2014年6月4日水曜日@バルセロナ/6回目
カタルーニャ美術館へ入館し、右手のゴシック美術展示スペースをさーっと通り抜けて、ルネッサンス・バロック美術展示スペースに進みます。ここからエル・グレコの作品に向けて、一目散。ところが途中で見慣れた作品群が目に入って、はたと足が止まります。なんとルーカス・クラナッハの作品が何枚も並んでいます。クラナッハと言えば、saraiの大好きな画家ですから、これは見逃せません。マドリッドのティッセン・ボルネミッサ・コレクションから永久貸与された4点の作品があります。
これは《聖クリストフォロス》。1514年頃、クラナッハ42歳頃の作品です。衣の赤が鮮やかです。それほどクラナッハらしくない作品です。絵の内容は聖クリストフォロスの物語に基づいたものです。クリストフォロスはキリストに帰依するために隠者の勧めによって、急な流れの川を渡る人たちを無償で助けていました。ある日、小さな子供を背負って、川を渡ります。ところが背負った子供がどんどんと重くなってきます。この子供は実はイエス・キリストで、この重さはキリストが人類の罪を背負っているための重さでした。何とか川を渡り終えたクリストフォロスはキリストに祝福されて、手に持つ木の杖を地面に差すように言われます。すると、その杖は大木に育ったそうです。この話がその地の王に伝わり、クリストフォロスは拷問の末に惨殺されました。キリスト教は認められていませんでしたからね。クリストフォロスの名はキリストを背負うものという意味だそうです。この作品で聖クリストフォロスに背負われているのがイエスですね。

これは《聖ゲオルギオス》。1514年頃、クラナッハ42歳頃の作品です。暗い背景に浮かぶ黒い甲冑の質感が印象的です。これもそれほどクラナッハらしくない作品です。絵の内容はゲオルギオスのドラゴン退治の伝説に基づくものです。

これは《ザクセン公ゲオルクを伴う聖エリザベート》。1514年頃、クラナッハ42歳頃の作品です。聖エリザベートはハンガリー王女として生まれ、チューリンゲンのルートヴィヒ4世に嫁ぎ、ルートヴィヒが早逝した後は修道女として、貧民・病人のために尽くした聖人。ザクセン公ゲオルクは宗教改革において、カトリック派についた人物。クラナッハが宮廷画家として仕えたフリードリヒ3世はルターを庇護した人物であり、この作品は宗教対立が激化する前に描かれたものです。クラナッハも描きたくなかったかもしれませんが、ザクセン公の注文は断れなかったでしょう。

これは《ザクセン公妃バルバラを伴う聖アンナ》。1514年頃、クラナッハ42歳頃の作品です。聖アンナは聖母マリアの母親。ザクセン公妃バルバラはザクセン公ゲオルクの妻です。この作品も宗教対立が激化してからは描かれなかった作品です。

これでクラナッハを見終えたと思っていたら、その先に有名な作品があり、嬉しいビックリです。スペインの大物政治家だったFrancesc Cambóのコレクションの一部です。このコレクションはCambóがこの美術館に寄贈しました。名作ばかりのコレクションです。
これは《不釣合なカップル》。1517年頃、クラナッハ45歳頃の作品です。これはクラナッハが何度も描き続けたテーマです。好色そうな老人と油断のならない目つきの若い女が寄り添っています。老人は年甲斐もなく、年齢の不釣り合いな若い女に入れ込む馬鹿な男です。若い女はこっそりと老人の財布に手を滑り込ませており、お金目当てでの付き合いであることを示しています。クラナッハの親しい友人であったマルティン・ルターが唱えた宗教改革でも、こういう不道徳な男女関係は固く戒められていました。しかし、クラナッハはなんとあからさまな男女関係を描き込んだものでしょう。クラナッハの代表作の一枚でもあります。この美術館では必見です。

さて、クラナッハに見入っていましたが、急いでエル・グレコの作品に向かいましょう。この旅のメインテーマですからね。が、ここも半端じゃない広さ。そして、なかなか素晴らしい作品が続きます。じっくり見る価値があるし、面白いでしょうが、グッと我慢して、エル・グレコだけを目指します。
ようやく、エル・グレコを発見。3点あるはずのエル・グレコの作品は、うち一点は、トレドに貸し出し中で、我々もそこで見たはずですが、よく覚えていません。膨大な作品群でしたからね。ここでは他の二点の佳作をしっかり見ることが出来ました。
これは《洗礼者聖ヨハネとアッシジの聖フランチェスコ》。1600年前後、エル・グレコ60歳前後の作品です。時代が異なり、会うはずのない二人の聖人の出会いの場面。お互い、清貧な二人が厳しい画面に描かれている素晴らしい作品です。

これは《十字架を運ぶキリスト》。1590~1595年頃、エル・グレコ50~55歳頃の作品です。実にシリアスな画面です。キリストの表情はすべてを見通した透明さに満ちて、決意にあふれています。赤い衣は緊張感を強め、背景のどんよりした雲も隙のない描き方です。エル・グレコはこの後、晩年に向かって、更なる高みに上り詰めていきますが、この作品はその先駆けとも思える見事な作品です。

スペインで最後に見ることのできたエル・グレコの作品は素晴らしいものでした。saraiの多分、これが最後の訪問になるであろうスペインはエル・グレコが後半生を過ごした国として、強烈に頭の中に刻み付けられました。もう、スペインで思い残すことはありません。これで終了です。スペインとお別れです。と言っても、カタルーニャ美術館の素晴らしい空間の中を歩くと、いやでも名画の数々が目に飛び込んできてしまいます。
これはフランシスコ・デ・スルバランの《無原罪のお宿り》。1632年、スルバラン34歳頃の作品です。このテーマではエル・グレコの大傑作、それにムリリョの傑作群が思い出されますが、この作品もぽっちゃりしたマリアの可愛いこと! スルバランの最高傑作のひとつでしょう。

これはスルバランの《アッシジのフランチェスコ》。1640年、スルバラン42歳頃の作品です。スルバランの円熟が感じられます。静謐な画面構成の中で佇む聖フランチェスコの崇高な姿は胸に迫ります。この作品もスルバランの最高傑作と言っていいでしょう。

最後にゴシック期の展示に戻ってきました。目を惹く作品も少なからずありますが、代表的な2作品ほど、ご紹介しておきましょう。
これはJaume Huguetの《聖オーガスティンの奉献式》。1463-1470あるいは1475年頃、Huguet50~60歳頃の作品です。何ときらびやかな作品でしょう。それにとても精緻な表現に目を奪われます。

これはLluís Dalmauの《"Consellers"の聖母》。1443-1445年頃の作品です。一見、フランドル絵画、それもヤン・ファン・エイクを想起してしまうような作品です。それもその筈、ヴァレンシア出身の画家Dalmauはヤン・ファン・エイクの絵を学ぶためにカタルーニャの宮廷画家として、フランドルに派遣されます。カタルーニャに初めて、フランドル風の精密絵画の技法をもたらし、この作品が生まれました。

もう、このあたりで時間も体力も尽きました。また、ドームの大ホールに戻ってきました。このドームはバルセロナで開かれたオリンピックに照準を合わせて建造されたそうです。

ドームから出入り口のほうに抜けていきます。ミュージアムショップもありますが、ここでは自由に写真が撮影できたので、絵葉書を買う必要もありません。

カタルーニャ美術館を出ると、また、美しい眺めが待っています。

この美しい眺めを楽しみながら、スペイン広場に向かいます。スペイン広場には地下鉄が走っています。
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テーマ : ヨーロッパ
ジャンル : 海外情報