。

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saraiは周歩廊を歩いています。こんな美しい彫刻があります。

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周歩廊をぐるっと周って、北側に出ました。北翼廊の先に北側廊が見えます。

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北翼廊の前から身廊と側廊を眺めます。

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日曜ミサが始まる前に、大聖堂内部の写真を撮り続けます。



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アミアン大聖堂:大聖堂内部の撮影は無事完了

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/5回目

アミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensの内部を写真撮影中です。日曜ミサが始まる前に、saraiが一人だけで、配偶者を大聖堂前のカフェに残して、大聖堂内部の写真を撮っているんです。大聖堂の後陣の周歩廊をぐるっと周ってきたところです。周歩廊から鉄柵ごしに内陣が見えます。

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内陣の上方を見上げます。ステンドグラスのある窓とない窓がありますね。

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内陣の奥の周歩廊側には、3層から成るお墓があります。最上層の司教座聖堂参事会員(司祭)ギラン・ルカ師Guilain Lucasの墓所には、左に聖母子の彫像、そして、中央に《嘆きの天使》と呼ばれる天使像があります。中段は枢機卿 ジャン・ド・ラ・グランジュJean de la Grangeのお墓です。

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内陣の周歩廊側には、素晴らしい障壁彫刻が並んでいます。これは南周歩廊にある内陣障壁彫刻「聖フィルマンの生涯」です。聖フィルマンはアミアン大聖堂の守護聖人です。聖フィルマンの物語が八つの場面で構成されています。聖フィルマンがアミアンの町に到着したところから物語は始まり、首を切られて殉教するまでが描かれています。これはそのうちの左側の四つです。下には大聖堂の64番目の大司教フェリー・ドゥ・ボーヴォワFerry de Beauvoirの墓標彫刻が刻まれています。

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右側にある内陣障壁彫刻「聖フィルマンの生涯」の残り四つの場面です。下にはフェリー・ドゥ・ボーヴォワの甥の参事会員アドリアン・ドゥ・エナンクールAdrien de Hénencourtの墓標彫刻が刻まれています。

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これは南周歩廊の端から眺めた南側廊です。ずっと先に西ファサードの入口が見えています。手前の内陣前の床面には迷路のような模様が描かれています。実は身廊の中央の床面には、ちゃんとした迷路が描かれています。その迷路が完成した1288年がアミアン大聖堂の完成の年とされています。13世紀末には、大聖堂の建築に携わった建築家たちの名誉を称えるため迷路模様の敷石を床に施す慣例があったそうです。迷路の終点、すなわち、迷路模様の中心にはアミアン大聖堂の建設に携わった4人、司教 エヴラール・ドゥ・フイヨワÉvrard de Fouilloyと、大聖堂の建築家3人 ロベール・ドゥ・リュザルシュRobert de Luzarches 、トマ・ドゥ・コルモンThomas et Renaud de Cormontとルノー・ドゥ・コルモンRenaud de Cormontが描かれたプレートが置かれています。その迷路の写真は撮り忘れました。残念。

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今度は北に移動して、北側廊を眺めます。

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北翼廊の前には、大きな絵画と彫像があります。これは聖セバスティアンの礼拝堂です。絵画のテーマは十字架のキリスト。絵画の左の彫像は聖ロックと犬です。聖ロックと言えば、モンペリエ出身の聖人ですが、彼はローマへの巡礼の道すがら各地でペスト患者を救ったことで知られています。彼自身もペストに感染しますが、森に追われた彼に毎日、パンをくわえた犬が訪れるようになります。その犬は彼の傷口を舐めて直して、ペストは癒えます。この奇跡によって、聖ロックと犬は絆で結ばれています。因みにsaraiが今年予定しているヨーロッパの旅で北イタリアのミラノから、ルガーノ経由でルツェルンまで、ウィリアム・テル特急(現在はゴッタルド・パノラマ急行Gotthard Panorama Expressと言うそうですが)に乗って、アルプスのサン・ゴタール峠(ゴッタルド峠)を越えますが、この地名のサン・ゴタールこそ、聖ロックを癒した犬の飼い主のパラストレッリ伯爵(北イタリア、ピアチェンツァの領主でした)のことです。伯爵は飼い犬に導かれて聖ロックに弟子入りし、その後、スイスの山で苦行を重ねて、徳を積み、元々あったゴッタルド峠の地名から、聖ゴタール(サン・ゴタール)と呼ばれるようになりました。

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これは身廊からクロッシングの天井、南翼廊、内陣を眺めているところです。手前には美しい説教壇が見えています。説教壇の上には、ソンム(アミアンはソンム川渓谷に築かれた町)の天使が人差し指を空に向かって突き出しています。

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身廊の説経壇の向かいには、十字架のキリスト像があります。

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出口近くまで戻ってきました。南側廊の後陣方向を眺めています。

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身廊を眺めます。天井の高さが印象的です。身廊のヴォールトは高さが42.30メートルもあり、完全なものとしてはフランスで最も高いものだそうです。室内空間もフランスで最も大きいんだそうです。

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これは出口近くにある参事会員アントワーヌ・ニケAntoine Niquetのお墓です。ニコラ・ブラセNicolas Blassetによる素晴らしい彫刻です。先ほどの《嘆きの天使》も彼の作品です。

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一通り、大聖堂内部の写真を撮り終えて、外に出ます。ノートル・ダム広場Place Notre Dameです。配偶者が待っているカフェはこの写真からはみ出した、ちょっと左奥の建物です。

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まだ、西ファサードの詳細を見ていなかったので、3つの扉口を見ておきましょう。
これは一番左の扉口です。聖フィルマンの扉口と呼ばれています。 聖フィルマンはアミアンの初代司教でアミアンの守護聖人です。扉中央の柱の彫像が聖フィルマンです。タンパンには司教の諸像が並んでいます。扉の両側には、アミアンの聖人と天使像が並んでいます。

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これは中央の扉口です。最後の審判の扉口(美しき神の扉口)と呼ばれています。タンパンの最上層には、最後の審判を下すキリストが両手を上げた厳しい表情で描かれています。タンパンの最下層では中央の大天使ミカエルが秤で審判を受ける人々の魂の重さを量って、地獄と天国への選別をしています。その横では天使がラッパを吹き鳴らしています。タンパンの第2層は右が地獄行きの人々、左が天国行きの人々がそれぞれの道を進んでいます。運命は紙一重ですね。
扉口中央の柱には「美しき神」"Beau Dieu"と呼ばれるキリスト像が柔和な表情でこちらを見下ろしています。扉の両側には、キリストの使徒と預言者の像が並んでいます。

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これは一番右の扉口です。聖母マリアの扉口と呼ばれています。扉口中央の柱には、聖母子像があります。聖母子像の下部には、アダムとイブの物語が描かれています。タンパンには中段に聖母マリアの死と被昇天、そして、上段に聖母戴冠が描かれています。
扉の左側には、東方3博士、ヘロデ王、ソロモン王、シバの女王などの諸王が並びます。扉の右側には、大天使ガブリエルとマリアの受胎告知 、マリアのエリザベト訪問、幼子イエスを抱く聖母マリア、聖シメオンの像が並びます。

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さて、カフェで待っている配偶者のところに戻りましょう。

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カフェの配偶者も戻ってくるsaraiの姿を眺めています。

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カフェ、ラ・テラスLA TERRASSEに戻りました。

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お茶を飲みながらsaraiを待っていた配偶者は機嫌よく、ピースサインでsaraiを迎え入れてくれます。待たせて、申し訳けありませんでした。ペコッ。

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しばらく、お茶の時間です。



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アミアン大聖堂:大聖堂から、ジュール・ヴェルヌの家へ

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/6回目

アミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensの内部の写真撮影を終えて、saraiは配偶者が待っていたカフェでゆっくりとお茶をいただきます。
で、saraiが配偶者に語ったのは、アミアン大聖堂の内部の建物自体は立派だけどステンドグラスは今一つだという感想です。
やがて、ミサの開始を知らせる鐘が盛大に鳴り響きます。それでは、ミサが本格的に始まる前に配偶者にも大聖堂の内部を見てもらいましょう。
西ファサードの美しい彫刻の細部を眺めながら、大聖堂に歩み寄ります。それにしても凄いファサードです。

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大聖堂の内部に入ると、身廊の信者席はかなり埋まってきています。

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まだ、写真を撮っていなかった西ファサード裏の大薔薇窓です。薔薇窓を装飾するトレーサリーが素晴らしいですね。北翼廊・南翼廊の薔薇窓のトレーサリーも同様に素晴らしいものでした。

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薔薇窓の下にあるパイプオルガンも大きくて立派なものです。装飾も豪華なものです。

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これは入口近くにある司教座聖堂参事会員ビュリBuryのお墓です。彫像は辱められて、受難するキリストです。

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内部の写真は十分に撮りましたから、あとはざっと見て周るだけです。配偶者の感想もステンドグラスはいささか、さびしいねということです。
確かに、大聖堂の建物や西ファサードの素晴らしさに比べたら、少々さびしいステンドグラスでした。これからの修復に期待しましょう。

日曜ミサが始まるので、大聖堂の外に出ます。

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とりあえず、ツーリストインフォメーションに寄っていきましょう。ガイドブックを参考にツーリストインフォメーションを探します。先ほどのカフェの先にある筈です。

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ところがツーリストインフォメーションがなかなか見つかりません。すると、道標にツーリストインフォメーションの方向が示してあります。

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このあたりにツーリストインフォメーションがある筈ですが見つかりません。あるのは凝った時計塔だけです。

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また、道標があります。アミアン大聖堂まで4分。同じ方向でツーリストインフォメーションまで5分ということです。おかしいですね。ガイドブックの地図と合っていません。

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少し考えて、ツーリストインフォメーションを探すのはあきらめます。実は後で調べて、分かったんですが、ガイドブックの情報は古くて、ツーリストインフォメーションの場所は変わったようです。ツーリストインフォメーションはアミアン大聖堂前のノートル・ダム広場に面したところにあったようです。地図では、この場所にツーリストインフォメーションがあります。(ところで、この地図でも、ツーリストインフォメーション(i)の場所は時計塔の近くになっていますね。)

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パリに戻る電車までまだ1時間ほどあります。道標によるとジュール・ヴェルヌの家Maison de Jules Verneまで、歩いて15分ほどです。そこに寄っていきましょう。レピュブリック通りRue de la Républiqueを進んでいきます。

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アミアンの街を散策しながら、ジュール・ヴェルヌの家に向かいます。



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アミアン大聖堂:ジュール・ヴェルヌの家へ。そして、旅に暗雲!!

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/7回目

アミアン大聖堂Cathédrale d'AmiensからアミアンAmiensの街を散策しながら、ジュール・ヴェルヌの家Maison de Jules Verneに向かいます。町の中心を10分ほどで抜けて、緑地帯のような大通りを渡り、ルメルシエ通りRue Lemerchierを歩くと通りは鉄道の線路を越えます。

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線路を越えると、道標があります。ジュール・ヴェルヌの家へは、ここで左に曲がるようです。

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線路沿いの、その名もジュール・ヴェルヌ通りBoulevard Jules Verneを歩きます。一つ目の角で右手に伸びるドブレ通りRue Debrayを覗くと、正面には教会が見えます。サン・マルタン教区教会Paroisse Saint Martinです。しかし、ジュール・ヴェルヌの家はまだのようです。

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次の角にジュール・ヴェルヌの家がありました。ちょっと分かりづらい所ですが、何とか発見。これが入口のようですが、まだ、クローズしています。何人かの人がオープンを待っています。

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天体観測所のような塔まで備えた、いかにもヴェルヌらしい家です。ジュール・ヴェルヌと言えば、このアミアンで一番の有名人です。saraiも子供のころに夢中になって、海底二万マイルとか、80日間世界一周とか、読みました。とても夢のある物語です。そのヴェルヌの家にふさわしい建物です。彼はこの邸宅に1882年~1900年の間、住んでいたそうです。現在はジュール・ヴェルヌの博物館になっています。

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これはジュール・ヴェルヌ通りから見たジュール・ヴェルヌの家です。堂々たる建物です。いかにヴェルヌが活躍したかがうかがい知れます。

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ジュール・ヴェルヌの家は11時にオープンするので、あと数分で開きますが、パリに戻る電車は11時21分発なので、中に入る余裕はないので、あきらめて駅に向かうことにします。マレシャル・ジョフル広場Place du Maréchal Joffreに出ると、駅前のペレ塔Tour Perretが見えます。そちらの方向に歩いていきましょう。

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広場の中央には銅像が立っています。慰霊碑です。広場の名前の由来のジョゼフ・ジョフル元帥Maréchal Joffreは第1次世界大戦時にフランスの陸軍総司令官を務めた人ですから、戦争の慰霊碑でしょうね。

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ベルフォール通りBoulevard de Belfortからは遠くにアミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensが見えています。ペレ塔とアミアン大聖堂はアミアンの町のランドマークですね。

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ベルフォール通りを歩き始めると、公園に中に銅像が見えます。これって、ジュール・ヴェルヌ像ですね。

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アミアンは本当に緑の美しい街です。ベルフォール通りを歩いて、15分ほどでアミアン駅に着きます。
ここまでの移動ルートを地図で確認しておきましょう。(地図上のジュール・ヴェルヌの家の場所は間違っています。ジュール・ヴェルヌ通りの北になっていますが、実際は南側にあります。)

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予定通りの電車に余裕で乗車。

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発車した電車はゆっくりとアミアンの町を離れていきます。

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ここまでは予定通りにことが進んでいましたが、saraiは具合が悪くなります。頭がふらついてきます。配偶者にそう言うと心配そうにしています。彼女は風邪でもひいたのかしらと言っています。具合の悪いままに、saraiはパリへの帰りの電車の中でぐっすりと寝てしまいます。本当にかなり具合が悪くなって、配偶者に迷惑をかけてしまいます。まあ、スケジュールのゆるい日でよかったです。パリ北駅Gare du Nord Parisに到着します。

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賑わうパリ北駅の中を何とか歩きます。

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ともかく、荷物を預けているパリ・リヨン駅に向かいましょう。フラフラしながら、高速電車RER(エール・ウ・エール)のホームに向かいます。

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saraiの体の調子とはうらはらにパリ北駅の前はまさに観光日和です。

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パリ・リヨン駅Paris Gare de Lyonに何とか着きます。日曜日だからでしょう。家族連れも多く、駅は人でごった返しています。人ごみの中をホテルに向かい、カバンを受け取ります。カバンを引っ張って、駅に戻ります。

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具合はますます悪くなりますが、これから、予定通り、TGVに乗って、リヨンLyonに移動しないといけません。これから、一体、どうなるんだろう・・・(不安)。



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アミアン大聖堂:リヨンへのTGVはただ眠り込むだけ・・・苦しい旅が続きます

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/8回目

パリParisからリヨンLyonに移動するためにパリ・リヨン駅Paris Gare de Lyonにいますが、saraiの体調はすこぶる悪くなってきます。リヨン行きのTGVの発車まで1時間半ほどあります。まだ、今日は昼食を食べていませんが、saraiはとても食事できる状況にはありません。とりあえず、駅のカフェで休みましょう。
saraiはアイスクリームくらいしか、喉を通りません。

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配偶者はパリのチーズケーキです。

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配偶者は飲み物をお願いしなかったら、さすがにチーズケーキは甘い過ぎるとのこと。ミネラルウォータを注文しようとすると、お水でしょとデカンタに入れた水を持ってきてくれます。そういえば、今回のパリでは、お水は必ずデカンタで提供され、タダ!です。昔は常に、ミネラルウォータを注文させられてたのにね。お水は、日本と同じように無料で提供されるようになったのかしらね。

saraiは熱が出てきたので、配偶者の手持ちのバッファリンを飲ませてもらいます。目いっぱい、カフェで休みます。

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TGVの発車時間が迫ってきたので、フラフラとホームを歩いてTGVに向かいます。

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これが乗車するTGVです。

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このTGVの指定席予約だけは日本国内でやりました。フランスレイルパスのパスホルダー枠は限られているので、人気区間のリヨン行きは事前に購入しておく必要がありました。お陰で指定料金が2600円、手数料が1500円と高いものにつきましたが、仕方ありません。これがその高価なTGV指定席チケット。額面では、一人9ユーロと印刷されていますが、一体、誰が差額をポケットに入れているんでしょう。どうも仕組みが納得できません。

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フラフラしながらも、TGVの車両に乗り込みます。あれっ、ファーストクラスは意外に空いています。まだ、時間が早いからでしょう。

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saraiは指定された席に座ると、リヨンに着くまでの2時間、ぐっすりと眠り込みます。その間、配偶者は車窓を楽しみます。TGVはリヨンまでノンストップですが、途中にはずっと街もないのですからノンストップも当然かもね。日本の新幹線のように人口密集地が続くのとは事情が異なります。パリを出て、30分ほどが経ちます。車窓には大平原が続きます。

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延々と麦畑が続きます。こんなに作ってどうするのでしょうね。

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風景はまったく変わりません。

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空は白い雲は多いですが、好天です。

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配偶者は飽きることもなく、車窓の変わらぬ風景に見入っています。

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たまには、緑色の畑もあります。

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基本的には茶色の麦畑が続きます。

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saraiは相変わらず眠り込んでいますから、周ってきた車掌の検札の対応も配偶者がします。

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おやっ、車窓に何やら黄色いものが見えてきます。

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なんとひまわり畑です。フランスにもあるんですね。

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とっても綺麗です。配偶者は大喜びだったようです。

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風力発電ユニットも今やお馴染みの風景です。

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美しい風景が続きます。

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パリを出て、1時間ほど経ちました。あと1時間ほどでリヨンですから、これで半分ほど過ぎたことになります。saraiは苦しそうに眠っています。



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アミアン大聖堂:リヨンに到着はしたものの、状態は最悪・・・予定はすべてキャンセル!!

2016年7月24日日曜日@パリ~アミアン~リヨン/9回目

体調を崩して眠り込んだsaraiを乗せて、TGVは一路、リヨンLyonに向かいます。線路の周りには、美しい田園風景が広がり、配偶者は車窓の景色を楽しんでいます。

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小麦畑の他はトウモロコシくらいが見えるだけです。これからリヨンまでは1時間ほどですが、車窓の景色はほとんど変わりません。

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やがて、リヨンまでの2時間の旅は終了。眠り込んでいたsaraiも何とか起きて、リヨン・パール=ディユー駅Gare de Lyon Part-Dieuに降り立ちます。

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駅前の広場はムッとする暑さです。南に来たからでしょうか。若い旅行者たちがぐったりと広場に座り込んでいます。

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さて、まずはホテルに向かいましょう。今日泊まるホテルは駅前のノヴォテルホテル・リヨン・パール=ディユーNovotel Lyon La Part Dieuです。広場できょろきょろして、ホテルの場所の当たりをつけます。どうやら、広場の左手のようです。

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ところが、ちょっと迷ってしまいます。どの建物にもホテルの名前が表示されていません。

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広場の前の大通りを左手に出ると、すぐにホテルが見つかります。すぐ駅前のホテルで助かります。レセプションで早速、チェックイン。

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何とか、部屋に入ります。一気に体力が萎えていきます。ベッドが魅力的です。

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配偶者は部屋のチェックをしています。きっちりしたデスクがあります。

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快適そうなソファも装備されています。ソファに倒れ込むのもいいかな・・・。

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水回りはシャワーのみ。バスタブはありません。

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本来は今から、フルヴィエールの丘にあるノートルダム大聖堂に行く予定でしたが、とてもそんな状態ではありません。それどころか、美食の街リヨンということで予約していた豪華ディナーのレストランにもとても行けそうにありません。これがそのレストラン、ブラッスリー・レオン・ド・リヨンBrasserie Leon de Lyonの予約表です。

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泣く泣く、このディナーの予約をキャンセルします。saraiはまた、バッファリンを服用して、休むことにします。ぐっすり眠ったと言いたいところですが、高熱でうなされて苦しくてたまりません。明日は病院に行かないといけないかもしれません。最悪、緊急帰国という事態も覚悟するほどの具合の悪さです。うめき声を上げながら、苦しくベッドに横になります。配偶者は一晩寝てよくなるといいのにねって言っていますが、saraiは悲観的です。配偶者は、ひそかに昨日のタルタルステーキが原因だと思っていたそうです。生ものを食べていいのかなと気にはなっていたそうですが、saraiがとってもご機嫌だったので黙って見ていたそうです。saraiはつらい状態ながら、うとうとしながら眠り込みます。

その後、夜中になって、奇跡的にsaraiの高熱も引き始め、どうやら快方に向かい始めます。ブログを書く気力まで戻ってきます。このまま、よくなればいいですね。明日の朝は天国か、地獄か、神に祈る気持ちです。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
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京都には年に2回もお越しでも、青春を過ごし

10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

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じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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