2度目のミラノ・スカラ座です。前回はまだオペラ初心者のようなもので天井桟敷とは言いませんが、上のほうのギャラリー席で、ステージからも遠い席でした。それに入口も中央の入口からは入れてもらえませんでした。脇のほうの入口からしか入れてもらえませんでした。今回は平土間。やっと堂々の中央の入口からの入場です。
まずはスカラ座の外観をご紹介しましょう。
次は内部です。席は前から5番目の中央。とてもよい席です。席につくと、液晶モニターがついています。ウィーン国立歌劇場と同様です。後で確認できましたが、イタリア語のほかに英語の字幕も出ます。便利になりましたね。
席からは豪華なスカラ座のギャラリー席が素晴らしい。
さて、今日は大好きなR・シュトラウスの楽劇《薔薇の騎士》です。モーツァルトのフィガロ、プッチーニのラ・ボエームと並んでsaraiの3大オペラです。昨年もチューリッヒ歌劇場でルネ・フレミングの元帥夫人で聴きました。来年4月のウィーンのガランチャがオクタヴィアンで出演する公演も何とか聴きたいと思っています。
今晩のキャスト以下です。
指揮:フィリップ・ヨルダン
演出:アレジャンドロ・スタッドラー(元演出:ヘルベルト・ヴェルニッケ))
元帥夫人:アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オックス男爵:ピーター・ローズ
オクタヴィアン:ジョイス・ディドナート
ファーニナル:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
ゾフィー:ジェーン・アーチバルド
歌手:マルセロ・アルバレス
なかなかの配役です。特に元帥夫人役のシュヴァンネヴィルムスとオクタヴィアン役のディドナートが期待です。また、歌手役がアルバレスというのも贅沢です。
指揮のヨルダンは多分、生で聴くのは初めて。なかなかいい男。前奏から切れのよい、丁寧な指揮ぶりです。スカラ座のオーケストラも弦といい、冒頭の金管といい、素晴らしい響きです。これだけの演奏はウィーンくらいでないと聴けないレベル。さすがです。
ところでヨルダンの指揮はなかなか派手ですが、第2幕のフィナーレあたりはカルロス・クライバーの指揮姿を彷彿とさせるというか、右手を後ろのしきりに置いて、左手だけで指揮する姿はクライバーのパクリともいえる感じ。鳴っている音楽はかなり違っていますが、ヨルダンの造形も分かりやすい音楽の作りになっていて、これはこれで結構です。時には芯のしっかりした骨太であったり、繊細さの極みであったり、室内楽的なピュアーな響きであったり、実にR・シュトラウスらしい多彩な響きを瞬時に切り替えていく指揮は今後の彼の指揮者としての将来を期待させるものです。
歌手のほうですが、シュヴァンネヴィルムスの第1幕後半の人生・愛の無常観を歌い上げる優雅でしっとりした歌唱は彼女の容姿と相まって、うーんとうならせられます。これだけ元帥夫人を歌えるのは素晴らしい。前回聴いたときは確かドレスデンのゼンパーオーパーの来日公演で代役だった記憶があり、そのため、最初から残念な気持ちで聴いていたので彼女の真価をはかり損ねていた気がします。
ディドナートですが、及第点ではあるもののちょっと物足りない感じです。もっと声が通ると印象が変わるかも知れません。時に声を張り上げるところはなかなか聴かせるんですけどね。
オックス男爵のピーター・ローズですが、開演前にイタリア語のアナウンスがあり、ピーター・ローズが何とかって言っていたので、もしかしたら代役だったかも知れません。彼を今まで見たことがないのでご本人だったかどうか、判断できません。ともあれ、まあまあの歌唱と演技でした。それほどアクの強い感じではなかったです。
ゾフィーですが、若いソプラノでまだまだこれからっていう感じで今一つ。時にいい面もあったんですが、満足っていう感じではないですね。
ところで出色だったのが歌手役のアルバレス。わざとオーバーなテノール歌手を演じますが、それが様になっているのが素晴らしい。さすがです。6月にメトロポリタンオペラの来日公演でフリットリのミミの相手役ロドルフォで聴いたばかりですが、ある意味、今夜のほうがよかったくらい。最初、アルバレスだと気が付かず、えらく凄いテノールだと思ったら、何の何のアルバレスだった次第。こんな役を歌わせるのももったいないですが、それがオペラ公演の水準を上げますね。
舞台ですが、後方に大きな鏡をずらっと並べ、時折、その面の角度を変えることで場面の印象を変えるというお洒落で斬新なもの。考えましたね。
第2幕の薔薇の騎士の登場する場面は大きな階段が中央奥からせりだして、その階段の上段にオクタヴィアンが立っているというこれまた新機軸。ただ、これは見た目はよいのですが、不安定な階段の上でオクタヴィアンとゾフィーが歌うので、何か歌が散漫になった感じです。二人の愛の2重唱は一番の見せ場なので、音楽的には残念なところです。
演出で目立ったところは元帥夫人の身の回りの世話をする子供が、この演出では子供ではなく、イタリアらしく、仮面をつけたおどけ者、何といいましたっけ、イタリアのコメディでは伝統的なキャラクターですが、第1幕冒頭に幕を引っ張り開けるところから顔を出します。終幕のフィナーレ、普通はオクタヴィアンとゾフィーの2人は退場しますが、この演出では2人は寝転んで手の先に銀の薔薇を差し上げます。そこに登場したおどけ者が赤い薔薇に持たせ代えて幕。2人の恋が実ったという暗示なのでしょうか。まあ、これはよくも悪くもありませんね。ただ、このオペラは単なるラブストーリーではないので、ちょっと短絡的な印象もあります。しかし、素人の誤解かも知れません。
全体として、オペラの出来は第1幕は最高に素晴らしく、第2幕以降はまあまあってところでしょうか。特に期待した第3幕フィナーレの3重唱はもうひとつだったのが残念です。もちろん、まだ、時差で頭がおかしく、saraiの集中力も第1幕で切れたことも確かなので、そうでなかったら、印象も変わったかもしれません。
夜7時半に始まったオペラも終わってみれば、ほぼ深夜12時。疲れました。
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この記事へのコメント 1, レイネさん 2011/12/03 18:35
5月にアムステルダム歌劇場でシュヴァンネヴィルムスが元帥夫人役の『ばらの騎士』を観賞しました。
夏にミュンヘンでも確かハルテロスの代役で歌ったようだし、DVDになっているドレスデンのも
彼女だし、優雅さと寛容さを兼ね備えた理想の大人の女である元帥夫人役にぴったりだと思います。
オクタヴィアン役はマグダレーナ・コジェナーのはずだったのが降板になり、指揮はラトルだったので夫婦共演が実現しないのが残念でした。けれども、気を取り直して観賞すると、代役でも満足できました。
アムスでの演出は、ヴィリー・デッカーのコンセプトに基づいてブリギッテ・ファスベンダーが担当したのですが、ここでも鏡が効果的・暗示的に使われていました。元帥夫人の心を映すもので、いくら磨いても曇ったままなのです。最後に夫人が去ると、鏡も舞台を横切って外されました。
2, saraiさん 2011/12/04 01:03
レイネさん、コメントありがとうございます。
シュヴァンネヴィルムスがここまで元帥夫人を歌えるとは驚きでした。レイネさんも今年聴かれたのですね。コジェナーのオクタヴィアンもなかなかユニークそうですね。降板は残念でしたね。
アムスでの演出も鏡が重要な要素だったとは面白いですね。スカラ座の鏡の使い方と違っているのも興味深いです。
いずれにせよ、通常の演出とは異なる演出が増えてきているんですね。それはそれで楽しみです。
次は来年4月のウィーンの『ばらの騎士』を観ますが、果たして、ガランチャが降板しないで出てくれるでしょうか・・・
もう、チケットは購入済みです。
因みに元帥夫人はニーナ・シュテンメです。
テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽