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ローマの最後はアッピア街道:アッピア街道の石畳を往く

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/1回目

旅は6日目です。

さて、今日はアッピア街道Via Appiaに出かけることにします。

昨日は順調にカラヴァッジョやベルニーニを楽しむことが出きて、今日の予定は何もなくなってしまったんです。
昨夜、配偶者と二人で、ナポリに出発するまでローマで何をしようかという相談になり、saraiはアッピア街道に行ってみたいと提案。アッピア街道については予定外で何の資料もありません。saraiがブログを書いている横で、配偶者はベッドに寝転びながら観光案内書を読んでいますが、結構面倒そうです。だって街道を見ると言ってもね・・・と悩んでいるうちに配偶者はグーグームニャムニャ・・・。

今朝、配偶者が目を覚ました時、saraiはまだまだグッスリ。それではと、配偶者がアッピア街道についてネットで調べると、あるもんですねーって感じだったそうです。見つけたのは、アッピア街道を歩いた人の詳しいブログ記事。それを聞いてsaraiも起き出し、電車やバスの路線を調べたり、夢中でメモを取ります。旅先ではプリンターに印刷できませんからね。急な企画にsaraiがバタバタ準備をしている間に、配偶者は急いで出発の準備をしてくれます。まさに2人三脚の態です。今日は午後の列車でナポリに移動するので、荷物をまとめて部屋をチェックアウトしないといけないんです。

アッピア街道遠征の準備も出来、荷物をホテルに預けて出かけます。
とりあえず、テルミニ駅Terminiのツーリスト・インフォメーションでアッピア街道に関する資料をもらっておきましょう。ツーリスト・インフォメーションに行くと、ローマパスは売り切れの表示が出てます。売り切れになるんですね。3日前にはここで買えたのにね。


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ローマパスはもう関係ないので、アッピア街道について聞くと、それ自体の資料はないとのあっさりしたお答です。やっぱりね・・・。それでもアッピア街道付近までのおおよその地図をいただきます。肝心のアッピア街道はほとんど記載がないので、自分で調べた範囲内の知識で行ってみるしかありませんね。

まずは、テルミニ駅から地下鉄B線でチルコ・マッシモ駅Circo Massimoに移動です。そこからアッピア街道近くを通る118番のバスに乗り換えます。チルコ・マッシモ駅の目の前にはローマ遺跡が広がります。


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カラカラ浴場Terme di Caracallaでしょうか(後で調べると、古代ローマ時代のキルクス(戦車競技場)跡でした。イタリア語では、チルコ・マッシモCirco Massimoと呼ばれています。)。何となく同じ方向に行きそうな人たちと遺跡を眺めながらバスを待ちますが、なかなか来ません。時間に余裕はないのにね。タクシーにしようかと思った頃、バスが来ます。バスに乗ると、走り出したバスはすぐに通りを右に折れて、見事な笠松の並木の道を走ります。


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バスは元気よく、遺跡の間を走っていきます。右手に見えるのがどうも本当のカラカラ浴場Terme di Caracallaのようです。


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ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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そのうちに、ガタガタと激しい振動です。お~、アッピア街道を思わせる石畳の上を走っています。が、実際はまだ、ポルタ・サン・セバスティアーノ通りVia di Porta San Sebastianoです。アッピア街道に続く道ですね。


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何だかそれらしい街道を走っていくと、城門(サン・セバスティアーノ門Porta San Sebastiano)をくぐります。古代ローマ時代の城壁であるアウレリアヌス城壁Mura aurelianeに設けられた最大の城門です。アッピア街道に通じる城門なので、古代ローマ時代にはアッピア門と呼ばれていたそうです。現在、この城門は城壁博物館Museo delle Muraになっています。


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ここからは城壁の外になります。いよいよ、ここからは古代アッピア街道が始まるんでしょうか。ローマ時代に隠れていたキリスト教徒たちのお墓(カタコンベCatacombe)があるのは、この辺りですね。などと思っていると、バスが停車し、ごそごそと乗客が降り始めます。


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sarai達も慌ててバスを降り、先に下りた女の子にここがサン・カリストのカタコンベCatacombe di S.Callistoかと聞くと、I think so だって(苦笑)。古びた塀のアーチ形の入口をくぐると、カタコンベの案内図があります。みんなもその方向に向かいます。


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途中に観光バスの大駐車場があります。ここは大観光地のようですね。


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カタコンベへの道標があります。道標の下の丸い注意板は、聖なる場所なのでそれにふさわしくない服装への警告でしょうか?


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サン・カリストのカタコンベCatacombe di S.Callistoに着くと、配偶者はカタコンベには入らないとのこと。saraiも特に入りたいわけではありません。


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それではと先ほどバスを降りたところに戻り、そこから、いよいよアッピア街道歩きを始めます。道標がしっかりと立っています。心強いですね。古代アッピア街道Via Appia Anticaのチェチリア・メテッラの墓Mausoleo di Cecilia Metellaの方向を表示しています。


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ということは、やはり乗っていたバスは既に古代アッピア街道をずっと走っていたんですね。ただ、石畳といっても最近整備されたもののようで、路面には比較的小さな石が並べてあります。


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本当の古代アッピア街道はかなり大きな石が並べてあるはず。まあそれとて近年に補修したものでしょうけどね。

ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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いよいよ、アッピア街道を歩き始めます。


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ローマの最後はアッピア街道:上天気の下、街道を元気に散策

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/2回目

アッピア街道Via Appia Anticaを歩き始めます。間もなく、右手にサン・セバスティアーノ聖堂Basilica di San Sebastianoが見えてきます。


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この教会の脇にサン・セバスティアーノのカタコンベCatacombe di San Sebastianoがあるようですが、カタコンベはパスします。配偶者のお好みではありませんからね。道端には、こんな可愛い水飲み場があります。


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街道をさらに進むと今度は左手にマクセンティウスの競技場Villa di Massenzio跡とロムルスの廟Mausoleo di Romoloの門があります。


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マクセンティウスの競技場跡も外から見るだけで中に入るのはパスです。見るだけでも広々として綺麗ですね。


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だんだんとアッピア街道らしくなってきた道を進みます。とてもよい天気でピクニック気分です。


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道のまわりも草原になり、とても気持ちがいいです。


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道の左手にはチェチーリア・メテッラの墓Mausoleo di Cecilia Metellaがあります。


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チェチーリア・メテッラというのは、古代ローマの3頭政治でカエサル、ポンペイウスとともに一翼を担ったクラッススの息子の妻だそうです。さすがに重要人物の親族の墓は立派です。中も見学できるようですが、ここも外から見るだけでパスします。


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チェチーリア・メテッラの墓の向かいには、S.ニコラ教会Basilica di San Nicolaの廃墟があります。


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アッピア街道を示す立派な道標もあります。


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チェチーリア・メテッラの墓近くにはバス停もあります。アルケオバスArcheobusというアッピア街道を巡る小型の観光バス専用のバス停です。


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ローマ水道の名残りと思われるものもあります。雰囲気いいですね。


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チェチーリア・メテッラの墓を過ぎて、アッピア街道はさらに続きます。元気よく歩きましょう。


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ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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まだこの時点では、この先どんなトラブルが待っているか、saraiも配偶者も知る由もありません。


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ローマの最後はアッピア街道:古代の面影を残す街道は雰囲気たっぷり

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/3回目

チェチリア・メテッラの墓Mausoleo di Cecilia Metella辺りを過ぎると車の往来もほとんどなくなり、いよいよ古代アッピア街道Via Appia Anticaの面影が感じられます。石畳が大きな石となり石畳の凹凸が大きいため、車はがたがた走行を強いられ、とても走れないんです。これこそ古代アッピア街道の石畳なんでしょう。


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街道沿いに珍しく休憩所があります。この後はもうこのような施設はないようです。


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美しい門構えが見えます。名称のプレートを見ると、この近くにある史跡Capo di Bove(牛の頭)の名前が書かれています。


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すぐ先にその史跡Torre di Capo di Bove(牛の頭の塔)という石塔があります。


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この先はますます古代を偲ばせるアッピア街道です。どこまでもどこまでも真っ直ぐ続いています。


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街道の両脇には小高い側道があり、その横は低い石垣が連なり、その向こうは草原や森のようになっています。側道には点々と石塔やレリーフ、石棺、墓のようなものが並んでいます。
これはお墓でしょうか。


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こういうものが点々と続きます。

また、厳重に網で囲われたところがありましたが、これは軍用区域で立ち入り禁止の札がかかっています。


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この辺りの石畳も相当に古く、はっきりと分かる轍の跡が2筋続いています。戦車や荷車や馬車が通った跡でしょうね。


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また、大きなお墓と思われるものもあります。


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道端の側道寄りに咲く小さな草花が可愛いですね。これらを愛でながら、気持ちよく歩きます。


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街道の右側には男性の像があります。《英雄のレリーフ》Rilievo eroicoです。これはレプリカで、オリジナルはローマ国立博物館にあるそうです。


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これは《マルクス・セルヴィリウスの墓Sepolcro di Marcus Servilio Quarto》です。色々なタイプのお墓があります。


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この辺りはますます古代街道の雰囲気があります。つまり、まわりに何もない田舎道で、笠松や糸杉の並木道がひたすら真っ直ぐ続きます。


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目標のクインティリ荘Villa dei Quintiliを目指して、2人で元気よく歩きます。


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ローマの最後はアッピア街道:街道沿いはお墓だらけ

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/4回目

アッピア街道Via Appia Anticaの散策はまだまだ続きます。

アッピア街道沿いには驚くほどお墓が多く、それらがまた様々な形をしています。こうして道沿いのお墓ならお参りもしてもらえそうだし、現に現代の無関係なsarai達まで知らず知らずのうちにお墓参りしているわけで、ちゃんと意図通りの結果になっていますね。アッピア街道の散策って、まるでお墓参りのピクニックみたいなものです。
円形のお墓Mausoleo circolareです。


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珍しく民家があります。この辺りではこの1軒だけです。


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またまた、お墓。《Sextus Pompeus Justus一族の墓》です。


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また、お墓。《Hilarius Fuscusの墓》です。


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そして、笠松と糸杉の並木の続くアッピア街道がずっとまっすぐに伸びています。よくこんな道を作ったものだと先人の努力の跡に感心します。


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また、お墓。ちょっと変わった形で入口には最近のものらしい鉄柵があります。煉瓦造りの墓Colombario in laterizioです。


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《Tiberius Claudius Secondinusの墓》です。


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《Quintus Apuleiusの墓》です。


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《Rabiriusの墓》です。


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これもお墓と石塔Sepolcro c.d. del Frontespizioです。まだまだお墓が点々と続いています。


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バスを降りて歩き始めてから1時間半近く、ようやくはじめてアッピア街道が車の走る道と交差します。Erode Attico通りです。


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この交差点の角に、観光客向けの移動販売の車が店を開いていました。ホットドッグ、パンニーニなどの軽食や飲み物を販売しています。たいして通行人もいないので商売になるのかなとも思いますが、アッピア街道沿いにはお店などは1軒もないので助かる人もいるのでしょう。


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交差点を過ぎて、なおもどんどんアッピア街道を進みます。


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この辺りの地図を確認しておきましょう。


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もう目的地のクインテッリ荘Villa dei Quintiliも近い筈です。この後、大変なトラブルに見舞われることになります。


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ローマの最後はアッピア街道:道に迷って、万事休す!

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/5回目

アッピア街道Via Appia Anticaを2人で元気よく歩いていると、後ろから若い人たちが次々と自転車で追い越していきます。公園管理事務所で自転車を貸し出してくれるようです。写真を撮ってくれと言ってくる女の子のグループもあり、saraiは上機嫌で『ハイ、チーズ!』。
今日は素晴らしい青空で、ちょうど歩いていく方角に太陽があり眩しくて、とても暑いんです。上着を脱いで、腰にしばりつけます。なるべく側道の木陰を選んで歩きます。先に進むほどにだんだんと人の数も減ってきて、先程の車道を横切った後は人もまばらです。この辺りまで来る人はいないようですね。それでもなおかつ散策している人に出会うと挨拶を交わしながら、歩きます。「今日はお天気も最高だし、空気もいいし、車もいなくて素晴らしいね」とおじさんが話しかけてきたとたん、1台の車がゴトゴト走っていき、大笑いします。

大きな煉瓦遺跡Primo Monumento in Laterizioがあります。


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その隣には立派な邸宅の門Villa Appia Anticaがあります。こんなところに住んでいる人もいるんですね。


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邸宅の庭と思しきところでは、スプリンクラーで水を撒いています。お金持ちのお屋敷なんでしょう。


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この先で左に折れて、ローマ時代のクラウディア水道橋Aqua Claudiaに向かう予定なんです。注意深く分岐路を探しながら歩きます。すると、それらしい道がありましたが、どこにも通りの名前を示すものがありません。これではないようです。


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近くに小高い塚の上に崩れかけた石塔Tumulo dei Curiaziがあるので、もしものときの目印にしましょう。

2時間近くも歩き、ようやく目標のクインティリ荘Villa dei Quintiliに到着。広々とした草原に点々と廃墟があるだけのものでした。


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自転車で追い抜いていった若い人達もこのあたりにたむろしています。


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《クインティリ荘のニンフェオ》Ninfeo Villa dei Quintiliです。クインティリアヌス兄弟の別荘だったようです。中は見学できるようですが、もう時間もおしているのでパス。


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このクインティリ荘の辺りにアルケオバスのバス停があり、その手前から土の道を左に折れることにしています。バス停が見当たらないので先に進んでみます。アッピア街道はまだまだずっと続きます。


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しかし、クインティリ荘を過ぎて行けども行けどもバス停はありません。ずい分進んだところに整備した遺跡Casal Rotondoがあります。煉瓦の壁に古い装飾のかけらをパズルのように組み合わせているようです。


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その先にもかなり傷んだ大きな遺跡があります。


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そうこうするうちに、また大きな車道と交差している所にさしかかります。


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さらに、交差点のちょっと先まで行ってみましたがバス停はありません。クインティリ荘から20分近くも歩いてきているのです。変ですよね。さすがにバス停を探すのを断念。
アッピア街道はまだまだ真っ直ぐ続いていますが、周りは人気もない原っぱです。なす術もないので、元の道を戻ることにします。

ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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しかし、戻ると言っても、下車した元のバス停へは2時間以上もかかることになります。それではローマ・テルミニ駅からナポリまでのチケット購入済みの列車の発車時間(午後2時)には到底間に合いません。もう既に12時20分過ぎです。配偶者は列車に間に合わなくてもいいから落ち着いて歩きましょうと言ってくれますが、何とかしたいものです。先程のアッピア街道と交差していた車道を行くことも考えましたが、バスなどが走っている気配はありません。やはりアッピア街道を急ぎ足で戻るしかないですね。ようやくクインティリ荘まで戻ってきました。再確認しながら戻りますが、もちろんバス停は見当たりません。もしかしたら、バス停は撤去されたのかも知れませんね。気になるのは、このクインティリ荘から5分ほど戻ったところにある道しるべのまったくない横道(土の道)です。来るときにも気にはなりましたが、まったく道しるべがなかったので、そこを折れることは除外していました。しかし、事ここに至れば、もう失うものは何もないので、思い切ってその道に入ってみることにします。林の中の砂利道です。


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林の中の一本道をかなり進むと、羊が放牧されている所に出ます。


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ということは、人が住んでいるということですよね。なんだか嬉しいです。いざとなれば、誰かに道を尋ねることもできるかもしれません。
さて、この結末はどうなるでしょう。

現在地を地図で確認しておきましょう。(その時はもちろん、自分のいるところがどこかは分かっていませんでしたよ(笑い)。)


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ローマの最後はアッピア街道:最後の結末は・・・

2011年10月11日火曜日@ローマ~ナポリ/6回目

アッピア街道Via Appia Anticaの迷路から抜け出すべく、狭い未舗装道路を一心に進みます。だんだん人里の感じがしてきます。やがて、前方にテニスコートが見えてきます。


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さらに進むと遠くに街らしきものが見えだし、そのうちに目の前に車が往来する立派な道路。ヤッタ!
でも、もうこの時点で列車の時間までに1時間ほどになっています。駅に戻り、ホテルから荷物を持って列車に乗り込むのは微妙なところです。道の左右を急いで見渡すと、ガソリンスタンドが目に入ります。少なくとも何か相談はできそうです。さらになんと、そのガソリンスタンドのそばにバス停を発見!! それっ、急げ! 途中に大きな花屋さんがあり配偶者は恨めしそうですが、ここは花屋には目もくれずに急ぐしかありません。


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花屋さんの魅惑的な入口を足早に通り過ぎます。


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バス停の路線図を見ると、どうも逆方向がよさそうです。


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急遽道を横断し、向かいのバス停に移動。時刻表を見ると、どうやら来るときに乗ってきた118番のバスがまもなくやって来るようです。祈るような気持ちで、通りの向かいの花屋さんのガーデンを見ながら待ちます。


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と、さほどに待つことなくバスの姿が見えてきます! まさに救いの神を見る感じ。急いで乗り込んだバスは、やがてアッピア街道に入り、先ほど降りたカタコンベ・サン・カリストCatacombe di S.Callistoを通過。この後は来た時とほとんど同じルートを逆に戻っていきます。順調に走り、ようやくアウレリアヌス城壁Mura aurelianeまで戻ってきます。もう少しで着きます。急いでくれと念じるばかりです。

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ここまでのルートを地図で確認しておきましょう。


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遂に地下鉄チルコ・マッシモCirco Massimo駅前に到着。通りからは遺跡の発掘現場も見えていますが、とりあえず急ぎましょう。


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ここからはローマ・テルミニ駅まで地下鉄B線で3駅です。分刻みの勝負になってきます。急いで地下鉄の駅に降りて、入口でローマパスを出そうと、腰にまいた上着のポケットを探ると、ない!! どうやら、歩いているうちにポケットから滑り出したようです。エッ!、ということは、さっきのバスは結果的に無賃乗車だったことになりますね。地下鉄は入口で改札があるので無賃乗車はあり得ませんが、チケットを買わねばなりません。係の人にチケットの販売機の場所を聞くと、販売機はすぐ近くにあるので、何とかささっと1回乗車券を購入してホームへ。その間に電車は来なかったので、時間のロスはありません。電車はすぐにやってきて、スムーズにテルミニ駅に到着。ここからホテルはそれなりに距離がありますが、方向感はつかめているので地下通路を迷わずに進みます。駅の地上部分に出ると、ちょうどホテルへの道の真ん前です。この時点でようやく、予定の列車に間にあう確信を得ます。

ホテルに着くと、saraiが階段を駆け上がり、配偶者はエレベータに乗って、降りる手段を確保することに。涙ぐましい連携プレイです。saraiがエレベータまでスーツケース2つを引っ張っていくと、配偶者が既に待機中。あとは駅まで一直線。電光表示板で出発ホームを探します。ナポリ行は6番ホームです。急いで6番ホームに向かいますが、念のためもう一度電光表示板で確認すると、14時発の列車はサレルノ行で8番ホームです。先ほどのは到着分だったんでしょう。あぶない、あぶない。
改めて8番ホームに走ると、既にユーロスターAVは入線済。我々の乗る1等車の2号車はすぐそこなので、飛び乗ります。スーツケースを荷物置き場に積み上げて、席に行くと、今度はちゃんと窓際の2席は空いています。隣に若いアメリカ人女性が座っていたので通してもらい、ようやく目的の列車に着席。ようやくほっと一息です。時計を見ると、もう発車4分前。配偶者によると、この列車は予定よりも1分早く発車したそうですから、本当にぎりぎりでした。ふ~っ・・・。

ところで、隣りに座っているアメリカ人は横の2人席に座っているご両親との旅行のようで、ウィスコンシンの何とかという街から来たとのこと。途中から、日本人には説明が難しいと思ったらしく、広い意味でシカゴよって言い直していました。この女性は我々2人の写真を撮ってくれたりして、親切できさくな方です。この旅行の列車の旅のお供はアメリカ人と決まったようです。

列車は無事にsarai達を乗せて、テルミニ駅のホームを滑り出します。


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ここでようやく、朝出かける時に駅のパン屋さんで仕入れ、アッピア街道で食べるつもりだった昼食を食べることになりますが、saraiはくたびれて食欲もありません。配偶者はぱくぱく美味しそうに食べています。本当に豪胆な女性だと今更ながら感心します。


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ユーロスターAVは快調に走り、青空が綺麗な山間部にさしかかります。


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やがて、山間部も抜けて、ナポリに近づいてきます。


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もう10分ほどでナポリです。アッピア街道ではどうなるかと心底思いましたが、何とか無事にローマからナポリに移動できそうです。



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プロフィール

sarai

Author:sarai
首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
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ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
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07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
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 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

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