結構な値段ですが、成田の地下にある両替ショップで2万円も両替したので、今日中に使い切ってしまいたいと思って、気が大きくなっています。それにここで見たい絵もあります。フルチケットの料金を払って、窓口から離れると、すかさず、次に並んでいた人が窓口に向かって、「Do you speak Russian?」。ここは昔はソ連(ロシアではない)の支配下にあったし、やはり、今でも影響力があるんでしょうね。それにしても窓口の人はチェコ語はもちろん、英語、ロシア語、それにきっとドイツ語も話せないといけないのかも。まあ、チェコ語とロシア語は同じスラブ系の言葉らしいので、そんなに大変ではないかも知れません。日本では想像できませんが、やはり、このあたりは色んな民族・文化・習慣の坩堝なんでしょうね。
今日はプラハ城Pražský hradを訪ねています。第2中庭にあるインフォメーションセンターでフルチケットを購入したところです。大変、混雑していて、人種、民族の坩堝のようになっていました。 じゃ、見物です。まずは、やはり、ここのシンボルである聖ヴィート大聖堂Katedrála Sv. Vítaでしょう。第2中庭から第3中庭に入ると、目の前に聖ヴィート大聖堂の西側ファサードが聳えています。やはり、聖ヴィート大聖堂は巨大な建造物です。幅60m、高さは96.6mを誇ります。その存在感に圧倒されます。
今日はプラハ城Pražský hradを訪ねています。プラハ城の華、聖ヴィート大聖堂Katedrála Sv. Vítaでアルフォンス・ミュシャのステンドグラスの美に魅了されています。 ほかのステンドグラスもそれぞれの作家の個性が出ており、美しく、まるでステンドグラスの美術館みたいです。全体の統一感には欠けますが、こんなところはほかにないでしょう。 無論、西側の壁面には素晴らしい薔薇窓もあります。
主祭壇も美しいステンドグラスからの光りが差し込み、うっとりするほどの素晴らしさ。
北側には素晴らしいパイプオルガンがあります。
どうしても、ミュシャのステンドグラスに目がいってしまいます。何とも美しい。
十分に聖ヴィート大聖堂の内部を拝見しました。 それではと、混み合う大聖堂を抜け出し、次のお目当ての古典絵画を鑑賞に王宮ギャラリーObrazárna Pražského hraduに向かいます。また、少し、迷いますが、王宮ギャラリーに到着。結構、こじんまりとしています。ここには、古典作品がいっぱい展示されているのですが、でも、いくら探しても、見たかったデューラーなどの名品が見つかりません。係りの人に訊いても、なかなか明快な答えが返ってきません。係りの人とやりとりをしていると、その話を聞きつけたらしく、女の人が「デューラー?」と言いながら、近寄ってきます。我々が入館したときにチケットをチェックした人です。どうやら、単なるチケット係りではなく、学芸員だったのでしょうか。彼女によると、ここではなく、プラハ城の外にあるシュテルンベルク宮殿Národní galerie Praha – Šternberský palácにデューラーなどが展示されているとのことで、詳しく場所を教えてくれます。プラハ国立美術館は6ヶ所ほどに分散されていることは知っていましたが、見事に勘違いしていたようです。これはいかんと、早速、教えられた場所に急遽、移動。すると、5分ほどのところにあります!でも、がらんとしていて、入り口の鉄の扉はしっかり閉まっています。誰も見当たらないし、今日は休みかなと思いますが、扉にわからないチェコ語と並んで「OPEN」の文字。扉の重いノブを回して、おそるおそる開けると、そこが美術館の受付のロビーです。扉くらいは開けとけよなとブツブツいいながらもほっとしたsaraiです。 無論、ここはプラハ城ではないので、プラハ国立美術館・シュテルンベルク宮殿のチケットを別途購入。結局、プラハ城のフルチケットはあまり意味のないことになります。
その先の聖イジー聖堂Bazilika svatého Jiříにある黄金の小路Zlatá uličkaと呼ばれるおとぎ話の家が立ち並ぶ路地に向かいます。ただし、単なる路地と思うなかれ。路地の入り口には門がありしっかり通行料を取られるんです。有料の路地なんて世界中でここだけじゃないかしら・・・。sarai達はあんまり必要じゃなかったフルチケットを持っているので、どこでもフリーパスです。
美味しいランチを堪能し、ロブコヴィッツ宮殿を出ます。後で悔やまれたのが、この宮殿の展示物を見なかったことです。その時はあまり気に留めなかったのですが、ロブコヴィッツ宮殿と言えば、ウィーンにも同名の宮殿があります(今はオーストリア演劇博物館Österreichisches Theatermuseumになっています。)。ベートーヴェンゆかりの場所です。フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ(Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772年12月7日 - 1816年12月15日)はベートーヴェンの2つ年下のオーストリアのボヘミア系貴族、ロプコヴィッツ家の7代目で、ウィーンに出てきたベートーヴェンを高く評価して、後援します。ルドルフ大公たちとベートーヴェンに終生、年金を与えました。ロプコヴィッツ侯爵は彼の死後もベートーヴェンが亡くなるまで年金を与えたそうです。そのロプコヴィッツ家のプラハの宮殿がこのロプコヴィッツです。プラハ城の中で唯一の私有の建物で現在もロプコヴィッツ家が所有しています。ウィーンのベートーヴェンの話に戻りますが、ベートーヴェンが飛躍した作品、交響曲第3番《英雄》はアン・デア・ウィーン劇場での公開初演に先立って、ウィーンのロプコヴィッツ宮殿でロプコヴィッツ家のオーケストラが1804年12月に非公開初演しました(1804年夏にロブコヴィッツ家がチェコに所有していた 「イェゼジー城」"Jezeří"(Zámek) で非公開初演したという情報もあります。)。ハイドン先生も立ち会ったそうです。当然、ベートーヴェンは交響曲第3番《英雄》をロプコヴィッツに献呈しています。そのほか、ベートーヴェンは以下の作品をロプコヴィッツに献呈しています。