では、また。
では、また。
あっと言う間にパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。真っ暗闇でしたが、今は雲間から太陽が上がってきました。間もなく、ミラノ・リナーテ空港行きのエールフランス機に乗りこみます。旅も本番モードです。
旅自体もヴェローナのホテルでなかなかチェックインできずにやきもきしたり、イタリア名物の鉄道遅延にあったりと暗雲模様。そのイタリアも何とか予定をこなして、今はスイスの最初の宿泊地、ベリンツォーナのホテルに落ち着き、最初の現地報告を書いています。
簡単に1日目からの旅を振り返りましょう。ドタバタ騒ぎの後、夜はヴェローナ野外音楽祭で大スペクタクルオペラの≪アイーダ≫を鑑賞。意外に聴きごたえのある歌唱に惹きこまれました。やはり、ヴェルディは男声の重唱が素晴らしいです。しかし、本来はゆっくり昼寝でもして、出かけるつもりのところ、寝不足と時差ボケで3回目の休憩にはいったところで参ったという感じ。最後の幕を聴かずして撤退。まるで野球の9回の攻防を前に早めに帰る観衆みたいです。残念でした。それでも時刻は12時をまわっていました! ヴェローナ野外音楽祭の≪アイーダ≫は長過ぎ。
2日目はミラノに宿を移し、初めてのトリノ訪問。旧市街、ポー川と歩き回り、疲れ切りました。足のマメがつぶれ、血まみれになっていました。最後は夕立に見舞われて、ズボンがびしょびしょ。それでもトリノの街を隈なく歩き回った満足感でいっぱいになりました。それにトリノのグルメ(B級?)も堪能したしね。
3日目の今日は、ヴァイオリンの名器がたくさん作りだされたクレモナを初訪問。ヴァイオリンはもちろん、カラヴァッジョの2枚の名作も見ることができて、大満足。見事な好天の下、美しい青空に映える中世の建築物が印象的でした。そして、ミラノに取って返し、ホテルに預けた荷物を受け取って、スイスの世界遺産の町、ベリンツォーナに国際列車で移動。
明日からはスイスでアルプスを満喫する予定です。天候次第になりますけどね・・・。
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ベリンツォーナの町はこれで満足し、いよいよ、ゴッダッルド・エキスプレスの旅です。スイス国鉄の自慢のパノラマカーの旅を楽しみます。

沿線の風景を楽しみながら、ゴッダルド峠を超えて、ルツェルン湖畔の船着き場に着きます。ここからは観光船に乗り込んで、湖上の旅を楽しみます。ゴッダッルド・エキスプレスというのは、パノラマカーと湖船を組み合わせた総称なんです。しかし、ここで問題発生。些細なことでsaraiと配偶者は言い争いになって、これ以降、口もききません。折角のクルーズ旅とルツェルン観光が台無しです。ですから、この後の記事はありません。歳を取って、saraiは頑固になったんでしょう。悲しいことです。これじゃ、これからの旅も難しくなりますね。明日からの旅が怖い・・・。
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これはユングフラウです。巨大な氷河が凄い迫力です。

これはメンヒです。4000m級の山の迫力十分です。

これはアイガーです。北壁の切り立った岩盤がこれほどのものとは生で見るまでは分かりませんでした。圧倒的な存在感で自然の偉大さを見せつけます。

山頂が雲に覆われてはいましたが、何も見えないところから、よくぞ姿を現してくれました。自然へ感謝するのみです。ちなみにメンリッヒェン山荘ホテルからの名峰3山の眺望はこんな感じだそうです。左から、アイガー、メンヒ、ユングフラウです。手前の山はメンリッヒェンの山頂です。青空を背景に見たかったものです。

明日はハイキングできるほどのお天気ならいいのですが・・・。
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ガイドブックでは1時間20分の行程となっていましたが、結局、目的地のクライネ・シャイデックに着いたときには予定を1時間もオーバーしていました。クライネ・シャイデックは霧に煙っていて、まわりの風景は何も見えません。天気が良ければ、すぐそばにアイガーが見える筈なんですけどね。ところがです。急に霧が晴れて、山頂こそ見えませんがアイガーの岸壁が目の前に聳え立ちます。昨日、ここでユングフラウ鉄道に乗り換えたときには気が付きませんでしたが、クライネ・シャイデックはアイガー北壁の麓の駅だったんですね。
クライネシャイデックを後にして、WAB鉄道でグリンデルワルトに向かいます。グリンデルワルトの駅に降り立つと、町は切り立ったアルプスの山々に囲まれています。街並みをちょっと拝見しましょう。雲間からはアイガーも見えています。街並みも見たし、そろそろ帰ろうかとしていると、急に太陽が顔を出し、青空が広がります。みるみるうちにアイガーにかかっていた雲が流れていき、青空を背景にアイガーの山全体がくっきりと見えてきます。予定していた電車を1本遅らせて、この絶景を楽しみます。最後の最後に青空のアルプスを眺めることができました。やったね!

心おきなく、ルツェルンに戻れます。それにしても、山の天気は一瞬一瞬、変わるものなんですね。青空のアイガーを眺められたのもほんの15分ほどだったでしょうか。
明日はルツェルンのピラトゥス山に登りますが、あまり、天気がよくないようです。計画変更して、ルツェルンの街歩きでもしましょうか。夜遅くにはいよいよ最終目的地のザルツブルクに到着予定です。
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まずはルツェルン中央駅の隣にあるルツェルン・カルチャーコングレスセンター(KKL)を外から眺めます。ここはルツェルン音楽祭のメイン会場です。こんなにモダンな建物だったんですね。それにルツェルン湖畔という立地が素晴らしいです。

次はバスに乗って、ライオン記念碑を見に行きます。大きな砂岩の岩塊に死に瀕したライオンの巨大な像が刻まれています。なかなかのものですね。

隣接する氷河公園を見学した後、ムーゼック城壁に向かいます。丘の上に古い城壁があります。この城壁の上に上り、市内やルツェルン湖、そして、行けなかったピラトゥス山を眺めます。絶景ですね。

そろそろ時間です。駅に向かいます。予定通り、チューリッヒ駅行のIRに乗り、チューリッヒ中央駅でウィーン行のレールジェットに乗り換えます。無事にザルツブルク到着。明日からはザルツブルク音楽祭で音楽三昧の日が続きます。
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ヴィースの教会からは直通のバスでガルミッシュ・パルテンキルヒェンに向かいます。ちょっとしたトラブルでガルミッシュ・パルテンキルヒェンへの到着が1時間近く遅れたので、ホテルにチェックインする前にR・シュトラウスのお墓と山荘を訪れます。配偶者からは遅くなったので、墓地はクローズしてるんじゃないのって、指摘されます。場所は事前に把握していたので、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンの駅前から4番のバスで向かいます。市内バスもバイエルン・チケットが有効です。墓地の入り口の建物に着くと、扉は施錠されています。あせって、横に移動して、手当たり次第に入り口らしき戸を開けてみると、施錠していないところがあり、無事、墓地内に入れます。墓地内のR・シュトラウスのお墓はほぼ分かっていたので、一直線でお墓に向かいます。順番に見ていくと、R・シュトラウスのお墓を無事、発見。ひとしきり、リーガースベゴニアで飾れた美しいお墓を眺めます。

その後、PCを取り出して、フェリシティ・ロットの歌う「4つの最後の歌」を聴きます。森閑とした墓地に美しい音楽が流れます。すると、その音楽に触発されたかのようにさっきまで青空だった空がにわかに暗くなり、雨がぽつり、ぽつり落ちてきます。おまけに、雷鳴まで響きます。R・シュトラウスの霊が目を覚ましてしまったかのようです(アルプス交響曲みたいですね)。傘をさして、お墓の前に座り込んで、「4つの最後の歌」の終曲、Im Abendrotを聴いていると、音楽が心に沁みてきます。まさに今は黄昏時です。4曲聴き終えて、お墓にそっと別れを告げます。バスに乗って、街に戻る頃には雨も上がり、ツークシュピッツェ山に虹がかかっています。R・シュトラウスからのご挨拶でしょうか。
次いで、R・シュトラウスの山荘に向かいます。地図を片手に歩いていくと、高級住宅街の一角に山荘が見えてきます。入り口の鉄柵には、RとSの文字が組み込まれています。その先、芝生の向こうに美しい山荘が見えます。垣根沿いで山荘を見ながら、フェリシティ・ロットの歌う「明日の朝Morgen」を聴きます。美しい山荘の空間に最高に美しい旋律が流れます。

R・シュトラウスの町、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンを訪れて、本当によかったという感慨が心に広がります。イタリアの盗難事件で失ったIPODは既にありませんが、新しいPCを急遽、セットアップして、自宅サーバーから何とかダウンロードできたフェリシティ・ロットのR・シュトラウス・アルバムはsaraiの心を優しく慰撫してくれました。シュヴァルツコップの絶唱は帰国後、自宅でゆっくりとこのガルミッシュ・パルテンキルヒェンに心を馳せながら、聴くことにしましょう。
感動のガルミッシュ・パルテンキルヒェン訪問でした。
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岩山の連なりが見えています。

切り立った岩山の下にはオーストリア側の村が見えています。

ツークシュピッツェには雪渓が残っています。その向こうに見えているのはアルプスでしょうか。

遥か下には先ほど通ってきたアイプ湖が見えています。

saraiが登頂記念にオーストリア側のショップで野球帽を買ったら、配偶者に年寄りじみて見えるって、揶揄されます。まあ、実際、年寄りなんだから仕方がない。そのまま、ずっと野球帽を被っています。あまり、人で込み合ってしまう前に下山しましょう。また、ロープウェイ、登山電車に乗ります。途中、アイプ湖で降りてみると、登山電車待ちの人が大行列。アイプ湖をちょっと眺めて、早々に登山電車に乗ります。ところが登りの行列に並ばされそうになります。ここは配偶者の押しでスタッフを説き伏せて、行列を迂回して、下りの電車に乗せてもらいます。危ない、危ない・・・。
無事にガルミッシュ・パルテンキルヒェン駅に着くと、ここでも登山電車に乗ろうとする人たちが大行列。凄いですね。朝一番の行動をとって、大正解でした。ミュンヘン経由でザルツブルクに戻りますが、乗り換え時間の1時間を使って、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンのR・シュトラウス研究所に寄っていきます。ところが研究所の扉は固く閉じられています。今日は休館だそうです。残念ですが仕方がありません。予定の電車を乗り継いでザルツブルクに戻りました。もちろん、バイエルン・チケットを使った格安の運賃です。
同じホテルに再チェックインして、夜はグリゴリー・ソコロフのピアノ・リサイタルです。彼は2000年以降は来日していない、日本人にとっては幻のピアニストとなっています。流石の演奏で会場は大盛り上がり。ヨーロッパでは破格の人気のピアニストなんですね。
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朝はホテルの近くのスーパーSPARに朝食の買い出し。牛乳やパンや果物を仕入れます。
ホテルの部屋での朝食後、ザルツブルクの町に出かけます。ホテルから町に出るのは、メンヒスベルクの岩山をくり抜いたトンネルを通ります。猛暑の中でもトンネルに入るとひやっとします。天然の冷房ですね。このトンネルはとても便利で、旧市街にも出られますが、直接、祝祭大劇場、モーツァルト劇場、フェルゼンライトシューレの会場にもつながっています。もちろん、チケットのチェックのスタッフが見張っているので、チケットがなければ入れません。ホテルから会場まで雨にも濡れず、天然冷房の通路を抜けて5分ちょっとで行けるのは贅沢の極みです。
で、トンネルを抜けて、ザルツブルク大聖堂の裏にある郵便局に孫に出す絵葉書の切手を買いに行きます。そこで不便していたPCのイヤホンもゲットしてルンルン。これでヴェッター湖でマーラーとブラームスの作曲した音楽を聴けるでしょう。次にレジデンツ広場にあるMANNERの直営店に行き、お土産を購入。これで堂々と日本に帰れます。次の課題はザルツブルク音楽祭記念のワインを買いに行くこと。これもすんなりと買えました。今日からいただくことにします。

ネットで評判のお店でランチをいただきます。ここでsaraiはワインを飲み過ぎて、ふらふらしながら、ザルツァッハ川べりの道を戻ります。
今日の総仕上げはトンネル内でみつけたシュテファン・ツヴァイク・センターを訪問することです。午後2時~4時の間しか公開していないんです。ところが、トンネル内のエレベーターの入り口が閉まっていて頑として開きません。ここであきらめるわけにはいかないので、岩山に上る階段をふーふー言いながら歩きます。ようやく、岩山の上の建物につくと、そこはちゃんと開いています。受付の女性に苦情を言うと、おかしいわね、横のボタンを押すとちゃんと入り口は開くはずよ。でも、ごめんなさいねって言います。後でもう一回チェックしてみましょう。センター内のツヴァイクの展示を見て、小冊子と絵葉書を記念にいただきます。カプツィーナー山にある旧ツヴァイクのヴィラの場所も教えてもらったので、時間があれば、見に行きましょう。帰りにエレベーターでトンネル内の入り口に行くと、横に入り口を開錠するボタンがしっかりあって、機能していました。無念!
この後、ホテルで休んで、夜はアンドラーシュ・シフの3回目のリサイタル。素晴らしい演奏にうならされました。
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その後、バスで駅前にあるフェルゼンテルメという温泉に向かいます。ここで温泉三昧。プールやサウナ、日光浴を楽しみ、すっかりリラックスします。ザルツブルクに戻ると、夕方なのにまだ暑い! 急いで支度して、メゾソプラノのエリーナ・ガランチャの歌曲リサイタルを聴きました。相変わらずの凄い美声に酔わされました。
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小屋の前で写真を撮っていると、若い女性スタッフが出迎えてくれます。作曲小屋の中は誰も訪れている人はいません。日本から来たと言うと、遠くから来たのねと言われます。入場料は一人3ユーロ。支払うと、英語とドイツ語のどちらがいいのって訊かれます。もちろん、英語と応えると、立派な英語の資料を手渡されます。その上で、分かりやすい英語で詳細な説明が始まります。ちょうどCDでマーラーの音楽が流れているので、何?って訊くと、バースタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏でマーラーの交響曲第6番でした。とっさには分かりませんね。そのマーラーの音楽をバックに彼女のマーラーストーリーは続きます。もちろん、このマイアーニック時代の話が中心ですが、その時代のしめくくりは娘のアンナ・マリアの死とその思い出の辛さから、マーラーはもう2度とこの地を踏むことはなかったということです。心なしか、説明する彼女も悲しそうでした。その後のマーラーが死に至るまでの話までしてくれました。もちろん、ほとんどは知っている話ではありますが、マーラーが作曲家としての大成した、この作曲小屋で聞くとなんだか、感慨深く感じます。アッター湖の作曲小屋に比べると広くて立派な作曲小屋です。

ここにグランドピアノを運び込んでいたそうです。壁には金庫まで備え付けられていましたが、これは火事への対策だそうです。大切な作曲中の楽譜が焼けては困りますからね。マーラーの創作活動には、こういう自然の中にいあることが必須だったようです。ハイキング、湖でのボート遊び、登山(山を越えて、スロヴェニアまで遠征したそうです)など、自然の中から創作の素材を得ていたようです。いつもかかさずノートブックを持っていたそうです。一通りの話が終わったところで、彼女にアダージェットを流してくれるようにお願いします。バーンスタインのニューヨーク・フィルとの交響曲全集があるのが分かっていたのでお願いしたんです。彼女は即座にアルマとの思い出の曲ねって、反応してくれました。彼女もマーラーについてはなかなか分かっているようです。ちなみにここでマーラーが作曲したのは、交響曲第4番~第8番、リュッケルト歌曲集、亡き子をしのぶ歌です。この地を去った後、自分の死期を悟り、作曲したのはわずかに3曲。大地、すなわち、人生との告別を込めた不朽の名作、大地の歌、交響曲第9番、交響曲第10番(未完)です。
椅子に腰かけて、ボリュームを上げてもらって、3人(sarai、彼女、配偶者)で静かに美しいアダージェットに耳を傾けます。アルマへの思いが詰まった音楽が、作曲された場所で流れます。saraiはただただ深く感動するのみです。このバーンスタインの演奏はマーラーの音楽がブームになった端緒とも言えるものです。久しぶりに聴きましたが、とても素晴らしいです。演奏が終わって、しばらくはみんな、沈黙して、音楽の余韻に浸らせてくれました。この静かな時間こそ、マーラーの音楽には一番必要なものです。深い感銘を受けて、最高の時間を持てました。こんな幸せはありません。ふと、脳裏にヴィスコンティの名作≪ヴェニスに死す≫の1シーンがよぎります。老作曲家アッシェンバッハ(マーラーがモデル)が妻と娘とヴィラで幸せに過ごしたシーン、娘が亡くなり棺に納めるシーン。これらは映画ではアッシェンバッハが過去を回想するフラッシュバックになっていますが、これはまさにこのマイアーニックでの出来事ですね。saraiがこの映画を見たときにはマイアーニックの存在など知りはしなかったので、今、急に脳裏を横切りました。もう一度、あのヴィスコンティの名作を見たくなりました。
作曲小屋を辞去するにあたり、彼女と一緒に記念撮影。そして、マーラーの湖畔のヴィラへの道を教えてもらいます。山道を下りながら、今度はPCに入れておいたマーラーの音楽を流します。静かな山中にアダージェットの美しい響きが吸い込まれていきます。この道はマーラーが作曲小屋と湖畔のヴィラを思いにふけりながら歩いた道でしょう。ハイティンク指揮ベルリン・フィルの演奏はとても優しい響きの名演です。湖畔の自動車道路に着くころに演奏は終わります。自動車道路を歩いて、ヴィラを探します。しばらく歩くと23番の標識のあるヴィラはありました。今は個人所有になっているので門の外から見るだけです。そうこうするうちに、ポストバスの時間が迫ります。もう数分でバスが来るので急ぎ足でマイアーニックのバス停に急ぎます。バス停では数人がバスを待っています。すぐにバスが来て、ポストバスのオフィスで教えてもらったバス停オイロパパルクEuropaparcまで運んでくれます。名前の通り、広大な公園が広がっています。公園を突き抜けて、湖畔に出ると、やがて、ヴェルター湖のクルーズ船乗り場が見つかります。運よく、2時間おきに運行しているクルーズ船の出航時間は20分後です。待っている女性に訊くと、この船がペルチャッハに行くそうです。また、チケットは船で買えるそうです。一安心です。やがて、船が桟橋に近づいてきます。船から出てきた船員からチケットを買い、乗船します。しかし、今日はとてつもない暑さで湖の上もうだるような暑さ。船内も暑いし、デッキは日が照り付けています。こういう時には配偶者に任せると最上の席を探してくれます。今日もデッキの上で唯一、屋根が日光を遮っている特上の席を見つけてくれます。6名限定の席です。既に数人座っていますが、相席をお願いして、ラッキー! やはり、いい妻を持つべきですね。1時間のクルーズでペルチャッハに向かいます。途中、船上から、マーラーのヴィラが見えます。作曲小屋のお姉さんの話では、1stフロア(つまり、2階)にマーラーの寝室があり、湖に面したバルコニーからヴェルター湖をよく眺めていたそうです。いいものが見られました。これだけでもクルーズ船に乗った甲斐がありました。

あっ、忘れてはいけません。ペルチャッハに向かうのですから、PCにイヤホンを装着して、ブラームスの交響曲第2番を聴きます。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルで第2楽章を聴きます。なるほど、この美しいヴェルター湖にぴったりのイメージです。時間が余ったので、また、マーラーの交響曲第5番のアダージェットを聴きます。うーん、こちらのほうがヴェルター湖の美しい自然にはぴったりですね。美しい湖面と周りの山々が優しく、saraiを包み込んでくれる感じです。これが今日3度目のアダージェットですが、この3回のアダージェットは人生最高のアダージェットです。今後、これ以上の感慨を得ることはできないでしょう。
ペルチャッハに着いて、ヴェルター湖に突き出した半島のようなところの先端から根元に向かって伸びる湖畔の小径、ブラームス通りBrahmswegを歩きます。しかし、なんとも暑い! ここは避暑地ときいたのに、今日は40度近くは温度が上昇している感じです。湖畔の湖水浴のビーチが大混雑です。ブラームスっていう雰囲気はまったくありません。ここからは修行が始まります。ペルチャッハの情報はほとんどありません。とりあえず、町の中心のほう(地図はなく、saraiの頭の中にある地図だけが頼り)に向かいます。と、配偶者が「ツーリストインフォメーションがあったわよ!」。やみくもに歩いていたのにまったくの僥倖です。早速、カウンターにただ一人いたスタッフのお姉さんにブラームスって言いかけると、即座にブラームスのハウスのことね・・・ここには、もう何もないわよって、すげないお答え。あまりにブラームスに冷たいですね。一応、地図でBrahmsliegeという場所を示してくれました。このあたり一帯がゆかりの場所だということです。それではあんまりだと思ったか、奥から≪ブラームスの足跡Auf den Spuren von Brahms≫なる13枚の写真カードの小冊子を出してくれました。裏表紙には一応、ブラームスを巡る散策コースが紹介されています。訊くと、これはなんと無料でいただけるそうです。紹介されているコースを巡る時間はありませんが、すべて写真付きですから、行ったようなものです(違うかな・・・)。まあ、一応、地図にあるBrahmsliege(ブラームスの寝床っていう意味?)に行ってみましょう。ところがこれが大間違い。山の中の坂道を上がっただけです。きっとブラームスの散歩コースの一部なんでしょう。暑くて苦しくて、まるでブラームス修行のようなものでした。ペルチャッハはブラームスが美しいヴェルター湖をここから眺めながら、作曲したんだねって思うだけのところのようです。あとは≪ブラームスの足跡Auf den Spuren von Brahms≫を眺めるだけで十分でしょう。
暑くて、へとへとになって、倒れそうになりながら、ペルチャッハ駅で帰りのレールジェットに乗り込みました。レールジェットのファーストクラスは快適でようやく疲れを回復。レストラン車両に乗ったので、らくらく食事もできて、息を吹き返しました。マイアーニックで素晴らしい感動の体験を持ち、ペルチャッハで苦しい修行をしたヴェルター湖遠征となりました。レールジェットでザルツブルクに戻る際、昨日行ったバード・ガシュタインを過ぎるあたりから雲行きが怪しくなり、凄まじい豪雨。雷鳴まで轟きます。ザルツブルクに戻ると、ここはただただ暑いだけ。早々にホテルの冷房の部屋に逃げ込みます。
いやはや、思い出に残る小旅行の1日になりました。
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そのコンサートとオペラの間を縫って、懸案のシュテファン・ツヴァイクのザルツブルクのヴィラを見にカプツィーナー山に行きます。何故、そんなにこだわるかというと、彼の素晴らしい著作≪昨日の世界≫の中でこのザルツブルクのヴィラでの生活が詳しく記されていたからです。先日、シュテファン・ツヴァイク・センターを訪れた際、女性スタッフから詳しく場所を訊いていたので、きっと見つかるでしょう。カプツィーナー山に登るのは2度目なので、道はちゃんと分かっています。キリストの十字架像の飾ってある東屋に向かって坂道を上ります。十字架像を過ぎると、カプツィーナー修道院があります。この修道院の前あたりがツヴァイクのヴィラです。木々で覆われていますが、隙間からヴィラが何とか見えました。今は個人所有で公開されていません。いったん、山道を登って、山の上にあるレストランに向かいます。前回同様、大変な坂道でへとへとになります。レストランでまずは氷入りのオレンジジュースを飲んで、一息ついてから、ランチをいただきました。やはり、前回同様、とても美味しい料理です。すっかり元気になったところで今度は坂道をぐんぐん下ります。また、十字架像のあたりに戻ります。十字架像の横あたりからのほうがツヴァイクのヴィラはよく見えますが、やはり、樹木の隙間からです。十字架像の前の石段を下りると、そこに何とヴィラの入り口があります。表示は5番地になっています。間違いありません。入り口からはヴィラの正面が見えます。木々があるので、すべて見渡せるわけではありませんが、これがベストです。

やはり、大きな屋敷だったんですね。ナチスの圧力でこの屋敷を去る際のツヴァイクの心境が分かります。
これでザルツブルクでやり残したことはありません。ザルツブルク訪問もこれで最後になるかもしれませんが、心にひっかかっていたことが霧消しました。
この続きは帰国後に書きます。
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今朝は祝祭大劇場でウィーン・フィルのコンサートを聴き、音楽を聴き納め。その前に朝食代わりにザルツブルクの美味しいケーキを老舗カフェのフュルストで頂きました。さすがにオーストリアのケーキは一味も二味も違います。満足です。コンサートが終わると、小雨模様。構いませんよ。ホテルまではトンネルを通っていけば、ほとんど濡れることはありません。ホテルでビッグなトイレを借りて、旅姿に着替え、ホテル前のバス停からバスでザルツブルク中央駅に向かいます。何故か、日曜のためか道が大渋滞。時間は余裕があるので、慌てることはありません。ザルツブルクからミュンヘン空港に移動しますが、電車も日曜のせいか、雨模様にもかかわらずのレジャー帰りの人たちで大混雑。念のためにファーストクラスのバイエルン・チケットを買っておいたのが大正解。saraiたちは余裕で座席を広々と占領して、移動します。ミュンヘン・オスト駅からのSバーンのS8の電車はファーストクラスがついていませんが、幸運にも並び席がゲットできて、座ったままで移動できました。ミュンヘン空港では、エールフランス航空らしく、荷物タグはセルフサービスで印刷させられますが、特に問題なし。早めに荷物のドロップオフ完了。ということで、今、余裕で最後の現地報告を書いています。
空港は夕日に照らされています。天気も回復したようです。日本は台風が襲来しているようですが、まあ、どこかには着陸できるでしょう。また、日本に帰国後、旅ブログを仕上げます。コンサート・オペラ記事も2回分、抜けていますから、帰国後、記事を作成・アップします。少々、眠くなってきています。では・・・。
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因みに購入したのは、レノボのノートPCのYOGA 900Sシリーズです。軽量のノートPCはこれくらいしか販売していなかったので、選択の余地はありませんでした。イタリア語キーボードが玉の瑕ですが、ほぼ重量1kgで12.5インチの高解像度(2560x1440)のタッチ機能付き液晶、それに薄さが12.8mmの超薄型、CPUはIntel® Core™ m7-6Y75 Processor (1.20GHz 4MB)という高速CPU、メモリは8GB(LPDDR3 1866MHz)、512GBのSSDという万全の布陣、OSはWindows10です。
特別な機能として、特殊ヒンジを使っていてPCモードとタブレットモードの切り替えができます。通信系は802.11 AC (2x2) + Bluetooth® 4.0でこれも万全ですね。残念なのはメモリカードスロットがないことくらいでしょうか。この仕様では高価でも仕方がありませんね。薄さのせいか、持った感覚が1㎏以下に感じます。バッテリーも強力でヴィデオを再生しても10時間以上持ちます。通常利用では12.1時間持ちます。
当初はもちろん、イタリア語版Windows10でしたが、これでは使えないので、まず、英語版に変更。こここまではイタリアの販売店のスタッフが優秀でやってくれました。saraiはイタリア語はまったく分からないので手が出ませんでした。この先は英語版から日本語版に変更。必要なソフトやデータは自宅サーバからダウンロードしてセットアップ。しかし、最後まで解決できなかった問題があります。それはWindowsのシステム表示が英語のままだったことです。例えば、コピー、貼付け、切取りなどは、copy、paste、cutなどです。実用上は問題ないのでほっておきましたが、気持ちが悪いので、昨夜、ようやく修正に成功。設定の地域・言語メニューで日本、日本語は選択しておきましたが、元がイタリア語仕様のため、システム表示用の日本語フォントが入っていなかったためで、日本語化セットをダウンロードすることで解決しました。
ところで、高価なPCなので、販売店で気をきかせてくれて、免税品の処理をしてくれました。それはいいのですが、海外であまり高価な買い物はこのところしていないので、空港での免税手続きの最近の状況があまり分かっていないんです。EUの場合、最終出発地での手続きですね。ミュンヘンからパリ経由で羽田に飛ぶので、きっとパリのCDGでの手続きです。でも、パリの乗り継ぎの時間はわずか1時間。免税手続きよりも、ちゃんとトランジットできることのほうが優先です。ですが、何とか免税もしたいものです。乗り継ぎは2Fに着いて、2Eからの出発になります。税関の場所を調べると、到着の2Fにも出発の2Eにもあります。本来は出発の2Eで手続きするんでしょうが、きっと混み合いそうです。できれば到着の2Fで手続きしたいですね。で、パリのCDGには定刻に到着。急いで2Fで税関を探します。当然、トランジットする2Eに向かう途中にあると思い込んでいましたが、途中に大きな注意書きを見つけます。各国語で表示されていて日本語もあります。免税手続きは出発ロビーは混み合うので、ここで済ませておいてくださいとのことです。場所は出口と書いてあります。ん? 出口って? で、今度は英語の表示を読みます。出口というのは、Baggage-Exitのことのようです。そちらに向かいます。荷物の受け取りの場所で空港スタッフに場所を訊くと、いったん、外に出ろとのことです。変ですが、まあ、言われるとおりにします。外でうろうろ探すと、確かに税関のオフィスがあります。それも閑散としていて、誰もいません。本当は外で携行している免税品の免税手続きはできないはずですが、そんなことを考えている時間はありません。さっそく、免税書類、パスポート、搭乗券を窓口に差し出すと、税関職員がしばらく書類をながめた後、あっさりとスタンプを押してくれました。現地で使用中のPCですから、免税になるかどうかは若干心配ではあったんです。最近は免税手続きは結構、扱いが緩いんですね。ちなみにここから再度、出発ロビーに抜けていくのが大変。場所が分かりづらく、少し探しましたが、入り口付近でどこかの航空会社職員の方が、近道を通してくれたので、最後はスムーズに手荷物検査、出国できて、無事に搭乗口にたどり着きました。と言っても、既に搭乗中ではありました。
まあ、PC関連の話はそれくらいですが、実はザルツブルクで右手の親指が腫れてきて、帰国するころにはとっても痛くなり、配偶者からは入国するときに検疫に申告しないといけないんじゃないのって、散々からかわれる状況でした。帰国の翌日、かかりつけの内科医院で診てもらうと、一目で、これはひょうそ(ひょう疽)だから、皮膚科で膿を出してもらって、治療してもらいなさいとのことです。で、今日、皮膚科で治療を受けました。針のようなもので皮膚に穴を開けて、思いっ切り、指をしぼりあげて、膿を出してくれますが、激痛です。大量の膿が出ましたが、2度とこんな目にはあいたくないですね。海外で雑菌に汚染されたんでしょう。とんだ後遺症でした。
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その1 全般
旅の前半はトラブルとミスの連発でめろめろ。後半はいつもの調子に戻ったかな。トラブルとミスを列挙します。
・PC盗難事件
ヨーロッパに到着した日にミラノからヴェローナに鉄道移動。魔がさしたのか、いつもは上げない網棚にPCバックを上げてしまいました。気が付かないうちに隣席の大きな男が横から手を伸ばしてPCバックを盗んで、途中の停車駅で降りたようです(隣席のご婦人が目撃)。ノートPC2台とIPOD、ヘッドフォンなどが入っていました。いずれも愛用の品でした。ぐすん。
・ホテルへのチェックインのトラブル
その後、ヴェローナに到着し、ホテルにチェックインしようとすると、別の客たちがホテルの前庭で待機中。聞けば、ホテルのスタッフが不在でチェックインできないようです。とりあえず、ヴェローナ駅に戻って、警察に盗難届を出して、また、ホテルに取って返しますが、依然としてスタッフ不在。一部の宿泊客の主導で自主的に空いている部屋に順次、侵入し、それぞれの部屋として確保します(いいのかなあ・・・)。部屋に荷物を置いて、いったん、ヴェローナの町へ代替のPCを購入に出かけます。首尾よくPCをゲットしてホテルに戻り、オペラに出かけるために着替えます。オペラにでかけようとすると、ホテルの入り口のキーを開けている男性と鉢合わせ。実はホテルの入り口は暗証番号でロックされているのですが、宿泊客同士が情報交換して、暗証番号を教えあっていたんです(それも変ですね)。てっきり、別の宿泊客かと思っていたら、どうやら、この男性がホテルのスタッフのようです。別の宿泊客が挨拶して、握手しています。でも、その宿泊客は昨日から宿泊しているそうですが、ホテルのスタッフに初めて会ったそうです。腹立たしいのですが、saraiもスタッフと挨拶し、勝手に部屋を確保したことを説明します。で、握手! 部屋のシャワーでお湯が出ないと苦情を言うと、一応、ボイラーのチェックをして、問題ないはずだとのこと。でも、水しか出なかったんだよ! あまり、時間がないので、それ以上追及せずに、明日のチェックアウトについて確認します。さすがにそのスタッフは宿泊料金のことを気にします。こちらがExpediaで既に前金で支払い済だと言うと、急に興味をなくし、そのまま出ていってくれればいいとのこと。いやはや、あきれました。まるで無法地帯です。部屋が綺麗に掃除してあったのだけが救い・・・それとエアコンがあったので部屋が涼しいこともプラス。こんなホテルって、許されるんでしょうか。長い間、ヨーロッパに出かけていますが、こんなに無茶苦茶な管理のホテルは初めてです。
・電車へ乗り間違え・・・あわや!
翌日、ヴェローナからミラノへ電車移動。今回はsaraiと配偶者のほかにsaraiの姉と姪っ子の4人連れの旅です(旅の前半だけ)。電車が来たので、急いで、saraiと姪っ子で電車に荷物を積み込んでいると、荷物を3個積み込んでsaraiが電車を降りたところでドアがすーっと閉まります。ええーっと驚いていると、荷物と姪っ子を乗せた電車が走り出します。さすがにこれには焦りました。まだ、発車時間じゃなかったはずです。実はこの電車はsaraiが乗るはずの電車のひとつ前の電車。姪っ子とスマホで連絡を取り合って、ミラノ中央駅で待ち合わせすることにして、大事に至りませんでした。姪っ子には電車のチケットを渡していませんでしたが、車掌さんは事情を了解してくれたそうです。よかった、よかった。ひやひやものでした。
・電車を降り間違え・・・ひえーっ!
ミラノで姉たちと別れ、saraiと配偶者はトリノ観光に出かけます。ミラノ中央駅からトリノまで快適なファーストクラスで寛ぎます。これまで色んなことがあったし、電車の中でも新しいPCのセットアップに余念がありません。ふと停車した駅で駅名を見ると、Torinoって書いてあります。泡を食って、PCと荷物を掴んで、電車を飛び降ります。あー、危なかった。さあ、トリノ散策を始めましょう。ん、駅のどの出口に向かえばいいのか、よく分かりません。それもその筈。ここはトリノには違いありませんが、目的の駅であるトリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅Torino Porta Nuovaではなく、トリノ・ポルタ・スーザ駅Stazione di Torino Porta Susaです。ピッカピッカの新しい駅です。トリノへは初訪問なので、まったく、地理が分かりません。駅員さんに訊くと、トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅へは30分後の各駅停車の電車に乗るしかないそうです。まあ、このミスも盗難事件の余波ですね。あー、まったく。
・やっぱり、イタリア国鉄は時間通りに走らない・・・はらはらどきどき!
翌日はまた、姉たちと別れ、saraiと配偶者はクレモナ観光に出かけます。クレモナからの帰りの電車がずいぶん遅れます。そう言えば、最初の盗難事件の発端も電車の遅延からだったんです。電車がシステム制御の問題とかで途中で停まっているときに盗難が起きたんです。このシステム制御の問題というのがずっと続いています。昨日もヴェローナからミラノ経由でトリノに行く際も同様に電車遅延。このときもはらはらだったんですが、乗り換える電車も遅れていたので問題なかったんです。今日はクレモナからミラノに戻った後、スイスのベリンツォーナ行きの電車に乗り換えます。姉たちとホテルで待ち合わせでしたが、ぎりぎりになりそうです。イライラしながら、ミラノへ向かいます。姉に携帯で連絡し、ミラノ中央駅での待ち合わせに変更。そこそこの遅れでミラノに到着し、脱兎のごとくホテルに荷物を取りに行き、駅に戻り、何とかベルンツォーナ行きの電車に駆け込みます。姉たちとも合流できました。ふーっ・・・。
こうして、トラブルとミスを連発したイタリアから抜け出して、スイスに到着。着いた日と翌日は好天でしたが、アルプスはずっと悪天候。旅の前半はなんだか不調でした。
その2 音楽編
この後、旅の後半はザルツブルク音楽祭。素晴らしい音楽に浸って、満足、満足。とりわけ、3つのコンサート、オペラに大変な感銘を受けました。
・ハイティンク&ウィーン・フィルのマーラー:交響曲第9番
意外に平静な気持ちで聴けました。決して、最高の出来ではなかったかもしれませんが、saraiの究極の目標であった音楽が聴けたという事実がすべてです。28年前から続けてきたヨーロッパ音楽の旅が終わったという感慨でいっぱいです。これだけ音楽を聴けて、素晴らしい人生だったと深い思いにかられました。今も幸せの実感をかみしめています。
・クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルト:オペラ《皇帝ティートの慈悲》
まさに新時代の音楽が始まったという驚きと感銘でいっぱいです。クルレンツィスのまばゆいほどの才能と音楽性。その彼にふさわしい素晴らしい音楽集団ムジカエテルナ。彼らの未来こそ、音楽の新地平という確信を持ちました。ただ、saraiの音楽人生はもう終焉間近。彼らの未来への前進を見届けることはないでしょう。少し寂しくはありますが、新しい時代の幕開きを見られたということだけで満足しましょう。
・ヤンソンス&ウィーン・フィルのショスタコーヴィチ:オペラ《ムチェンスク郡のマクベス夫人》
クルレンツィス&ムジカエテルナで驚かされましたが、どっこい、ヤンソンス&ウィーン・フィルもそうそう簡単に引き下がるものではありません。ショスタコーヴィチのオペラ《ムチェンスク郡のマクベス夫人》というまだまだ未開拓な音楽に新しい光を与えるような見事な演奏を聴かせてくれました。伝統のオーケストラが20世紀のオペラに挑戦し、巨匠ヤンソンスの棒が猛々しい響きを引き出して、ショスタコーヴィチのオペラで最高とも思える演奏を残しました。多分、ヴィデオが発売されるでしょうが、このオペラの決定版になるでしょう。
当記事を持って、今回の旅のしめくくりにします。いったん、昨年のチロルの旅、そして、昨年のザルツブルク音楽祭に戻って、その後に今回の旅の詳細編を書く予定です。
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