既に会期半ば、これからは大変な混雑も予想されるので、平日ですが、年休を取って、出かけることにしました。
既にチケットは入手済。といっても、特別協賛のIDC大塚家具で買い物中にこの長谷川等伯展に興味を示したところ、対応してくれた女性がご厚意で後日、2人分の招待券を郵送してくれたわけで、まったくのタダ。感謝あるのみです。

さて、出かけるにあたり、作戦を練りました。以前、やはり同じ東京国立博物館で開催された雪舟の大回顧展もすごく混雑したことを思い出したからです。(そういえば、そのときも毎日新聞の無料招待券でした!)
で、朝1番で早めに入場し、混み合う前にゆっくりと鑑賞することにしました。
予定通り、上野駅に9時に着き、上野公園を東京国立博物館に急ぎます。開館は9時半です。東京国立博物館に着くと、既にもう並んでいる人たちがいますが、そう多くはありません。ざっと数えて30人ほど。やったね!
この後、続々と人が詰めかけてきました。

9時半少し前になると、係のかたの誘導で入場し、長谷川等伯展が開かれている平成館に向かいます。
いざ、入館です。
エスカレータで2階にあがり、いよいよ、鑑賞開始。
とりあえず、ざっと展示物に目を配りつつ、足を早めて、どんどん先に進みます。第1会場を通過し、第2会場に入ります。第2会場は水墨画の世界。
そこでも足を緩めることなく、先に進みます。
で、展示物の最後に達しました。
1番見たかった「松林図屏風」です。
流石に同じ考えの人たちが既に鑑賞中ですが、まだ、まばら。
すぐにこの屏風絵に見入ってしまいました。
何と深い絵なんでしょう。日本画の到達した最高峰と思います。
まずはお土産に買ったミニチュアの「松林図屏風」をご覧ください。

実物を見ると、右の屏風の激しい気迫、左の屏風の幽玄の世界、とても色のない水墨画と思えない内容のぎっしり詰まった等伯の渾身の屏風画です。
saraiは特に左の屏風の霧で霞んでしまった松の木のぼんやりした風景にすっかり魅せられました。
比べては申し訳けありませんが、ターナーの絵を連想してしまいました。
ターナーは風景を霞ませ、霧や光の大気を間接的に絵で表現しました。
モネもターナーに続いて、駅や教会などの対象物を描きつつ、光の変化を表現しようとしました。
等伯はそれよりもずっと前にこの松林図で霧に包まれた大気を屏風画に描き切っています。それも色のないモノクロームな世界。
京都・智積院の金碧画の国宝2点、楓図、松に秋草図屏風もこの回顧展に特別展示されています。この華麗な絵を描き、当時の全盛期にあった狩野派に対抗し、頂点に上り詰めた等伯。
しかし、等伯以上の才能と言われた長男の久蔵が若くして亡くなり、失意の等伯。
彼の最後に到達した厳しい孤高の境地がこの松林図です。
華麗な金碧画とはまったく異なる禁欲的ともいえる、色もなく、形も簡素で、限界ぎりぎりまで絞り込んだ表現です。逆にそこにこそ、深く広い精神世界が見えてきます。
不意に、昨年聴いたウィーン・フィルのコンサートのウェーベルンを思い出しました。このブログでもご紹介しましたね。
このウェーベルンの《9つの楽器のための協奏曲》も音楽的にぎりぎりまで表現を絞り込んだ深い内容の楽曲でした。
芸術のジャンルを超えて、芸術家が最後に到達する世界はそのようなものなのかも知れませんね。
深く静かな感動を胸に平成館を出ると、3月の暖かい日差しに包まれました。
この暖かい日差しの中、まだ、ぞくぞくと人が詰めかけていました。

敷地内では既に河津桜が満開。

とてもよい自分だけの休日を配偶者と分かち合えて、幸福な1日でした。
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