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ザルツブルク音楽祭:町でぶらぶら、お買い物

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/1回目

旅の14日目、ザルツブルクSalzburgの通算7日目です。

今日はガルミッシュ・パルテンキルヒェンGarmisch-Partenkirchenへの小旅行の疲れもあり、また、それ以上にここ数日の30度を超える猛暑もあり、予定していたヴェルヒェンWerfenの氷窟探索は中止。ザルツブルクでゆっくりと過ごすことにします。
朝はホテルの近くのスーパーのシュパーSPARに朝食の買い出しに出かけます。朝から日差しが強いので、日陰を選んで歩きます。

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スーパーにはパックされた魚が並んでいます。美味しそうですが、生ものは買えませんね。

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サンドイッチやカットされた果物があります。このあたりがよさそうです。

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首尾よく牛乳やパンや果物を仕入れることができました。ホテルの部屋に戻って、購入した品を机の上に並べます。

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ホテルの部屋での朝食後、ザルツブルクの町に出かけます。ホテルから町に出るのは、メンヒスベルクMönchsbergの岩山をくり抜いたトンネルを通ります。猛暑の中でもトンネルに入るとひやっとします。天然の冷房ですね。このトンネルはとても便利で、旧市街にも出られますが、直接、祝祭大劇場Großes Festspielhaus、モーツァルト劇場Haus für Mozart、フェルゼンライトシューレFelsenreitschuleの会場にもつながっています。もちろん、スタッフが見張っていて、チケットのチェックをするので、チケットがなければ入れません。ホテルから会場まで雨にも濡れず、天然冷房の通路を抜けて5分ちょっとで行けるのは贅沢の極みです。
で、トンネルを抜けて、旧市街に抜けます。左にはフェルゼンライトシューレの建物が見えています。

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フェルゼンライトシューレの建物の壁には、メンヒスベルクの丘に登る石段があります。この後、そこを登ることになりますが、この時点では未定でした。

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ザルツブルク大聖堂Dom zu Salzburgの前の大聖堂広場Domplatzに出ます。広場は音楽祭の会場になっていて、《イェーダーマン》が公演されます。仮設の観客席が造られています。

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大聖堂広場の本当の主役は聖母像Mariensäuleですが、仮設の観客席の中にひっそりと埋没しています。

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実はザルツブルク大聖堂の裏にある郵便局に、孫に出す絵葉書の切手を買いに来たんです。持参した絵葉書のほかに予備の切手も買っておきましょう。とってもきれいな切手と外国郵便であることを示すシールもセットでいただけます。しっかりした仕事ぶりですね。お誕生日が近いお嫁さんへの誕生日カードもゲットです。郵便局と言っても、色んな雑貨が並べてあります。

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saraiは、不便していたPCのイヤホンをここで見つけて、ゲットしてルンルン。これで後日、予定しているヴェルター湖Wörther See訪問の際にマーラーとブラームスの音楽を聴けるでしょう。

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次にレジデンツ広場Residenzplatzにあるオーストリア名物のマナーMANNERの直営店に行き、ちゃちゃっとお土産を購入。

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可愛くパッケージしてくれます。これで堂々と日本に帰れます。
次の課題はザルツブルク音楽祭記念のワインを買いに行くこと。モーツァルテウムの近くのワイン屋さんにある筈です。メインストリートのゲトライデ通りGetreidegasseを抜けていきます。

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モーツァルトの生家Mozarts Geburtshausの前はいつも観光客で混み合っています。

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その右隣りはお馴染みのレストラン、ノルドゼーNORDSEEですね。

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モーツァルトの生家の建物の1階にはスーパーのシュパーSparのお店が入っています。

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ついでにちょっとお店の中を覗いていきましょう。



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ザルツブルク音楽祭:ザルツブルク音楽祭記念のワイン

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/2回目

今日はザルツブルクでゆっくりと過ごすことにして、街でお買い物を兼ねて、ぶらぶらしています。今はモーツァルトの生家Mozarts Geburtshausの前に来ています。その右隣りはどこの町でも見かけるレストラン、ノルドゼーNORDSEEですが、このザルツブルクならではのものが、お店の壁の上にある鉄飾りです。

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モーツァルトの生家の建物の1階にあるスーパーのシュパーSparのお店の中を偵察してみましょう。低いアーチの天井の下に商品が綺麗に並んでいます。普通のスーパーとは品揃えが違うようです。お土産物も並んでいます。町のど真ん中にあるスーパーだからでしょう。

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おっ、お寿司コーナーも充実していますね。今度はここでお買い物しましょう。

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スーパーを出ると、ゲトライデ通りGetreidegasseは観光客でひどい混雑です。

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さて、ワイン屋さんに向かう途中で、ヤギのミルクから作ったアイスクリームを販売するお店、Eisl Eisを偶然発見。

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お店を覗くと、たくさんの種類のジェラートが並んでいます。

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お試しにそのヤギのミルクのジェラートを購入してみます。

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が、我々の舌では味の違いはよく分かりません。でも、美味しいことは美味しいです。
さて、ザルツブルク音楽祭記念のワインを売っているワイン屋さんに向かいましょう。
ザルツァッハ川の前に出て、鍵がびっしりと付いたマカルト橋Makartstegを渡ります。

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橋の上は大変混み合っています。そこで作業車を押す人に遭遇。馬糞のお掃除をする人です。こういう地道な努力が観光地には必要ですね。ご苦労様です。

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マカルト広場Makartplatzに出ると、モーツァルトの家Mozart-Wohnhausの前に出ます。ここは当時はハンニバル広場と呼ばれていたそうです。モーツァルト一家がゲトライデ通りにあったモーツァルトの生家が手狭になったために引っ越した家です。部屋が8つあり、かなり広いものでした。この家はもともと宮廷舞踏教師が住んでいた家で『舞踏教師の家(Tanzmeister Haus)』と呼ばれていました。

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広場の東には、三位一体教会Dreifaltigkeitskircheの姿が見えます。

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マカルト広場にちょうどトロリーバスがやってきます。この広場は大きなバスターミナルとしての役割も担っています。

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三位一体教会の建物を左に迂回して、その北側の路地にはいると、目的のワイン屋さんを発見。ワインショップ・ド・グスティブスWine shop De Gustibusです。

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お店の前のテントの横から入店します。

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店内の棚にはワインのボトルが所狭しとびっしり並んでいます。

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お目当てのザルツブルク音楽祭記念のワインを店の店主がすぐに紹介してくれます。お店の中には、ワインを飲んでいる人がいて、今日は暑いねと声をかけてきます。店主がテイスティングをするかいと勧めてくれますが、余計暑くなるから遠慮するというと、飲んでいる客は、スッキリして爽やかになるよと言います。もう上機嫌ですね。ワインもすんなりと買えました。今日からホテルでいただくことにします。ここでしか手に入らないワインです。

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さて、用事はみな終わったので、ランチでもいただきましょう。



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ザルツブルク音楽祭:美味しいランチはよかったけど、少しワインを飲み過ぎて、ふらふら・・・

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/3回目

今日はザルツブルクでゆっくりと過ごしています。街でのお買い物をもお目当てのザルツブルク音楽祭記念のワインを首尾よく入手して、完了。
そろそろ、ランチをいただきます。ネットで評判のお店でランチをいただくことにします。そのお店はミラベル宮殿Mirabell Palaceの前を通り過ぎて、ちょっと北に行ったところのフランツ・ヨーゼフ通りFranz-Josef-Straßeに入った緑の多いあたりにあります。カフェ・フィンガーロスCafe Fingerlosというお店です。

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外から見ると、特徴のない外装ですね。でも、お店の前には日陰になったテラス席があるので、暑さを凌げるでしょう。

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早速、テラス席のお店の建物に近い奥まったところに陣取ります。お昼下がりの時間は結構空いています。

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暑いので、まずは飲み物。配偶者はアプフェルザフト、要はリンゴジュースです。たっぷりと氷をコップに入れてもらいます。saraiはいつも通り、よく冷えた白ワイン、リースリンクをいただきます。

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料理が届く間、リースリンクを調子よくいただきます。これがよくなかった。

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料理の最初はスープから。たっぷりと野菜のはいったスープです。

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配偶者は物珍しさから、みそスープを頼みます。要するに味噌汁ですね。

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メイン料理はザワークラウトを添えたソーセージ。

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配偶者はザルツブルク風のオムレツ。どこがザルツブルク風か分かりません。生野菜がたっぷり添えられているのがいいですね。

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なかなか美味しいランチです。日陰のテラス席でゆったりしながら、いただきます。

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ランチをいただいていると、お店のスタッフが寄ってきて、二人の写真を撮ってくれます。サービスがなかなかよろしいですね。

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さらにsaraiの白ワインの空いたグラスを見て、なんだか言ってます。適当に美味しかったとか相槌を打っていたら、お変わりのワインが届きます、で、saraiはワインを飲み過ぎてしまいます。頭がぼーっとしてきます。いつの間にか、まわりの客も増えてきました。そろそろ、酔いをさますためにも、席を立ちましょう。

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ふらふらしながら、ザルツァッハ川のほうに向かいます。なるべく、木陰を選んで歩きます。それくらいの意識ははっきりしています。

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あれあれ、何か見覚えがあると思ったら、ザルツブルクに着いたときに2泊したホテル、ヴィッラ・カールトンですね。そう言えば、ここはミラベル宮殿の裏ですからね。

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ザルツァッハ川の川べりに出ます。

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川べりの道を歩きながら、酔いをさましましょう。ベンチで一休みというのもいいかもしれません。



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ザルツブルク音楽祭:酔い醒ましのザルツァッハ川岸散策

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/4回目

今日はザルツブルクでゆっくりと過ごしています。ランチでワインを飲み過ぎて、酔い覚ましにザルツァッハ川の川べりをブラブラします。

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いつもはあまり歩かない下流の方の川べりを歩いています。

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で、いつもと違う対岸の景色を楽しみます。メンヒスベルクMönchsbergの丘の北の端に聖アウグスティヌス教会Maria Himmelfahrt, heiliger Augustinus, heiliger Alexius von Romが見えています。教会の向こうには、見えてはいませんが、ミュルン修道院Kloster Mülln(今はその役目を終えています)とそれに付属するアウグスティナー醸造所Augustinerbräuがあります。1621年以来のビールの製法を守っている老舗です。ケラーレストランもあるので、いつかは行ってみたいのですが、夜はコンサートかオペラなので、なかなか機会がありません。

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ザルツァッハ川に架かる歩道者用の橋が近づいてきます。ミュルナー橋Müllner Stegです。

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ミュルナー橋の向こうに見える丘はメンヒスベルクの丘の北端です。

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ミュルナー橋を渡って、対岸の旧市街に向かいます。メンヒスベルクの丘の上には、ホテル シュロス メンヒシュタインHotel Schloss Mönchsteinsが見えています。このホテルにも、いつかは行ってみたいものです。お城を改装した超一流のホテルですが、レストランの利用のみもできるようです。

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橋の上からザルツァッハ川の下流(北)方向を眺めます。見えている橋は鉄道橋です。右に行けば、すぐザルツブルク中央駅です。

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反対側を眺めると、ホーヘンザルツブルク城Festung Hohensalzburgが見えます。

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ミュルナー橋を渡り終えるところです。聖アウグスティヌス教会が近くに見えてきます。

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ミュルナー橋を渡り終え、ザルツァッハ川の西側の岸辺の道、カイプロムナーデKaipromenadeを旧市街のほうに向かって歩きます。saraiはまだ、ワインのせいでフラフラしています。

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正面の風景をズームアップすると、ホーヘンザルツブルク城やザルツブルク大聖堂などの壮麗な建築物が建ち並んでいます。

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対岸の風景です。福音教会Evangelische Pfarrgemeinde Salzburg Christuskircheが目立っています。

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川べりの散策道は緑の樹木で日陰ができていて、涼しくて助かります。

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それでも、暑いことは暑いんです。そのあまりの暑さに休憩したいのですが、日陰のベンチは空いていません。考えることは皆同じです。子供たちは元気に児童公園の遊具で遊びまわっています。

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錠前鍵がびっしりと取り付けられたマカルト橋Makartstegまでやってきました。橋の向こうにはホテル・ザッハーHotel Sacherの美しい建物が見えています。

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だんだん酔いも醒めてきたので、今日の最後の目的のシュテファン・ツヴァイク・センターStefan Zweig Centreにこのまま向かうことにしましょう。



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ザルツブルク音楽祭:苦難のシュテファン・ツヴァイク・センターへの道

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/5回目

今日はザルツブルクでゆっくりと過ごしています。ランチの後の酔い覚ましのザルツァッハ川の川べり散策を終えようとしています。
ザルツァッハ川は快晴の空の下、穏やかな顔を見せています。

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今日の総仕上げはトンネル内でみつけたシュテファン・ツヴァイク・センターStefan Zweig Centreを訪問することです。なにしろ、saraiは今や、シュテファン・ツヴァイクが心の友と思えるほどに大ファンです。それにナチスの迫害を逃れるためにこのザルツブルクを去るまでの間、彼はこの地を終の棲家のようにして、カプツィーナーの丘Kapuzinerbergのお屋敷に住み、ザルツブルク音楽祭に訪れる音楽家たちを招いて親しくしていました。ザルツブルク音楽祭とは縁の深かった人です。そのシュテファン・ツヴァイク・センターは午後2時~4時の間しか公開していないんです。今はもう午後3時過ぎです。急いでメンヒスベルクMönchsbergの岩山のトンネルに向かいます。祝祭大劇場の横手にある自動車道路のジークムントシュトンネルSiegmundstor Tunnelの入り口に到着。

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このジークムントシュトンネルの横に歩行者用のトンネルの入り口があります。早速、中に入りましょう。

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やがて、シュテファン・ツヴァイク・センターへ上るトンネル内のエレベーターの入り口の扉の前に到着。

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ところが、この扉が閉まっていて頑として開きません。

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扉の横には懐かしいシュテファン・ツヴァイクの写真もあるので、確かにここで間違いありません。扉の横にあるインターホンに呼びかけますが応答もありません。

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ここであきらめるわけにはいかないので、トンネルを出て、フェルゼンライトシューレFelsenreitschuleの建物の壁に取り付けられている岩山に上る階段をふーふー言いながら上ります。このクレメンス・ホルツマイスター階段Clemens-Holzmeister-Stiegeを上りきると、大聖堂も眺められます。

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ようやく、岩山の上のシュテファン・ツヴァイク・センターの入り口につくと、そこの扉はちゃんと開いています。

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扉の先の石段をまた上っていきます。疲れますね。

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石段の上には何とも瀟洒なシュテファン・ツヴァイク・センターの建物があります。

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シュテファン・ツヴァイク・センターの横はメンヒスベルクの丘の斜面になっています。山際に建てられています。

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シュテファン・ツヴァイク・センターの前庭からはザルツブルクの旧市街が見渡せそうです。

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建物の扉に近づくと、そこから入るのではなく、建物の左側に周り込むようです。

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ようやく入り口を発見。ここから建物に入って、右側に進むとシュテファン・ツヴァイク・センターがあるようです。建物全体はザルツブルク大学の色んな組織が入っていて、一部がシュテファン・ツヴァイク・センターになっているようです。

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遂にシュテファン・ツヴァイク・センターのエントランスロビーに到着。

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シニアチケットを購入するついでに、受付の女性に苦情を言うと、おかしいわね、横のボタンを押すとちゃんと入り口は開くはずよ。でも、ごめんなさいねって言われます。後でもう一回チェックしてみましょう。さあ、貴重な展示を拝見しましょう。



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ザルツブルク音楽祭:シュテファン・ツヴァイク・センター 1881年~1940年

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/6回目

シュテファン・ツヴァイク・センターStefan Zweig Centreを訪れたところです。チケットを購入後、意外に狭い展示室を見て回ります。残念ながら、すべて、ドイツ語のみの展示になっています。受付の女性が英語の説明書を渡してくれます。以下のページに始まる10ページに渡る展示の概要のインデックスです。

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展示は時代別に整理されています。最初はウィーン時代。 1881年11月28日にウィーンの裕福なユダヤ人の両親のもとで生まれて、ウィーン大学で哲学と文学史を学び、第1次世界大戦のさなか、スイスのチューリッヒに移るまでがウィーンで過ごした時間です。チューリッヒでは『ウィーン新自由新聞』の特派員として活動します。

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文壇にデビューした詩集『銀の弦 Silberne Saiten』です。1901年、ツヴァイク19歳の作です。

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これは当時の自筆稿です。達筆ですね。

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これは第2詩集のDie Frühen Kränze(初期の花輪?)。1906年、ツヴァイク24歳の作です。

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チェス盤と壁には彼の似顔絵があります。チェス盤は彼の有名な作品、《チェスの話》に因んだものでしょうか。

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携帯用タイプライターです。ツヴァイクの愛用品でしょうか。

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ザルツブルク時代。第一次大戦後はチューリッヒからオーストリアに戻り、1919年から1934年までザルツブルクに居を構えます。住居はカプツィーナーの丘Kapuzinerbergのパッシンガー城Paschinger Schlösslでした。展示はザルツブルク時代の前期、1919年から1928年までです。

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1921年著作の《ロマン・ローラン》とツヴァイクと家族のザルツブルク時代の写真です。

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ザルツブルク時代の後期、1929年から、1934年です。

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ツヴァイクの立像があります。なにか、気のいいおじさんという体ですね。

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それではと、わが友シュテファンとsaraiの2ショットです。彼と人生について語り合いたかったのがsaraiの見果てぬ夢です。

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指揮者のブルーノ・ワルターとアルトゥーロ・トスカニーニがカプツィーナーの丘の自宅を訪れたときの貴重な写真です。1930年代初頭のザルツブルク時代のひとこまでした。(左から、トスカニーニ、ワルター、ツヴァイク)

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そして、1934年にナチスの圧力で警察から家宅捜索を受けた翌日、ツヴァイクは長年住んだザルツブルクを永遠に去ります。亡命先のイギリスから、アメリカ合衆国、そして、終の住処となるブラジルに渡ることになります。

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1934年から1940年まではロンドン、バース、ニューヨークと不自由な亡命生活を強いられて、だんだん、精神的な重圧を受けることになります。

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この頃書いた重要な著作、『エラスムスの勝利と悲劇』Triumph und Tragik des Erasmus von Rotterdamです。己の境遇とエラスムスの境遇を重ね合わせています。1934年、ツヴァイク53歳の作です。

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『メアリー・スチュアート』Maria Stuartです。評価の高い歴史小説です。1935年、ツヴァイク54歳の作です。

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リヒャルト・シュトラウスの歌劇『無口な女』Die schweigsame Frauにおいて台本作家として秀逸な才能をツヴァイクは示しますが、時、既にナチス政権下。たった3回の公演で上演は打ち切られます。このコンビで次々に名作を残してくれなかったことは大変残念です。これもナチスの戦争犯罪の一例です。
これはドイツの新聞が告げるオペラの1回目の公演のレビュー記事です。

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そのリヒャルト・シュトラウスの歌劇『無口な女』のリブレットの初版です。上はツヴァイクの短編小説をもとにした映画『燃える秘密』のプログラムです。折も折り、ナチスの国会焼き討ち事件が起こり、この映画をネタに庶民はナチスを揶揄ることになり、ただちに映画は上演禁止。小説も書店から消える羽目になります。

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次はいよいよ、ブラジル時代の展示に移ります。ツヴァイクの余命もいくばくかになります。ツヴァイクの最後の悲劇の日々です。



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ザルツブルク音楽祭:シュテファン・ツヴァイク・センター 1840年~1942年

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/7回目

シュテファン・ツヴァイク・センターStefan Zweig Centreで展示の数々を見ているところです。
次はいよいよ、ブラジル時代の展示です。ツヴァイクの余命も少なくなります。ツヴァイクの最後の悲劇の日々です。

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ブラジルに旅立つ前、1939年の小説『心の焦燥』Ungeduld des Herzensです。イギリス滞在時代ですから、英語の表題Beware Of Pityもあります。この小説は最近ヒットした映画《グランド・ブダペスト・ホテル》が作られる契機になったそうです。アンダーソン監督がパリの古本屋でこの小説を偶然手に取って、興味を抱き、さらに『昨日の世界』を読み、映画化に踏み切ったとのことです。

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ブラジルに旅立つ直前、1940年のシュテファン・ツヴァイクと2番目の妻ロッテがバースの家で寛ぐ写真です。ロッテとは前年の1939年に再婚しました。写真の右にはシュテファンが妻ロッテに宛てた手紙があります。何故か、英語で書かれています。

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1940年にアメリカに移り、翌1941年に最期の地ブラジルに移住します。そこで『未来の国ブラジル』Brasilienを書き上げます。今でもブラジルではよく読まれているようです。

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そして、自伝的回想録『昨日の世界』Die Welt von Gesternが1942年に彼の記憶だけで書かれます。saraiの愛読書です。saraiがこの本に夢中になったのと同様にアンダーソン監督もこの本の虜になって、映画《グランド・ブダペスト・ホテル》が生まれました。

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そして、1942年2月22日にヨーロッパ文化の未来を絶望して、希代の文化人シュテファン・ツヴァイクは妻ロッテとブラジルのペトロポリスで服毒自殺を遂げます。まるで古き良きヨーロッパ文化の終焉みたいに思えます。合掌・・・。


センター内のツヴァイクの展示を見終わって、受付で販売している小冊子と絵葉書を記念にいただきます。
これが1枚目の絵葉書。ザルツブルク音楽祭のリハーサル風景です。指揮しているのはアルトゥーロ・トルカニーニ。客席に座っているのは音楽祭を取り仕切るマックス・ラインハルト。客席に入ろうとしているのはシュテファン・ツヴァイクです。

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これが2枚目の絵葉書。最初の妻フリデリケ・フォン・ヴィンターニッツとシュテファン・ツヴァイクです。1920年に最初の結婚をしました。彼女はなかなかの美人ですね。それに才媛だったようです。

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これが3枚目の絵葉書。2番目の妻ロッテとシュテファン・ツヴァイクです。

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これは無料の栞みたいなものです。『昨日の世界』Die Welt von Gesternと書かれているので、愛読書『昨日の世界』の栞に使用しましょう。

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これは小冊子「シュテファン・ツヴァイクのザルツブルク」Das Salzburg des Stefan Tweigです。

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貴重な写真がたくさん掲載されています。これはカプチーナベルク5番地Kapuzinerbergのパッシンガー城Paschinger Schlösslを門から見たところです。ザルツブルクでの住居です。

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これがパッシンガー城。大きな屋敷ですね。

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これは屋敷の一室です。陽光が燦燦と降り注ぎ、明るい室内です。

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これは書斎。重厚です。いかにも作家の書斎です。

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センターのスタッフの女性にカプツィーナー山にあるツヴァイクのヴィラの場所も教えてもらったので、時間があれば、見に行きましょう。中には入れないので、外から様子を伺うだけですけどね。

ということで、シュテファン・ツヴァイク・センターを辞去します。そうそう、もう一度、トンネルの入り口をチェックしに行きましょう。



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ザルツブルク音楽祭:シュテファン・ツヴァイク・センターのトンネルからの入り口の謎の解明

2017年8月2日水曜日@ザルツブルク/8回目

シュテファン・ツヴァイク・センターStefan Zweig Centreで展示を見終わりました。
シュテファン・ツヴァイクの苦難の日々を見て、胸が熱くなりました。最期まで戦争に反対し続けたリベラルな文化人でした。時間を超えた友情を感じざるを得ません。

ところで、このシュテファン・ツヴァイク・センターへ上ってくる際にトンネル内の入り口から、何故、入れなかったのかを解明しておかないといけません。そのために、今度はシュテファン・ツヴァイク・センターから逆にエレベーターでトンネルの入り口に下りてみます。トンネル内の入り口に行くと、入り口の横に扉を開錠するボタンがしっかりあります。

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そして、この開錠ボタンはちゃんと機能しています。無念! 開閉ボタンの存在を知らない、文化の違いですね。ヨーロッパの文化の理解はまだまだですっ。

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トンネルの入り口にあるシュテファン・ツヴァイクの写真に別れを告げて、トンネル内を歩いて、ホテルに帰ります。

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この後、ホテルで休んで、夜はアンドラーシュ・シフの3回目のリサイタルです。また、ザルツァッハ川を渡って、モーツァルティウム大ホールに出かけます。これがチケット。

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3回にわたるミニチクルスの3回目です。バッハ、バルトーク、ヤナーチェク、シューマンの素晴らしい演奏にうならされました。特にバルトークのピアノ・ソナタ、シューマンの幻想曲は絶品でした。
3回ともご一緒したウィーンのおばさまともこれでお別れです。シフの奥様の塩川悠子さんは今日も皆さんにご挨拶してました。

ホテルに戻って、お昼にゲットしたザルツブルク音楽祭記念のワインで祝杯をあげます。

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これがワインのラベルです。ちゃんとザルツブルク音楽祭2017Salzburger Festspiele 2017と書かれています。2016年もののワインのようです。

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さて、明日は山の温泉、バード・ガシュタインBad Gasteinの温泉に出かけて、旅の疲れを癒してきましょう。もちろん、夜は戻ってきて、ザルツブルク音楽祭の公演を聴きます。ちなみにバード・ガシュタインは、1825年にシューベルトが滞在して、《グムンデン・ガシュタイン交響曲》を作曲したことで知られています。最近の研究結果では、この《グムンデン・ガシュタイン交響曲》はシューベルトの最後の交響曲、第9(8)番の大ハ長調交響曲のことだと推論されています。あのシューベルトの大傑作が生まれた地を訪れるのは楽しみです。どんなところなんでしょう。


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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
大学入学直後からの長いお付き合い、素晴らしい伴侶に巡り逢われて、幸せな人生ですね!
京都には年に2回もお越しでも、青春を過ごし

10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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