クルレンツィス&ムジカエテルナはルツェルン音楽祭でモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作を演奏しますが、それに先立って、ウィーン・コンツェルトハウスでもダ・ポンテ3部作を演奏しています。既に《フィガロの結婚》の演奏は終わっていて、今日は2回目の《ドン・ジョヴァンニ》です。
キャストは以下です。(ルツェルン音楽祭と共通)
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 K.527 全曲
ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)*
ロバート・ロイド(バス/騎士長)
ナデージダ・パヴロヴァ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)*
フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
カイル・ケテルセン(バリトン/レポレッロ)
ルーベン・ドローレ(バリトン/マゼット)
クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)*
ムジカエテルナ
ムジカエテルナ合唱団
テオドール・クルレンツィス(指揮)
ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
*クルレンツィスのCDでも同一キャスト
第1幕序盤はあれっというくらい、普通に音楽が進行します。もちろん、クルレンツィスの音楽的精度は驚異的ではあります。第1幕の後半でドンナ・アンナのアリアから音楽が高潮します。ナデージダ・パヴロヴァは透明な澄み切った声で潤いも感じさせる美声でとても魅力的。他のキャストも素晴らしいのですが、彼女がピカ一です。しかし、すべてはクルレンツィスの音楽作りの一環に組み込まれています。続くドン・オッターヴィオのアリアも素晴らしいです。続くドン・ジョヴァンニの「シャンパンの歌」もムジカエテルナの素晴らしい演奏も相俟って、見事な歌唱です。終幕は主要キャスト7人による重唱。ともかく、クルレンツィスの才能が爆発して、驚異的な音楽レベルに上り詰めます。もう、ここでオペラが終わっても満足という素晴らしさです。
第2幕序盤もまた、淡々と進みます。クルレンツィスの音楽の精度の高さは当たり前に思えてきます。この幕でもドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの歌唱が最高です。ケネス・ターヴァーの歌うドン・オッターヴィオのソット・ヴォーチェのアリアも見事です。そして、いよいよ、終盤の地獄落ち。クルレンツィス&ムジカエテルナの凄まじい音響と音楽が炸裂します。こんな地獄落ちはかって、あったでしょうか。身震いを覚えるような迫力です。そして、終幕。あれっ、地獄落ちでこのオペラは終わってしまうの。聴衆も戸惑っています。saraiは呆然としてしまいます。既に舞台にはクルレンツィスはいません。やがて、拍手が起こります。saraiも不承不承、拍手。考えてみれば、このオペラは地獄落ちで終わるのが自然かもしれないなと自分を納得させます。舞台上には今日の出演者が並び、大拍手を受けます。最後にクルレンツィスが登場すると、満場、スタンディングオベーション。と、クルレンツィスがさっと向きを変えて、ムジカエテルナを指揮して、音楽を奏で始めます。一瞬、あれっ、アンコール曲?と思いますが、実はこれは地獄落ちの後のエピローグの音楽。クルレンツィスのやりたい放題のふるまいにすっかりと騙されてしまいました。そして、本当の終幕。そういうことだったんですね。今日はコンサート形式ではありましたが、色んな演出があり、まさにクルレンツィスのやりたい放題の音楽でした。それがぴたっとはまっているのが凄い! クルレンツィスはモーツァルトのオペラに関する限り、不世出の存在になったようです。これからのモーツァルトのオペラはこのクルレンツィスの演奏を抜きにしては語れません。
予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。
ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)
ヴィート・プリアンテ(バリトン/レポレッロ)
ミカ・カレス(バス/騎士長)
ミルト・パパタナシュ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)
カリーナ・ゴーヴァン(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
グイード・ロコンソロ(バリトン/マゼット)
クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)
ムジカエテルナ
テオドール・クルレンツィス(指揮)
録音時期:2015年11月23日~12月7日
録音場所:ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
(以下の内容は既に書いたものです。自分の文章をパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の録音は2012年9月でしたから、3部作の締めくくりになる、この《ドン・ジョヴァンニ》はその3年後ということになります。この3年の間のクルレンツィス&ムジカエテルナの躍進ぶりがこの録音に現れています。きびきびした序曲の開始は同じですが、その演奏精度の向上がはっきりと分ります。妙にデモーニッシュになり過ぎず、その明快ですっきりした演奏に魅惑されます。序曲が終わり、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが登場しますが、その明暗がくっきりとした上質とも思える演奏に驚愕します。モーツァルトでこんな演奏が可能なんですね。ドン・ジョヴァンニは終始、ソット・ヴォーチェを駆使して、その色男ぶりを強調します。ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオの美男美女を思わせる美声コンビの歌唱も見事。《フィガロの結婚》では若干、違和感を感じたフォルテピアノもこのオペラでは実に有効に機能します。そう言えば、一昨年のザルツブルク音楽祭で聴いた《皇帝ティトの慈悲》でもフォルテピアノが見事でした。記憶が蘇ってきます。こんなに繊細さを極めたような《ドン・ジョヴァンニ》は初めて聴きます。実に新鮮で、かつ、このオペラの本質を突いているように感じます。第1幕のフィナーレの7重唱を聴いていると、saraiの頭が混乱してきます。えっ、こんな曲だったっけ? 何という発想の演奏でしょう。複雑かつ究極の精度の恐るべき演奏です。結局、この高い精度を保って、第2幕も素晴らしい演奏が続きました。これまで聴いてきた《ドン・ジョヴァンニ》とは、一線を画す演奏です。というよりも、モーツァルトのオペラで、こういう演奏が可能だったとは予想だにできなかった演奏です。一昨年のザルツブルク音楽祭での《皇帝ティトの慈悲》でsaraiの音楽の価値観がひっくり返された意味がじわっと分かってきたような気がします。やはり、これまでの音楽演奏とは、まったく次元の異なる演奏です。やはり、クルレンツィスの音楽の原点はモーツァルトのオペラにこそ、ありそうです。
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