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めざすはバーゼル美術館の《風の花嫁》

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン

旅の10日目、ルツェルンLuzernの3日目です。

今日も朝から雲一つない快晴です。お出かけ日和です。こんな日は、インターラーケンからユングフラウ辺りへ出かけると素晴らしいのでしょうが、夜のコンサートがあるので無理です。今日はsaraiの最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に会いに出かけましょう。それはバーゼル美術館Basler Kunstmuseumにあるので、ベルンBernのパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeと合わせて、バーゼルBasel、ベルンBernと巡ってきます。

今日はファーストクラスの1日乗り放題チケット(Saver Day Pass)を買ってあります。スイス国内は基本、どこでも乗り放題です。一人88スイスフラン、約1万円です。快適な鉄道旅を楽しむことにします。

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ルツェルン駅で、朝食を買って乗り込みたいのですが、パン屋さんは行列してます。時間がないのでkioskで、パンとコーヒーを買って、電車に乗ります。

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ルツェルンからバーゼルまで約1時間です。8時54分に発車するとすぐに車掌さんが検札に周ってきます。1日乗り放題チケット(Saver Day Pass)を見せて、OK。

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ルツェルンの街の中を抜けていきます。

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青空の下、電車は走っていきます。

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線路の傍らに綺麗な教会が見えます。ロイスビュール教会Katholische Kirche Reussbühlです。

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しばらく走ると、車窓にピラトゥス山Pilatusが美しく聳えています。

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ピラトゥス山がどんどん後方に小さくなっていきます。電車がスピードアップしていきます。

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やがて、林の陰に隠れて、見えなくなります。ルツェルンの街から十分に離れたということですね。

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真っ青な空とどこまでも続く緑の草原・・・これもスイスの風景です。

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これはスイスのジャガイモ畑のようです。何故って、ドイツ語でそう書いてあります。

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ジャガイモ畑がどこまでも続きます。

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これはトウモロコシ? 畑の向こうに教会が見えます。

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緑の大平原の中を電車が走っていきます。

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草原に、草を食む牛の群れです。美しい長閑な風景が続きます。

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牧草地帯が続きます。

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まだ、走り出して20分ほどです。バーゼルまではまだ40分ほどかかります。



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懐かしのバーゼルに到着

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/2回目

最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に再会すべく、バーゼルBaselに向かっています。ルツェルンLuzernから電車が20分ほど走ると、牧草地とトウモロコシ畑の中を走ります。

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やがて、ルツェルンとバーゼルの中間地点の駅に到着します。

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ルツェルンを出て、35分です。この大きな駅はどこでしょう。

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オルテンOltenです。この鉄道駅はルツェルンとバーゼルからも30分ほどですが、チューリッヒZürich、ベルンBernからも30分ほどでスイス鉄道SBBのハブ駅として機能しています。オルテンはベルンと同様にアーレ川Aareの畔の町です。

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オルテンを出ると、緑の丘陵地帯を走ります。

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やがて、定刻の10時にバーゼルに到着です。三度目のバーゼル。懐かしさを感じます。

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ホームからエスカレーターで階上の連絡通路に上がります。

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連絡通路は多くの人が行き交い、パン屋さんなどのお店のショッピング街になっています。

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通路の天井にはなぜか、モナリザをパロディった大きなポスターが下がっています。左の絵はダ・ヴィンチ、右の絵はベストスマイルって書いてありますね。

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通路の窓からはバーゼル駅Bahnhof Basel SBBの広い構内が見渡せます。

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大きな通路を抜けて、エスカレーターで駅舎のロビーに下ります。

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もう見知った街という感じです。バーゼル美術館Basler Kunstmuseumへは駅前からトラムに乗って移動します。まず、トラム乗り場の自動販売機でチケットを買います。画面タッチ式の操作しやすい自販機です。

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これが購入したチケット。近距離は一人2.3ユーロです。

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あれ、どのトラムに乗るんだっけ。

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11番のトラムの経路を確認しますが、これは違いますね。

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ところでここで振り返ると、バーゼル駅の堂々たる駅舎が見えます。

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乗るべきトラムの最終確認中です。

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さあ、トラムに乗りましょう。バーゼル美術館へは1番か2番のトラムです。

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いよいよ、ココシュカの《風の花嫁》に再会です。



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《風の花嫁》に再会ならず! 失意のバーゼル

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/3回目

最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に再会すべく、バーゼルBaselにやってきました。
バーゼル駅Bahnhof Basel SBBの駅前のトラム乗り場でバーゼル美術館Basler Kunstmuseumに向かうためにトラムの乗車。トラムはバーゼルの町の中を走っていきます。目の前に大きな教会が見えます。
聖エリザベート教会Offene Kirche Elisabethenです。大きな尖塔を見上げながら、トラムは通り過ぎます。

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やがて、バーゼル美術館前に着いたと思ったら、トラムは停まらずにすっと走っていきます。のんびり乗っていたら、降車ボタンを押し忘れ、降り損ねてしまいます。この町のトラムは降車するためには降車ボタンを押す必要があります。トラムはバーゼル美術館を過ぎて、ライン川Rheinに架かる橋、ヴェットシュタイン橋Wettsteinbrückeを渡っていきます。

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ライン川は明るい陽光で川面がキラキラしています。

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一つ先の停留所、ヴェットシュタインプラッツWettsteinplatzまで行って、そこで降車。

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この停留所から歩いて戻ります。またトラムに乗って戻ってもよいのですが、途中、ライン川に架かる橋があるので、ブラブラ橋を渡り、街の景色を楽しんでいきましょう。ヴェットシュタイン橋を渡り始めると、バーゼル大聖堂Basler Münsterの2本の尖塔が見えます。

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ズームアップして、バーゼル大聖堂の美しい姿を眺めましょう。

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橋の先には、バーゼル美術館の白い建物が見えてきます。

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久しぶりのバーゼルのライン川。快晴の陽光を受けて、川面が輝いています。

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川縁に立つバーゼル大聖堂の2本の尖塔を眺めながら、橋を渡ります。

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バーゼル美術館の姿がだんだん、大きく見えてきます。

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橋を渡り終えると、橋の袂に面白い銅像があります。ヨーロッパの想像上の生物バジリスクの銅像(スイスの彫刻家フェルディナンド・シュレス作)Basilisk Statue von Ferdinand Schlöthです。この町のランドマークの一つです。

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川を渡るとすぐ正面にバーゼル美術館が見えてきます。なんだか建物の前が大がかりな工事中のようです。

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美術館の前に到着。工事中で入り口が煩雑ですが、オープンはしています。一安心です。

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中に入り、まずはチケットを購入して、見学開始です。

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さあ、《風の花嫁》に再会しましょう。荷物をロッカーに入れて、まず、《風の花嫁》に再会すべく、その展示場所をスタッフに尋ねます。すると、彼は《風の花嫁》は2階なんだけど、2階はフロア全体がクローズしてるんだよね。1階のこのへんにもいい絵があるよって、破壊的な発言。saraiは泣きそうになり、わざわざ、この絵を見に日本から来たって言うと、彼は冷静にPCの画面で再度確認した上で、申し訳ないけど、やはり、クローズしているので見られないと言って、それ以上は話が進みません。saraiは力が萎えて、ロビーのソファーに座り込みます。こういう時は、どうしようもありません。黙って、ソファーに座って、気持ちが納まるのを待つしかありませんね。しばらくすると、ようやく気持ちも落ち着き、結論が出ます。この美術館は何度も来たし、今更、《風の花嫁》以外の絵を見ても虚しくなるだけです。止めましょう。心を決めて、スタッフに気持ちを伝え、チケットの払い戻しをお願いすると、快く応じてくれます。人生最後の《風の花嫁》との対面は果たされませんでした。そういう運命だったとあきらめるしかありません。人生最後になるであろうバーゼル訪問は実に残念な形で無残に終わりました。展示室入口には、2階がクローズされている旨がさらっと書いてあります。

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すぐにベルンBernに移動して、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeへ行くことにします。バーゼル美術館の中庭を抜けて、外に向かいます。

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外に出ると、道は工事中でふさがっています。

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トラムに乗って、駅に戻ることにしますが、美術館の周りは大工事中なので、トラムの乗り場が見当たりません。工事の人に訊くと、遠くを指さします。踏んだり蹴ったりです。文句を言っても仕方がないので、次の乗り場まで移動してトラムに乗ります。無事、駅に戻ってきました。1時間前に着いたばかりの駅です。笑っちゃいますね。

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ベルン行きの電車はすぐにあります。旅のお供にコーヒーと甘いパンを購入して、電車に乗り込みます。

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失意のうちに、1時間だけ滞在したバーゼルを去ります。



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ベルンに到着し、パウル・クレー・センターへ

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/4回目

失意のバーゼルBaselから、ベルンBernに向かいます。ベルンではパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れることにします。
またまた、車窓の美しいのどかな景色を眺めます。

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やがて、朝、ルツェルンLuzernからバーゼルに向かうときにも通過したオルテンOltenに到着。ここは交通の要ですから、必ず通ります。まさに交通ハブです。

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これがオルテンのホーム風景です。

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オルテンを出て、一路、ベルンに向かいます。ファーストクラスの車内はゆったりしています。車掌さんが検札に来ます。1日乗り放題チケットSaver Day Passがありますから、何も問題なし。

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青空の広がる大平原の中を走っていきます。

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美しいスイスの風景が続きます。

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アーレ川Aareが現れます。ベルンの郊外です。

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これまた懐かしいベルンに到着です。これが3回目の訪問になります。駅舎を出て、バス乗り場に向かいます。

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これが今出てきた駅舎です。現代的な建物です。

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広いバスターミナルです。横には聖霊教会 Heiliggeistkircheがあります。

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自動販売機でバスのチケットを買います。

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これが購入したチケット。

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パウル・クレー・センター行のバス乗り場でバスの到着を待ちます。

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次々とバスが到着します。

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パウル・クレー・センター行のバスが到着。

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精霊教会の前を出ていきます。

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旧市街の通りを郊外のパウル・クレー・センターに向かって走り出します。



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パウル・クレー・センターに到着

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/5回目

まだ、バーゼルBaselで最愛の絵画《風の花嫁》を見られなかった失意を引き摺っているsaraiです。ベルン中央駅Bern Hauptbahnhofで乗ったバスはパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeに向かいます。駅前のバスターミナルを出た12番のバスはシュピタールガッセSpitalgasseの通りを走ります。旧市街の通りにはポルティコが続きます。

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ヴァイセンハウス広場Waisenhausplatzに差し掛かると、パラソルの下のテラス席が賑わっています。

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ベルン名物の噴水も見えます。ツェーリンガーの噴水Zähringerbrunnenの後ろ姿です。ベルンの創始者ツェーリンゲンの記念碑です。甲冑を装着したベルンのシンボルの熊がツェーリンゲン家の旗を掲げています。

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バスは旧市街の目抜き通り、クラムガッセKramgasseを走っていきます。

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また、噴水があります。サムソンの噴水Simsonbrunnenです。怪力のサムソンがライオンの口を引き裂こうおしている姿です。

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通りの名前がゲレヒティクカイツガッセGerechtigkeitsgasseに変わります。通りには噴水だけでなく、建物の壁面にも人形が飾ってあります。

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ポルティコのように、2階が通りにせり出して、その下がショッピングアーケードになったような独特の造りの通りが続いています。

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やがて、バスはアーレ川に差し掛かります。

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アーレ川に架かるニーデック橋Nydeggbrückeの上からは丘の上のバラ公園Rosengartenが見えます。

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熊公園Bärengrabenを抜けると、高級住宅街の中を走りだします。

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大きな学校の前を過ぎていきます。

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車窓に緑が多くなり、やがて、パウル・クレー・センターが見えてきます。

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バス停、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeに到着。バスを降りて、パウル・クレー・センターに向かいます。

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ここまでの12番のバスの走行ルートを地図で確認しておきましょう。なお、一部、不完全なところもあります。

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建築家レンゾ・ピアノ設計の特徴的な波の形をした建物と遠くにアルプスの山々が見える美しい景色が私たちを迎えてくれます。

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2つの波の形の建物間に入口があります。

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パウル・クレー・センターの前には散策道が続き、その前にはアルプスの山並みが広がります。

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さあ、クレーの作品群に会ってきましょう。



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パウル・クレー・センター:バウハウス時代のクレー

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/6回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れています。早速、入館して、チケットを購入。

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この美術館には日本語の美術館紹介のパンフレットも置いてあります。日本人に人気の高いパウル・クレーの最大のコレクションを所蔵する美術館ですから、日本人の美術愛好家も多数、訪れるのでしょう。

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荷物をロッカーに預けて、鑑賞開始。またまた、今回も見たこともないクレーの作品が並んでいます。この美術館は、毎回テーマを決めて作品を入れ替えます。前前回の訪問時は「日本とクレー」、前回の訪問時は「ピカソとクレー」でした。今回は「チャップリンとクレー」。笑いと涙をテーマにした、なかなか渋い、面白い展示です。これがパンフレットです。

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展示順ではなく、制作年順にご紹介していきます。実は晩年近くの1939年の作品、それも天使シリーズの線画の展示が多かったのですが、それは後でご紹介するので、お楽しみに。

《デッサンの後で》。1919年、クレー40歳頃の作品です。瞑想(自画像)という表題も付いています。この頃、クレーは画家として認められて、この年にミュンヘンの画商ゴルツと契約を結びます。淡い色彩でシンプルな構図で淡々と描かれた自画像には、画業に集中するクレーの思いがみなぎっています。

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《人形劇場》。1923年、クレー44歳頃の作品です。クレーは1920年にミュンヘンのゴルツの画廊で大回顧展を開き、同年、ヴァルター・グロピウスの招聘を受け、翌1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとることになります。クレーが絵画研究に没頭し、芸術的に深化していく時期にはいっていきます。この作品のテーマ、人形劇もしばしば取り上げていきます。黒い背景に平面的なパーツを配置したような実験的な作品です。色彩の調和に注目しましょう。

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《俳優》。1923年、クレー44歳頃の作品です。舞台に立つ俳優が描かれていますが、俳優というよりも生意気なガキという感じで微笑ましく感じます。この作品でも暗い背景に暖色系の色彩を配置しているところが注目されます。

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《衣装と仮面を着けた女性》。1924年、クレー45歳頃の作品です。非常に繊細にデザインされた作品です。細い手足、細い首の女性がゆったりとしたエレガントな衣装で身を包み、仮面を着けた顔を横にずらしています。カールしたピンクの髪、ピンクのブーツなど、デフォルメした画面の中で、強調すべきところは細部を描き込んでいます。クレーが自分の絵画的なセンスをすべて注ぎ込んだような渾身の一作です。

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《円のなかの魚》。1926年、クレー47歳頃の作品です。まるで金魚鉢のような円形の中に色んな色彩の魚が描かれています。傑作、《金色の魚》(1925年、ハンブルク市立美術館)を連想しますね。《金色の魚》よりも地味ですが、なかなか、素晴らしい作品です。

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《グロテスクな劇場の小像》。1929年、クレー50歳頃の作品です。クレーはまだ、バウハウスの職に留まっていますが、時代は確実に不穏になってきています。クレーの不安な心理状態をこの絵から感じ取るのは間違いでしょうか。この世界恐慌の年の4年後にはナチスの弾圧により、クレーは長年住んだドイツからスイスへの亡命を余儀なくされます。

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《顔:滑稽なおばあさん》。1929年、クレー50歳頃の作品です。クレーはしばしば、人間の顔を画面いっぱいに様々な表情で描き込んでいます。この作品ではおばあさんがコミカルに描かれています。クレー独特の人間観察なのでしょうか。

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クレーのバウハウス時代の充実した作品がまだ、続きます。しかし、時代の不穏な足音は確実にクレーを追い詰めていきます。



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パウル・クレー・センター:バウハウス時代~デュッセルドルフ、そして、スイスへの亡命

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/7回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介していますが、バウハウス時代の後期の作品を鑑賞中です。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

《奇妙な劇場》。1929年(316)、クレー50歳頃の作品です。劇場の色んな様子を構成したものでしょうが、モノクロームのせいか、未完成のように思えます。

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《征服者》。1930年(129)、クレー51歳頃の作品です。幾何学模様や記号を組み合わせた抽象絵画にも見えますが、ちゃんと具象的なイメージも分かります。槍と旗を持った傲慢そうな征服者の姿が描かれています。ナチスが世界を席巻する姿を予見したのでしょうか。いずれにせよ、世界恐慌で不安な社会になった限界状況はクレーの絵画にも影響を与えない筈がありません。

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《仕事》。1930年(223)、クレー51歳頃の作品です。何か鬱屈したイメージの作品です。タイトルと照らし合わせると、仕事を活き活きとする姿ではなく、仕事に圧し潰される人間の苦しい姿が思い起こされます。この時代、町には失業者があふれかえっていました。

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《家族の散歩》。1930年(260)、クレー51歳頃の作品です。犬や子供を連れた家族の散歩が幾何学模様で描かれています。晩年の線画への萌芽を感じます。ゆったりした微笑ましい家族のシーンが描かれていますが、どことなく、不安なイメージも垣間見えます。

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ここまでがバウハウス時代の作品です。様々な挑戦をしながら、芸術の幅を広げた充実の時代でしたが、最後は暗い影も見えてきます。
この後は1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授の職に就きました。スイス亡命前の最後のドイツ時代になります。


《襟(ネックレス)》。1932年(227)、クレー53歳頃の作品です。一見、ピカソ風のキュービズムを思わせますが、ここでは画面全体の淡い色彩に注目すべきでしょう。特に顔のピンクっぽい色彩が印象的です。男女のカップルのほのぼのとした愛情にも心が和みます。

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ここまでがスイス亡命前の作品です。クレーはナチス当局の様々の弾圧を受けて、生まれ故郷のスイスのベルンへの亡命を決意します。しかし、ドイツ国内の銀行口座は凍結され、亡命後は経済的に困窮することになります。しかも追い打ちをかけるように、亡命の2年後、原因不明の難病である皮膚硬化症を発症し、創作もはかどらなくなります。その亡命後の苦しい時代の作品を見てみましょう。

《悲嘆》。1934年(8)、クレー55歳頃の作品です。静かに喪に服す姿が見事な技法で描き出されています。タイル状の点描と大胆な線画の組み合わせはクレーの得意の手法で傑作《パルナッソス山へ》でも用いられました。しかし、ここにはあの輝きはなく、深い哀しみだけが見るものの心を打ちます。

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《創造主》。1934年(213)、クレー55歳頃の作品です。抽象的な模様だけが描かれています。クレーは創造主の姿を求めて、救いを探しているのでしょうか。これもある意味、哀切を極めるような作品です。

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《レディー・デーモン(悪魔)》。1935年(115)、クレー56歳頃の作品です。タイトルはおどろおどろしいですが、作品自体は剽軽な雰囲気を醸し出しています。この年の作品は極めて少ないです。

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5年ほど創作活動が低迷する時代が続きますが、1937年ごろにはふたたび、創作活動が活発になり、最後の頂点を迎えることになります。しかし、難病に侵されたクレーに残された時間は僅かです。その最後の2年間ほどに奇跡のような天使シリーズが生まれることになります。



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パウル・クレー・センター:クレー晩年の芸術的完成へ 1938年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/8回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代を経て、スイス亡命後の創作活動低迷期の作品をご紹介したところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

これからはクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。

《母と子》。1938年(140)、クレー59歳頃の作品です。ピカソ風に描かれた愛情あふれる母と子の姿です。クレーの心情はすっかりと落ち着いていることが窺えます。西欧絵画でこのテーマの場合は聖母子を意識している場合が多いですが、この作品は宗教的には思えません。ほぼ2色で描かれた色彩表現も見事ですし、線画風の構図も素晴らしい作品です。

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《顔:老婦人》。1938年(218)、クレー59歳頃の作品です。うーん、これはまるで日本昔話に出てくるようなお婆さんのように見えます。素直にそのままの姿を感じるだけでよさそうです。

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《限定された権利放棄》。1938年(372)、クレー59歳頃の作品です。いよいよ、線画シリーズの始まりです。もちろん、クレーは体力的にも、凝った色彩画を描くのは辛くなったのでしょう。それでも、こういう線画で自己の芸術の完成を目指したところは、見るものを熱くし、共感させるものがありますね。この絵はクレーのあきらめの境地でも描いたものでしょうか。しかし、すべての権利を放棄したわけではなく、限りある人生を精一杯生きるというふうにも思えます。苦しい中で気持ちの整理がついてきたと感じます。頑張れ!クレー!

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《引っ繰り返された》。1938年(376)、クレー59歳頃の作品です。この絵は単純に人がすってんころりんとひっくり返った様を描いたものでしょうが、あの北斎漫画を連想するのはsaraiだけでしょうか。

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《あなたは滴っています(ずぶ濡れです)!》。1938年(470)、クレー59歳頃の作品です。これは女の人が何か、獣にぱっくりと食われそうになり、獣の口からのよだれで滴っている様が描かれているようです(全然、違うかもしれない?)。パニックするシーンでありながら、何か、ユーモアも感じます。これも漫画の世界ですね。

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《人形劇》。1939年(19)、クレー60歳頃の作品です。クレーはかってより、しばしば、人形劇をテーマに取り上げてきました。かっては片面的に人形劇のパーツを色彩豊かに描きましたが、それを線画でごく単純化したモティーフとして描いています。力尽きたクレーの姿とも言えますが、あくなき追及を止めないクレーに涙を禁じ得ません。

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《勇敢な女性のための動物》。1939年(20)、クレー60歳頃の作品です。妙なタイトルで妙な絵です。全体としては勇敢な女性の姿ですが、ただ、顔の一部は猛獣の顔になっています。どう解釈すればよういのか・・・。女性の中に猛獣らしさを見たのか、女性に猛獣のような野性の強さを与えたかったのか・・・。分かりません。

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《沼地で》。1939年(36)、クレー60歳頃の作品です。沼地の様々な生態を一枚の絵に構成しています。本来ならば、線画でなく、色彩と精密な構図で描きたかったのでしょうが、シンプルな線画でどこまで表現できるか、模索していたのでしょう。この苦しい時代になっても挑戦を止めないクレーの画家としての真骨頂が見られます。

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クレーに残された時間はもう1年ほどになりますが、驚くほど多作になるクレーです。多くの線画が続々と登場します。いよいよ、天使も登場しますよ。



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パウル・クレー・センター:クレー晩年の芸術的完成は天使シリーズ 1939年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/9回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代を経て、スイス亡命後、クレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

これからはクレーの最後の1年間、1939年と1940年の作品をご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《天上の愛》。1939年(219)、クレー60歳頃の作品です。二人の人間の天上の世界か、それとも二人の天使なのか・・・。傷つき倒れそうな女性を必死で支えようとしている男性のけなげな愛が描かれているように感じます。死期を悟ったクレーがシンプルに描いた愛情はこういうものでした。まるで仙人が描くような究極の絵画です。

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《困難な復活》。1939年(221)、クレー60歳頃の作品です。倒れた人を再生させようとしているか、キリストのように復活しようとしているのか・・・。いずれにせよ、復活は困難を極めます。クレー自身の苦境を描いたものなのでしょうか。これも天使シリーズに至る一作なのでしょう。

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《彼は彼女を傷つけるでしょう》。1939年(224)、クレー60歳頃の作品です。男性が鋭利なもので女性を一突きしようとしています。その事情も背景も分りませんが、単純な暴力ではないことは明白です。男性の存在自体が女性を傷つけているということをアイロニーを交えて描いたものだと推察されます。クレーの魂の叫びを聴く思いです。

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《哀れな発芽》。1939年(281)、クレー60歳頃の作品です。久々に線画ではない作品ですが、そのシンプルな作画は線画と同様なものです。植物の種の発芽に託して、人間の誕生の不条理、哀しさを表現したものでしょうね。見るもの、それぞれ、己の人生のありように思いをはせることになるような悲愴な作品です。

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《破壊された迷路》。1939年(346)、クレー60歳頃の作品です。線画でなく、色彩こそシンプルですが、精密な構図で描いた力作です。色んな解釈があるかもしれませんが、ここはクレーが晩年に描いた美しい抽象画として、そっと胸に収めておきたい作品です。

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《甘美な(豪華な女性)》。1939年(414)、クレー60歳頃の作品です。タイトルを気にしなければ、これは純然たる天使シリーズの一作ですね。タイトルを甘美な天使とでもしておきましょうか。女性の甘美さを湛えた、優しい天使です。

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《ピエロ、二人》。1939年(529)、クレー60歳頃の作品です。これもタイトルはともかくとして、天使シリーズの一作として認定できそうです。二人のピエロのように可愛い天使というのがsaraiのタイトル案です。クレーの線画はますます澄み切った心情になっていきます。こんなにシンプルな芸術を描いた人はいまだかっていませんね。

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《災害》。1939年(588)、クレー60歳頃の作品です。これも天使シリーズの一作に認定したい作品です。ねじくれた顔の天使・・・それがsaraiのタイトル案です。いまだ、クレーの天使シリーズの作画の意図は明白ではないそうですが、こうして見てくると、死期を悟ったクレーが苦しい心情をシンプルな線画で昇華させたものが天使シリーズの意味に思えてきます。

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クレーに残された時間はますます少なくなります。それでもこの後、クレーは執念のような生の炎を燃やして、1000枚ほどの作品を描きます。その中のほんの一部をご紹介していきます。



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パウル・クレー・センター:クレーは苦悩を超えて天使的表現へ 1939年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/10回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年の作品を引き続きご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《過ぎ去ったこと、しかし、痕跡がないわけではない》。1939年(661)、クレー60歳頃の作品です。微妙なタイトルの線画です。多分、もう既に若い時代を過ぎ去った女性が描かれているんでしょう。しかし、まだ、若かりし頃の美しさの影を残していて、クレーは愛情を込めて、この女性を描いています。若き日の夢を宿した天使・・・saraiのタイトル案です。

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《そのバカ》。1939年(663)、クレー60歳頃の作品です。鈴の付いた頭巾をかぶった人物がおどけているのかな? タイトルは意味不明ですが、きっと自虐的なのだとすれば、この人物はクレー自身だということになりますね。きっとユーモアなんでしょう。

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《空腹の少女》。1939年(671)、クレー60歳頃の作品です。よく、小学生か、幼稚園児の描いた絵と評される作品ですね。大芸術家たるクレーが無垢の精神に立ち返って、自分の精妙な筆さばきのすべてを封印して挑んだ野心作です。素朴派の画家たちでさえ、ここまでの作品は描けないでしょう。ある意味、クレーがそのキャリアーの最終地点で辿り着いた頂とも思える作品なのでしょう。クレーはこれが描きたくて、これまでの画業でもだえ苦しんだとも言えます。空腹の少女がそのあまりの空腹さ故に自分の手を食べてしまおうとするという恐ろしい題材をあえて、稚拙極まりない画法で、非現実化したものですが、題材自体のシリアスさはゆるぎない事実です。この時代のヨーロッパを擬人化したとも思えますし、もっと、人間の内面に迫る意味でも捉えられます。こういう作品は鑑賞者の芸術への感性次第で駄作にも超傑作にもなりうるという恐ろしい芸術性を秘めています。

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《保護者に守られて》。1939年(830)、クレー60歳頃の作品です。赤ん坊が保護者(母親でしょうか)の懐に包まれて、安らかに眠っているようなシーンが実に愛情豊かに描かれた見事な作品です。守られて幸せな天使・・・そういうタイトルも付けたくなりますね。これはきっとクレー自身の願いであり、叫びなのでしょう。

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《負荷》。1939年(837)、クレー60歳頃の作品です。これは描かれている通りのシンプルな作品です。重圧に打ちひしがれている人間の苦悩をそっと優しく描いています。圧し潰された天使・・・それがsaraiのタイトル案です。

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《残念ながらかなり下向き》。1939年(846)、クレー60歳頃の作品です。不幸のどん底にいるような人間をペーソスを感じさせるような軽みで描いた作品です。そういう意味では、一つ前の作品《負荷》と同様ですね。クレー自身の苦悩を線画にすることで和らげるものなのでしょう。辛い境遇にある人間に寄り添うような作品が続きます。残念な天使・・・saraiのタイトル案です。

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《真剣な表情》。1939年(857)、クレー60歳頃の作品です。線画ではありませんが、そのシンプルさでは同様なものです。植物的に描かれた顔の表情の何とも言えない寂しさに心を打たれます。線画ではありませんが、天使シリーズに加えてもよさそうな逸品です。寂しい天使・・・それしかないでしょう。

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クレーの作品は苦悩を増していき、そして、その苦悩を打ち消すように天使的に昇華していきます。クレーは残された時間の中で芸術的な高みに駆け上がっていきます。



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パウル・クレー・センター:クレーの描いた天使の傑作《泣いている》に共感!

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/11回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年の作品を引き続きご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《泣いている女性》。1939年(904)、クレー60歳頃の作品です。パブロ・ピカソが1937年に描いた《泣く女》という名作があります。奇しくもこの年、ピカソはスイス亡命中のクレーのもとを訪れて、苦境のクレーを励ましています。この作品はピカソの《泣く女》を極端に単純化したような作品です。明らかにこの作品はピカソの作品と関連がありそうです。ピカソの《泣く女》はあの傑作《ゲルニカ》中の亡き子を抱きしめて泣いている女と関連しています。クレーのこの作品を戦争の悲劇と関連付けるのは単純過ぎる発想でしょうか。

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《呪いの女性》。1939年(913)、クレー60歳頃の作品です。何とも複雑なフォルムの女性です。どこがどうなっているんだか・・・。辛うじて、画面上部にある手だけが判別できます。この複雑な形態が呪いということでしょうか。ともあれ、抽象画として見れば、なかなかの力作ですね。

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《私が持っている必要があります!》。1939年(940)、クレー60歳頃の作品です。ちょっと首を傾げて、何か考えている女性です。タイトルにある持っている必要のあるものって、何でしょう。前作の939番が《天使というよりむしろ鳥》という天使シリーズの作品なので、もしかしたら、この女性は天使志望で翼が欲しいのでしょうか。

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《最終的な失敗》。1939年(944)、クレー60歳頃の作品です。顔の表情以外は判別不可能な作品です。タイトルと照らし合わせると、顔の表情、それも目の感じにこの絵をひもとくヒントがありそうです。何か達観したような目の表情で、思いを遂げられなかった人生の終わりを予感しているようです。クレー自身の悔しさとそれを淡々と受け入れるような気持ちの整理が描かれているのでしょうか。

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《泣いている》。1939年(959)、クレー60歳頃の作品です。正真正銘の天使シリーズの登場です。ちゃんと天使の翼が描かれています。この泣いている天使は今日のsaraiの心情にあまりに寄り添ってくれる作品です。バーゼルで最愛の絵画と人生最後の対面という目的が果たせずに、悲しい思いのsaraiです。ともあれ、クレー自身は最後の創作意欲を高めて、こういう名作を晩年に量産しました。亡命先のスイスで体調もすぐれない中、生命の最後の炎を燃やした作品群の中の名作で、心に迫るものがあります。パウル・クレー・センターは1939年を中心とする優れた天使シリーズの世界最上のコレクションを誇ることで知られています。クレー好きにはたまらない魅力があります。そういうことをsaraiが言っていると、クレー好きを自任する配偶者から、あなたはいつからクレー好きになったのって、揶揄されます。だって、こういう素晴らしい作品を描いたクレーを好きにならないわけはないでしょう。

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《大きな帽子の下で》。1939年(1024)、クレー60歳頃の作品です。大きな帽子できょとんとした表情。翼は描かれていませんが、これは天使でしょう。大きな帽子の天使・・・saraiのタイトル案です。

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クレーは死の前年、1939年に創作の絶頂期を迎え、何と1年間で制作した作品数は1253点にも及びました。ここまで24点の作品をご紹介してきました。この後にクレーが描いたのは200点ほどです。そして、亡くなる1940年は400点ほど。クレーの画家人生で残りは計600点ほどです。次回はその中から数点をご紹介します。パウル・クレー・センターが所蔵する6000点にも及ぶ作品のごくごく一部を見たに過ぎませんが、十分にクレーの生涯を追えたような感じです。



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パウル・クレー・センター:クレーの最晩年の作品

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/12回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年~1940年の作品をご紹介します。今回でパウル・クレー・センターの作品紹介は完了します。


《悲劇的なステップ》。1939年(1156)、クレー60歳頃の作品です。女性の歩みを簡明に描いています。この歩みが何か悲劇的な一歩になるんでしょうか。この頃の作品は時代の状況とクレー自身の境遇から、ほとんどが哀しいイメージの作品になっています。

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《抜け目のない計算》。1939年(1243)、クレー60歳頃の作品です。いかにもずるそうな人物が描かれています。しかも計算高い笑みをこぼしています。

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《意気揚々》。1939年(1251)、クレー60歳頃の作品です。タイトル通り、元気溌剌な人物が描かれています。しかし、画面の右側には喪服のような黒い衣服の女性も描かれています。元気そうに振舞っているクレー自身が描かれているようですね。もはや、クレーの余命は1年もありません。

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《失敗した逆立ち》。1939年(番号なし)、クレー60歳頃の作品です。タイトルの通り、逆立ちに失敗して、複雑な姿で倒れ込んでいる姿が描かれています。翼はありませんが、天使の姿と言ってもよさそうです。

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《ピエロと獣》。1940年(160)、クレー61歳頃の作品です。ピエロと言っても、これは天使のようです。小さな獣が天使の姿に驚いて、吠えて威嚇しようとしていますが、その獣を逆に天使が威嚇しています。何ものにも負けない不屈の精神を描き出そうとしています。

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《無題》。1940年(番号なし)、クレー61歳頃の作品です。太い線で描かれた作品です。ワニのような猛獣に襲われた人物が描かれています。万事休すの態です。クレーはこの年の6月29日に苦難に満ちた人生を終えます。

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《パペット人形》。1919年~1925年、クレー40歳~46歳頃の作品です。クレーは息子のフェリックスのために1916年から1925年の間に約50体のパペット人形を作りました。現在残っているのは30体ほどです。ここでは7体のパペット人形が人形劇と題して展示されていました。
左から順に制作年と作品タイトルは以下です。
 1921年、バグダッドの床屋
 1924年、黒い精霊
 1922年、鼻輪付き手袋の悪魔
 1919年、桂冠詩人
 1921年、サルタン
 1925年、俗物小市民
 1922年、エミー・"ガルカ"・シャイヤー像

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いつもながら、素晴らしい作品群が展示されていますね。バーゼルで気落ちしたsaraiもこのクレーの作品に大いに感銘を受けました。

会場ではチャップリンの無声映画も上映されています。『黄金狂時代』(1925年)でチャップリンが靴を煮て、ナイフとフォークで食べるシーンが印象的でした。これを見たお陰でこの後の旅でそれをテーマとしたチョコレートに遭遇して、その意味を理解できることになります。

帰りにsaraiは、是非クレーのポスターを買って帰りたいと思いますが、まだまだ先の長い旅。そんなものを持って、どうやって移動するつもりなのかと配偶者にたしなめられます。で、クレーの特徴的な天使の絵ハガキを購入して、我慢。これはその1枚。忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)です。1939年に描かれました。

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これで満足して、パウル・クレー・センターを出ます。ルツェルンに帰りましょう。



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ベルンから戻り、ルツェルン音楽祭のクルレンツィスとバルトリの初共演を堪能・・・天才芸術家同士の高次元の音楽に驚愕

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/13回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeでクレーの作品をたっぷりと鑑賞しました。もう、午後2時過ぎです。そろそろ、ルツェルンLuzernに帰りましょう。
美術館の最寄りのバス停、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeでベルン中央駅Bern Hauptbahnhof行の12番のバスに乗ります。車窓からはアルプスが見えています。

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バスが旧市街に近づき、アーレ川に架かるニーデック橋Nydeggbrückeを渡り出すと、バラ公園Rosengartenのある丘が見えます。

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駅前のバスターミナルに到着。聖霊教会 Heiliggeistkircheの前を通って、駅舎に向かいます。

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駅舎に入り、電車の時間を確認。20分ほどで3時発のルツェルン行きのIR(InterRegio:インターレギオ)が出ます。1時間ほどでルツェルンに着く最速の急行です。

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まだ、時間があるので、駅構内のスーパーを覗いてみます。美味しそうなお寿司がありますね。でも、これで3000円ほどの値段は高い! スイスの物価は異常です。とても買えません。

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何故か、日本のお酒もあります。でも、日本ではあまり見かけないお酒です。

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結局、飲み物だけを購入して、ベルン中央駅のホームにスタンバイ。あと10分ほどで電車が来るはずです。と、ホームの反対側に電車が入って来ます。乗客がぞろぞろと乗り込んでいきます。慌てて案内表示を見ると、ホームが変更になっています。直前にホームを変更するのは止めて! 結構混んでいて、一人の男性との相席になります。まあ、乗り遅れなかったことをよしとしましょう。
定刻の3時に発車したIRはすぐにアーレ川を渡って、ベルンの町を離れていきます。高い塔が見えますね。ベルン大聖堂でしょうか。

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電車が出発して10分ほどで、素晴らしい山並みが見えます。慌ててカメラを向けると、別の電車がやってきて、視界を遮られます。エエエエっと思っていると、すぐにその電車が過ぎ去ってくれて、何んとか山並みを写真に収めることができます。アルプスの雪をかぶった連峰が見えています。快晴ですからね。

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もちろん、その中心には、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山も望むことができます。

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ほっとしていると、相席の男性によかったねと言われ、本当に素敵な景色ですねとおしゃべりになります。手持ちのピーナッツを食べながら、景色を楽しんでいるうちに早くも中間の駅、ツォフィンゲン
Zofingenに到着。この電車はオルテンOltenは通らずに、より近いルートを走るようです。

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次の停車駅、ズールゼーSurseeに到着。次は終点のルツェルンです。

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この駅を出ると、車窓に湖が見えます。ゼンパハ湖Sempacherseeです。

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やがて、車窓にピラトゥス山Pilatusが見えてきます。

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ルツェルンに戻ってきました。
ところで、夜のコンサートのある時は、夕食を食べる時間がありません。コンサート前は早過ぎるし、終了後は遅過ぎるしね。ランチをしっかり食べれればよいのですが、今日のようにタイミングを外すとどうしようもありません。スーパーで、何か仕入れて帰りましょう。
駅からはバスに乗らずにぶらぶらとロイス川沿いを歩きます。折角の美しい風景を明るい陽光のもとで眺めたいからです。ロイス川に架かるカペル橋Kapellbrückeが見えてきます。

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カペル橋と対岸の街並みを眺めます。

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なんど見ても美しい橋ですね。

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橋は花で飾られています。橋の上は多くの観光客で賑わっています。

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カペル橋の隣に歩行者用の橋、ラートハウスシュテークRathausstegが架かっています。橋の先の対岸には、市庁舎Rathaus Stadt Luzernが見えています。

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ホテルに戻ってきました。スーパーで仕入れてきた今日の夕食はこれです。なかなかのものでしょう。

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お風呂に入り、コンサートのための正装に着替えて出かけます。

昨夜から、ルツェルン音楽祭のクルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作の公演を聴いています。今日は番外編で、チェチーリア・バルトリとクルレンツィスの初共演で、モーツァルトのオペラのアリアを中心としたモーツァルト尽くしのコンサートです。
今日の席は、日本人のツアー客と一緒に並んだ席です。今回のルツェルン音楽祭には、日本から多くのツアー客が来ています。
さて、今日の演奏ですが、不世出の希代のメゾ・ソプラノのバルトリは常に驚異的な超絶技巧の歌唱を聴かせてくれます。今日も異次元の歌唱です。一方、クルレンツィスの天才はいつも超個性の音楽を聴かせてくれます。その二人が共演するとどうなるか・・・結果は最高のものでした。互いがリスペクトし合いつつも、己の音楽を貫きとおし、天才同士ならではの未曽有の音楽を作り出します。
恐るべし、クルレンツィス。そして、素晴らしきかな、バルトリ。このコンサートについての記事はここに書きました。

楽しい一夜になりました。
明日も明後日もクルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作の公演が続きます。まさに音楽三昧の贅沢を味わい尽くします。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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