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束の間のウィーン:お気に入りのカフェ・ハイナーでランチ

2016年8月7日日曜日@ザルツブルク~ウィーン/1回目

旅の19日目、ザルツブルクSalzburgの9日目です。旅の最終日です。

今日はウィーンからのオーストリア航空の成田直行便に乗って、帰国します。これまで何度もこのオーストリア航空のウィーン‐成田直行便に乗りましたが、これが乗り納めです。9月4日の成田発ウィーン行きがラスト・フライトだそうですから、もう、運航期間は1ヵ月を切りましたね。感慨深いです。別にこれでウィーンへの足が遠のくわけではありませんけどね。日本路線撤退が決まったオーストリア航空の直行便ですが、現在は以前に比べて、ウィーン発の時刻が遅くなって、夕方の5時50分発です。これは便利です。ウィーンで遅くまで遊んでから、空港に向かうことができます。saraiもこれを利用することにして、ザルツブルグから朝早いレールジェットに乗って、ウィーンに移動します。朝早く起きて、長く滞在したザルツブルクのホテルをチェックアウト。荷物を引いて、最寄りのバス停テアターガッセTheatergasseへ。バスの1週間パスは昨日で切れたので、バスの1回券を購入しないといけません。バス停で自動販売機を探しますがありません。ちょっと隣のバス停まで買いに行こうと思いますが、配偶者からバスのドライバーから買えばいいんじゃないのって言われます。そうこうするうちにザルツブルグ中央駅に向かう1番のバスもやってきます。ともかく、バスのドライバーにチケットが買えるか訊くとOKだとのこと。二人で5.2ユーロです。自動販売機で買えば4ユーロですが、まあ仕方ありませんね。10ユーロ札を出すと、ドライバーはsaraiの財布を眺めながら、5ユーロ札はないかと訊いてきます。もちろん、ありますよ。5ユーロ出して、コインを探そうとするとドライバーはいいよって言います。まあ、太っ腹。バス代をまけてもらうのは初めての経験です。駅に到着し、まだ、予定の電車まで30分あるので、構内のカフェでサンドイッチとコーヒーで軽い朝食。食事を終えて、プラットホームに上がります。ウィーン行のレールジェットの出発時間まであと10分ほどです。

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列車編成表が表示されているので、自分がホームのどのあたりに立てばよいのかが分かります。列車が到着した後で目的の車両にダッシュするのは疲れますから、これを見ておくのは必須の作業です。

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これは列車の出発予定表。列車がどのホームから出るのか、遅延があるのかが表示されます。乗る予定のウィーン空港行のレールジェットは上から3番目に表示されています。予定通りの運行のようです。

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これはザルツブルク中央駅のホーム全体の様子です。ずいぶん立派な駅になりました。

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出発時刻の5分前にレールジェットが入線してきます。オーストリア国鉄自慢の赤い先頭車両が印象的です。

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空席の目立つレールジェットに乗り、美しい車窓の風景を眺めながら、ウィーンへ向かいます。saraiはいつしか爆睡。目覚めるともうウィーン・マイドリングWien Meidling駅まであと10分。マイドリング駅は3分停車ですから、さっさと降りましょう。マイドリング駅に到着です。

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がらーんとしたプラットホームに降り立ちます。

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ウィーンにまたやってきました。今回は短い滞在になりますが、これがちょうど15回目のウィーン訪問になります。1年ぶりの訪問です。Sバーンに乗り換えて、ランドシュトラーセLandstraße/ウィーン・ミッテWien Mitte駅に向かいます。警察POLIZEIという表示のある電車がやってきて、びっくりです。

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ウィーン・ミッテ駅にあるシティ・エアー・ターミナルCATでオーストリア航空のチェックインを済ませて、大きなスーツケースを預けて、身軽になります。機内持ち込みの手荷物はコインロッカーに預けようと、教えてもらったコインロッカーの場所に向かいます。何人かが、うろうろしています。ロッカーが空いていないのかと思うと、青ランプのロッカーがいっぱいあります。入れようとすると、ドアが閉まりません。アラ~、ロッカー全体が壊れています。困ったもんです。諦めてそのエリアを出ますが、後から後からそのエリアに人が向かっていきます。手荷物はそう重くはないのでそのまま持って歩くことにします。ここから地下鉄(Uバーン)を乗り継いで、シュテファンズプラッツStephansplatzまで移動して、そこからケルントナーシュトラーセKärntner Straßeを歩いて、お気に入りのカフェ・ハイナーCafe heinerに直行します。お馴染みのお店の前に出ます。

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ここで、ちょっと早いランチをいただきます。ケルントナー通りを見下ろせる、眺めのいい窓際の席に着きます。

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美しい店内はまだ午前中のせいか、あるいは日曜のせいか、えらく空いています。

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カフェ・ハイナーは地元の方がほとんど。コーヒー一杯で新聞を何誌も読んでいます。とりあえず、ミネラルウォーターをいただきます。

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次はスープ。

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2種類のスープをいただきます。

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二人で味比べをしながらいただきます。どちらもとても美味しいです。

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パンはもちろん、ウィーンですから、カイザーゼンメルです。これまた美味しいです。

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今日のランチはターフェルシュピッツのゼリー寄せのサラダという、なかなか凝ったものです。ウィーンのカフェはさすがにレベルが高いですね。

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勝手知ったるカフェなので、請求書を持って2階のカフェから1階の店舗に降りてクレジットカードで精算しようとすると、ウェートレスのおばさんから待ったがかかります。食い逃げと間違えられたようです。クレジットカードで払いたいと告げると、一緒に1階のレジまで付いてきてくれます。ちゃんとカード決済を済ませて、一件落着。
さて、短い時間のウィーン滞在。次はどこに行こうかな・・・。



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束の間のウィーン:グラーベンからコールマルクトへ

2016年8月7日日曜日@ウィーン/2回目

ウィーンでの束の間の滞在を楽しんでいるところです。ケルントナー通りKärntner Straßeのカフェ・ハイナーCafe heinerでのランチをいただいて、街歩きを再開します。
シュテファンズプラッツStephansplatzのヴォルツァイレ通りWollzeileに続くドゥルヒガング(通り抜け)にある行きつけの紅茶屋さんに紅茶を大量買いするつもりで向かいます。が、よく考えてみると今日は日曜日。お店はみんなお休みの筈ですね。ともかく、聖シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanの前に出ます。

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大聖堂を周り込んでヴォルツァイレ通りに向かいます。

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巨大な大聖堂の周りを歩くだけでも一苦労です。

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案の定、紅茶屋さんはクローズしています。残念! ところで紅茶さんの内部は改装中で、日曜でなくてもクローズしていたかもしれません。じゃあ、街でもぶらつきましょう。ローテントゥルム通りRotenturmstraßeを大聖堂のほうに向かいます。

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ぐるっと周って、また、大聖堂の前に戻ってきました。街のシンボル、聖シュテファン大聖堂は相変わらず、堂々としています。ただ、外壁の補修工事中なのが残念です。いつもどこか工事中ですね。

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シュテファンズプラッツからゴルトシュミードガッセGoldschmiedgasseを抜けて、聖ペーター教会Katholische Kirche St. Peterのほうに向かいます。

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ちょっと聖ペーター教会の中を覗いていきましょう。バロック様式の絢爛豪華な色彩に包まれています。いつ来てもその見事さに魅了されます。

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見上げると、ドーム天井の華麗さにも驚かされます。

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再び、内陣のほうに視線を戻して、バロック教会の美を堪能します。

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教会を出て、グラーベン通りGrabenに出ます。通りの突き当りには高級スーパーのユリウス・マインルJulius Meinl am Grabenが見えます。もちろん、このスーパーもお休みです。

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グラーベン通りを振り返ってみます。広くて立派な通りです。写真では分かりにくいですが、有名なペスト記念柱も立っています。

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グラーベン通りからコールマルクトKohlmarktに出るというお決まりのコースを歩きます。ここは高級ブランド店が軒を連ねています。これはグッチ。

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マンツ書店は工事中ですね。

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ところで、レオポルド美術館のポスターでシーレとクリムトの傑作展というのを見て、心が動かされます。時間が許せば、久々に見たいものです。
カフェ・デーメルの前に出ます。ちょっと中のショップを覗きましょう。

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カフェ・デーメルでお土産もの(皇后エリザベートが好んだというすみれの砂糖菓子)を求めます。コールマルクトの突き当りはホーフブルクHofburgのミヒャエル門Michaeltorです。実に堂々たる建物です。建物全体はミヒャエル宮Michchaelertraktというネオ・バロック様式の建築物で、19世紀末に完成しました。意外に新しいものです。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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しばし、このミヒャエル門の前のミヒャエル広場Michaelerplatzに佇み、広場のまわりを眺めます。



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束の間のウィーン:ミヒャエル広場から美術史美術館へ

2016年8月7日日曜日@ウィーン/3回目

ウィーンでの束の間の滞在を楽しみながら、街歩きしているところです。
グラーベン通りGrabenからコールマルクトKohlmarktを歩き、突き当たりのミヒャエル広場Michaelerplatzにやってきました。正面にはネオ・バロック様式のミヒャエル宮Michchaelertraktの堂々たる建物が聳え立っています。

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振り返ると、右手のヘレンガッセHerrengasseと左手のシャウフラーガッセSchauflergasseに挟まれた白亜の建物が貴婦人のような姿で佇んでいます。この建物の1階には有名カフェのカフェ・グリーンシュタイドルCafe Griensteidlがあります。その右手にはちらっとロースハウスLooshausが見えています。

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これがそのロースハウス。ヘレンガッセとコールマルクトに挟まれた一角に立っています。「装飾は罪悪である」という主張で知られる建築家アドルフ・ロースの代表作とも言える建築作品で、20世紀初頭に建設されたときには、そのあまりのシンプルなモダンさに対して当時の社会から批難の声が沸き上がったそうです。今見ても何ともあっさりしたデザインですね。このミヒャエル広場の華麗な装飾の建物群のなかで異彩を放っています。

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ミヒャエル広場の真ん中には、まるで工事現場のようなものが見えます。これは古代ローマの遺跡です。ウィーンの起源をたどると、古代ローマ軍の駐屯地であったウィンドボナが現在の大都市ウィーンの始まりになります。この遺跡は古代ローマ軍の居住地の騎兵舍の跡だったようです。発掘調査が行われたのは1992年になってからだそうです。つい最近のことですね。ウィーンの中心地は、掘れば、何かが見つかるのでしょう。

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少しだけ、ミヒャエル広場で見物した後、ホーフブルクHofburgのミヒャエル門Michaeltorの中に入ります。皇后エリザベート(愛称:シシー)の姿が大きく印刷された垂れ幕があります。シシー博物館などホーフブルクの館内への入り口です。

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ミヒャエル門を抜けると、中庭に出ます。神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)の銅像が迎えてくれます。

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中庭を抜けると、英雄広場Heldenplatzに出ます。右手にはフォルクスガルテンVolksgartenの緑が広がっています。

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広場の中央にはカール フォン エスターライヒ(カール大公)の騎馬像が立っています。フォルクスガルテンの先にはウィーン市庁舎が見えています。ゴシック・リヴァイヴァル建築のファサードが印象的な建物です。

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リンク通りRingstraße側にあるブルク門Äußeres Burgtorに向かって、英雄広場を突っ切ります。

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左手には新王宮Neue Burgが美しい弧を描いて立っています。

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ブルク門をくぐって、ホーフブルクを後にして、リンク通りに出ていきます。

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リンク通りに出ました。久しぶりにここに戻ってきました。広い通りには美しい並木が連なっています。

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リンク通りの並木道は気持ちがよさそうですが、残念ながら、この並木道を散策する時間はありません。

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すぐにリンク通りを横断して、ホーフブルクの向かい側にあるウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienの前に出ます。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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この美術史美術館を抜けると、すぐにムゼウムシュクヴァルティアーMuseumsQuartierのレオポルド美術館Leopold Museumに着きます。



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今日はお休みにします・・・ごめんなさい

ウィーンでの束の間の滞在を楽しみながら、街歩きしているところです。これからレオポルド美術館でシーレとクリムトを中心とした作品群を鑑賞するところですが、深夜遅くなり、ブログを書く体力がなくなったので、本日は休載ということにさせてください。ごめんなさい。

ところで、今日は来年度の東京交響楽団の発売日。晴れて、サントリーホールの定期会員券をゲットしました。ジョナサン・ノットを音楽監督に迎えて、好調なオーケストラの演奏を楽しむことにしました。4月の1回目から、そのノットの指揮で、マーラーの交響曲第10番のアダージョとブルックナーの交響曲第9番という強力なプログラムが組まれています。7月にはエルガーのオラトリオ《ゲロンティアスの夢》という珍しい作品も演奏されます。12月のヴァレーズの作品もジョナサン・ノットがどう料理するか興味深いところです。
したがって、長年にわたる都響の定期会員は今年でおしまいとなりました。灌漑深いところです。

今日はさらに来年5月のアンジェラ・ヒューイットのThe Bach Odysseyの5/6回目のリサイタルのチケットもゲット。平均律クラヴィール曲集第1巻とゴルドベルク変奏曲という垂涎のプログラムです。

来年の音楽ライフも楽しいものになりそうです。

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束の間のウィーン:レオポルド美術館のグスターフ・クリムト

2016年8月7日日曜日@ウィーン/4回目

ウィーンでの束の間の滞在を楽しみながら、街歩きしているところです。
久しぶりにムゼウムシュクヴァルティアーMuseumsQuartierのレオポルド美術館Leopold Museumでエゴン・シーレとグスターフ・クリムトの作品を鑑賞することにしました。街中でシーレとクリムトの傑作展をレオポルド美術館でやっているのを張り出されていたポスターで知ったからです。
グラーベン通りGraben、コールマルクトKohlmarkt、ホーフブルクHofburgと抜けて、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienの前に出ました。美術館前の広場にはマリア・テレジア像が鎮座しています。

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美術史美術館の前を通り抜けると、ムゼウムシュクヴァルティアーが見えてきます。

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ムゼウムシュクヴァルティアーの中にあるレオポルド美術館に到着。早速、入館チケットを購入して、美術館に中に入り、鑑賞を開始。

まずは珍しく、日本の屏風がお出迎え。ジャポニズムの象徴です。

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以下、レオポルド美術館の至宝を見ていきます。今回はこれまでの集大成として見ていくので、本ブログでも紹介済の作品も並べていきます。作品の解説文は本ブログの過去の記事も流用しますので、悪しからず。

ハンス・マカルトの「ベスタの処女」です。色使いの綺麗な美しい作品です。この美しい色使いによって、マカルトは「色の魔術師」とも呼ばれ、クリムトが最初に影響を受けたと言われています。ハンス・マカルトはオーストリア19世紀の画家で、ウィーンの宮廷で活躍し、歴史画の大作を数多く描いたアカデミック美術を代表する画家です。

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次はクリムトです。

ウィーン大学大講堂の天井画として描かれた三部作の一つである「医学」です。ただし、この作品は1945年、インメンドルフ城で焼失しました。ここにあるのは白黒で復元されたものです。絵の下に描かれている女性は医学の保護女神ヒュゲエイアです。彼女だけは色付けされています。習作が残っているので、それに基づいての色付けでしょう。

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これは三部作の一つである「法学」です。これは習作も失われています。クリムトらしさが横溢していますね。

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これがウィーン大学大講堂の天井画として飾られるはずだったプランの再現だそうです。時代の異端児クリムトの破天荒とも言える作品がアカデミズムの最高峰である場所に飾られることは困難でしたね。クリムト本人が一番分かっていたことでしょう。ちなみにこの三部作はナチスが所有者のユダヤ人から接収していましたが、戦況が悪化した後、保管していた場所を爆破したそうです。ナチスの反文化的活動、そして、戦争の非道さには今更ながら、憤りを禁じ得ません。

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これは「死と人生」です。クリムトの大作です。この美術館の目玉ですね。

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「雷雨の接近 (大きなポプラ II)」です。クリムトの風景画は正方形の画面が特徴です。

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「黒い牛」です。初めて見るクリムトの絵です。これも正方形ですから、風景画の範疇にはいるのでしょう。アッター湖畔のLitzlberger Keller (リッツルベルガー ケラー)を訪れた際に納屋の雄牛に興味をかられて描いたそうです。動物を描いた作品は珍しいですね。なお、この絵は個人蔵で、エミリエ・フレーゲの姪が所有者だそうです。特別展示なんですね。

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「果樹園」です。これまた、初めて見るクリムトの絵です。これは風景画なのに、正方形ではありません。極めて稀ですね。この絵も個人蔵で、特別展示のようです。

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「 穏やかな池」です。この風景画は正方形で、クリムトそのものです。池の朝の様子を描いています。これはレオポルド美術館の所蔵です。

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「アッター湖」です。この風景画も正方形です。アッター湖はザルツカンマーグートにある湖で、クリムトの夏の別荘がありました。マーラーもしばしば訪れていました。saraiもそれに惹かれて以前、訪れました。クリムトが描いた通りのさざ波を見て、感銘を受けた記憶があります。

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今回の展示の目玉はクリムトの中国趣味のアトリエの復元展示です。これは大変興味深いですね。

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やはり、骸骨が飾ってあります。クリムトは何と言っても愛をテーマとしていましたが、それとともに死も大きなテーマでしたからね。この再現アトリエの展示をじっくりと眺めましょう。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のリヒャルト・ゲルストル

2016年8月7日日曜日@ウィーン/5回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。クリムトの中国趣味のアトリエの復元展示を見ているところです。なかなか興味深いですね。アトリエの中央に古い白黒写真が飾ってあります。何でしょう。

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クリムトのアトリエの実際の光景を写した古い写真です。確かにこの復元アトリエとまったく同じです。まあ、当たり前ですけどね。なお、このアトリエはウィーンのヨーゼフシュテッター通り21番地Josefstädter Straße 21にあったそうです。

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この復元アトリエを後にして、さらに順路を進みます。レオポルド美術館には外の風景が楽しめる部屋があります。まさにピクチャーウィンドウです。美術史美術館、ホーフブルクが見渡せます。

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次はリヒャルト・ゲルストルの作品が並んでいます。リヒャルト・ゲルストルは19世紀末から20世紀始めのごく短い期間に象徴主義の画家としての人生を燃焼させました。作曲家シェーンベルクの妻マティルデと深い仲になり、作曲家シェーンベルクは苦悩し、画家ゲルストルは若干25歳で首吊り自殺してしまいました。

これは「ヘンリカ・コーンの肖像」です。死の年に描かれました。病的な作品ですね。

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これは「予備中尉アロイス・ゲルストルの肖像」です。アロイス・ゲルストルはリヒャルト・ゲルストルの兄弟です。リヒャルト・ゲルストルの死後、アロイスがリヒャルトの作品を画商に見せたことが、リヒャルト・ゲルストルの作品が世に知られるきっかけになりました。

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これは「スマラグダ・ベルク」です。スマラグダは作曲家アルバン・ベルクの妹です。

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これは「パレットを持つ裸の自画像」です。自殺した年の作品です。何かいたわしいですね。

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これは「野原のカップル」です。これも自殺した年の作品です。

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これは「庭のマティルデ・シェーンベルク」です。問題の愛人ですね。これも自殺した年に描かれたものです。画家はどんな気持ちでこの絵を描いたんでしょうか・・・。
ちなみにマティルデ・シェーンベルクの旧姓はツェムリンスキーです。そうです。あの作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキーの妹なんです。

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これは「半裸の自画像」です。最も有名な作品のひとつです。

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これも「自画像」です。上の自画像よりも後に描かれたものです。死の前年か前前年に描かれました。

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これは「果樹のある日の当たる草原」です。

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これは「背景に家のある木」です。妙なタイトルですね。そのままと言えば、そのままですが・・・。

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これは「ドナウ運河にて」です。

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これは「グムンデン近くの湖畔の道」です。死の前年に描かれました。アッター湖の近くのグムンデンでの作品です。これもクリムト風に真四角な風景画です。
グムンデンはアッター湖の旅で訪れました。多くの芸術家が訪れた由緒ある町です。

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以上、これまでになく、多くのリヒャルト・ゲルストルの作品を鑑賞しました。まだまだ、鑑賞は続きます。次はココシュカです。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のオスカー・ココシュカ

2016年8月7日日曜日@ウィーン/6回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。クリムト、ゲルストルと見てきました。

次はオスカー・ココシュカです。ココシュカについては特に記述しなくてもいいでしょう。クリムト、シーレと並び、近代オーストリアを代表する画家です。

このレオポルド美術館で見逃せないのが、「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」です。イタリアのアルプスに当時の恋人アルマ・マーラーと旅したときの作品です。この翌年には彼らは破局を迎え、感動的な傑作「風の花嫁」が生まれます。saraiがこの世でたった1枚の絵画を選べと言われたら、迷わずに選ぶのが「風の花嫁」です。この「風の花嫁」を見るために2度もわざわざバーゼルまで足を運びました。その「風の花嫁」の背景に描き込まれているのが、この「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」の山岳です。

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これは「ウィーン文学・音楽協会のヴェーデキント週間(1912年)」のためのポスターです。ヴェーデキント週間はドイツの劇作家フランク・ヴェーデキントのために催されたもののようです。フランク・ヴェーデキントはアルバン・ベルクの代表作のオペラ《ルル》の原作となった『ルル二部作』の『地霊』『パンドラの箱』を書いたことで知られています。ヴェーデキントはドイツ表現主義の先駆者、不条理演劇の先駆者として評価されているそうです。これを知って、saraiが以前、ネーデルランド・オペラで見たオペラ《ルル》の演出が表現主義的であったことに初めて合点がいきました。

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これは「演劇《ピエタ》(1909)」のためのポスターです。

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これは「ウィーン文学・音楽協会での講演(1911)」のためのポスターです。やたらに表現主義的なポスターを描きまくっていますね。

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これは「運命の女神フォルトゥーナ」です。ローマ神話に登場する女神で、 運命の車輪を司り、人々の運命を決めると言われています。変わった題材を選びましたね。個人蔵の作品で、saraiは初めて見ました。

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これは「自画像(顔を触れている片手)」です。第1次世界大戦での負傷とアルマとの破局の痛手にさいなまれている時期の作品です。何だか、ココシュカはいじけているように見えますね。そう言えば、先ほどの「運命の女神フォルトゥーナ」は1915年に描かれていますから、運命に弄ばれたような自分のことを揶揄しているのでしょうか。よく見ると、あの絵の背景はアルマとの思い出の地、「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」の山岳のようにも見えますね。

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これはアルフレド・ルドリッカAlfred Hrdlicka(1928-2009)が作成した「オスカー・ココシュカの肖像Ⅱ」です。結構、顔がいけてませんね。アルマの好みではなかったようです。でも、男は顔ではありませんよ。彼は大変な芸術家です。

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あれっ、これでココシュカの作品は終わりです。次はまたクリムトの作品が並んでいます。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のクリムト再び、そして、シーレへ

2016年8月7日日曜日@ウィーン/7回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。クリムト、ゲルストル、ココシュカと見てきました。

次はまた再び、グスターフ・クリムトです。ここにはクリムトが描いた肖像画が集められています。

これは「盲目の男」です。この手のクリムトの絵は珍しいですが、人間の内面までよく描かれています。

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これは「座る少女の肖像」です。この手のクリムトの絵も珍しいですね。ただ、クリムトらしくはないかな。精密で美しい少女の姿ではあります。

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これは名称不明ですが、先ほどの「盲目の男」そっくりですね。顔の部分をアップで描いたのかな。

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これは「少女の頭部の習作」です。

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これは「老いた男の肖像」です。

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レオポルド美術館はこんなクリムトの肖像画まで、よく収集していますね。
さて、先ほどのウィーン大学大講堂の天井画の三部作が復元展示されている部屋に戻ってきました。みなさん、さかんにカメラのシャッターを切っていて、なかなかの人気です。大変、貴重な展示です。

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いよいよ、この先はレオポルド美術館の至宝とも言えるエゴン・シーレの黄金のコレクションです。コレクションに先立って、シーレの写真があります。シーレのナルシズムっぽい写真もシーレの芸術の一つかも・・・。

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このナルシズム写真が何枚も続きます。

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見ているこちらが恥ずかしくなるようなポーズをとっています。でも、堂々とこういう自己アピールができてこそ、芸術家なのかな。

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この写真コーナーを抜けないと、シーレのコレクションを見せてくれません。挨拶がてら、じっくり、写真と対面させてもらいました。

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シーレは年代順の展示に変えられています。何となく、昔の展示のほうがよかったような気もしますが、やはり、年代順に見ていったほうが分かりやすいかもしれません。年代順に展示できるほどのコレクション量とも言えます。

最初の1枚はこの「装飾的な背景の前にある様式化された花」です。1908年、シーレ18歳ころの作品です。何となく、シーレの「ひまわり」を連想してしまいます。あれはこの3年後の1911年に描かれます。

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この挨拶代わりの作品のあとに、シーレの頭部の彫刻があります。フリッツ・ヴォトルバ作です。1917年のシーレだそうですから、シーレが亡くなる1年前ころの姿を表したものです。シーレは27歳ころですね。

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これは「膝まづいている少年」です。題名はちょっとひねってあり、ひまわりの花を少年の姿に見立てたもののようです。描いたのはシーレではなく、シーレやココシュカに多大の影響を与えたと言われているベルギーの彫刻家ジョルジュ・ミンヌです。この作品は明らかにゴッホのひまわりに影響を受けたものです。しかし、このひまわりは輝かしい花ではなく、枯れた花です。シーレのひまわりは同様ですね。シーレはゴッホに感化されつつ、さらにこのミンヌの影響も受けながら、その芸術的な感性を養ったのでしょう。そういう意味でここにミンヌの作品が展示してあるのではないかとsaraiは勝手に想像しました。もしかしたら、まったくの素人考えかもしれません。

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さて、このあとからシーレのコレクションの展示が始まります。1910年、シーレ20歳から、1918年、シーレ最晩年まで、シーレが駆け抜けていった芸術的変遷を見ていくことにしましょう。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のエゴン・シーレ 1910~1911年

2016年8月7日日曜日@ウィーン/8回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。クリムト、ゲルストル、ココシュカ、そして、再びクリムトを見て、最後は真打ち登場です。

レオポルド美術館の至宝、エゴン・シーレです。

シーレのコレクションは年代順の展示になりました。1910年、シーレ20歳から、1918年、シーレ最晩年まで、珠玉のコレクションを見ていくことにしましょう。

「死する母Ⅰ」です。1910年、20歳の作品です。

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「晩秋の小さな木」です。1911年、21歳の作品です。

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「男と女」です。1911年、21歳の作品です。紙に描かれています。

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「モアMoa」です。1911年、21歳の作品です。紙に描かれています。踊り子モアはシーレのモデルであり、恋人でもありました。モデルの名前が絵のタイトルになっているのは珍しいですね。

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「まくれたスカートの黒髪の少女」です。1911年、21歳の作品です。紙に描かれています。卑猥ではありますが、これがシーレの前向きのエネルギーでした。このモデルもモアのようですね。

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「暴露」です。1911年、21歳の作品です。

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「死と男」です。1911年、21歳の作品です。

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「叙情詩人」です。1911年、21歳の作品です。正方形の画面です。

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「丘陵風景の中の家と壁」です。1911年、21歳の作品です。

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シーレのコレクションの展示室の中にブロンズの彫刻が置いてあります。これはもちろん、シーレの作品ではありません。20世紀ドイツを代表する彫刻家のヴィルヘルム・レームブルックの「ひざまずく女」です。1911年の作品です。シーレよりも9歳年上で、このとき、レームブルック30歳。パリに赴いていたときの記念碑的な作品です。

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このレームブルックの「ひざまずく女」とシーレの関係は分かりませんが、ふと、同じテーマで描かれたシーレの作品のことを連想しました。今日は展示されていないようですが、レオポルド美術館所蔵の「ひざまずく女のヌード」です。1910年、シーレ20歳の作品です。レームブルックの彫刻作品の前年に描かれたものです。

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さて、本日の展示に戻ります。

「カラスのいる風景」です。1911年、21歳の作品です。クルマウにあるガーデンハウスをシーレの心象風景にしたもののようです。クルマウ(Krumau)というのはチェスキー・クルムロフČeský Krumlov (チェコ語)のドイツ語での表記です。シーレの母親の出身地です。

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このカラスが登場したことについての関連説明があります。シーレはフランスの詩人アルチュール・ランボーの詩集のドイツ語訳を愛読していたそうです。その詩のひとつに「烏」Les Corbeauxという題名のものがあります。ドイツ語ではDie Rabenと訳されています。ここからシーレの心象風景は浮かび上がったようです。

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このランボーの詩は「初期詩篇」の中の最後の作品です。中原中也の日本語訳がありますので、ご参考までに。

神様! 牧場(ぼくじょう)が寒い時、
寂(さび)れたあちこちの村に
アンジェラスの鐘も鳴り止んで
見渡すかぎり花一つない時、
高い空から降ろしてやってください
あのなつかしいカラスたちを。

厳(いか)めしく叫ぶ奇妙な群れよ、
木枯らしは、君たちの塒(ねぐら)を襲撃した!
君たちは、黄ばんだ河に沿って
古い十字架が立っている道に、
溝や窪地に、
飛び散れよ、あざ笑え!

幾千となくフランスの野に
昨日の死者たちが眠っているそこに、
冬よ、ゆっくりとどまればよい、
そこを通る人々が敬虔な気持ちになるように!
君たちは慰霊の導き手となれ、
おお、わが喪服で正装した鳥たちよ!

だが、ああ、空にまします聖人たちよ、夕暮れ迫るマストのような
樫の木の高みにいる貴方たちカラスたち、
五月のホオジロを見逃してやってくれ
あれらは森の深みに繋がれて、
出ることも出来ずに草地に縛られて、
なす術も力もない仲間たちのために!


芸術家たちの偉大な邂逅がここに見られます。感銘を受けますね。

この先の展示は1912年、シーレ22歳ころになります。シーレは一段と芸術の高みに上っていきます。その人生の歩みの困難さに立ち向かいながらの一歩一歩です。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のエゴン・シーレ 1912~1913年

2016年8月7日日曜日@ウィーン/9回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。レオポルド美術館の至宝、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

年代順の展示されているシーレのコレクションを1911年、シーレ21歳ころの作品まで見てきました。ここからは1912年、シーレ22歳ころになります。ますます素晴らしい作品が登場します。

「隠者たち」です。1912年、22歳の作品です。モデルはシーレ自身と師匠のクリムトだと言われています。

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「喪服姿の女」です。1912年、22歳の作品です。

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「ゴルゴタの丘」です。1912年、22歳の作品です。宗教的なテーマの作品は珍しいです。

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「母と子」です。1912年、22歳の作品です。

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「揺れ動く大気の中の秋の木(冬の木)」です。1912年、22歳の作品です。

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「盛り上がった裸の肩の自画像」です。1912年、22歳の作品です。

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「枢機卿と尼僧」です。1912年、22歳の作品です。スキャンダラスな内容ですね。

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「ヴァリーの肖像」です。22歳の作品です。1912年、22歳の作品です。ヴァリーはシーレの裸体モデルを務めていた少女ヴァリー・ノイツェルです。このハチミツ色の金髪と青い目をもつ17歳の少女とシーレは1911年、同棲を始めました。紆余曲折はありますが、二人の関係はシーレが妻に迎えることになるエーディトと出会うまで続きます。

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「ほおずきの実のある自画像」です。1912年、22歳の作品です。上の「ヴァリーの肖像」と一対をなす作品です。シーレのヴァリーに対する愛情が感じられますね。

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「復活(墓場)」です。1913年、23歳の作品です。この絵は消失したそうで、これは白黒写真コピーです。そこまでして展示しているのは、この作品がシーレの転機になったものだからだそうです。1912年4月、シーレは14歳の家出少女を一夜、家に泊めたことを契機に警察に24日間にわたって拘留され、シーレの絵画も猥褻物として、裁判所に押収されるという事件が起きました。この精神的なショックから芸術家として復活したときの最初の作品がこれです。その名も墓場からの復活だとはね・・・。

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「クロイツベルクから見たドナウ川沿いのシュタイン(大)」です。1913年、23歳の作品です。同一題材で何枚かの作品があります。余程、シーレが気に入った風景だったのでしょう。

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「沈む太陽」です。1913年、23歳の作品です。正方形の風景画と言えば、クリムトの影響ですね。

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「ショールをまとった半裸の女性の後ろ姿(フラグメント)」です。1913年、23歳の作品です。

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この先の展示は1914年、シーレ24歳ころからになります。シーレの人生も残り5年しかありません。わずかな日々を駆け抜けるシーレの姿を目にしっかりと留めましょう。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のエゴン・シーレ 1914~1915年

2016年8月7日日曜日@ウィーン/10回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。レオポルド美術館の至宝、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

年代順の展示されているシーレのコレクションを1913年、シーレ23歳ころの作品まで見てきました。ここからは1914年、シーレ24歳ころになります。いよいよシーレの名作が登場します。

「盲目の母」です。1914年、24歳の作品です。

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「本のある静物画(シーレのデスク)」です。1914年、24歳の作品です。

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上のカンバスの裏には、「セミヌードの青年(自画像)」がうっすらと描かれています。1910年、20歳の作品です。
さらにその自画像の上に「グレイのシャツを着た裸の少年(自画像)」が描かれています。1910年、20歳の作品です。カンバスをずい分、使い回していますね。


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「海際の家々」です。1914年、24歳の作品です。

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「川沿いの家の壁」です。1915年、25歳の作品です。

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「こけらぶきの家(古い家Ⅱ)」です。1915年、25歳の作品です。

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「小さな町Ⅱ」です。1913年、23歳の作品です。この作品はチェスキー・クルムロフを描いたものですね。上の2枚もそうかもしれません。そのせいか、ここで展示順が狂って、2年前に描かれた作品が展示されています。ちなみに「海際の家々」もチェスキー・クルムロフの風景を海岸沿いの風景に置き換えているそうです。母親の出身地のチェスキー・クルムロフは恋人のヴァリー・ノイツェルと暮らした地でもあり、チェスキー・クルムロフの細い路地に並ぶ家々の風景を好んで取り上げました。しかし、決して、目に見える風景をそのまま描くのではなく、シーレの心の中で再構成された風景になっています。

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「二人の子供と母親Ⅱ」です。1915年、25歳の作品です。

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「ヴルタヴァ川に面したクルマウ(チェスキー・クルムロフ)」です。1915年、25歳の作品です。クルマウ(Krumau)というのはチェスキー・クルムロフČeský Krumlov (チェコ語)のドイツ語での表記です。

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「弓形の家々」です。1915年、25歳の作品です。これももちろん、チェスキー・クルムロフを描いたものです。

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「空中浮揚(盲目Ⅱ)」です。1915年、25歳の作品です。

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「ストライプのドレスで座っているエーディト・シーレ」です。1915年、25歳の作品です。この1915年、25歳のシーレには、彼の人生で最も重要な出来事がありました。エーディト・ハルムスとの結婚です。彼の画風もこれ以降、がらっと落ち着いたものに変わります。この結婚後、亡くなる3年間のシーレを作品をsaraiは最も愛しています。破天荒とも言えた画風が愛情に満ちたものに変わり、画面から滲み出る幸福感は見ているsaraiにも伝わってきて、ほのぼのとした気持ちにさせられます。この作品はその先駆けとも思えるものです。よほど新妻のエーディトへの愛情が深かったのでしょう。

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「母と子」です。1915年、25歳の作品です。まさにシーレ版の聖母子ですね。

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「自画像」です。1915年、25歳の作品です。自画像もどこか、精神面の落ち着きが感じられます。

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この先の展示は一気に1918年、シーレ28歳の最晩年になります。すべての作品が傑作揃いです。シーレとエーディトの若過ぎた死に思いをやると、涙なしには見ることができない作品ばかりです。



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束の間のウィーン:レオポルド美術館のエゴン・シーレ 1918年(最晩年)

2016年8月7日日曜日@ウィーン/11回目

レオポルド美術館Leopold Museumで絵画鑑賞中です。レオポルド美術館の至宝、エゴン・シーレのコレクションの鑑賞もいよいよフィナーレになります。

年代順に展示されているシーレのコレクションを1915年、シーレ25歳の作品まで見てきました。この後は一気に1918年、シーレ28歳の最晩年になります。それはシーレがエーディトとの結婚の3日後、勃発していた第一次世界大戦のためにオーストリア=ハンガリー帝国軍に召集されたことで、絵画制作活動が休止に追い込まれたことによります。しかし、従軍後、芸術家としてのシーレの経歴が考慮されて、シーレは前線に出ることはなく、この従軍期間はさらなる芸術的飛躍のための準備期間となります。1917年にウィーンに転属となると、シーレは事実上、制作活動を再開します。そして、1918年、シーレの最晩年になります。

「3人の裸の女」(未完)です。1918年、28歳の作品です。モデル(中央)は妻のエーディトですね。

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「うずくまる2人の女」です。1918年、28歳の作品です。モデルはダブルで愛妻のエーディトですね。最晩年の作品はどれをとっても傑作揃いです。

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「うずくまる2人の男(ダブルの自画像)」です。1918年、28歳の作品です。愛妻のエーディトをダブルで描いた「うずくまる2人の女」と一対をなす作品です。以前、恋人のヴァリーとの一対の作品を描いたことが思い出されます。今回はダブルで描いたことで、エーディトへの強い愛情を示しました。

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こんな風に2枚の作品は並べて展示されています。当然ですね。

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最後に見たのは「横たわる女」です。1917年、27歳の作品です。最晩年の前の年の作品です。ちょっと印象は異なりますが、これもモデルは妻エーディトでしょう。軍務の合間に描いたようです。

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最晩年の部屋は傑作の作品が並んでいて、素晴らしいです。特に妻エディットをモデルにした作品がsaraiのお気に入りです。ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereにあるオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereに展示されているシーレ最晩年の傑作群と合わせて、シーレの最晩年の作品は感動的です。

最後の最後は死の床に横たわるシーレの写真です。第1次世界大戦のころに流行したスペイン風邪でシーレの子供を身籠った妻エーディトが1918年10月28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、3日後の10月31日にエーディトの後を追うように亡くなりました。そう言えば、5日前がシーレの命日でしたね。そして、来年はシーレの没後100年になります。合掌!

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エゴン・シーレの展示室の様子を最後に見ながら、レオポルド美術館の鑑賞を終えます。

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ここで、もう午後2時過ぎです。あと2時間ほどで帰国のために空港に向かわないといけません。最後のお楽しみのためにムゼウムシュクヴァルティアーMuseumsQuartierの地下駅から地下鉄で移動します。

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さあ、最後はこれしかありません。再び、ケルントナーシュトラーセKärntner Straßeのカフェ・ハイナーCafe heinerに戻って、今度は美味しいケーキをいただきます。saraiはザッハートルテをミット・シュラーク(ホイップした生クリーム付き)でいただきます。カフェ・デーメルほどではありませんが、ここのザッハートルテも美味です。

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配偶者は、中央にこってりとしたチョコレートが詰まったケーキ(マルツィパンカルトッフェル)。

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紅茶は、とってもしっかり淹れてあり、芳醇な味わいです。それにポットで注文した紅茶はカップでたっぷり5杯分はあります。ちょっともてあますほどの分量です。二人でポット1つでよかったかも。

さきほどのウェートレスのおばさん(ここはみなチロル風の民族衣装を着ています)がまた来たのって感じでsaraiたちに笑いかけます。会計は今度はキャッシュでテーブル席で払おうとすると、あら、クレジットカードじゃなかったのってまた笑っています。もう、これでヨーロッパを離れるので余っているキャッシュを使ってもいいんです。全部で18.2ユーロ。2千円ちょっとです。まあ、リーズナブルな料金でしょう。

カフェ・ハイナーでゆっくりしていたので、もうすぐ4時です。ウィーンの最後はケルントナー通りを散策します。いつもこの通りは賑やかです。

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やがて、懐かしいウィーン国立歌劇場が見えてきます。そう言えば、ここでオペラを見たのはもう去年の6月のことです。ここでオペラを見るのは来年以降になります。

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右手のほうにはホテル・ザッハーが見えます。

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この夏の時期はウィーン国立歌劇場も楽友協会もお休みです。大きな横幕で、観光客向けのモーツァルト・コンサートをウィーン国立歌劇場と楽友協会でやっていることを告知しています。

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ウィーン国立歌劇場を横目に見ながら、通り過ぎます。

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来年はウィーンに来ることができるかな。ここ5年以上も毎年、ウィーン詣でをしていました。今年は束の間の滞在に終わってしまったので、来年こそはと思っているんですが。



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長かった旅も完了!! 涼しいヨーロッパから帰った日本の夏は暑かった!

2016年8月7日日曜日@ウィーン~成田/12回目

ウィーンの旧市街の散策を終えます。最後にウィーン国立歌劇場Wiener Staatsoperの建物を見ながら、カールスプラッツKarlsplatzの地下駅に降りていきます。

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ほんの5時間ほどの短いウィーン滞在でした。これまでのウィーン訪問の中で、もちろん最短の滞在になります。

カールスプラッツからUバーンでウィーン・ミッテWien Mitte駅に移動します。ウィーン到着時、このウィーン・ミッテ駅のシティ・エアー・ターミナルでオーストリア航空のチェックインは済ませてあります。そのときの模様をご紹介していませんでした。これがシティ・エアー・ターミナルです。

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空いているので、すぐにチェックインできて、スーツケースを預けました。これはsaraiのスーツケース。23kgです。ベリーヘビーですね。

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配偶者のスーツケースは13kg。軽いですね。

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これはボーディングパス。オーストリア航空の色、赤で縁取られています。

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以上は朝のウィーン・ミッテ駅のシティ・エアー・ターミナルでのチェックインの様子でした。

今度はチェックイン済なので、ウィーン・ミッテ駅から直接、ウィーン・シュベヒャート空港Flughafen Wien-Schwechat行きのCAT(シティ・エアポート・トレイン)に乗ります。CATは空港行きの直行電車です。東京の成田エキスプレスみたいなものですね。このCATのチケットは既にネットで購入済です。

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このチケットは指定券ではないので、どの電車にも乗れます。予定の電車より一本早い電車で空港に行きます。30分早い電車です。車内は空いています。いつもは料金の安いSバーンに乗りますが、やはり、少し贅沢すると、楽ですね。

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地下のトンネルを走り出しますが、すぐに地上に出ます。

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しばらくは市街地を走りますが、この建物あたりから先は郊外になります。

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やがて、中央墓地Wiener Zentralfriedhofの煉瓦塀の前を走ります。

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長い煉瓦塀が続きます。塀の向こうにはずらっとお墓が並んでいます。

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たった16分ほどでウィーン・シュベヒャート空港に到着です。ずい分、早く着いてしまいました。ちょっと余裕があるとろくなことはありません。空港内のお店で、ワインやチーズを買ってしまいます。まあ、お土産はほとんど買わなかったので、この程度はいいかな・・・。
早めに搭乗口に到着。成田行きのオーストリア航空機はスタンバイしています。

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定刻に搭乗。お気に入りの窓際の席に座った配偶者は早速、窓からの写真を撮っています。お隣もオーストリア航空機ですね。

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ちょっと定刻よりも遅れて離陸した飛行機はドナウ川の上を飛びます。

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大きなドナウ川に沿って、ぐんぐんと高度を上げていきます。お天気は快晴。まさに飛行日和です。

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下に見える大平原には、無数の風力発電ユニットが並んでいます。環境立国のオーストリアらしい風景です。

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ドナウ川は蛇行しています。ドナウ渓谷のあたりでしょうか。

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どこまでもドナウ川の上を飛んでいきますが、このあたりが見納めのようです。さらば、ドナウ。さらば、オーストリア。

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豊かな大平原の真っ只中を飛んでいきます。

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やがて、山がちな風景に変わります。ドイツにはいったようです。これでヨーロッパともしばしのお別れです。また、来年の予定を立てましょう。

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食事の時間です。まずはおつまみとスパークリングワインをいただきます。

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食事はいつも通り、2種類いただいて、配偶者とシェアします。これはトマスソースのペンネです。なかなか美味しいです。

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これはウィンナーシュニッツェルならぬ、何と何とカツライスです。久しぶりに白米ご飯が食欲を誘います。一気に食べてしまいます。

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映画を見たりしているうちにぐっすりと寝込んでしまい、気が付くと、日本海に出ます。成田空港に定刻より30分ほど早く無事に着陸。お昼ちょっと前です。着陸した後、飛行機は誘導路を遠くまで移動してボーディングブリッジまで15分ほどもかかります。空港の設計がおかしいのではないかと思います。台風が来ているとかで心配しましたけど、雲が厚かった程度で何事もありませんでした。
荷物を持って帰るのも面倒なので、クレジットカードの無料配達サービスを利用して送ることに・・・。うまくすればその日の夕方には届くけど、今回は明日の午前中着ということです。別に急がないしね。いいでしょう。配達してもらう荷物を整理していると、近くで2人の男女のヨーロッパ系の外国人が、おにぎりとサーモンのお寿司を食べてます。外国人も日本に着くと、こういうものを食べるのね。我々はとりあえず、電車に乗って自宅に向かいます。自宅の最寄り駅に着いて、駅前でてんぷら蕎麦を食べます。これが日本でないと食べられない味です。成田空港から自宅へは京成・都営・京急で延々3時間ぐらいかけて、のんびりの帰宅です。これで長い旅も完全に完了です。

日本の8月は夏真っ盛り。蒸し暑い風が吹いてます。この風のおかげで、少々暑さがしのげますが、涼しいヨーロッパから戻った体には厳しいです。


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オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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天野さん

saraiです。初めまして。コメントありがとうございます。ブログを書く励みになります。当日は快晴で素晴らしい日でしたが、夏の陽光がまぶしいほどで暑さに悩ま

09/27 14:15 sarai

充実した心豊かなご様子に励まされます.
情報、有り難うございました.
いつか、ふらっと訪ねてみたいです.

09/27 09:23 天野哲也

昨日投稿した記事の一部に誤りがありました。ドイツ騎士団の中庭はパスしないで、ちゃんと見ていました。追記・修正しました。申し訳ありません。

08/07 00:28 sarai

えりちゃさん、saraiです。お久しぶりです。

これは昨年の9月のウィーンですが、現在のコロナ禍では、古き良き日という風情ですね。もう、ポスト・コロナでは、行けたにし

07/20 12:41 sarai

Saraiさま、
お元気ですか?
新型コロナウィルス、自粛中。
このウィーンの散策を読んでいると、なんだか切なくて悲しくなってきました。
次はいつ行けるのかな、とか思う

07/20 05:08 えりちゃ

はじめまして。ブログ拝見させていただきました。私は、個人ブログを運営しているyuichironyjpと申します。フリーランサーとして活動しており、フリーランスで稼ぐ方法や、

06/14 23:46 Yuichironyjp

ありがたいコメント、嬉しいです。マーラーのファンのかたにこそ、読んでいただきたかったので、気持ちを共有できた思いです。自然の中にこそ、マーラーの音楽の本質はあり

04/23 23:45 sarai
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