で、観客も減ったに違いないと思い、楽しみにしていたのだめカンタービレ最終楽章の後篇を昨日、見てきました。
若い優秀な音楽家が成長する姿を見守るのはsaraiも大好きです。
saraiもシュトレーゼマンの心境ですね。
実際、現実世界でも、自分の子供よりも若い世代のヒラリー・ハーン、庄司紗矢香、先日のパク・ソユン、上原彩子など、成長が楽しみな逸材が次々に登場し、活きのいい演奏をしてくれるのは、凄い楽しみになっています。
彼らがどう変貌し、熟成していくかをこれからも見届けていくつもりですが、これってとても贅沢な楽しみ以外の何者でもありませんね。
この映画もそういう現実と重ね合わせて観ていると、胸が熱くなりました。
ただ、音楽的には、正直、前篇のほうがよかったですね。前編はどちらかというと千秋のオーケストラ指揮が中心でしたが、今回はノダメのピアノ中心。
コミックスで読んで、思わず感動したノダメのシュトレーゼマン+ロンドン交響楽団とのデビューコンサートが後篇の山場だと期待していましたが、やはり、恐れていたようにラン・ランの演奏がイメージとあまりにも異なっていました。
コミックスでは、長大なオーケストラの前奏に続いてはいってくるピアノソロが異常に遅いテンポで、それでいながら、凄く音楽的な表現になっているということです。
これって、是非とも、saraiが聴いてみたい演奏そのものじゃないですか。
一体、どんな演奏なんだろう。型破りの個性的な演奏でいながら、音楽の本質をついているという、まさにsarai好みですね。
で、映画でそのシーンを楽しみにしていたら、まあ、ラン・ランらしい個性的な演奏ではありますが、ピアノの音のタッチの素晴らしさは認めるものの、音楽的に感動させてくれる演奏とは程遠いと感じました(ラン・ランのファンのかたにはごめんなさいね)。もちろん、テンポも普通だしね。
まあ、悪く言えば、元気のいいだけのショパンですね(ああ、言いきっちゃった・・・)。
先週の金曜日に聴いた上原彩子がピアノ表現を超えて、音楽表現を追求していた姿勢だったのが、saraiには、本当に音楽を愛するものにとって大切なことだと思います。ピアノは音楽を表現する手段であって、ピアノそのものが最終目的ではないと思うからです。
最後の盛り上がりになるはずのモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」も、ショパンのコンチェルトと同じように聴こえます。これもラン・ラン節。元気がよくて、跳ねまわるのが悪いとも思いませんが、やはり、モーツァルトの本質からは外してほしくないというのが、モーツァルトファンとしての気持です。
勝手なことを言わせてもらえば、この映画はピアノの部分だけを上原彩子の演奏に差し替えてもらえば、saraiはきっと、大感動するでしょう!!
ショパンでいえば、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでのベレゾフスキーの演奏のほうが個性的だが音楽的でずっとよかったと思います。
少し、書き過ぎですが、素人の勝手な偏向した意見と思い、お許しください。
なお、今回、4月に新しくできた上大岡のTOHOシネマズに初めて行きました。なかなか立派な設備で感心しました。
それに同じビルにヤマダ電機のLABI(横浜唯一)がはいっていて、便利です。
この日、オープン4日目でした。
思わず、新しい携帯を買ってしまうというオマケつきでした。
↓ saraiのブログを応援してくれるかたはポチっとクリックしてsaraiを元気づけてね
いいね!
