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歴史に名を刻む天才クルレンツィス モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》@ウィーン・コンツェルトハウス 2019.9.7

ルツェルン音楽祭の予習のつもりで聴いたら、物凄い演奏。ともかく、モーツァルトの音楽でこのような音楽的精度の高い演奏を聴いたのは初めてです。今まで、綺羅星のような巨匠たちが演奏したオペラ《ドン・ジョヴァンニ》は何だったのかと問いたくなるような、別次元の演奏です。

クルレンツィス&ムジカエテルナはルツェルン音楽祭でモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作を演奏しますが、それに先立って、ウィーン・コンツェルトハウスでもダ・ポンテ3部作を演奏しています。既に《フィガロの結婚》の演奏は終わっていて、今日は2回目の《ドン・ジョヴァンニ》です。

キャストは以下です。(ルツェルン音楽祭と共通)

 モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 K.527 全曲

 ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)*
 ロバート・ロイド(バス/騎士長)
 ナデージダ・パヴロヴァ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
 ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)*
 フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
 カイル・ケテルセン(バリトン/レポレッロ)
 ルーベン・ドローレ(バリトン/マゼット)
 クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)*
 ムジカエテルナ
 ムジカエテルナ合唱団
 テオドール・クルレンツィス(指揮)
 ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
  *クルレンツィスのCDでも同一キャスト


第1幕序盤はあれっというくらい、普通に音楽が進行します。もちろん、クルレンツィスの音楽的精度は驚異的ではあります。第1幕の後半でドンナ・アンナのアリアから音楽が高潮します。ナデージダ・パヴロヴァは透明な澄み切った声で潤いも感じさせる美声でとても魅力的。他のキャストも素晴らしいのですが、彼女がピカ一です。しかし、すべてはクルレンツィスの音楽作りの一環に組み込まれています。続くドン・オッターヴィオのアリアも素晴らしいです。続くドン・ジョヴァンニの「シャンパンの歌」もムジカエテルナの素晴らしい演奏も相俟って、見事な歌唱です。終幕は主要キャスト7人による重唱。ともかく、クルレンツィスの才能が爆発して、驚異的な音楽レベルに上り詰めます。もう、ここでオペラが終わっても満足という素晴らしさです。

第2幕序盤もまた、淡々と進みます。クルレンツィスの音楽の精度の高さは当たり前に思えてきます。この幕でもドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの歌唱が最高です。ケネス・ターヴァーの歌うドン・オッターヴィオのソット・ヴォーチェのアリアも見事です。そして、いよいよ、終盤の地獄落ち。クルレンツィス&ムジカエテルナの凄まじい音響と音楽が炸裂します。こんな地獄落ちはかって、あったでしょうか。身震いを覚えるような迫力です。そして、終幕。あれっ、地獄落ちでこのオペラは終わってしまうの。聴衆も戸惑っています。saraiは呆然としてしまいます。既に舞台にはクルレンツィスはいません。やがて、拍手が起こります。saraiも不承不承、拍手。考えてみれば、このオペラは地獄落ちで終わるのが自然かもしれないなと自分を納得させます。舞台上には今日の出演者が並び、大拍手を受けます。最後にクルレンツィスが登場すると、満場、スタンディングオベーション。と、クルレンツィスがさっと向きを変えて、ムジカエテルナを指揮して、音楽を奏で始めます。一瞬、あれっ、アンコール曲?と思いますが、実はこれは地獄落ちの後のエピローグの音楽。クルレンツィスのやりたい放題のふるまいにすっかりと騙されてしまいました。そして、本当の終幕。そういうことだったんですね。今日はコンサート形式ではありましたが、色んな演出があり、まさにクルレンツィスのやりたい放題の音楽でした。それがぴたっとはまっているのが凄い! クルレンツィスはモーツァルトのオペラに関する限り、不世出の存在になったようです。これからのモーツァルトのオペラはこのクルレンツィスの演奏を抜きにしては語れません。


予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。

 ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)
 ヴィート・プリアンテ(バリトン/レポレッロ)
 ミカ・カレス(バス/騎士長)
 ミルト・パパタナシュ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
 ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)
 カリーナ・ゴーヴァン(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
 グイード・ロコンソロ(バリトン/マゼット)
 クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)
 ムジカエテルナ
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音時期:2015年11月23日~12月7日
 録音場所:ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

(以下の内容は既に書いたものです。自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の録音は2012年9月でしたから、3部作の締めくくりになる、この《ドン・ジョヴァンニ》はその3年後ということになります。この3年の間のクルレンツィス&ムジカエテルナの躍進ぶりがこの録音に現れています。きびきびした序曲の開始は同じですが、その演奏精度の向上がはっきりと分ります。妙にデモーニッシュになり過ぎず、その明快ですっきりした演奏に魅惑されます。序曲が終わり、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが登場しますが、その明暗がくっきりとした上質とも思える演奏に驚愕します。モーツァルトでこんな演奏が可能なんですね。ドン・ジョヴァンニは終始、ソット・ヴォーチェを駆使して、その色男ぶりを強調します。ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオの美男美女を思わせる美声コンビの歌唱も見事。《フィガロの結婚》では若干、違和感を感じたフォルテピアノもこのオペラでは実に有効に機能します。そう言えば、一昨年のザルツブルク音楽祭で聴いた《皇帝ティトの慈悲》でもフォルテピアノが見事でした。記憶が蘇ってきます。こんなに繊細さを極めたような《ドン・ジョヴァンニ》は初めて聴きます。実に新鮮で、かつ、このオペラの本質を突いているように感じます。第1幕のフィナーレの7重唱を聴いていると、saraiの頭が混乱してきます。えっ、こんな曲だったっけ? 何という発想の演奏でしょう。複雑かつ究極の精度の恐るべき演奏です。結局、この高い精度を保って、第2幕も素晴らしい演奏が続きました。これまで聴いてきた《ドン・ジョヴァンニ》とは、一線を画す演奏です。というよりも、モーツァルトのオペラで、こういう演奏が可能だったとは予想だにできなかった演奏です。一昨年のザルツブルク音楽祭での《皇帝ティトの慈悲》でsaraiの音楽の価値観がひっくり返された意味がじわっと分かってきたような気がします。やはり、これまでの音楽演奏とは、まったく次元の異なる演奏です。やはり、クルレンツィスの音楽の原点はモーツァルトのオペラにこそ、ありそうです。



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       クルレンツィス,  

クルレンツィスは進化する!モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》@ウィーン・コンツェルトハウス 2019.9.9

音楽的には、一昨日の《ドン・ジョヴァンニ》以上の演奏に思えました。作品自体もモーツァルトのオペラの最高傑作だと確信させる素晴らしいレベルの演奏です。歌手ではフィオルディリージ役を歌うナデージダ・パヴロヴァがドンナ・アンナに続く素晴らしい歌唱。クルレンツィスはどえらい逸材を発掘しましたね。現在、これ以上のモーツァルトのオペラを歌うソプラノはいないでしょう。《フィガロの結婚》でも伯爵夫人を歌ってもらいたいくらいです。そのナデージダ・パヴロヴァを中心に素晴らしいアンサンブルの歌唱でした。もちろん、クルレンツィスがすべてを仕切っています。歌手もオーケストラも自由に演奏しているような雰囲気を醸し出していますが、すべてはクルレンツィスの掌の中にあるのは明らかです。CDでは少々の不満がありましたが、この実演では音楽の精度が磨き抜かれ、まさに天才モーツァルトがこのオペラで意図した音楽はこういうことだったのかと目を開かれる思いです。モーツァルトのオペラの集大成の作品であることが実感できました。アリアを少なめにして、アンサンブルとしてのオペラで音楽の純度を高めた作品です。それを天才クルレンツィスは見事に再現してみせました。歌と器楽の融合体としてのオペラはこういうものなのですね。今回のキャストはCDとは主要な4人を総入れ替えして、若返りを図りました。クルレンツィスの意図は、声の透明性が高く、ソット・ヴォーチェを有効に歌える歌手を選定したものと思われます。クルレンツィスの音楽の本質がそこにあるからです。オーケストラの演奏も同じく、透明性が高く、特に弱音の効果を高めた演奏が基本に思えます。オーケストラと言えば、管楽器の鄙びた音色がモーツァルトのオペラにピタッとはまっていました。それに《ドン・ジョヴァンニ》のときに書くのを忘れていましたが、フォルテピアノのマリア・シャバショワは美貌だけでなく、素晴らしい演奏を聴かせてくれます。クルレンツィスの音楽には欠かせない逸材です。天才クルレンツィスのもとには、続々と高い音楽性を持つ人材が参集しているようです。

演奏の内容にも若干触れておきます。上に述べたようにナデージダ・パヴロヴァが素晴らしく、第1幕と第2幕で歌ったアリアは最高。第2幕のドラベッラとグリエルモの2重唱はうっとりするようなラブソング。同じく第2幕のフィオルディリージとフェランドの2重唱はぞくぞくするような愛の成就に魅了されました。他も聴きどころ満載で書き切れません。

なお、今回のモーツァルトのオペラ・チクルスはホールの中央の座席の一部を取り払って、録音機材が並べられていました。ライヴ録音した模様です。そのうちにCD化されるのでしょう。前回のCDの録音から5年も経っていませんが、クルレンツィスの音楽的進化は明らかです。みなさんも自身の耳で確かめられるでしょう。

キャストは以下です。(デスピーナ役がチェチーリア・バルトリに変わる以外はルツェルン音楽祭と共通)

 モーツァルト:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』 K.588 全曲


 ナデージダ・パヴロヴァ(フィオルディリージ)
 ポーラ・マリヒー(ドラベッラ)
 コンスタンティン・スチコフ(グリエルモ)
 ミンジェ・レイ(フェランド)
 アンナ・カシヤン(デスピーナ)*
 コンスタンティン・ヴォルフ(ドン・アルフォンソ)*
 ムジカエテルナ
 ムジカエテルナ合唱団
 テオドール・クルレンツィス(指揮)
 ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
  *クルレンツィスのCDでも同一キャスト


予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。

 ジモーネ・ケルメス(フィオルディリージ)
 マレーナ・エルンマン(フィオルディリージ)
 クリストファー・マルトマン(グリエルモ)
 ケネス・ターヴァー(フェランド)
 アンナ・カシヤン(デスピーナ)
 コンスタンティン・ヴォルフ(ドン・アルフォンソ)
 ムジカエテルナ(ピリオド楽器オーケストラと合唱団)
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音時期:2013年1月9-13日
 録音場所:ロシア、ペルミ、チャイコフスキー記念国立オペラ&バレエ劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


(以下の内容は既に書いたものです。今回も自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の2012年9月の録音の直後に、この《コジ・ファン・トゥッテ》は録音されました。クルレンツィスらしい隅々まで徹底したこだわりの演奏です。スタイルは《フィガロの結婚》とほぼ同じですが、ソット・ヴォーチェを駆使して、音楽の精度はさらに向上しています。この後に続く《ドン・ジョヴァンニ》と同じレベルの素晴らしさです。ただ、演奏は美しいのですが、若干、上滑り気味でこのオペラの持つ真の深みが感じられないのが残念です。これから先は実演に期待しましょう。



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       クルレンツィス,  

素晴らしきクルレンツィスの世界、開幕 モーツァルトのオペラ《フィガロの結婚》@ルツェルン音楽祭 2019.9.12

既にウィーンでクルレンツィスのダ・ポンテ3部作のうち、《ドン・ジョヴァンニ》と《コジ・ファン・トゥッテ》を聴いて、究極とも思える音楽的な精度の高さに驚嘆していました。しかし、本番ともいえるルツェルン音楽祭のクルレンツィスの公演が《フィガロの結婚》で開幕して、クルレンツィスの作り出すモーツァルトのオペラの凄さがさらに実感できました。無茶無茶、勢いの良い序曲から圧倒されます。モーツァルトのオペラ、ここにありという感じです。

基本的なスタイルは《ドン・ジョヴァンニ》と《コジ・ファン・トゥッテ》と同じです。いまさらながら、クルレンツィスのモーツァルトへのシンパシーとリスペクトの思いが実感されます。まるでモーツァルトの魂がクルレンツィスに乗り移って指揮しているんじゃないかと錯覚します。モーツァルトのオペラも新時代を迎えました。モーツァルトの音楽の深さが再発掘されたという思いでいっぱいになります。モーツァルトの音楽の天才性はこのクルレンツィスの天才の登場を待って、明らかにされたという感です。音楽のちょっとした端々の微妙なニュアンスに込めたモーツァルトの深い音楽性は驚異的であり、それをとことん追求したのがクルレンツィスです。今までの指揮者はただただ譜面の表面だけをなぞっていたのかという疑念さえ湧いてきます。アリアや重唱はクルレンツィス自身が個々の歌手の喉を使って、歌っているかのようです。実際、彼は声を出さずに歌っています。彼の感じた歌を歌手がクルレンツィスの意向に沿って歌っています。かって、カラヤンも同様の試みをしていましたが、明らかに資質が違います。同じアプローチでも、クルレンツィスの天才性が光ります。譜面の読み込みの深さが常人とは明らかに異なるレベルです。譜面を通して、作曲家モーツァルトの精神に到達したかの如くです。こういうことを書いていたら、切りがありません。ここらで今日の演奏内容に触れましょう。

今日も女声陣が素晴らしいです。主要なキャストのスザンナ、伯爵夫人、ケルビーノは際立っていましたし、マルチェリーナ、バラバリーナも見事な歌唱。男声陣はと言えば、これも素晴らしい。特にフィガロ、伯爵の渋くて、ダイナミックな歌唱が見事です。結局、どこにも隙のない歌唱で、これだけの歌手を揃えた公演は史上最強ではないかと思います。ピカ一だったのは伯爵夫人を歌ったエカテリーナ・シチェルバチェンコ。ドンナ・アンナ、フィオルディリージを歌ったナデージダ・パヴロヴァが最強のモーツァルト歌いと書きましたが、クルレンツィスはさらにこのエカテリーナ・シチェルバチェンコという隠し球も持っていたようです。いかにもクルレンツィス好みの透明な響きの声とソット・ヴォーチェの静謐な歌唱が素晴らしいです。第3幕のアリアで冒頭の旋律がソット・ヴォーチェで繰り返されるところで、あまりの美しさにsaraiは感動のあまり、涙が出ました。ドラベッラを歌ったポーラ・マリヒーのケルビーノも最高です。第2幕のアリアはこれまで聴いたケルビーノの中で最高レベル。細かい装飾音符の歌い方がピタッとはまっています。きっと、クルレンツィスがこだわって、熱血指導した賜物でしょう。あと、第3幕での伯爵夫人とスザンナのデュエットの見事な歌唱にも絶句しました。いちいち書いていたら、切りがあありませんね。それでも一番の聴きものだったオーケストラと声楽のアンサンブルの素晴らしさは讃えないといけないでしょう。各幕の終盤の凄まじい盛り上がりは尋常ではありませんでした。フォルテピアノ、オーボエの見事の技も忘れられません。

ともかく、これまでの音楽演奏とは別次元の世界をクルレンツィスは築き上げました。恐るべき才能としか、言えません。4日間連続公演の初日を聴いて、早くも無理してきてよかったという感慨がいっぱいです。

そうそう、公演終了後、席を立ち、ホールから出ようと歩いていると、チャーミングな女性と目が合ってしまいました。saraiが思わず、コパチンスカヤ・・・と言葉を漏らすと、彼女はにっこりとほほ笑んでくれます。思わず、手を差し出すと、暖かい手で握手してくれました。よく考えたら、彼女とは今年、2回目の握手です。彼女は覚えていないでしょうが、クルレンツィスとの日本公演の初日のパーティーで握手したんです。あのときも今日と同じチャーミングな笑顔でした。だから何って言わないでくださいね。

今日のキャストは以下です。

 モーツァルト:オペラ《フィガロの結婚》

 アンドレイ・ボンダレンコ(バス・バリトン:アルマヴィーヴァ伯爵)*
 エカテリーナ・シチェルバチェンコ(ソプラノ:伯爵夫人ロジーナ)
 アレックス・エスポジト(バス・バリトン:フィガロ)
 オルガ・クルチンスカ(ソプラノ:スザンナ)
 ポーラ・マリヒー(メゾ・ソプラノ:ケルビーノ)
 ダリア・チェリャトニコヴァ(メゾ・ソプラノ:マルチェリーナ)
 エウゲニ・スタビスキー(バス:バルトロ)
 クリスティアン・アダム(テノール:ドン・バジーリオ)*
 ファニー・アントネルー(ソプラノ:バルバリーナ) (CDではスザンナを歌っていた)
 ガリー・アガザニアン(バス:アントニオ)
 ムジカエテルナ
 ムジカエテルナ合唱団
 テオドール・クルレンツィス(指揮)
 ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
  *クルレンツィスのCDでも同一キャスト



予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。

 アンドレイ・ボンダレンコ(バス・バリトン:アルマヴィーヴァ伯爵)
 ジモーネ・ケルメス(ソプラノ:伯爵夫人ロジーナ)
 クリスティアン・ヴァン・ホルン(バス・バリトン:フィガロ)
 ファニー・アントネルー(ソプラノ:スザンナ)
 マリー=エレン・ネジ(メゾ・ソプラノ:ケルビーノ)
 マリア・フォシュストローム(メゾ・ソプラノ:マルチェリーナ)
 ニコライ・ロスクトキン(バス:バルトロ)
 クリスティアン・アダム(テノール:ドン・バジーリオ)
 ムジカ・エテルナ(ピリオド楽器オーケストラと合唱団)
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音時期:2012年9月24日~10月4日
 録音場所:ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

(以下の内容は既に書いたものです。今回も自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
オペラですから、本来は映像付きがよいのですが、《フィガロの結婚》だと、CDで聴いていても、映像が頭に浮かびます。saraiのお気に入りの3大オペラの一つですからね。実演でも10回以上は聴いています。
で、肝心の演奏ですが、予想通り、序曲からきびきびしたテンポで展開していきます。素晴らしいのは、音楽が活き活きしていて、CDでありながら、実演を聴いている感覚に陥ることです。それにオーケストラの演奏だけでなく、アリアの歌わせ方がとても見事です。ケルビーノの2つのアリア、フィガロの《もう飛ぶまいぞ、この蝶々》、伯爵夫人ロジーナの第3幕のアリア、スザンナのアリアと伯爵夫人とのデュエットなど、とりわけ、有名アリアが素晴らしいです。ずっと聴き惚れていましたが、やはり、フィナーレでアルマヴィーヴァ伯爵が『Contessa,perdono!』と伯爵夫人に許しを乞う歌唱では、強い感銘を受けて、うるっとします。この後、伯爵夫人が『Più docile io sono, e dico di sì.』と優しく許しを与えると、もう、たまりません。saraiの感情が崩壊します。その後のトゥッティも素晴らしいです。もう天国の世界です。そして、トゥッティがそのまま、テンポアップして、勢いよく、素晴らしいオペラを締めます。この実演を聴いたら、オペラ終了後、しばらく、立てなくなりそうです。ルツェルン音楽祭の本番はコンサート形式ですが、そんなことは関係ありません。究極のオペラが聴けそうです。長年、ヨーロッパ遠征してきて、音楽を聴いてきた集大成になるでしょう。



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       クルレンツィス,        コパチンスカヤ,  

バルトリとクルレンツィス、世紀の共演@ルツェルン音楽祭 2019.9.13

チェチーリア・バルトリとクルレンツィスの初共演とのことです。歴史に残る公演に立ち会えただけでも嬉しく思いますが、その演奏たるや、驚異的なものでした。不世出の希代のメゾ・ソプラノのバルトリは常に驚異的な超絶技巧の歌唱を聴かせてくれるので、とりたて、今日の歌唱だけを讃えるものではありません。一方、クルレンツィスの天才はいつも別次元の音楽を聴かせてくれます。その二人が共演するとどうなるか・・・結果は最高のものでした。互いがリスペクトし合いつつも、己の音楽を貫きとおし、天才同士ならではの未曽有の音楽を作り出しました。先に演奏したのはクルレンツィス。壮麗かつ精度の高い音楽を展開します。冒頭のキリエは初めて聴く音楽のような新鮮さと活力に満ちて、新たなモーツァルト像を提供してくれます。続くカンタータ 「悔悟するダヴィデ」でも、深い音楽性に満ちた合唱で始まります。そこへ初共演のバルトリが加わります。最初は彼女がクルレンツィスに息を合わせます。しかし、彼らの音楽性は基本的に同じ基盤に立っているような気がします。基本的に静謐な弱音をもとに音楽を組み立てて、ここぞというところで一気に音楽を爆発させます。ですから、無理のない形でお互いを意識し過ぎずに個性的な音楽をそれぞれ展開していきます。そもそも、天才指揮者クルレンツィスは共演相手が勝手気ままに演奏してもぴたっとオーケストラをつけていくことは、コパチンスカヤのヴァイオリンでも実感しています。ましてや、百戦錬磨のバルトリは個性的なアジリタを展開しつつもアンサンブルはしっかりと合わせていきます。曲が変わるたびに次第に自在な音楽が響き合い、強烈な個性を帯びた最高級の音楽が展開されていきます。クルレンツィスはいつか、後ろに下がり、アンサンブルの基盤をささえ、バルトリが思いっきり、歌唱していくという構図が出来上がっていきます。バルトリがメゾの曲だけでなく、ソプラノの曲も楽々と歌い込んで、しかも並みのソプラノ歌手では真似のできない骨太の歌唱を展開していく様に驚嘆するのみです。ドンナ・エルヴィーラのアリアをこんな風に歌った歌手はいまだかって知りません。フルトヴェングラーのもとでドンナ・エルヴィーラを歌ったシュヴァルツコップを凄いと思っていましたが、バルトリは別次元の歌唱。コロラトゥーラならぬアジリタの歌唱が素晴らしいです。圧巻だったのは最後のコンサートアリア。こんなにアジリタが炸裂する歌唱は初めて聴きました。凄い!! そして、感動はまだありました。アンコールの「エクスルターテ・ユビラーテ」の《アレルヤ》はやりたい放題のアジリタ尽くし。バルトリ・ワールドを満喫しました。バルトリ抜きの曲目でのクルレンツィスはどれも音楽的な精度を磨き抜いたモーツァルトを聴かせてくれました。明日以降のモーツァルトの予告編ですね。まったく、クルレンツィスはモーツァルト像を新たに書き換えてくれました。恐るべし、クルレンツィス。そして、素晴らしきかな、バルトリ。

今日のプログラムとキャストは以下です。

ムジカエテルナ(ピリオド楽器オーケストラと合唱団)
テオドール・クルレンツィス(指揮)
チェチーリア・バルトリ(メゾ・ソプラノ)
ミンジェ・レイ(テノール〉

オール・モーツアルト作品

キリエ ニ短調Kyrie in D minor, K. 341 (386a)
カンタータ 「悔悟するダヴィデ」より Excerpts from the cantata Davide penitente, K. 469
 第1曲 合唱とソプラノ「私は弱々しい声で主を呼びました」 Andante moderato ハ短調 Coro : Alzai le flebili voci
 第2曲 合唱「神の栄光を歌おう」 Allegro vivace ハ長調 Coro : Cantiam le glorie
 第3曲 アリア(ソプラノ)「不毛の悩みは遠ざかり」 Allegro aperto ヘ長調 Aria Soprano II : Lungi le cure ingrate

歌劇『皇帝ティートの慈悲』より、
 第1幕第4曲 行進曲March from La Clemenza di Tito, K. 621
 第1幕第5曲 合唱「保ちたまえ」Serbate, oh Dei custodi from La Clemenza di Tito, K. 621 (Chorus)
 第2幕第19曲 ロンド「この今のときだけでも」(セストのアリア)Deh per questo istante solo from La Clemenza di Tito, K. 621 (Sesto’s aria)
 序曲Overture to La Clemenza di Tito, K. 621
 第1幕第9曲 アリア「私は行く」(セストのアリア)Parto, parto, ma tu ben mio from La Clemenza di Tito, K. 621 (Sesto’s aria)

  《休憩》

歌劇『ドン・ジョヴァンニ』より、
 序曲Overture to Don Giovanni, K. 527
 第21b曲 ドンナ・エルヴィーラのレシタティーヴォとアリア「あの恩知らずの人は私を裏切った」In quali ecessi, o numi … Mi tradi aus Don Giovanni, K. 527 (Donna Elvira’s aria)

歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』より、
 序曲Overture to Così fan tutte, K. 588
 第2幕第29曲「もうすぐ腕に抱かれ」(フィオルディリージとフェランドの二重唱)Fra gli amplessi in pochi istanti from Così fan tutte, K. 588 (duet for Fiordiligi and Ferrando)

フリーメイソンのための葬送音楽Masonic Funeral Music in C minor, K. 477 (479a)
劇唱「どうしてあなたを忘れられようか」とロンド「恐れないで、愛する人よ」Concert aria Ch’io mi scordi di te … Non temer, amato bene, K. 505

  《アンコール》

モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」 K.165 (158a).より、第3楽章 アレグロ ヘ長調 《アレルヤ》


さて、今日の予習は以下の演奏を聴きました。

キリエ ニ短調 K. 341 (386a)
 モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー 1986年11月30日、ロンドン、セント・ジョンズ教会

カンタータ 「悔悟するダヴィデ」より K. 469 第8曲 不毛の悩みは遠ざかり
 チェチーリア・バルトリ、ウィーン室内管弦楽団、ジョルジー・フィッシャー(指揮) 1993年3-4月、モーツァルトザール、コンツェルトハウス、ウィーン

歌劇『皇帝ティートの慈悲』より、
 第1幕第4曲 行進曲
 第1幕第5曲 合唱「保ちたまえ」
 第2幕第19曲 ロンド「この今のときだけでも」(セストのアリア)
 序曲
 第1幕第9曲 アリア「私は行く」(セストのアリア)

 セストのアリア2曲
  チェチーリア・バルトリ、ウィーン室内管弦楽団、ジョルジー・フィッシャー(指揮) 1990年、モーツァルトザール、コンツェルトハウス、ウィーン

 その他のオーケストラ曲、合唱曲
  RIAS室内合唱団、フライブルク・バロック・オーケストラ、ルネ・ヤーコプス(指揮) 2005年 セッション録音

歌劇『ドン・ジョヴァンニ』より、
 序曲
 第21b曲「あの恩知らずの人は私を裏切った」

  バルトリの録音が見つからなかったためにパス。

歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』より、
 序曲
 第2幕「もうすぐ腕に抱かれ」(フィオルディリージとフェランドの二重唱)

  バルトリの録音が見つからなかったためにパス。

フリーメイソンのための葬送音楽 K. 477 (479a)
 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ラファエル・クーベリック(指揮) オットー・クレンペラー追悼コンサート 1974年1月14日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、ロンドン ライヴ録音
 
劇唱「どうしてあなたを忘れられようか」とロンド「恐れないで、愛する人よ」 K. 505
 チェチーリア・バルトリ、アンドラーシュ・シフ、ウィーン室内管弦楽団、ジョルジー・フィッシャー(指揮) 1990年、モーツァルトザール、コンツェルトハウス、ウィーン

(以下の内容は既に書いたものです。今回も自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
以上のようにバルトリの歌唱を中心に聴きましたが、おそらく、真ん中の休憩前、前半の最後に歌われるセストのアリア「私は行く」はクラリネットと絡んでの絶唱です。バルトリならではのアジリタも素晴らしく、この1曲を聴くだけでも、このコンサートを聴く甲斐があると思いました。それに今回はクルレンツィスとの初めての共演という期待もあります。後半の最後のコンサートアリアK.505も素晴らしい歌唱。アンドラーシュ・シフのベーゼンドルファーの美しいピアノの響きも素晴らしいです。今回のリサイタルでは、モダン・ピアノではなく、フォルテピアノの演奏になるんでしょうね。saraiとしては、誰か有名ピアニストがサプライズ登場して(バルトリつながりではシフ、クルレンツィスつながりではメルニコフ)、モダン・ピアノで演奏してくれたほうが嬉しいのですが・・・。
カンタータ 「悔悟するダヴィデ」 K. 469については、第8曲 不毛の悩みは遠ざかり だけがバルトリの歌唱で録音されていました。若い頃のバルトリは今以上の澄み切った美声で、とてもバルトリとは分からないような歌唱でびっくりです。セストのもう一つのアリアもアジリタがないせいか、すっきりと美しい歌唱です。ほぼ30年前の歌唱ですからね。

バルトリが歌わないクルレンツィス&ムジカエテルナの演奏は、既に聴き終えた歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』以外はクルレンツィス&ムジカエテルナの録音が見当たりません。で、なるべく、ピリオド奏法の録音を聴きます。キリエK.341はガーディナー他のものを聴きましたが、荘重な演奏です。クルレンツィスはもっと軽快な演奏になるのかな。歌劇『皇帝ティートの慈悲』は名匠ルネ・ヤーコプスの演奏。断片的に聴いたわけですが、素晴らしい演奏です。傾向的にはクルレンツィスと似た傾向の演奏と受け止めました。フリーメイソンのための葬送音楽は名指揮者の追悼によく演奏されるんですね。フルトヴェングラーの葬儀の際はヨッフム指揮のベルリン・フィル、カール・ベームの追悼コンサートではヨッフム指揮のウィーン・フィル、そして、今回聴いたのはオットー・クレンペラーの追悼コンサートをクーベリックが指揮したものです。いずれも巨匠ゆかりのオーケストラが他の巨匠に指揮されるという類似点があります。この曲はそういう位置づけの曲なのですね。クーベリックの指揮は見事です。あまり、彼のモーツァルトは評価されていないようですが、とても素晴らしいです。そう言えば、クーベリックはクララ・ハスキルとの幻に終わったモーツァルトのピアノ協奏曲全集というのがありました。二人は熱望していましたが、クーベリックがデッカ所属、ハスキルがフィリップス所属という壁に阻まれて、実現しませんでした。それどころか、彼らのモーツァルトの共演はまったく録音として残されていません。全集が実現していれば、音楽史上、輝くべき成果になったことは間違いありません。結局、彼らの共演はシューマンとショパンの協奏曲だけが残されています。もちろん、素晴らしい演奏です。ともかく、クーベリックのモーツァルトはいいです。



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       クルレンツィス,  

クルレンツィスが目指す道 モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》@ルツェルン音楽祭 2019.9.14

ウィーンのコンツェルトハウスで物凄い演奏を聴いたばかりのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》ですが、無論、クルレンツィスはさらに完成度を高めた演奏を聴かせてくれました。

クルレンツィスは意外にも、オーケストラ以上に歌手の歌唱に気を配っています。ウィーンでの演奏を踏まえて、歌手の歌唱のレベルの等質化を図ったように感じます。男声陣では、ドン・ジョヴァンニ、レポレッロ、マゼットという3人のバリトンが渋みを増した張りのある歌唱にレベルアップ。一昨日聴いた《フィガロの結婚》でのバリトン歌手たちのレベルの高い歌唱と並ぶものです。女性陣では素晴らしかったドンナ・アンナ役のナデージダ・パヴロヴァがさらに際立った歌唱を聴かせてくれます。また、ドンナ・エルヴィーラがウィーンとは見違えるような素晴らしい歌唱。とっても重要な役どころですから、クルレンツィスが磨きをかけたに相違ありません。さらにツェルリーナ役のクリスティーナ・ガンシュが本来の実力を発揮して、透明で美しい響きの歌唱を聴かせてくれます。ウィーンでの歌唱を上回るものです。結局、ソプラノ3人、バリトン3人の素晴らしい歌唱でウィーン以上に完成度の高い演奏になりました。テノールのケネス・ターヴァーはウィーンと同様の素晴らしい歌唱です。
オーケストラもさらに鮮鋭さを増した究極の響き。序曲冒頭のシリアスで劇的な響きは驚異的。途中で切り換わる軽快に疾走する表現も戦慄を覚えるほどです。

一体、クルレンツィスはどれほどの高みの演奏を目指しているんだろうと驚きを禁じ得ません。クルレンツィス以前はモーツァルトのオペラと言えば、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、軽妙で気楽に聴く音楽の代表のようなものであったように思います。しかし、クルレンツィスはその価値の転換を図り、精妙で深さのある音楽、ある意味、聴くものにとって、その中身を理解するのがとても難しい音楽に変質させてしまいました。今日の《ドン・ジョヴァンニ》だけのことを言っているのではなく、ダ・ポンテ3部作のすべて、あるいはモーツァルトのオペラすべてがそうです。そういうことを感じながら、それでも、まだ、クルレンツィスの天才はどこにあるのかをsaraiは考え続けています。

今日のキャストは以下です。(ウィーン・コンツェルトハウスと共通)

 モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 K.527 全曲

 ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)*
 ロバート・ロイド(バス/騎士長)
 ナデージダ・パヴロヴァ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
 ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)*
 フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
 カイル・ケテルセン(バリトン/レポレッロ)
 ルーベン・ドローレ(バリトン/マゼット)
 クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)*
 ムジカエテルナ
 ムジカエテルナ合唱団
 テオドール・クルレンツィス(指揮)
 ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
  *クルレンツィスのCDでも同一キャスト


第1幕ではドンナ・エルヴィーラ役のフェデリカ・ロンバルディの深い響きの歌唱が印象的でした。しかし、それ以上にムジカ・エテルナの響きの豊かさ(あらゆる意味で)が驚異的なレベルに達していました。ゾーンに入った演奏で、どこをとってみても文句のつけようがないどころか、どうしてこんな音楽表現ができるのか、saraiの理解をはるかに超えた超絶的な演奏です。終幕の7重唱は歌唱もオーケストラも最高の音楽に昇華しています。しかし、聴く側のsaraiも疲れる!!

第2幕では、ドン・ジョヴァンニのセレナードが素晴らしくてうっとり。そして、ドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの歌唱がウィーンでの歌唱をさらに超えて、異次元のレベル。その澄んだ透明な声の響きの美しさ、そして、コロラトゥーラの超絶技巧の限りを尽くした歌唱は驚異的です。これからのモーツァルトのオペラは彼女の存在を抜きにしては語れないでしょう。大変なソプラノ歌手が出現したものです。これが聴けただけでもルツェルン音楽祭に足を運んだ甲斐がありました。こういう歌手を抜擢し、その歌唱と音楽表現を指導したクルレンツィスは音楽界のカリスマであるだけでなく、新時代の帝王にふさわしい逸材と言えるでしょう。

今日も終盤の地獄落ちで、クルレンツィス&ムジカエテルナの凄まじい音響と音楽が炸裂します。身震いを覚えるような迫力で、終幕。ウィーンと同様にウィーン版のエンディングです。やがて、カーテンコールで満場、スタンディングオベーション。と、クルレンツィスがプラハ版のエンディングの演奏を始めるかと思うと、さにあらず。騎士長役のロイドを指さすと、ロイドがウィーン版のエンディングでしたとコール。そうです。ここはウィーンではないので、ウィーン版の説明が必要とクルレンツィスが考えたのでしょう。で、プラハ版のエンディングの演奏が始まります。
やはり、プラハ版のエンディングは必要です。ドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの美しい歌唱が再び聴けるからです。あらゆる意味で、満足しました。

予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。

 ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)
 ヴィート・プリアンテ(バリトン/レポレッロ)
 ミカ・カレス(バス/騎士長)
 ミルト・パパタナシュ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
 ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)
 カリーナ・ゴーヴァン(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
 グイード・ロコンソロ(バリトン/マゼット)
 クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)
 ムジカエテルナ
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音時期:2015年11月23日~12月7日
 録音場所:ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

(以下の内容は既に書いたものです。自分の文章を2度もパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の録音は2012年9月でしたから、3部作の締めくくりになる、この《ドン・ジョヴァンニ》はその3年後ということになります。この3年の間のクルレンツィス&ムジカエテルナの躍進ぶりがこの録音に現れています。きびきびした序曲の開始は同じですが、その演奏精度の向上がはっきりと分ります。妙にデモーニッシュになり過ぎず、その明快ですっきりした演奏に魅惑されます。序曲が終わり、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが登場しますが、その明暗がくっきりとした上質とも思える演奏に驚愕します。モーツァルトでこんな演奏が可能なんですね。ドン・ジョヴァンニは終始、ソット・ヴォーチェを駆使して、その色男ぶりを強調します。ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオの美男美女を思わせる美声コンビの歌唱も見事。《フィガロの結婚》では若干、違和感を感じたフォルテピアノもこのオペラでは実に有効に機能します。そう言えば、一昨年のザルツブルク音楽祭で聴いた《皇帝ティトの慈悲》でもフォルテピアノが見事でした。記憶が蘇ってきます。こんなに繊細さを極めたような《ドン・ジョヴァンニ》は初めて聴きます。実に新鮮で、かつ、このオペラの本質を突いているように感じます。第1幕のフィナーレの7重唱を聴いていると、saraiの頭が混乱してきます。えっ、こんな曲だったっけ? 何という発想の演奏でしょう。複雑かつ究極の精度の恐るべき演奏です。結局、この高い精度を保って、第2幕も素晴らしい演奏が続きました。これまで聴いてきた《ドン・ジョヴァンニ》とは、一線を画す演奏です。というよりも、モーツァルトのオペラで、こういう演奏が可能だったとは予想だにできなかった演奏です。一昨年のザルツブルク音楽祭での《皇帝ティトの慈悲》でsaraiの音楽の価値観がひっくり返された意味がじわっと分かってきたような気がします。やはり、これまでの音楽演奏とは、まったく次元の異なる演奏です。やはり、クルレンツィスの音楽の原点はモーツァルトのオペラにこそ、ありそうです。



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       クルレンツィス,  

クルレンツィスは最高の演奏で閉幕 バルトリはデスピーナでもアジリタ全開 モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》@ルツェルン音楽祭 2019.9.15

ルツェルン音楽祭を通して、今日の《コジ・ファン・トゥッテ》が最高の演奏でした。モーツァルトのオペラの最高峰にふさわしい驚異的なレベルの演奏です。何と言っても、3人の女声歌手が究極の歌唱を聴かせてくれました。まずはフィオルディリージ役を歌うナデージダ・パヴロヴァが今日も会心の歌唱。彼女の透き通った潤いのある声を聴いているだけで幸せです。ウィーン、ルツェルンで計4回聴きましたが、今や、現役のソプラノでは一番のお気に入りです。モーツァルトのオペラしか聴いていませんが、評判の高いタチアーナも素晴らしい歌唱なんでしょう。彼女は抒情的な歌唱も見事ですが、力のある声の響きも持ち、超絶的なコロラトゥーラも聴かせてくれます。ルチアの狂乱の場なんかも聴きたいところです。ともかく、今回のヨーロッパ遠征でこの素晴らしいソプラノと出会えたのは望外の喜びです。唯一の問題は彼女の名前が舌を噛みそうな覚えにくさ。
バルトリのデスピーナ! 彼女が今後歌う機会があるのでしょうか。バルトリはデスピーナを歌っても自然にアジリタします。彼女でないと歌えないデスピーナ。こんなスーパーキャストで聴けるのもルツェルン音楽祭ならではです。しかも、デスピーナ役にバルトリ以上の適任はないと断じられるような素晴らしい歌唱でした。
ドラベッラ役のポーラ・マリヒーはウィーンでの歌唱もよかったのですが、今日の歌唱は絶好調。安定した中音域から澄み切った高音域までむらのない響きの歌唱で、特にナデージダ・パヴロヴァとの2重唱の美しいこと。恐れ入りました。
女声の3人は絶対的なレベルの歌唱で、今後、これ以上のキャストでの《コジ・ファン・トゥッテ》は登場しないのではないかと思わせるような完璧の演奏でした。
男声3人も素晴らしい歌唱でしたが、女声のあまりの素晴らしさに比すものではありません。
クルレンツィス指揮のムジカエテルナの音楽的な精度の高さはこの4日間を通じてのものですが、聴けば聴くほど、その演奏の細かいところまで磨き抜かれたところに絶句するだけです。それにモーツァルトの音楽に対してのリスペクトと愛情の強さも尋常ではなく、実に丁寧で誠実な演奏です。歌手に合わせて、オーケストラの響きを変えていたのは、モーツァルトの楽譜に書かれていることなのか、どうかはsaraiはよく知りませんが、こんな演奏を今まで聴いたことがないのは確かです。ピチカートとかチェロを床に叩きつけるとか、足を踏み鳴らすとか、普通のオーケストラではやらないことを多用しており、それが演奏効果として、有効に機能していました。

演奏の個々に触れる必要はないでしょう。すべてが素晴らしかったんですからね。それでも、いくつかは触れておきましょう。第2幕のフィオルディリージの長大なアリアにはとりわけ、魅了されました。第2幕の2組の仮のカップルのラヴソングは最高。特にフィオルディリージとフェランドのかりそめの恋愛が真実の恋愛に成就する(saraiはそう解釈しています)ところはモーツァルトの音楽が素晴らしいのですが、それをきちんと演奏で実現しているのは素晴らしく、うっとりを通り越して、魅了され尽くしました。第1幕、第2幕の終幕の5重唱、6重唱のオーケストラと一体化した凄まじい高揚感はあきれるばかりです。短いパウゼを置いた急速なテンポの変化も素晴らしかったです。そうそう、序曲もそうでしたが、アップテンポのオーケストラの疾走感は素晴らしいです。特に古楽器を使っている管楽器がその急速なテンポで見事な演奏を聴かせてくれたのが印象に残りました。オーボエ、フルートをはじめとした名人たちの演奏に魅惑されました。レシタティーボで伴奏パートを務めた通奏低音、特にフォルテピアノのマリア・シャバショワは美貌だけでなく、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

キャストは以下です。(デスピーナ役がチェチーリア・バルトリに変わった以外はウィーン・コンツェルトハウスと共通)

 モーツァルト:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』 K.588 全曲


 ナデージダ・パヴロヴァ(フィオルディリージ)
 ポーラ・マリヒー(ドラベッラ)
 コンスタンティン・スチコフ(グリエルモ)
 ミンジェ・レイ(フェランド)
 チェチーリア・バルトリ(デスピーナ)
 コンスタンティン・ヴォルフ(ドン・アルフォンソ)*
 ムジカエテルナ
 ムジカエテルナ合唱団
 テオドール・クルレンツィス(指揮)
 ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
  *クルレンツィスのCDでも同一キャスト


今回のダ・ポンテ3部作を総括すると、モーツァルトのオペラはその真の姿を現すために、240年ほどの時を経て、天才クルレンツィスの登場を待っていたということになるでしょうか。saraiはその歴史的な場面に立ち会わせてもらいました。そして、モーツァルトの天才の真の意味を知ることになりました。2人の天才にダブルで感謝することになったルツェルン音楽祭でした。1954年8月22日、あの素晴らしいフルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されて以来の画期的なコンサートと言えるでしょう。(アバドのファンの方、ごめんなさい)

予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。

 ジモーネ・ケルメス(フィオルディリージ)
 マレーナ・エルンマン(フィオルディリージ)
 クリストファー・マルトマン(グリエルモ)
 ケネス・ターヴァー(フェランド)
 アンナ・カシヤン(デスピーナ)
 コンスタンティン・ヴォルフ(ドン・アルフォンソ)
 ムジカエテルナ(ピリオド楽器オーケストラと合唱団)
 テオドール・クルレンツィス(指揮)

 録音時期:2013年1月9-13日
 録音場所:ロシア、ペルミ、チャイコフスキー記念国立オペラ&バレエ劇場
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


(以下の内容は既に書いたものです。今回も自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の2012年9月の録音の直後に、この《コジ・ファン・トゥッテ》は録音されました。クルレンツィスらしい隅々まで徹底したこだわりの演奏です。スタイルは《フィガロの結婚》とほぼ同じですが、ソット・ヴォーチェを駆使して、音楽の精度はさらに向上しています。この後に続く《ドン・ジョヴァンニ》と同じレベルの素晴らしさです。ただ、演奏は美しいのですが、若干、上滑り気味でこのオペラの持つ真の深みが感じられないのが残念です。これから先は実演に期待しましょう。



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       クルレンツィス,  

指揮者は透明人間! アレクサンドル・ガテ&ダヴィド・グリマル&レ・ディソナンスLES DISSONANCES@フィルハーモニー・ド・パリ 2019.9.24

フィルハーモニー・ド・パリ(Philharmonie de Paris)に初見参です。素晴らしくお洒落で音響的にもよいホールです。オーケストラのコンサートには大き過ぎず、ちょうどよいサイズですね。サル・プレイエルの古ぼけたホールとは隔世の感です。
演奏はフランスのヴァイオリニスト、ダヴィド・グリマルDAVID GRIMALが主宰する室内アンサンブル、レ・ディソナンスLES DISSONANCESの演奏のつもりでした。しかし、実際にはこの室内アンサンブルを核に拡大した大編成のオーケストラの演奏でした。それでも指揮者なし。こんな大編成のオーケストラで指揮者のいない演奏は初めて聴きました。なんか変な感じで、そのことが演奏中にも気になります。いっそのこと、不肖、saraiが指揮台に立ってしまおうかと思うほど、違和感があります。今やクルレンツィスのようなカリスマ指揮者が台頭する時代に逆戻りですが、その一方、こういう試みもあるのが、ヨーロッパの底深い文化的土壌なのかと思ってしまいます。演奏開始のキューは演奏パートの首席奏者が体で示しています。最初のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲とイゾルデの愛の死は低弦で始まるので、不意を突かれた形になります。冒頭のトリスタン和音の後、パウゼがはいりますが、よく指揮者なしで乱れることなしに演奏できるものです。アンサンブルはよく揃って見事な響きですが、必ずしも一糸乱れずという感じではありません。まあ、そういうことを目指しているんではないと思います。この曲はかって、フルトヴェングラーが素晴らしい録音を残していますが、それは彼の音楽思想を表現したものでした。そういう天才が音楽を思想として表現するものをこれまで聴いてきたわけですが、指揮者なしだということは単に音符を正確になぞるだけになってしまうのではないかという懸念もあります。今日の演奏は後期ロマン派の濃厚な香りを感じさせるものではありましたが、どこかすぽっと抜けているものもあるように感じて、そこのところはこう表現したい・・・saraiが指揮台に立って棒を振りたくなってしまいます。しかし、そのように聴衆一人一人が指揮者の立場で音楽を聴くというのが、この試みの狙いなのかもしれません。完全燃焼には至りませんでしたが、音響的には素晴らしい演奏でした。

2曲目のR.シュトラウスのオーボエ協奏曲は素晴らしい演奏でただただうっとりとしてしまいました。これほどの演奏は聴いたことがありません。その立役者はーボエ独奏のアレクサンドル・ガテAlexandre Gattetです。まさにR.シュトラウスの音楽そのものという完璧な表現。変な例えですが、シュヴァルツコプのソプラノでR.シュトラウスを聴いているようなものです。4つの最後の歌をオーボエで聴いているような思いに駆られます。そして、オーケストラに指揮者がいないので、オーケストラが変な自己主張をせずにオーボエの支え役にまわっているのが好感できます。それにしても第2次世界大戦勃発後から亡くなる1949年までの10年ほどのR.シュトラウスの音楽のいかに素晴らしいことか。絶頂期のシュトラウスの音楽の残照がほのぼのと光っています。オペラでは《ダナエの愛》、《カプリッチョ》、歌曲では《4つの最後の歌》、管弦楽曲では《メタモルフォーゼン》、そして、この《オーボエ協奏曲》。いずれもアイロニーに満ちた作品ばかりで聴いているものの胸をしめつけるような魅力があります。今日のオーボエのガテはそういう魅力を完璧に表現していました。これが聴けただけでもこのコンサートに足を運んだ甲斐がありました。

後半のシェーンベルクの交響詩《ペレアスとメリザンド》は若きシェーンベルクが後期ロマン派の爛熟した作品を完成させたものですが、その音響美は下手な音楽解釈は不要なもので、今日のような指揮者なしには適した作品に思えました。徹頭徹尾、濃厚なロマンがその音響的な美しさから香り立っていました。素晴らしい演奏に魅了されました。こういう演奏表現もあるんですね。

キャスト、演奏曲目は以下です。

 指揮者:なし
 オーボエ:アレクサンドル・ガテAlexandre Gattet
 管弦楽:レ・ディソナンスLES DISSONANCES コンサートマスター:ダヴィド・グリマルDAVID GRIMAL

 ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死(器楽版)
 R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
  《アンコール》 超絶的なオーボエ独奏曲(曲目不詳)

 《休憩》

 シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》


予習は以下の通り、何故か、お好みでないカラヤン指揮ばかりになってしまいました。

 ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル、ジェシー・ノーマン 1987年8月、ザルツブルク音楽祭ライヴ

 R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
  ローター・コッホ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1969年9月、ベルリン、イエス・キリスト教会 セッション録音

 シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1974年1月、2月 ベルリン セッション録音


「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死は素晴らしい演奏です。久しぶりにこの演奏を聴きましたが、とても美しい演奏です。カラヤンは後期ロマン派にその美質を活かします。

R.シュトラウスのオーボエ協奏曲はローター・コッホの安定した演奏とその表現力が見事です。R.シュトラウスを得意とするカラヤンも晩年のシュトラウスの穏やかな諦念を美しく表現します。素晴らしい演奏です。この曲でここまでの演奏は初めて聴きました。名曲ですね。

シェーンベルクの交響詩《ペレアスとメリザンド》は美しい演奏ですが、どこか、空々しく聴こえます。これはカラヤンの演奏を聴いたのは失敗でした。ロバート・クラフトを聴けばよかったと後悔します。しかし、時間切れでもう予習時間はありませんでした。



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いつもパリのバレエはお洒落 杉本博司&ウィリアム・フォーサイス@パリ・オペラ座(ガルニエ) 2019.9.25

今日はパリ・オペラ座(ガルニエ)でバレエ。マリインスキーのバレエと並んで、世界の双璧をなすバレエ団です。華やかさ、お洒落度ではこのパリ・オペラ座が一番。今日もその華麗なステップで目を楽しませてくれました。

前半は日本の能をからめた作品で、ステージからオーケストラピットの上に能舞台のようなものを突き出した斬新な舞台セット。水乞いをする鷹姫や老人、若者に加えて、能役者までが登場する気合いのはいった作品ですが、日本人の目からすると、ちょっと中途半端なような気もします。しかし、舞台にみなぎる緊張感は尋常のものではありませんでした。主役級のダンサーもよかったのですが、脇を固める群舞のダンサーの素晴らしさがこのバレエ団の実力の一端を示していました。

後半は一転して、ウィリアム・フォーサイスによるポップで軽快なバレエ。華やかにノリのよいバレエで気楽に楽しませてもらいました。中間と最後のデュオが素晴らしく抒情的でうっとりとさせられました。あっと言う間の30分でした。

出演したエトワールは前半のアマンディーヌ・アルビッソンと後半のレオノール・ボラック。演目的にそれほどの妙技が披露されたわけではありません。

公演内容は以下です。

 At the Hawk’s Well/鷹の井戸

 原作:ウィリアム・バトラー・イェイツ(アイルランドの詩人・劇作家)
 演出:杉本博司
 音楽・空間演出:池田亮司
 振付:アレッシオ・シルベストリン
 衣裳デザイン:リック・オウエンス
 能振付・役者:観世銕之丞

 鷹姫:アマンディーヌ・アルビッソンAmandine ALBISSON
 クーフリン:アクセル・マグリアーノAxel Magliano
 老人:オドリック・ベザールAudric BEZARD

 
 《休憩》


 Blake Works I

 演出・振付:ウィリアム・フォーサイス
 音楽:ジェームズ・ブレーク(The Color in Anything、2016)

 主なダンサー
  レオノール・ボラックLéonore Baulac
  マリオン・バルボーMarion Barbeau
  ビアンカ・スクダモールBianca Scudamore
  フロロン・メラックFlorent Melac



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モーツァルトはオペラだけじゃない 内田光子&マーラー・チェンバー・オーケストラ@ウィーン・コンツェルトハウス 2019.9.26

ちょうど2週間前にここでクルレンツィス&ムジカエテルナの演奏でモーツァルトのオペラを聴いたばかり。その後、スイス、フランスと旅してきて、今日また、ここに戻ってきました。そして、また、モーツァルト。モーツァルトはオペラが最高ですが、忘れちゃいけないのが、ピアノ協奏曲。現代のモーツァルトのピアノのオーソリティの内田光子の演奏を聴きます。前半のK.459はピアノの響きがもう一つでしたが、後半のK.466はピアノの響きが美しく響き渡り、最高の演奏。それ以上に素晴らしかったのは内田光子の指揮。深くて鋭いオーケストラの響きと考え抜かれた音楽表現で聴くものを魅了します。ピアニストの内田光子よりも音楽家の内田光子が光ります。第1楽章冒頭の抑えた弱音での表現にははっと驚かされます。妙にデモーニッシュな表現で演奏されることが多いですが、音楽家、内田光子の優れた音楽性ではもっと密やかで精神性に満ちた表現になります。伸びやかで思い切りのよい表現も見事です。第2楽章にはいると、美しく抒情に満ちたピアノとオーケストラの相互作用が密になります。美しいだけでなく、深い精神性にも満ちています。第3楽章は晴れやかな音楽がテンポよく展開されます。ピアノの指の回り具合も十分で聴き映えします。感動に満ちた音楽が上り詰めたところで終了。

マーラー・チェンバー・オーケストラの23人の弦楽器奏者で演奏されたR.シュトラウスのメタモルフォーゼンも終始、悲しみ色に満ちていて、胸が締め付けらる思いに駆られます。第2次世界大戦の終わり間近に書かれた、この作品は西欧文化のオワリを告げるような内容です。爛熟した文化はこのときを境として、別のものに変容していったのかもしれません。曲名がそのことを象徴しているかのごとくです。今日の演奏は何かに取り憑かれたように熱い思いに駆られたものでした。指揮者なしでもこういう演奏ができるんですね。

今日の公演内容は以下です。

 ピアノ&指揮:内田光子
 管弦楽:マーラー・チェンバー・オーケストラ

 モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459
 R.シュトラウス:メタモルフォーゼン (指揮者なし)

  《休憩》

 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466

  《アンコール》モーツァルト:ピアノソナタ第15番 ハ長調K.545より第2楽章 アンダンテ


予習の内容は以下です。(以前書いた内容のデッドコピーです。既に読まれたかたは読み飛ばしてくださいね。)

ここは内田光子の演奏で聴くべきところですが、その素晴らしい演奏は散々、聴いています。その上で、saraiの愛する最高の演奏を聴きます。予習というよりも楽しみです。
曲目が第19番 K.459と第20番 K.466とくれば、これは最愛のピアニスト、クララ・ハスキルの名演奏がたくさん残っています。
まず、第19番 K.459はハスキルの全録音8枚の中で最も録音と演奏の素晴らしい1枚がこれ。

 1959年2月19日、パリ(シャンゼリゼ劇場) コンスタン・シルヴェストリ指揮フランス国立管弦楽団

 これは最高の1枚です。何とステレオ録音です。音質もこれ以上ないほどの素晴らしさ。平林直哉氏の最高の仕事に感謝です。シルヴェストリ指揮のフランス国立管弦楽団はモーツァルトにしては少々、硬い印象ではありますが、立派な演奏と言えるでしょう。そして、ハスキルのピアノは非常に明確。やはり、純度の高い響きで格調ある演奏です。ハスキル・ファンとしては感涙ものと言える素晴らしい演奏と録音です。ハスキルを代表する1枚と言えます。どうして、世の中で評判にならないのか、とっても不思議です。第3楽章のハスキルの妙技、そして、それに触発されるかのように白熱するオーケストラ。これぞ、協奏曲と言える演奏に酔いしれるのみです。大変、感動します。会場から沸き起こる拍手と一緒に拍手します。まさにその場でライヴで聴いた思いになります。saraiの愛聴盤です。


次は第20番 K.466。名曲中の名曲ですね。ハスキルは11枚も録音を残しており、どれも素晴らしい演奏ばかりです。いずれもハスキルのファンならば、聴き逃せない演奏ばかりですが、とりわけ、1956年のカラヤン、1956年のミュンシュ、1959年のクレンペラーとのライヴ録音は素晴らしいの一語に尽きます。1954年のフリッチャイとのセッション録音、1954年のパウムガルトナー、1960年のマルケヴィッチも捨て去りがたい魅力に満ちています。やはり、ハスキルのピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466は大袈裟に言うと、人類の文化遺産の最高峰です。この中でsaraiの一番のお気に入りはこれ。

 1959年9月8日、ルツェルン音楽祭 オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(AUDITEハイレゾ) カデンツァ:ハスキル

 前に聴いていたURANIAのCDも音質こそ悪いですが、素晴らしい演奏でした。しかし、新たにAuditeのダウンロード販売で入手したハイレゾ音源はまるで奇跡のように素晴らしい音質で、オーケストラもハスキルのピアノの響きも素晴らしく磨きあがっています。とりわけ、ハスキルのピアノの高域のピュアーな響きと低域の深みのある響きは感涙ものの素晴らしさ。AUDITEのルツェルン音楽祭のハイレゾ音源シリーズでは、フルトヴェングラーのシューマンの交響曲第4番も見事に蘇りましたが、これはそれを上回る出来です。この演奏で聴くハスキルの音楽は一段と芸術上の高みに上った感があります。潤いのある、磨き上げられたようなピアノの響きで哀感のある音楽を奏でていきます。まさに輝くような演奏に引き込まれてしまいます。第2楽章の深い詩情にあふれた演奏には絶句するのみです。第3楽章もパーフェクトな響きで音楽が進行します。これこそ、ハスキルのモーツァルトを代表する名演奏です。クレンペラーもさすがに立派にオーケストラを鳴らしています。名指揮者と組んだときのハスキルは一段と輝きを増します。第1楽章の冒頭はいかにもデモーニッシュな雰囲気のオーケストラ演奏ですが、ハスキルの品格の高いピアノが入ってくると状況が一変します。あの名匠クレンペラーもハスキルの品格に合わせた演奏に切り替えます。モーツァルトの音楽の純粋さを際立たせるようなピアノとオーケストラがこの名曲の本質を奏でていきます。これこそ、真のモーツァルトの音楽であることを実感させてくれます。


ウィーン・コンツェルトハウスの内田光子&マーラー・チェンバー・オーケストラのモーツァルトのピアノ協奏曲の夕べでは、2曲の名曲の間に、R.シュトラウスの晩年の傑作、メタモルフォーゼンが演奏されます。不思議なプログラムです。予習では今まで聴いていなかった演奏を選びます。これまで聴いた中ではフルトヴェングラーとクレンペラーが双璧の演奏でした。今日はこれ。

 1967年8月、ジョン・バルビローリ指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団

カップリングされているのは、名演奏で有名なマーラーの交響曲第6番。しかし、このメタモルフォーゼンも素晴らしい演奏。戦後20年ほど経った時点での戦勝国側のイギリスのメンバーによる演奏ですが、まさに戦争には勝者も敗者もなく、残されたのは悲しみだけという厳然たる真実を告げるかのような魂の演奏です。カラヤン&ベルリン・フィルの美しいけれども、どこか空々しい演奏とは一線を画す演奏に思えます。


メタモルフォーゼンを聴き終えて、内田光子の知的なプログラム構成に思いを巡らせます。共通項は“悲しみ”です。モーツァルトの音楽はピュアーな表現の持つ悲しみ。R.シュトラウスは父親の影響もあって、モーツァルトの音楽を音楽を再興しようと、「ばらの騎士」などの名曲を作り上げましたが、それは悲しみではなく、ウィーン風の軽みに満ちたものでした。しかし、晩年はこのメタモルフォーゼン、4つの最後の歌、カプリッチョ、ダナエの愛などで透徹した悲しみを表現するようになりました。およそ、150年を隔てたモーツァルトの音楽とR.シュトラウスの音楽を“悲しみ”で繋ぎ合わせようというのが、内田光子の思いだと考えましたが、その答えはコンサートで聴きとりましょう。




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戦慄のオペラ《サロメ》 何とカミラ・ニュルンドが代役に立つ嬉しい驚き@ウィーン国立歌劇場 2019.9.27

ウィーン国立歌劇場で本当に久しぶりにオペラを聴きます。最後に聴いたのは2015年6月のヒンデミットの歌劇「カルディヤックCardillac」。今日は4年ぶりです。そして、ウィーン国立歌劇場で聴くR.シュトラウスは格別です。ここでR.シュトラウスを聴くのは、2014年6月に歌劇「ナクソス島のアリアドネ」を聴いて以来、5年ぶりです。

ここで《サロメ》を聴くのは8年ぶり。サロメの演出はそのときから今でも変わっていません。演出家のボレスラウ・バルロクは既に故人です。8年前の2011年10月に聴いたサロメは最高に素晴らしい公演でした。オーケストラの究極の美に酔いしれました。このときの記事はここです。そして、タイトルロールのサロメを歌ったカミラ・ニュルンドが素晴らしく、その年のsaraiの音楽総決算でもネトレプコとガランチャ、デノケ、フリットリなどを尻目に、第1位に選出したほどでした。
そして、今日の驚きはそのカミラ・ニュルンドが代役で歌うことになったことです。正直、今日はあまり歌手には期待していなくて、もっぱら、オーケストラの演奏を聴くつもりでチケットを購入したんです。代役でがっかりすることが多いのに、代役で大喜びすることは稀です。以前、Yさんの代役でヒラリー・ハーンが登場したとき以来でしょうか。

今日は気合いを入れて、最前列で聴きます。こんなに明確にサロメのオーケストラパートを聴くのは初めての体験です。いやはや、ほとんどがウィーン・フィルのメンバーの演奏ですが、その熱の入った演奏に興奮します。とりわけ、木管奏者が目の前なので、うるさいくらい、よく聴き取れます。交響詩《英雄の生涯》を継承するフレーズが多いことに初めて気が付きます。交響詩をすべて完成させたR.シュトラウスが交響詩で磨き上げた管弦楽法を投入し、その上に声楽パートを積み上げて、20世紀の新しい形のオペラを築き上げたのはこの《サロメ》だったんですね。つい先日、R.シュトラウスは1940年代の晩年の作品が素晴らしいと書いたばかりですが、ちょっと修正しないといけません。晩年に加えて、初期のオペラ作品の《サロメ》、《エレクトラ》の前衛性・先進性は何物にも代えがたい魅力を放っています。続く《ばらの騎士》、《ナクソス島のアリアドネ》も素晴らしいので、結局、どれも素晴らしいとしか言えません。オペラに先立つ交響詩群も素晴らしいしね・・・。
ともあれ、この《サロメ》はオーケストラの素晴らしい演奏で目が眩みそうです。そして、サロメを歌うカミラ・ニュルンドは出だしこそ、ちょっと物足りない歌唱でしたが、アラン・ヘルドの歌うヨカナーンの登場以降の高域の透き通った歌声と強烈な叫び声にも似たフォルテの圧倒的な歌唱には圧倒されるだけです。オーケストラの遠慮ない音量の演奏にも負けない強靭な歌唱で、管弦楽と声楽の融合したR.シュトラウスの最高の演奏が続き、saraiはもう感動で胸が張り裂けんばかりです。8年ぶりに聴く《サロメ》はやはり凄かった! ウィーン国立歌劇場はR.シュトラウスの楽劇を聴く場なのでしょうか。恐ろしいほどの熱い演奏に感動一入でした。
なお、他の歌手陣も素晴らしく、ヘロディアスのリンダ・ワトソンはサロメを歌わせてもいいんじゃないかと思うほどの声量の素晴らしい歌唱。今まで聴いたヘロディアスで最高の歌唱。ヘロデのイェルク・シュナイダーは実は前回はナラボートを歌いましたが、今回はヘロデ。堂々たる歌唱でした。そして、期待のアラン・ヘルドのヨカナーンですが、絶好調のカミラ・ニュルンドに毒気を抜かれたかの如く、少し、存在感に欠けました。素晴らしい歌唱ではありましたが、カミラ・ニュルンドに張り合いきれませんでしたね。
また、演出と舞台装置は以前からと同じですが、7つのヴェールの踊りのカミラ・ニュルンドの踊りはダンサー顔負け。クリムト風の舞台装置と衣装もやはり、お洒落で20世紀初頭のモダンな雰囲気が醸し出されています。この《サロメ》は名作ですね。しばらくはこの演出が続くのでしょう。

今日のキャストは以下です。

指揮:デニス・ラッセル・デイヴィス
演出:ボレスラウ・バルロク
舞台デザイン:ユルゲン・ローゼ
管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団 コンサートミストレス:アルベナ・ダナイローヴァ

ヘロデ:イェルク・シュナイダー
ヘロディアス:リンダ・ワトソン
サロメ:カミラ・ニュルンド (アウシュリネ・シュトゥンディーテの代役)
ヨカナーン:アラン・ヘルド
ナラボート:ルカニオ・モヤケ


予習の内容は以下です。

満を持して、予習したのはアンゲラ・デノケがサロメを歌ったブルーレイ・ディスク。凄いオペラです。それを実感させてくれる、素晴らしい演奏でした。デノケの絶唱とヨカナーンを歌ったアラン・ヘルドが素晴らしかったです。特に二人が絡み合うシーンでは聴き惚れてしまいました。歪んだ形の愛、聖と俗の対照、若きシュトラウスの天才たる音楽をデノケとヘルドは見事に歌い切ります。R.シュトラウスの音楽は今でも前衛を走ります。フィナーレでは言葉を失いました。

キャストは以下です。

サロメ:アンゲラ・デノケ(S)
ヘロデ:キム・ベグリー(T)
ヘロディアス:ドリス・ゾッフェル(Ms)
ヨカナーン:アラン・ヘルド(Br)
ナラボート:マルセル・レイヤン(T)
ベルリン・ドイツ交響楽団
指揮:シュテファン・ゾルテス

演出:ニコラス・レーンホフ
舞台デザイン:ハンス=マルティン・シュローダー

収録時期:2011年
収録場所:バーデン・バーデン祝祭劇場(ライヴ)



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ブラームスに酔う フィリップ・ジョルダン&ウィーン交響楽団@ウィーン楽友協会 2019.9.28

ウィーン楽友協会のフィリップ・ジョルダン&ウィーン交響楽団のブラームスの交響曲チクルスの第2回目のコンサートです。チクルス2回とも聴こうとも思いましたが、重なった日程のほかのコンサート(内田光子)を聴くことにしたので、チクルス2回目の交響曲第3番と第4番だけを聴くことにしました。
で、このチケットは盲腸の手術直後の病床で配偶者に指示を出しながら、ネットで購入した価値あるチケットです。このチケットを取ろうとして、手術の麻酔もすぐに醒めました(笑い)。もちろん、配偶者は呆れていました。

苦労してゲットしたチケットは最前列の中央。楽友協会のステージは高いので、指揮台上の指揮者を見上げると首が痛くなります。音が頭の上を通り過ぎることはありません。ただ、対向配置のオーケストラのステレオ効果が良すぎて、頭の中で音をまとめ上げるのが大変ではあります。もうちょっと後ろの席にしておけばよかったですね。

ウィーン交響楽団のアンサンブルは格別によいわけではありません。最近は在京のオーケストラの水準が高いので、これくらいのアンサンブルでは今一つと感じてしまいます。ただし、この楽友協会のホールに響くブラームスの香りは素晴らしいです。ああ、ブラームスはいいなあと素直に納得します。フィリップ・ジョルダンの指揮も気持ちよいものです。前半の第3番はそのブラームスの香りを享受しているうちに例の第3楽章。まるで映画音楽のように有名になりましたが、美しい音楽であることは間違いありません。そして、第4楽章は熱いロマンで燃え上がります。熱を帯びた演奏で高揚して終了。満足です。

後半は有名な第4番。冒頭から、テンポ感のよい演奏でロマンティックな演奏。第3番よりはずっとアンサンブルのまとまりもよくなっています。最高のブラームスとまでは言えませんが、十分に魅惑的な演奏です。8割はジョルダンの指揮の賜物。素晴らしい第1楽章です。第2楽章も美しい演奏が続きます。感動一歩手前には至ります。勢いに満ちた第3楽章に続き、第4楽章で盛り上がりを見せます。すっきりとした演奏が続き、フィナーレ。ちょっとあっけない終わり方ではありましたが、及第点のブラームスです。

フィリップ・ジョルダンのブラームスは未知数でしたが、なかなかのレベルの指揮でした。これがウィーン・フィルだったらといけない想像もしてしまいます。高弦の輝きに満ちた響きがあれば、素晴らしい演奏になったかもしれません。ジョルダンの指揮姿は相変わらず、絵になります。8割満足のブラームスでした。

これで今回のヨーロッパ遠征のコンサート・オペラはすべて終了。このまま、日本帰国後のコンサートラッシュに突入します。

今日の公演内容は以下です。

 指揮:フィリップ・ジョルダン
 管弦楽:ウィーン交響楽団

 ブラームス:交響曲第3番ヘ長調Op.90

  《休憩》

 ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98


予習の内容は以下です。(以前書いた内容のデッドコピーです。既に読まれたかたは読み飛ばしてくださいね。)

ブラームスの交響曲はたいていのCDは既に聴いています。ですから、ここはsaraiの敬愛する巨匠ハイティンクの演奏を聴いて、予習とすることにします。ハイティンクは3つのオーケストラと交響曲全集を録音しています。1972年のコンセルトヘボウ管、1994年のボストン交響楽団、2003年のロンドン交響楽団です。どれも名演ですが、特にロンドン交響楽団との全集を好んでいます。今回もそれを聴きましょう。

 ブラームス:交響曲第3番 2004年6月16、17日 ライブ録音

 ブラームス:交響曲第4番 2004年6月16、17日 ライヴ録音

第3番の演奏には意表を突かれました。抑えに抑えた自然体の演奏で、そこからはそこはかとないロマンが香り立ってきます。フランソワーズ・サガンの《ブラームスはお好き》で有名な第3楽章の美しいロマンには参ります。ハイティンクならではの第3番でした。

一方、第4番は堂々と前面にロマンを表出した素晴らしい演奏。大変、感銘を受けました。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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