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ルツェルン散策:リギ山登山ならず・・・街歩き

2019年9月14日土曜日@ルツェルン

旅の11日目、ルツェルンLuzernの4日目です。

今日も朝から雲がどんよりと立ち込めています。雨にはなりそうにはありませんが、リギ山Rigiもピラトゥス山Pilatusもまったく見えません。今日はリギ山に登ってみようと思っていました。リギ山にはヨーロッパ最古と言われる登山電車が走っています。が、残念ながら曇り空。こんな日に登ってもな仕方がありませんね。ともかく、今日、1日を一緒に過ごす予定の友人のSteppkeさんと落ち合うためにルツェルン駅まで、ぶらぶら歩いて向かいます。ロイス川Reuss河畔の道では土曜市が開かれています。

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新鮮な野菜も並んでいます。

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切り花も並んでいます。

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ルツェルン駅に着き、駅地下のパン屋さんでパンを買って、朝食です。

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駅前で待ち合わせの友人、Steppkeさんと無事に合流。相談の結果、リギ山に上るのは断念。さっさと予定変更。街歩きをしましょう。代案のワーグナー博物館とローゼンガルト・コレクションを中心に軽く街歩きをすることにします。とりあえず、駅前のバスターミナルの自動販売機でバスの1日券を購入します。

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これが購入したチケット。1人8.2スイスフランです。

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まずは教会巡り。ロイス川を渡った先にある聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarに行きましょう。駅前から、フィーアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee(ルツェルン湖Lake Lucerne)越しに教会の2本の尖塔が見えています。

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あの辺りは歩いたことがないので、バスに乗らずに歩いていきましょう。ロイス川の一番湖寄りに架かっている大きな橋、ゼーブリュッケSeebrückeを渡ります。ルツェルン・カルチャー・コングレスセンターKultur- und Kongresszentrum Luzernとフェリー乗り場が見えます。

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橋を渡り終えて、湖岸沿いの道を歩きます。目の前はフィーアヴァルトシュテッテ湖が広がります。

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道の先、まっすぐ正面に聖レオデガー・イム・ホーフ教会の2本の尖塔が見えます。

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教会の姿がどんどん大きくなってきます。真ん中には時計塔もありますね。

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ザンクト・レオデガー通りSt. Leodegarstrasseを進み、教会前の石段に着きます。石段の上に教会が聳えています。

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石段を上がると、教会前の広場です。

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教会に向かって進みます。堂々たる構えの教会の建物ですね。古い建物は1633年のイースターの火災で焼け落ちて、現在の建物は1644年までに再建されました。1633年の焼けた建物はゴシック様式でしたが、再建された現在の建物は後期ルネサンス様式です。

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これは尖塔の屋根の下の鉄細工の窓がある部分です。

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時計塔の丸天井の門の前に立ちます。

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門の上には、2つの窓の間に美しく彩色された竜を退治する大天使ミカエルの像があります。その下には、真ん中の紋章(ルツェルンと双頭の鷲)の左右に教会の守護聖人、聖レオデガーと聖マウリティウスの像が立っています。

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さあ、教会の中に入ってみましょう。



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ルツェルン散策:聖レオデガー・イム・ホーフ教会

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/2回目

予定していたリギ山Rigi登山登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まずは教会巡りです。
聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarを訪れているところです。早速、教会の内部に入ります。丸天井の門を抜けると、意外にあっさりした後期ルネサンス様式の身廊が広がり、正面には豪華な内装の主祭壇が見えます。身廊は全長60m、高さ20mとほどほどの大きさです。

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身廊を進むと、まず、目を惹くのは手の込んだ装飾が施された木製の説教壇です。

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後ろを振り返ると、パイプオルガンが見えます。1648年に作られたパイプオルガンは何度も修復されて、現在も美しい音を響かせているそうです。5949本のパイプと84本の音栓から成り、1648年に鋳造されたパイプは最大で高さ10メートル、重さ383キロです。

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天井を見上げると、ヴォールトと交差線が軽やかな印象を刻んでいます。

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中央の祭壇前に立ちます。内陣障壁は格子細工になっており、16世紀に作られたキリスト十字架像が取り付けられています。この十字架像は燃えさかる火災のなかから救い出されたものです。内陣障壁のずっと奥に主祭壇が見えますが、これ以上近寄れないので、詳細を見ることはできません。

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これは右側廊を振り返って眺めたところです。この教会は3廊式の構造になっています。

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別の角度から内陣障壁を眺めます。奥の主祭壇が垣間見れます。主祭壇画はオリーブ山で祈りを捧げるキリストが描かれています。

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左脇祭壇の豪華な彫刻です。

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右脇祭壇のこれまた豪華な彫刻です。

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左側廊です。正面には祭壇が見えています。オルガン付きの聖母被昇天の彫刻があります。

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内部の見学を終えて、外に出ます。
ところで、教会に入るときに、同行の友、Steppkeさんが教会のパンフレットを貰ってくれました。そして、彼はそっとお布施を置いていました。なるほど、そうするものなのですね。
これがいただいたパンフレット・・・何と日本語版です。有名観光地でもなかなかない日本語版のパンフレットがここにはありました。驚きです。

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教会を出ると、教会前の広場に何やらイタリア式回廊のようなものがあります。

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回廊に近づくと、回廊の中に、立派なお墓が並んでいます。教会にゆかりの人たちのお墓でしょうか。

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比較的、最近、亡くなった人も葬られています。お花が美しく供えられています。

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回廊の前の芝生の広場も、よく見ると、お墓が並んでいます。そして、美しい花で飾られています。教会付属の墓地だったんですね。

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傍らには教会の尖塔が屹立しています。

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墓地になっている小さな広場から短い石段を下ると、教会前の大きな広場に出ます。聖人像が立っています。

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さて、ここからロイス川河畔のほうに戻って、別の教会に行ってみましょう。



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ルツェルン散策:フランシスコ教会

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/3回目

予定していたリギ山Rigi登山登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まずは教会巡りです。
聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarの見学を終えて、元来た湖岸沿いの道をロイス川の河口に向けて、戻ります。湖岸に大きな建物があります。5つ星ホテルのホテル・シュヴァイツァーホフHotel Schweizerhof Luzernです。残念ながら、写真を撮り忘れました。このホテルはリヒャルト・ワーグナーがルツェルンLuzernのトリプシェンに定住する前に半年間滞在していたホテルです。
ロイス川の河口付近のシュヴァーネン広場Schwanenplatzの前に高級ジュエリー&腕時計の販売店『ブッフェラー』BUCHERERの大きな建物が見えます。ここにちょっと寄っていきましょう。もっともここで高級腕時計を買うのではありません。ここにロレックス製の安価なスプーンセットという面白いものがあることを、友人のSteppkeさんに教えてもらったからです。お店の中に入ると、それは高級そうな、実際、とても高価な腕時計が複数のフロアにずらりと並んでいますが、どこを探しても、安価な土産物など見当たりません。ここにはそんなものは置かなくなったのかなあ・・・。すると、配偶者だけは諦めずにお店の人にスプーンのことを尋ねます。すると、そのお店の人がフロア(多分、5階)の片隅に置いてあるスプーンセットの棚に案内してくれます。やったね! ありました。6個セットで25スイスフランです。配偶者は孫へのお土産にそれを1セット購入。すると、おまけでスプーン1個、付けてくれます。それがこれ。確かにロレックスの銘と王冠のマークが付いています。そして、ルツェルンという文字も刻印されています。このほかにジュネーヴなどの文字が刻印されたスプーンなどもあります。我が家にはおまけでもらったスプーン1個のみがあります。

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さて、高級時計店を出て、ロイス川の河畔に出ます。さっきはロイス川の一番湖寄りに架かっている大きな橋、ゼーブリュッケSeebrückeを渡りましたが、今度は有名なカペル橋Kapellbrückeを渡りましょう。
橋に上がって、川岸を見ると、こちらのほうでも土曜市をやっています。川の両側で土曜市をやっているんですね。

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カペル橋は木造で屋根がある橋です。

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天井には3角形の板に絵が描かれています。

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対岸に渡り終えて、川岸からカペル橋の姿を眺めます。

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橋を下りたところにルツェルン劇場Luzerner Theaterがあり、上演予定の演目が書かれています。多彩な演目です。

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賑やかな界隈を抜けていきます。

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そして、ロイス川の河畔のイエズス会教会Jesuitenkircheのお隣のフランシスコ教会Katholische Franziskanerkircheに向かいます。イエズス会教会は以前、訪れたので、今回はパスです。ちょっと探しましたが、すぐにフランシスコ教会が見えてきます。

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フランシスコ教会です。ただし、こちらは裏側ですね。

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入口を探して、中に入ります。すぐにパイプオルガンが目に飛び込んできます。

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天井には豊かな色彩のフレスコ画が描かれています。

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この教会の説教壇も豪華な造りです。

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内陣に向かって、綺麗な花が飾られています。

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内陣脇の祭壇も美しい大理石で作られています。

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主祭壇を覗き込みます。手前には合唱隊席があります。

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これはマリアの祭壇。聖母子像が飾られています。

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近づいてみましょう。素晴らしい祭壇です。

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いかにもバロック風の豪華な彫刻です。

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こちらの祭壇は壁と天井がスタッコ装飾でシックな感じです。

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祭壇画はやはり、聖母マリアと幼子イエスです。

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こんなモダンなものもあります。お布施(寄進)用の入れ物でしょうか。

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この教会はスイスで一番美しいゴシック教会とのことですが、内部の装飾はバロック風ですね。中をさっと見て、外に出ます。これが入口です。扉の上は美しいフレスコ画で装飾されています。

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教会の前庭も落ち着いた佇まいです。

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教会巡りはこれでお終い。前回見たイエズス会教会と合わせて、ルツェルンを代表する3つの教会を見ることができました。

次はローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに行ってみましょう。ピカソとクレーの膨大なコレクションがあるそうです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1913年-1917年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/4回目

予定していたリギ山Rigi登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まず、教会巡りから始めました。聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarとフランシスコ教会Katholische Franziskanerkircheを訪れて、教会巡りは完了。
次は美術館。ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに行ってみます。ピカソとクレーの膨大なコレクションがあるそうです。ピラトゥス通りPilatusstrasseをルツェルン駅のほうに向かって歩いていくと、左手に美術館のモダンな建物が見えてきます。さすがに20世紀の作品を所蔵する美術館にふさわしい外観だと思いますが、実のところ、この建物は旧スイス銀行の建物だったそうです。

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建物の正面はとても美術館だとは分からない外観ですが、1階の窓の上に、ピカソ、ミロ、クレーの名前が並び、その横にローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartの名称がさりげなく書かれています。

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これが美術館の入り口です。お洒落ですね。

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シニアチケットを購入して入館です。シニアチケットは16スイスフラン。通常チケットは18スイスフランですから、2スイスフランの割引です。

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これが美術館のパンフレット。ピカソとアンジェラ・ローゼンガルトの写真の上にピカソ、クレーなど、この美術館に収蔵されている23人の画家の名前が書かれています。名前の大きさに注目しましょう。大きく書かれているのは、ピカソ、クレー、ミロ、マティスで、次いで、ブラック、セザンヌ、モネ、シャガール、ボナールが大きく書かれています。これだけでこの美術館のコレクションの内容が想像できます。なお、このローゼンガルト・コレクションはルツェルンの画商のジークフリード・ローゼンガルトと娘のアンジェラ・ローゼンガルトが収集し、特に気に入って、最後まで手元に置いた作品が元になっています。この美術館の作品はアンジェラ・ローゼンガルトがルツェルン市に寄贈したものです。

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最初に結果から言えば、この美術館は当たりでした。入ってビックリ。1階に展示されているピカソの作品も膨大です。32枚の油絵、その他、デッサンや水彩などがおよそ100点。しかし、圧巻だったのは地下に展示されているパウル・クレーの125点のコレクション。ともかく、素晴らしいです。あまり見たこともない作品も多く、昨日に引き続き、物凄く楽しめます。配偶者に言わせると、すべてのクレーが素晴らしかったとのことですが、saraiはとりわけ、5点ほどの素晴らしい作品が心に残りました。是非、このコレクションの素晴らしさをブログでお伝えしようと思い、ローゼンガルト・コレクションのほとんどの作品が収められている分厚くて重い画集を購入しました。写真撮影は不可だったんです。これからまだまだ旅は続くのにどうするのかと配偶者は頭を捻っていますが、結局、不承不承、重い荷物を購入することに同意してくれます。ありがとう! そして、ごめんなさい!
ピカソはまだ、死後50年経っていないので、著作権があり、ブログで公開するのは不可です。それに今まで知らなかったのですが、TPP協定のなかにアメリカ基準の著作権70年に合わせるというのがあり、TPPからアメリカが離脱したにも関わらず、2018年12月30日に発効したTPP協定のため、日本でも著作権は死後70年になりました。改悪ですね。ピカソの著作権は20年延びることになり、本ブログでも今後、ピカソの作品をご紹介するのは控えましょう。クレーは1940年に亡くなったので、70年基準でも著作権は切れています。ちなみにTPP協定以前に50年の著作権が切れたものは70年に延長後も著作権は復活しません。ただ、ブログはインターネットで世界に発信しているので、70年基準に合わせるという話もありますが、当ブログは日本語オンリーなので、日本基準に合わせさせてもらいましょう。このあたりは微妙なところではありますけどね。非営利で文化的なものは著作権フリーにしてくれないかなあ・・・。
このローゼンガルト・コレクションの関係では、ピカソのほかに著作権にひっかるのは、シャガール、ミロ。
50年基準でOKなのは、ブラック、レジェ、デュフィ、ルオーです。クレーを始め、他の画家は70年基準でOKです。その方針でローゼンガルト・コレクションの作品をご紹介しましょう。

とりあえず、クレーの作品をピックアップします。この美術館に所蔵されているクレーの作品は、クレーの転機となった1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行の頃の作品から最晩年1940年に及ぶ膨大なものです。これらの作品が地下1階の展示室にほぼ制作年順に展示されています。順にsaraiが気に入った作品を見ていきましょう。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《混乱を見つめる》。1913年(195)、クレー34歳頃の作品です。馬のような顔が混乱した画面のなかに優し気な目で何かを見つめています。なんとセンスのよい作品なんでしょう。クレーならではの名作です。チュニジア旅行の前年の作で色彩が抑えられていることが特徴です。

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《創造する頭脳》。1914年(16)、クレー35歳頃の作品です。抽象的な作品です。幾何学的なパーツで構成されています。この年、チュニジア旅行に出かけますが、この作品の地味な色彩の構成からみて、旅行前の作品なのでしょう。

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《チェニス近郊のサン・ジェルマン》。1914年(37)、クレー35歳頃の作品です。チュニジアに旅行し、チュニス近郊のサン・ジェルマンに3日間滞在したときの経験はクレーに大きな転機をもたらしました。「色彩は、私を永遠に捉えたのだ」という言葉が日記に残されているように、鮮やかな色彩に目覚めました。構図は青騎士風ですが、原色に近い色遣いに注目しましょう。

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《2つの東洋風(オリエンタル)の水彩》。1914年(56)、クレー35歳頃の作品です。まるで色彩実験のような2枚組の作品です。素材は具象的な風景か、街並みのようですが、それは興味の外で、画面の色彩構成に夢中になっているクレーの姿が見えるようです。

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《先史時代の動物を伴う風景》。1917年(145)、クレー38歳頃の作品です。激しい構図、激しい色彩の奔流のなかに鳥や恐竜のような動物が配置されています。単純な構図をもとに抽象的な色彩が荒れ狂っています。クレーの作品ではあまり見ないようなパターンの挑戦的な作品に驚かされます。第1次世界大戦に従軍している頃に描かれたということも影響しているのかもしれません。親友のフランツ・マルクも前年に戦死して、クレーは大きな衝撃を受けていました。動物と言えば、マルクが多く描いたものですから、クレーはどこか、心の深いところでマルクへのオマージュを描いたのでしょうか。

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クレーの素晴らしい作品群を夢中で鑑賞しています。saraiはもちろん、配偶者もね。膨大な作品は複数の展示室にあふれんばかりです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1918年-1920年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/5回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。ピカソとクレーの膨大なコレクションを楽しみました。そして、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。クレーの転機となった1914年のチュニジア(北アフリカ)旅行のちょっと前の作品からチュニジア旅行中、その後の1917年までの作品を見てきました。
これから、1918年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《散歩している女の子》。1918年(41)、クレー39歳頃の作品です。淡い色彩の水彩とペンで描かれたシンプルな具象作品です。しかし、単なる具象的作品ではなく、抽象的な要素もミックスしているのがこの頃のクレーの特徴です。おさげ髪の少女が可愛いですね。クレーが第1次世界大戦に従軍した終わり頃の作品ですが、戦争の影はまったく見られません。チュニジア旅行での強い色彩もおさまり、色んな意味で落ち着きが感じられます。

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《最初の動物たち》。1919年(216)、クレー40歳頃の作品です。紫色で統一した画面は美しい抽象画の世界です。しかし、よく見ると、その抽象的な画面の中に先史時代の動物が配置されています。鳥や恐竜たちは抽象的な形態に変容されて、不思議な一体感を醸し出しています。クレーは第1次世界大戦への従軍は前年に終えて、この年、ミュンヘンの画商ゴルツと契約を結び、新進気鋭の画家として、世の中に頭角を現してきました。この作品も傑作と言って、間違いないレベルの作品です。

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《にわとりと擲弾兵のいる絵画》。1919年(235)、クレー40歳頃の作品です。暗いけれどもはっきりした色調で構成された画面は抽象絵画そのものですが、そこに部分的に具象的な要素を組み込んだクレー独特の絵画手法が光ります。画面中央の上部ににわとり、下部に擲弾兵を配置しています。今風に言えば、抽象絵画と具象絵画をミックスしたハイブリッド絵画で、両方のテーストが楽しめます。擲弾兵を描いたのは前年に終結した世界大戦の記憶がまだ強烈だったからでしょう。青騎士時代の同志、マッケとマルクが戦死した記憶は決して、消え去ることはないでしょう。

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《秋のハーモニー》。1920年(86)、クレー41歳頃の作品です。チュニジアの鮮やかな色彩で秋のイメージを抽象絵画でまとめた作品です。画面の左右に木の幹を描き、単なる抽象絵画で終わらせないクレーの意思がみてとれます。画家の矜持でしょう。

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《決して欲しがらない子供がそこにいる》。1920年(88)、クレー41歳頃の作品です。大きな帽子を被ったお洒落をした女の子が画面の中心におり、顔の周りの空間は綺麗な赤で塗られています。何かを辛抱している様子ですが、華やぐような雰囲気も醸し出されています。画家の温かい眼差しが感じられるファミリアな作品です。具象的なモティーフを用いて、画面を大きく分割した色彩構成に挑んだ作品です。この年はミュンヘンのゴルツの画廊でクレーの大回顧展が開かれ、時代の最前線の画家として広く知られるようになります。

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《機械としてのドラゴン》。1920年(111)、クレー41歳頃の作品です。タイトルを見なければ、幾何学的なパーツを配置した抽象絵画と見てしまうでしょう。しかし、クレーが目指すのはハイブリッド絵画です。灰色と黒の背景の上に鮮やかな色彩で不思議な形のドラゴンを描いています。それだけでは飽き足らなかったようで、画面の上と下にグラデーションする緑の帯を描き加えて、画面全体の色彩的な調和を図っています。

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《アスコナ》。1920年(160)、クレー41歳頃の作品です。アスコナは、スイス・ティチーノ州のマッジョーレ湖の汀にある南スイスの中世風の観光地です。ジャズのフェスティバルやクラシックの音楽祭が開かれます。アスコナの背後の丘「モンテ・ヴェリタ」(Monte Verità、直訳すれば「真理の山」)に、20世紀初頭、自然への復帰を目的とした菜食主義者たちのコロニーが作られ、多くの芸術家が訪れました。クレーもその一人です。
この作品はアスコナの街並みを色彩のパッチワークで描いています。青騎士風のスタイルを思い起こさせます。この時期頃から、カンディンスキーとの交遊も盛んになります。カンディンスキーの影響も感じられます。

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この年にヴァルター・グロピウスの招聘を受け、翌1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとることになります。ある意味、クレーの芸術の頂点を極める時代になります。次はそれらの作品群を見ていきます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1921年-1922年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/6回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。ピカソとクレーの膨大なコレクションを楽しみました。そして、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1920年までの作品を見てきました。
これから、1921年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《神殿》。1921年(119)、クレー42歳頃の作品です。隈取のはっきりした黒い線で神殿の輪郭を描き、水彩で明るい色彩を施しています。具象と抽象の微妙な混在で美しい画面が構成されています。この年から、クレーは1931年まで10年ほど、バウハウスで教鞭をとることになります。様々な絵画技法に挑戦して、クレー独自の世界を確立していく黄金時代に入ります。

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《彼に私への接吻をさせなさい(歌集より)》。1921年(142)、クレー42歳頃の作品です。水彩で色付けした紙の上にペンとインクで詩が書かれています。文字と色彩を融合した作品を試行しています。実験的な作品です。

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《櫛をさした魔女》。1922年(83)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で描かれたデッサンのような線画の作品です。晩年に花開く天使シリーズの線画を予感させます。線画で描かれた可愛い魔女は天使的でさえあります。

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《ハートのクイーン》。1922年(63)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆と水彩で描かれた色鮮やかなトランプのカードです。クレーは完全に絵画上で遊んでいますね。くすっと笑って鑑賞するのがよいでしょう。しかし、画面を四角く区分して、彩色を施して、その上にクイーンを配置・融合させた技法は見事です。

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《火の風》。1922年(17)、クレー43歳頃の作品です。重厚な色彩の油絵作品です。画面からこちらに向けて、強い風が吹き付けてきます。画面全体を覆う赤い色調は火のイメージなんですね。平面の絵で立体的な動きを表現しようとしたのかな。赤と緑の太い矢印を配したのは、これも動きを表現する実験のひとつでしょうか。

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《バレエからエオリアン・ハープへの断片》。1922年(87)、クレー43歳頃の作品です。これも絵画のなかに動きを表現した作品です。バレエの踊り手はまるで紙っぺらのように風にそよいで何かに変容しようとしています。それが風の楽器、エオリアン・ハープのように見えます。音楽好きなら誰でも知っている、ショパンの「エチュード 変イ長調 Op.25-1」、通称、《エオリアン・ハープ》をクレーが意識しているのは間違いないでしょう。この曲の通称はショパンが付けた題名ではなく、シューマンがこの曲を評して、「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」と言ったといわれています。ショパン⇒シューマン⇒クレーという変遷でこの作品が成り立っているのも面白いですね。もっとも、これは、音楽(ヴァイオリン)でプロ級の腕前を持っていたクレー、ピアニストだったクレーの妻から、saraiが勝手に想像しただけのことで、まったくの誤解かもしれません。でも、この絵を見ながら、ショパンの有名な《エオリアン・ハープ》を聴くのも一興でしょう。

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1922年の作品はこの美術館に多く所蔵されていて、鑑賞はまだまだ続きます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1922年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/7回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1922年までの作品を見てきました。
これから、1922年の作品の続きから、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《花の面貌》。1922年(88)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で輪郭を描き、水彩で色付けした作品です。画面の中央上部にシンプルに描かれた花の顔だけが明るくて、それ以外は沈んだ色調でまとめられています。抽象的に描かれた具象画ですが、花を擬人化したのか、人の顔を花に見立てたものか、謎と言えば、謎のような作品です。まあ、これがクレーの世界ですね。

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《11月の夜の冒険の記憶》。1922年(90)、クレー43歳頃の作品です。水彩でクレーのお得意の矩形に区切られた画面を暗い色彩で描いた抽象的な作品です。絵のタイトルからは、絵との関連は分かりませんが、クレーの心のうちに残る記憶なのでしょう。この暗い色調はクレーの重い内面を示すのでしょう。唯一の具象はハートマークです。クレーの心の象徴なのかな。

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《美しく着飾った人物:デッサン》。1922年(94)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で描いたデッサンです。ファッショナブルに着飾った女性が描かれています。実はこれは次にご紹介する作品のデッサンなのですが、このデッサンだけでも線画として成立していますね。まるで天使シリーズのようです。

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《美しく着飾った人物》。1922年(91)、クレー43歳頃の作品です。くっきりした輪郭線の上を白い色調の水彩で明るく描いています。上のデッサン画と見比べると、デッサン画の完成度がいかに高いかに驚かされます。お洒落な帽子に力点が置かれ、頭部に比べて、体が極端に小さく描かれています。丸く描かれた顔の赤と青の目、真っ赤な唇が何とも可愛いですね。それにしても画面全体が素晴らしい白で塗られて、ふちの部分が赤茶色で装飾された色彩感覚の見事さには魅了されるばかりです。傑作です。

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《神秘的なミニチュア》。1922年(156)、クレー43歳頃の作品です。クレーの素晴らしい色彩感覚が結実した傑作です。画面全体を赤い色の水彩で見事にまとめあげています。いくつかの具象的なパーツが配置されていますが、そういう細部には関係なく、全体の構成感、色合いの統一感で魅力たっぷりの作品です。いつまでも見続けたいという気持ちを持たせてくれる、心地よさがあふれています。

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ここまでが1922年の充実した作品群でした。バウハウス時代にはいり、クレーの絵画はますます、光り輝くようになってきました。次からは1923年の作品になります。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1923年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/8回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1922年までの作品を見てきました。
これから、1923年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《青色=オレンジ色のハーモニー》。1923年(58)、クレー44歳頃の作品です。暗く沈んだ色調の油彩画です。矩形に区切られた面が暗色で塗られているだけの純粋な抽象画です。ただ、色彩のハーモニーだけに力点が置かれています。タイトルにあるように青色とオレンジ色が主ではありますが、その色のイメージにあるような輝くような色ではなくて、とても暗い色のハーモニーです。画家の内面を示しているのでしょうか。この時期のクレーは順風満帆だったはずですが・・・。

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《倉庫街(あるいはキャンプ)の通り》。1923年(146)、クレー44歳頃の作品です。ほぼ、単色で描かれた水彩画です。通りの両側の建物は極端に単純化されて、一種の幾何学模様のようです。茶色一色の濃淡だけで塗り分けられた画面は統一性のある景色を作っています。通りを歩く女性二人を配することで画面に温もりを与えています。妙な魅力がある作品です。

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《解放された扉のパースペクティブ(遠近感のある眺め)》。1923年(143)、クレー44歳頃の作品です。上の作品と似たような作品です。ほぼ同時期に描かれたものでしょう。遠近法できっちりと描かれた形象が目に心地よく感じますが、むしろ、茶色で塗られた色の濃淡の微妙な味わいがこの絵の中心的な魅力です。禁欲的な描き方ですが、立ち上る絵心に心を奪われます。

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《2重のテント》。1923年(114)、クレー44歳頃の作品です。一転して、レインボーカラーで色鮮やかに描かれた作品です。左右にほぼ同じ構成の絵を少しずらして、鮮烈な色で描かれた上下の三角形のテントの色彩効果を楽しむ仕掛けです。画面の中央縦に切断線のようなものが見えますね。多分、同じ絵を2枚描いて、少しずつずらして、ちょうど塩梅のよさそうなところで貼り合わせたのでしょう。実験的な作品です。

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《エロス》。1923年(115)、クレー44歳頃の作品です。上の作品とは姉妹作のようです。三角形を色分けすることが主題にあります。ただ、この三角形はテントではなく、ピラミッドのように見えます。しかし、タイトルから想像すると、人体の一部を意識しているようです。ピラミッドの頂点付近は上からの逆さ三角と重なり、重なった部分の中央が薄くオレンジ色のひし形に塗られています。下からの2つの黒い矢印が指し示すのはこのオレンジ色の菱形で、ここに絵の重心があることを示しています。タイトルのエロスとは、この部分に相違ないでしょう。それが何か・・・見るものが想像するだけです。
ピラミッドの色彩の変容と調和が美しいですね。

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《自身で武装するフィオルディリージ》。1923年(95)、クレー44歳頃の作品です。ちょっと見ると男性かと思いましたが、帽子を被った巻毛の女性ですね。で、タイトルを見て、はっとします。これって、モーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ三部作の《コジ・ファン・トゥッテ》の一場面ではありませんか。ちょうど、明日の夕方、ここルツェルンの音楽祭で聴く予定のオペラです。
この絵で描かれているのはオペラの第2幕、許婚者が戦場に出かけているときにプリマドンナのフィオルディリージが別の男に言い寄られて、まさに心が折れてしまいそうになるとき、その気持ちを断ち切るように、フィオルディリージは貞節を守るために恋人のいる戦場へ行こうと決意し軍服をまとう場面です。女性の悲愴な覚悟がこの絵に描かれています。でも、結局、ここに言い寄る男が現れて、その気持ちは折れてしまうという何とも微妙で切ない女心までがこの絵には込められているような気がします。ちなみに大きな帽子は軍帽でしょう。フィオルディリージの大きな目・鼻・口が印象的です。うーん、いいときにいい絵を見ました。

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2年後に上のデッサン画はリトグラフに水彩でスプレーされて完成画として結実します。リトグラフですから、同じ絵が何枚か、あるのでしょう。

《コミック・オペラ歌手》。1925年(225)、クレー46歳頃の作品です。まさに題材も絵の構成も上の作品の通りです。ただ、スプレーされた赤い水彩絵の具のグラデーションはこの絵の本質を明らかにしています。女性の内から燃え上がる性へのあくなき情熱、そして、そういう女性に惹かれる男たちの性の願望をモーツァルトの名作オペラのストーリーを題材に描き尽くしています。ちなみにこのモーツァルトのオペラはその不道徳性から、作曲された当時からまったく人気のないオペラで、かのワーグナーは自身の不道徳的な女性遍歴(人妻との不倫等)にもかかわらず、このオペラを酷評しています。このオペラが再評価されたのは20世紀になってからですが、それでもフィガロなどのオペラに比べて、まだ、評価は低いようです。しかし、saraiはこのところ、立て続けにこのオペラの名演を聴き、今や、最高に好きなモーツァルトのオペラになっています。そして、明日の鬼才クルレンツィスの公演を聴き、このオペラの真価を確信するに至ります。もしかして、クレーもこのオペラの真価をこの時代に見抜いていたのでしょうか。天才芸術家は天才の作品の本質を知っていたとすると・・・何か、ぞくぞくします。

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《風光明媚な人相》。1923年(179)、クレー44歳頃の作品です。顔が風景の一部と化したシュールな作品です。まずは変形された顔が面白いですね。よくよく見ないと、この絵のそこかしこに仕掛けられたものを見逃しそうです。レンガ色の水彩1色で描かれていますが、照りつける太陽の存在感には色合いも感じてしまいそうです。チュニジア旅行で鮮やかな色彩に目覚めたクレーもこの時期には、その色彩をあえて封印して、単色だけでも色彩感を表せることに挑戦しているようです。

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ここまでが1923年の充実した作品群でした。バウハウス時代も2年を過ぎ、クレーは同僚にカンディンスキーを迎え、一時はアトリエも共有し、絵画理論の探求に突き進みます。クレーの絵の世界は次第に頂点に向かっていきます。クレーの精緻で構成感に満ちた作品が次々と生まれていきます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1924年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/9回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1923年までの作品を見てきました。
これから、1924年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《忠実な家来たちの城》。1924年(133)、クレー45歳頃の作品です。青く塗られた画面にリズミカルな文様が描かれています。ちょっと見ると音楽の五線譜のような感じでもあります。タイトルの意味を勘案すると、幾重にも重なった城壁を無数の兵が守っているようにも見えます。絵の示す意味合いはともかくとして、文様で画面を装飾する新たな表現形式への挑戦です。

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《古い町から》。1924年(268)、クレー45歳頃の作品です。どこかの古い町の景観を鉛筆でデッサンしたものです。縦横の直線を多用して、幾何学的な模様を作り上げています。この年は画面全体を精緻に描き上げて、統一的な構成感で表現する技法を目指しているようです。

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《海のそばの断崖》。1924年(230)、クレー45歳頃の作品です。風景を極端にデフォルメして、複雑なフォルムに分解し、独特の色彩感覚で各フォルムに多様な色付けした作品です。断崖の岩の質感を見事に表現しています。クレーらしい素晴らしい作品です。この色彩のハーモニーにうっとりしてしまいます。自然をモティーフにして、画家の内面でこんなに美しい心象風景が再構成できることに感銘を覚えます。

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《カーテン》。1924年(129.C)、クレー45歳頃の作品です。極端に縦に細長い画面の作品です。幾何学的なパターンだけが描かれたシンプルな抽象画です。《忠実な家来たちの城》と同様のリズミカルな文様で画面を描き尽くすという手法に挑戦しているシリーズの一作です。

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《破壊されたエジプト》。1924年(178)、クレー45歳頃の作品です。パッと見て、連想するのは画面全体に描かれた象形文字みたいな文様です。その上でタイトルを読むと、エジプトとあります。煉瓦か、古びたパピルス紙に書かれた象形文字をイメージしているようです。クレーはこの4年後に長期に渡るエジプトへの旅を実現させています。この頃から、古い歴史を刻んだエジプトへの並々ならぬ興味や憧憬があったようです。

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《ステンドグラス風》。1924年(290)、クレー45歳頃の作品です。画面全体が真四角の点でびっしりと覆われています。その四角は様々な色で塗られています。大半は暗色ですが、ところどころに黄色などの明るい色が輝きます。とてもタイトルのステンドグラスとは程遠い雰囲気です。逆説的に描いたものなのでしょう。クレーの心の内にある暗闇はほんの少しだけ、希望の光を宿しています。

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この年はクレーの絵画への様々な模索が続きます。その模索がやがて結実する日がきますが、芸術家の苦闘の跡は作品から見てとれる通り、苦悩に満ちたものです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1925年-1926年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/10回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1924年までの作品を見てきました。
これから、1925年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《魚の絵》。1925年(5)、クレー46歳頃の作品です。海の底を思わせる深いブルーと薄いブルーがグラデーションした画面に魚がいっぱい泳いでいます。クレーの魚シリーズの一枚ですが、なんと美しい絵なんでしょう。この年、傑作中の傑作、《金色の魚》(ハンブルク市立美術館所蔵)も描かれます。《金色の魚》は画面の中央に大きく魚を配した作品ですが、この多くの魚が群れ泳ぐ作品は別の方向性の傑作です。

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《造花のある静物画》。1925年(24)、クレー46歳頃の作品です。ブラシで描いたモノクロ作品です。タイトルのとおり、造花を描いた不思議な静物画です。造花と言っても、紙細工で不器用に作った花がモティーフで実際にそういうものを見て描いたのか、クレーが実際の花を頭の中で再構成したものか、判然としません。saraiは後者に1票。

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《凧の上がる村》。1925年(75)、クレー46歳頃の作品です。銀色の水彩絵の具とペンとインクで輪郭を描き、水彩で色付けした作品です。長閑な村の風景がかちっと描かれています。いつものようにフォルムをべた塗りで色付けするのではなく、筆跡の残るように薄く色づけしています。リトグラフのような味わいの佳作です。

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《古典的な庭園》。1926年(1)、クレー47歳頃の作品です。縦横の直線で緻密に輪郭を描き、濃淡を変えた茶色の水彩1色で色付けしています。まるでエッチングのように見えます。庭園の丘や木々や花の描き方がとてもユニークです。クレーのこういう作品は初めて見たような気がします。

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《魚-人の顔》。1926年(30)、クレー47歳頃の作品です。これは素晴らしいですね。古代のロマンを描いた象徴主義の作品であるかのごとくに見えます。まず、画面全体の茫漠として神秘的な色彩に魅了されます。薄いブルーと薄いオレンジ色のグラデーションが何と素晴らしい色彩なのかとうっとりとします。そして、画面右下の女性的な顔の一部の美しさに見とれます。緻密に描かれた髪は装飾的な文様で、2つの切れ長の目が印象的です。目を魚仕立てで描いていますが、そんな工夫は不要なくらい、繊細で神秘的な顔です。
こんな素晴らしいクレーの作品は見たことがありません。クレーの作品のベスト10に推したい絵です。

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《寝台に横たわるヘタイラ》。1926年(57)、クレー47歳頃の作品です。これも素晴らしいですね。パッと見た目には、アラビアの王宮のシェエラザードを連想しましたが、このベッドの女性はヘタイラとのこと。ヘタイラとは古代ギリシャの教養豊かな高級娼婦のことです。ヘタイラが描かれた有名な美術作品としては、フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームが1861年に制作した絵画、《アレオパゴス会議のフリュネ》(ハンブルク市立美術館所蔵)があります。。
その《アレオパゴス会議のフリュネ》では裁判にかけられたヘタイラのフリュネは弁護人が陪審席の前で彼女の衣服をはぎ取り、美しい裸体をさらすと、彼女はそのあまりの美しさの故に無罪を勝ち取るという伝説が描かれています。
クレーはもちろん、その作品を念頭にこの作品を描いたのでしょう。しかし、クレーは女性のエロスよりも可愛らしさを表現したようです。画面の薄い黄色と薄い赤紫のグラデーションがとても美しい作品です。

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《階段と門》。1926年(80)、クレー47歳頃の作品です。ひたすら、稲荷神社の連続する鳥居のような門とそこにある階段が画面全体を覆い尽くす作品です。よく見ると、画面の左側には小さな文字も書かれているようです。水彩の色付けはまるで染みのように描かれています。精緻な抽象画とも言えます。

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1925年、1926年の作品を鑑賞しましたが、この頃はクレーのほぼ10年に及ぶバウハウス時代の真ん中あたりで、次々と傑作を描く、いわば、中期の傑作の森の時代と言えそうです。クレーの野心的な絵画探求はさらに続きます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1927年-1929年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/11回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1926年までの作品を見てきました。
これから、1927年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《前後不覚中の小さなお馬鹿さん》。1927年(170)、クレー48歳頃の作品です。クレーは晩年の天使シリーズを始めとする線画が印象深いですが、以前より、デッサン画はもちろん、線画を描き続けていました。この滑稽な作品は天使シリーズの一面につながるものです。深刻さもこういう軽み(かろみ)も併せ持つのがクレーの魅力です。

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《セレモニーの入り口》。1928年(156)、クレー49歳頃の作品です。晴れやかなセレモニーイベントの雰囲気をあえて稚拙な筆で描いた一作です。テクニックや芸術的な深みを捨てて、幼児のような心でストレートな表現をできるか・・・クレーの真摯な模索です。

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《フェンスで囲まれている》。1928年(74)、クレー49歳頃の作品です。上の作品はあえて稚拙な筆で描きましたが、クレーが本気で描くとこんなに凄いものが生まれます。構成と言い、色彩のバランスといい、パーフェクトな作品です。この魅力に満ちた画面は天才のみによって発想できるものでしょう。抽象画で美の極致を描き出した一枚です。

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《無題》。1928年(74)、クレー49歳頃の作品です。もともと、上の作品《フェンスで囲まれている》のオリジナルな作品で、作品番号も同じです。が、どう見ても上の作品の完成度が高いですね。

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《肥沃な国の国境線(あるいはボーダー柄)の記念碑》。1929年(40)、クレー50歳頃の作品です。うーん、抽象性の高い作品で、読み解きが難しいですね。単純にこういうボーダー柄模様のモニュメントと思えばいいのでしょうか。意味の解釈を諦めて、抽象画としての魅力を探ると・・・分かりません。地柄の画面全体のボーダーの上に数枚の矩形や台形のボーダー柄のパッチが張り合わされています。じっと見るとパッチが3Ⅾ的に浮き上がって見えます。そういう絵としての遊びがこの絵の表現の狙いなんでしょうか。謎のような作品です。前年からのエジプト旅行が契機になっているような気もします。すると、肥沃な国とはエジプトか・・・。

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《結晶の風景》。1929年(75)、クレー50歳頃の作品です。クレーの作品はますます抽象度を高めていきます。風景画がこんな風ですからね。絵の構成要素を単純化して、色彩効果を主体にして、美の本質に切り込んでいくというアプローチなんでしょうか。すべてが挑戦であり、オリジナリティのあくなき開拓です。過程的な作品も完成度を高めた作品も混在します。

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《静物》。1929年(345)、クレー50歳頃の作品です。普通の静物画は具象的なモティーフをもとに画面を構成しますが、この静物画は抽象的なモティーフを画面に配置して構成しています。この作品も新たな挑戦の分野での過程的な作品なんでしょう。クレーが抽象画で多用してきた直線とか矩形が捨て去られ、すべて、閉曲線による自由図形がモティーフになっていることが注目されます。黒い矢印は注目すべき場所を指示しているのがクレーの作法でしたが、ここではさもない図形を指し示しています。中央の赤の図形を含む目立つモティーフが中心的なモティーフではないと読み取れますが・・・。例えば、全体を人物と見立てれば、この下の2本のモティーフは足にあたります。そういう地味だけれど、これは重要なパーツなんだよって、読み解けば、あまりに下らないかなあ。見るものに考えさせるところにこの作品の力点があるのかもしれません。

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《窓の背後の恐怖》。1929年(328)、クレー50歳頃の作品です。安定した創作活動を続けてきたバウハウス時代も時代の潮流に吞み込まれていこうとします。ナチスはまだ、産声を上げたばかりですが、世界恐慌の波はドイツを転落させていきます。窓の奥で何かに怯えている人物はクレー自身のような気がします。芸術家も否応なく、時代背景のもとに創作活動を続け、生身の人間として、限界状況を受け入れるしかありません。

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創作活動の根幹を成してきたバウハウス時代もあと2年ほど残すだけになり、クレーも苦悩します。しかし、最高傑作《パルナッソス山へ》はその苦悩の先に生まれることになります。芸術家は時代と戦い、己の中に道を見つけていきます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1930年-1932年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/12回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1929年までの作品を見てきました。
これから、1930年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《選ばれた者の子供時代》。1930年(186)、クレー51歳頃の作品です。クレーは10年ほど教鞭を執ってきたバウハウスをあと1年ほどで去ることになります。時代はどんどん歩みを速め、暗黒への転落を続けていきます。クレーはバウハウス時代の残り、それまでと同様に様々な表現スタイルの拡張を図っていきます。しかし、この作品はとても暗い! 誰かの子供時代は暗闇に包まれています。選ばれし者とは誰のことか・・・ヒントは画面の左上の描かれている六芒星(ヘキサグラム)、あるいはダビデの星です。明らかにユダヤ人を指しています。クレーはユダヤ人ではありませんが、ナチスの台頭とともにユダヤ人は迫害されるようになります。そして、この3年後にはクレー自身、ナチスから、ユダヤ人の烙印を押されて、攻撃対象にされます。そのときのクレーの言葉は心に沁みます。「このような下らぬ泥仕合にかかわり合うのは私の本意ではない。仮に私がガリシアからきたユダヤ人であったとしても、私の人格と業績の価値になんの影響もないだろう。だからユダヤ人や外国人が土着のドイツ人に決して劣るものではないという私の見解を捨ててはならぬ。さもなければ私自身を永遠の愚か者にすることになるだろう。これらの権力者どもに迎合しょうとして悲喜劇的な人物になるよりは、どんな個人的な不快でも忍んだほうがましだ」
この暗い作品は自分の未来を予測していたかのようにも見えてしまいます。芸術家の直観だったのでしょうか。

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《ロマンティックな公園》。1930年(280)、クレー51歳頃の作品です。この作品もそのタイトルにもかかわらず、どこか暗い翳がさしていますね。フォルムの複雑さ、色彩の多彩さ、それを統合した素晴らしいバランスの構図の傑作です。こういう具象と抽象の狭間で、微妙で繊細な感覚の作品を描けるのはクレーと彼が敬愛していたピカソくらいしか、いないでしょう。細部のフォルムの意味を読み解くよりも、この絵画のイメージ全体の雰囲気をじっと見ながら味わうことが鑑賞者にとって、何よりもし幸せな時間になります。

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《Gitの遺跡》。1931年(155)、クレー52歳頃の作品です。この年、クレーは長年職に就いていたバウハウスを辞して、デュッセルドルフの美術アカデミーの教授の職に就きます。ドイツに滞在できる期間もあとわずか2年となります。そういう時期に、遂にこういう点描法的なスタイルが登場します。ビザンティン美術のモザイク画に源流を発するようにも思えます。古代の遺跡を描くには最適とも思える手法です。この表現スタイルは翌年に描かれる、クレーの最高傑作《パルナッソス山へ》につながります。こういう作品を描く背景には、1928年から1929年のエジプト旅行で見た古代遺跡が強烈に脳裏に残っていたことが想像されます。

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《日の出前の風景》。1931年(256)、クレー52歳頃の作品です。クレーのこういう絵は初めて見ました。印象派のモネが描いた《印象・日の出》を想起させるような作品です。モネが空気感を描いた手法を徹底すると、こうなるんじゃないかとも思えてしまいます。青い大気の中、画面中央に明るんでくるオレンジ色が滲んでいます。クレーが風景を抽象的に描くとこうなります。これまた傑作です。この路線をおしすすめていくとどんな絵画が登場したんでしょう。

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《ラグーン(浅い海)の上の町》。1932年(63)、クレー53歳頃の作品です。この年、クレーは最高傑作《パルナッソス山へ》を描きます。わずか2年のデュッセルドルフ時代はクレーにとってはナチスからの迫害も強まる辛い時代でしたが、そういうことに芸術創造は影響されずに輝かしい頂点を迎えます。この作品も以前から描いていたボーダー柄の表現スタイルの集大成ともなる傑作です。抽象的でありながら、ラグーンの町の風景が明快に見えてきます。そして、レインボーカラーに塗り分けられたボーダーの美しい色彩に魅了されます。ラグーンの町って、イタリアのベネチアでしょうか。光り輝く作品にひととき、目を惹き付けられます。

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1930年から1932年までの素晴らしい作品群を見てきました。バウハウス時代の最後の頃からデュッセルドルフ時代にかけての目覚ましい芸術業績でした。翌年はナチスにより、デュッセルドルフの職を解かれ、その年いっぱいはドイツに留まりますが、身の危険を感じて、年末にスイスに亡命することになります。激動と苦難の時代にクレーは最後の芸術創造に身を削っていくことになります。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1933年-1937年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/13回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1932年までの作品を見てきました。
これから、1933年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《文書(ドキュメント)》。1933年(283)、クレー54歳頃の作品です。クレーはバウハウスを辞した後、デュッセルドルフの美術アカデミーに2年在職しただけで、この1933年にナチスの弾圧で辞めされられます。クレーはそれでもドイツに残る方策を模索します。これはその頃の作品です。クレーは見通しのたたない未来に絶望せずに、芸術創造活動を続けます。この作品は1928年から1929年にかけてのエジプト旅行を振り返ったものですね。画面にはただ文書が描かれているのみです。文字はよく見えませんが、象形文字のような印象です。色合いなどの雰囲気が古代の文書を思わせます。不思議な作品です。

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《満月のいけにえ》。1933年(452)、クレー54歳頃の作品です。古代の陰惨な情景を描いたものです。この時期の時代状況、さらには自分自身の追い詰められた状況を抜きにしては語れない作品ですが、クレーは芸術家として、あくまでも芸術に昇華した作品を描きあげています。満月が逆説的に美しく光り輝いています。この年のクリスマス頃にクレーはスイスのベルンに逃れます。彼の銀行口座は凍結されて、亡命後も苦境は続きます。しかし、クレーは芸術家として、強く生きていきます。

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《山の村(秋の)》。1934年(209)、クレー55歳頃の作品です。スイス亡命直後の作品です。私的には苦しくても、クレーの芸術は高みを極め続けます。一点の迷いもない素晴らしい抽象作品です。暖色系のシックな色合いの中に秋を感じ、三つの黄色のフォルムが希望の光に見えて、とても印象的です。

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《町の中心 Ⅰ》。1935年(137)、クレー56歳頃の作品です。スイス亡命後、さすがのクレーも作品数が激減します。追い打ちをかけるようにこの年の夏、致命的な病気の徴候が現れます。免疫不全症の一種である皮膚硬化症です。この後は病魔やナチスの迫害と闘いながら、5年間、壮絶な創造活動を続けます。しかし、この作品はそういう外的要因を感じさせない落ち着いた雰囲気です。明るい暖色系の水彩で塗られたブロックを積み上げて、華やかな町の中心を描きあげています。

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《“Spiel-Musik”(バロック音楽の意味か?)のための楽器群》。1937年(123)、クレー58歳頃の作品です。病気の影響もあり、作品数が少なかったのですが、ようやく創作に着手します。その頃の貴重な一枚です。外的には、クレーの作品はナチスによって退廃芸術と見なされ、この1937年にミュンヘンの「退廃芸術展」に17点が展示されます。ドイツ国内の美術館でクレーの作品102点の没収も行われます。内的にも外的にも最悪の状態で描かれた、この作品の透徹した美しさはどうでしょう。白地に太い黒で描かれた象形文字らしきものの正体は楽器のようです。古楽器なのでしょう。どことなく、古代の雰囲気を漂わせて、上質の抒情が立ち上ります。

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《主に分岐》。1937年(154)、クレー58歳頃の作品です。病気や迫害に抗して、クレーが復調の兆しを見せ始めました。その頃の作品です。新たな創作への意欲がみえます。シンプルで力強い構図、パステルの落ち着いた色彩で新境地を模索するがごとくです。

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いよいよ、クレーの最後の3年間、奇跡の晩年の創作活動の時代に向かいます。ある意味、クレーの創作活動の頂点とも言えます。病んだ体で肉体が衰えるのに反比例して、クレーの精神は芸術的に冴えわたります。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1938年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/14回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1937年までの作品を見てきました。
これから、1938年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《充溢》。1938年(30)、クレー59歳頃の作品です。クレーは晩年に差し掛かりますが、創作意欲は衰えるどころか、絶頂と言える状況になっていきます。この作品自体も内包するエネルギーが横溢しています。黒い太線で描かれた様々な記号などのシンボルの力強さ、背景のシックな色彩など、素晴らしい作品です。

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《リトルX》。1938年(63)、クレー59歳頃の作品です。クレーは晩年に至り、線画表現で芸術の完成を目指します。この作品はその先駆けとも言える大傑作であり、このローゼンガルト・コレクションを代表するする作品でもあります。簡潔さを極めた作品の芸術的な美しさに魅了されます。まるで達人の描いた書のようですね。一気呵成に描いた感があります。この路線は翌年の天使シリーズに昇華します。

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《操舵手》。1938年(182)、クレー59歳頃の作品です。これは木炭で描いた作品。クレーとしては珍しい? まあ、一種の線画とも言えますね。これまたシンプルな作品です。山を望む川(あるいは海?)で帆掛け船を操る人物を描いています。ベルン近辺の風景でしょうか。あるいはエジプトのナイル川も思い浮かべてしまいます。なにか、ほのぼのとした作品です。

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《ゲストのいる海岸沿いのヘルスリゾート》。1938年(185)、クレー59歳頃の作品です。上の作品と姉妹作のように木炭で水辺の風景を描いています。簡潔ではあるものの風景が丹念に描き込まれています。樹木や太陽などの自然がありありと伝わってくる作品です。わざわざ尋ねてきてくれた客人がパラソルを広げて帰っていくのを楽し気に見送っている人物が絵が描かれている心のこもった作品でもあります。

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《壁画作者のためのABC》。1938年(320)、クレー59歳頃の作品です。白い背景を壁に見立てて、ただ、アルファベットの文字を配置しただけの作品ですが、見事な抽象画に仕上がっています。何か心惹かれるものがあります。

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《冬の太陽》。1938年(413)、クレー59歳頃の作品です。冬の荒涼とした雪原の上に樹木、あるいは何かシュプールが描かれ、沈みゆく夕陽が憂愁を誘います。スイス、ベルンの冬は長く厳しいと地元の人に聞いたことがあります。病は小康状態とは言え、クレーはどのような心持ちでこの絵を描いたのでしょう。

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《仮面のコレクションから》。1938年(414)、クレー59歳頃の作品です。赤い帽子を被った女性の傍らに仮面を着けたと思しき道化が立つという不思議な構図の作品です。水彩と油彩で鮮やかに色付けした画面が強烈な印象をもたらします。こういう土俗的な雰囲気はピカソからのインスピレーションなのでしょうか。

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クレーの人生をたどりながら見てきたローゼンガルト・コレクションの膨大な作品も1939年と最晩年の1940年の2年に描かれた4作品を残すのみです。素晴らしいクレーのコレクションを締めくくるのにふさわしい名作ばかりです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1939年-1940年(最晩年)

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/15回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1938年までの作品を見てきました。
最後に、1939年と最晩年の1940年の作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《登山鉄道》。1939年(556)、クレー60歳頃の作品です。クレーは晩年を迎えますが、彼の創作力は絶頂を極め、この1939年には何と制作総数(デッサンも含めて)は1253点にのぼります。特に多くなったのは線画の作品です。有名な天使シリーズもこの年に描かれます。この作品は木炭と水彩で描かれていますが、一種の線画とも言えます。スイスの山岳観光には欠かせない登山鉄道が几帳面に描かれています。丸、三角、直線、矢印といったシンプルな幾何学的要素だけで描かれていますが、まるで具象画のように鮮やかに登山鉄道のフォルムを表現しています。見事な作品です。

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《もう一度希望すること》。1939年(1003)、クレー60歳頃の作品です。これはクレーの自画像なのでしょうか。自分の死期を悟りつつも希望を捨てない画家の姿に心が痛みます。水彩で描かれていますが、自分を天使に昇華させようとするようにも思えます。

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《魚の視線》。1940年(8)、クレー61歳頃の作品です。いよいよ、クレーの最晩年です。魚シリーズの集大成のようなシンプルでありながらも、深い表現の凄い作品です。水中の魚の視線の先には何が見えているのでしょうか。もう希望ではないでしょう。永遠の光を見ているのでしょう。

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《呪いの直後の聖書の蛇》。1940年(319)、クレー61歳頃の作品です。クレーは最晩年にも400点ほどの作品を制作しました。この作品はその中でも最後に近い時点で描かれたものです。黒い太線の線画ですが、天才画家にふさわしい芸術的な完成がみられますね。上からの矢印で強調した蛇の姿には邪悪な雰囲気はかけらもありません。生きとし生けるもの、すべて、世界は美しい・・・クレーの魂よ、永遠なれ!

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ローゼンガルト・コレクションのクレーの作品は1913年から亡くなる年の1940年まで、125点が収蔵され、そのほとんどすべてが地下の展示室で公開されていました。こんなに一挙にクレーの作品に接したのは初めての経験です。クレー好きの配偶者とsaraiは夢中になって、この膨大な作品群に見入っていました。こんな素晴らしいクレーのコレクションを収集したローゼンガルト父娘に感謝と尊敬の念を抱きました。

このブログで一緒にクレーの作品鑑賞にお付き合い願った読者の方々にも感謝します。終わってみれば、何と12回にわたる記事連載になってしまいました。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーだけではない充実したコレクション

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/16回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。クレーの膨大なコレクションを鑑賞して、大変、感銘を覚えました。世界でこれだけのコレクションを有するのは、saraiの知る限り、ベルンのパウル・クレー・センターおよびベルン市立美術館くらいですね。計3回も足を運びました。
本来はクレーはホームグラウンドがドイツだったので、ドイツの美術館にも膨大なコレクションがあるべきなのですが、ナチスから退廃芸術の刻印を押されたクレーの作品は美術館から一掃されました。戦後、その反省に立って、クレーが最後にドイツの拠点としたデュッセルドルフはクレーの作品の再収集を行いました。前年の2018年にsaraiもそのコレクションのあるデュッセルドルフDüsseldorfのK20州立美術舘K20, Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenを訪れました。素晴らしいコレクションを見て、胸が熱くなりました。ブログにも記事を掲載しています。

K20州立美術舘

さて、このローゼンガルト・コレクションはルツェルンの画商のジークフリード・ローゼンガルトと娘のアンジェラ・ローゼンガルトが収集し、特に気に入って、最後まで手元に置いた作品が元になっています。
クレーのコレクションのほかにピカソの素晴らしいコレクションもあります。ローゼンガルト父娘はピカソとも親しく交遊していました。これがピカソとアンジェラ・ローゼンガルトの写真です。ピカソの妻、ジャクリーヌが撮った写真です。アンジェラはピカソが作った花環、花のネックレスを身に着けています。

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また、ピカソはアンジェラ・ローゼンガルトをモデルにして、数枚の肖像作品を描いています。ピカソの親しみの感情が現れた温かさが感じられます。南仏のムージャンがピカソの終の棲家でしたが、アンジェラが1964年にそこを訪問した際に描かれました。さすがにピカソの絵画ですね。素晴らしい!

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ローゼンガルト・コレクションはクレーとピカソのコレクションが中心になっていますが、ほかにミロ、マティス、次いで、ブラック、セザンヌ、モネ、シャガール、ボナールの作品もあります。ピカソは著作権の関係で紹介を控えますが、saraiが特に目を惹かれたマティスの作品を最後にご紹介します。

《白いターバンのラウレッテ》。1916年、マティス46歳頃の作品です。この年から、イタリア人のモデル、ラウレッテを集中的に描いています。マティスが好んで描いたアラビア風の衣装をまとった作品です。このモデルの大胆な体の捻りをもとに実に見事な構図で描きあげています。女性の存在感がひたひたと伝わってきます。

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《静物》。1939年、マティス69歳頃の作品です。木炭で描いた静物画です。木炭のモノクローム作品なのに、色彩感を覚えてしまうような充実度です。名人の筆ですね。

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《レモンと花瓶》。1943年、マティス73歳頃の作品です。これは油彩の静物画。セザンヌの静物画とはあまりの違いますが、どこか、根っこに似たような感性を感じます。

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《アトリエ》。1944年、マティス74歳頃の作品です。ささっと描いたデッサンですが、一目見ただけでマティスが描いたと分かる素晴らしさです。こういうものを迷わずに収集したアンジェラ・ローゼンガットの慧眼に感服します。

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《ベールを着けた若い女性》。1942年、マティス72歳頃の作品です。これは素晴らしい。ここにあるマティスの作品で最高のものです。実に魅力的に女性の美しさが描かれています。やはり、画家はモデルで覚醒しますね。我が家に一枚欲しい!!

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以上でローゼンガルト・コレクションの鑑賞を完了します。次はルツェルン近郊トリプシェンにあるリヒャルト・ワーグナー記念館Richard Wagner Museumに行きましょう。作曲家リヒャルト・ワーグナーの旧邸を記念館に改装したものです。



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ルツェルン散策:リヒャルト・ワーグナー記念館へ

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/17回目

ルツェルンLuzernの街歩きの最後はリヒャルト・ワーグナー記念館Richard Wagner Museumに行きます。ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartを出る頃には、青空が戻り、気温も上がってきました。友人のSteppkeさんと一緒にルツェルン駅前からバスで向かいます。たった6分ほどで最寄りのバス停、ヴァルテックWarteggに到着。道沿いに記念館への案内板があります。

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気持ちのよい緑の坂道を上っていきます。

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道沿いには案内板があるので、道に迷うことはありません。

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こんな案内板もあります。

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やがて、木立の間から、フィーアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee(ルツェルン湖)が見えてきます。

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綺麗な花の咲く小道の先に大きな学校の建物が見えます。シュルハウス・ヴァルテックSchulhaus Warteggです。

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案内板に従って、先に進みます。

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saraiと友人のSteppkeさんは連れ立って、ゆったり散策です。既に坂道は下りになっています。

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道の先にフィーアヴァルトシュテッテ湖が見えてきます。

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美しい風景が広がります。

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リヒャルト・ワーグナー記念館の看板が出てきます。

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看板の中には写真が3枚。ワーグナー夫妻、記念館の建物、ピアノです。

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すぐに木立のトンネルの先にリヒャルト・ワーグナー記念館が見えてきます。

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白壁の美しい館ですね。ワーグナーはこの館で1866年から1872年まで愛妻コジマと過ごしました。その後、バイロイトに移住し、バイロイト祝祭劇場の建築を始めることになります。

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3階建ての瀟洒な館の前に立ちます。

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ワーグナーの銅像も自分の館を見上げています。

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記念館に入館する前に、前庭のテラス席で休憩します。

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記念館の先にはフィーアヴァルトシュテッテ湖の湖面が見えています。この館はフィーアヴァルトシュテッテ湖(ルツェルン湖)のほとりのトリプシェンTribschenの丘の上に佇んでいます。

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休憩した後に記念館の中のワーグナーの展示を楽しみます。



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ルツェルン散策:リヒャルト・ワーグナー記念館、すなわち、ワーグナー旧邸を見学

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/18回目

フィーアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee(ルツェルン湖)のほとりのトリプシェンTribschenの丘の上にリヒャルト・ワーグナー記念館Richard Wagner Museumの建物は佇んでいます。前庭のテラス席での休憩を終え、ワーグナーの旧邸に足を踏み入れます。すぐに上階に続く階段が目に入ります。これが見たかったんです。この階段でジークフリート牧歌が演奏されたのは有名な話ですね。ロマンティックな思いにかられます。

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1870年8月25日にワーグナーはハンス・フォン・ビューローと正式に離婚したコジマとルツェルンのマテウス教会で結婚式をあげました。そして、1970年12月25日、コジマの誕生日であるクリスマスの朝、極秘裏に準備した17名の楽団員がこの階段に並び、ワーグナーの指揮のもと、コジマが2階の寝室から出てくるのに合わせて、ジークフリート牧歌を非公開初演しました。演奏が終わった後、ワーグナーはコジマにこの曲の総譜をバースデープレゼントとして、捧げました。前年には長男ジーグフリードも生まれていました。長女イゾルデ、次女エヴァはコジマとともに何度もこの曲のアンコール演奏をリクエストしたそうです。

階段の横には古いポスターが張られています。ワーグナーの没後50年を記念して、ベルリン国立歌劇場Staatsoper Unter den Lindenで開催されたチクルスのポスターです。

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チケットを買って入館します。これが記念館のパンフレット。ドイツ語と英語が併記されています。

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日本語の2ページの説明パンフレットもいただけました。日本人のワグネリアンも多く訪れているようです。

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ワーグナーはこの地で1866年から1872年まで愛妻コジマと過ごしました。楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》もここで書かれました。その後、バイロイトに移住します。ワーグナーの芸術の完成の大きなステップはここで始まりました。その記念すべき旧邸の跡を見学しましょう。

ロマンティックな絵があります。フランツ・シュトラッセンという画家が描いた《トリスタンとイゾルデ》です。

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ここはサロンです。ワーグナーのエラール社製グランドピアノは、現在置かれている場所と同じ場所に置かれていたそうです。

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これはワーグナーのデスマスクですね。

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これはサロン(あるいはバイロイト?)にいるワーグナー夫妻ですね。

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エラール社製グランドピアノです。仕事用にはルードヴィヒ2世から贈られたベヒシュタインのピアノで作曲していました。

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ワーグナーの肖像画です。

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ガラスケースにはワーグナーの楽譜が陳列されています。

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これはコジマの肖像画ですね。

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これはコジマとリヒャルト・ワーグナーが見つめあうシーンです。コジマが椅子に座っているのは彼女が大柄だったからのようです。ワーグナーは身長167㎝と小柄でした。意外ですね。

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これはバイロイトでのワーグナーの集いです。左端に長男ジークフリードを片手で抱くコジマ、その一人置いて、右にワーグナー、中央右でピアノに向かうのはフランツ・リスト(コジマの父)、リストの後ろから覗き込むのは指揮者ハンス・リヒター(バイロイトでのニーベルンゲンの指輪の初演を指揮)など、錚々たる顔ぶれです。一番左端には画家フランツ・フォン・レンバッハもいますね。彼はワーグナーやコジマの肖像画も描いています。

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この椅子はワーグナーの椅子?

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これはマティルデ・ヴェーゼンドンクの胸像です。彼女はワーグナーがチューリヒで援助を受けていた豪商ヴェーゼンドンクの妻でしたが、ワーグナーと恋に落ち、不倫関係に陥りました。この不倫の恋は『トリスタンとイゾルデ』のきっかけとなり、またマティルデの詩をもとに歌曲集『ヴェーゼンドンクの5つの詩』が作曲されました。コジマとも不倫でしたから、ワーグナーは恩人や知人の妻と不倫を重ねたわけです。このあたりのモラル感は理解できませんね。しかし、ワーグナーはこういう不倫をばねに芸術上の飛躍を遂げたのも事実です。

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コジマとリヒャルト・ワーグナーに始まる家族の家系図です。この家族がバイロイト祝祭劇場でのバイロイト音楽祭の歴史を支えてきました。とりわけ、孫のヴィーラント・ワーグナーとヴォルフガング・ワーグナーの果たした役割は偉大でした。現在はリヒャルト・ワーグナーの曾孫にあたるカタリーナ・ワーグナーが総監督、クリスティアン・ティーレマンが音楽監督を務めています。

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最後にもう一度、有名な階段を眺めます。

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記念館を出て、フィーアヴァルトシュテッテ湖のほとりを散策しましょう。



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リヒャルト・ワーグナー記念館のまわりの美しい眺めを堪能。そして、クルレンツィスの従来の価値感を破壊するような究極の《ドン・ジョヴァンニ》に感動!

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/19回目

Vierwaldstättersee(ルツェルン湖)のほとりのトリプシェンTribschenの丘の上のリヒャルト・ワーグナー記念館Richard Wagner Museumの見学を終え、建物を出ます。建物の側面に周ると、湖のほとりに広がる草原が見えます。緑が美しいです。

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湖面の向こうには、天気も回復したので、リギ山Rigiも見えています。

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建物の側面を通って、裏庭に向かいます。

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裏庭に出ると、リギ山がはっきりと見えます。朝、こんな状態だったら、リギ山登山に行ったのですけどね。

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裏庭から、リヒャルト・ワーグナー記念館を見上げます。前側とほとんど同じデザインです。こちらは湖の桟橋からアクセスできるので、どちらが前側というわけではないのかもしれません。

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建物の入口の階段の上に立って、湖のほとりの草原を眺めます。フィーアヴァルトシュテッテ湖を望む美しい風景です。ワーグナーはこの風景が気に入って、この地を住居と定めたのでしょう。

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友人のSteppkeさんと配偶者もこの美しい風景を見入っています。

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トリプシェンの丘を下り、船着き場のほうにぶらぶらと歩いていきます。

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振り返ると、ピラトゥス山Pilatusまで見えます。ワーグナーは素晴らしい所に住んでいたのですね。

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湖と山の美しい風景に包まれた贅沢なところにワーグナーは暮らしていました。湖畔から見上げたワーグナーが暮らした家(今は記念館)です。コジマと湖で舟遊びをしていたワーグナーは湖から、この邸の姿を見て、住むことにしたそうです。

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湖畔からは何も遮るもののないリギ山の全景が見渡せます。この記念館で時間を過ごすうちに雲が晴れてきて、リギ山もピラトゥス山も顔を出しました。山の天気はそうしたものですね。

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湖面上はモーターボートやヨット、それにフェリーなどが浮かんでいます。素晴らしい景勝地です。

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湖畔のベンチでは若いカップルが愛を語らっていますね。邪魔しないようにしましょう。湖面の先にはルツェルンの旧市街が眺められます。

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そろそろ、湖畔の散策を切り上げて、記念館のほうに戻りましょう。

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記念館の左にはピラトゥス山が見えています。

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最後にもう一度、このトリプシェンからの美しい眺めに目をやります。

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ワーグナーはこの地からバイロイトに居を移して、約10年後に亡くなります。ワーグナーはルツェルンのこの家で長男のジークフリートも生まれ、コジマと正式に結婚し、とてもいい時期を過ごしました。
これで今日のお昼の散策は終了。思った以上に実のあるものになりました。

また、バスで街に戻り、遅めのランチを頂きます。2年前に泊まったホテルで教えてもらったスイス料理屋さん、ヴィルツハオス・タオベWirtshaus Taubeに行ってみましょう。既に3時を過ぎていますが、お店も開いていて、食事も提供してくれるようです。フライパンに入った熱々の料理が食べたいのですが、どう説明してよいのか悩みます。と、案内された席の近くで、そのお料理を食べている人がいます。ラッキーです。彼女の料理を指さすだけで注文完了ですからね。
まずはよく冷えた白ワインで乾杯。

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チロル風のハッシュドポテトの上に目玉焼きののったパン料理を美味しく頂きます。

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これはドイツ風の焼きソーセージです。

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ほかの客もいないスイス料理店でゆったりと遅めのランチを楽しみました。

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結果、遅くなってしまいます。急いでホテルに戻り、身支度をして出かけましょう。夜はまた、クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》です。

ちゃっちゃっと配偶者は着物、saraiはタキシードを着て出かけます。ぎりぎり間に合います。

今日も、素晴らしい演奏でした。ウィーンのコンツェルトハウスでもこの《ドン・ジョヴァンニ》を聴いたばかりですが、クルレンツィスはさらに完成度を高めた演奏を聴かせてくれました。ドンナ・アンナ役のナデージダ・パヴロヴァがさらに際立った歌唱を聴かせてくれ、ドンナ・エルヴィーラ役のフェデリカ・ロンバルディがウィーンとは見違えるような素晴らしい歌唱。とっても重要な役どころですから、クルレンツィスが磨きをかけたに相違ありません。さらにツェルリーナ役のクリスティーナ・ガンシュが本来の実力を発揮して、透明で美しい響きの歌唱を聴かせてくれます。これもウィーンでの歌唱を上回るものです。オーケストラもさらに鮮鋭さを増した究極の響きです。
クルレンツィスはモーツァルトのオペラの価値の転換を図り、精妙で深さのある音楽、ある意味、聴くものにとって、その中身を理解するのがとても難しい音楽に変質させてしまいました。今日の《ドン・ジョヴァンニ》だけのことを言っているのではなく、ダ・ポンテ3部作のすべて、あるいはモーツァルトのオペラすべてがそうです。そういうことを感じながら、それでも、まだ、クルレンツィスの天才はどこにあるのかをsaraiは考えさせられました。
このオペラについての記事はここに書きました。

ところで配偶者は何人もの人に着物を誉めてもらって、ご機嫌です。帰るときにも、わざわざ配偶者に声をかけてきてくれて「私たちとは違う美しさね」と言ってもらえます。

ホテルに戻ろうとして歩いていると、前を歩いているムジカエテルナのオーケストラのメンバー数人を発見。終演後、さっさと彼らの泊まるホテルに向かっているようです。どこなんでしょうね。興味津々で付いていきます。私たちのホテルと方向が同じです。彼らのホテルに着き、彼らがさっとドアを開けて入ろうとするので、配偶者がおやすみなさいと声をかけると、こっちを見て、「ありがとう」と日本語で返してくれます。ここでも、着物の威力を発揮します。ルンルンでホテルに戻り、おやすみなさい。
いよいよ、ルツェルン音楽祭も明日が最終日になります。明日の《コジ・ファン・トゥッテ》ではどれほどの演奏を聴かせてくれるんでしょう。期待で胸がいっぱいです。



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オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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天野さん

saraiです。初めまして。コメントありがとうございます。ブログを書く励みになります。当日は快晴で素晴らしい日でしたが、夏の陽光がまぶしいほどで暑さに悩ま

09/27 14:15 sarai

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09/27 09:23 天野哲也

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07/20 12:41 sarai

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新型コロナウィルス、自粛中。
このウィーンの散策を読んでいると、なんだか切なくて悲しくなってきました。
次はいつ行けるのかな、とか思う

07/20 05:08 えりちゃ

はじめまして。ブログ拝見させていただきました。私は、個人ブログを運営しているyuichironyjpと申します。フリーランサーとして活動しており、フリーランスで稼ぐ方法や、

06/14 23:46 Yuichironyjp

ありがたいコメント、嬉しいです。マーラーのファンのかたにこそ、読んでいただきたかったので、気持ちを共有できた思いです。自然の中にこそ、マーラーの音楽の本質はあり

04/23 23:45 sarai
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