オーケストラコンサートはオール・ロシアン・プログラムとして、
・ムソルグスキー
・チャイコフスキー
・ショスタコーヴィチ
・ストラヴィンスキー
それぞれに絞った4回のコンサートプログラムになっています。
昨夜はそのうち、オール・ショスタコーヴィチの曲目のコンサートがサントリーホールであり、聴きに行ってきました。
実はこのコンサートはsaraiの予定にはなかったのですが、ピアニストのブロンフマンが新型インフルエンザで公演中止になったための振り替えで聴きに行くことになりました。
で、この公演でsaraiは今年のコンサート納めです。大晦日の恒例のみなとみらいホールのジルヴェスターコンサートは除いてですが。
このゲルギエフとマリインスキー劇場オーケストラによるショスタコーヴィチは以前、ミューザ川崎で有名な5番の交響曲を聴いて、正直なところ、期待を裏切られ、がっかりした覚えがあります。一言でいえば、なんとも、地味で退屈な演奏に思えたからです。
そもそも、CDを聴いてもゲルギエフの指揮は世間で評判になっているほど、感動したことがありません。
今回は振り替えがゲルギエフしかなかったので、とりあえず、ショスタコーヴィチを選んだってことで、そんなに期待しての公演ではなかったのです。
ところがです。
昨夜の演奏はこれぞショスタコーヴィチっていう素晴らしい演奏で、まさに本年を締めくくるのにふさわしいコンサートでした。
演奏曲目は以下です。
1.歌劇「鼻」より
2.交響曲第1番
3.ピアノ協奏曲第1番
(アンコール:ピアノソロ)シチェドリン:ユモレスク
4.交響曲第10番
最初の曲は打楽器だけの短くコンパクトな曲でコンサートの始まりにふさわしい感じ。なかなかいい。
続いて、交響曲第1番ですが、管楽器で新古典主義風で颯爽とした演奏が始まります。CDではよく聴きますが、ライブで聴くのは初めて。曲といい、演奏といい、非常に完成度が高く、思わず、聴き入ってしまいます。30分ほどの全4楽章、ショスタコーヴィチワールドにすっかり浸ってしまいました。特に第3楽章のうねるような旋律が弦楽器を中心に次第に高まって、また静まっていくのは一番の聴きどころでした。これはもっと演奏会で今後、ポピュラーな演目として、取り上げられるべきだなと感じました。オーケストラは特に弱音の弦楽器パートの美しさにうっとりとしました。金管の響きがもうひとつだったかも知れません。
ここでピアノを運び込んで、ステージの準備作業。オケの団員も邪魔になる人はいったん退場。
ピアノや椅子のセッティングも終わり、また、団員が入場。
えっ! 弦楽器奏者しかいないよ。
そうです。ピアノ協奏曲第1番はオケは弦楽器だけだったんですね。CDで聴いているときには全然気にならなかったのにね。
と、ピアノのデニス・マツーエフが拍手に迎えられて、はいってきました。
でも、指揮のゲルギエフのほかにもう一人います。手にトランペットを2本持っています。
この曲はピアノとトランペットと弦楽器のための協奏曲だったんですね。迂闊でした。
いよいよ、アップテンポでのりのよい感じで演奏が始まりました。第2楽章にはいり、静かなスローテンポの弦楽器の調べとそれに続くピアノ、まったく、素晴らしく美しい演奏です。まるで現代のショパンのピアノコンチェルトみたいなんて、変な感想を思ってしまうくらい凄く美しい。そして、終楽章はオケとピアノが激しいリズムで終局に突き進みます。まさにスリリングな演奏。ゲルギエフも例の指先をひらひらさせるような独特のしぐさでステージ上で踊っています。
会場はやんやの声援。これはめったにない超名演奏です。
この演奏だけでも今日、聴きにきてよかったという納得の演奏。
マツーエフというピアニストはsaraiの不明ながら、今日初めて名前を聴くピアニストでしたが、チャイコフスキーコンクールで優勝した人だったようです。大変な実力のピアニストでした。
ここで休憩。休憩後は今日のメインの交響曲第10番です。
沈痛な旋律で静かに演奏が始まります。この沈痛さは最後の4楽章まで続きます。胸の熱くなるような曲ではありません。ただ、不思議に心は揺さぶられます。次第に自分のなかで納得していきます。これがショスタコーヴィチであり、ショスタコーヴィチは自分の生きる時代をこのように感じ、それを表現したんでしょう。ああ、我々の生きる時代はこんな沈痛な時代だったのかと痛切に迫ってくるものがあります。12音技法も電子音楽も使っていませんが、ショスタコーヴィチはまぎれもなく、現代音楽の作曲家なんだと今更ながら感じました。
沈痛な曲も盛り上がっていきますが、その盛り上がりは悲痛さの極致みたいなものです。まさにこの沈痛な時代をそれでも生き抜いていかないといけない人間の定めを表現したかのようです。何かしら、力強さも感じ取れるのはある意味、救われる思いではありますね。大変、感銘を受ける演奏でした。
この曲は5番や7番ほど有名ではありませんが、間違いなく、彼の最高の作品と言えるでしょう。
恥ずかしながら、初めて、ゲルギエフの真価を感じ取ることができました。
ショスタコーヴィチだけでこれだけのコンサートを行えるとは、やはり、凄い指揮者です。
頭のなかで10番の終局部の響きが鳴りやまぬ中、帰途につきました。
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