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マンハイム散策:町のシンボル、給水塔前のホテル

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/8回目

ハイデルベルクHeidelbrgでの3日間の滞在を終え、この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimに移動しました。マンハイムはネッカー川がライン川に合流する地点です。ライン川河畔の町、デュッセルドルフDüsseldorfから始めた旅もこのライン川河畔の町、マンハイムで、まるで旅の輪が閉じるみたいです。

さて、マンハイム中央駅Mannheim Hbfの前に出ます。

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駅前からはカイザー通りKaiserringが続いています。この通りの先にあるフリードリヒ広場Friedrichsplatzに今日滞在予定のホテルがあります。建物越しにフリードリヒ広場にある有名な給水塔の先端も顔を出しています。

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駅前にはトラム乗り場があります。フリードリヒ広場まではトラムでたった一駅です。

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今日の町歩きのためにも、トラムの乗り放題チケットを入手したいものです。
で、駅前の観光案内所Tourist Information Mannheimで、マンハイムカードのようなものを買おうとしますが、そんなものはないそうです。

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この観光案内所はとてもそういう施設とは思えないほどお洒落です。

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マンハイムカードをゲットするのは失敗しましたが、このマンハイムの町の場合、それなりに歩ける範囲内に見たいものはあるので、特に問題はないでしょう。カイザー通りを歩いて、ホテルに向かいます。トラムで1区間ですから、歩いてもたいしたことはありません。10分ちょっとでホテルに到着。有名な給水塔Mannheimer Wasserturmのあるフリードリヒ広場に面したホテル、マリティム ホテル マンハイムMaritim Hotel Mannheimです。ホテルはとても立派な建物です。ロビーも素晴らしいです。

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早速、チェックインします。部屋は1階(つまり、2階)ですが、エレベーターはないとのこと。ウッ・・・頑張るしかないようです。

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建物は立派ですが、設備は古いのでしょう。

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階段です。それもエレガントな階段です。何故にエレベーターがない? まあ、頑張って上りましょう。

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頑張って着いた部屋のドアを開けて、ビックリ。広いです。ソファーまであります。

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液晶テレビとちゃんとしたデスクもあります。

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綺麗なバスルームにはバスタブもあります(もちろん、予約時にお願いしてあったのですが)。

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何と言っても、この座り心地のよさそうなソファーがこの部屋の白眉です。

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デスクに座って、PCを広げたい気持ちに駆られます。

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この立派な部屋で120ユーロですから、超安いですね。少々設備が古いのは仕方ないでしょう。でも、エアコンはあります。ラッキー。
それに何とルームサービスまであります。たまにはルームサービスで夕食をいただくのもいいですね。

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立派な部屋ですが、部屋に落ち着くことなく、すぐに、お隣にあるマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimに行くことにします。部屋を出て、ホテルの立派な階段を下ります。荷物さえなければ、気持ちよく歩けます。

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ホテルの綺麗な入り口を出ます。

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ホテルを出て、フリードリヒ広場に出ると、目の前に給水塔が見えます。マンハイムの町のシンボルです。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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この後、マンハイム美術館を訪問します。



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マンハイム美術館:ブランクーシ、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー、ベックマン、レームブルック、マルク

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/9回目

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimのホテルにチェックイン。マリティム ホテル マンハイムMaritim Hotel Mannheimは有名な給水塔Mannheimer Wasserturmのあるフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したホテルです。ホテルを出ると、緑の広場に町のシンボルの給水塔が見えます。

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ホテルのお隣にあるマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimに向かいます。美術館の前面は新しく、お洒落なカフェもあります。後ろの建物は古いようです。

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これは今出てきたホテルです。ルネサンス様式の古式ゆかしい建物です。

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広場には給水塔の手前にライオン像が見えます。これはマンハイム美術館のブロンズ彫刻の作品、《歩くライオンSchreitender Löwe》。ドイツ人彫刻家のフィリップ・ハースPhilipp Harthの作品です。ライオンはプファルツ選帝侯の紋章であり、ハイデルベルクにもライオンがいました。

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マリティム ホテル マンハイムをタターサル通りTattersallstraßeからの側面を見た姿です。美しいホテルです。

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マンハイム美術館の入り口に向かいます。

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エントランスロビーは天井の高い広大な空間になっています。まずはチケットを購入します。

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入館チケットは一人10ユーロ。入館証は腕で貼り付けます。

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展示室は奥の古い建物にあるようです。エントランスロビーを突っ切って進みます。

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すると、何やら妖しい色の通廊があります。この通廊が前面の新しい建物と奥の古い建物を繋いでいるようです。

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奥の建物に入ると、展示ホールになっています。
そこにいきなり、コンスタンティン・ブランクーシの抽象的な彫刻作品《大きな魚Le grand poisson》があります。1930年、ブランクーシが54歳頃の作品です。

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この作品はミニマル・アートと呼ばれる抽象作品なのだそうです。美術の分野にもミニマル・アートがあるとは知りませんでした。現代音楽ではミニマル・ミュージックという同じパッセージだけを繰り返すという極度の単純化された音楽がありますが、美術でも同様に対象を極限まで単純化した形態に切り詰める技法がこのミニマル・アートです。この作品では大きな魚を卵型の物体に抽象化しています。ここに美を見出せるかどうかは鑑賞者の主観に委ねられますね。saraiは、うーん・・・。

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さて、1階(日本で言う2階)の展示室に上り、作品を見て歩きましょう。

パウラ・モーダーゾーン=ベッカーPaula Modersohn-Beckerの1904年、28歳頃の作品、《緑の鎖を着けて座る女の子Sitzendes Mädchen mit grüner Kette》です。パウラ・モーダーゾーン=ベッカーと言えば、先日訪れたブレーメンBremenのベットヒャー通りBöttcherstraßeにパウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館Paula Becker-Modersohn Museumがありましたが、時間がなくて、彼女の作品を見逃しました。まさか、ここで出会うとは思っていませんでした。いかにもドイツ表現主義でありながら、それほど尖がっていない作品です。この作品を描いた3年後、彼女は31歳の若さでこの世を去ります。

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マックス・ベックマンMax Beckmannの1925年、41歳頃の作品、《謝肉祭(ピエレットとピエロ)Fastnacht (Pierrette und Clown)》です。ベックマンはドイツ表現主義を代表する画家の一人。謝肉祭の祭りで仮装している二人はベックマン夫妻と思われます。この頃、ベックマンは妻クヴァッピとの結婚直後でした。ピエレットと称する妻クヴァッピに恋するピエロ、すなわち、ベックマンを描いたものでしょう。はしゃいでいるベックマンの姿が微笑ましいですね。

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ヴィルヘルム・レームブルックWilhelm Lehmbruckの1912年、31歳頃の作品、《若い女Junges Mädchen》です。何とも雰囲気のある絵に惹き付けられます。レームブルックは彫刻家ですが、こういう絵画作品も残しているんですね。彼はこの7年後にベルリンで自殺します。第1次世界大戦の悲惨な体験で鬱病になり、立ち直れなかったそうです。この絵からも分るように柔らかな感性の持ち主でした。
因みにsaraiはこの絵から、オディロン・ルドンの最も重要な作品のひとつ『目を閉じて』を連想してしまいました。

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フランツ・マルクFranz Marcの1912年、32歳頃の作品、《3匹の動物(犬、狐、猫)Drei Tiere (Hund, Fuchs und Katze)》です。マルクの描く動物シリーズの1枚です。白い犬が画面の中心にいます。意外にマルクの描く犬は珍しいような気がします。表現主義的に描かれた動物の存在感が素晴らしいです。

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収蔵作品がそんなに多くない美術館ですが、質の高い絵が目立ちます。鑑賞はまだ、始まったばかりです。



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マンハイム美術館:ココシュカ、ベックマン、ヤウレンスキー、リーバーマン

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/10回目

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1910年、24歳頃の作品、《アウグスト・フォレル教授の肖像Auguste Forel》です。アウグスト・フォレル教授はスイスのイヴローヌという土地に住む自然科学者であり、彼の研究活動に支障のない夕食時にのみ、絵画制作が許されるという環境でこの肖像画が描かれました。老いを迎えた科学者の緊張感を緩やかに描き上げたココシュカの絵画制作は相当の苦労があっただろうと察することができます。しかし、見事に人物の肉体と精神面に肉薄した肖像画となっています。ところでこの時代のココシュカは建築家のアドルフ・ロースの助力によって、スイスを旅して、肖像画の仕事も得られたそうです。ロースはいわば恩人とも言える存在だったのですね。なお、ココシュカがアルマ・マーラーに恋して、不滅の名作《風の花嫁》を描くのはこの3年後のことです。

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マックス・ベックマンMax Beckmannの1947年、63歳頃の作品、《ヘルベルト・タンネンバウムはニューヨークへ行くTannenbaum geht nach New York》です。画商のタンネンバウムは1920年から、ベックマンと長い付き合いをし、1937年のアムステルダムへの亡命も行動を共にしています。戦後の不安な状況の中でも、タンネンバウムはベックマンを支持し、この自身の肖像画を始め、他の作品も購入しています。この作品の題名の通り、タンネンバウムはアメリカに移住しますが、そのことがベックマン自身のアメリカ移住に大きな影響を与えました。もっとも、ベックマンは移住先のマンハッタンでこの3年後に死去します。この作品は極めて縦長のキャンバスに大胆な構図で肖像画を描いています。ドイツ表現主義による素晴らしい作品に仕上がっています。

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アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーAlexej von Jawlenskyの1920年、55歳頃の作品、《救世主の顔HEILANDSGESICHT. WÄCHTER》です。この作品はヤウレンスキーが1917年から描き続けていた「不思議な頭部」の連作の発展形です。顔を描いていますが、これは抽象的な作品と捉えるべきものかもしれません。キリストの顔ですが、そうでないとも思えます。不思議な絵です。

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マックス・ベックマンMax Beckmannの1919年、35歳頃の作品、《チューブ夫人の肖像Bildnis Frau Tube》です。ベックマンが当時、結婚していた最初の妻、ミンナ・ベックマン・チューブの母親の肖像画だと思われます。この作品はベックマンの表現主義らしさが微塵も感じられません。印象派風の描かれ方のようです。チューブ夫人が牧師の妻であることを感じさせる落ち着いた真摯さが見事に描き出されています。

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マックス・リーバーマンMax Liebermannの1918年、71歳頃の作品、《右向きに座る、スモックを着た自画像Selbstbildnis im Malkittel, sitzend nach rechts》です。リーバーマンは当時、ベルリンの画壇の重鎮として君臨していました。その矜持がはっきりと表れている自画像です。ユダヤ人だったリーバーマンはその後、ナチスによって、その栄誉をはぎ取られて、寂しく世を去ることになります。先日、ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleでも、このほぼ10年前に描かれた同じような構図の自画像を見たばかりです。違いと言えば、座像ではなく、立像であることくらいです。

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マックス・ベックマンMax Beckmannの1940年、56歳頃の作品、《オウムと横たわっている大きな女性(休息;女性の世界)Große liegende Frau mit Papagei (Ruhende; Frau Welt)》です。大胆な構図で女性が横長のキャンバスいっぱいに描かれています。一瞬、絵の向きが縦横間違えているかと思います。女性はおそらく娼婦だと思いますが、その疲れ切った体をいっときの休息で癒している姿に見ているこちらがはっとします。画家の視線は冷徹でありながら、暖かさも感じます。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1912年、26歳頃の作品、《ソニア・ドゥジエルスキ(って読むのかな? ハンガリーの人名?) Ⅱ》です。アルマと交際が始まった1912年の作品です。少女の可愛さが実に見事に描き出されています。画風はあの名作《風の花嫁》を思わせるタッチです。この美術館で一番、心を惹かれた作品です。うーん、素晴らしい!! こういう作品を収集した学芸員の審美眼の高さに感服します。

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まだまだ、この美術館の質の高い作品が続きます。どんどん、素晴らしい絵の世界に惹き込まれていきます。



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連日の応援に感謝! 旅ブログ再開 マンハイム美術館:シャガール、ゴッホ、マイヨール、ルノワール、ピサロ、セザンヌ、シスレー

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/11回目

まずは連日の皆さまの多くの応援のプチをいただき、感謝いたします。今日は通常の旅ブログに戻りますが、引き続きの応援をよろしくお願いいたします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

マルク・シャガールMarc Chagallの1924年~1925年、37~38歳頃の作品、《花束を持つ花嫁Die Braut mit dem Blumenstrauß》です。パリからいったん故郷のロシアに戻っていたシャガールはまた、この頃、ロシアに見切りをつけて、パリに舞い戻っていました。この時代のシャガールのテーマは《愛》でした。この作品も愛妻ベラ(ベラ・ローゼンフェルト)を描いています。ちょっと、シャガールらしいタッチではない印象ですが、花束、故郷ヴィテブスクの古い家というお約束のものは描かれています。

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フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホVincent Willem van Goghの1886年、33歳頃の作品、《バラとひまわりRosen und Sonnenblumen》です。こういう《ひまわり》もあったんですね。ゴッホがこの年、オランダから弟のテオを頼って、パリに移り住んだ頃に描かれた作品です。アルルで有名なひまわりの連作を描く2年前のことです。

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アリスティド・マイヨールAristide Bonaventure Jean Maillolの1907年、46歳頃の作品、《オーギュスト・ルノワールPorträt Auguste Renoir》です。南仏カーニュ=シュル=メールに住んでいたルノワールの66歳頃の像です。このマイヨールによる彫刻が制作されたことを機にルノワールは彫刻に興味を持ち、その後、彫刻作品を手掛けるようになりました。なお、マイヨールの彫刻はほとんど裸婦像であり、こういう作品は珍しいものです。

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そのオーギュスト・ルノワールAuguste Renoirの1872年、31歳頃の作品、《花瓶の牡丹Pivoines dans un vase》です。1874年の第1回印象派展に先立つ2年前の作品です。ルノワールが戸外で絵を描くのは翌年、アルジャントゥイユArgenteuilに居を構えるモネを訪ねて、一緒に絵を制作するようになってからです。ただ、この花の絵も後年のルノワールを思わせる、きらきらと輝くような佳作です。

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カミーユ・ピサロCamille Pissarroの1868年、38歳頃の作品、《ポントワーズのオワーズ川のPothuis埠頭Quai du Pothuis, Pontoise》です。この作品はパリの近郊のオワーズ川の畔の町ポントワーズの風景です。この作品を描いた4年後には、ピサロはこのポントワーズに移り住むことになるので、このオワーズ川の景色がよほど気に入ったのでしょう。この頃、ピサロは後に印象派として旗揚げする仲間たちとパリのバティニョール地区のカフェ・ゲルボワに集って、「バティニョール派」と呼ばれるグループを形成しており、ピサロはそのグループの中で最年長の画家として、尊敬を集めていました。グループには、バジール、ルノワール、ドガ、ファンタン=ラトゥール、フェリックス・ブラックモン、モネ、セザンヌ等がいました。

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ポール・セザンヌPaul Cézanneの1890年、51歳頃の作品、《体を傾けた喫煙者Le fumeur accoudé》です。この頃のセザンヌは喧騒のパリを離れて、故郷のエクス・アン・プロヴァンスで隠遁生活を送りながら、名作のサント・ヴィクトワール山の連作などを描き、次第に認められつつあった時代です。この作品も傑作『カード遊びをする人々』を連想させるような完璧な絵画に仕上がっています。深い色合いや構図の素晴らしさにただただ魅了されます。こういうセザンヌの人物画、さらには静物画、風景画は人間業とは思えない神の領域に入っています。セザンヌの描くサント・ヴィクトワール山に魅せられて、わざわざ、このエクス・アン・プロヴァンスを訪れたことを思い出します。

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アルフレッド・シスレーAlfred Sisleyの1876年、37歳頃の作品、《マルリー通りUne rue à Marly》です。1870年に普仏戦争が勃発し、ブージヴァルに住んでいたシスレーは敵兵により家・財産を失い、以後、ルーヴシエンヌにほど近いヴォワザン、アルジャントゥイユ、ブージヴァル、ポール=マルリに移住。この作品はそのポール=マルリの町のマルリ通りを描いたものです。ポール=マルリはセーヌ河畔の町です。この後のシスレーはパリの東南方、セーヌ川の支流のひとつであるロワン川沿いのモレ=シュル=ロワンに移住し、死ぬまで、印象派の絵を描き続けました。本作は印象派にしては少し画面が陰鬱ですが、弱い光に照らされた風物を丁寧に描き込んでいます。

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ここまで、フランス印象派の作品を中心に見てきました。セザンヌの絶頂期の作品が素晴らしかったですね。

このマンハイム美術館は収蔵作品数はそんなに多くなく、有名画家の作品はほとんどは1点ずつですが、質の高い作品が揃っています。学芸員の審美眼の高さが感じられます。まだまだ、展示は続きます。



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マンハイム美術館:ホドラー、ムンク、マッケ、ピサロ、ウーデ、リーバーマン、ヴァロットン、ノルデ

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/12回目

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodlerの1906年、53歳頃の作品、《遠くからの歌声Das Lied aus der Ferne》です。50歳を過ぎたホドラーは画家としての名声を獲得します。とともに20歳も年下のヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと結婚します。以後、ホドラーはヴァランティーヌをモデルにした絵と自画像ばかりを描いたそうです。この作品も妻のヴァランティーヌでしょうか。印象に残る作品です。

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フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodlerの1910年、57歳頃の作品、《シュトックホルン山系を背景にしたトゥーン湖Thunersee mit Stockhornkette》です。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで同一のタイトルの同じ構図の作品を見たばかりです。違いと言えば、大きく2点。この絵ではシュトックホルン山系は色付けされていますが、ハンブルク市立美術館の作品では墨絵のようにモノトーンになっていました。また、この作品ではシュトックホルン山系がトゥーン湖の水面に映り込んでいますが、ハンブルク市立美術館の作品では映り込みはありません。そうすると、ハンブルク市立美術館の作品は習作だったように思われますが、あれはあれで素晴らしい作品でした。逆にこの作品が習作で、色彩や映り込みをなくして、シンプルにしたのかもしれないとも考えられます。いずれにせよ、姉妹作品でどちらも素晴らしい作品です。ホドラーの描くアルプスの風景は格別です。

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エドヴァルド・ムンクEdvard Munchの1900年~1901年、37~38歳頃の作品、《ノードストランドからの眺めUtsik fra Nordstrand》です。オスロのノードストランド地区からの眺めを描いた作品のようです。この頃、ムンクは故郷のノルウェーに戻り、オスロ近くのオースゴールストランのサマー・ハウスで暮らしていました。この作品は7年前に描かれた《叫び》ほどの強烈さはありませんが、幻想性では共通するものを感じます。

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アウグスト・マッケAugust Mackeの1914年、27歳頃の作品、《アフリカの風景Afrikanische Landschaft》です。アウグスト・マッケはミュンヘンの芸術運動、青騎士Der Blaue Reiterの創設メンバーの1人です。マッケはこの年、パウル・クレー等とともにアフリカのチュニジアを旅行します。わずか2週間の旅でしたが、クレーとともにマッケも充実した果実を得ました。結果、マッケの代表作となる数十枚の水彩画が描かれました。これもその1枚です。
しかし、この彼の転機ともなるべき充実した時代はこの年に勃発した第1次世界大戦の波に飲み込まれ、若干、27歳でマッケは戦死します。青騎士の仲間のフランツ・マルクと同様に過酷な運命にさらされるわけです。マッケとマルク、もう少し、彼らに時間を与えてやりたかった・・・。

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カミーユ・ピサロCamille Pissarroの1875年、45歳頃の作品、《ポントワーズの小さな橋Le petit pont, Pontoise》です。この作品はパリの近郊のオワーズ川の畔の町ポントワーズの風景です。この作品を描いた頃、ピサロはこのポントワーズのエルミタージュ地区に移り住んでいました。なお、この前年、ピサロも中心メンバーとなって、記念すべき第1回印象派展が開かれました。

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フリッツ・フォン・ウーデFritz von Uhdeの1906年、58歳頃の作品、《庭にいる画家の娘Die Töchter des Künstlers im Garten》です。ウーデはドイツの印象派を代表する画家の一人です。この作品も戸外の明るい色彩のいかにも印象派らしい作品です。

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マックス・リーバーマンMax Liebermannの1890年~1891年、43~44歳頃の作品、《ハーレムの豚の市場Schweinemarkt in Haarlem》です。リーバーマンもドイツの印象派を代表する画家の一人です。彼はオランダで絵画を学んだこともあり、当初はオランダ絵画風の作品を多く描いています。この作品もオランダのハーレムで描かれて、オランダ絵画、印象派の両方の側面をうかがわせます。

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フェリックス・ヴァロットンFélix Edouard Vallottonの1910年、45歳頃の作品、《モデルLe Modèle》です。ヴァロットンはスイス人の画家で、ナビ派に属していました。この作品を描いた頃はポスト・ナビ期の時代で、きっちりとした輪郭で来たるべき新即物主義を見据えたような作品を描いていました。その中で何か謎めいた雰囲気が醸し出されています。近年、何かと注目を浴びている画家です。特に2013年にパリで大回顧展が催されたことを機に一気に脚光を浴びることになりました。日本でも2014年に三菱1号館でヴァロットン展が催されたので、行かれたかたも多いでしょう。まさか、こんな美術館でヴァロットンに出会うとは思ってもいませんでした。

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エミール・ノルデEmil Noldeの1947年、80歳頃の作品、《異国の娘たちFerne Mädchen》です。ノルデはドイツ人の画家ですが、第2次世界大戦後は出身地はデンマークに割譲されました。彼は原色を多用した強烈な色彩と単純化された形態が特色の孤高の画風を貫きました。この作品もオセアニア美術の雰囲気が感じられます。

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エミール・ノルデEmil Noldeの1915年、48歳頃の作品、《馬Pferd und Füllen》です。牧場で草を食む馬の上空には茜色に染まった雲が広がっています。幻想的な風景です。ここでもノルデは原色を多用した強烈な色彩で画面を満たしています。

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まだまだ、絵画作品が続きます。お付き合いください。



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今日は聖金曜日でしたが・・・マンハイム美術館:キルヒナー、アンソール、エルンスト、クレー、カンディンスキー、レジェ

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/13回目

今日は聖金曜日。例年なら、バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴くところですが、もちろん、公演は延期になりました。オランダやドイツでは各地でマタイ受難曲やヨハネ受難曲というバッハの特別の作品が演奏される筈でしたが、すべて、中止になったようです。コロナウイルスはかくも簡単に人類の文化を打ち壊してしまうのかと畏怖の念を感じるばかりです。saraiは自宅に籠って、淡々とブログを書き続けるのみです。一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1909年、29歳頃の作品、《モロッコ人Marokkaner》です。キルヒナーは1905年、ドレスデンにてヘッケル、シュミット=ロットルフらと画家グループ「ブリュッケDie Brücke」(「橋」の意)を結成しました。共通の表現様式があったわけではなく、既存のアカデミズムの対抗する意識の共有だけがありました。キルヒナー自身はまさにドイツ表現主義を体現したような作品を生み続けます。この作品は対象が珍しいのですが、表現内容は表現主義そのものです。
ところで、この絵の向きですが、縦向きの絵が横向きに展示してあったので、ここでは美術館の状況を尊重して、そのままの向きで表示しておきます。読者のかたは頭を横に向けて眺めてください。どうしてそうなったかと言うと、2枚後の絵、《ベルリンの黄色いエンゲルウファー通りGelbes Engelufer, Berlin》のカンバスの裏にこの絵が描かれているので、物理的のこういう展示しかできないんです。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1913年、33歳頃の作品、《砂浜の赤い樹木Roter Baum am Strand》です。キルヒナーは1911年、他の「ブリュッケ」の仲間らとともにベルリンに移住し、その後、グループは1913年には解散しました。このベルリン時代、キルヒナーとブリュッケの仲間たちはバルト海南部にあるフェーマルン島で夏を過ごしました。この作品もそこで描かれたものでしょうか。このキルヒナーの作品は、どぎつい色彩と激しいフォルムで実に表現主義的です。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1913年、33歳頃の作品、《ベルリンの黄色いエンゲルウファー通りGelbes Engelufer, Berlin》です。キルヒナーはこの頃、ブリュッケの仲間とともにベルリンに住み、ベルリンの町の風景を盛んに描いていました。この作品もその1枚です。時代は次第に急を告げます。翌年は未曾有の戦争、第1次世界大戦が勃発。キルヒナーも兵役に就きますが、その戦いのさなか、彼の繊細な神経はひどく冒されます。その精神へのダメージは彼自身の手による死、すなわち、自殺まで完全に回復することはありませんでした。

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ジェームズ・アンソールJames Ensorの1894年、36歳頃の作品、《死んだ雄鶏Le coq mort》です。アンソールは北海沿岸の海岸リゾート地であるベルギーのオーステンデ(オステンド)で人生のほとんどの日を過ごした近代ベルギーを代表する画家の一人です。彼の作品にはいつも死のイメージがつきまとっていますが、この作品では何と雄鶏が死のテーマになっています。彼のお得意のごちゃごちゃした静物画です。

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マックス・エルンストMax Ernstの1953年、62歳頃の作品、《地球の上の母と子Mutter und Kind auf dem Erdball》です。エルンストはドイツ出身のシュールレアリスト。この頃は亡命先のアメリカからパリに帰還し、名声を博しつつありました。この作品はシュールですが、なにか可愛らしい雰囲気です。

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マックス・エルンストMax Ernstの1957年、66歳頃の作品、《カモメの飛行Möwenflug》です。エルンストは1954年、ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞。そして、本作の前年にはベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられます。芸術家として、順風満帆の時代に描かれたのが本作です。青い海原の上の真ん丸な円がカモメなのでしょうか。抽象的でありながら、具象のイメージも残しているのがシュールレアリストたるところでしょうか。

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パウル・クレーPaul Kleeの1922年、43歳頃の作品、《庭の集落Gartensiedlung》です。クレーはヴァルター・グロピウスの招聘を受け、本作の前年の1921年からバウハウス(ヴァイマル、デッサウ)で教鞭をとっていました。バウハウスでの仕事は1931年まで続きます。その脂の乗り切った時期に数々の絵画への探求を行いました。この作品は統一した色彩で小さなパターンの画面全体に構成的するクレー独特の様式で仕上げられています。抽象的でありながら、そこにもののかたちを盛り込むというクレー様式とでも言うようなものが完成しつつあります。

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ワシリー・カンディンスキーWassily Kandinskyの1930年、64歳頃の作品、《丸とシャープさRond et pointu》です。カンディンスキーもクレーと同様にヴァルター・グロピウスの招聘を受け、1922年からバウハウスで教鞭をとり、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務しました。この作品はその時代に描かれた抽象画です。カンディンスキーはモンドリアンとともに抽象絵画の始祖と言われています。美術の歴史に偉大な一歩を記しました。特にバウハウス時代には、丸や直線や点などの幾何学的な構成の研究を進め、「コンポジションの時代」と呼ばれる傑作のコンポジションシリーズを制作しています。この作品もその幾何学的な作品群の中の1枚です。

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フェルナン・レジェFernand Légerの1945年、64歳頃の作品、《ダイバーたちLes plongeurs》です。レジェはキュビズムの画家として出発しましたが、後には、太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特色とする独自の様式の作品群を描き続けました。その作品は一見してすぐにレジェの作品だと分かるようなものです。この作品が描かれた1945年、レジェは第二次世界大戦の戦火を避けて滞在していたアメリカから帰国しました。この作品はダイバーたちの手足が複雑に絡み合う具象的なイメージが描かれていますが、それはあくまでも素材であり、単純なフォルムを太い輪郭線で描くという抽象的なアプローチが重要です。

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20世紀のモダン絵画の数々に魅了されました。展示はまだ続きますが、残り少なくなってきました。この美術館は有名画家の作品はほぼ1枚に絞り込まれて、質の高い収蔵作品ばかりです。



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個人としてのコロナ対策は・・・マンハイム美術館:ジャコメッティ、アルプ、マネ、ビュッフェ、リーバーマン、ベックマン、ホドラー

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/14回目

まずはコロナウイルスについてですが、メルケル首相が代表するドイツ政府の対応には頭が下がる思いです。とりわけ、文化に対する支援の姿勢には感服するばかりです。日本では政府に期待することは極めて難しいでしょう。ですから、saraiは個人として、コンサートのキャンセルで経営が困難になっているオーケストラへの寄付をしました。saraiとしては多額の寄付です。いつも感銘を与えてくれるオーケストラ(もちろん、贔屓のT響です)が存続してもらわないと困りますからね。皆さんも是非、贔屓のオーケストラや文化団体に寄付しましょう! さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

アルベルト・ジャコメッティAlberto Giacomettiの1950年、49歳頃の作品、《3つの体と一つの頭のコンポジション(広場)Composition avec trois figures et une tête (la place)》です。ジャコメッティはその特異な形態の彫刻で知られますが、その特徴的な彫刻は戦後からのものだそうです。特に針金のように引き伸ばされた細い彫像はこの1950年からのものだそうです。この作品もその一つです。こういう禁欲的で単純化された彫刻はミニマル・アートの一形態とも思えます。

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ハンス・アルプHans Arpの1958年、71歳頃の作品、《月の果実のトルソTorse-fruit lunaire》です。アルプの制作する彫刻は具体彫刻(コンクレシオン)と呼ばれる、丸みを帯びた優しい感じの彫刻です。コンクレシオンはアルプの創造する新しい生命体であり、自然の中の木や花と並び立つものです。ですから、彼の彫刻には正面という概念はなく、ぐるりと周囲を巡りながら、あるいは上から見下ろしながら鑑賞するものです。

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別の角度から見ると、椅子のようにも見えますが、そういう無機的なものではなく、有機的なものを想像すべきでしょうね。

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マンハイム美術館はフリードリヒ広場に面した新館と奥の旧館から成りますが、最初は奥の旧館の展示室を周っていました。今は新館の展示室に移っています。大きなガラス越しに緑あふれるフリードリヒ広場が見えます。

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ぐっと左のほうに視線を移すと、給水塔Mannheimer Wasserturmが見えます。

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エドゥアール・マネÉdouard Manetの1868年~1869年、36~37歳頃の作品、《皇帝マクシミリアンの処刑L'exécution de l'empereur Maximilien》です。マネはいつもスキャンダラスな絵画を描きます。この作品では、ハプスブルグ家のメキシコ皇帝マクシミリアンが先住民出身のメキシコ大統領ベニート・フアレスらの巻き返しにより、帝位を取り消され、側近の将軍2名とともに銃殺刑に処せられたことを題材にしています。この絵画もいかにもモネらしい作品になっています。どうにも、saraiはこういうマネの作品が好きになれません。芸術家にはあるまじき感性が匂ってくるからです。作品そのものはマネの黒と称賛される技術の高さは感じますけどね。

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マンハイム美術館の新館は天井のガラス窓からの陽光が広々とした空間に差し込む、素晴らしいデザインの建物です。

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ベルナール・ビュッフェBernard Buffetの1955年、37歳頃の作品、《ホテル フォーブルL'Hotel Faubourg》です。この絵を見るなり、配偶者と目を合わせます。すぐにビュッフェの絵だと二人とも同時に分かったからです。日本には三島にビュッフェ美術館があり、しばらく、定期的に通っている時期がありました。ですから、ビュッフェの絵はすぐに分かります。まるで定規できちんと描いたような直線で構成されている絵は独特です。この作品もそうですね。このビュッフェの絵を見ると、妙に懐かしく感じます。

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マックス・リーバーマンMax Liebermannの1919年、72歳頃の作品、《ヴァンゼー庭園のフラワーテラスDie Blumenterrasse im Wannseegarten nach Norden》です。ヴァン湖(ヴァンゼー)は、ドイツのベルリン南西部のシュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区に位置しています。日光浴やレクレーションスポットとしてよく知られています。この風光明媚な地にリーバーマンの別荘でもあったようです。この作品では、リゾート地での美しいフラワーテラスが描かれています。この頃は彼の栄光に満ちた時代でした。ちなみにリーバーマンはこの翌年の1920年から1932年までプロイセン芸術院の総裁の地位にいましたが、ナチスの台頭でその地位を降り、1935年に寂しい死を迎えます。87年の生涯の最後は苦難に満ちていました。

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マックス・ベックマンMax Beckmannの1912年、28歳頃の作品、《恋人たちDas Liebespaar》です。この作品の詳細は分かりません。この頃は既にベックマンは表現主義的な絵を完成させていましたから、こういう写実的な絵はごく親しい仲の人を描いたと思われます。題名とそぐわない感じの年恰好の二人が描かれています。

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フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodlerの1907年、54歳頃の作品、《エンガディンの雪Schnee im Engadin》です。エンガディンはスイスのサンモリッツを含む地方です。アルプスの雪の風景が描かれています。ホドラーの描くアルプスの風景はとても美しいですね。

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もう、最後の展示室です。残りわずかな作品の中に気になるものを探します。



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コロナで家籠り・・・マンハイム美術館:コロー、シュトゥック、ココシュカ、マルク、キリコ、ケントリッジ、〆はフリードリヒ

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/15回目

今日は一切、saraiも配偶者も家に閉じ籠っていました。別に何の苦痛もありません。が、何か、ふつふつたるものがあります。こんなことがいつまで続くやら・・・。ネットを活用したヴァーチュアルな活動でも考えてみましょう。この状態は長引きそうですからね。

 さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

ジャン=バティスト・カミーユ・コローJean-Baptiste Camille Corotの1865年、69歳頃の作品、《砂丘の小さな馬車La petite charette dans les dunes》です。フランスの森の風景を詩情豊かに描いたコローですが、ここでは開けた平原が描かれています。樹木や草の靄のかかった描き方はコローの絵画の特徴を表しています。よく見ると樹木は銀灰色で描かれています。馬車や人物はこの風景に空想的に配したものなのでしょう。

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フランツ・フォン・シュトゥックFranz von Stuckの1896年、33歳頃の作品、《女性の肖像Weibliches Porträt》です。フォン・シュトゥックはミュンヘン分離派の創始者の一人であり、1895年からはミュンヘン美術院の教授となり、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーという錚々たる顔ぶれの弟子に絵画を教えます。フォン・シュトゥックはファム・ファタール的な女性を描くのを大変得意にしていましたが、この作品もそういう雰囲気の絵画です。少しピンボケ気味の写真になって、申し訳けありません。

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新館の展示は未整理の絵画を一括して、大量展示しています。この中から、お宝探しをして、楽しみます。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1925年、39歳頃の作品、《アムステルダム、クロフェニールスバーグワルⅠ Amsterdam, Kloveniersburgwal I》です。当美術館では既にココシュカの素晴らしい作品《ソニア・ドゥジエルスキ Ⅱ》を見ました。あれは最高傑作《風の花嫁》でアルマへの永遠の愛を描いた頃の作品でした。思えば、ココシュカが芸術的頂点に上り詰めた頃だったのでしょう。それから10年、アルマへの失恋の心の痛手もようやく癒されつつある頃の作品です。表現主義的な面は影をひそめて、写実的にアムステルダムの運河風景を描いています。

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フランツ・マルクFranz Marcの1908年、28歳頃の作品、《緑の習作Grüne Studie》です。マルクが動物を描かずに背景の緑の野原だけを描いている珍しい作品です。一括展示の作品群の中から、こういうマルクらしくない作品を探し出すのは大変です。

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ジョルジョ・デ・キリコGiorgio de Chiricoの1950年、62歳頃の作品、《メタフィジカル(形而上的)なイタリアの広場Piazza d'Italia Metafisica》です。キリコのお得意のシュールで幻想的な古代広場です。あり得ないような風景でありながら、じっと眺めていると、そのイメージの中に入り込んでしまうような気がして、めまいがします。

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最後にもう一度、一括展示の作品群を眺めます。右側にベックマンやリーバーマンの作品が見えます。めぼしい作品はほかにはなさそうですね。

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最後に新館の最上階(2階)に上がります。ウィリアム・ケントリッジWilliam Kentridgeの映像インスタレーションの《時間の拒絶The Refusal of Time》を体験します。ビデオ映像とカタカタする音を立てる奇妙な装置で構成される部屋のインスタレーション《死に対する声明》で時間とは何かということを訴えかけているようです。時間と死は人間にとって、最大の謎ですが、その難問にケントリッジはインスタレーションという芸術的アプローチで挑んでいます。

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興味のあるかたは、以下のYouTubeをご覧ください。

 https://www.youtube.com/watch?v=w84QiIO8lTU


新館の最上階からの眺めを楽しみます。まずはフリードリヒ広場の給水塔Mannheimer Wasserturmです。

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フリードリヒ広場の東の奥には重厚な建物が並んでいます。ネオバロック様式のキリスト教会Christuskirche Mannheimや町一番の高さ212.8mの通信塔Fernmeldeturm Mannheimも見えています。

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再び、給水塔のほうを眺めます。その先には目抜き通りのプランケン通りPlanken Straßeが続いている筈です。この後、そのプランケン通りを散策します。

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最上階には、ルーフテラスがあります。勢いのある緑の植物のプランターが並べられています。

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最後に危うく見逃すところでした。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒCaspar David Friedrichの1824年、50歳頃の作品、《夕べAbend》です。素晴らしく、ロマンティックな作品です。それにこの大胆な構図。画面いっぱいに夕刻の茜色の空が広がり、画面の一番下にちょっとだけ、少し斜めになった地平線が描かれています。フリードリヒならではの見事な作品です。

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この旅では、ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで13枚ほどのフリードリヒの大コレクションを見て、ドイツとウィーンの美術に所蔵されているフリードリヒのほとんどの代表的な作品を見終えたつもりでしたが、旅の最後にまた、フリードリヒの名作に出会えて、幸福感に浸ることができました。

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コロナに怯えての買い物・・・マンハイム散策:名物パスタアイスって何?

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/16回目

昨日は日曜日でスーパーも混み合いそうなので、終日家籠りしましたが、今日は悪天の月曜日。夕方になると氷雨が降り、さすがに人出はないと判断し、食料品の買い出しに出かけます。我が家は配偶者が基本的に買いだめをしないので、その日の食料はその日に買う主義ですが、さすがに昨日は外出を控えました。スーパーはレジに列のできない状態で、比較的、安全です。しばらくは人の少なそうな時間帯を狙って、買い物をしないといけないですね。

 さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。フリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimでの美術鑑賞は完了しました。
次は、選帝侯宮殿Barockschloss Mannheimに向います。マンハイムでは、21歳から22歳のモーツァルトが母とともにプファルツ選帝侯の宮廷での就職活動に熱心に取り組みましたが不首尾に終わります。そのころ、ブファルツ選帝侯カール・テオドールがバイエルン選帝侯も兼ねることになり、事実上、ミュンヘンに宮廷楽団を連れていくことになり、名高きマンハイム宮廷楽団が終焉したこともモーツァルトの不運でした。この町では、ハ長調のピアノ・ソナタK309やフルート協奏曲第1番/第2番が書かれます。ヴァイオリン・ソナタ K.301~304も書かれました。選帝侯宮殿では、ハスキル&グリュミオーの不滅の名演、ヴァイオリン・ソナタ K.301、K.304を聴きたいですね。saraiは選帝侯宮殿の前で、モーツァルトの音楽を聴きたいので、パソコンを取りにいったん、ホテルに戻ります。と言っても、ホテルはマンハイム美術館の隣です。PCを入れたリュックを背負って、改めて出発です。
まずは、カイザー通りKaiserringを渡ると、向かいにフリードリヒ広場の給水塔Mannheimer Wasserturmが目を惹きます。

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今出てきた滞在中のマリティム ホテル マンハイムMaritim Hotel Mannheimの重厚な建物の全景も見えます。

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給水塔が目の前に見えます。アールヌーボー様式の建物だとのことですが、どうしてもそのようには見えません。もっと古い感じがしてしまいます。

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この給水塔から広いプランケン通りPlanken Straßeが伸びています。この町一番の目抜き通りです。通りの中央はトラムが走ります。人混みの中をトラムがぎりぎりに走るので、とても危ないと思うのですが、事故もないのでしょう。通りの両側にはぎっしりとショップが立ち並んでいます。この通りを周りのショップを覗きながら歩いていきます。ドイツらしく、大きなパン屋さんが目に入ります。

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少し歩くと、パスタアイスとかいう名物を食べさせるカフェ、アイス・フォンタネッラEis Fontanellaが見つかります。なかなか混んでいます。

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トラムの走る通りの方を向いて椅子は並べられています。何とかテーブルを確保して座ります。トラムはテラス席のほんの際を通り過ぎます。

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早速、分厚いメニューを開くと、その名物のパスタアイスの写真が登場。スパゲッティと書いてあります。

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みなさん、通りを行く人やトラムを眺めているのがユニークです。

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スパゲッティという名前のアイスを注文して、楽しみに待ちます。混んでいたテーブルもそれなりに片付いていきます。

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まずは飲み物が運ばれてきます。配偶者は紅茶。お好みのミルクティーではなく、ダージリンのレモンティーです。

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saraiはカプチーノ。イタリアーノという名称です。ちゃんとハートマークを付けてくれます。

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そして、じゃじゃーん! アイスクリームでできたスパゲッティです。これで7.5ユーロというなかなかの料金です。

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もちろん、この巨大アイスは二人でシェアして、いただきます。

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面白いアイディア・スイーツですね。美味しいアイスクリームですが、見た目がパスタ状と言えば、ただ、それだけです。

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口の中が甘甘になりますが、ちゃんと完食します。

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でも、結構皆さんが食べています。人気スイーツのようです。ここはカフェというよりもアイスクリーム屋さんですね。最後に紅茶で舌に残った甘い味を流して、さっぱりとします。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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では、選帝侯宮殿に向かいましょう。



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コロナは遂にすぐ近くに・・・マンハイム散策:プファルツ選帝侯宮殿でモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴く贅沢

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/17回目

今日は昨日の悪天候と一転して、ぽかぽかの好天。やはり、スーパーはレジに長蛇の列。コロナの影響でスーパーがこんなに混むようになったのは何故? 妙な商品の品切れも気にかかります。噂ではsaraiの住む地区にも遂に感染者が出たそうです。これからは近所の買い物もより気を付けないといけないようです。

 さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。現在はマイハイムのほとんどの施設が新コロナ・ウイルスの影響でクローズしているようですが、この旅では平和でまったく穏和でした。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。選帝侯宮殿Barockschloss Mannheimに向けて、この町一番の目抜き通りのプランケン通りPlanken Straßeを歩いています。途中、街角のカフェで名物スイートのパスタアイスをいただき、元気を充填。再び、プランケン通りをどんどん歩きます。大規模な歩道の修理中で、少々歩きづらいのですが、街のはずれまでやってきました。市庁舎Rathaus der Stadt Mannheimの前に着きます。特別な建物ではありません。計画的に造り変えられた街らしく、古い建物はありません。

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この市庁舎前で左に折れます。そっちのほうに選帝侯宮殿がある筈です。通りを進むと、アールヌーボー様式の素晴らしい建物があります。時計塔や美しいレリーフで飾られています。フリードリヒ・リスト・スクールFriedrich-List-Schuleというビジネス向けの学校のようです。

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この建物の前には、トウロン広場Toulonplatzという大きな広場があります。州立公園なのだそうです。広場の前には、ツォイクハウス博物館Museum Zeughausのどっしりとした建物があります。これはライス・エンゲルホルン博物館Reiss-Engelhorn-Museen (Museum Zeughaus, aktuell geschlossen)を構成する博物館の一つです。

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博物館の向かいには、モダンな建物があります。これもライス・エンゲルホルン博物館の新館のようです。ライス・エンゲルホルン博物館は世界文化博物館、写真コレクションなど4館からなる複合博物館です。様々なアートが体験できるようですが、それほど興味を惹かれなかったのでパス。

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古典主義様式のツォイクハウス博物館の建物に最後に目を遣り、その先に進みます。因みにこの建物は元々は1779年に武器庫として建設されました。

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やがて、大きな通りにぶつかります。ビスマルク通りBismarckstraßeです。

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ビスマルク通りには、夕陽を背に受けて、古色蒼然たる建物が建っています。古典主義様式のブレッツェンハイム宮殿Palais Bretzenheimです。ツォイクハウス博物館と同様にフェアシャッフェルトの設計に基づいて1788年にかけて建設されました。プファルツ選帝侯カール・テオドールは、この建物を愛人とその子どもたちに贈ったそうだとか。現在はマンハイム区裁判所として利用されています。

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ビスマルク通りを渡って、ブレッツェンハイム宮殿の側に立ちます。通りの向かいには、マンハイム大学Universität Mannheimの建物が見えます。この建物には大学図書館などが入っています。

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通りを進むと、カール・フィリップ広場Carl-Philipp-Platzの前にマンハイム大学法学部Abteilung Rechtswissenschaft, Universität Mannheimがあります。

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マンハイム大学の銘板がある入り口があります。

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マンハイム大学沿いに進むと、選帝侯宮殿Barockschloss Mannheimの正面に出ます。今は、その建物のほとんどがマンハイム大学となっている選帝侯宮殿です。これはさすがに立派です。

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モーツァルトが職を求めてやってきたゆかりの選帝侯宮殿ということで、saraiは前庭のベンチに座り、モーツァルトの音楽を聴きます。このマンハイムはブファルツ選帝侯カール・テオドールがバイエルン選帝侯も兼ねることになり、ミュンヘンに赴く前は栄華を極めていました。ヨーロッパ随一との評判だったマンハイム宮廷楽団も活躍していました。その頃、21歳から22歳のモーツァルトが宮廷音楽家としての求職活動をしていました。アロイジア・ウェーバーへの恋の花も咲かせていました。青春まっしぐらのモーツァルトでした。その若き日のモーツァルトに思いを馳せながら、宮殿前の広場のベンチに腰かけて、ここでモーツァルトが作曲した名曲を聴きます。PCで聴くのは以下の曲です。

 ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304 クララ・ハスキル&アルテュール・グリュミオー


目の前には、戦後再建された選帝侯宮殿が眺められます。若きモーツァルトも日々見ていた光景です。

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素晴らしい音楽、素晴らしい演奏です。時空を超えて、モーツァルトに会えた思いになります。
旅の最後にふさわしい締めくくりになりました。

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モーツァルトの名作を聴き終えて、ベンチを立ちます。1720年から1760年に建設された選帝侯宮殿は、ヴェルサイユ宮殿に次いでヨーロッパで2番目に大きなバロック建築でした。市中心部に向いた正面の幅は440mに及びます。第二次世界大戦で完全に破壊された後、簡略化された形で再建されました。ハッソ・プラットナー(SAP AG創設者の一人)の巨額の寄付により、2006年までにオリジナルに忠実な本館の屋根が復元されました。完全に往時の雰囲気を取り戻しているようです。

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宮殿内にはバロック時代・神聖ローマ帝国時代の生活を再認識するシュロスミュージアム(城館博物館)があり、見学できるようですが、パスして選帝侯宮殿の建物を通り抜けて、宮殿の裏の方に行きます。広々とした気持ちの良い緑の空間が広がっています。メンサヴィーゼ・ウニヴェルシテート・マンハイムMensawiese Universität Mannheimと呼ばれています。

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芝生では、学生たちがくつろいでいます。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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さあ、あとは、ライン川を見るだけです。ライン川河畔の町、デュッセルドルフDüsseldorfから始めた旅ですから、ライン川河畔の町、マンハイムで、ライン川を見て、グランド・フィナーレにしましょう。



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コロナを意識して買い物は戦略的に・・・マンハイム散策:旅の終わりはライン川

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/18回目

今日は昨日に続く好天。やはり、スーパーへの買い物は作戦を立てて、人の少なくなる夕方遅くを狙います。作戦成功でスーパーのレジ待ちの行列はほとんどありません。最近はトイレットペーパーが潤沢に並ぶようになりました。saraiの家は買い置きがないので、助かります。今後も買い置きはしませんよ。これからの近所の買い物は戦略的に考える必要があります。

 さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。旅の終わりも近づいています。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。選帝侯宮殿Barockschloss Mannheimの前でモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを感慨深く聴きました。モーツァルト自身が作曲当時、目にした光景を眺めながらの鑑賞でした。
現在、選帝侯宮殿の裏にある緑の空間、メンサヴィーゼ・ウニヴェルシテート・マンハイムMensawiese Universität Mannheimにいて、気持ちが寛ぎます。

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さて、旅の最終目的地、ライン川に向かいます。この広場の中にライン川の橋Rheinbrückeへの方向が示す案内板があります。

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その方に進んでいくと、立体交差のような道に上っていきます。

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鉄道の線路を超えていきますが、その先にも鉄道の線路があります。

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この道は自動車専用道路のICのようなところで、その道路の歩行者用通路を歩きます。この先はライン川を越えていく大きな橋が架かっていて、その上からライン川は見えますが、あまり見たという感じではありません。鉄道橋で遮られて、その先に進むことができません。もう少しライン川河畔で寛ぎたいですね。

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ライン川の川べりに出る道を探します。いったん、元の道を戻って、選帝侯宮殿の前に戻ります。先ほど、ちゃんと見なかったプファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒKarl Ludwig von der Pfalzの銅像です。

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カール1世ルートヴィヒの銅像は右側にありますが、左側にはバーデン大公カール・フリードリヒKarl Friedrich von Badenの銅像があります。

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今度は選帝侯宮殿の建物の左側を通り抜けて、裏に出ます。線路に沿って、駅の方に向って歩いていくと、線路を超えていく跨線橋を発見。線路を渡って、ライン川のほうに向かいます。

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立体交差の橋の上には歩行者通路と自動車道路のほかにトラムの線路まであります。

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この道は、広い森のような広大な庭園に続いています。この庭園はシュロスガルテン(宮殿庭園)Schlossgartenです。バーデン大公カール・ルートヴィヒの妃ステファニー・ド・ボアルネ(ナポレオンの妃ジョゼフィーヌの親族で、ナポレオンの養女)が、撤去されたバロック時代の都市防衛施設であった稜堡跡に1808年からイギリス式庭園を造り始めたのが、このシュロスガルテンです。しかし、その後、この庭園の中を、まず、鉄道の線路、次いで、自動車道路の連邦道、さらには、トラムの線路が横切ることになり、元のイギリス式庭園の魅力は損なわれてしまうことになります。その名残の庭園の森を歩きます。

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やがて、この森の先に、ライン川が見えてきます。

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ライン川の川縁が近づいてきます。

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ラインプロムナーデRheinpromenadeという川沿いの散策路に出ます。川縁には、シッファーマスト・アム・ラインSchiffermast am Rheinという大きな旗竿が立っています。

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素晴らしいライン川の河畔の風景です。ここまで道に迷いながらも執念で辿り着きました。

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ここには、ライン川の流れを楽しむ人が大勢いることに驚きます。ジョギングしている人や、子供たちと遊ぶ家族連れや、静かに散歩する人など、思い思いの過ごし方をしています。ちょうど、ここにはテラスカフェがあります。ずい分、まわり道して、疲れたところです。

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われわれも、現地のみなさんを見習って、カフェでお茶をしましょう。

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小腹も空いたので、ガトーショコラをいただきます。このお店はラインテラッセンRheinterrassen Gasthaus am Flussという素敵な名前のカフェです。食事もできるようです。

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飲み物はビターレモン。

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川の草原のカフェらしく、やたらにハチが飛び回ります。甘いジュースが攻撃目標になります。空のジュース瓶の中に飛び込んできます。瓶を横に転がして、ハチを誘い込みます。

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ビターレモンのグラスには蓋をして、守りを固めます。

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ハチと戯れながら、ライン川の景色を楽しみます。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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旅の最後の時間はゆっくりと過ぎていきます。



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コロナの日々は続く・・・マンハイム散策:菩提樹の立つライン川で旅のフィナーレ

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/19回目

今日は平穏な1日。外出はすぐそばの郵便局と、スーパーへの買い物だけ。スーパーは昨日と同様、人の少なくなる夕方遅くを狙って、作戦成功。明日からもこういう日が延々と続くんだろうなあ。そうそう、今日は先日復活した真空管アンプにレコードプレーヤーを繋いで、ブラームスの晩年の名作、クラリネット五重奏曲を聴きました。素晴らしい響きで抒情が極まります。音楽を聴いていると幸福感に包まれます。

 さあ、一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。選帝侯宮殿Barockschloss Mannheimの裏のイギリス式庭園、シュロスガルテン(宮殿庭園)Schlossgartenの先にライン川の河畔がありました。河畔のテラスカフェでゆったりと、旅の終わりの時間を過ごします。40分ほど過ごして、だんだん夕暮れ時になってきたのを潮に席を立ちます。
川沿いの散策路、ラインプロムナーデRheinpromenadeを歩き始めます。

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河畔には見事な大木が立っています。菩提樹です。このあたりはリンデンホフLindenhofと呼ばれる一帯で、巨大な菩提樹が並びます。

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菩提樹の傍らには巨大な旗竿が立っています。シッファーマスト・アム・ラインSchiffermast am Rhein・・・ライン川のボートのマストという意味でしょうか。

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菩提樹の先に流れるライン川の流れに心を寄せます。

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ライン川に架かる橋が見えます。この橋はマンハイムと対岸の町、ルードヴィヒスハーフェンLudwigshafen am Rheinを繋いでいます。コンラッド・アデナウアー橋Konrad-Adenauer-Brückeです。

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ライン川の河畔はマンハイム市民が夏の夕暮れを楽しむ場になっています。

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美しい菩提樹に魅了されます。

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ライン川の夕景は心に残りそうです。

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川沿いの道をゆっくりと歩きます。

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ライン川には、中洲と対岸の町が見えています。

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ライン川河畔には気持ちのよい散策路が続きます。

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川縁に寄ります。

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夕陽に輝く穏やかな流れに旅情がそそられます。今回もよい旅になりました。

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岸辺に座る人、散策を楽しむ人、夏の名残りを惜しむ人たちです。

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岸辺の散策路はどこまでも続きますが、マンハイム中央駅に向かう分かれ道が見えてきます。

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最後にライン川をじっと眺めます。

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もうこれでよいでしょう。夕暮れのライン川に別れを告げます。

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シュロスガルテンの林の中の道を抜けていきます。

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しばらく、林が続きます。

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林を抜けて、市街地に出てきます。

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中央駅の方に向かっていると、鉄道の線路をくぐる地下道が見えてきます。これで何とか旧市街に戻れそうです。

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中央駅前からカイザー通りKaiserringを歩き、フリードリヒ広場Friedrichsplatzに戻ると、給水塔Mannheimer Wasserturmが見えてきます。

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夕陽に照らされた給水塔の前には噴水が上がっています。

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さあ、ホテルに戻ります。マリティム ホテル マンハイムMaritim Hotel Mannheimの重厚な建物が迎えてくれます。

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今日は、ルームサービスで夕食を済ませましょう。なんと、このホテルにはルームサービスがあるのです。ドイツの美味しいものも散々食べたし、気楽に部屋で過ごすことにしましょう。で、決めたメニューは3品。1つは、カリーヴルスト。これを電話でお願いするのだけど、なかなか通じません。やっと分かったようで、OKと言ってくれたのですが、届いたのはカリカリベーコンでした(笑い)。

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食事中に、saraiが思わず、叫んでしまいます。明日のフランクフルトまでのチケット(ドイツ国鉄のRail&Flyの無料鉄道チケット)をまだゲットしていないことに気づいたのです。本当はマンハイム中央駅で発行してこないといけなかったんです。さらに、帰国する航空機のボーディングパスも印刷してません。気が緩んでいますね。日程表には、やるべきこととして書き込んであるのにやらなかったんです。なんとか携帯に一応、チケット類をダウンロードしますが、これで上手くいくのかしら・・・不安。
最後のお風呂に入り、おやすみなさい。

明日は鉄道でフランクフルト空港に移動し、お昼のANAの羽田への直行便に乗って、翌日の早朝に羽田に着きます。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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