この美術展も4月6日で終了するというので、慌てて出かけました。夜はサントリーホールでインバル&東京都交響楽団のマーラー交響曲第9番があるので、その前に見ておきます。美術展の会場は六本木ヒルズですから、最寄りの地下鉄は六本木。サントリーホールは六本木一丁目ですから、美術展の後、歩いて移動できます。
ラファエル前派展は何度も日本で開催されているので、配偶者にまた行くのって呆れられましたが、ラファエル前派が好きなんだから仕方がありません。特にロセッティの絵は大好きです。六本木ヒルズの3階のチケット売り場でチケットをゲット。一人1500円は高いですね。

この3階からは専用の高速エレベーターに乗って、一気に52階の会場まで上がります。今日はこの52階の別の会場でアンディ・ウォーホル展も開催されています。滅茶滅茶混んでいるわけではありませんが平日の月曜日の夕方にしては人が集まっています。それなりにラファエル前派のファンも増えてきたようです。
ラファエル前派とは、1848年、英国ロイヤル・アカデミー(王立美術院)の付属美術学校で学んでいた19歳のジョン・エヴァレット・ミレイ、21歳のウィリアム・ホルマン・ハント、20歳のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの3人がアカデミズムに反旗を翻して、ラファエルよりも前の初期ルネサンス芸術に回帰しようとラファエル前派兄弟団:Pre-Raphaelite Brotherhoodを結成し、革新的な美術運動を始めたことにその起点があります。
今回の美術展では、ロンドンのテート美術館から72点もの作品、それもとびきりの傑作揃いが来日するので、ラファエル前派の全貌を余すところなく、鑑賞できるでしょう。
ラファエル前派と言ったら、やはり、ロセッティとミレイの二人が気になります。彼らの作品を中心に見ていきましょう。
主な展示作品をご紹介しましょう。
まず、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティです。彼はラファエル前派の創設メンバーの一人ですが、独自の作風に変貌していきます。その創作力の源となったのは2人のファム・ファタル(運命の女)です。最初のファム・ファタルはエリザベス・シダル、通称リジーです。病弱ではかなげな彼女にロセッティは魅入られ、彼女をモデルに次々と作品を描いていきます。ところでロセッティは女性しか描かない画家として知られています。彼の創造力の原点は女性への愛にありました。彼はリジーをダンテの神曲で天上に誘う存在ベアトリーチェと重ね合わせていました。結局、ロセッティの女性遍歴に悩んだリジーはアヘンチンキの多量服用で事故とも自殺とも分からぬ死を遂げます。ロセッティとリジーが結婚して2年後のことでした。リジーの死後、ロセッティは彼女の思い出に捧げる1枚の絵を描きます。それが《ベアータ・ベアトリクス》です。「至福のベアトリーチェ」という意味です。この不朽の傑作によって、リジーは永遠の命を持つことになります。何と言う素晴らしい絵でしょう。

リジーの死後、ロセッティは2番目のファム・ファタルと恋に落ちます。それは当時、ウィリアム・モリスの妻だったジェーン・モリス(結婚前はジェーン・バーデン)です。不倫と言えば、不倫ですが、この関係はそう単純でもなかったようです。モリスはロセッティへの崇拝の念から、この三角関係を受け入れ、別荘での2人の愛の暮らしを認めました。ジェーンはモリスの妻としての暮らしと別荘でのロセッティとの愛の暮らしという2重生活を送るようになります。そして、ジェーンをモデルにした不朽の傑作が生まれます。それが《プロセルピナ》です。プロセルピナはギリシャ・ローマ神話に登場する女神の娘で冥界の王プルートによって略奪されます。ローマのボルゲーゼ美術館にあるベルニーニの代表作「プロセルピナの略奪」はとても大理石彫刻とは思えない柔らかい肉感に満ちていたことを思い出します。ともあれ、冥界に略奪されたプロセルピナは柘榴の実を食べてしまったために1年の半分は冥界で過ごさなければならなくなってしまいました。ジェーンの2重生活とプロセルピナのそれが重なっています。それにしても、ロセッティの描いたジェーンの途轍もない美しさは素晴らしいですね。美を飛び越して、凄みとも思えます。実にデモーニッシュな絵画です。

今回の美術展では、《ベアータ・ベアトリクス》と《プロセルピナ》が2枚並んで、最後に展示してありました。長い間、2枚を見比べて、ため息をついていました。いずれも不朽の傑作です。どちらも美の極致と言えます。素晴らし過ぎて、眩暈がしてしまいます。今回の美術展は極論すれば、この2枚を見れば、それがすべてと思われます。天才画家が自分の身を削るようにして描き上げた芸術作品は圧倒的な魅力に満ちていました。
気を取り直して、ロセッティのほかの作品も見ておきましょう。今回、17作品も持ってこられたようです。
これは《受胎告知(見よ、われは主のはしためなり)》です。受胎を告げられるマリアのはかなげな様子がたまりません。モデルは妹のクリスティーナ。彼女は後に詩人になったそうです。画面全体が白が基調になっているのもよい雰囲気ですね。

これは《ダンテの愛》です。ウィリアム・モリスが自ら内装を手がけたレッド・ハウス(モリスとジェーンの屋敷)の長椅子の扉に描かれたパネル画で未完に終わりました。ダンテの神曲のベアトリーチェを主題に愛こそすべてと寓意的に描いた作品です。難解な作品ですが、何か心に残る作品です。

これは《最愛の人(花嫁)》です。ヴェールを持ち上げ、最愛の人を見つめる眼差しはまぶしいですね。聖書に題材をとった作品です。花嫁はもとより、付添人もみな美しいです。

次はジョン・エヴァレット・ミレイです。何と言っても《オフィーリア》が有名です。モデルはロセッティの妻になるリジーです。ミレイが23歳のときの作品。青年ミレイの不朽の名作です。ロンドンに留学していた夏目漱石が小説《草枕》のなかでこの作品に言及しているのは興味深いところです。最初はこの絵はあまり気に入らなかったようですが、だんだんとその魅力に気が付いていったというくだりがあります。

これは《安息の谷間》です。二人の修道女を描いた作品ですが、実に緻密に描かれています。写実的にも思えますが、見ようによってはシュールな絵画にも思えるような雰囲気を湛えた魅力ある作品です。

これは《両親の家のキリスト》です。キリストの父ヨセフの大工の仕事部屋で掌に傷を負ったキリストと労わるマリアが描かれている珍しい構図の作品です。この作品は文豪ディケンズに「醜悪で不快の極致」と酷評されます。そんな窮状を救ったのが批評家ジョン・ラスキンでした。ラスキンの擁護にも助けられ、この作品の2年後に発表したのが《オフィーリア》でした。しかし、ミレイにとってラスキンとの出会いはもっと運命的なものをもたらします。ラスキンの10歳年下の美しい妻エフィと恋に落ちたのです。離婚訴訟を経て、ミレイとエフィは幸せな結婚を果たします。しかし、結婚後、生活を支えるために売れる作品作りに励んだミレイはそれまでの緻密な表現を捨てます。芸術に命を捧げたロセッティと幸せな後半生を送ったミレイ、果たして、どちらが人生を全うしたと言えるのでしょう。ミレイの代表作は結婚前の作品がほとんどです。

これは《マリアナ》です。極めて緻密に描かれた傑作です。この腰を伸ばしている婦人の官能美はどうでしょう。着衣ゆえの官能美ってあるんですね。

次はロセッティ、ミレイ以外の作品も何点か見ていきましょう。
これはウィリアム・ホルマン・ハントの《クローディオとイザベラ》です。ハントはラファエル前派を立ち上げた創設メンバーの一人。この作品はシェークスピアの戯曲に基づくものです。領主代理から修道女になった妹が自分に純潔を捧げれば、死刑判決を受けた兄の命を助けると言われます。画面では妹が兄に運命を受け入れるように諭しています。人物の内面表現が見事です。

これはアーサー・ヒューズの《4月の恋》です。ヒューズはミレイに強く魅かれていた画家で、この作品もミレイを思わせる緻密な表現が見事です。女性の背後には影のように恋人が描かれていますが、美しい女性を中心に据えた表現は素晴らしいですね。女性の初々しい恋心が画面いっぱいに広がっています。

これはヘンリー・ウォリスの《チャタトーン》です。一目見てぎょっとする作品です。詩人チャタトーンの自殺の場面です。蝋のように青白い顔に視線が釘付けになります。実にリアルな表現に驚愕です。

これはエドワード・バーン=ジョーンズの《「愛」に導かれる巡礼》です。バーン=ジョーンズはロセッティに憧れていた画家でロセッティの手ほどきを受けます。親友のウィリアム・モリスも加わって、第2次ラファエル前派とも言うべきグループになります。やがて、バーン=ジョーンズはロセッティの影響から次第に離れ、独自の神秘的な作風に変わっていきます。4度にわたるイタリア旅行でボッティチェリやミケランジェロの影響を受けるようになります。彼の幻想的な作風は世紀末の象徴主義に大きな影響を与えることになります。
この作品はイギリスの詩人チョーサーのフランス寓意詩「薔薇物語」の翻訳に基づくものです。愛の神に目を弓で射られ、薔薇に恋をする詩人(巡礼)が愛の神に導かれて、茨から出て、薔薇のほうに向かう様を描いています。薔薇は痛みと喜びの両方をもたらす存在です。

今回の美術展は実に充実したものでした。ご紹介していない作品にも素晴らしいラファエル前派の作品が多数ありました。一見の価値があります。
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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術