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熊野の旅:速玉大社と那智大社

熊野古道って何か気になりますね。それにいつかは高野山詣でとも思っていました。で、春の到来と共に、熊野への旅へ。

実はもう一つ、この旅への思いがあります。ほぼ、9年間乗ってきた愛車プリウスとの別れです。この旅を最後に愛車を手放し、車のオーナーでなくなる決意です。初めて自分の車を持ってから35年間、遂にこの時がきました。最近、ほとんど車に乗らない日々が続いていたので、無駄を排する気持ちになりました。なお、免許証を返納するということではありません。今後は必要があれば、レンタカーやカーシェアを利用するつもりです。もっとも、長距離ドライブは今回を最後にするつもりです。5年前は横浜から南九州までドライブしましたが、今後は遠隔地までは飛行機や鉄道を使って移動し、そこでレンタカーを借りて、旅を楽しむというスタイルに変えることにしました。

ということで、昨日は横浜の自宅から鳥羽までドライブ。東名、新東名、伊勢湾岸道路と何度も走ったコースを復習。幸いにも日曜日にもかかわらず、道が空いていて、快適なドライブ。途中、新東名の静岡SAで仮眠しましたが、その仮眠の時間も含めても計6時間の楽々ドライブ。まだまだ走れますが、まあ、余力を残して、長距離ドライブから引退です。

鳥羽では以前働いていた会社の保養所に宿泊。鳥羽の山の上からの美しい景色を満喫。

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今朝は比較的早めに出発して、熊野に向かいます。世界遺産になった熊野古道の中心地の熊野三山を訪れます。
まずは一番手前にある新宮の熊野速玉大社に向かいます。鳥羽から新宮に向かうために車のナビにルートを設定すると、何と4時間もかかるということです。愕然としますが、仕方がありません。とりあえず出発します。すると、昨日走ってきた道をひたすら戻っていきます。伊勢に戻り、さらにその手前に戻っていきます。途中でびっくりして、ナビの設定を間違えたかと思い、チェックしますが、ちゃんと目的地は熊野速玉大社になっています。結局、勢和多気(せいわたき)ジャンクションまで戻って、そこから、改めて、新宮方面を目指します。実際はナビの地図が古いので、新しい高速が伸びていて、3時間ほどで熊野速玉大社に到着。途中、日本で一番古いとうたっている花の窟(はなのいわや)神社にも立ち寄りました。ご神体と思われる巨大な岸壁とその突端から伸びている綱が印象的でした。

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その神社で記念に求めたお綱もちは後でいただきましたが、とても美味。saraiはつぶあん好きなんです。

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さて、熊野速玉大社はとっても立派な神社です。さすがに熊野三山。

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とりわけ、拝殿の綱が太くて見事です。

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推定樹齢1000年の日本最大の薙(なぎ)の大木はご神木。平重盛のお手植えと伝えられています。

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熊野速玉大社を後にして、次は熊野那智大社に向かいますが、その前に那智勝浦で生まぐろをいただきましょう。那智勝浦と熊野那智大社はごく近くにあります。一昨日にテレビ番組の電動バイクの充電旅で出川さんが那智勝浦でまぐろを美味しそうに食するのを見たばかり。車を30分ほど走らせて、無事、老舗マグロ料理店の竹原に到着。出川さんは別のお店で食べましたが、地元ではこの竹原が有名みたいです。早速、メニューをチェックします。

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とりあえず、マグロ定食1500円を2人前注文。

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折角ですから、さらにマグロ刺身上盛り合わせ1500円、1人前を追加。トロ、中トロ、赤身の分厚くカットされた逸品ですよ。

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美味しかったかって・・・もちろんです。それに生マグロがこの価格というのはとってもリーズナブル。

さて、美味しい昼食をいただいたところで、今度は熊野那智大社に出発。ちょっと走って、那智の滝前に到着。有料駐車場で500円払って、そこから、熊野那智大社、青岸渡寺、那智の滝を歩いて巡ります。
無料で拝借した杖を突きながら、石段をひたすら登ります。

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ぐんぐん登って、20分ほどで熊野那智大社にお参り。

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ここの樹齢850年以上のご神木は根元に穴(洞)が開いていてくぐれます。saraiはこれは遠慮しました。

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熊野那智大社のお隣には青岸渡寺(せいがんとじ)。西国三十三所の第1番札所。熊野では神仏がこうして仲良く両立するのもその特徴です。

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この青岸渡寺の横からは三重の塔と那智の滝が見渡せます。

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さあ、その那智の滝に向かいましょう。それが大変だったんです。石段の下りに苦戦。結局、那智の滝まで45分も歩く羽目になりました。
これが那智の滝。熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体になっています。高さ133mの落差は直下落差としては日本1です。

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でも、結構、遠い眺めです。もっと近くから見たければ、神社に一人300円奉納しなければなりません。えーい、この際だから、おカネと体力をはきだして、行ってみましょう。これが近くからの眺めです。満足しました。

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駐車場に戻って、お兄さんに今日のお宿の白浜へのルートを相談します。的確なアドバイスがあります。無料の高速ができているそうです。アドバイス通り、高速と一般道を走り、2時間ほどで白浜に無事、到着。途中の道の駅で食材をゲットし、十分な夕食になります。今日は豪華なマグロのランチをいただいているので、夜はこれでも食べきれないくらい。青い葉っぱでくるまれたお寿司はめはり寿司。熊野の名物で高菜の浅漬けの葉っぱでおにぎりをくるんだものです。これも旅番組で出川さんが美味しそうに食したものです。

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明日はいよいよ、熊野三山の中核、熊野本宮大社と熊野古道に出かけます。お天気が持つといいな。



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熊野の旅:本宮大社と熊野古道、そして、世界遺産の温泉とは

白浜温泉のリゾート宿に滞在しています。目的は熊野古道と高野山。今日は熊野本宮大社と熊野古道に出かけました。

熊野本宮大社は熊野川のほとりにひっそりと佇んでいます。もっと山深いところを想像していましたが、意外に川沿いの平地に位置しています。駐車場も熊野川の河原にあり、無料で開放されています。数台の車が置かれているだけです。駐車場から歩いてすぐに熊野本宮大社の鳥居の前に出ます。

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鳥居をくぐって、両側に熊野大権現の旗が並ぶ参道をまぶしく感じます。その参道の先には驚くべきことに急な石段が聳えています。川沿いの平地に位置していたのに、何故、高い石段がと驚いたんです。その訳は後で判明します。

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その石段を上る途中で下を見下ろします。結構、急な石段です。手摺があるお陰で割りに楽に上れます。

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158段の石段を一気に上り終えると、神門の姿が見えます。上部に張られた綱が見事です。

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神門をくぐると、本殿の美しい姿が目にまぶしく飛び込みます。素晴らしいですね。

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熊野本宮大社から下るときに、石段の横に祈りの道という熊野古道をみつけます。これが熊野古道の初体験です。

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さて、次は熊野古道を本格的に歩きましょう。この熊野本宮大社から湯の峰温泉までの大日越(だいにちごえ)のコースを歩きます。3.4㎞という短い距離なので、このコースを選択しましたが、このコースを甘く見ていたことを思い知らされることになります。

熊野古道を歩き始める前にまずは腹ごしらえします。熊野本宮大社の参道脇に建つ瑞鳳殿の中にある珍重庵で、おそばとめはり寿司のセットをいただきます。

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さあ、熊野古道を歩きましょう。まずは大斎原(おおゆのはら)に向かいます。大斎原の大鳥居の厳かな姿が目に入って、配偶者と一緒に歓声を上げます。何もない平原の中に突如、出現したんです。

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満開の桜の中の荘厳な大鳥居の姿は見事なものです。

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大鳥居から続く参道は大斎原に続きます。大斎原は熊野川の中洲に鎮座していた熊野本宮大社の旧社地です。そうです。さきほど拝観した熊野本宮大社はここから移されたものだったんです。中洲の旧社地は水害に襲われたために丘の上の安全な場所に移されたようです。見事な参道です。

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そして、これが在りし日の熊野本宮大社の本殿後です。巨大な樹木が茂る場所はパワースポットだと、現地の方が語っていました。

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さて、いよいよ、大日越のコースのスタートです。実に急な石段が続いています。ちょうど、その道を下りてきた外国人カップルが疲れ切った様子です。これは大変な道であることを予感します。

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1時間半に及ぶ苦闘の末、なんとか、湯峯王子に辿り着きます。まさに老体に鞭打った修行の道でした。saraiが知った熊野古道は長閑な里の道などではなく、辛い山岳道でした。恐るべし熊野古道。この熊野古道はさすが世界遺産らしく、歩いている人は外国人ばかり。挨拶はハロー!ばかりでした。
これが湯峯王子から湯の峰温泉に続く最後の熊野古道。こんな平坦な道はまったくありませんでした。

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湯の峰温泉に着き、まずは世界遺産の有名な温泉のつぼ湯に入るべく、予約の窓口に急ぎます。このつぼ湯は30分単位の貸し切り湯なんです。既に3組が先行しているので、1時間半待ちとのことです。それくらいは覚悟していたので、早速、予約。一人770円の料金を支払って、16番の予約札をいただきます。
つぼ湯の順番を待つ間、湯筒を使った温泉玉子を作ります。川のほとりの温泉井戸のような湯筒が見えています。そこで玉子や野菜を茹でられます。

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さあ、網に入れた玉子を温泉の熱湯に投入。教えられた投入時間は12分間。

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配偶者はこれまでの人生経験から、もう少し短い時間で引き上げたそうです。saraiはつぼ湯の順番待ちで立ち会っていません。やがて、配偶者が剥いてくれた温泉玉子をいただきます。配偶者の人生経験は確かなものでした。美味い!!

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これがつぼ湯の待合所。川岸のほとりにあります。

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この待合所の下の川の上に掘っ建て小屋があり、その中につぼ湯があります。

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saraiの予約札は16番ですが、14番の男性の入浴が終わり、15番のご夫婦が入浴されたので、スタンバイするためにつぼ湯の小屋の前まで下りていきます。

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これがつぼ湯の前。ご夫婦の履物が入り口の前に並んでいます。我々は小屋の前のベンチで順番を待ちます。

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小屋のすぐ横を川が流れています。小屋の入り口の横には15番の予約札が掛けてありま

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やがて、15番のご夫婦が出てこられて、いよいよ、我々の番です。16番の札を掛けて、中に入ります。小屋の中はまた石段が下のほうに続いています。

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まずは闖入者が入ってこないように、しっかりと中から掛け金を掛けておきます。

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石段を下りると、つぼ湯があります。青みがかった乳白色の温泉です。この神秘的な色は日に7回くらい別の色に変容すると言われています。実際、ガイドブックの写真とは異なる色合いです。このつぼ湯は二人で入ると、それでいっぱいになるくらいの小さなお風呂です。

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岩風呂ですから、滑らないように慎重に入ります。中は結構深く、底は小石が敷き詰められています。川底なんでしょう。例の出川さんのテレビ番組では、とっても熱いと言っていたので、警戒していましたが、熱めの気持ちのよい温泉です。これまでのsaraiの人生でも最高クラスの温泉です。小屋に囲われてはいますが、隙間だらけなので(外から覗かれることはありません(笑い))、実質、露天風呂状態です。したがって、熱い温泉と言っても、結構、長風呂できます。壁に掛けられている時計を見ながら、ほぼ、30分間、世界遺産の温泉を堪能しました。

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つぼ湯を出た後、2時間に1本のバスに揺られて、熊野本宮大社に戻ります。
熊野川の河原の駐車場で、愛車プリウスの真っ赤な車体を見ると、何故か、安堵感を覚えます。

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もう、5時過ぎ。急いで白浜温泉のお宿に戻りましょう。車を飛ばして、1時間半ほどで無事帰着。

今回の旅のミッションはやり終えた気分で、美味しく、夕食をいだだきながら、配偶者と祝杯をあげました。
明日は天気も悪いとのこと。ゆっくりと疲れを落としましょう。


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熊野の旅:白浜で一服

白浜温泉のリゾート宿に滞在しています。目的は熊野古道と高野山。今日はお天気が悪く、なおかつ、昨日の熊野古道の修行で疲れたので、白浜をうろうろして、お疲れ休みの1日にします。

得意の朝寝坊をして、12時に秋の公演(バティアシヴィリ)のチケットをネットで購入したところで、ようやく、白浜の町に繰り出します。

まずは新鮮な魚介を仕入れましょう。とれとれ市場に出かけます。とれとれ市場は漁協(堅田漁協)が運営する海鮮マーケットです。広大な駐車場の前に大きな建物があります。

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建物に近づくと、派手なデコレーションの看板が我々を迎えてくれます。

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中に入ると、充実した食材が広大なスペースで販売されています。地元の魚介だけでなく、日本中、あるいは海外の食材も多いようです。なるべく、地元の魚介を中心にゲットします。これが宿に戻って、皿の上に並べた魚介群です。
お刺身が一番高級な白甘鯛。ほかはホウボウ、カサゴ、マトウ鯛、イサキ、メイタガレイなどです。豪華なラインアップでしょう。

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これを今日、明日の2日かけて食べるという作戦です。魚屋のおばさんも驚いていました。お刺身以外はスープと焼き魚にしましょう。

食材をゲットできたので、次は昼食に和歌山ラーメンをいただきましょう。しかし、これが大変で、お店に行くと、夕方5時からの開店とかでなかなか食べられません。途中、白浜の観光で有名な千畳敷の海岸に寄ります。さすがに凄いですね。

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隣り合う三段壁の断崖も遠望できます。

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未解決のランチを求めて、今度はフィッシャーマンズワーフ白浜を訪れます。そこにあるツーリストインフォメーションのお兄さんと話してみると、白浜ではラーメンはそれほどポピュラーではなく、和歌山ラーメンのお店も少ないそうです。じゃあ、白浜ではランチは何を食べるのって訊くと、海鮮丼かなっという意外なお答え。そんなに白浜の人はリッチなのと問いかけると、白浜では海鮮丼は高くないとのこと。じゃ、そのリーズナブルな海鮮丼はどこで食べられるって訊くと、向かいのお店を指さします。ええっと言いながら、そのお店に入ると、何と、海鮮丼以外に和歌山ラーメンもあるじゃあないですか。結局、フィッシャーマンズワーフ白浜で和歌山ラーメンとミニ海鮮丼のセットを食べました。意外にどっちも美味しくて、とても満足。コスパ最高です。

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ランチもいただいたところで、最後に白浜を代表するところを訪れます。
白浜と言えば、ここ。白良浜(しららはま)です。真っ白な砂浜と青い海。夏は賑わうのでしょうが、この時期は閑散としています。かえって、この時期のビーチの美しさが心に沁みます。

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全長620mの小さなビーチですが、この角度で眺めると、南仏のニースみたいですね。うーん、ちょっと違うかな・・・。

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白浜の名所を巡った後、早めに宿に戻ります。気持ちのよい温泉に浸かって、ほっこり。やがて、曇り空の間から夕日が現れて、オレンジ色の光を放ちながら、海に沈んでいきます。

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美味しい魚をいただいて、今日はおしまい。ゆっくりと過ごした1日でした。

明日は最後のミッション。高野山、金剛峯寺を訪問します。



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熊野の旅:高野山へ 霧氷と精進料理

白浜温泉のリゾート宿に滞在しています。目的は熊野古道と高野山。今日は最後のミッション、高野山詣でを実現させます。

今朝は昨日の悪天候と一転して、ピッカピカの上天気。さあ、高野山を目指して、出発です。往きはすべて下道を走ります。一般道路を田辺市龍神村まで走った後、最終的に高野龍神スカイライン(こうやりゅうじんスカイライン)に入ります。この道路は昔は有料道路でしたが、2003年から無料開放されています。このスカイラインは田辺市龍神村から高野町奥の院交差点までを結ぶ、延長42.7kmのドライブウェイです。名前こそ、スカイラインですが、結構、くねくねしたカーブの多い山道です。それでも最高点は標高1300m近くに達するドライブウェイは護摩壇山の山頂を望む景観のよい道です。やがて、道の駅、ごまさんスカイタワーに近づくと山頂付近が真っ白になっています。全山、桜が満開のようです。道の駅でこの絶景を楽しみましょう。
道の駅、ごまさんスカイタワーに着くと、その名前の通り、高い展望塔が見えます。

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さあ、展望塔、すなわち、スカイタワーに上りましょう。道の駅のスタッフのお兄さんに素晴らしい満開の桜ですねって言うと、いえいえ、あれは桜ではなくて、霧氷ですよって、驚きの言葉。1300mを超える護摩壇山は和歌山県の最高峰だけあって、ずい分、気温が下がるようです。もっとも正確には護摩壇山に続く隣の峰、龍神岳のほうが10mだけ高いことが最近、確認されたそうです。入場料の300円を支払って、早速、展望塔に上ります。エスカレーターで楽ちんで標高1306mの展望塔の上に到着。

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素晴らしい眺めがガラス越しに望めます。これが霧氷です。右手の護摩壇山(標高は1,372m)から左手の龍神岳(標高は1,382m)までの山頂付近が真っ白な霧氷で覆われています。美しいですね。まるで満開の桜と見紛うばかりです。

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下を見下ろすと、道の駅の駐車場に愛車のプリウスの真っ赤な車体が豆粒のように見えています。

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海のほうを眺めると、海が見えるような、見えないような・・・。天気がよければ、紀伊水道が遠望できるそうです。

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さあて、とんだ道草を食ってしまいました。高野山へ急ぎましょう。実は精進料理のランチを予約していて、その時間が迫っているんです。結局、20分ほど予約の時間に遅れて、格式のある精進料理の店、花菱に到着。

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お店に入ると、お店のお姉さんが既に団体客で一杯なので、30分以上後でないと駄目だと言われます。昨日予約した旨を話すと、ちょっと困った顔で、予約したテーブル席ではなく、畳の席に案内してもよいかということを説明。もちろん、OKすると、2階の窓際の眺めのよい席に案内されます。(後で聞くとこの席は特別席で10%の追加チャージが必要な席で、それを追加チャージなしで提供してくれたそうです。)
これが窓からの景色。向かいの古刹、高室院の姿が見えます。

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これが我々が案内された特別席。

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今日いただく料理は精進料理の会席の揚柳膳。5400円という高級ランチです。

最初に出されたのは食前酒のすもも酒とちぎり麩。

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次いで、第一の膳。
活盛・平椀・中猪口・御飯・味噌汁・漬物です。

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次いで、第二の膳も一緒に並べられます。
煮合せ・ごま豆腐・酢の物・天ぷらです。

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最後に果物の苺とメロンも出ました。

これがお品書きです。

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ちょうどお腹いっぱいになるくらいです。
精進料理ですから、美味しいとかなんとかいうものではありません。本格的な精進料理をいただけたということで満足です。

ところで、問題の団体客がバスで到着。なんと外人さんの団体です。

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精進料理を食べながら、窓の外を眺めていたら、道を通りがかるのはほとんどが非アジア系の外人さんばかり。この精進料理の老舗でも客の半分以上は外人さんだそうです。団体だけでなく、個人客も多いそうです。一昨日の熊野古道もそうでした。時代ですね。これからの日本の生きる道・・・それは観光なのかもしれないと思う昨今です。

ともあれ、精進料理をいただいた後は、高野山の弘法大師の聖地を巡りましょう。明日、横浜に帰着した後に詳述します。



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熊野の旅:愛車プリウスのラストラン

今日は白浜温泉を出て、横浜まで、ほぼ、全行程、高速を走り抜けましたが、朝10時に出発して、自宅に到着したのは夜の8時。ほぼ10時間のドライブでした。

愛車プリウスのラストランに相応しい長距離ドライブになりました。白浜から和歌山を経由して、伊勢湾岸自動車道に抜けるまで、4時間ほどかかり、あとはこれまでもよく走った伊勢湾岸道~新東名~東名~横横道路を記憶に刻むように走りました。このルートを走るのも今日が最後になるでしょう。

新東名は合法的に時速120㎞で快適に飛ばせました。120㎞の区間を走り抜けた途端、パトカーが目の前を走っています。そっと100㎞にスピードを落として走ります。ラストランでスピード違反で検挙されては洒落にもなりません。それにしても愛車プリウスは気持ちよく高速走行ができます。この日で走らせるのが最後とは信じられない走りです。

新東名の浜松SAと沼津SAを最後に訪れました。ここに来るのもこれが最後でしょうか。浜松SAでは、気持ちよく仮眠させてもらいました。昔はよく東名の浜名湖SAを訪れましたが、今は新東名の浜松SA。saraiのドライブも時とともに変化してきました。そして、最後に立ち寄ったのは沼津SA。saraiは人生の13年ほどを沼津で過ごしました。沼津を離れてからも愛車で何度も訪れた場所です。そもそもsaraiの車の歴史はこの沼津で始まりました。運転免許を配偶者とともに取得したのがこの沼津。そして、最初の愛車も沼津で購入。パルサーを2台、乗り継ぎました。ブルーバード、プリメーラと日産の車をこの沼津で乗り継ぎました。
そして、横浜に暮らすようになって、最後に購入した愛車がトヨタのプリウス。ふらっと訪れたトヨタのディーラーで、買う気もないのに試乗して、その先進性に一目惚れ。思わず買ったのが、9年前。定年退職した人生を楽しませてくれた車でした。買う時から、最後の車と決めていました。

その愛車プリウスとも実質今日でお別れ。もう乗ることはありません。そして、マイカーを所有することもありません。みなさんも愛車とのお別れはどんな感慨を抱くのでしょうか? 大袈裟に言えば、これも人生の一区切りですね。


昨日、お約束した高野山の弘法大師の聖地巡りの記事は明日に繰り延べさせてもらいます。



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熊野の旅:高野山の聖地、壇上伽藍

高野山で格別な精進料理をいただき、いよいよ、弘法大師の聖地を巡ります。(一昨日、4月11日の記事の続きです。)

まずは壇上伽藍(だんじょうがらん)。高野山の二大聖地のひとつです。弘法大師がこの高野山で真言密教の根本道場を開くために最初に整備した場所です。
中門(ちゅうもん)の前に立ちます。聖地への入り口です。現在の中門の建物は2015年(平成27年)に再建されたばかりのものです。昔の中門の建物は江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きて以降、つい最近まで「中門跡地」として残っていました。高野山開創1200年記念の記念事業として、2015年に173年ぶりに再建されました。

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中門をくぐると、壇上伽藍に建つ伽藍群が目に入ります。目の前には金堂(こんどう)が佇んでいます。

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ところで中門をくぐるときに中門内に安置されている四天王が目に入ります。と、その一体を見ていた配偶者が『四天王の体に妙なものが張り付いているよ!』って驚いています。妙なものとは何と蝉です。これは2015年の中門再建時に大仏師「松本明慶」によって新たに造立された広目天像です。蝉は大空から隅々まで見渡すという意味が込められてるようです。

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別の一体にも蜻蛉が胸に張り付いています。これはやはり、広目天像と同じく、2015年の中門再建時に大仏師「松本明慶」によって新たに造立された増長天像です。蜻蛉は前に向かってしか飛ばないということの意味を込めたようです。

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ほかはどうかと思って、前に戻って、持国天、多聞天の2体の胸元を見ましたが、そこには昆虫は張り付いていませんでした。この2体は1819年(文政2年/江戸時代)に慶派によって造立されたオリジナルだからのようです。

さて、壇上伽藍の中に足を踏み入れて、金堂の前に立ちます。金堂は高野山の総本堂で年中行事のほとんどがここで執り行われます。現在の建物は1932年に再建されたものです。中も拝観できるようですが、我々はパスします。拝観している人の大半は外人さんのようです。

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金堂の右奥には紅白の晴れやかな伽藍があります。根本大塔(こんぽんだいとう)です。壇上伽藍の中心の塔として、816年、高野山創建時の頃より建造に着手し、887年頃に完成しました。高さ50m、四面30mの特異な形の多宝塔です。現在の建物は1937年に再建されたものです。

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根本大塔のほうに進むと、金堂の側面の横に出ます。金堂は美しい伽藍ですね。

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根本大塔の正面にたちます。高野山特有の美を感じます。

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根本大塔の前には大きな八角灯籠が立てられています。これは根本大塔の再建時に寄進されたものです。

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さあ、この根本大塔の中だけは拝観料を払って、拝観してみましょう。

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内部は8角形の空間の中心に胎蔵界大日如来像が配され、その後方に金剛界四仏が祀られています。いずれも黄金に輝く5体の仏像です。建物を支える16本の柱には、昭和を代表する堂本印象画伯が描いた十六大菩薩が描かれています。黄金の仏と色彩鮮やかな柱に描かれた菩薩像は蓮の花の上に座していて、空中に浮遊しているイメージです。これらは立体曼荼羅を構成して、弘法大師が構想した真言密教の根本思想を具現化しています。高野山では必見で、真言密教の奥義の一端がうかがえます。

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弘法大師、すなわち、空海が遣唐使として唐に渡り、阿闍梨の恵果(けいか)から、真言密教の奥義と密教法具を授けられ、正当な真言密教の後継者となり、日本に戻り、この高野山を開き、その密教思想を根本大塔で具現化すべく、創建を始めましたが、業の半ばで大師は入定されます。さぞや無念のことだったでしょう。しかし、その思想は受け継がれ、今、このように我々も目にすることができます。根本大塔は現在の再建の前にも5回も焼失したそうですが、不死鳥のように蘇ってきました。現在の建物は木造ではなく、鉄筋コンクリート造りですから、今後は安泰でしょう。
蓮の花に満たされた空間は、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した世界観を表現したものになっています。

因みに大日如来が創造した密教世界は2つの世界からなります。

・「理」の世界を現す胎蔵界(たいぞうかい)
・「智」の世界を現す金剛界(こんごうかい)

この根本大塔はその両界を弘法大師の独自の思想で具現化したものです。

弘法大師の底深い思想の中心に触れ、めまいを起こしながら、根本大塔を出ます。大塔に外には、樹木豊かな壇上伽藍の世界が広がります。

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青空を背景に弘法大師の密教思想の凝縮した根本大塔がすっくと立っています。内部を拝観する前とはずい分、印象が変わります。

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いくつか、壇上伽藍の主要な伽藍を巡りましょう。
これは六角経蔵(ろっかくきょうぞう)。創建は1159年(平治元年/平安時代)。再建されたのは1934年(昭和9年)。
この六角経蔵は経蔵の基壇付近に把手があって、人力で回転させることができます。仏教ではお約束事ですね。回転させれば、「一切経」を読経したことになります。仏教のこういう優しさが好きなところです。もちろん、配偶者と力を合わせて、1回転させました。本当は何回転でもさせたほうが功徳があるのでしょうが、次の方に権利を譲ってバトンタッチします。何やら、心が晴れ晴れとします。

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これは御社(みやしろ)。創建は819年(弘仁10年/平安時代)。再建されたのは2004年(平成16年)。
弘法大師が高野山を開くにあたって、その前にこの地を支配していた山の神を祀った社です。

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これは西塔(さいとう)。創建は886年(仁和2年/平安時代)。再建されたのは1834年(天保5年/江戸時代)。
高さは27.27mで四辺は約10m。根本大塔の半分以下の大きさの塔です。西塔内部には金剛界大日如来像が中心に配され、その周りを胎蔵界四仏が安置されています。つまり、根本大塔とは逆の配置で、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した世界を表現して、根本大塔と双璧をなす世界観を表出させています。創建は遅れましたが、当初より、弘法大師が構想していた重要な伽藍です。残念ながら、内部は拝観できません。

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この西塔の前からは双璧をなす根本大塔が見渡せます。

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根本大塔へ戻る途中に御影堂(みえどう)があります。創建は818年(弘仁9年/平安時代)~835年(承和2年/平安時代)。再建されたのは1847年(弘化4年/江戸時代)。
この御影堂は弘法大師の持仏堂(じぶつどう)として創建されましたが、大師の入定後、大師の弟子の真如親王(しんにょしんのう)が描いた大師の御影(画像)を安置するようになり、以後、御影堂と呼ばれています。この大師の御影は一般公開されていません。

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この御影堂の前に三鈷の松(さんこのまつ)があります。三鈷と言えば、弘法大師の代名詞のようなもの。大師が肌身離さずに持っていた飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょ)と呼ばれる密教法具の「三鈷」のことです。
逸話では、弘法大師の生涯の師である阿闍梨の恵果(けいか)から授かった密教法具の三鈷を、唐から日本に戻る際に伽藍建立の地を占うために投げたところ、三鈷は遥か彼方に飛び去ったそうです。そのことから、三鈷は飛行三鈷杵と呼ばれています。日本に戻った弘法大師が高野山を伽藍建立の地と定め、高野山に入ると、あれ不思議、唐から投げた三鈷が松の木の枝に引っ掛かっていました。以後、この三鈷が掛かっていた松は三鈷の松と呼ばれるようになりました。この松の木には珍しい3枚葉の松葉もできるそうです。落ちた松葉を探すと見つかるそうですが、もちろん、探していません。
以上はもちろん、あくまでも逸話です。現在の三鈷の松は樹齢100年以下だそうです。高野山創建の頃の松ではありません。でも、ロマンを感じる話です。それほど、弘法大師が民衆から慕われてきたということを示す一例です。

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根本大塔の向かいには、真っ白な大塔の鐘(だいとうのかね)があります。創建は819年(弘仁10年/平安時代)~891年(寛平3年/平安時代)。再建されたのは891年(寛平3年)。
この大塔の鐘は弘法大師が壇上伽藍を創建時に発願された鐘楼でしたが、大師の入定後に完成。この鐘は当時の日本全国の寺院の中でも4つ目に大きい鐘であることに由来して高野四郎とも呼ばれています。1日5回、計108回の鐘の音を響かせます。現在の銅鐘は1547年(天文16年)に鋳造(改鋳)されたものです。名鍾の誉れが高い鐘です。

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大塔の鐘のお隣には、不動堂(ふどうどう)があります。創建は1198年(建久9年)。再建されたのは14世紀初頭。現在の地である壇上伽藍に移設されたのは1908年(明治41年)。
もともとは壇上伽藍から離れた地にあったために類焼を免れて、鎌倉時代の和様建築の姿を残しています。そのために国宝指定を受けています。

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不動堂は蓮池(はすいけ)のほとりに建っています。長年、火災に幾度も見舞われた高野山にとって、水を湛えた池は火災除けの象徴でもあり、また、干ばつ対策でもあります。

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これは東塔(とうとう)。創建は1127年(大治2年)。再建されたのは1984年(昭和59年)。
東塔は壇上伽藍の出入り口のひとつ「蛇腹路」のすぐ手前に位置しています。東塔は1843年(天保14年)の高野山の大火災で焼失。その後は、土台の礎石のみでしたが、1984年(昭和59年)に「弘法大師御入定1150年御遠忌記念」で140年ぶりに再建されました。

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これは蛇腹路(じゃばらみち)。壇上伽藍から金剛峯寺に抜ける出入り口の道です。

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この木々の間の気持ちのよい道を歩いて、壇上伽藍を後にします。金剛峯寺に向かうのですが、意外な経過でいきなり高野山の二大聖地の奥の院までワープすることになります。



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熊野の旅:高野山の聖地、奥の院

(4月11日の記事の続々編です。)

清々しい気持ちで壇上伽藍を後にして、蛇腹路を歩いて金剛峯寺に向かいます。蛇腹路を抜けると、金剛峯寺の前あたりが何やら人だかりになっています。どうやら、バス停のようです。ということはもうすぐバスが来るのでしょうか。急いでバス停で時間を確認していると、配偶者がバスが来たよって、叫びます。奥の院へのバスです。saraiは金剛峯寺を見た後、奥の院まで歩くつもりでしたが、ええい、ままよ! バスに乗って、楽して、奥の院へ先に行っちゃいましょう。バスに乗ると、いつもの光景。外人だらけです。たった5分ほどで奥の院口バス停に到着。バスを降りると、すぐ前に高野山の二大聖地のひとつ、奥の院の参道の入り口、一の橋があります。一礼して、参道に入ります。

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参道に入ると、道の両脇に墓石が並んでいます。墓碑銘を眺めながら歩きます。森閑とした墓地です。歩いている人は外人さんが多いのに違和感を覚えます。

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江戸時代の全国の各藩の墓所が並んでいます。これは薩摩島津家の墓所です。

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参道は鬱蒼とした杉木立に包まれています。

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ここには有名戦国武将の墓所があることでも有名です。
これは武田信玄・勝頼の供養塔です。

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天を突くような杉が目を惹きます。

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これは石田三成の供養塔。

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中の橋を渡ると、汗かき地蔵と姿見の井戸があります。

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姿見の井戸を覗くと、底に少し水たまりがあるだけで、別に自分の姿は見えません。なーんだと思って、立ち去ります。後でガイドブックを読むと、井戸を覗いて、自分の姿が見られなければ、3年以内に落命するそうです。ふーん、あと3年の命か・・・大事に生きていきましょう。

しばらく歩いて、道の左手の石段を登ると、豊臣家の墓所があります。

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豊臣秀吉は高野山攻めを取り止めて、以後、高野山の保護に努めました。この墓所には、秀吉の母、弟の秀長夫妻、長男の鶴松などの墓があります。

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これが説明板です。

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また、参道に戻り、進んでいくと、今度は左手の石段の先に織田信長の供養塔があるようです。

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これが織田信長の供養塔です。誰もお参りしている人がいないのが不思議です。奥の院を訪れている人の大半が外国人だからかな。

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織田信長の供養塔から参道に戻ると、すぐに御廟橋(ごびょうばし)です。この先は弘法大師の御廟がある聖域になります。聖域内は撮影禁止です。御廟橋の先にある燈籠堂が見えています。あの燈籠堂の奥に御廟があります。一礼して、御廟橋を渡り、聖域に入ります。

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燈籠堂に入ると、その奥が透けて見えるようになっています。そこに御廟があるようです。燈籠堂の天井には2万基以上の燈籠が並び、壮観です。燈籠堂の裏に周ると、御廟を参拝する場所に出ます。一人の僧侶姿の人が一心にお経をあげています。静かな御廟前にそのお経の声だけが響いています。真言密教では今も弘法大師はその御廟の地下の岩窟で座して修行中と教えています。大師の魂は永遠なのでしょう。その偉大な精神に敬意を表して、聖域を後にします。

再び、参道を歩き、バス停に戻ります。今度は奥の院前のバス停からバスに乗るので、先ほどとは違う参道を歩きます。相変わらず、錚々たる人たちの墓所が続きます。
これは浅野内匠頭の墓所です。大石内蔵助が主君の冥福を祈って建てたそうです。その大石内蔵助を始めとした赤穂四十七士の菩提碑も傍らにたっています。

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奥の院前のバス停に着くと、ここが始発のバスが停まっています。金剛峯寺に行きたいと運転手に訊くと、その手前のバス停で駅のほうに曲がるので、そこからは歩けばいいとアドバイスがあります。バスに乗って、出発を待っていると、往きのバスで乗り合わせた外国人の団体がどやどやと乗り込んできます。結局、バスはいつも外国人観光客に占拠されています。また、バスで5分ほど移動して、千手院橋バス停で降りて、金剛峯寺まで歩きます。正門前の橋の前に立ちます。

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正門に向けて、緩やかな石段を上っていきます。

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正門の前に立つと、主殿の建物が見えます。

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これが主殿の全景です。金剛峯寺は真言宗の総本山です。高野山真言宗3600余寺、信徒1000万の頂点に君臨する寺院だけのことはある素晴らしい主殿です。

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早速、その金剛峯寺の内部を参観しましょう。ところが参観の受付に行くと、唖然・・・たった今、参観受付が終了したところです。無念。

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すごすごと引き返すだけです。車に乗って、高野山を後にする前に最後に大門の姿を写真に収めます。高さ25mの荘厳な楼門です。現在の建物は1705年(宝永2年/江戸時代)に再建されたものです。本来はここから高野山の中を歩くべきでしたが、結局、最後に仰ぎ見ることになりました。

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これで熊野古道・高野山を巡る旅は完了です。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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思えば、もう10年前のコンサートです。
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07/08 18:59 sarai

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07/08 15:53 じじい@

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久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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