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ラインの旅:スイス編~ヴィンタートゥールで美術館鑑賞の前にゆったりと朝食

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/1回目

旅の13日目です。

昨日までスイスの好天に恵まれました。この好天はそんなには続かないだろうと思っていたら、今朝は青空と白い雲と黒い雲が混在する不安定な空です。昨日(月曜日)まではお祭りで休日だったのか、どこも子供連れの家族などでごった返していましたが、静かにお仕事モードに戻るにはふさわしいお天気かもしれませんね。それでも、気温は上がっていて暑いほどです。(この後、またまたよいお天気になりました。)

オランダからドイツ、フランス、スイスと遡ってきたラインの旅も前日のボーデン湖、ラインの滝で完了。今日もバーゼルでライン川を見る予定ですが、これはおまけのようなものです。
今日は、チューリッヒ近郊のヴィンタートゥールのオスカー・ラインハルト美術館での絵画鑑賞の後、バーゼルに移動し、夜はバーゼル歌劇場でオペラを見ます。

もうホテルには戻らないので、荷物を持ってのヴィンタートゥールWinterthurまでの移動です。最寄り駅まで歩いて、Sバーンの電車に乗車。車窓からはまた、アルプスの山々が見えます。


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ヴィンタートゥールに到着し、荷物を預けます。昨日ここを通過するときにコインロッカーの有無は確認済みです。しかもこのコインロッカーはコインしか使えないことをチェック済だったので、しっかり必要なコインも用意してあります。うん、我ながら旅慣れてきましたね~。


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ロッカーに荷物を預けますが、ちょっと誤算だったのは、2つのスーツケースが一緒にはロッカーに入らないこと。2つのロッカーを利用することになりましたが、コインが余分にあって助かりました。

身軽になって美術館に向かいます。駅前から駅舎を撮影しようと思いますが、駅前広場が狭くて撮影不能。通りを少し進んだところから駅の建物を撮影しますが、全景は見通せません。ガラス張りの綺麗な駅です。


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美術館へは駅前のシュタットハウス通りStadthausstrasseをまっすぐ進んでいきます。綺麗な街並みです。ただ、通りに駐輪している自転車の量は半端なものじゃありません。整然とした駐輪ではありますけどね。


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通りを進むと、すぐに大きな並木のある市立公園(Stadtgarten)が見えてきます。ここに美術館がある筈です。


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市立公園の中に建つ立派な建物がオスカー・ラインハルト美術館Museum Oskar Reinhartです。この街に生まれた大富豪オスカー・ラインハルトが自身のコレクションをスイスに寄贈したことでできた美術館です。


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市立公園の緑がとっても綺麗です。


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美術館の建物の正面の左手には、綺麗な噴水が付属しています。噴水文化のスイスらしいですね。


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市立公園の広場の中央にも彫像が建っています。いい雰囲気です。


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美術館の正面に来ました。残念ながら、オープンまでちょっと時間があるので、扉は固く閉じています。


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今朝のホテルは朝食付きでなかったので、カフェで朝食としましょう。お店を探します。シュタットハウス通りを進むと、リンド通りLindstrasseにぶつかります。通り沿いに立派な建物があります。市立公会堂(Stadthaus)です。


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ここから右の方に折れて進みます。立派な建物が並んでいます。


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オランダ、ドイツと巡ってきましたが、朝はパン屋さんしか開いていなくて、ゆっくり朝食を食べることができませんでした(パン屋のお店にちょっとした椅子が置いてあるところもあります)。ここはどうかしらと思いながら見渡すと、オープンテラスで朝食を食べている人がいます。この店にしましょう。


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かなり賑わっているお店です。ホテルのようなアメリカンスタイル(バイキング)の朝食メニューもあります。


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でも、結局は大きいパン屋さんという感じで、調理をして出してくれるレストランタイプではありません。カウンターで飲み物と軽食を注文します。


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素敵なカフェという感じで、オープンテラスで気持ち良く朝食を頂きます。


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テラス席の前は広い通りで、清々しい朝食になりました。


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通りの先には大きな建物が見えます。市庁舎でしょうか?


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目の前に巨大なトラックが停まりました。これは郵便局のトラックのようです。日本では郵便局は赤と決まっていますが、こちらは黄色。面白いですね。


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ゆったりと朝食を食べているうちに、美術館オープンの時間になりました。


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これから、美術館に向かいます。

ヴィンタートゥールの街を歩いたルートを地図で確認しておきましょう。


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ラインの旅:スイス編~ヴィンタートゥールのオスカー・ラインハルト美術館は少し、がっかり・・・

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/2回目

ゆったりと朝食をいただいているうちに、美術館のオープン時間(10時)になりました。さあ、美術館に行きましょう。この美術館は、この街の大富豪オスカー・ラインハルトが集めたコレクションを、彼の邸宅に飾ったプライベートな美術館です。


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建物に入ると、ロビーは実に豪壮な空間になっています。これが右手。大きな壁画があります。


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左手も同様です。ロビーは人気もなく、がらーんとしています。


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ロビー正面は広々とした階段になっています。この階段を上がると展示室に行けるようです。


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その前にチケットを購入しないといけませんね。


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この美術館の作品のほとんどがスイス絵画で、アンカー(配偶者の評価良し)、ホドラーあたりが見ものです。スイス絵画以外では、フリードリヒに期待です。
何枚か、ご紹介しましょう。

まず、アンカーです。シャフハウゼンでのアンカー展は見逃しましたが、ここにもアンカーの名品がありました。
これは《編み物をする少女》です。1892年、アンカー、61歳のときの作品です。少女の表情が可愛いですね。


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これは《画家の娘、ルイーズ》です。1874年、アンカー、43歳のときの作品です。この題名にある画家とはアンカー自身、モデルの綺麗な少女は彼の娘ルイーズです。


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これは《学用品を持つ少年》です。1881年、アンカー、50歳のときの作品です。得意の少女の絵だけではなく、少年を描かせても上手いですね。


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次はホドラーです。それほどホドラーらしい絵はありませんでした。
これは《シャンペリー近くのデンツ・ブランチズ》です。1916年、ホドラー、63歳のときの作品です。風景画を描かせても、さすがホドラーです。


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次はフリードリヒです。なかなか素晴らしい絵がありました。
これは《リューゲン島の白亜の断崖》です。1818年、フリードリヒ、44歳のときの傑作です。この美術館での一番の作品です。幻想と幽玄の素晴らしい作品に見入ってしまいました。お得意の登場人物の背後からの視点で描かれているので、見ているこちらも絵の中に入り込んで、一緒に断崖の下を覗き込んでいる気持ちになります。


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これは《月光の港》です。1811年、フリードリヒ、37歳のときの作品です。海辺、月光というのも、フリードリヒのお得意のもの。《リューゲン島の白亜の断崖》には及びませんが、これも素晴らしい作品です。ベルリン、ドレスデン以外で、このようなフリードリヒのコレクションがあるのは驚きです。


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フリードリヒのコレクションを除くと、全体として期待には程遠い内容で残念でした。レマーホルツの分館の方がよかったのではないかと後悔しています。そちらには、フランドル絵画、印象派の絵画があるようです。昨日の月曜日は美術館は休館だったので、わざわざ今日の日程に組み込んだのに、それほどの価値がなくて残念です。ま、行ってみないと分からないことなので、こういうこともありますよね。素晴らしいフリードリヒの《リューゲン島の白亜の断崖》を見たので、よしとしましょう。

美術館を出ると、市立公園の緑が目に沁みます。芽吹きかけた大木も見事です。


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公園の奥には、児童遊園も見えます。ここは市民の憩いの場のようです。


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美術館を後に、駅に戻ります。


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駅近くにキャッシュディスペンサーがあったので、使い過ぎて不足気味のスイスフランをクレジットカードでキャッシングします。まだ、ほぼ1日スイスに滞在しますので、心細い思いはしたくありません。


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ようやく、ヴィンタートゥール駅の全景を目にすることができました。立派な駅ですね。


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一旦チューリッヒに戻り、バーゼルに移動します。
チューリッヒに向かう電車の車窓には緑の畑が広がっていて、美しいです。


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チューリッヒの駅からバーゼルに向かいます。


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ラインの旅:スイス編~チューリッヒ経由でバーゼルへ

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/3回目

ヴィンタートゥールからチューリッヒに電車で移動。駅のショッピングモールに向かいます。実にショップが充実しています。


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このショッピングモールにはスーパーが入っていて便利です。温かいテイクアウトやお惣菜が買えます。多くの人で賑わっています。


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お寿司を発見。久しぶりのご対面です。旅のお供のお弁当にしましょう。


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ホームに向かいます。


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ホームは大勢の人が行き交っています。バーゼル行の電車はあと10分ほどで出発です。急いで、出発ホームを探します。


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チケットは既にネットで割引チケット(Supersaver Ticket)を購入済です。


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電車は既に9番ホームに入線しています。指定なしなので、急いで乗り込みましょう。


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あれっ、この電車には食堂車が付いています。もう、お寿司を買っちゃった・・・。


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ともあれ、ちゃんと2階席を確保できました、


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バーゼルまでは、インターシティ(IC)で1時間の旅です。
日本でもお馴染みのオランジーナもゲットしました。saraiの好物なんです。


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選んだお寿司は、SUSHI NIGIRI CLASSICとSUSHI SNACKです。


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中身はこんな感じ。美味しそうでしょう。


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お寿司を食べているうちに、電車はチューリッヒを離れていきました。車窓には長閑な田園風景が広がっています。


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バーゼルに近づくにつれて、電車は美しい緑の草原の中を走ります。スイスらしい綺麗な自然です。


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やがて、バーゼルBaselに到着。バーゼルは2度目の訪問です。バーゼルはライン川河畔の街です。ライン川全体図で確認しておきましょう。


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予約したホテルは、駅を出ると真ん前に見えます。歩いて10mです! 配偶者、嬉しそう・・・。
このホテルはHotel Victoria, Baselです。早速、チェックイン。


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ロビーの中央には、とても立派な円形ソファー。


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ロビーには、果物とジュースも置いてあります。サービスいいですね。


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部屋にはいると、大きなベッドがお出迎え。ゆったりと休めそうです。


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部屋は広く、清潔。デスクも使いやすそうです。


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事前にEメールで依頼しておいた通り、大きなバスタブがあります。


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夜はオペラ鑑賞なので、まずはここで休息したいところですが、わざわざバーゼルに寄った目的はバーゼル市立美術館でsaraiの最愛の絵画、ココシュカ《風の花嫁》に再会することです。スイスに来て、この最愛の絵画を見ずにはいられません。いざ、出かけましょう。


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ラインの旅:スイス編~ココシュカの《風の花嫁》に感動の再会@バーゼル市立美術館

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/4回目

バーゼルのホテルは駅の真ん前。部屋の窓からは、すぐそこにバーゼル駅が見えています。


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部屋の真下には、駅前のトラム乗り場が見えています。


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部屋に荷物をおいて、バーゼル市立美術館に駆けつけましょう。チェックインの際に、市内交通の1日乗り放題のチケットを渡されたので(プレゼント!)、すぐにトラムに乗れます。


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ホテル前のトラム乗り場に向かいます。振り返って、ホテル(Hotel Victoria, Basel)の建物を見ます。残念ながら、地味な建物です。saraiの基準からすると、大枚をはたいて宿泊している高級ホテルなんですよ。


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目の前にはバーゼル中央駅。この駅はスイス国鉄(SBB)駅です。隣接して、フランス国鉄駅もあります。ライン川を越えたところには、ドイツ国鉄(DB)駅もあります。バーゼルは3国の国境近くの街なんです。


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ホテルでもらった市内地図では、2番のトラムで2つ目Kunstmuseumがバーゼル市立美術館の最寄の停留所。


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2番のトラムはすぐにやってきて、最寄りの停留所にすぐ到着しました。目の前に、美術館の建物があります。


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地図でトラム移動ルートを確認しておきましょう。


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美術館に入ると、そこは中庭になっています。


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いくつかの彫刻が置いてあります。これはロダンのカレーの市民、お馴染みの作品です。


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建物に入ります。入り口の大きなガラス窓のモザイク風のアート作品が出迎えてくれます。


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窓口で入館チケットを購入。1人21スイスフランです。


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館内案内パンフレットもゲット。


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とるものもとりあえず、ココシュカの《風の花嫁》に再会します。以前と展示場所が変わっていてちょっと迷いましたが、美術館のスタッフから場所を教えてもらい急行します。以前は2階の突き当りの部屋に飾ってありましたが、1階の入り口そばに移動したようで、2階から1階に戻ります。ありました・・・広い部屋の中央に飾ってあります。


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《風の花嫁》に対峙し、深く感動します。saraiにとって、この絵は世界最高の名画です。深い青を基調にした大きな絵です。アルプスの風景を背景に、ココシュカ自身を描いた男性像は自分の内面を見つめるか如く黙想しており、そして、彼にそっと寄り添う美しい女性:アルマは目を閉じています。この絵が描かれたときには、アルマ・マーラー(マーラー未亡人)は既にココシュカのもとを去っており、この絵に登場するアルマはココシュカの忘れがたい思いが想像した産物でしかありません。でも、それだけに、この絵画はココシュカの深い感情に覆われて、愛の挫折、悲しみ、捨てがたい慕情、すべてがないまぜになって、saraiの心を強く打ちます。時の経つのを忘れて、《風の花嫁》に見入ってしまいました。この1枚を見るだけでも、何度も再訪したい美術館です。ナチスに退廃芸術とみなされ、処分されかねないところを、バーゼル市民が救った絵画です。本当にバーゼル市民には感謝したいし、尊敬の念も禁じ得ません。この絵は、ココシュカの熱い思いを示すかのように、絵具が厚塗りされて盛り上がっています。しかもとても大きな絵画です。したがって、この絵を館外に持ち出すのは不可能で、いわば門外不出の絵画です。この絵を鑑賞するためには、バーゼルを訪れるしか、手段がありません。そして、その価値は十分あり、訪れる人は必ず報われます。

人もまばらな部屋で、saraiと配偶者はこの《風の花嫁》を独占するという贅沢を味わっていました。この絵を見ただけで、バーゼルを訪れた目的は達しました。しかし、一応、美術館をぐるっと回ってきましょう。これから、この美術館の素晴らしいコレクションをご紹介します。


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ラインの旅:スイス編~珠玉のコレクション、その1@バーゼル市立美術館

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/5回目

バーゼル市立美術館は、ヨーロッパ最古の公立美術館です。その歴史は1671年まで遡ります。バーゼルの富豪アマーバッハ家のコレクションをバーゼル市が購入したのがその始まりです。その後、第2次世界大戦中に市民の募金などでナチスから、ココシュカの《風の花嫁》を救い出すために購入しました。バーゼル市立美術館には、この《風の花嫁》以外にも、ナチスの退廃芸術から救い出した名画の数々があり、こんな見応えのある美術館はそうはありません。クレー、ミロなど、挙げたら、きりがありません。
今回から、そのバーゼル市立美術館の素晴らしいコレクションの数々をご紹介します。

まず、パウル・クレーです。ベルンでも素晴らしいクレーの名画を鑑賞しましたが、この美術館にも、クレーの名作があります。

《豊かな港(Rich Harbour)》です。1938年、クレー、59歳の作品です。ナチスの弾圧を受け、スイスに亡命後に描いたものです。ともかく、色彩、黒いライン、構図、すべてが圧倒的に素晴らしいです。


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《R荘(Villa R.)》です。1919年、クレー、40歳の作品です。クレーが第1次世界対戦に従軍し、除隊した後に描いたものです。この絵もナチスの退廃芸術から救い出された絵画のひとつです。円形の太陽と半円形の月、直線の建物と曲線の道という対立するものを描いています。しかし、それが緊張感を生むわけではなく、落ち着きのある雰囲気であることに驚かされます。大きく描かれたRの文字は特に意味はなく、構図の一部だそうです。


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次はホアン・ミロです。

《コンポジション》です。1925年、ミロ、32歳の作品です。ミロの作品の基本的な要素である点、線、平面が描かれています。構図も素晴らしいですが、色合いの美しさに感銘を受けます。


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次はフェルナン・レジェです。

《青色の中の女(Woman in Blue)》です。1912年、レジェ、31歳の作品です。レジェの作品のなかでも、抽象度の高い作品です。一目ではレジェの作品とは分かりません。


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《階段(The Staircase)》です。1914年、レジェ、33歳の作品です。これも結構、抽象度の高い作品です。


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《母と子(Mother and Child)》です。1922年、レジェ、41歳の作品です。これはレジェらしい、素晴らしい絵です。抽象と具象のほどよいバランス、そして、無表情の顔、すべてがレジェの特徴を示しており、構図と色彩が素晴らしいです。


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次はジョルジュ・ブラックです。

《風景(Landscape)》です。1908年、ブラック、26歳の作品です。この手の作品はピカソと切磋琢磨したものなのでしょう。saraiには、なかなか、ピカソの作品との判別が付きません。抑えた色彩と高度な抽象が心地よい作品です。


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《ヴァイオリンとピッチャー(Violin and Pitcher)》です。1909年~1910年、ブラック、27歳頃の作品です。これは傑作です。色調といい、ほどよい抽象感といい、素晴らしいです。ピカソに優るとも劣らないと言えます。


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次はシャイム・スーティンです。エコール・ド・パリの画家の一人です。

《ヴァイオリン、パンと魚のある静物(Still-life with Violin, Bread and Fish)》です。1922年、スーティン、29歳の作品です。さりげない静物画ですが、しっかりとスーティンの特徴が出ています。それにしても、ブラックと同じヴァイオリンを描いても、こんなに違いがあります。抽象、具象の違いよりも、対象の捉え方の違いが大きいと思います。


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次はエドヴァルド・ムンクです。

《Aasgaardstrandの田舎道(Country Road in Aasgaardstrand)》です。1901年、ムンク、38歳の作品です。これもムンクの特徴の出た絵です。手前に大きく、明瞭に描かれた少女と幾分、デフォルメされた背景の対照が見事です。画家の深層心理の中を覗き見ている感覚に陥ります。


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次はエゴン・シーレです。saraiお気に入りの画家ですが、ここにも1枚ありました。

《エーリッヒ・レーデラーの肖像(Portrait of Erich Lederer)》です。1912年~1913年、シーレ、22歳頃の作品です。エーリッヒ・レーデラーは、クリムトのパトロンであったレーデラー家の息子。レーデラー家は豪壮なウィーンの邸宅のほかにハンガリーのジェールにお酒の工場を持っていました。シーレは1912年のクリスマスから新年までをそのジェールで過ごしました。エーリッヒ・レーデラーは15歳の少年でしたが、その年齢にも関わらず、シーレの偉大な才能を見抜き、熱狂的なシーレのコレクターになったそうです。早熟の天才シーレとそのシーレの早熟なコレクターの組み合わせがこの絵画に結実したようです。少年の顔の表情が何とも素晴らしいではありませんか。


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次はマルク・シャガールです。

《牛売り(The Cattle-dealer)》です。1912年、シャガール、25歳の作品です。パリに出てきたシャガールは、前衛的な絵画を描き始めますが、絵の題材として、故郷をよく描きました。この絵はロシアの昔話を題材に、富裕な農民と貧しい農婦の姿を描いています。背景の黒、そして、赤い色調が印象的です。


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《黒と白のユダヤ人(Jew in Black. and White.)》です。1914年、シャガール、27歳の作品です。絵のタイトルの通り、黒と白の対比できりりと引き締まった画面構成です。


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次はアレクセイ・フォン・ヤウレンスキーです。青騎士の一人ですね。

《自画像(Self-portrait)》です。1911年、ヤウレンスキー、47歳の作品です。ベルンのクレーセンターでの《ヤウレンスキーとクレー》展で大量の作品を見たばかりです。そこでも、このような肖像画が一番、光彩を放っていました。この絵もヤウレンスキーらしい、いい絵です。


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次はエミール・ノルデです。ドイツ表現主義に近い作風ですが、どのグループにも属さず、独自の道を歩みました。

《フィギアとマスク(Figure and Mask)》です。1911年、ノルデ、44歳の作品です。これは人形と仮面を描いた静物画ですが、とてもそうは見えない、奇怪な絵画です。やはり、表現主義の作品と思えます。ちなみにノルデ自身は早期からのナチ党員でしたが、こういう作品を描いていたので、退廃芸術として、槍玉にあげられました。


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次はフランツ・マルクです。配偶者のお気に入りの画家。青騎士の代表選手でもあります。ミュンヘン時代のクレーの親友だった人です。

《冬のバイソン(Bison in Winter)》です。1913年、マルク、33歳の作品です。マルクらしく、自然と動物を描いています。白い雪を背景に赤いバイソンが印象的です。曲線と直線でデフォルメして描かれた山や樹木の抽象感が青騎士らしさを思い起こさせます。


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《動物の宿命(Fate of the Animals)》です。1913年、マルク、33歳の作品です。縦195センチ、横263センチの大作です。動物たちの死すべき運命を通して、戦争の残酷さを訴えているようです。そして、この絵を描いた3年後、この絵の通り、マルク自身が戦場で最期を迎えることになります。また、この絵も、マルクの死後、倉庫火災でダメージを受けます。特に絵の右側の部分は今でも損傷していることが分かります。しかし、焼け残った断片を集めて、クレーが親友の名画を見事に修復・再構成しました。写真などを参考にした大変な作業だったようです。クレーは戦争に倒れた親友マルクの死に大変、ショックを受けていたそうですから、この作品の再生にかける気持ちはとても強かったのでしょう。そして、この絵はさらに試練のときを迎えます。クレーの作品と同様に、ナチスから退廃芸術の烙印を押されます。この作品を救ったのがバーゼル市民です。そして、今、ここに安住の地を見出しています。《風の花嫁》と同様にバーゼル市民に救出された名画です。本当にバーゼル市民には、頭が下がります。
ピカソの《ゲルニカ》同様、戦争の悲惨さ・残酷さを体現した名画、しかもそれ自身が生き物のような名画です。マルクの精神に合掌!!


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バーゼル市立美術館の名画コレクションはまだまだ続きます。



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ラインの旅:スイス編~珠玉のコレクション、その2@バーゼル市立美術館

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/6回目

バーゼル市立美術館の素晴らしいコレクションの数々をご紹介しています。今回は2回目。

次はマックス・ベックマンです。ドイツ表現主義の画家です。彼もまた、ナチスに退廃芸術と烙印を押されました。

《フランクフルトのニース(The Nizza in Frankfurt am Main)》です。1921年、ベックマン、37歳の作品です。彼はフランクフルトの風景をこういう、くっきりしたタッチでよく描いています。フランクフルトのマイン河畔の北岸には、コートダジュールの地中海気候の植物が植えられています。そこはニース(ニッツァ)と呼ばれています。その風景を描いた絵画です。この絵画も退廃芸術として処分されるものをバーゼル市民が救い出しました。


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次はエルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーです。ドイツ表現主義の画家です。彼もまた、ナチスに退廃芸術と烙印を押され、そのショックから立ち直れず、ピストル自殺を遂げるという悲惨な末路を辿りました。

《Amselfluh》です。1922年、キルヒナー、42歳の作品です。山の風景を描いたものですが、空は緑色に塗られ、山はピンク色。風景も極度にデフォルメされています。山が波のように描かれています。彼の心の眼が捉えた自然の姿です。


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次はワシリー・カンディンスキーです。言わずと知れた抽象絵画の創始者です。

《即興35(Improvisation 35)》です。1914年、カンディンスキー、48歳の作品です。カンディンスキーは《即興》と題した作品を1909年から1914年にかけて、数多く制作しました。《即興》というのは心に無意識に浮かんだものを素早く描いたものです。この激しいタッチの描き方は後のアクションペインティングを先取りしたものだと言われています。


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次はピエト・モンドリアンです。カンディンスキーと並び立つ抽象絵画の創始者です。この旅の始めにデン・ハーグ市立美術館でモンドリアンの世界最大のコレクションを見たばかりです。そのときの記事はここです。

《赤と黒のコンポジションNo.Ⅰ(COMPOSITION NO.I, with Red and Black)》です。1929年、モンドリアン、57歳の作品です。このスタイルの抽象画を15年以上も描き続け、こういうシンプルなスタイルに到達しました。究極の1枚でしょう。この後には、もうブギウギ・シリーズしかありません。


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次はサルヴァドール・ダリです。

《燃えるキリン(The Burning Giraffe)》です。1936年~1937年、ダリ、32歳頃の作品です。ダリらしく、悪夢のような世界が描かれています。


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次はマックス・エルンストです。彼もダリと同じく、シュールレアリスト。

《大きな森(The Big Forest)》です。1927年、エルンスト、36歳の作品です。荒涼たる世界です。


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次はピエール=オーギュスト・ルノワールです。ここから、19世紀の画家のコーナーです。

《庭にいる婦人(Woman in a Garden)》です。1868年、ルノワール、27歳の作品です。女性を描かせたら、並ぶものなしですね。


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次はアルノルト・ベックリンです。スイス出身の象徴主義の画家です。バーゼル生まれですから、ここはベックリンのコレクションが充実しているのもうなづけます。そのコレクションの中でも、有名な《死の島》に再会するのを楽しみにしていました。

《死の島(The Island of the Dead)》です。1880年、ベックリン、53歳の作品です。この有名な作品は同様の構図で5枚も描かれました。ここにある作品はその中の最初の作品です。昨年、ベルリンの旧ナショナル・ギャラリーで、《死の島》の第3バージョンを見ました。ヒットラーの総統室に掛けられていたというものです。ナチスに嫌われた退廃芸術もあれば、好まれた作品もありました。ベルリンの《死の島》の第3バージョンの記事はここです。両者を比較すると、この第1作はとても暗い絵です。


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《オデュッセウスとカリプソ(Odysseus and Calypso)》です。1882年、ベックリン、55歳の作品です。《死の島》の2年後に描かれたことになります。《死の島》と同様にフィレンツェ滞在時の作品です。幻想的な絵です。


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《遊びに興じるネレイスたち(Nereids at Play)》です。1886年、ベックリン、59歳の作品です。何ともコメントできない絵です。彼の想像力にもびっくりしますが、何を表現しようとしているか、見当もつきません。ちなみにネレイスというのは海の精(女神)のことです。


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《パン(牧神)が山羊飼いを驚かす(Pan Startles a Goatherd)》です。1859年、ベックリン、32歳の作品です。これも超現実的なシテュエーションを描いた作品です。


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《ペスト(Pan Startles a Goatherd)》です。1898年、ベックリン、71歳の作品です。死の3年前の作品です。これはペストの猛威を描いたものですね。この時代もペストの危機がありました。


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次はフェルディナント・ホドラーです。スイスの画家です。

《The Niesen》です。1910年、ホドラー、57歳の作品です。山を描いた風景画。ヴィンタートゥールでも同様の作品を見ました。


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《無限との交わり(Communion with Infinity)》です。1892年、ホドラー、39歳の作品です。ホドラーのこの手の絵は好きです。何か感じるものがあります。


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《勇敢な女(Communion with Infinity)》です。1886年、ホドラー、33歳の作品です。比較的、初期の作品です。3年後には代表作《夜》を描きますが、その片鱗は見えるものの、この後、数年の飛躍は大変なものです。


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次はカミーユ・コローです。

《泉の近くのイタリアの少女(Italian Girl by a Fountain)》です。1865年~1870年、コロー、70歳頃の作品です。美しく、印象的な絵です。


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次はエドガー・ドガです。

《怪我を負った騎手(Injured Jockey)》です。1896年~1898年、ドガ、64歳頃の作品です。得意の馬の絵です。


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バーゼル市立美術館の名画コレクションはまだまだ続きます。



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ラインの旅:スイス編~珠玉のコレクション、その3@バーゼル市立美術館

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/7回目

バーゼル市立美術館の素晴らしいコレクションの数々をご紹介しています。今回は3回目。

次はオディロン・ルドンです。象徴主義に分類されることが多い画家です。厳密には、独自の作風を貫いた画家です。saraiが気になる画家の一人です。

《聖セバスティアン(Saint Sebastian)》です。1910年、ルドン、70歳の作品です。亡くなる6年前に描かれました。構図自体はよくある聖セバスティアンの絵と同じようなものですが、色合いや背景のぼかし方など、ルドンでないと描けない、素晴らしい作品に仕上がっています。


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次はフィンセント・ファン・ゴッホです。説明は不要ですね。saraiのもっとも愛する画家です。

《ピアノを弾くマルグリット・ガシェ(Marguerite Gachet at Piano)》です。1890年、ゴッホ、37歳の作品です。亡くなる前年に描かれました。オーヴェル・シュル・オワーズのガシェ医師の娘を描いたものです。オーヴェルの地で描いた作品はすべて、傑作です。この作品も人物の本質に切り込んでいます。


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《日本の木版画と自画像(Self-Portrait with Japanese Woodcut)》です。1887年、ゴッホ、34歳の作品です。


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次はポール・ゴーギャンです。

《ナフェア・ファア・イポイポ:いつ結婚するの?(NAFEA Faa ipoipo:When are you getting married?)》です。1892年、ゴーギャン、44歳の作品です。ゴーギャン最初のタヒチ滞在時に描かれた作品です。画面構成はドラクロワの《アルジェの女》に基づいていると言われています。


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《タ・マテテ:市場(Ta matete:The Market)》です。1892年、ゴーギャン、44歳の作品です。これもゴーギャン最初のタヒチ滞在時に描かれた作品です。画面構成は大英博物館にあるエジプトの壁画に基づいていると言われています。エジプトとタヒチのコラボとは、よくよくゴーギャンは非西欧文化に憧れていたんですね。


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次はポール・セザンヌです。

《5人の水浴する女(Five Bathers)》です。1885年、セザンヌ、46歳の作品です。水浴はセザンヌの重要なテーマです。この絵も構図、色彩の統一感、そして、何よりも質感が素晴らしいです。この作品なしにピカソの《アビニョンの娘たち》は生まれなかったでしょう。


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《レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山の眺め(View of Mount Sainte-Victoir from Lauves)》です。1904年~1906年、セザンヌ、67歳頃の最晩年の作品です。サント=ヴィクトワール山は南仏エクス・アン・プロヴァンス近くの山。セザンヌがとりつかれたように描き続けた山です。この作品ではまるで抽象画を思わせるように山と自然は要素に分解されています。しかも晩年のセザンヌのタッチの見事さは凄いとしか表現できません。saraiもこのセザンヌの描き続けたサント=ヴィクトワール山がどうしても見たくて、2年前にエクス・アン・プロヴァンスの街を訪れました。そのときの記事はここです。美しい山でした。


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《ワイングラスとリンゴ》です。1879年~1882年、セザンヌ、43歳頃の作品です。静物画はセザンヌの代名詞です。対象の質感の素晴らしい捉え方には、いつも感銘を受けます。


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次はアンリ・マティスです。

《牡蠣のある静物(Still-life with Oysters)》です。1940年、マティス、71歳の作品です。マティスでなければ、悪趣味とも思える色使いですが、これが何ともオシャレにおさまっているのがマティスの色彩魔術だと感じます。特に暖色系の色の使い方に驚かされます。


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《川の土手(The River-bank)》です。1907年、マティス、38歳の作品です。南仏の明るい陽光で描かれた風景画です。


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次はアンドレ・ドランです。フォーヴィズムを代表する画家です。

《春のワイン畑(Vineyard in Spring)》です。1904年~1905年、ドラン、25歳頃の作品です。この作品は彼の生まれたイヴリーヌ県シャトゥー(パリからも遠くないセーヌ河のほとり)で描かれました。この風景画は彼が尊敬するゴッホの影響を受けたものになっています。この絵もナチスの退廃芸術から救い出された絵画の1枚です。この美しい作品のどこが退廃芸術だというのでしょう・・・彼らの審美眼を疑うのみです。


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次はアンリ・ルソーです。素朴派を代表する画家です。

《詩人に霊感を与えるミューズ(The Muse Inspiring the Poet)》です。1909年、ルソー、65歳の作品です。ルソーはこの作品を描いた翌年、亡くなります。この作品の背景はルソーが得意とした密林の風景。モデルは詩人アポリネールとその恋人の画家マリー・ローランサンです。彼らとの長年の友情に感謝して、描いた作品です。素晴らしい傑作です。


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《沈みゆく太陽と森の風景(Forest Landscape with Setting Sun)》です。1910年、ルソー、66歳、最晩年の作品です。これは何の説明もいらない傑作です。実に見事!


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バーゼル市立美術館の名画コレクションはまだまだ続きます。



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ラインの旅:スイス編~珠玉のコレクション、その4@バーゼル市立美術館

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/8回目

バーゼル市立美術館の素晴らしいコレクションの数々をご紹介しています。今回は4回目。

バーゼル市立美術館と言えば、ホルバインのコレクションが最も有名です。次は15世紀、16世紀の展示室に移動します。階段を2階に上がって、すぐのところです。

ここから、ハンス・ホルバインの作品を見ていきます。ホルバインはこのバーゼルを活動の拠点にしていました。

《墓の中の死せるキリスト(The Body of the Dead Christ in the Tomb)》です。1521年、ホルバイン、24歳頃の作品です。一度見たら忘れられない強い印象を受けます。縦30センチ、横2メートルのほぼ等身大の大きさです。正視するのがためらわれるくらい、迫真の迫力があります。


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《エラスムスの肖像(Portrait of Desiderius Erasmus)》です。1523年、ホルバイン、26歳頃の作品です。教会の堕落を批判したオランダ生まれのエラスムスはホルバインと同時期にバーゼルに滞在していました。肖像画家ホルバインはエラスムスの肖像を数点、描いています。


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《コリントの遊女ライス(Lais of Corinth)》です。1526年、ホルバイン、29歳頃の作品です。コリントはギリシャの都市ですが、古代ローマでは、コリントは著名な娼婦が多いことが知られており、中でもライスは憧れの存在でした。絵に描かれている金貨は、大枚を支払わないとライスを我が物にできないということを示しています。それにしても、美しい女性ですね。実はこのモデルは画家の愛人だと言われています。


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《キリストの埋葬(The Entombment)》です。1524年~1525年、ホルバイン、28歳頃の作品です。


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《ホルバインの妻と2人の子供(Portrait of the Artist's Wife and her Two Eldest Children)》です。1528年~1529年、ホルバイン、32歳頃の作品です。1526年、ホルバインはエラスムスの紹介で、トマス・モアを頼ってロンドンへ渡ります。1528年いったんバーゼルに戻りますが、1532年には再びロンドンへ渡ります。その後はヘンリー8世のもと、宮廷画家として、活躍することになります。この作品は1528年にバーゼルに戻った際に、1520年頃に結婚した妻エルスベトと長男、長女を描いたものです。1542年に生活費を得るために妻によって、この絵は売却されます。新しい持ち主はこの絵から、人物のみを切り抜いて、菩提樹の板に貼り付けました。現在の作品の姿はその状態です。子供たちの視線を追うと、画面の右側のほうを見ていることから、本来はそこにホルバイン自身も登場する家族の肖像画であったようです。右側のホルバインの肖像はその後、どうなったんでしょう。


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《ボニファチウス・アメルバッハの肖像(Portrait of Bomifacius Amerbach)》です。1519年、ホルバイン、22歳頃の作品です。エラスムスと親交の深かった人文学者のボニファチウス・アメルバッハの肖像画です。


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《アンナ・マイアーの肖像(Portrait of Anna Meyer)》です。1526年、ホルバイン、29歳頃の作品です。1526年に《バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母》が描かれますが、その絵画中に描く人物のモデルとして、バーゼル市長ヤーコプ・マイアー、彼の妻ドロテア・マイアー、その娘アンナ・マイアーの3人の肖像スケッチを描きました。この絵はその1枚です。saraiの趣味では、《バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母》に描かれたアンナよりも、この肖像画のアンナのほうが魅力的に感じます。


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次はコンラート・ヴィッツ(Konrad Witz)です。15世紀前半にバーゼルで活躍したドイツ人の画家です。

《黄金門でのヨアキムとアンナ(Joachim and Anna by the Golden Gate)》です。1440年、ヴィッツ、40歳の作品です。ヨアキムとアンナは聖母マリアの両親。20年間、彼らには子供ができませんでしたが、ヨアキムが子を授かることを念じて断食をしていたところ、天使から、妻アンナが身ごもったことを告げられます。急ぎ、エルサレムの寺院に向かい、受胎したアンナと黄金門の前で再会します。この絵はその場面を描いたものです。もちろん、このとき生まれたのが聖母マリアです。この絵は『聖母の祭壇画』の一部で、残りの部分はニュルンベルグとストラスブールにあるそうです。


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《ダビデの前のアビシャイ(Abi'shai before David)》です。1435年、ヴィッツ、35歳の作品です。この絵は『ハイルスピーゲルの祭壇画(人間救済の鑑の祭壇画)』の翼部の一部です。甲冑や布地の質感が素晴らしく描かれています。


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《シャベタイとベナヤ(Sib'becai and Benai'ab)》です。1435年、ヴィッツ、35歳の作品です。この絵は『ハイルスピーゲルの祭壇画(人間救済の鑑の祭壇画)』の翼部の一部です。この絵の題材も上記の絵と同じく、旧約聖書の「サムエル記」に登場するイスラエルの王ダビデに仕える勇士たちを描いたものです。


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次はマルティン・ショーンガウアー(Martin Schongauer)です。15世紀後半に活躍したドイツ人の画家です。

《室内の聖母子》です。1480年、ショーンガウアー、30歳頃の作品です。フランドル風の精緻な描き方が素晴らしいです。


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次はルーカス・クラナッハです。

《一切れのパンと聖母子》です。1529年、クラナッハ、57歳の作品です。とても美しいです。さすが女性を描かせたら、クラナッハは最高です。


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《パリスの審判(The Judgement of Paris)》です。1528年、クラナッハ、56歳の作品です。相変わらず、女性の裸体画は見事です。


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次はマティアス・グリューネヴァルトです。『イーゼンハイム祭壇画』の作者として、高名な16世紀に活動したドイツの画家です。

《キリストの磔刑(Crucifixion)》です。1505年、グリューネヴァルト、25歳頃の作品です。凄絶な絵です。とても痛々しく感じます。人類の罪を一身に背負ったというイメージです。


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バーゼル市立美術館の名画コレクション、常設展はこれくらいにしましょう。次はこのときに開催されていたピカソ展に触れます。


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ラインの旅:スイス編~ピカソ展@バーゼル市立美術館も見終わり、《風の花嫁》に告別

2013年4月16日火曜日@スイス・チューリッヒ~ヴィンタートゥール~バーゼル/9回目

バーゼル市立美術館で開催中のピカソ展を見てみます。膨大なピカソの作品が展示されています。それも優れた作品ばかりです。ここでは、このバーゼル市立美術館の所蔵作品だけをご紹介します。いつもは常設展示している作品です。

《アフィショナード:熱狂(The Aficionado(The Torredo))》です。1912年、ピカソ、31歳の作品です。これは素晴らしい絵です。ブラックの同系統の絵画とも似ていますが、シャープに感じます。


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《二人の兄弟(The Two Brothers)》です。1906年、ピカソ、25歳の作品です。スペインの山村ゴソルで描かれました。いわゆる「薔薇色の時代」の作品です。


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《テーブルの上のパンと果物の皿(Bread and Fruit Dish on a Table)》です。1908年~1909年、ピカソ、28歳頃の作品です。セザンヌの静物画も多視点の技法で描かれましたが、さらにそれをキュービズムに発展させていく過程の静物画に思えます。


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《座るアルルカン:画家サルバドーの肖像(Seated Harlequin)》です。1923年、ピカソ、42歳の作品です。ピカソはたびたび作風を変えていますが、この作品は1910年代後半から古典的表現に回帰した際のものです。アルルカンはイタリア喜劇の道化役ですが、ピカソも初期によく取り上げた題材でした。そして、ロシア・バレエ団(ディアギレフが主宰した団体で、ストラヴィンスキーの音楽でも知られています)の装飾を手がけてから(1919年の《三角帽子》や1920年の《プルチネルラ》が有名です)、ふたたび、このアルルカンの題材を多く取り上げるようになりました。初期のアルルカンはかげりを帯びていましたが、この時代は客観的な表現で描かれています。


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《セーヌ川河畔の女性たち:クールベにちなんで(Women on the Banks of the Seine(After Courbet))》です。1950年、ピカソ、69歳の作品です。ピカソは滞在していた南仏のヴァロリスでクールベの《セーヌ川河畔の女性たち(Women on the Banks of the Seine)》(1856年の作品)の複製画を見ます。この絵にインスピレーションを得て描いたのがこの作品です。構図はクールベの写実的な絵とまったく同じで、それをキュービズムで書き換えた腕前には驚嘆します。クールベの原画はここをクリックしてください。


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これでピカソ展も見終わり、バーゼル市立美術館の鑑賞は完了。
とりわけ、ホルバインのコレクションは充実し、《死せるキリスト》の迫力、そして、ベックリンのコレクション中、《死の島》は白眉です。ピカソのコレクションも素晴らしく、さらに開催中のピカソ展で、この美術館のコレクション以外の名画の数々も見られました。この美術館にいると、時を忘れてしまい、夜のオペラに備えるお昼寝は時間的に無理になってしまいました。しかし、それも後悔はありません。最後にもういちど、じっくりとココシュカの《風の花嫁》を鑑賞し直し、後ろ髪を引かれる思いで美術館を後にしました。最愛の恋人と別れるような寂しさです。


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美術館の横にはライン川が流れています。ライン川の旅の付録として、バーゼルの立派で美しいライン川を見ていきましょう。
ヴェットシュタイン橋Wettsteinbrückeの上からのライン川の眺めです。


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川の左側の岸辺には、バーゼルの大聖堂Basler Münsterの尖塔も見えています。


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前回の旅で乗ったライン川の渡しの小舟も、未だ健在で動いています。これで本当にライン川に別れを告げました。

この小散策を地図で確認しておきましょう。


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トラムに乗ってバーゼル駅に戻ります。この駅にもスーパーがあります。美味しそうなシュパーゲルも置いてあります。


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夕食用に暖かいお惣菜を用意しましょう。オペラ鑑賞後のワインのおつまみも調達です。
駅前のホテルに戻ります。駅前のホテルは便利です。


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ホテルで、軽く腹ごしらえをします。


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これはオペラ鑑賞後のワインのおつまみです。


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正装に着替えてバーゼル歌劇場に向かいます。トラムに乗って、すぐに到着。
トラムの6番か8番でBasel Theaterの停留所まで行きます。ルートを確認しておきましょう。


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バーゼル歌劇場は現代的な建物です。


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歌劇場の入り口は広い階段を上ったところです。


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入り口の正面に出ました。電光掲示板には、今日の公演《イドメネオ》が大きく表示されています。


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これが建物の内部です。内部も現代的な空間になっています。


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モーツァルトのオペラ《イドメネオ》を堪能しました。その詳細はここです。

ホテルに戻り、気持ちよく聴けたオペラの余韻に浸りながらワインを楽しみました。

明日はウィーンに移動します。観光モードは今日でおしまい。明日からは音楽三昧の日々が続きます。


次回を読む:14日目:バーゼル~チューリッヒ~ウィーン

前回を読む:12日目-2:シュタイン・アム・ライン~ラインの滝




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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
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10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

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じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
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これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
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07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
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07/08 15:53 じじい@

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久々のコメント、ありがとうございます。
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06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

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