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束の間のミュンヘン:ウィーンを飛び立ち、トランジットのミュンヘンへ

2014年6月17日火曜日@ウィーン~ミュンヘン/1回目

旅の23日目、今日は帰国の日です。saraiは最後の最後まで楽しまないと気が済みません。ミュンヘン経由で帰国するので、そのミュンヘンでちょっと楽しんでいきます。
そのために、ウィーンからミュンヘンへは朝早い便に乗ります。早起きして、ホテルを早々にチェックアウトして、ウィーンの空港に急ぎます。いつもは朝が遅いsaraiも眠い目をこすりながらの朝立ちです。空港行のSバーンに乗るために、ウィーン・ミッテ駅のあるビルの前に着いたのは早朝6時半です。まだ薄暗いですね。

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地下プラットホームに下りるエスカレーターがありました。

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地下プラットホームに向かいます。

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ウィーン・ミッテ駅Wien Mitteのプラットホームに到着。

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プラットホームにスタンバイしたのは6時35分。予定していた45分発のSバーンにぴったりと間に合いました。

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シュベヒャート空港には予定通りの時間に到着し、余裕で孫たちへの絵葉書を投函。絵葉書よりも自分たちの帰国の方が早いですが、そんなことは気にしません。

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荷物を預けます。受け取りは最終目的地の羽田です。ということは、ミュンヘンでは荷物なしで身軽だということです。出国カウンターも抜けて、搭乗口に到着。ミュンヘン行のルフトハンザ機はスタンバイ中です。

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いざ、搭乗。無事に席に着きました。

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この搭乗機はEmbraer195。初めて乗る機種です。120人乗りの小さな飛行機です。ブラジルの航空機メーカー、エンブラエル社が製造・販売している小型ジェット旅客機です。

9時に飛行機は飛び立ち、ウィーンの街を眼下にします。

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さらば、ドナウ川。

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ジェット機はぐんぐん上昇しながら、ウィーンを離れていきます。

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早くもミュンヘンが近づいてきます。下に見えているのはイン川でしょうか。

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ジェット機は旋回しながら、どんどんと高度を下ろしていきます。

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10時にはミュンヘンの空港に降り立ちました。間近にエンブラエル社の小型ジェット旅客機を眺めます。美しい機体です。これが日本期待の新ジェット旅客機MRJのライバル会社の主力機なんですね。

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トランジットに過ぎないミュンヘンで5時間程の余裕時間を作り、空港から市内に繰り出します。トランジットのミュンヘンで最後の悪あがきです。

ミュンヘンの空港ビルの外に出ます。

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空港の地下駅からSバーンに乗ります。まずはチケットを購入。

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5人まで使用できるファミリー用の1日乗り放題チケットを購入します。21.3ユーロです。

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空港からS8(Sバーン)に乗り、マリエン広場Marienplatzに急行します。空港から約40分です。

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電車がやってきました。ミュンヘンでの貴重な5時間の滞在を楽しみます。

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まずはミュンヘンの朝ごはんを楽しみます。


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束の間のミュンヘン:パウラーナーで朝食を

2014年6月17日火曜日@ウィーン~ミュンヘン/2回目

ミュンヘンに到着後、空港からSバーンに乗って、約40分後、マリエン広場Marienplatzの新市庁舎前に立ちました。11時を少し過ぎたところです。これからは時間との闘いでもあります。午後3時過ぎには羽田行きの飛行機に乗っていなくてはなりませんからね。

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この広場をゆっくりと見ていたいところですが、ぐずぐずしている時間はありません。ミュンヘンでの朝ごはんを楽しむことにしているんです。マリエン広場の東側、旧市庁舎の建物のほうに向かいます。

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イム・タール通りをまっすぐ進むと、目的のお店、パウラーナー・イム・タールPauraner im Talが見えてきます。ミュンヘン白ビールの老舗醸造元パウラーナー・ビールPaulaner Brauereiの直営店です。

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勝手知ったるお店に入り、どんどん奥に進んで、中庭のテラス席に直行。明るくて気持ちのよい空間です。

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早速、朝ごはんを注文。
まずはパウラーナーの白ビールWeißbierが運ばれてきます。

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続いて、お目当ての白ソーセージWeißwurstです。この白ソーセージと白ビールの黄金の組み合わせこそ、ミュンヘンの美味しい朝ごはんです。

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白いポットのお湯の中に浮かんでいる白ソーセージを1本すくって、皿の上に移します。

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ナイフとフォークで白ソーセージの皮をくるりと剥きます。これで準備完了。

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ズューサー・ゼンフSüßer Senfという甘酸っぱい辛子でいただくのがミュンヘン流。いつ食べても、ミュンヘンの白ソーセージは絶品です。配偶者も満足そうです。無理しても来た甲斐がありました。
満足してお店を出ます。また、いつか、朝ごはんを食べに寄りましょう。

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ミュンヘンへ寄った用事はまだ、これだけでは終わりません。次の目的地に急ぎましょう。まずはマリエン広場に戻ります。旧市庁舎の建物が見えていますね。

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いっぱいの自転車が駐輪しています。ミュンヘンも自転車王国なんですね。

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通りの向かいには、白ソーセージ、白ビールの美味しいお店ヴァイセス・ブロイハウスWeisses Bräuhausが見えています。パウラーナー・イム・タールのライバル店です。どちらのお店も同じくらい美味しいのですが、パウラーナー・イム・タールには中庭のテラス席があるのがプラスポイントなんです。

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広場の手前にはこんなものが・・・。何故、こんなものが??

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マリエン広場に到着。しかし、ここは通過するだけ。

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広場のエスカレーターで地下に直行。

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マリエン広場の地下を歩いて、地下鉄のプラットホームに向かいます。

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マリエン広場から地下鉄を乗り継ぎ、青騎士の館、レンバッハ美術館に向かいます。今日の目的地です。
レンバッハ美術館の最寄り駅ケーニヒスプラッツKönigsplatzに到着。地上に出ると、大きな広場があります。広場の中央には、白亜の堂々たる建物があります。これはプロピュライオンPropyläenという門です。古代ギリシャの神殿へ通じる門を模しているようです。バイエルン王のルートヴィヒ1世が1816年に造ったものです。ルートヴィヒ1世は、ノイシュヴァンシュタイン城などを造ったバイエルン王国最後の国王ルードヴィヒ2世の祖父です。

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さあて、レンバッハ美術館はどれかな。広場の先にそれらしい建物が見えます。しかし、これは違いました。グリュプトテークGlyptothekという古典古代彫刻の美術館でした。

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レンバッハ美術館はこれでした。結構、地味な建物ですね。

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ともあれ、この美術館に向かいます。初見参です。これまで、この美術館が工事中でなかなか見る機会に恵まれませんでした。ようやく、青騎士の殿堂で、青騎士の美術作品を鑑賞できます。ワクワクです。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のフランツ・マルク

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/3回目

ケーニヒス広場からレンバッハハウス美術館を視認しました。はやる気持ちを抑えながら、美術館に向かいます。

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通りを渡ると、目の前がレンバッハハウス美術館です。

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思えば、2001年にミュンヘンを訪れた際に時間切れで行き損ねて、それ以降は行くたびに工事中のための閉館のために入れず、およそ15年越しの夢が叶います。実は15年前はそれほど、青騎士Der Blaue Reiter(20世紀初頭の前衛芸術運動の名称です)には興味がなかったのですが、10年ほど前から興味を持ち始めたんです。今や、青騎士を代表する画家たち、カンディンスキー、マルク、マッケ、ミュンター、クレー、ヤウレンスキーはお気に入りの画家。とりわけ、クレーとマルクは大好きな画家です。3年前には、青騎士の郷とも言えるムルナウとコッヘルの町も訪れて、ミュンターハウスとフランツ・マルク美術館で彼らの作品を鑑賞しました。そして、遂に本丸のレンバッハハウス美術館に足を踏み入れます。

まずは窓口でチケットを購入。一人10ユーロ。結構、お高いですが、構いませんよ。

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入ると、この美術館は結構、広くて、戸惑います。肖像画家フランツ・フォン・レンバッハの邸宅が美術館になっていると聞いていたので、もっと狭い建物だと思っていました。肝心の青騎士のコレクションは2階にあるようです。美術館にするためにかなり増築した模様です。2階へ急ぎましょう。

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2階にDer Blaue Reiter(青騎士)という展示室があります。さあ、いよいよです。

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わー、あります、あります。青騎士の絵画がずらっと並んでいます。真っ先に目に飛び込んできたのは、フランツ・マルクの強烈な色彩の動物の絵です。saraiも好きですが、それ以上に配偶者が大好きなんです。2人で目を合わせて、喜び合います。やっと見ることができました。ということで、まずはフランツ・マルクの作品だけを選別して、ご紹介します。

フランツ・マルクは1880年に生まれ、第1次世界大戦に従軍し、1916年のヴェルダンの戦いで36歳の生涯を閉じます。画家として活躍したのは10年足らずです。パリ留学中にゴッホの絵を見て、自由なタッチの絵画に目覚め、ミュンヘンでカンディンスキーと運命的な出会いを果たし、彼と青騎士を結成し、抽象絵画の道を目指すことになります。日本ではあまり知られていない画家ですが、これから、評価が高まっていくことを願っています。そのマルクの素晴らしいコレクションがここにあります。

《帽子の少年》です。1902年、マルク22歳頃の作品です。これはまだ従来の枠に囚われた普通の絵。まだ、マルクらしさは見られません。

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《インダースドルフIndersdorf》です。1904年、マルク24歳頃の作品です。この絵もまだまだ、マルクらしさの片鱗も見られません。

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《豹》です。1904年、マルク24歳頃の作品です。これは珍しい彫刻作品。なかなか動物の存在感が感じられます。しかし、マルクの世界ではありません。

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《オークの木》です。1909年、マルク29歳頃の作品です。ゴッホの影響が如実に感じられますね。

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《放牧された馬Ⅰ》です。1910年、マルク30歳頃の作品です。マルクはまだ、自分の世界が掴めていませんね。

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《猫と裸婦》です。1910年、マルク30歳頃の作品です。マルクには珍しい裸婦を描いたもの。淡い色彩も珍しく、マルクの絵とは思えません。

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《青い馬Ⅰ》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。突如、マルクが目覚めました。まず、色彩の固定観念から解き放たれたようです。ちなみに彼の死後ですが、ヒトラーがマルクの馬の絵を見て、馬が青い筈はないと言って、退廃芸術家の烙印を押したそうです。本当にヒトラーは芸術音痴だったんですね。

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《牛、赤と緑と黄色》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。これは素晴らしいですね。遂にマルクの世界が一挙に爆発したという感じです。

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《雪の中の鹿》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。これは表現手法だけの素晴らしさを超えて、怯える鹿に託して、自らの感情や世界の緊張感を表した作品と言えます。

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《猿》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。マルクの様式が確立されて描かれていますが、色彩は比較的、落ち着いています。

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《森の中の鹿Ⅱ》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。この頃は1作1作、目覚ましいばかりの躍進が見られます。色彩の勢いの凄まじさはどうでしょう。

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《修道院の庭の鹿》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。これは色彩のキュービズムですね。実際、彼はプリズムで色彩の分割を試みていたようです。もう、彼の勢いはとどまるところをしりません。

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《雨の中で》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。色彩のキュービズムを通して、彼は世界の痛みを表現しているかのようです。時代の緊張感を写し取ったのでしょうか。戦争勃発はすぐそこまで来ています。

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《虎》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。マルクの代表作のひとつです。厳しい色彩表現とともに、あえて具象性を高めて描いた虎の鋭い眼光の先には何が見えているんでしょう。

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《マンドリル》です。1913年、マルク33歳頃の作品です。マンドリルはアフリカに生息する猿だそうです。淡い色彩で抽象性を高めた作品です。彼がもっと長生きできたら、素晴らしい抽象画を生み出していったことでしょう。かえすがえすも残念です。

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《鳥たち》です。1914年、マルク34歳頃の作品です。もう世界は緊張感の頂点に達しました。色彩で切り裂かれた鳥たちは我々人類の象徴でしょうか。これはマルクの遺した人類への警告です。起こしてはならない戦争でした。そして、それは2度までも起こり、現在の人類も逃れることのできない呪縛のなかにあります。マルク自身はこの2年後にその戦争で命を落とします。暗くて厳しい作品に悲鳴を上げたくなります。

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ここでは見られませんでしたが、同じ最晩年の作と言える《戦うフォルム》はミュンヘンの別の美術館ピナコテーク・デア・モデルネ (Pinakothek der Moderne)にあるそうです。壮絶を極めたその作品はもうマルクらしい作品とは言えないかもしれませんが、次はその作品を見て、マルクの魂に追悼を捧げましょう。

レンバッハハウス美術館には、マルク以外にも青騎士の素晴らしい作品が膨大にあります。是非、明日以降もsaraiに付き合って、その素晴らしい作品群を鑑賞してくださいね。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、1/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/4回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞します。
そもそも、レンバッハハウス美術館は第2次世界大戦で破壊された後、再開されるにあたり、現在のように青騎士の膨大なコレクションを展示する美術館として生まれ変わりました。それは青騎士のメンバーの一人であったガブリエーレ・ミュンターが彼女のコレクションを寄贈したのが契機でした。そのコレクションの根幹をなしたのがワシリー・カンディンスキーの90点以上の油彩作品だったんです。彼女はかって恋人だったカンディンスキーのコレクションをナチスから守り抜きました。カンディンスキーの前衛的な抽象絵画はナチスから退廃芸術の烙印を押されていました。その彼女が死守した貴重なコレクションは1957年にミュンヘン市に寄贈され、青騎士の芸術が永遠に残されることになりました。

カンディンスキーはモンドリアンとともに抽象絵画の始祖と呼ばれています。1866年にモスクワで生まれたカンディンスキーは1896年にミュンヘンに移り、本格的な芸術活動を始めます。30歳という遅いスタートでした。このミュンヘンで1910年頃に抽象絵画の道を切り開きます。ミュンターと生活を共にしたのはこの時期です。青騎士の活動もこの頃です。第1次世界大戦の勃発とともにミュンターとも別れて、ロシアに移り住みます。ロシアの新しい芸術活動の中心になりますが、スターリンの台頭を機にドイツに移り、バウハウスで教鞭をとりながら芸術活動を続けます。このバウハウス時代がカンディンスキーのもっとも充実した時期でした。ナチスの台頭でバウハウスを追われたカンディンスキーはフランスに移り、第2次世界大戦の終焉する直前、1944年にパリ郊外で亡くなります。最晩年はナチスの弾圧もあり、不遇な最期でした。

カンディスキーの作品群を見ていきましょう。

《ミュンヘン、イーザル川》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。ミュンヘンで本格的に絵画を描き始めて5年。まだ、普通の風景画ですね。

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《Schleuseのための習作》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。

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《アクチョールカ─秋》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。 アクチョールカはウクライナ北東部,スームイ州の都市です。モネの絵画に心酔していたとあって、印象派的な作品です。

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《ミュンヘン、イギリス庭園》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。この頃はこういう印象派風の作品で腕を磨いていたようです。

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《シュヴァービング、ニコライ広場》です。1901~1902年、カンディンスキー35~36歳頃の作品です。風景画家のようにこういう作品を量産していますね。

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《湖のある山の風景》です。1902年、カンディンスキー36歳頃の作品です。このあたりは将来のムルナウの絵を予感させるものも感じられます。

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《コッヘル―シュレードルフ》です。1902年、カンディンスキー36歳頃の作品です。

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《オランダ、ビーチチェア》です。1904年、カンディンスキー38歳頃の作品です。タッチが大胆になり、作風が変わってきました。

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《サンタ・マルゲリータ》です。1905年、カンディンスキー39歳頃の作品です。

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《セーヴル》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《サン・クルー公園─秋Ⅱ》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《ラパッロの入江》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《馬上のカップル》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。この時期、こういう面白い画風になっていました。

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《色とりどりの人生》です。1907年、カンディンスキー41歳頃の作品です。なかなかの作品です。ただ、この画風を極めてもそれなりの画家で終わっていたでしょう。

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《オーバーラウ近郊 秋の習作》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。明らかに大きな変化が見られます。風景の中の形と輪郭がぼやけてきます。

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《ムルナウ - 《塔のある風景》のための習作》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。少しずつ変化していますが、まだ、大きくは踏み込めてはいませんね。

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《ムルナウ - グリースブロイの窓からの眺め》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。セザンヌ風に平面的な描き方になっていますが、まだ、色や形へのこだわりが残っています。それでも色彩感覚はかなり自由になっているのが面白いですね。

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《ムルナウ - シュタッフェル湖の眺め》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。この頃は本当にセザンヌ風の美しい風景画を描いていました。

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カンディンスキーが新しい作風に踏み込むのは翌年のムルナウの風景からです。ここまでは試行錯誤しながらの模索期間でした。
次回はカンディンスキーが大きく弾けるところを見ていきましょう。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、2/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/5回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

前回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞しています。前回は1908年までの作品を見てきました。まだ、カンディンスキーが自己の様式を確立するまでには至っていませんでした。今回は1909年にバイエルンの自然の中に佇むムルナウの町で一気に自分の進む道を見つけていく過程を見ていきます。この2年間の彼の充実ぶりはどうでしょう。この過程を経て、その後、1911年に青騎士が生まれることになります。まさにこの2年は青騎士の誕生の歴史でもあります。

《ムルナウ - 虹の見える風景》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。まだ、ものの形はありますが、細かいところは一切デフォルメされています。色も同様です。抽象化への道がいよいよ始まりました。

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《ムルナウ - 城と教会》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。ものの形や色はその具象性を示すためではなく、画面を構成する要素として、画面全体の構成美を高めることに主眼があるようです。画家の美意識を覗き見ているようで、楽しいですね。

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《ムルナウ - グリュン小路》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。抽象化はまだ途上です。

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《ムルナウ近郊の鉄道》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは素晴らしい。具象性と抽象性のバランスがとれています。ただ、抽象化への道は止まることはありません。

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《コッヘル - まっすぐな道》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。コッヘルはムルナウ近くの小さな村です。この作品ではモノは単純化されることによって、その存在感を増しています。モノは単純な直線とべた塗りの色彩で構成されるようになってきました。絵画の本質を問うような作品です。

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《コッヘル - 墓地と牧師館》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。抽象化されない部分が残りますが、具象の判別は難しくなってきました。

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《コッヘル - 墓地》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは粗いタッチの印象派とも見紛う感じ。この時代は1作1作が実験的であったんでしょう。抽象化は目的ではなく、美に至る過程をいかに見い出すかが問題ですからね。

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《コッヘル - 散歩道と家並み》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは対象の選択がよかったようです。抽象化が自然なプロセスに感じられます。

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《 室内(私の食堂)》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これはマティスを思わせる色彩ですね。具象性の高い作品です。

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《山》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。いやはや、この作品あたりになると、もう、何が描かれているかは判然としません。赤と青と緑が盛り上がったところが山なんだろうとしか、言えません。一気に抽象化が進んでしまいましたね。実は山の上にはモスクワのクレムリンの玉ねぎ型の塔が描かれていて、山の麓には2人の人間がいます。もちろん、実際に見た風景ではなく、画家の心象風景なんでしょう。しかし、何が描かれているかが重要ではなく、シンプルな形と色の持つ根源的とも言える美感が伝わってくる作品です。

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《馬》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。白馬を中心モティーフにした抽象的作品です。そう言えば、カンディンスキーの作品にはよく白馬が登場します。上の《山》にも白馬に乗った人が描かれていました。

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《オリエント風》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これがオリエント風かどうかはさておき、実にリッチな色彩に満たされた作品です。画面上の色の構成を追及して、素晴らしい美感に到達しています。具象的な作品では、こういう賑やかな色彩構成は難しいでしょう。

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《インプロヴィゼーションⅡへの習作》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。カンディンスキーは自らの絵画論「芸術における精神的なもの」の最終章で、彼の考える《純粋芸術》(抽象絵画とも言っていいかもしれません)に至る3つの構成について述べています。1つ目は外面的な自然・対象から受ける直接的な印象を描く《Impression:印象》。2つ目は無意識のうちに心の中でわきあがる印象を描いた《Improvisation:即興(インプロヴィゼーション)》。3つ目はそれをじっくりと心の内面で練り上げて作り出す《Composition:コンポジション》。そのいずれも抽象絵画へのアプローチ手段となりうるものですが、どうしても、印象よりも、インプロヴィゼーションやコンポジションのほうが抽象性が高くなっていったのはもちろんのことです。カンディンスキーはこの3つの系列の絵画シリーズを並行的に制作していきました。この作品はインプロヴィゼーションの先駆けとも言える作品です。この後、5年間でこのインプロヴィゼーション・シリーズは30枚ほど描かれます。カンディンスキーの内面にある記憶や想像が描かれているので、その抽象度は極めて高いものです。

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《インプロヴィゼーション6(アフリカ)》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。インプロヴィゼーションとしては意外に明快な作品ですが、それは雰囲気だけ。ディテールは何も分かりません。明るい色彩が印象的です。

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《教会のある丘の風景》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。色彩のかたまりの持つ力強さが画面に力を与えている作品です。

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《教会のあるムルナウ》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。これは色彩の具象性すらも奪ってしまい、曖昧模糊とした画面構成になっています。柔らかいカラートーンは分かりますが、ここまでやられると、saraiもお手上げです。

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《牛》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。まあ、言われれば、牛と乳搾りをしている女性、その先の風景が見えますが、この作品の主眼はそういうものを描き出すことではないでしょう。ふんわりした柔らかいフォルムと淡い色彩でそこはかとない雰囲気を味わう作品だと感じます。

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《《秋 I》のための習作》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。マッシブな山とそれを輪郭とした幾何学的な町が見事に構成されています。

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《《冬Ⅱ》のための習作》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。カンディスキーらしい暖色系の色彩と家々の鋭角的なフォルムで構成された作品です。

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カンディンスキーはこの2年間で抽象絵画の先鞭をつけ、その後の道筋も示しました。そして、ミュンヘンの前衛画家たちが青騎士という芸術運動の旗のもとに集うことになります。
次回はカンディンスキーの最終回。彼のその後の成熟した画業を辿ります。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、3/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/6回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

前前回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞しています。前回は1910年までの作品を見てきました。カンディンスキーが抽象絵画を確立していく過程がそこにありました。今回はそれ以降、抽象絵画を育てて大きな花を開かせ、2回の世界大戦の激動の嵐の中を生き抜き、パリ近郊で不遇の生涯を終えるまでの歴史を辿ります。とはいえ、このレンバッハハウス美術館のコレクションは青騎士時代が中心で、ミュンヘンを離れた後の作品は最近、収集したり、貸与されているものがほとんどです。

《印象 III(コンサート)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。カンディンスキーの代表作です。20世紀初頭の傑作絵画で、今見ても前衛芸術の輝きを放っています。印象シリーズの1枚ですから、実際に彼自身が見た光景を内面で再構成したイメージが絵画化されています。この光景というのが1911年1月2日のシェーンベルクのコンサートです。一体、どんなコンサートだったのか、気になりますね。調べてみると、《3つのピアノ曲》 Op.11(1909年作曲)と弦楽四重奏曲第2番 Op.10(1908年作曲)です。シェーンベルクが後期ロマン派の音楽から無調音楽に到達していく過程にあった頃です。弦楽四重奏曲第2番は第4楽章にソプラノ独唱が加わり、しかも無調で書かれたという大変な作品です。この曲が書かれた1908年というと、シェーンベルクの妻マティルデ(ツェムリンスキーの妹)が画家ゲルストルと不倫の末、駆け落ちしようとした年でシェーンベルクは私的にも音楽的にも大きな変動がありました。ともあれ、分野は異なりますが、前衛芸術の創造を目指していた2人の天才が初めて出会ったのがこのとき。シェーンベルクの新鮮な音楽に触発して生まれたのがこの傑作です。黒い塊がグランドピアノで黄色い塊が音楽とされていますが、それよりも画面全体の勢いに注目したい絵画です。ちなみにこの年、後期ロマン派の天才作曲家マーラーが亡くなります。時代の変化を感じますね。

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《印象IV(地方警官)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これも印象シリーズ。この年、印象シリーズは6点制作されます。この作品はバイエルン王国の摂政宮ルーイトポルト90歳の誕生日を祝うミュンヘンでのたいまつ行列の様子をもとに描いたようです。

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《印象Ⅵ(日曜日)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これが印象シリーズの6枚目。

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《インプロヴィゼーション18(墓石)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。つい2年前のコッヘルの墓地の絵といかに変わったことでしょう。革命的との思える時代です。その進歩は留まるところをしりません。

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《インプロヴィゼーション 19A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

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《万霊節Ⅱ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。抽象化の道を突き進むカンディンスキーですが、こういう漫画チックとも思える人物が満載されている絵も描くのが面白いですね。これを見ても抽象化は目的ではなく、彼の美を求める感性のひとつの動きに過ぎなかったことが分かります。

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《インプロヴィゼーション 19》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。青が主調の色彩と2群に分かれた人物の行進は画家の内的な心情の吐露なのでしょう。意味するのは戦争を前にした時代と青騎士設立という画家の周辺の動きなど、複雑な思いを絵に託したものでしょうか。

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《聖ゲオルクⅢ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。ドラゴンを槍で退治する聖ゲオルク伝説を描いたものです。カンディンスキーはこの題材を好んでいたようです。

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《インプロヴィゼーション 21A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

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《モスクワの貴婦人》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。これはまた珍しい作品ですね。カンディンスキーがシャガールを模したか、またはシャガールがカンディンスキーを模したのかというような画風です。故郷をイメージすると、時代を遡ってしまうのでしょうか。

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《インプロヴィゼーション 26(ボート漕ぎ)》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。題名を知って見ると、ああそうかとイメージできますが、オールの直線が画面に鋭い印象を与えています。

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《コンポジション7のためのスケッチ2》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。大作コンポジション7はトレチャコフ美術館に所蔵されていますが、色と形が画面中に氾濫する傑作です。その作品に向けて、何枚ものスケッチを重ねました。コンポジションは内面のイメージを練り上げていくものですが、実際、その内面での熟成状況をこれらのスケッチで我々も知ることができます。

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《コンポジション7のためのスケッチ3》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。前のスケッチ2に比べて、このスケッチ3ではイメージが明確になってきたことが分かります。コンポジション7へのイメージはほぼ熟成したようです。スケッチ1はもっと曖昧模糊としていたんでしょうね。スケッチ群とコンポジション7を並べた企画展をやれば、カンディンスキーの内的な動きが理解でき、その意図が完璧に理解できそうな気がします。ちなみに油彩の習作は10枚ほどあるそうです。水彩や素描の習作も合わせると30枚ほどになるそうです。コンポジションはやはり、内的な熟成のために膨大な時間をかけた作品群なのですね。そんなカンディンスキーの集大成とも言えるコンポジション・シリーズの作品数はさすがに10点ほどに留まるそうです。

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《インプロヴィゼーション 大洪水》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。題名の大洪水というのは、ノアの方舟の大洪水のことです。絵を見ても判然とはしません。ちなみにコンポジション6は大洪水をテーマにした作品ですが(エルミタージュ美術館所蔵)、内的な熟成を重ねているので、具体的なイメージの湧く作品ではありません。同じ題材でインプロヴィゼーション、コンポジションの違いが実感できるものです。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.3の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。米国の企業家エドウィン.R.キャンベルの依頼で4枚のパネル画を制作しますが、これはその習作です。なお、No.4の習作は日本の宮城県美術館にあるそうですね。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.3の小さな習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.2の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

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《無題 インプロヴィゼーション I 》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。思うさま、大胆に描き切った作品です。

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《インプロヴィゼーション 渓谷》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。カンディスキーがミュンターとヘレンタールの渓谷を訪れた際の記憶に基づいて描かれた作品です。やがて訪れる二人の別れを予感する憂愁が激しい色彩と形の下に塗り込まれています。

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《モスクワ - ズボフスキー広場》です。1916年、カンディンスキー50歳頃の作品です。なぜか具象的なイメージの作品です。10年前に描かれていてもおかしくないほど。

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《赤い染みⅡ》です。1921年、カンディンスキー55歳頃の作品です。モスクワ時代の作品。マレーヴィチなどの構成主義の画家と交流し、こういう幾何学的な画面構成の画風に転換していきます。

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《黒い四角の中で》です。1924年、カンディンスキー58歳頃の作品です。この作品はニューヨークのグッゲンハイム美術館から永久貸与されているようです。オリジナル?である有名な1923年の作品とは異なるようですが、そっくりですね。1923年の作品はグッゲンハイム美術館で展示されています。ますます、幾何学的な表現が進んでいます。

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《様々な部分》です。1940年、カンディンスキー74歳頃の作品です。1933年から亡くなる1944年までのパリ時代の作品。老いても前衛を走り続けるカンディンスキーの気概が感じられます。クレーの作品にも通じる音楽的な表現が印象的です。第2次世界大戦中の時代の暗さを感じさせない画家の透徹した内面が画面を支配して、見るものの心を慰めてくれますね。

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60点ほどのカンディンスキーの大コレクションを鑑賞できました。実は5年ほど前に三菱一号館での「カンディンスキーと青騎士」展で休館中だったレンバッハハウス美術館から出展された作品を見てはいました。この日鑑賞した作品の半分ほどは既にそこで目にしたものでした。しかし、さらに残りの作品も見ることができて、とても満足です。カンディンスキーの志した芸術とは何なのか。抽象絵画はどう生み出されたのか。少し分かったような気がしました。

まだまだ、レンバッハハウス美術館の膨大な青騎士コレクションの鑑賞は続きます。いましばらく、saraiにお付き合いくださいね。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のガブリエーレ・ミュンター

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/7回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回はガブリエーレ・ミュンターの作品を取り上げます。彼女は青騎士のメンバーの一人で、カンディンスキーの弟子。それ以上に1904年から1914年までカンディンスキーのパートナーとして生活を共にし、芸術活動のパートナーでもありました。第1次世界大戦の勃発でミュンヘンを去ったカンディンスキーとは別れることになりましたが、彼女がムルナウの家でカンディンスキーを始めとした青騎士の膨大なコレクションを守り抜き、第2次世界大戦後の1957年にそのコレクションをミュンヘン市に寄贈することを決めました。現在、我々がレンバッハハウス美術館で青騎士のコレクションに接することができるのは彼女のお蔭です。なお、ミュンターは1877年にベルリンで生まれ、1962年にムルナウで亡くなりました。

《風景画を描くカンディンスキー》です。1903年、ミュンター26歳頃の作品です。女性ゆえに公の芸術院への入学が拒絶されていました。入学できる絵画学校が限られていたミュンターは1901年の冬にミュンヘンのファランクスという芸術学校に入ります。そこで彼女は教鞭をとっていたカンディンスキーに出会います。1903年ころに2人は恋愛関係になります。周辺には秘密の恋愛でした。カンディンスキーには法律上の妻アーニャの存在がありました。1903年の夏、ミュンターはカンディンスキーの夏季講習会に参加して、風景画を学びますが、この作品はその頃のものでしょう。印象派の描き方を学んだ成果が表れています。

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《カルミュンツ》です。1903年、ミュンター26歳頃の作品です。1903年、ファランクスの芸術学校はミュンヘンからオーバープファルツ地方のカルミュンツに移りました。この作品はその頃のものです。後期印象派風の作風です。

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《サン・クルー公園の並木道》です。1906年、ミュンター29歳頃の作品です。同棲関係にあったミュンターとカンディンスキーは1906年6月から約1年間、パリ近郊のセーヴルに滞在していました。この作品はそこで描かれたものです。パリで印象派の作風を確立しました。明るい光が描かれています。

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《ムルナウ湿原の眺め》です。1908年、ミュンター31歳頃の作品です。セザンヌ風の平面的な画面構成が印象的です。このあたりから、ミュンター独自の優しく、暖かな画風が明確に表れてきたようです。

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《じっと聞き入る(ヤウレンスキーの肖像)》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。この頃にヤウレンスキーとヴェレフキンのロシア人カップルと知り合うようになり、ヤウレンスキーが新たに修得していた黒い輪郭線で縁取りした画面構成を学ぶことになります。ミュンター独自の感性もあいまって、見事な作品に仕上がっています。平面的でシンプルな画面構成は彼女なりの抽象化であったようです。

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《マリアンネ・フォン・ヴェレフキン》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。ヤウレンスキーの裕福なパトロンであった男爵令嬢ヴェレフキンです。ヴェレフキン自身もヤウレンスキーに絵画の手ほどきをした優れた女流画家でした。そういう背景を見事に表現した作品と言えます。

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《ヤウレンスキーとヴェレフキン》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。ヤウレンスキーとヴェレフキンという奇妙なカップルを風景の中に見事に描き込んでいます。

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《コッヘルの墓地の十字架》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。この頃、ミュンターとカンディンスキーは似たような画風の作品を描くようになっていきます。相互に影響しあったようです。後にカンディンスキーはむきになって、ミュンターからの影響を否定するようになります。弟子でかつ私生活上のパートナーから影響を受けたことはカンディンスキーのプライドが許さなかったのでしょうか。この作品もカンディンスキーに影響を与えた1枚かもしれません。

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《秋の風景》です。1910年、ミュンター33歳頃の作品です。これはシンプルな構成の見事な風景画ですね。カンディンスキーが描いたと言えば、信じてしまいそうです。しかし、カンディンスキー以上の出来栄えかもしれません。カンディンスキーが影響を受けるのも仕方がないほどの素晴らしい作品です。

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《冬の村の道》です。1911年、ミュンター34歳頃の作品です。この作品も素晴らしいですね。カンディンスキーとどこが異なるのか、考えてみましたが、彼女の作品はある意味、表現主義の1歩手前で踏みとどまっているような気がします。それが彼女の美質であり、限界でもあったのかもしてません。見るものの心をどこか、和ませてくれるような絵画です。

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《テーブルに向かう男(カンディンスキー)》です。1911年、ミュンター34歳頃の作品です。1909年、ミュンターはムルナウで家を購入します。そこはカンディンスキーと一緒に過ごした家であり、マルクやヤウレンスキーが集った家でもあります。その家のテーブルで寛ぐカンディンスキーの姿を描いたものでしょう。5年後の破局は微塵も予感させません。

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《カンディンスキーとエルマ・ボッシ》です。1912年、ミュンター35歳頃の作品です。エルマ・ボッシはミュンヘン新芸術家協会に属していた上流画家。この作品もムルナウの家の中が描かれています。

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《室内で》です。1913年、ミュンター36歳頃の作品です。ムルナウの家の室内だと思われます。ミュンターの自画像でしょうか。

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《聖ゲオルクとドラゴン》です。1913年、ミュンター36歳頃の作品です。ミュンターとカンディンスキーは好んで、この聖ゲオルクの題材を取り上げています。保守勢力をドラゴンに見立てて、それに革命を起こす象徴として聖ゲオルクを描いたのでしょうか。

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《メディテーション》です。1917年、ミュンター40歳頃の作品です。第1次世界大戦の勃発でロシアへの退去を余儀なくされたカンディンスキーとはスイスのボーデン湖畔で1914年にいったんは別れることになります。しかし、ミュンターは第3国でカンディンスキーと再会するために、中立国スウェーデンに1915年に移り住みます。年末にはカンディンスキーもストックホルムにやってきます。翌年の1916年3月にストックホルムを発ってロシアに戻ったカンディンスキーは2度と帰ってくることはありませんでした。それでも、ミュンターはここでカンディンスキーが戻ってくるのを待ち続けました。1917年にはカンディンスキーは別のロシア人女性と結婚します。後にミュンターはそのことを知ります。この作品はきっと、ミュンターがカンディンスキーが戻ることを夢見ていた頃に描かれたのでしょう。なぜか、この作品はミュンターには珍しく表現主義的な表現に思えます。皮肉なものですね。

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《ロシア人の家》です。1931年、ミュンター54歳頃の作品です。この頃、ミュンターは生涯の伴侶となるアイヒナーと関係を強めて、創作意欲も高まっていました。ロシア人の家というのは、ミュンターがムルナウに購入し、青騎士の中心になった家のことです。ムルナウの町の人たちはロシア人芸術家が多く出入りする、この家をロシア人の家と呼んだそうです。この家は今では、ミュンターハウスという博物館になっています。庭からはムルナウの町の美しい眺めが楽しめます。青騎士ファンの聖地のひとつです。

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1957年はミュンターが80歳の誕生日を迎えました。その年にミュンヘン市に青騎士のコレクションを寄贈しました。5年後、彼女はムルナウの家で生涯を閉じました。後半生の伴侶、アイヒナーはその4年前に他界していました。ミュンターを語らずして、青騎士の館、レンバッハハウス美術館は語れません。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のアウグスト・マッケ

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/8回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

青騎士は20世紀初頭の前衛的な美術運動でした。カンディンスキー、マルクの主導により、ミュンヘンで1911年に起こされて、第1次世界大戦の勃発する1914年までのわずかな期間で終焉しましたが、その影響は大きいものでした。ドイツ表現主義や抽象絵画の大きなうねりを作り出しました。青騎士の終焉の直接的な原因である第1次世界大戦でマルクは戦死しますが、同じく、青騎士の中心メンバーだったアウグスト・マッケも27歳の若さで戦死します。今回はこのマッケの作品を取り上げましょう。

《林檎を持つ肖像》です。1909年、マッケ22歳頃の作品です。それにしてもこの絵に描かれている女性のとても魅力的なことに惹き付けられます。このモデルは誰でしょう。実は結婚したばかりの妻エリーザベトです。妻が林檎を持っているのは意味があります。マッケはパリでの画家修業を終えて帰ってきたところです。この時代、パリで林檎というと・・・セザンヌですね。パリでセザンヌの絵画に大いにに影響を受けました。しかし、この絵の魅力は何と言っても新妻の美しさです。慌てて、エリーザベトを描いたほかの絵も見ましたが、やはり、美しい! 彼女が5年後には未亡人になるとは悲劇です。

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《ネコと静物(家の精霊) 》です。1910年、マッケ23歳頃の作品です。セザンヌばりの静物を想像するとビックリです。にやけた表情の猫、バックのジャズのバンドのポスターなど、賑やかで明るい作品です。セザンヌのように多視点でも描かれていません。これって、なんでしょう。でも、心が和む絵です。

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《青い背景の3人の裸婦》です。1910年、マッケ23歳頃の作品です。これまた、セザンヌの大水浴を想像すると裏切られます。わざわざ、構図を平板化しているような印象です。

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《ベルンハルト・ケーラーの肖像》です。1910年、マッケ25歳頃の作品です。ベルンハルト・ケーラーは美術コレクターでマッケのパトロンでした。パリ留学は彼の援助によりました。美しき妻エリーザベトはケーラーの姪です。

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《私たちの大通り、灰色の空》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。マッケの絵が大きく変わっていくのは、1910年のマルクとの出会いが契機でした。表現主義的な絵画に変わってきています。

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《庭の花》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。色彩が魅力的です。構図が不安定なのもいいですね。

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《馬の上のインディアン》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。すっかり、青騎士的な絵画に変身しました。

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《座る裸婦》です。1912年、マッケ25歳頃の作品です。マッケには珍しいブロンズ像作品です。うーん、モデルは妻エリーザベトでしょうか。それなら、もっと美しく作ってほしかったですね。

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《動物園Ⅰ》です。1912年、マッケ25歳頃の作品です。これは素晴らしい作品です。マッケの魅力が爆発。色彩が鮮やかで、構図はシュールにも感じます。

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《花の絨毯》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。鮮やかな色彩を獲得したようです。

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《山羊と子供たち》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。まるで先輩のマルクを思わせる絵画です。

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《遊歩道》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。マッケ独自の画風を確立しつつある作品です。色彩、構図ともに見事です。グラデーションを多用することでもっこりした雰囲気を醸し出しています。

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《帽子店》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。画風が安定しています。

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《橋の上の散歩》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。少し色彩を抑えていますが、紛れもないマッケの到達した高いレベルの作品に仕上がっています。

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《トルコのカフェ》です。1914年、マッケ27歳頃の作品です。色彩が目覚ましく明るくなり、構図も大胆です。この先、マッケの画風がどう進化していくかが楽しみですが、マッケに残されたのは数か月だけでした。ちなみにマッケはトルコを訪れたことはなく、これはミュンヘンのトルコ風のカフェを描いたもののようです。

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晩年、といってもマッケは20代半ばですが、素晴らしい傑作を残しています。あと数年あれば、とてつもない絵画を描き上げたような気がします。かえすがえす、マルクと同様に惜しい逸材を戦争で失いました。起こしてはならない戦争でした。マッケは日本ではほとんど知られていない画家ですが、その素晴らしい才能に注目したい画家の一人です。

もう少しだけ、レンバッハハウス美術館の青騎士の画家たちの作品紹介にお付き合いください。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のアレクセイ・ヤウレンスキーとマリアンネ・フォン・ヴェレフキン

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/9回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

青騎士のメンバーの一人であったアレクセイ・ヤウレンスキーは1865年、ロシアで生まれました。彼は貧乏なロシア帝国士官でしたが、幸運とも言える運命の出会いで裕福な男爵令嬢マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(1860年ロシア生まれ)に絵画の指導を受け、経済的な援助も受けることになります。そして、彼女とカップルで1896年にミュンヘンに画業修業のためにやってきました。後期印象派の画風にどっぷりと浸かっていたヤウレンスキーとヴェレフキンは1908年にカンディンスキーとミュンターに出会います。ここから、相互に影響しあって、ヤウレンスキーは独自の画風を切り開いていくことになります。

《ムルナウの夏の夕暮れ》です。1908~1909年、ヤウレンスキー43~44歳頃の作品です。後期印象派を脱して、平面的な描き方になっています。ヤウレンスキーらしい黒の輪郭線も現れています。構図といい、色彩感覚といい、素晴らしい作品です。

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《舞踏家アレクサンダー・ザッハロッフの肖像》です。1909年、ヤウレンスキー44歳頃の作品です。とても有名な作品。1度見たら、忘れられませんね。これが画家の個性というものでしょう。

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《果物のある静物》です。1910年、ヤウレンスキー45歳頃の作品です。セザンヌの静物との違いに驚かされます。なんと平坦な表現でしょう。

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《座っている裸婦》です。1910年、ヤウレンスキー45歳頃の作品です。このころはフォーヴィズムの影響を強く受けています。それでもヤウレンスキーらしい隈取のある安定感は独特のものです。

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《成熟》です。1912年、ヤウレンスキー47歳頃の作品です。これもフォーヴィズムの作品。頭部のみをズームアップした絵画の先駆けとなるものです。1917年以降は頭部を描いた絵画に没頭することになります。

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《スペインの女》です。1913年、ヤウレンスキー48歳頃の作品です。フォーヴィズムから少し脱しつつありますが、なんと、あくの強い作品でしょう。嫌いじゃありませんけどね。

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《瞑想》です。1918年、ヤウレンスキー53歳頃の作品です。1917年から描き始めた《不思議な頭部》シリーズです。モデルは女性画家エミリー・シェイヤー(ガルカ・シャイヤー)だとされています。彼女は1916年に知り合った若い女性で当時25歳。彼女はヤウレンスキーの絵を紹介する役割を果たし、それまでのヴェレフキンの役割を引き継ぎます。不思議にヤウレンスキーはまわりに助けてくれる女性に事欠きませんね。もっとも、シェイヤーは絵画の紹介販売の手数料として、45%も取ったそうですから、一筋縄ではいかない女性だったようです。

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《瞑想、祈り》です。1922年、ヤウレンスキー57歳頃の作品です。次第に頭部の絵画は宗教的な祈りに変化していきます。ヤウレンスキーにとって、絵を描くことは神に祈りを捧げる行為と同一だったようです。この《瞑想》シリーズの絵も最後は救世主の顔に変容していきます。

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《愛》です。1925年、ヤウレンスキー60歳頃の作品です。いったん、救世主の顔に変容した《瞑想》もさらにデフォルメされ、《愛》に変容します。彼は3年前に自分の子供を以前産ませたメードのヘレーネと結婚しています。その際、ヴェレフキンとも別れました。私生活的にも、そして、芸術的信条にも思うところは色々あったのでしょう。

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ヤウレンスキーのパートナーだったヴェレフキンの作品も見ておきましょう。

《自画像》です。1910年、ヴェレフキン50歳頃の作品です。いかにも、表現主義的な絵画です。

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《プレロヴェル川》です。1911年、ヴェレフキン51歳頃の作品です。プレロヴェル川はバルト海の入り口に流れる狭い流れです。青騎士的な風景画ですね。

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ヤウレンスキーはクレーとも関わり合いの多い画家でした。以前、ベルンのクレーセンターで、《クレーとヤウレンスキー》という特別展を見ましたが、そのときから、とても気になる画家になりました。今回、このレンバッハハウス美術館で再度、まとめて作品を鑑賞し、saraiのお気に入りの画家の一人に定着したかもしれません。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のフランツ・フォン・シュトゥック

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/10回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回は青騎士の画家たちの師匠格のフランツ・フォン・シュトゥックの作品を見ていきましょう。彼の弟子には、カンディンスキー、クレーなどがいます。シュトゥック自身は象徴主義の画風であったので、弟子たちに直接的な影響は与えていないと言えますが、時代の前衛の絵画を描くという気骨だけは伝わったようです。シュトゥックは1862年にドイツに生まれ、1928年に亡くなりました。

《野生の狩り》です。1888年、シュトゥック26歳頃の作品です。何か、おどろおどろしい雰囲気です。

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《傷ついたケンタウルス》です。1890~1891年(鋳造は1905年)、シュトゥック28~29歳頃の作品です。これはブロンズ像の作品です。彼は彫刻家でもありました。

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《闘うアマゾン》です。1897年、シュトゥック35歳頃の作品です。モデルは彼の米国人の妻メアリのようですね。

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《アマゾン》です。1897~1898年、シュトゥック35~36歳頃の作品です。このブロンズ像はとても美しいですね。

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《サロメ》です。1906年、シュトゥック44歳頃の作品です。当時、はやりの題材でした。いかにも象徴主義的な絵画です。

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いつか、ミュンヘンにある彼の設計・内装によるヴィラ・シュトゥック (Villa Stuck)を訪れたいと思っています。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のパウル・クレー

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/11回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回でレンバッハハウス美術館の作品紹介も終了です。しんがりはやはり、パウル・クレーにしましょう。saraiの好きな画家10人にはいるクレーです。美術館でクレーの作品を見つけると、配偶者と思わず、目を合わせて、にっこりとしてしまいます。彼も青騎士の画家の一人です。カンディンスキーやヤウレンスキーとのつながりも強かったようです。とりわけ、マルクとは親友で彼の戦死には相当、打撃を受けたようです。クレーは1879年、スイスのベルン近郊で生まれ、後にミュンヘンで絵を学び、ドイツで活躍しますが、ナチスの弾圧でスイスに亡命し、そこで難病の皮膚硬化症を発症し、5年の療養生活の後、1940年に無念の死を遂げます。療養中も制作を続け、線画で描いた天使シリーズは名高いですね。saraiもわざわざ、ベルンのクレーセンターを2度も訪れて、天使シリーズも含めて、傑作の数々を鑑賞しました。同じベルンのベルン市立美術館には最高傑作の《パルナッソス山へ》が所蔵されています。光輝く名画中の名画です。ベルンはクレーのファンの聖地です。しかし、このレンバッハハウス美術館にもクレーの傑作が所蔵されています。今回はそれを見ていきましょう。


《破壊と希望》です。1916年、クレー37歳頃の作品です。第1次世界大戦の勃発後、2年。この年、クレー自身も出征します。繊細な線で描かれた緻密な作品ですが、クレーの心の内を表現しているのでしょう。

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《R町》です。1919年、クレー40歳頃の作品です。同じ年に代表作《R荘》(バーゼル美術館所蔵)も描かれています。具象的な素材をコラージュしたような作品。見どころは全体の構成感と色彩の妙でしょう。

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《破壊された場所》です。1920年、クレー41歳頃の作品です。小さな画面に描き込んだのは、クレー自身も従軍した第1次世界大戦の恐ろしい経験でしょう。親友マルクの戦死も影を落としているのだと思います。美しく、そして、痛ましい絵画です。

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《ローズ・ガーデン(薔薇園)》です。1920年、クレー41歳頃の作品です。この年、クレーはバウハウスの教授に迎えられました。この頃、クレーは無機的なもの(人工物など)と有機的な自然を組み合わせて、統合的な世界を絵画の中に作り出そうとしていました、この作品は丸い薔薇と直線的な煉瓦や建物を組み合わせて、統合的な美を表現しています。シックな色合いでピースを積み上げた構図の素晴らしさ・・・画家の美的センスに驚くばかりです。

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《野いちご》です。1921年、クレー42歳頃の作品です。これは演劇を意識した作品でしょう。画面全体は舞台で、そこに登場するのはいちご人間。一体、どういうドラマが展開されるのでしょう。こういう作品が最終的には、天使シリーズに収斂していくのかな。

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《野生の人》です。1922年、クレー43歳頃の作品です。アルルカンの衣装を着た、生々しい人間の姿。上下に描かれている矢印は人間の様々な欲望を表しているようです。

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《植物劇場》です。1924年、クレー45歳頃の作品です。その後、1934年に手を加えて、1935年にベルンの個展で発表した作品です。10年がかりで完成させた作品とも言えます。大変な作品です。傑作だと思います。これも画面が舞台になっていて、登場人物は植物たちです。しかし、植物と言っても現実的なものではなく、クレーが夢想する植物。シュールな作品とも思えます。一番の見どころはそういう道具立てではなく、暗い茶系の色彩で統一されて、その中にさまざまな形象が配置されている画面全体のとてつもない美感にあります。こういう感覚でsaraiを魅了してくれるのは、クレーとピカソの2人だけです。

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《赤の上の果実》です。1930年、クレー51歳頃の作品です。クレーはプロ並みのヴァイオリンの腕前だったそうですが、この作品で使っている赤いハンカチはそのヴァイオリン用のあごあて布だったそうです。素材をそのまま活かした作品は珍しいですね。

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《リズミカルに、より正確に、自由に》です。1930年、クレー51歳頃の作品です。クレーは音楽の律動感を絵画で表現することに情熱を燃やしていました。この作品もその1枚。

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《海辺の崖》です。1931年、クレー52歳頃の作品です。最高傑作《パルナッソス山へ》と同じく、点描画で描かれています。点描と言っても、スーラのように細かい点で描くのではなく、大きな点で描いています。彼は1926年のイタリア旅行でラヴェンナを訪れ、ビザンチン美術に触れ、それを契機にモザイク風の点描画を描くようになったようです。

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《解剖学的ヴィーナス》です。1933年、クレー54歳頃の作品です。まるでレントゲン写真で撮ったヴィーナスみたい(笑い)。

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《大天使》です。1938年、クレー59歳頃の作品です。クレーの天使と言えば、白い背景に黒い線だけで描いたものを思い浮かべますが、線画には違いがなくても、背景に美しい色彩が施された本作も素晴らしいですね。

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青騎士時代のクレーの作品がないのが残念ですが、クレーの素晴らしい作品を鑑賞できて、幸せです。

今日は遂に青騎士の素晴らしい絵画を鑑賞することができました。カンディンスキーはもとより、マルク、マッケ、ミュンター、クレー、ヤウレンスキーなど、傑作の山です。いやはや、聞きしに勝る素晴らしいコレクションでした。青騎士の芸術を堪能しました。


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ミュンヘンから無事に帰国!これにてフィナーレ

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン~2014年6月18日水曜日@羽田

レンバッハハウス美術館で青騎士の絵画を堪能しました。さあ、ミュンヘン空港からの帰国便に飛び乗りましょう。

地下鉄とSバーンを乗り継いで空港に戻り、羽田行きの便への搭乗に間に合いました。いやはや、忙しい! トランジットの5時間をフル活用しました。
空港の搭乗口からは準備中のルフトハンザ機が見えます。ほっとします。

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さあ、帰るぞ!!

機内への搭乗が始まりました。シートに体を落ち着けると、もう帰国したようなものです。
飛行機は予定通りの時刻に離陸。安定飛行に移ると、スナック菓子が配られます。

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スナック菓子をぽりぽり食べながら、ようやくリラックス。
食事が配られます。

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食事も終わり寝る時間ですが、なんとなく映画を見始めます。《グランド・ブダペスト・ホテル》という奇妙な映画です。何か心に引っ掛かるものがありますが、それが何かははっきりしません。
そのうちに配偶者も同じ映画を見始めて、見終わる寸前に素っ頓狂な声を出します。えっ、何? 配偶者は最後のクレジットを見て、「これって、シュテファン・ツヴァイクじゃないの?」
何と何と、その通りでした。映画監督がシュテファン・ツヴァイクの著作を読んで、その古き良きヨーロッパ文化に魅せられて、そのイメージを映画で表現したそうです。
旅の終わりは、またシュテファン・ツヴァイクに回帰してしまいました。帰国後の課題はシュテファン・ツヴァイクを読むことですね。(帰国後、《昨日の世界》はもちろん、小説も読みました。活字上のことではありますが、素晴らしい最高の友に出会った思いです。許されれば、彼とじっくりとお話をしたかったというほど、気の合う友です。一方的な関係ですけどね。)
ところで、この映画の中で、奇妙で変な絵の代表としてエゴン・シーレの絵が出てきたのにはびっくり。配偶者と苦笑してしまいました。

やがて、うとうとしているうちに飛行機は日本海上空にさしかかります。たたき起こされて、眠気眼で朝食をいただきます。

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ミュンヘンから長時間飛行の末、羽田に無事着陸。いささか疲れて、電車に乗って自宅に着くなり、そのままお昼寝で爆睡。夕方遅く、ようやく元気を回復しました。

今回も23日に及ぶ長い旅でした。
この旅では、新しいお友達もでき、以前からのお友達とも交友。エル・グレコ、音楽という旅のテーマも十分に堪能でき、実り多い旅になりました。シュテファン・ツヴァイクという新しい友もできましたしね。

詳細編の掲載は、途中で今年のウィーン・オランダ・ベルギー・パリの旅を挟んでしまい、大幅に遅れて申し訳けありませんでした。ようやく、これにて終了です。昨年の10月から、長期にわたるご愛読ありがとうございました。


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オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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昨日投稿した記事の一部に誤りがありました。ドイツ騎士団の中庭はパスしないで、ちゃんと見ていました。追記・修正しました。申し訳ありません。

08/07 00:28 sarai

えりちゃさん、saraiです。お久しぶりです。

これは昨年の9月のウィーンですが、現在のコロナ禍では、古き良き日という風情ですね。もう、ポスト・コロナでは、行けたにし

07/20 12:41 sarai

Saraiさま、
お元気ですか?
新型コロナウィルス、自粛中。
このウィーンの散策を読んでいると、なんだか切なくて悲しくなってきました。
次はいつ行けるのかな、とか思う

07/20 05:08 えりちゃ

はじめまして。ブログ拝見させていただきました。私は、個人ブログを運営しているyuichironyjpと申します。フリーランサーとして活動しており、フリーランスで稼ぐ方法や、

06/14 23:46 Yuichironyjp

ありがたいコメント、嬉しいです。マーラーのファンのかたにこそ、読んでいただきたかったので、気持ちを共有できた思いです。自然の中にこそ、マーラーの音楽の本質はあり

04/23 23:45 sarai

マーラーの作品を聴きながら、ブログを読ませていただいています。
読みながら画像を見て、マーラーの過ごした風景に想いを馳せて楽しんでいます。
素敵なブログをありがと

04/23 21:47 

マーラー6番ですか・・・ハンマー打撃は勘弁してほしいものです。あったとしても、3回目の打撃だけは・・・

04/11 18:10 sarai
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