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デュッセルドルフのK20州立美術舘訪問:束の間の公園散策

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ

旅の2日目、デュッセルドルフDüsseldorfの2日目です。と言っても、まだ、トランジット中で、飛行機からドイツ国鉄DBに乗り換えて、ザルツブルクSalzburgに向かうところで旅の始まりに過ぎません。

昨夜はそこそこ早く寝たので、普通に7時半に起床。街中がしっとりと濡れ、窓には雨粒が残っています。でも、雨はやんでいるようです。
今日のホテルは朝食が無料で付いています。頂いてきましょう。通り沿いの窓辺の席に落ち着きます。

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ビュッフェの主役はチーズ、ハム、ソーセージの類ですが、それぞれが種類が多く、どれも美味しいです。

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スタッフのお姉さんがコーヒーのサービスをしてくれます。

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温かい卵料理も作ってくれるとのことなので、オムレツをお願いします。充実した朝食になります。

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朝食をいただいたところで、ホテルをチェックアウトし、荷物を預けて出かけます。今日は、K20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで美術鑑賞です。このデュッセルドルフでトランジットすることにした最大の目的です。旧市街にある美術館へはUバーンで移動します。まずは中央駅の地下駅に向かいます。駅前でまた、おかしな像とご対面。「カメラを向ける男」です。何度見ても実にインパクトがあります。

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駅前から続く大通り、フリードリッヒ・エベルト通りFriedrich-Ebert-Straßeを見通すとそのずっと先に教会の塔が見えます。福音教会Johanneskircheです。

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さて、Uバーンで、旧市街へ。昨日と同一ルートなので、ちゃっちゃっと移動。Uバーンの駅、ハインリッヒ・ハイネ・アレー駅Heinrich-Heine-Alleeから地上に出ます。今度は出口を知っていますから、最初から旧市街の繁華街側のボルカー通りBolkerstraßeに出ます。昨晩は居酒屋がずらっと並んでいましたが、早い朝は静かです。繁華街の朝の風景は万国共通ですね。

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これが地下街からの出口のエスカレーターです。通りの向かいの右側の建物がデパートのガレリア・カウフホ-フ・ケーニッヒスアレー店Galeria Kaufhof Königsallee Dusseldorfです。

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大通り、ハインリッヒ・ハイネ・アレーHeinrich-Heine-Alleeを美術館のほうに向かって歩きます。並木の美しい通りですね。

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2~3分歩くとK20州立美術舘が目の前に姿を現します。

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美術館は10時オープンなので、まだ20分ほど時間があります。通りの向かいにある公園、ホーフ ガルテン Hofgartenを散歩してきましょう。

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公園の入り口にはメンデルスゾーンの彫像があります。メンデルスゾーンはデュッセルドルフで1833年から翌年にかけて音楽監督を務めて、この地での音楽水準の向上に功績がありました。でも、saraiはえっと言う感じです。シューマンではないのですね。

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公園に歩を進めると、うっそうとした巨木に囲まれた大きな池があります。

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池辺にはアヒルが休んでいます。

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池は公園の樹木を分けて、どこまでも続いているようです。

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ドイツの劇作家、クリスティアン・ディートリッヒ・グラッベChristian Dietrich Grabbeの記念碑があります。少し奇妙な像ですね。彼はハイネとも親交があったようです。

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池の端をぶらぶら歩いていきます。朝の公園はほとんど人気がありません。

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池の向こう岸に白鳥の飼育小屋Schwanenhaus Im Hofgartenが見えます。そちらの向かいましょう。

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おや、何と公園の中にロベルト・シューマンの頭部だけの彫像があります。

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でも変ですね。これって、デスマスク?

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広くて静かな公園の散歩を続けます。



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デュッセルドルフK20州立美術舘訪問:公園散策を終え、美術館に参上

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/2回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenでの美術鑑賞の前に時間調整がてら、通りの向かいにある公園、ホーフ ガルテン Hofgartenを散歩しているところです。

ロベルト・シューマンの頭部だけの彫像の近くに、ヘンリー・ムーアの彫刻が置いてあります。《二つに分かれた横たわる人体》「Two Piece Reclining Figure」です。いかにもムーアらしい作品です。

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公園には隣接して、奇妙な外観のビル、高級ショッピングモールのケー・ボーゲンKö-Bogenが見えています。

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その奇妙な建物を背景にして、ホーフガルテンの戦争記念碑Kriegerdenkmal im Hofgartenがあります。ドイツ統一戦争(1864-66)と普仏戦争(1870/71)を戦ったデュッセルドルフの兵士たちに捧げられたものです。傷ついて横たわる若い戦士にライオンが寄り添っています。

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この静かな公園の池の向こうには近代的なビルがあり、奇妙な対照を見せています。

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池の周りには水鳥がたくさん群れています。都会の中心にこういう自然が共生しているのは素晴らしいですね。

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さて、池にかかるゴルデーネ橋(黄金の橋)Goldene Brückeを渡って、池の向こう側に行ってみましょう。

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橋を渡ると、綺麗な緑の丘が続いています。saraiの到来に驚いた鳥が飛び立ちます。

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ここには変わった泉があります。メルヘンの泉Märchenbrunnenです。

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3人の子供たちの彫像が見下ろす先には、カエルたちが妙に絡み合った姿で控えています。カエルたちも3匹かな。

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公園の野原では鳥たちが遊んでいます。

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白鳥の飼育小屋Schwanenhaus Im Hofgartenの前にはたくさんの鳥たちが水面を賑わしています。飼育員のかたが青いビニールを振っています。なんでしょうね。

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いやはや、鳥たちが大騒ぎです。飼育員のかたの鳥たちの世話も大変でしょう。

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しばらく、鳥たちの様子を眺めていますが、とても近づける状態ではありません。不意にアルフレッド・ヒチコックの映画《鳥》のシーンを思い出して、ぞっとします。

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要らぬことを想像してしまいました。いかん、いかん・・・。

野鳥の絵入りの説明板がありますが、これを見てもどの鳥が何なのかはよく分かりません。

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のんびり公園の散歩を楽しみましたが、そろそろ退散しましょう。美術館の開館時間も迫ってきます。
公園を出て、大通り、ハインリッヒ・ハイネ・アレーHeinrich-Heine-Alleeを渡って、K20州立美術舘に向かいます。

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美術館の前に出ます。

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全面、ガラスに覆われた美しいデザインの美術館です。

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ところが、どこが入り口か、分かりません。ガラス越しに中のロビーは見えているんですけどね。

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ちょっとうろうろします。

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結局はまだ開館時間になっていなかったので、入り口がオープンしていなかっただけです。人の流れを追い、美術館へはオープンと同時に入場です。お昼にはミュンヘン行のICEに乗らなければならないので、ちゃっちゃっと名画を鑑賞しましょう。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:20世紀の傑作絵画にめまい!

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/3回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenにオープンと同時に入場です。この美術館の訪問は5年来の望みでした。いよいよ、この美術館のクレーのコレクションを鑑賞できます。
チケットを購入。一人12ユーロは普通の料金ですが、シニア割引はないのね。このレシートがチケット代わりだったのかな。バーコードがあるから、そうなのかしら。

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まずは階段で3階の展示スペースに向かいます。

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いきなり、傑作群が並びます。むさぼるように次々と作品を鑑賞。


パウル・クレーの《雷雨の後の庭Garten nach dem Gewitter》です。1932年、クレー53歳頃に描かれた作品です。暗い色調のモザイク文様の作品です。まずはこの美術館を代表するクレーの作品の一枚目。

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アンリ・マティスの《サン・トロペの海際の風景》です。1904年、マティス35歳頃に描かれた作品です。明るい色彩に満ちた一枚。

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アメデオ・モディリアーニの《カリアティード》です。1911年~1912年、モディリアーニ27~28歳頃に描かれた作品です。カリアティードとは、ギリシャ風またはギリシャ風の建物のエンタブラチュア(柱で支えられる水平材)を支える柱として使用されているドレープの女性像の石の彫刻のことです。実際には裸婦像ですが、それを古代の石の彫刻と見立てたんですね。あまり、モディリアーニらしさが表出されていません。

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アメデオ・モディリアーニの《ディエゴ・リベラDiego Riveraの肖像》です。1914年、モディリアーニ30歳頃に描かれた作品です。ディエゴ・リベラはメキシコの画家で、多くの壁画作品で知られています。20歳年下のフリーダ・カーロの夫でもありました。パリのモンパルナスでの若き日にはモディリアーニの友人の一人でした。この作品ではちょっと誇張はされていますが、太っちょで不格好なリベラの特徴がよく捉えられています。やはり、モディリアーニは肖像画家としての才能に恵まれていました。

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ピエール・ボナールの《ヴェルノンVernonのテラス》です。1928年、ボナール61歳頃に描かれた作品です。明るい色彩に満ちた一枚。ヴェルノンはボナールが敬愛する画家モネの住むジヴェルニーからそう遠くない、ノルマンディーとイル=ド=フランスの間のセーヌ川の谷にあり、ボナールはその地に彼の家を定めました。この作品はその家のテラスからセーヌ川を望む風景を明るく、色彩豊かに描いたものです。もちろん、愛妻マルトも描かれていますね。一番お気に入りのモデルですからね。このヴェルノンの家からの風景は繰り返し描かれています。

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アウグスト・マッケの《フライブルク大聖堂》です。1914年、マッケ27歳頃に描かれた作品です。アウグスト・マッケはミュンヘンの芸術運動、青騎士Der Blaue Reiterの創設メンバーの1人ですが、早逝の画家でした。この作品も亡くなる年に描かれたものです。マッケはこの年に勃発した第一次世界大戦の前線で戦死を遂げます。作風を確立して、これからというところでした。この作品では、彼の早すぎる死を予感するような暗い色調の陰鬱な雰囲気が漂っています。なお、マッケはこのデュッセルドルフの美術アカデミーで学んだ、ご当地画家とも言えます。

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フェルナン・レジェの《対照的なフォルム》です。1914年、レジェ33歳頃に描かれた作品です。円筒を多用したキュビズム的な作品。

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パブロ・ピカソの《フェルナンドの肖像》です。1909年、ピカソ28歳頃に描かれた作品です。この作品はピカソの恋人、オリヴィエの肖像です。オリヴィエは美貌で有名ですが、ピカソの手にかかると、その美貌も台無し。多面的に捉えられたピカソ独特の表現です。

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フェルナン・レジェの《パイプを持つ戦士》です。1916年、レジェ35歳頃に描かれた作品です。これも円筒を多用したキュビズム的な作品。

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パブロ・ピカソの《マンドリンを持つ女》です。1908年、ピカソ27歳頃に描かれた作品です。ピカソの初期分析的キュビズムの作品。モデルはピカソの当時の妻フェルナンド・オリヴィエ。後に描く傑作《マンドリンを弾く少女》の習作的な位置づけでしょうか。

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パブロ・ピカソの《ギター》です。1913年、ピカソ32歳頃に描かれた作品です。ピカソの総合的キュビスムの初期の作品。ピカソは常に新しい道を目指します。

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ジョルジュ・ブラックの《ハープとヴァイオリンのある静物画》です。1911年、ブラック29歳頃に描かれた作品です。ピカソと一緒に確立したキュビスムですが、この手の作品では、ブラックがピカソの一枚上をいっているような気がしてなりません。ピカソが別の道を志向したのもそのせいではないかと邪推してしまいます。まあ、途轍もなく、完成度の高い作品です。

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フアン・グリスの《ヴァイオリンとインク壺のある静物画》です。1913年、グリス26歳頃に描かれた作品です。グリスはピカソとブラックが確立したキュビスムを終生、守り続けて、画家活動を全うします。ピカソとブラックがキュビズムを離れてしまった後を守り抜いたとも言えます。グリスの作品は色彩が豊かで明快なキュビズム作品です。

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フアン・グリスの《ティーカップ》です。1914年、グリス26歳頃に描かれた作品です。この作品では色彩が抑えられていますが、やはり、フォルムが明快なキュビズム作品です。

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20世紀の傑作がどんどん続いて、見ているsaraiの意識も高揚していきます。まだまだ、作品は続きます。そうだ、まだ、クレーの大コレクションがありませんね。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:クレーのコレクション登場!

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/4回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


パブロ・ピカソの《瓶とグラスの静物画》です。1913年、ピカソ32歳頃に描かれた作品です。ピカソの総合的キュビスムの充実した作品です。パピエ・コレpapier colléという文字の印刷された紙片や模様のある紙を貼り付けるコラージュの手法が用いられています。分析的キュビズムの発展形です。

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フランツ・マルクの《3匹の猫》です。1913年、マルク33歳頃に描かれた作品です。マルクは言わずと知れたミュンヘンの芸術運動、青騎士Der Blaue Reiterをカンディンスキーと担った創設メンバー。マルクの大ファンである配偶者と目配せをしながら、作品に見入ります。マルクのトレードマークとも言える動物を描いた作品。フォルムも色彩も文句ない素晴らしさ。しかし、この作品を描いたマルクにはわずかしか人生の日々は残されていませんでした。マルクは第一次世界大戦に出征し、ヴェルダンの戦いにおいて36歳の若さで命を落とすことになります。戦争はいかに若い才能を無残にも世界から奪い取ることでしょう。

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パウル・クレーの《宇宙のコンポジションKosmische Composition》です。1919年、クレー40歳頃に描かれた作品です。これがクレーによる宇宙の再創造なのですね。暗黒の宇宙ではなくて、色彩のグラデーションの背景の上に賑やかな形象が描かれた人間的な温もりに満ちています。クレーの選りすぐりの作品のコレクションがいよいよ始まります。

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パウル・クレーの《描かれた男Gezeichneter》です。1935年、クレー56歳頃に描かれた作品です。タイトルですが、一応、《描かれた男》としてみましたが、《線で区切られた男》という意味にもとれます。英語では、Marked Manと訳されていますので、《マークされた男》という漠然とした訳もいいのかもしれません。線画の天使シリーズにつながる系譜とも考えられます。これも人間的な温もりに満ちた作品です。この時代はクレーにとって、デュッセルドルフの美術アカデミーの教授からナチスの迫害で亡命を余儀なくされて、スイスのベルンに逃れ、経済的困窮と難病の皮膚硬化症の発症という困難を極めた時代でした。その時期に描いた、このような人間性に満ちた絵画を当事者であったドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州の州立美術館が収集したのはある意味、贖罪でもあるのでしょう。過去の過ちにどう向き合うか・・・モラルとヒューマニティの問題が厳しく問われます。これが現在のドイツが出した答えです。同時期に極東で多くの過ちをおかした某国の現在はこれに比べて、いかがでしょう。己の問題として、当事者意識を持つべきと思わざるを得ませんが・・・。

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パウル・クレーの《フェザープラントFederpflanze》です。1919年、クレー40歳頃に描かれた作品です。色鮮やかな植物、クレーらしいシンプルな形象の一作です。

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パウル・クレーの《ドイツ風の髭を生やした頭部Kopf mit deutsch Barttracht》です。1920年、クレー41歳頃に描かれた作品です。髭面のいかめしい顔もクレーの手にかかると優しいタッチの心温まる作品に仕上がります。ピンクの色調がうまく活かされていますね。

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パウル・クレーの《宝石Kleinode》です。1937年、クレー58歳頃に描かれた作品です。この年、亡命後に激減した創作活動が再び復調し、晩年の実りのときを迎えます。この作品はあえて、たどたどしく描いてみせて、芸術の原点に回帰しようとするクレーの意欲がみてとれます。

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ワシリー・カンディンスキーの《コンポジションⅣ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃に描かれた作品です。カンディンスキーはマルク、クレー等と青騎士Der Blaue Reiterを創設した中心人物です。20世紀の抽象絵画の扉は彼の手によって開かれました。この作品は抽象絵画のコンポジションシリーズの一枚。まるで何が描いてあるのか分からない作品ですが、色彩の横溢は彼が好んだ音楽を感じさせます。しかし、どうやら、少し前に描いていたバイエルン地方の町の景色を再構成しているように見えます。この時代はまだ抽象化も初期段階のようです。

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ロベール・ドローネーの《カーテンのある塔》です。1910年、ドローネー25歳頃に描かれた作品です。ドローネーはフランス人の画家ですが、カンディンスキー、モンドリアンと共に抽象絵画の先導的な役割を果たすことになります。この作品を描いた頃はキュビズムの作品を描いていました。そして、題材はエッフェル塔を多く取り上げています。この作品もその一つ。彼のキュビズム作品はほかのキュビズム画家がモノクロームの絵画を描いていたのに対して、色彩豊かな作品を描いたことが特徴です。

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マックス・ベックマンの《鉄の歩道橋》です。1922年、ベックマン38歳頃に描かれた作品です。ベックマンはドイツ表現主義を代表する画家です。彼もナチスの指定した退廃芸術の一員とされ、不遇な生涯を送りました。そのベックマンの代表作の多くがこの州立美術館に集められています。ナチスが犯した戦争犯罪のひとつをドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州が償おうとしています。退廃芸術とされた作品の多くがこの州立美術館に再収集されています。今や、それがこの州立美術館の最大の見ものになっているのは皮肉なことです。この作品はベックマンが第一次世界大戦に従軍後、フランクフルトに居住していた時代のものです。多分、フランクフルトに流れるマイン川に架かる歩道橋を描いたものでしょう。表現主義的、即物主義的に描かれた傑作の一枚です。

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20世紀の傑作を見ていて、ますます、テンションが上がっていきます。素晴らしいコレクションです。まだまだ、作品は続きますよ。クレーもまだまだ、ある筈です。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:カンディンスキー/ベックマンの傑作

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/5回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの《日本傘をさした少女》です。1909年、キルヒナー29歳頃に描かれた作品です。キルヒナーはベックマンと並ぶドイツ表現主義を代表する画家です。ドレスデンで画家グループ「ブリュッケDie Brücke」を結成して、従来のアカデミックな芸術に反抗する若手画家として活動しました。キルヒナーも当然、ナチスから退廃芸術の烙印を押され、そのショックから、1938年にピストル自殺を遂げます。退廃芸術のそしりを受けた多くの画家の中で、saraiの脳裏に真っ先に浮かぶぶのはキルヒナーとベックマンの二人です。ヨーロッパの美術館では、無意識のうちに、この二人の作品を探して、見入ってしまいます。そして、いかにもヒットラーに嫌われそうな彼らの作品に深い感慨を覚えてしまいます。この作品はキルヒナーらしく、どぎつい色彩とフォルムに満ちた表現主義的な作品です。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの《通りを歩く二人の女》です。1914年、キルヒナー34歳頃に描かれた作品です。これは独特のタッチで描かれた、表現主義的でありながら、お洒落さも感じさせる作品です。佳作ですね。

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エミール・ノルデの《女とピエロ》です。1917年、ノルデ50歳頃に描かれた作品です。ノルデはドイツ人の画家で表現主義的な傾向の絵画を描きましたが、どのグループにも属さずに、あくまでも独自の道を行きました。しかし、彼もまた、ナチスにより、退廃芸術の烙印を押されることになります。彼は一時、ナチス党員であったにもかかわらずです。皮肉なものですね。この作品もドイツ表現主義、そのものの絵画です。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの《ガーデンカフェの緑色の服の女》です。1912年、キルヒナー32歳頃に描かれた作品です。キルヒナーとしては、結構抑えたソフトな作品です。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの《黒人ダンス》です。1911年、キルヒナー31歳頃に描かれた作品です。これは実に明るい作品。キルヒナーのタッチではあるものの、彼らしくない雰囲気です。

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マルク・シャガールの《画筆を持つ自画像》です。1909年、シャガール22歳頃に描かれた作品です。これはある意味、珍品ですね。彼の自画像と言えば、妻ベラとともに空を飛ぶファンタジィックな絵を想像してしまいます。色調も暗い、この自画像は若い頃の習作でしょうか。

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マルク・シャガールの《ヴァイオリン弾き》です。1911年、シャガール24歳頃に描かれた作品です。この作品はシャガールらしくて、ようやく、ほっとします。先ほどの絵の2年後の作品ですが、ようやく、作風を確立したようです。この前年に故郷のロシアからパリに出たことで、一気に才能が開花したようです。

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マルク・シャガールの《祭日(レモンを持つラビ)》です。1914年、シャガール27歳頃に描かれた作品です。何故か、青いレモンを手にするラビの頭の上には小人のラビがいます。敬虔な雰囲気が漂う、どこか気になる作品。深い意味があるのでしょうが、絵の意味はsaraiには解けません。

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ワシリー・カンディンスキーの《横線Durchgehender Strich》です。1923年、カンディンスキー57歳頃に描かれた作品です。いやはや、これは素晴らしい作品です。幾何学的な構成の抽象画ですが、この絵の意味を問うのは野暮でしょう。色彩、構図、フォルム、すべてがおさまるところにおさまっている美しい作品です。カンディンスキーの代表作の一枚と言っても過言ではありません。

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マックス・ベックマンの《夜》です。1918年~1919年、ベックマン34歳~35歳頃に描かれた作品です。この作品はベックマンが描いた最高傑作の一枚です。ヨーロッパ絵画の歴史を踏まえ、彼の表現主義的な技法を駆使して描き上げた渾身の作品と言えるでしょう。実に陰惨な光景が描かれています。彼の内的なもの、そして、第一次世界大戦で経験した人類の未曽有の危機をこの画面に込めています。ヨーロッパ文化のさらなる崩壊を予見した稀有な傑作ですが、見ているものも人間の邪悪な部分に大きな衝撃を受けてしまいます。一体、人間の明日の希望を信じてよいのでしょうか。

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20世紀の傑作にインスパイアされます。どの一枚も凄い作品なので、ご紹介のペースが一向に上がりません。次はまた、クレーのコレクションになります。素晴らしい傑作も登場します。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:クレーの膨大なコレクションが始まります!

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/6回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


パウル・クレーの《ベルンのフォン・ジンナー夫人の肖像Bildnis der Frau v. Sinner, Bern》です。1906年、クレー27歳頃に描かれた作品です。クレーにしては、実に普通の肖像画に思えます。また、クレーが肖像画を描くのも稀です。変だなと思って、後で調べたら、この作品はガラスの上に描かれた実験的な挑戦の作品でした。しかし、最初に描いたものは色落ちしてしまい、何度も書き直す羽目に陥ったそうです。やはり、クレーは若い頃から、只者ではなかったようです。でも、絵の雰囲気が同じスイス出身のホドラーと似ているのは面白いですね。

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パウル・クレーの《茶色の三角形は直角を希求するbraunes Δ rechtw. strebendes Dreieck》です。1915年、クレー36歳頃に描かれた作品です。ドローネーの抽象絵画《窓》シリーズに触発された幾何学的な抽象画です。難解な作品です。

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パウル・クレーの《赤と白の丸屋根(ドーム)Rote u. weisse Kuppeln》です。1914年、クレー35歳頃に描かれた作品です。この作品は抽象画の構成を建築の構造に近似させるという試みを行ったものです。1914年のチュニジア旅行で訪れた街の視覚的な印象に基づいたものだそうですが、これも難解な作品です。この時代は絵画技法への挑戦的な姿勢が目立ちます。

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パウル・クレーの《ムッシュー・ペルレンシュヴァインmonsieur Perlenschwein》です。1925年、クレー46歳頃に描かれた作品です。ムッシュー・ペルレンシュヴァインを訳すと真珠豚氏。真珠のついたリボンを首に巻き、豚のような耳を持つ変わった容貌の紳士が描かれています。この繊細極まるグラデーションに感銘を受けた配偶者曰く、この美術館の最高の一枚とのことです。一体、どうやって描いたのかしらとずっと首を捻っていました。実は紙の上にスプレーとブラシを用いて水彩で描かれたものです。目が菱形◇と四角□というのも秀逸です。お茶目さの向こうにクレーの底知れぬ才能がうかがえます。K20州立美術舘は噂に違わぬクレーの素晴らしいコレクションを持っている事実を実感しました。そもそもこのK20州立美術館は1961年、ノルトライン=ヴェストファーレン州がアメリカの収集家から88点のパウル・クレー作品を一括購入したことを契機に開設されたくらい、クレーと切っても切れない縁で結ばれています。このクレーのコレクションに匹敵する収蔵数を持つのはベルン(クレーの故郷であり、亡命先でもありました)のクレー・センターくらいでしょう。デュッセルドルフの美術アカデミーで教授をしていたというゆかりの深い画家クレーをナチス・ドイツが亡命生活に追いやった過去に対して、ドイツ人が見せた良心の証がここにあります。この傑作を前にして、深い感慨の念に打たれました。

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パウル・クレーの《キアロスクーロの習作(イーゼルランプ)Helldunkel-Studie (Staffelei=l=ampe)》です。1924年、クレー45歳頃に描かれた作品です。キアロスクーロ(Chiaroscuro)とは、イタリア語で明暗という意味で、絵画では、明暗のコントラスト(対比)を指す言葉。それを用いた技法が「明暗法」「陰影法」です。劇的な明暗法を用いて、絵画に革命を起こしたのはカラヴァッジョでした。この作品は紙の上に水彩で描かれたもので、モノトーンの明暗を試行したものです。

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パウル・クレーの《構成されたL広場Der L=Platz im Bau》です。1923年、クレー44歳頃に描かれた作品です。これは抽象画の範疇にはいるのかもしれませんが、色彩と線画が巧みに組み合わされた素晴らしく美しい作品です。こんなお洒落な絵が描けるのは、クレー以外にはデュフィくらいでしょう。

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パウル・クレーの《ライオン、気を付けて!Loewen, man beachte sie!》です。1923年、クレー44歳頃に描かれた作品です。これは題名そのものの内容ですね。紙の上に鉛筆と水彩で描かれた作品です。あえて、子供が描いたような幼稚さを装っています。

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パウル・クレーの《指揮Regie》です。1930年、クレー51歳頃に描かれた作品です。これは音楽の指揮を描いたものなのでしょうか。紙にチョーク・パステルで背景を描き、その上に水彩を施した作品です。だんだん、晩年の線画の世界に向かっています。

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パウル・クレーの《小さな日曜ハウスkleines Sonntagshaus》です。1928年、クレー49歳頃に描かれた作品です。線画と淡い色彩を組み合わせた佳作です。シンプルな絵画を希求していますね。絵画の本質を求めるクレーの姿勢が明確です。このシンプルさが新鮮で美しく感じます。

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パウル・クレーの《"43"》です。1928年、クレー49歳頃に描かれた作品です。ピラミッドのような三角形の上に太陽のような赤い丸。そして、"43"の数字。何だか分かりませんが、美しい絵画だと感じます。クレーでなければ描き得ない作品です。ガーゼの上に水彩とパステルで描いたという凝った作品です。

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いよいよ、この美術館が誇るクレーの膨大なコレクションが始まりました。まだまだ、クレーは続きます。それもとびっきりの傑作ぞろいです。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:素晴らしきクレーのコレクション

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/7回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


パウル・クレーの《頭と手と足と心があるhat Kopf, Hand, Fuss und Herz》です。1930年、クレー51歳頃に描かれた作品です。うーん、何とも可愛い作品ですね。傾向としては《ムッシュー・ペルレンシュヴァイン》の延長線でしょうか。絵の中心にあるのは赤いハートマークで描かれた心です。この作品はコットンの上に水彩とインクで描かれています。

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パウル・クレーの《過負荷の悪魔überladener Teufel》です。1932年、クレー53歳頃に描かれた作品です。モノクロームで描かれた悪魔は複雑なフォルムで構成されています。過負荷の悪魔とは何の暗喩なのか・・・時代背景を考えると、迫りくるナチスの脅威、西欧文明の崩壊の危機を捉えた限界状況をさすものでしょうか。しかし、この作品では凶悪性よりもフォルムの精緻さが印象的です。この作品は紙の上に水彩で描かれています。

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パウル・クレーの《ネクロポリスNekropolis》です。1930年、クレー51歳頃に描かれた作品です。ネクロポリスとは、ウィキペディア(Wikipedia)を引用すると、巨大な墓地または埋葬場所。語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)。大都市近郊の現代の共同墓地の他に、古代文明の中心地の近くにあった墓所、しばしば人の住まなくなった都市や町を指します。この作品で描かれているのは、クレーが1928年から1929年にかけて旅したエジプトの墓所を描いたもののようです。クレーの死生観を示すとともに、観光地化したエジプトを見て、あえて、古代への思いを画面上に構成した作品とも考えられます。

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パウル・クレーの《半円から斜めHalbkreis zu Winkligem》です。1932年、クレー53歳頃に描かれた作品です。この作品を見て連想するのは、クレーのファンならば、《パルナッソス山へ》でしょう。この絵をぐるっと左に90度に回転させると、似た形になります。描かれたのも同じ年です。《ネクロポリス》と同様にエジプト旅行で見たピラミッドの三角形がベースになっています。画面全体に細かく描かれた点も《パルナッソス山へ》と共通した特徴です。半円は太陽とか月も連想しますが、幾何学的に三角形の対照として描いたものではないかと思えます。右上のオレンジ色のLの意味は不明ですが、左下の茶色の四角形とともに画面のアクセントとなっています。しかし、《パルナッソス山へ》のまばゆいばかりの輝かしさには及びませんね。

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参考のために、2010年に訪れたベルンBernのベルン美術館Kunstmuseum Bernで鑑賞した《パルナッソス山へAd Parnassum》を再掲しておきます。

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パウル・クレーの《雪の中での考えGedanken bei Schnee》です。1933年、クレー54歳頃に描かれた作品です。水彩画ですが、モノトーンで描かれた絵は線画を志向していますね。雪景色の中で何を考えるのか・・・決して、明るい未来ではなさそうです。亡命のときは近づいています。それとも亡命後?

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パウル・クレーの《平原を眺めてくださいBlick in die Ebene》です。1932年、クレー53歳頃に描かれた作品です。これもエジプトの平原かもしれません。細かい点が打たれた背景の上に描かれた境界線のような曲線のいかに美しいことか。素晴らしい作品です。

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パウル・クレーの《ピランプ近くの風景Landschaft bei Pilamb》です。1934年、クレー55歳頃に描かれた作品です。亡命の翌年に描かれた作品。ピランプというのはどこか分かりませんが、きっととても美しい場所なのでしょうね。現実にはない架空の場所なのかもしれません。亡命後の辛い状況だからこそ描いたこの世の楽園なのでしょう。

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パウル・クレーの《動いている大気群atmosphaerische Gruppe in Bewegung》です。1929年、クレー50歳頃に描かれた作品です。これは一見すると何が描かれているのか分かりませんが、音楽のポリフォニーを絵画で表現したものです。有名な作品では《赤のフーガ》が音楽を絵画化した作品です。クレーは早くからヴァイオリンに親しみ、彼の妻のリリーはピアニスト。ずっと音楽にはこだわりを持っていました。音楽は空気の振動がベースですから、このような大気の動きの重なり合いを描くことで、ポリフォニー、すなわち、複数の声部による音楽を表現したのでしょう。しかし、作品自体は《赤のフーガ》ほどの完成度には至っていないように感じます。

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参考のために、2010年に訪れたベルンBernのパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeで鑑賞した《赤のフーガFuge in Rot》を再掲しておきます。

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パウル・クレーの《積まれたものder Beladene》です。1929年、クレー50歳頃に描かれた作品です。合板の上に貼られたジュートの上の石膏プライマーに油絵具とワックスクレヨンで描かれた作品ですが、明らかに線画そのものですね。線画による天使シリーズの先がけのような作品です。

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パウル・クレーの《攻撃の後の聖セントニウスSt. Anton nach dem Anfall》です。1935年、クレー56歳頃に描かれた作品です。前にも書きましたが、この1935年は、クレーにとって、苦渋に満ちた年でした。スイスのベルンへの亡命後、経済的困窮と難病の皮膚硬化症の発症という困難を極めたました。その彼が選んだ題材は、悪魔の攻撃にさらされながらも耐え抜いたという逸話を持つエジプトの聖者アントニウスでした。ナチスからの謂れのない迫害で傷ついたクレー自身の姿を重ね合わせたものです。まるで悟りを得たような安らぎに満ちた表情に感銘を覚えないものはいないでしょう。政治的迫害、暴力、戦争は人間を傷つけることはありますが、決して、人間の品性を汚すことはできません。クレーの芸術はますます高みに上ります。

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K20州立美術館が誇るクレーの膨大なコレクションの素晴らしさの心が震えます。まだまだ、クレーは続きます。saraiの一押しのクレーの名作はずっと後に登場します。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:クレーの後は、レジェ、ピカソ、ミロ、モンドリアンの傑作群

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/8回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


パウル・クレーの《異常なものたちの大通りder Boulevard der Abnormen》です。1938年、クレー59歳頃に描かれた作品です。晩年のクレーはうまく手が動かせないこともあり、単純化されたフォルムと太い線が特徴になっています。しかし、絵心はますます研ぎ澄まされていきます。この作品に描かれた、大通りにあふれる異形のものたちは、この絵が描かれた時代の異常さと切り離して考えることはできないでしょう。その上で、異形のものたちが決してグロテスクさに走っていないのは、クレーが芸術家として、色んな想念を芸術的に昇華させていることがうかがえます。クレーに残された時間は残り2年しかありません。

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パウル・クレーの《価値表記小包das Wert-Paket》です。1939年、クレー60歳頃に描かれた作品です。この作品は天使シリーズに関連する作品です。翼こそありませんが、二人の人型の天使が抱擁するシーンがモノクローム調の彩色画で描かれています。中央に赤い×印がありますが、十字架とみなされうるとも言われています。この作品が描かれた年には天使シリーズの線画作品が多く描かれました。また、この1939年はクレーの亡くなる前年ですが、クレーは創作の頂点に達し、デッサンなども含めた1年間の制作総数は1253点に及んだそうです。1万点を超える創作を行った多作の芸術家であったクレーにしても、この年の充実した創作活動は刮目すべきものです。その中心にあったのは天使シリーズと言えるでしょう。もっともクレーの天使シリーズが世に注目されるようになったのは1990年あたりからだそうです。

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クレーの晩年の作品に至ったところで、クレーの作品の展示はいったん終わっています。ここまでクレーに作品を28枚紹介してきました。ここからはまた、クレー以外の作品の展示を見ていきましょう。でも、クレーのファンの方、ご安心ください。展示の終わり近くでまた、クレーの作品が10枚近く登場します。その中にsaraiの一押しの作品もあります。


フェルナン・レジェの《花を持つ女》です。1922年、レジェ41歳頃に描かれた作品です。典型的なレジェの作品の登場です。女性が二人登場しますが、服を着ているかどうかが異なるだけで、顔の表情は感情を示さずに、個性というものは書き込まれません。女性の体の丸みを強調するために体の端は陰影が付けられています。髪の毛のべたっとした描き方も特徴的ですね。具象画風に装った抽象画とも言えます。描かれる素材をいったん分解して、再構成した上で装飾画風に描き上げています。

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パブロ・ピカソの《二人の座った裸の女》です。1920年、ピカソ39歳頃に描かれた作品です。この頃、ピカソは総合的キュビズムの時代から、新古典主義に移り、どっしりと量感のある女性像を描きました。この作品もその一つです。

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フェルナン・レジェの《アダムとイヴ》です。1936年~1939年、レジェ55~58歳頃に描かれた作品です。レジェ独自の作風をますます発展させた作品。レジェが描く対象は人物や機械に限定されています。ここでは題材のせいか、珍しく、植物などの自然が描かれていますが、どことなく、ぎこちなく感じます。

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パブロ・ピカソの《鏡の前の女(しゃがむ女)》です。1937年、ピカソ56歳頃に描かれた作品です。シュールレアリスム時代を経て、この頃、有名なゲルニカの制作にかかっていました。あのモノクロの恐ろしい絵とはずい分違った作品です。絵のモデルは愛人のマリー=テレーズ・ワルテル。よほど、この女性から心の平安が得られていたのでしょう。彼女を描いた作品は優しさと愛に満ちています。キュビズムもこのように頭の中の理屈から、自然な絵に変容しています。やはり、ピカソは素晴らしい!

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ジョアン・ミロの《リズミカルな人々》です。1934年、ミロ41歳頃に描かれた作品です。黒、白、そして純粋な色の赤と黄色で描き出されているのは、極度にデフォルメされた女性と野菜の融合したフォルムです。背景は左側は黄土色から茶色にグラデーションし、右側は緑から青にグラデーションして、その上に描かれた女性のフォルムを際立たせています。フォルムとフォルムは繋がれて、リズミカルな律動を繰り返しています。技法的には高度に洗練されたコラージュが用いられています。ミロが描いた傑作の一枚です。

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ピエト・モンドリアンの《青と白の垂直のコンポジション》です。1936年、モンドリアン64歳頃に描かれた作品です。抽象画の始祖の一人であるモンドリアンが到達した究極の抽象画はこんなにシンプルな形でした。20世紀美術のひとつの到達点です。

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ピエト・モンドリアンの《黒の線のあるリズム》です。1937年/1942年、モンドリアン65歳/70歳頃に描かれた作品です。既にモンドリアンは芸術的到達点に達しています。名人は何を描いても傑作にしか、なり得ません。黒いラインの間隔と矩形の2カ所に塗られた青と黄色。あるべき理想的な姿がそこにあります。

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ピエト・モンドリアンの《ニュー・ヨーク・シティⅠ》です。1941年、モンドリアン69歳頃に描かれた作品です。ニューヨーク市の通りが上空から俯瞰した眺めをモンドリアン風に抽象化した作品でしょう。赤、黄色、青で描かれたラインが心地よい律動を目に訴えかけてきます。これも名作。

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ピエト・モンドリアンの《黄色のコンポジション》です。1930年、モンドリアン58歳頃に描かれた作品です。このシンプルな作品の心地よさはどこからくるのでしょう。こういう作品を見ると、絵画の原点は単純な色彩と無駄を省いたフォルムに帰結することが分かります。西欧の仙人がすべてを達観して描いた究極の美がここにあります。

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K20州立美術館が誇るクレーの膨大なコレクションの一端を見終えて、さらに20世紀の美の巨人たちの作品に魅了されます。20世紀の傑作群は続きます。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:カルダー、マグリット、エルンスト、そして、デ・キリコ

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/9回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


アレクサンダー・カルダーの《無題》です。1936年、カルダー38歳頃に制作された作品です。カルダーはアメリカ合衆国の彫刻家で、動く彫刻「モビール」の発明と制作で知られています。この作品もモビールですね。

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ルネ・マグリットの《喜び》です。1927年、マグリット29歳頃に描かれた作品です。マグリットは日本でも人気の高い画家ですが、ベルギーのシュルレアリスムの画家に分類されます。普通の日常を描くような感じで、ありえない現実を描きます。で、ちょっと見ただけでは意味が分からない場合も多いのですが、この作品も一見、何が描かれているのか分かりづらいです。この作品では若い女性が生きている鳥をむしゃむしゃ食べている、ぞーっとするようなシーンが描かれています。どうして、こんな絵を描いたかと言うと、マグリットの妻がチョコレートでできた鳥を食べているのを見て、思いついたそうです。あんまり、趣味がよくないですね。題名も趣味が悪い! 配偶者がマグリット好きなので、あまり悪口は言えませんが、この画家は時々、脱線します。

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ルネ・マグリットの《空(から)のマスクThe Empty Mask》です。1928年、マグリット30歳頃に描かれた作品です。不規則な形の4枚のフレームから構成されて、フレームには言葉が描かれて、イメージは鑑賞者に想像させるようです。《ciel》:空、《corps humain (ou forêt)》:人体(または森)、《rideau》:カーテン、《façade de maison》:家の正面 という4枚のフレームです。この作品の別のバージョンでは、フレームに言葉でなく、イメージ(絵そのもの)が描き込まれています。何故か、4枚ではなく、6枚のフレームに増えています。

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ルネ・マグリットの《遭遇(出会い)》です。1926年、マグリット28歳頃に描かれた作品です。チェスの駒のような人物たちが遭遇したシーンが幻想的に描かれています。この絵はいいですね。

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マックス・エルンストの《心配な友達》です。1944年、エルンスト53歳頃に制作された作品です。エルンストのまるで埴輪のような彫刻作品です。難解な絵画作品と違って、実にコケティッシュな作品で見ている方も心が緩みます。不安げな表情の顔が何とも可愛いですね。

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マックス・エルンストの《鳥の頭》です。1934年~1935年/1956年、エルンスト43~44歳/65歳頃に制作された作品です。これも鳥の何ともユーモラスな表情がいいですね。ほっこりする作品です。

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ルネ・マグリットの《とてつもない日々》です。1928年、マグリット30歳頃に描かれた作品です。よく見ないと分かりませんが、裸の女性に影のような男が迫っています。半分、透明人間のような男と女性の体はありえないような形で複雑に絡んでいます。なかなかシュールですね。

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ルネ・マグリットの《 庶民的なパノラマ》です。1926年、マグリット28歳頃に描かれた作品です。パノラマが3階建てで描かれています。まさにマグリットらしい非日常的な風景ですね。アイディアも描き方も素晴らしいです。

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ジョルジョ・デ・キリコの《沈黙の彫像(アリアドネ)》です。1913年、デ・キリコ25歳頃に描かれた作品です。デ・キリコらしく古代の建物に静寂が漂います。彫像はアリアドネ。ギリシャ神話の女神です。saraiにとっては、R.シュトラウスの楽劇《ナクソス島のアリアドネ》で親しんでいる馴染み深い名前です。

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ジョルジョ・デ・キリコの《二人の姉妹(ユダヤ人の天使)》です。1915年、デ・キリコ27歳頃に描かれた作品です。1914年にデ・キリコは新しい要素であるマネキンの頭を絵画に登場させます。この作品も巧みに構成したマネキンの2体の頭が重要な要素になっています。不気味とも思える雰囲気の作品ですが、これがデ・キリコのシュールな世界です。

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ジョルジョ・デ・キリコの《巨大な塔》です。1913年、デ・キリコ25歳頃に描かれた作品です。1911年7月、ジョルジョ・デ・キリコはフィレンツェからトリノを経由してパリへ旅して、そこで1912年の冬に仕事を再開しました。彼の絵画のスタイルは変貌します。彼自身、「形而上学的絵画」という用語を用いています。デ・キリコは「静けさと無生物の物質的な美しさは形而上学的に思えます」と語っています。その言葉がすべてです。まさにデ・キリコの世界が開幕しました。

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K20州立美術館の20世紀美術コレクションの素晴らしさに魅了されます。嬉しくてワクワクしながら鑑賞を続けています。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:マティスの美、そして、ピカソ、ブラックの後半生

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/10回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


ハンス・アルプ(フランス名:ジャン・アルプ)の《アンフォラ》です。1931年、アルプ45歳頃に描かれた作品です。アルプと言えば、滑らかカーブを持つ彫刻を思い浮かべますが、その彫刻をそのまま平面上の絵画として移し替えたような作品もあるのですね。絵画とは言え、まさにアルプそのものの作品です。アンフォラとは、陶器の器の一種で、古代の地中海世界で広まり、ブドウ、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、オリーブ、穀物、魚、その他の必需品を運搬・保存するための壺として用いられたものです。アルプの作品から、アンフォラのイメージを想起するのは難しいでしょう。wikipediaで実際の画像を参照してください。→ここ

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この美術館は建物も美しく、通り掛かった階段室のデザインの美しさに魅了されます。窓からは向かいの公園の緑が鮮やかです。

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アンリ・マティスの《赤い室内、青いテーブルの上の静物》です。1947年、マティス78歳頃に描かれた作品です。老大家マティスの筆はますます鮮やかですね。極度に簡略化された画面は実に装飾的で、マティスの赤が見事です。具象画でありながら、対象のモティーフはすべて再構成されています。いやはや、素晴らし過ぎる作品です。この作品の向こうに傑作《ルーマニアのブラウス》が見えてきます。

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パブロ・ピカソの《オープン・ウィンドウ》です。1919年、ピカソ38歳頃に描かれた作品です。総合的キュビズムの時代の終わり頃の作品ですね。お洒落な作品ですが、エネルギー感が乏しく感じます。

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パブロ・ピカソの《ひじかけ椅子に座る女》です。1941年、ピカソ60歳頃に描かれた作品です。分類は難しいですが、シュールレアリスム風かつキュビズム的な作品ですね。この時代はカメラマンで画家のドラ・マールと愛人関係にありました。この作品のモデルも彼女でしょう。見た目では分かりませんが(笑い)。

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パブロ・ピカソの《大きなプロフィール(ジャクリーン)》です。1963年、ピカソ82歳頃に描かれた作品です。モデルは妻のジャクリーヌ・ロックですね。作風はキュビズム風のシュールレアリスムでしょうか。

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ジョルジュ・ブラックの《アトリエⅡ》です。1949年、ブラック67歳頃に描かれた作品です。キュビズムを離れて久しいブラックが描いていたのは、こういう作品だったんですね。なかなかの力作ではありませんか。キュビズムのようなレッテルさえあれば、また、一時代を画したかもしれませんが・・・。

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ジョルジュ・ブラックの《フルーツ皿、瓶とマンドリンのある静物画》です。1930年、ブラック48歳頃に描かれた作品です。キュビズムともとっくに決別していたブラックですが、やはり、総合的キュビズムの残滓とも思える作風の作品ですね。しかし、ブラックには分析的キュビズムが似合っていたとsaraiはつくづく実感するのです。

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K20州立美術館の20世紀美術コレクションでマティスはやはり新鮮な美があります。20世紀も多士済々。次は誰が登場するんだろう。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:エルンストのシュールな作品群、そして、ミロ、クレーの超傑作

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/11回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。


マックス・エルンストの《愚か者》です。1961年、エルンスト70歳頃に制作された作品です。エルンストは老境に至ってもユーモラスな彫刻作品を創り続けます。作品の意図は己に向けたものか、世間に向けたものか、それともいずれにも該当するのか。何となく、同じ年齢層に達したsaraiには、その屈折したアーティストの気持ちが分かるような気がします。少し、エルンストへの尊敬の念が沸き起こる感じです。

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ジョアン・ミロの《夜の女たちと鳥たち》です。1945年、ミロ52歳頃に描かれた作品です。白い背景の上に何とも楽し気な光景が描かれています。ミロの傑作の一枚です。

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マックス・エルンストの《愛のカルマニョール》です。1926年、エルンスト35歳頃に描かれた作品です。カルマニョールと言うのは、フランドル風にギャロップで踊られる輪舞のことです。フランス革命 (1789年) のとき,バスティーユが陥落した際にパリで踊られた事実が知られています。黒い男と白い女が踊り狂う様子が表現主義風に描かれています。

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マックス・エルンストの《最初の明確な言葉》です。1923年、エルンスト32歳頃に描かれた作品です。シュールレアリスムの作品です。女性の手が右の窓の開口部から手を差し伸べています。彼女は2本の交差した指の間に赤いボールをつまんでいるので、滑り落ちる恐れがあります。ボール自体は、壁の2本の釘の上を通り、壁の左端にある狭い壁の部分から細い「絹」の糸にぶら下がっています。このバッタのような生き物は、手のちょっとの緩みのせいで、指を開いてボールを落とすと、それがバッタを引き裂くことになります。明解なシーンですが、実にシュールです。

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マックス・エルンストの《エディプス I》です。1934年、エルンスト43歳頃に制作された作品です。父親を殺し母親と結婚したギリシア神話のエディプス (オイディプス) 王をテーマにしていますが、そんなに深刻なイメージの作品ではありません。むしろ、エディプス・コンプレックスという
精神分析の用語をイメージした、男子が母親に性愛感情をいだき,父親に嫉妬する無意識の葛藤感情を想起させます。あくまでも無邪気なユーモラスな性格の彫像です。

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パウル・クレーの再登場です。《黒い領主schwarzer Fürst》です。1927年、クレー48歳頃に描かれた作品です。邪悪な王様(ヒットラー?)を描いたものかもしれませんが、あまりに芸術的に昇華した傑作になっています。漆黒の表現がとても美しいですね。

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マックス・エルンストの《揺らぐ女》です。1923年、エルンスト32歳頃に描かれた作品です。シュールレアリスムの作品ですが、表現主義的な傾向もあります。「揺れる女」は人間とオートマトンの間の存在として描かれています。超現実の世界でのみ、存在できる自由な半人間の形態です。おぞましくもあり、超越的でもあります。

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マックス・エルンストの《我々の後の母性》です。1927年、エルンスト36歳頃に描かれた作品です。エルンストにとって、芸術創作の初期から、鳥は重要な要素でした。この作品では、鳥と人間の遷移状態、すなわち、鳥人間(ロップロップLoplop)が幻想的な画面に描かれています。これも彼のシュールレアリスムの世界です。鳥人間が抱く子供の姿はある意味、聖母子に通じるのでしょうが、ファンタジックともグロテスクとも言えます。世界が病んでいるのか、画家自身が病んでいるのか、捉えがたい世界です。

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K20州立美術館の20世紀美術コレクションでエルンストも重要な存在です。何故ならば、彼もナチスに退廃芸術の烙印を押され、辛酸を味わったからです。退廃芸術のすべからくがこの美術館ではレゾン・デートルの位置を占めます。過去の清算なしには未来がないからです。また、クレーの1点が登場しましたが、いよいよ、クレーの傑作群が最後の輝きを放ちます。ご期待作品ですが、



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デュッセルドルフK20州立美術舘:クレーの晩年の超傑作群に心を打たれます!

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/12回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。

この美術館の主役であるパウル・クレーの最後の登場です。クレーの傑作をとことん楽しませてもらいましょう。


パウル・クレーの《オンファロ・セントリック・レクチャー(オンファロ中心主義の講義)omphalo-centrischer Vortrag》です。1939年、クレー60歳頃に描かれた作品です。オンファロスOmphalosとは、臍のことです。アダムとイヴに臍があったかどうかが元々の議論でした。臍があれば、へその緒があったということになり、彼らは母の胎内から産まれたことになり、神の創造ではなかったことになります。臍がなければ、彼らは完璧な姿で作られなかったことになります。究極の矛盾です。神学上、哲学上の大問題です。たかが臍のことなんですけどね。そこへ、イギリスの自然学者フィリップ・ヘンリー・ゴスが創造論の大胆な仮説を提唱しました。アダムとイヴは臍を付けた姿で神により創造されたというものです。これから演繹される推論は実に大胆。地球は樹木の年輪、オウムガイや亀の甲羅の年輪、陸地の川による浸食の跡、様々な地層などが最初から全て完全に存在する状態で、神によって意図的に「古びた感じで」創造されたと言うのです。(以上はwikipediaをもとにsaraiが編集) この作品はオンファロス、すなわち、へそが宇宙の中心であるという論を絵画化した壮大なスケールのものですが、意外に優しい感じの女性が描かれて、ほんわかムードの絵になっています。イメージ的には、天使シリーズの延長戦上にある絵画でしょう。画面の下部には問題の臍が黒い丸で描かれて、存在感を誇示しています。この作品をもとにした同名の音楽作品もあるようですね。いずれにせよ、クレー晩年の大作(物理的な大きさではなく、内容の深遠さ)です。

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パウル・クレーの《英雄的な薔薇heroische Rosen》です。1938年、クレー59歳頃に描かれた作品です。クレー晩年において、爆発的に想像力が高まった時期に生まれた作品です。太い線で描かれた螺旋は迷路を思わせます。その太い線で描かれた中心には薔薇と思しきフォルムが浮かび上がります。太い線はエネルギー感に満ちた意思の力を象徴し、その英雄的な意思の帰結として、美しい薔薇が出現します。抽象的な芸術観念が自然の美しい薔薇にアウフヘーベンされるという、実に素晴らしい思索の傑作がこの作品です。クレーの芸術の到達点の高さを実感するのみです。

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パウル・クレーの《森の奥深くtief im Wald》です。1939年、クレー60歳頃に描かれた作品です。クレーにとって、自然は初期のバウハウス時代からの重要なテーマでした。特に題名からの関連では1922年に描かれた《北の森の神Gott des nördlichen Waldes》があげられます。その作品では、ニュアンスの複雑なネットワーク構造が描かれました。そして、晩年のこの作品では、すっかり、シンプルに自然が描かれることになります。画面は森を現す緑が同じ濃淡で描かれて、ただ、明るさの度合いだけが部分で異なります。植物がシンプルなフォルムで描かれますが、中心は左上の緑の花。柔らかく丸みを帯びたフォルムがリズミカルに画面を構成しています。これがクレーの行き着いた自然の姿ですが、もちろん、クレーの心象風景が投影された姿でもあります。

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パウル・クレーの《赤いチョッキrote Weste》です。1938年、クレー59歳頃に描かれた作品です。わずかな色彩と饒舌すぎるほどの線によって、この類い稀な作品は構成されています。画面中央の上部に赤いチョッキの男が画面全体を俯瞰しています。どこが赤いチョッキなのかと疑問を呈する方もいるでしょう。その疑問は当然なのです。クレーはあくまでも画家の心の中にある赤いチョッキの男のイメージを画面に描き出していて、見るものはそのクレーの心の中にあるものと対峙して、これはなぜ赤いのかということで、クレーの作品と対話していきます。結果、赤いチョッキが見えてきた方もそうでない方もいるでしょう。問題はその過程で、画面のほかの部分に錨や鳥や馬のフォルムが浮かび出して、この作品の深淵に迫ることです。実にリッチな世界がこの作品に描き込まれていることに気付かされることになります。クレーはこの時代、亡くなる前の2年、芸術家として、神の領域に上り詰めたようです。

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パウル・クレーの《調停Vermittlung》です。1935年、クレー56歳頃に描かれた作品です。さすがのクレーも1933年の亡命後の数年は創作した作品数も激減して、芸術上の危機に陥ります。この作品はシュールレアリスムの技法で内面を写した作品と考えられますが、明らかに芸術上の枯渇も感じさせられます。
この作品はジュートの上にチョークベースの下塗りをして、その上に水彩を施しています。そのフレームはクレーとしては異例に大きなもので、120,5 x 111 cm というサイズになっています。
淡い茶色の地面に絡み合った線の3つの構造が描かれています。3つの生物形態は重なり合って相互浸透し、最終的には単一の抽象的な形を生み出しています。クレーの心の苦悩によって、絵画自体が押しつぶされそうです。経済的打撃、発症した難病のクレーの苦難を思うと見ているsaraiも天の不条理に心が痛みます。

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遂に、パウル・クレーの最後の展示作品になりました。《レディとファッションDame und Mode》です。1938年、クレー59歳頃に描かれた作品です。最後を飾るにふさわしい超傑作です。この一枚は今回、この美術館で見た全作品の中で一番心を捉えられた作品です。クレーの晩年の飛躍、イメージの再構成とシンプル化がこれほど如実に現れた作品はありません。太い2本の線で描き出された2体の女性は短い線で補足され、そして、画面全体は黄土色のジュートのベースを輝かせて、香りのよい黄色、オレンジ、そして薄茶色の色合いで繊細な色彩が調和されます。右側の女性は鼻と目で顔が特徴づけられ、左の女性はsaraiの目では翼を持つ天使に見えます。シンプルな造形と明るい色彩のこの作品は強く心に何かを働きかけてきます。この絵に引き付けられて、何度も絵の前を立ち去ろうとしながら、また、この絵の前に戻るという行為を繰り返しました。すっかり、この絵に魅了されて、そして、最後は後ろ髪を引かれるようにゆっくりと絵から離れます。クレーの芸術上の頂点に立つ作品の一枚です。

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最後のクレーの展示スペースにあった、晩年を代表する作品のあまりの芸術性に深く心を打たれました。このK20美術館を見ずして、クレーは語れません。来てよかった! そういう思いでいっぱいになりました。

マックス・エルンストやダリの作品が最後に少し、残っています。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:エルンスト、ダリ、デュビュッフェ、ジャコメッティ、フォンタナ、そして、最後はピカソ

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/13回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画を鑑賞中です。

この美術館の主役であるパウル・クレーの晩年を代表する作品たっぷりと堪能させてもらいました。では、最後の20世紀美術を楽しませてもらいましょう。


マックス・エルンストの《穀物の芽のある風景》です。1936年、エルンスト45歳頃に描かれた作品です。これは風景画として描かれていますが、もちろん、具象的な風景ではなく、シュールレアリスムの風景が描かれています。風景は目の前に広がっており、同時に極端なクローズアップビューでの風景になっています。澄んだ空の前で、そのシルエットはなだらかな斜面とそびえ立つ峰で広がっています。それらの地球の形成物、渦巻く層は、解剖用ナイフによってまるで露出されたかのごとく描き出されています。対角線上に置かれているのは、1920年代初頭からマックス・エルンストが絵に描いてきたバッタのような生き物の1つです。昆虫の四肢の1つから、人間の手が成長します。動物から人間へ、人間から植物へ、植物から動物へのこの流れの変化は、画面の至る所で観察することができます。画面の最下層はすべての発芽の繁殖地であるようです。この風景画では、なじみのない、予期せぬ存在、植物やフォルムが変容することでエルンストの内面に形成されている形而上の風景を画面上に露わにしています。

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サルバドール・ダリの《擬人化された引き出しのあるチェスト》です。1936年、ダリ32歳頃に描かれた作品です。女性の胸は引き出しの開かれたタンスになっていて、彼女自身の内面をさらけだそうとでもしているようです。一方、この作品はまるで過去の時代の大画家の額縁に収められている絵画のような体裁を為しており、実際に描かれた画面とのギャップが際立っています。この作品は次に展示されている彫刻作品と対をなしています。

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サルバドール・ダリの《引き出しのあるミロのヴィーナス》です。1936年、ダリ32歳頃に制作された作品です。無論、ルーヴル美術館にあるギリシャ彫刻《ミロのヴィーナス》を元にした作品です。胸や腹部にある引き出しは開けられそうになっており、ミロのヴィーナスの内面の秘密が暴露されようとでもしているかのごとくです。シュールな作品ですが、よく考えてみると、ダリのロマンティシズムも吐露していますね。

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ジャン・デュビュッフェの《ジャズバンド・ブラック・シカゴ》です。1944年、デュビュッフェ43歳頃に描かれた作品です。デュビュッフェはある意味、異端の芸術家です。ルネッサンス以降の美しい芸術(Beaux-Arts)に対して反文化的ともいえる、精神の深淵の衝動が生のままでむき出しに表出されているアール・ブリュット(生の芸術)を提唱しました。その芸術はアンフォルメル(非定形の意味。1950年代に盛んになった前衛美術運動)を基礎としています。
この作品は、まるで子供がジャズバンドのメンバーの姿を幼稚に描き出したかのように描かれています。美のイメージを表出しようとする従来の美術の歴史から逸脱しようとした作品です。人が根源的にモノを描きたいという衝動こそが絵画の原点であると訴えているようです。

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ジャン・デュビュッフェの《晴れた日曜日》です。1947年、デュビュッフェ46歳頃に描かれた作品です。1947年の冬以来、デュビュッフェはサハラ砂漠のオアシスを頻繁に訪れました。彼の外国文化の集中的な研究の期間は2年以上かかりました。サハラ砂漠の風景は彼に空間の新しい感覚を与えました。その結果、この作品では、感覚的な経験による素朴で子供のような要素が、原始的で、非常識な、または芸術のない壁の落書きの表現と組み合わされています。このようにして、デュビュッフェは彼の芸術に、オリジナルの、洗練されていない、そして自発的の広い要素を取り入れました。これらの要素は彼の手の下で日曜日の詩的な魅惑的な描写に変容します。

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アルベルト・ジャコメッティの《立つ裸婦》です。1958年、ジャコメッティ57歳頃に描かれた作品です。ジャコメッティはシュールレアリスムの作家として出発しましたが、第2次世界大戦後は針金のような細い人体彫刻の作品を多く制作します。サルトルはこれを実存的芸術と評しました。この作品でも、ブラシのストロークの下に厳格な軸で正面を向く50代後半の女性の肖像画は実存主義的と評されるものの系列に含まれるものでしょう。女性の凝縮した姿が実存の強い意志を示しているかのごとく、印象的です。

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ジャン・デュビュッフェの《ルネ・ドルーアン:開いた手》です。1946年、デュビュッフェ67歳頃に描かれた作品です。ルネ・ドルーアンRené Drouinは、絵を売りたくないというデュビュッフェを説得して、初めて彼の画廊で1944年10月20日から約1か月「ジャン・デュビュッフェの絵画とデッサン」展を開催した画廊経営者です。その結果、数日で展示された全作品が完売しました。この作品はその2年後にルネ・ドルーアンをモデルに描かれた作品です。デュビュッフェを受け入れてくれたドルーアンの受容的な姿を描いたのでしょうか。

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ジャン・デュビュッフェの《鉄の風景》です。1952年、デュビュッフェ73歳頃に描かれた作品です。風景は常にデュビュッフェを魅了してきました。大きなパネルの上に厚塗りのこげ茶色の大地は高く盛り上がっていて、白っぽい天国の色調に保たれたもっと小さいゾーンと織り交ぜられています。もちろん、この風景はデュビュッフェの内面に存在する架空の風景です。これも創造への精神的な衝動によって作られた、従来型の美を拒否する作品と言えるでしょう。

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ルーチョ・フォンタナの《空間概念 期待》です。1965年、フォンタナ66歳頃に描かれた作品です。イタリアを代表する前衛芸術家、ルチオ・フォンタナの作品です。実は一色に塗られたキャンバスに切れ目を開けた作品は1000点近く制作され、いずれも《空間概念 期待》という同じ題名が付けられています。作品は従来の絵画の限界を突き破り、画面の世界に切れ目を開けることで、閉鎖された絵画平面から、切れ目を通じて、宇宙空間につながることを《期待》するという画家のコンセプトに基づいています。切れ目こそが画家の《期待》なのです。鑑賞する者も切れ目から無限の宇宙への飛躍を念じましょう。

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この美術館の常設展示の最後はパブロ・ピカソの《座る裸婦》です。1933年、ピカソ52歳頃に描かれた作品です。シュルレアリスムの時代に描かれた作品です。キュビズムの面影も残しています。モデルは当時の愛人のマリー・テレーズ・ワルテルでしょうか。まるで妊娠しているように丸みを帯びていますが、マリー・テレーズ・ワルテルが妊娠するのは2年後の1935年です。むしろ、聖母子像と捉えたほうがいいのでしょうか。

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これで遂にK20州立美術館の常設展示を見終わりました。結局、1時間ほどで鑑賞できました。久しぶりに充実した素晴らしい美術館です。クレーの膨大なコレクションを始め、ベックマン、キルヒナー、マルク、カンディンスキーなどの、ナチスご指定の退廃芸術作品もずらっと並んでいます。これは敗戦後のドイツ人の良心の証しとして、再収集された作品だそうです。ドイツは戦後、色んな意味でみそぎをしてきました。同じ敗戦国として、ドイツを見習うべきことが多いと思っていますが、必ずしも日本がそういう方向に向かっているように思えないのはとても残念だと常々、感じています。
ともあれ、この美術館にはsaraiと配偶者には、とても美味しい作品ばかりが並んでいます。これほど質の高い作品を所蔵する美術館を見たのはアムステルダムの市立美術館以来です。大変、感銘を受ける作品ばかりでした。
さて、美術館の1階ロビーに下りましょう。そこでも何か特別展をやっているようです。



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デュッセルドルフK20州立美術舘:ダグラス・ゴードンの特別展 そして、デュッセルドルフを出発

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ/14回目

デュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenで20世紀の名画をたっぷりと堪能しました。

常設展を見終えて、美術館の1階ロビーに下りてきました。そこでも何か特別展をやっているようです。入館するときから、美しい音楽が流れていたので気になっていました。
大きな展示室を使った特別展です。映像作家ダグラス・ゴードンDouglas GordonによるK.364という作品です。

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K.364というと、モーツァルトの作曲した《ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364》ですね。パリへの旅からザルツブルクに戻った23歳のモーツァルトが書いた傑作です。その音楽が静かに流れる展示室の壁に映像が流れています。ポーランド系のイスラエル人ヴァイオリニスト2人(アヴリ・レヴィタンAvri Levitanとロイ・シロアRoi Shiloah)がベルリンからポーランドへ電車で旅行しています。 その旅の様子が展示室の複数のスクリーンに映し出されます。この映像では、二人の旅を通して、悲劇的で暴力的な歴史がほとんど解決されていない国の荒涼とした風景が映し出されます。ナチスの戦争犯罪の場となったユダヤ人収容所の跡です。映像作家ゴードンはミュージシャンたちをこの個人的な旅で撮影し、彼らの熱い音楽への愛が過去の不幸な歴史と重なり合います。彼らの家族は1939年にナチスの手から逃げたユダヤ人家系のポーランド人でした。その家族から聞いたホロコーストの物語の思い出を呼び戻します。 彼らの乗った列車は絶滅収容所に彼らの親戚を輸送するのに使用されたのと同じ線路を走っているので、過去と現在は重なっています。モーツァルトの協奏交響曲を演奏しているのは、彼ら二人のヴァイオリニストのソロとポーランド放送室内管弦楽団です。

退廃芸術のコレクションが中心になっているK20州立美術館にぴったりの特別展でした。重いテーマの芸術作品の殿堂です。

美術館を出ると、近くに美術書が豊富に揃えてある書店があります。このあたりはアート街なんですね。

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書店の前で振り返ると、K20州立美術館の建物が通りの先に見えています。

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このノイ通りNeustraßeを地下鉄の駅に向かいます。デュッセルドルフ中央駅Düsseldorf Hbfで電車に乗る時間はほぼ1時間後に迫っています。

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旧市街の繁華街、ボルカー通りBolkerstraßeにやってきます。もう、お馴染みになった居酒屋さんがあります。

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さっと地下に下りて、Uバーンの駅、ハインリッヒ・ハイネ・アレー駅Heinrich-Heine-Alleeへ。チケット販売機がありますが、ホテルで昨日いただいた無料乗り放題券があるので、そのまま、駅のホームに向かいます。

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Uバーンで中央駅に出て、そこから、ホテルに戻ります。ホテルの周りは昼の喧騒に包まれています。

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ホテルで預けていた荷物を受け取り、デュッセルドルフ中央駅Düsseldorf Hbfへ。おや、ここにもスターバックスがありますね。

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ちょうど12時頃ですが、駅の通路は混み合っています。

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ホームへ向かう前にまずは昼食用のコーヒーとサンドイッチをさっきのスターバックスで調達。

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ホームへは発車15分前に到着。余裕ですね。

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この駅は新しいエスカレータが完備しているので、助かります。大きなスーツケースも何のその。楽して、ホームへ上がれます。

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既に大きなスーツケースを持った多くの乗客がホームで電車の到着を待っています。

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これから乗るのはミュンヘンMünchen行のICEです。

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このICEへの乗車は、実は昨日の飛行機からのトランジットです。一般的には、トランジットは飛行機から飛行機ですが、ANAとJALではドイツ到着後、ドイツ国鉄DBの電車にトランジットができます。ドイツ国内は全部無料で行くことができます。あまり知られていないのか、成田のチェックインカウンターで、デュッセルドルフでトランジットになってるけど、荷物はデュッセルドルフでの受け取りになってていいのと訊かれました。もちろんそれでOKと返事をしましたが、電車へのトランジットは空港のスタッフも知らないことなのね。電車で移動できる範囲にオーストリアの国境の街ザルツブルクSalzburgまで含まれるので、今日の移動は本来ならタダです。が、あまりにも時間がかかりすぎて、ザルツブルクでの友人との待ち合わせにも間に合わないので、ミュンヘンからはオーストリア国鉄のレールジェットのチケットを別途購入してあります。また、ANAのエコノミークラスは、ドイツ国鉄のセカンドクラスにしか乗れないので、念の為に座席指定券だけは購入しています。座れなかったら大変ですからね。座席指定券は二人で9ユーロ。電車へのトランジットは利用価値はありますが、いろいろ制限もあるのです。
で、これがDBへのトランジットのチケット。

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これが追加で購入した座席指定券。

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さて、ミュンヘン行のICEの車両編成表をチェックして、指定席の車両の位置に移動しましょう。

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ちょっとICEは遅れ気味ですが、コーヒーとサンドイッチを持って、ホームでスタンバイ。あと5分くらいでICEは到着です。

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やがて、スタイリッシュなICEが入線。そんなに定刻から遅れていません。

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車両編成を確認して待つ位置を決めたのに、入線してきた電車は、予想とは全く違う位置に停車。

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焦って、4両分ほど移動します。重い荷物を持ち上げて、乗り込むと同時にドアが閉まり、発車します。私たちの乗車を待っていたのではと思うほどです。ともかく、無事に乗れてよかったです。予約してあるので、席は大丈夫ですが、荷物がね・・・あいにく荷物置き場は下段にはスーツケース1個分しか空いていません。saraiが頑張って、スーツケース1個を荷物置き場の上段に持ち上げます。後から乗ってくるドイツ人は、何の迷いもなく、網棚の上に持ち上げて乗せています。これは、絶対に日本人には無理です。
ここからミュンヘンまで5時間、ミュンヘンで乗り換えてザルツブルクまで2時間、計7時間の長旅です。のんびり行きましょう。



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ザルツブルクへの鉄道旅、スタート

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ~ザルツブルク/15回目

デュッセルドルフDüsseldorfから、ミュンヘンMünchenを経由してのザルツブルクSalzburgへの7時間ほどの鉄道による長旅が始まりました。
まずはトランジットの無料チケットでミュンヘンまで、ICEのセカンドクラスで5時間の移動です。ドイツの大平原の景色を車窓から楽しみましょう。

デュッセルドルフ中央駅Düsseldorf Hbfを出るとすぐに車掌さんが検札にまわってきます。ドイツ国鉄DBは厳格ですからね。

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トランジットの無料チケットを差し出すと、何の問題もなく、検札はパス。ANAやJALはともかく、ルフトハンザ航空も同様のチケットがあるので、車掌さんも慣れているんでしょう。

落ち着いたところで、駅の構内でゲットしたスターバックスのコーヒーをいただきながら、ランチです。飲み慣れたスタバのコーヒーの味です。

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郊外の町を通り過ぎていきます。

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やがて、ケルン中央駅Köln Hauptbahnhofです。駅前には、ケルン大聖堂Kölner Domがあります。写真に収めるためにカメラの準備をします。ライン川Rheinを渡ったら、すぐに大聖堂が見えてくるはずです。あれっ、ライン川を渡りません。停車した駅はケルン・メッセ駅Köln Messe/Deutzです。結局、ライン川を渡らずにそのままケルンを通過します。肝心のケルン大聖堂は見えず! 残念です。このルートではケルン中央駅には停まらないんですね。
やがて、右手にライン川が見えてきます。もう、ケルンはずっと後方ですから、大聖堂は見えっこありません。

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ライン川の河畔には樹木が生い茂っています。

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少しだけ、ライン川沿いに走ります。

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すぐにライン川を離れて、平原を走り出します。

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車内に目を遣ると、荷物置き場の上段にsaraiのスーツケースが見えています。かなり、高いところに持ち上げたと自画自賛。

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ICEは小高い山に差し掛かります。なだらかな丘陵が遠くまで続いています。ドイツではあまり見かけない風景です。

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やがて、小さな川が流れる渓谷を渡ります。並行して走っている高速道路はアウトバーン 3 Bundesautobahn 3のようです。オランダからドイツ国内を通って、オーストリアまでを貫く国際道路の一部です。ドイツで第2の長さをほこるアウトバーンです。

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この渓谷を渡り終えると、また、大平原の中を走ります。

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空は雲で覆われています。雨は降っていませんが、あまり天気はよくないですね。

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フランクフルトFrankfurtが近づいてくると、青空が顔を見せます。横を走るのはアウトバーン 3です。大動脈らしく、トラックが行き交っています。周りには森が広がっています。

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ほぼ定刻にフランクフルト空港駅Frankfurt(M) Flughafen Fernbfに到着。

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このフランクフルト空港駅では、さすがに多くの人が乗り込んできて大騒ぎ。ようやく整理がついて、フランクフルト中央駅Frankfurt Hauptbahnhofに向かいます。私たちの席と通路を挟んだ四人掛けの席は、フランクフルトからミュンヘン間の予約が二人分入っています。いったん他の席に落ち着いたカップルが、そこに移動してきます。相席覚悟で4人掛けを選んだようです。仲良くおしゃべりを楽しんでいます。この後、大トラブルになることは彼らもこの時点では知る由もありません。

ICEはマイン川Mainの鉄橋に差し掛かります。

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鉄橋を渡っていくと、フランクフルトの高層ビル群が見えてきます。世に言うマインハッタンの景色です。

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マイン川を渡り終えると、ゆっくりとフランクフルト中央駅の構内に侵入していきます。

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立体交差を抜けて、中央駅の構内に下りていきます。

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フランクフルト中央駅に到着です。ホームの向かいには2階建てのSバーンの電車が停車しています。

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ここでしばらく停車します。ほかのホームには電車がいなくなります。

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フランクフルト中央駅に到着後、それなりに降りる人と乗る人でまた大騒ぎ。ようやく騒動も終了し、そろそろ出発かと思ったとき、通路を挟んだ席にフランクフルト空港駅で移動してきたカップルの女性が、これはシュトゥットガルトには行かないわと慌てだします。相棒の男性は慌ててサポートしだします。あれ、彼らはカップルではなく、旅友なだけなの? 大きな荷物を降ろして、女性に渡し、自分の荷物もまとめます。相席の男性が車両のドアを開けようとしますが、時は既に遅し。無情にもICEは出発してしまいます。もう、何んともしがたいですね。一体、彼らはどうするんでしょう。このまま、ヴュルツブルクまで乗っていって、そこからシュトゥットガルト行きの電車に乗るのかな。対岸の火事を見る感じです。旅にはこういうトラブルが付きものです。



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フランクフルト中央駅でトラブルに合った若いカップルの行方は・・・

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ~ザルツブルク/16回目

デュッセルドルフDüsseldorfから、ミュンヘンMünchenを経由してのザルツブルクSalzburgへの7時間ほどの鉄道による長旅の真っ最中です。

通路を挟んだ席のカップルのシュトゥットガルトに向かうべき女性がフランクフルト中央駅Frankfurt Hauptbahnhofで降り損ねて、そのまま、無情にもICEは走り出しました。

フランクフルト中央駅はターミナル形式の駅ですから、ICEは折り返す形で方向が逆転して走ります。再び、マイン川Mainの鉄橋を渡り始めます。

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通称、マインハッタンと呼ばれる、フランクフルトの高層ビル群に別れを告げます。

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さて、フランクフルトで降り損ねた女性は車掌に相談に行ったようですが、その後、スマホで情報を盛んにチェックした挙句、次の駅、アシャッフェンブルク中央駅Aschaffenburg Hbfで(30分後)下りて、フランクフルトに引き返すことになったようです。女性は電話を掛けたりして、事後処理。カップルの片割れのように見えた男性はじっと考え込みます。結局、アシャッフェンブルク中央駅では、女性と一緒に降りていきます。さて、これから、どうなるのでしょうね、あの俄かカップルのような二人。トラブルはロマンスに発展するかも。

ところで、この列車には食堂車がついています。セカンドクラスなので食べに行くには不安があるので、自重します。が、なんと、注文を取りに来ます。持ってきてくれるようです。ファーストクラスには配達してくれるのですが、以前はセカンドクラスはダメだったのですけどね。サービスが良くなったのかしら。売り上げが落ちたのかしら。

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その後、ヴュルツブルクWürzburgに向けて、マイン川の広大な流域の中を走っていきます。

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やがて、丘の斜面に作られたワイン畑の横を走り抜けていきます。このあたりはsaraiの大好物の白ワイン、フランケンワインの産地です。ここで降りてワイン農家からフランケンワインをゲットしたいくらいです。

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広大なワイン畑が続きます。saraiの目には毒です。

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ヴュルツブルク中央駅Würzburg Hbfに近づいていくと、マイン川越しの小高い丘の上にマリエンベルク要塞Festung Marienbergが見えてきます。生憎、反対側の右手の車窓にしか見えません。

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しかも、マリエンブルク要塞はどんどん見えなくなっていきます。

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それでも我々の左手の車窓にもワイン畑の丘が見えています。

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で、定刻にヴュルツブルク中央駅Würzburg Hbfに到着。

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ここからは前にも乗った路線で、ニュルンベルクなどの懐かしい駅に停まりながら、ミュンヘンに向います。ミュンヘンまで、あと2時間です。



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ザルツブルクに到着し、音楽祭を祝して豪華ディナー

2018年8月14日火曜日@デュッセルドルフ~ザルツブルク/17回目

デュッセルドルフDüsseldorfから、ミュンヘンMünchenを経由してのザルツブルクSalzburgへの7時間ほどの鉄道による長旅の真っ最中です。

フランクフルトFrankfurtを経由して、ヴュルツブルク中央駅Würzburg Hbfに到着。
そして、順調にヴュルツブルク中央駅を出発し、早くも市街地を抜け出します。

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やがて、マイン川Mainを左に見て、走ります。

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風力発電ユニットの立ち並ぶ平原の中をニュルンベルクNürnbergを目指して走っていきます。

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やがて、ニュルンベルクの街に入り、Sバーンの電車が並ぶ車両基地の横を過ぎていきます。

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ニュルンベルク中央駅Nürnberg Hbfに向けて、ニュルンベルクの街の中をゆっくりと進んでいきます。

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左手にドイツ鉄道ミュージアム(DBミュージアム)DB Museumが見えてきます。クラシックな車両も見えています。この博物館はドイツで最古の歴史を持つ鉄道博物館です。歴史を遡ると、前身である1899年創立のバイエルン王立鉄道博物館まで辿れます。博物館の目玉はバイエルン王のルートヴィヒ2世のために製造されたお召列車でしょう。

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ドイツ鉄道ミュージアムを過ぎて、ニュルンベルク中央駅の構内に入っていきます。

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ニュルンベルク中央駅に定刻の到着です。

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ここでしばらく停車。少し遅れての出発になります。このニュルンベルク中央駅は計21番線がプラットホームに面している、ヨーロッパでは最大の通過式配線の駅です。ミュンヘンから北に向かう長距離電車はこのニュルンベルク中央駅で振り分けられて、それぞれの目的地に向かいます。通過式配線の駅ですが、ターミナル駅のような機能も併せ持っています。saraiの乗ったICEはミュンヘン - ニュルンベルク - フランクフルト(マイン) - ケルン - デュッセルドルフ - ドルトムントを走るICE25号線(ICE Linie 25)で、ニュルンベルクからミュンヘンへは、ニュルンベルク-インゴルシュタット-ミュンヘン高速線 Schnellfahrstrecke Nürnberg–Ingolstadt–Münchenを走ります。その後、翌年の今年は何故か従来線の西側のルートを走っています。ニュルンベルク中央駅は東西に出入り口の線路がありますが、ヴュルツブルクからの電車は西側から侵入します。ミュンヘン行の高速列車は東側から出ていきます。が、現在は西側のルートを使っているので、西側から出ていきます。そういうわけで、ニュルンベルク中央駅はターミナル形式に駅でもないのに、ヴュルツブルクから来たICEはミュンヘンに向かう場合、現在はこのニュルンベルク中央駅で折り返して、これまでと逆方向に走り出します。saraiが乗ったときは普通に西から駅に侵入し、東に通り抜けていきました。

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ニュルンベルクの街をゆっくりと抜けていきます。

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そして、ミュンヘン中央駅München Hbfに無事到着。ここまで約5時間。ICEは10分遅れでミュンヘンに到着しましたが、勝手知ったるミュンヘン中央駅ですから、さっとザルツブルクSalzburgに向かうレールジェットに乗り換えるために移動。既に、ザルツブルクへのレールジェットは入線しています。急いで乗り込みます。

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このレールジェットは贅沢にファーストクラスに乗りますが、もちろん、ネットで購入した格安チケット。二人で約60ユーロです。

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この後は、遅れずにザルツブルクに着くことを期待しながら、車窓を楽しみましょう。何度も通った線路です。いろいろ思い出しながら、通過していきます。食堂車から注文を取りに来ます。ファーストクラスだから普通なのですが、より積極的なサービスになったような気もします。ザルツブルク到着後、ディナーをいただくので、ここでは何も食べません。
ミュンヘンを出て、1時間ほど走ると、美しい緑の風景に包まれます。

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さて、ファーストクラスはWIFI経由のインターネットネット接続がフリーです。ザルツブルク音楽祭のチケットのチェックをします。この旅をその気にさせた肝心のチケットが取れないのです。もう、このチケットは諦めていますが、その日の代わりの公演を何か見つけなくてはいけません。次に狙っているのはR.シュトラウスの楽劇《サロメ》なのですが、これが今年の一番人気らしく、買えそうにありません。もう時間的に限界でしょう。ようやく諦めがついて、さらに次に聴きたい公演をチェックすると、2枚のチケットが売りに出ています。ここで決心しないと、このチケットもなくなるでしょう。えい、これを買うぞ! なんとも便利ですね。ザルツブルクへの電車の中で、チケット購入です。このチケットをザルツブルク音楽祭のチケットセンターでうまく受け取れれば万事OKです。

レールジェットは夕暮れの緑の平原の中をザルツブルクに向かっていきます。もうすぐザルツブルクです。

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一仕事するうちに、ザルツブルクに到着です。合計7時間の長い鉄道の旅でした。

明日からはザルツブルク音楽祭を楽しみます。ザルツブルク到着後、明日、一緒に音楽祭の公演を聴く大学時代の友人夫婦と合流します。彼らは駅前のホテルで待っていてくれました。合流した友人夫妻と我々のホテルにタクシーで直行です。昨年も泊まったホテル、スター イン ホテル ザルツブルク ツェントルム バイ コンフォートStar Inn Hotel Salzburg Zentrum, by Comfortにチェックインすると、最後まで取れていなかったザルツブルク音楽祭の超人気の公演のチケット(クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナ)が収められている封筒を手渡されます。saraiはこれでますます上機嫌です。

四人でディナーに向います。メンヒスベルクMönchsbergの岩山の抜け道のトンネルを案内しながら、既に日本で予約しておいたレストランへ。シュティフツケラー・ザンクト・ペーターSt. Peter Stiftskulinariumです。このレストランはさすがに有名店。お店はごった返しています。予約しておいて、本当に良かったです。旧交を温めつつ、美味しい食事とワインを共にします。彼らがちょうどヨーロッパへ同じ時期に来ることを聞いたので、音楽祭をご一緒するのを誘ったところ、saraiの提案に乗ってくれたんです。ここまでの旅を話題に、美味しくディナーをいただきます。このレストランでは珍しく若いお嬢さんが料理を運んでくれます。アルバイトかな? 一方、観光客に慣れたおじさんスタッフが楽しくサービスしてくれます。写真も撮ってくれます。大満足の食事です。メインはウィーナー・シュニッツェル。

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さらにターフェルシュピッツ。定番のオーストリア料理です。

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もちろん、しめのデザートはザルツブルガー・ノッケルンです。

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食事後は、明日の待ち合わせ場所を確認するためブラブラと祝祭大劇場Großes Festspielhausまで歩き、明日の音楽祭への気持ちを高めあいつつ、そこで別れます。

saraiは明日は午前、午後、夜と3つの公演を聴くという強行軍です。巨匠ムーティ指揮のウィーン・フィル演奏会、名匠クリスティーによるバロックオペラ《ポッペアの戴冠》、そして、今回の超目玉、今をときめくクルレンツィス指揮ムジカ・エテルナのベートーヴェンの交響曲第9番という豪華ラインアップです。

さあ、急いでお風呂に入り、明日の3連荘の公演(コンサート、オペラ、コンサート)にそなえ、早く寝ましょう。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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