2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/6回目
青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。
前前回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞しています。前回は1910年までの作品を見てきました。カンディンスキーが抽象絵画を確立していく過程がそこにありました。今回はそれ以降、抽象絵画を育てて大きな花を開かせ、2回の世界大戦の激動の嵐の中を生き抜き、パリ近郊で不遇の生涯を終えるまでの歴史を辿ります。とはいえ、このレンバッハハウス美術館のコレクションは青騎士時代が中心で、ミュンヘンを離れた後の作品は最近、収集したり、貸与されているものがほとんどです。
《印象 III(コンサート)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。カンディンスキーの代表作です。20世紀初頭の傑作絵画で、今見ても前衛芸術の輝きを放っています。印象シリーズの1枚ですから、実際に彼自身が見た光景を内面で再構成したイメージが絵画化されています。この光景というのが1911年1月2日のシェーンベルクのコンサートです。一体、どんなコンサートだったのか、気になりますね。調べてみると、《3つのピアノ曲》 Op.11(1909年作曲)と弦楽四重奏曲第2番 Op.10(1908年作曲)です。シェーンベルクが後期ロマン派の音楽から無調音楽に到達していく過程にあった頃です。弦楽四重奏曲第2番は第4楽章にソプラノ独唱が加わり、しかも無調で書かれたという大変な作品です。この曲が書かれた1908年というと、シェーンベルクの妻マティルデ(ツェムリンスキーの妹)が画家ゲルストルと不倫の末、駆け落ちしようとした年でシェーンベルクは私的にも音楽的にも大きな変動がありました。ともあれ、分野は異なりますが、前衛芸術の創造を目指していた2人の天才が初めて出会ったのがこのとき。シェーンベルクの新鮮な音楽に触発して生まれたのがこの傑作です。黒い塊がグランドピアノで黄色い塊が音楽とされていますが、それよりも画面全体の勢いに注目したい絵画です。ちなみにこの年、後期ロマン派の天才作曲家マーラーが亡くなります。時代の変化を感じますね。

《印象IV(地方警官)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これも印象シリーズ。この年、印象シリーズは6点制作されます。この作品はバイエルン王国の摂政宮ルーイトポルト90歳の誕生日を祝うミュンヘンでのたいまつ行列の様子をもとに描いたようです。

《印象Ⅵ(日曜日)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これが印象シリーズの6枚目。

《インプロヴィゼーション18(墓石)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。つい2年前のコッヘルの墓地の絵といかに変わったことでしょう。革命的との思える時代です。その進歩は留まるところをしりません。

《インプロヴィゼーション 19A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

《万霊節Ⅱ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。抽象化の道を突き進むカンディンスキーですが、こういう漫画チックとも思える人物が満載されている絵も描くのが面白いですね。これを見ても抽象化は目的ではなく、彼の美を求める感性のひとつの動きに過ぎなかったことが分かります。

《インプロヴィゼーション 19》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。青が主調の色彩と2群に分かれた人物の行進は画家の内的な心情の吐露なのでしょう。意味するのは戦争を前にした時代と青騎士設立という画家の周辺の動きなど、複雑な思いを絵に託したものでしょうか。

《聖ゲオルクⅢ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。ドラゴンを槍で退治する聖ゲオルク伝説を描いたものです。カンディンスキーはこの題材を好んでいたようです。

《インプロヴィゼーション 21A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

《モスクワの貴婦人》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。これはまた珍しい作品ですね。カンディンスキーがシャガールを模したか、またはシャガールがカンディンスキーを模したのかというような画風です。故郷をイメージすると、時代を遡ってしまうのでしょうか。

《インプロヴィゼーション 26(ボート漕ぎ)》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。題名を知って見ると、ああそうかとイメージできますが、オールの直線が画面に鋭い印象を与えています。

《コンポジション7のためのスケッチ2》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。大作コンポジション7はトレチャコフ美術館に所蔵されていますが、色と形が画面中に氾濫する傑作です。その作品に向けて、何枚ものスケッチを重ねました。コンポジションは内面のイメージを練り上げていくものですが、実際、その内面での熟成状況をこれらのスケッチで我々も知ることができます。

《コンポジション7のためのスケッチ3》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。前のスケッチ2に比べて、このスケッチ3ではイメージが明確になってきたことが分かります。コンポジション7へのイメージはほぼ熟成したようです。スケッチ1はもっと曖昧模糊としていたんでしょうね。スケッチ群とコンポジション7を並べた企画展をやれば、カンディンスキーの内的な動きが理解でき、その意図が完璧に理解できそうな気がします。ちなみに油彩の習作は10枚ほどあるそうです。水彩や素描の習作も合わせると30枚ほどになるそうです。コンポジションはやはり、内的な熟成のために膨大な時間をかけた作品群なのですね。そんなカンディンスキーの集大成とも言えるコンポジション・シリーズの作品数はさすがに10点ほどに留まるそうです。

《インプロヴィゼーション 大洪水》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。題名の大洪水というのは、ノアの方舟の大洪水のことです。絵を見ても判然とはしません。ちなみにコンポジション6は大洪水をテーマにした作品ですが(エルミタージュ美術館所蔵)、内的な熟成を重ねているので、具体的なイメージの湧く作品ではありません。同じ題材でインプロヴィゼーション、コンポジションの違いが実感できるものです。

《E.R.キャンベルのための壁画No.3の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。米国の企業家エドウィン.R.キャンベルの依頼で4枚のパネル画を制作しますが、これはその習作です。なお、No.4の習作は日本の宮城県美術館にあるそうですね。

《E.R.キャンベルのための壁画No.3の小さな習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

《E.R.キャンベルのための壁画No.2の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

《無題 インプロヴィゼーション I 》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。思うさま、大胆に描き切った作品です。

《インプロヴィゼーション 渓谷》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。カンディスキーがミュンターとヘレンタールの渓谷を訪れた際の記憶に基づいて描かれた作品です。やがて訪れる二人の別れを予感する憂愁が激しい色彩と形の下に塗り込まれています。

《モスクワ - ズボフスキー広場》です。1916年、カンディンスキー50歳頃の作品です。なぜか具象的なイメージの作品です。10年前に描かれていてもおかしくないほど。

《赤い染みⅡ》です。1921年、カンディンスキー55歳頃の作品です。モスクワ時代の作品。マレーヴィチなどの構成主義の画家と交流し、こういう幾何学的な画面構成の画風に転換していきます。

《黒い四角の中で》です。1924年、カンディンスキー58歳頃の作品です。この作品はニューヨークのグッゲンハイム美術館から永久貸与されているようです。オリジナル?である有名な1923年の作品とは異なるようですが、そっくりですね。1923年の作品はグッゲンハイム美術館で展示されています。ますます、幾何学的な表現が進んでいます。

《様々な部分》です。1940年、カンディンスキー74歳頃の作品です。1933年から亡くなる1944年までのパリ時代の作品。老いても前衛を走り続けるカンディンスキーの気概が感じられます。クレーの作品にも通じる音楽的な表現が印象的です。第2次世界大戦中の時代の暗さを感じさせない画家の透徹した内面が画面を支配して、見るものの心を慰めてくれますね。

60点ほどのカンディンスキーの大コレクションを鑑賞できました。実は5年ほど前に三菱一号館での「カンディンスキーと青騎士」展で休館中だったレンバッハハウス美術館から出展された作品を見てはいました。この日鑑賞した作品の半分ほどは既にそこで目にしたものでした。しかし、さらに残りの作品も見ることができて、とても満足です。カンディンスキーの志した芸術とは何なのか。抽象絵画はどう生み出されたのか。少し分かったような気がしました。
まだまだ、レンバッハハウス美術館の膨大な青騎士コレクションの鑑賞は続きます。いましばらく、saraiにお付き合いくださいね。
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テーマ : ヨーロッパ
ジャンル : 海外情報