2019年9月29日日曜日@ウィーン/8回目
今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。今は16世紀ドイツ絵画から、オランダ絵画、フランドル絵画の部屋に移動します。
ピーテル・ブリューゲルPieter Bruegel(1525年-1530年頃 - 1569年9月9日)の1567年、37-42歳頃の作品、《聖パウロの回心 Bekehrung Pauli》です。ピーテル・ブリューゲルは、16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家です。ブリューゲルの油絵は40点ほどが知られていますが、そのうち12点がウィーンの美術史美術館に収蔵されています。ブリューゲルを見たければ、この美術史美術館に足を運ぶしかありません。今回は8点ほどご紹介しましょう。
この作品は有名な聖パウロの回心のシーンを描いています。使徒言行録によると、エルサレムからダマスカスに向かう途中で、サウル(聖パウロのユダヤ名)はイエスの声を聞き、一筋の光に目がくらんで馬から落ちました。 その瞬間、キリスト教徒の狂信的な迫害者は使徒パウロになります。ブリューゲルの絵画の場合によくあることですが、メインシーンは小さく、大きなシーンの中にほとんど隠れています。画面の中央で馬から落ちて、地面に倒れている青い上着のパウロを探してみてください。写真をクリックすると大きな画面になります。聖パウロが見つかるかな。なお、ブリューゲルが描いた兵士たちの服装はその当時の服装になっています。ブリューゲルは聖書の時代の服装にも精通していたので、あえて、その当時の服装で描いたようです。聖書の有名な風景を現代の雰囲気で描くことで、時代の壁をタイムジャンプさせたものなのでしょう。

ピーテル・ブリューゲルの1565年、35-40歳頃の作品、《雪中の狩人 Jäger im Schnee (Winter)》です。ブリューゲルの最高傑作とみなされる作品です。
この作品では、雪の山間を背景に、猟銃を背負った狩人が猟犬を引き連れて歩く情景が描かれています。疲れ果てた犬の群れを伴った狩人のグループは、下の村に戻ろうとしています。 肩の槍の1つから1匹のキツネだけがぶら下がっています。 左側では、豚が直火で焼かれています。 凍った池でスケートをするなどの楽しいディテールが、この作品の絶大な人気に貢献しているようです。ほかのブリューゲルの作品と同様に人間の営みを画家の鋭く、透徹した視線で描き出したもので、田園風景を背景に人間を主役にしたルネサンス精神の絵画の一つです。

ピーテル・ブリューゲルの1567年、37-42歳頃の作品、《牛群の帰り(秋) Heimkehr der Herde (Herbst)》です。
この作品は、アントワープの銀行家であったニクラース・ヨンゲリングの注文で製作され、6つの絵画からなる連作月暦画の一つとして、11月頃における、農民の日常生活を描いています。
秋のモティーフとしての牛群の帰りは、オランダ絵画では珍しい画題で、ブリューゲルによって新たに絵画に取り入れられ、ブリューゲルがスイスを旅したときに得た印象に基づくものでした。 田舎の牛追いがこの作品のタイトルシーンになりますが、メインテーマは秋の季節の色と雰囲気で崇高に高められた風景そのものです。画面手前に緻密に描かれた牛たちと対比して、画面奥に描かれた風景の美しさには息を呑む思いです。

ピーテル・ブリューゲルの1568年、38-43歳頃の作品、《農民の結婚式 Bauernhochzeit》です。この作品は、「農民ブリューゲル」として知られるきかっけとなった作品で、ほかにも一連の農民主題の作品が制作されています。また、《農民の踊り Bauerntanz》と対になる作品で、サイズが同一で主題が似たものです。
この作品ではフランドルの農民の婚礼の様子が慎重な構図で構成されています。 寓話的な意味はなくて、フランドルの農民の婚宴をリアルに描き出しています。 花嫁は中央の緑の天蓋布の下に座っており、紙の王冠が彼女の髪を飾っています。 フランダースの習慣によると、花婿は結婚式のテーブルにいませんでした。 ベレー帽をかぶった公証人、フランシスコ修道会の僧侶、犬を連れた従者(右端)の姿を見ることができます。 扉板の上に並べて、運ばれるお粥は、担ぎ手の姿勢と同様に、非常にシンプルでリアルに描かれています。

ピーテル・ブリューゲルの1568年、38-43歳頃の作品、《農民の踊り Bauerntanz》です。
この作品で描かれているのは、教会の奉献祭のオープニングダンスです。これは、カップルたちだけが演じ、一般的なダンスに先行する伝統的なジャンプダンスです。 手前のカップルは何か急いでいる印象ですが、左端のシーンに気を取られているようです。物乞い(または巡礼者?)たちが物乞いをしているテーブルに近づいています。 ブリューゲルの農民に対する見方は、見下すようなものでもユーモラスなものでもありません。むしろ徹底したリアリズムが画面に横溢しています。なお、画面をよく観察すると《農民の結婚式 Bauernhochzeit》の登場人物を発見でき、相互の関係性が感じられます。

ピーテル・ブリューゲルの1564年、34-39歳頃の作品、《十字架を担うキリスト Kreuztragung Christi》です。この作品は、ブリューゲルの描いた最も大きな絵画です。124cm×170cmのサイズです。
ブリューゲルは、エルサレムからゴルゴタへの行列として十字架の運びを描写するという、ヤン・ファン・エイクにまでさかのぼるオランダの絵画の伝統の画題に従っています。 しかし、彼の描く風景は非常に拡大化・精密化されています。 この作品はブリューゲルのこれまでで最も人物が豊富に描かれた絵画であり、当時の日常生活の観察に基づき、当時の生活風景が忠実に描かれています。画面では中央に群衆に囲まれて十字架を担うキリストが例によって、小さく描かれており、よく見ないと見つかりません。 手前の岩の上で悲しみに暮れる3人のマリアとヨハネだけは当時の流行の風俗ではない服をまとっています。それによって、とりわけ印象的に見えるように描かれています。 右端には、おそらくブリューゲルの自画像が描かれています。

ピーテル・ブリューゲルの1563年、33-38歳頃の作品、《バベルの塔 Turmbau zu Babel》です。この作品の主題であるバベルの塔は旧約聖書に出る伝説の塔です。天まで届くような巨大な塔を建設しようとした人間に神の怒りが下るという物語です。
ブリューゲルの描いたバベルの塔の記念碑的な構成は、最も有名であり、古典的なバベルの塔の姿として広く伝播されるようになりました。 バベルの塔に比べて印象的に小さいフランドルの港湾都市の風景は、バベルの塔のスケール感を与えてくれます。 ブリューゲルは、細心の注意と百科事典的な知見を持って、バベルの塔の構造的および工芸的なプロセスを表現しています。 バベルの塔の石造りの外殻には、古代とロマネスク建築の要素が混ざっています。なお、画面の手前で市民と対話しているのは塔の建設を進めるニムロデ王です。

ピーテル・ブリューゲルの1560年、30-35歳頃の作品、《子供の遊び Kinderspiele》です。
ブリューゲルが頻繁に用いた鳥瞰図によって、膨大な数の人物を眺めやすく、画面に収容しています。 230人以上の子供たちが83の異なるゲームを遊んでいます。 それぞれのシーンの細かさは、すべてのゲームを解読したい場合、じっくりと見究めることを可能にします。こんなに楽しい娯楽を提供してくれたブリューゲルに感謝しましょう。この手の絵はとかくに寓話的な意味を持たせるものが多いですが、これは単純明快に楽しい作品に仕上がっています。深読みするのはやめましょうね。

この部屋に美術史美術館の至宝、ブリューゲルの絵画コレクションが展示されています。壮観な風景です。こうしてみると、ブリューゲルの絵画は大ぶりな作品が多いことが分かりますね。ここはとりわけ、美術ファンが群がる一角です。

この後もドイツ絵画、イタリア絵画、オランダ・フランドル絵画など、様々な絵画が続きます。
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テーマ : ヨーロッパ
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