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聖トーマス教会合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団「マタイ受難曲」@みなとみらいホール 2012.2.25

今日はみなとみらいホールでバッハの「マタイ受難曲」を聴きました。この曲はやはり西洋音楽の金字塔と実感できる素晴らしい演奏で感動しました。saraiにとって、この感動に匹敵できるのはマーラーの交響曲第9番あるのみです。
ところで、昨日の予習編の記事で大きな勘違いがありました。てっきり、CDと同じく、バッハが1727年に初演した初期稿を用いて、演奏されるとばっかり思っていましたが、実際に途中まで聴いたところで通常の版での演奏であることに気がつきました。CDは、特別な演奏だったんですね。

まず、今日のキャストは以下です。

 聖トーマス教会合唱団
 ゲヴァントハウス管弦楽団
 ゲオルク・クリストフ・ビラー:指揮

 ウーテ・ゼルビッヒ:ソプラノ
 シュテファン・カーレ:アルト
 マルティン・ペッツォルト:テノール、エヴァンゲリスト及びアリア
 マティアス・ヴァイヒェルト:バス、イエス
 ゴットホルト・シュヴァルツ:バス、アリア

テノールのアリアを歌う予定だったクリストフ・ゲンツは体調不良で、代わりにエヴァンゲリストだけを歌う予定だったマルティン・ペッツォルトがアリアも歌うことになった旨の告知がありました。CDでもペッツォルトがアリアも歌っていたので、問題はないと思いました。これでCDとのキャストの違いはアルトとバスのアリアの二人だけです。ただ、アルトは今日は男性歌手です。どうな歌唱になるんでしょう。

では、順を追って、コンサートの感想をあげていきたいと思います。超大作の「マタイ受難曲」なので、どれだけ書けるか分かりませんが、今日の素晴らしい演奏に真摯に向き合って、頑張ってみますので、是非、みなさんもお付き合いください。
なお、バッハの旧版全集の曲番号を使いますので、ご注意ください。今日の日本語字幕では新版全集の曲番号を採用していました。どうしてもリヒター盤に親しんでいると旧版の番号のほうがしっくりきます。旧版だと全78曲、新版だと全68曲になります。

まず、第1部の第1曲から第35曲までです。

第1曲の合唱です。2群に分かれた管弦楽奏者たちが合同で演奏を開始します。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏ですから、さぞやと身構えて聴き始めますが、意外に抑えた演奏で地味に始まります。素晴らしい響きを期待していたので少し肩すかしの感です。少し、別の考え事をしているうちに、もう合唱が始まりました。合唱団も2群に分かれていますが、双方が呼応しながらの合唱です。これは素晴らしい響きでいきなり、圧倒される思いです。女声なしの少年合唱だけですが、美しい響きに耳を奪われます。そこにさらに少年合唱のコラールがかぶさって、厚みのある響きの合唱になります。ベースとなる管弦楽もしっくりと溶け込んでいます。最初、抑え気味に感じた管弦楽ですが、この合唱部分に照準を合わせていたことに気が付きました。実にまろやかなブレンドになっています。次第に白熱していく合唱に呼応して、抑え気味に感じた管弦楽も熱を帯びてきました。ゲヴァントハウスの美しい響きが聴こえ始めました。長い第1曲も気が付けば、あっと言う間に終了。合唱の素晴らしさにうっとりしっぱなしでした。

第2曲から第5曲までは「受難の予言」になります。

第2曲はエヴァンゲリストとイエスがこの受難の物語の開始を告げます。エヴァンゲリスト役のペッツォルトはこの役にぴったりの繊細なテノールで期待通りの第1声を発します。節回しもよく、「マタイ受難曲」の軸となるエヴァンゲリストだけに、ある意味、安心しました。イエス役のヴァイヒェルトはCDでは威厳を感じられずに、もう一つの印象でしたが、この実演に接すると、ベテランらしい落ち着いた歌唱、そして、きっちりと音節を刻んでいくような歌唱で好感の持てる感じです。イエスはこの曲の最後で自分が十字架に架けられることを宣言して、物語の結末を明確にします。

第3曲はコラールです。第2曲で十字架に架けられることをイエスが宣言したことを受けて、その悲惨さを慰めるかのような美しい合唱です。ただ、まだ、このコラールは抑え気味の合唱です。

第4曲、第5曲でエヴァンゲリストと合唱で祭司や律法学者たちのイエス殺害の陰謀が語られます。エヴァンゲリストの歌唱の確かさと合唱の響きに魅了されます。

第6曲から第10曲までは「香油をそそぐ女」になります。

第6曲はエヴァンゲリストが巧みな歌唱である女がイエスのこうべに香油をそそいだことを語ります。

第7曲は合唱でその行為を非難します。合唱の後半でフルートのちゃらちゃらしたメロディーが聴こえましたが、もう少し、このちゃらちゃらさを明確に演奏して、この合唱の非難の意味の浮薄さを強調して欲しかったところです。なんと言ってもあまりに合唱が美しく、内容の浮薄さを吹き飛ばしかねない感じです。

第8曲はイエスがこの行為を正当化する歌唱ですが、実に丁寧にきっちりと歌われました。ここも受難の意味するところを明確化する上で重要な部分です。

第9曲、第10曲はアルトの独唱になります。フルートの伴奏で香油をそそいだ行為の優しさとその行為に対してあふれだす涙を歌いあげます。前述した通り、このアルトは男性によって歌われました。彼は合唱団の1員でアルトの独唱になると合唱団の場所から最前列の独唱者席に歩み出てきます。その歌唱ですが、これは少し残念な歌声です。男性の生硬さが目立ち、声のつながりの滑らかさにも欠けます。これでは普通の女性のアルト歌手を採用すればよかったんではないでしょうか。この後にアルトのアリアは第47曲、第61曲に名曲を控えているだけに不安感を禁じ得ません。58年のリヒター盤のテッパーを理想と考えるsaraiにとってはとても不満足です。とは言え、フルートを始めとしたゲヴァントハウスの管弦楽の響きの美しさには舌を巻きました。

第11曲から第12曲までは「ユダの裏切り」になります。

第11曲ではエヴァンゲリストによって、銀貨30枚でユダがイエスを売ったことが語られますが、ここでは今までの繊細な歌唱から、強い劇的な歌唱も加わり、ペッツォルトの歌唱の多彩さ、豊かさを感じました。これまでエヴァンゲリスト役として巧みな語り役だと思ってきた観念的がくつがえされる思いです。ますます、ペッツォルトのエヴァンゲリストとしての歌唱に高い賛辞を送りたくなってきました。

第12曲はソプラノのアリアで、そのユダの愚かさを嘆きます。ソプラノのゼルビッヒはCDでの歌唱を聴いて、とても期待していましたが、その期待を上回る素晴らしい歌唱です。声の響きの透明さと言い、正確な歌唱と言い、saraiの考えるソプラノの理想を極めて近いところで具現化していると言っても言い過ぎではないでしょう。CDで聴いたゼーフリートやシェーファーやドナートを凌ぐ歌唱に感じました。このアリアだけで一目惚れという感じです。また、彼女の歌うこのアリアを聴いて、ユダ同様に弱い心を持つ自分に反省して、悪い自分でしたという気持ちを素直に感じさせられました。それほど説得力のあるゼルビッヒの歌唱に納得、満足です。

第13曲から第19曲までは「最後の晩餐」になります。

第13曲、第14曲でエヴァンゲリストが祭りの始まりを歌い、合唱で明るく祭りの喜びが歌われます。

第15曲でエヴァンゲリスト、イエスが最後の晩餐について語ります。最後にイエスが「この中に自分を売った者がいる」と語り、合唱が弟子達の「自分ですか」と激しく叫びます。

第16曲では、その興奮を抑えるかのように合唱団が強く、美しく、コラールを歌います。ここに至って、聖トーマス教会合唱団の素晴らしい合唱に心打たれる思いです。これは最高の合唱です。清らかで美しい響きに満ちて、究極の癒しを感じます。この世の中、嫌なこと、悲しいこと、多々ありますが、バッハは我々にこんな優しいプレゼントを贈ってくれました。それをバッハの聖地から来た聖トーマス教会合唱団が完璧に歌いあげてくれました。音楽は素晴らしいですが、そのなかでもとりわけ素晴らしくて、優しいのがバッハのコラールです。

第17曲は最後の晩餐の続きで、イエスとユダの会話で、イエスを売ったのがユダであることが明確化されます。続いて、イエスのアリオーソで聖餐設定(パンがイエスの体で、ワインがイエスの血であること)が表情豊かに歌われます。ここでもヴァイヒェルトのベテランらしい歌唱が光ります。

第18曲、第19曲はソプラノの独唱です。オーボエ・ダモーレの素晴らしい伴奏に乗って、ゼルビッヒの美しい歌唱です。もう、うっとりするだけです。受難曲であることを忘れてしまいそうなほど、美の極致です。もう、ゼルビッヒの素晴らしさを繰り返す必要はないでしょう。

第20曲から第23曲までは「つまずきの予言」になります。

第20曲ではイエスが自分の捕縛の際に弟子達がつまずき、逃げ散ってしまうことを予言します。

第21曲では、この「マタイ受難曲」の中核を成す受難コラールが初登場します。弟子達のつまずきという悲惨さ(人の心の弱さ)を和らげ、癒してくれるコラールです。この受難コラールはこの後も何度も歌われ、言わば、「マタイ受難曲」の屋台骨とも言えます。分かりやすく、美しいメロディーが調性、表情、歌詞などを変えて、我々に訴えかけてきます。saraiとて、この曲は大好きで、CDを聴いていても、つい、ドイツ語の歌詞を見ながら一緒に口ずさみたくなります。それにしても聖トーマス教会合唱団のコラールの美しいこと、この上ありません。ただ、このあたりではまだずい分と抑えた歌い方で、この先の受難コラールの再登場での盛り上げを見通しているかのようです。

第22曲では、イエスがペテロの否み(一番弟子のペテロが捕縛されたイエスのことを知らない人だと嘘をつくこと)を予言します。

第23曲は再び、第21曲の受難コラールが歌われます。ペテロの否みの予言は人の弱さを象徴するもので、その悲惨さを慰めてくれる優しいコラールです。それはまるで聖母マリアのピエタの優しい眼差しにも思えます。

第24曲から第31曲までは「ゲッセマネの園」になります。

第24曲では、ゲッセマネの園でイエスが近づいてきた受難に苦悩しながら祈りを捧げることが語られます。

第25曲、第26曲では、合唱を伴ったテノールの独唱です。ここでは、これまでエヴァンゲリスト役だったペッツォルトが綺麗な高音でアリアを聴かせてくれました。テノールの交代の結果は上々です。第26曲のアリアでのオーボエのくっきりとした響き、そして、テノールの歌声との絶妙な絡み合いには脱帽です。ここでもゲヴァントハウスの実力を思い知らされます。耳をそばだてて、じっくりと聴きいりました。

第27曲では、イエスの地にひれ伏しながらの苦悩の祈りが続きます。

第28曲、第29曲は、弦楽合奏に伴われたバスの独唱です。バスのアリアを歌うシュヴァルツはここで初めて歌います。バスのアリアはCDでフィッシャー・ディースカウのビロードの歌声を聴いてしまうと、もう誰の歌唱にも満足できません。ですから、シュヴァルツも歌う前から厳しい状況にはあります。まあ、それなりの歌唱ではありましたが、低音域と中音域の声の響きの違いがどうにも満足できません。特に低音域は美しい響きとは言えず、不満足です。むしろ、ここはゲヴァントハウスの弦楽合奏の美しさに聴き惚れたというところです。

第30曲では、イエスの再びの祈りです。

第31曲は、癒しのコラールでイエスの祈りにこたえます。繰り返しになりますが、聖トーマス教会合唱団の素晴らしい合唱の響きに心打たれます。

第32曲から第35曲までは「捕縛」になります。

第32曲では、ユダの手引きによるイエスの捕縛が語られます。

第33曲は、その捕縛の情景です。管弦楽の行進曲風の曲の演奏に続き、ソプラノとアルトの2重唱です。もう、ソプラノは美しさの限り、アルトは不満足です。ソプラノに集中して、耳を傾けます。美しいです! 最後に合唱が捕縛への怒りの大爆発。少年合唱が主体とは言え、大迫力です。

第34曲では、イエスが大衆の無知、愚かさを嘆きます。そして、イエスの弟子達も逃げ散りました。

第35曲は、大規模なコラール幻想曲です。管弦楽と合唱が力強く響き合い、この曲を持って、第1部を閉じます。

ここで休憩です。第1部も聴きどころ満載でした。しかし、「マタイ受難曲」の素晴らしさはこの後の第2部にあります。ロビーで休みながら、第2部へ期待します。ところでロビーでは、聖トーマス教会合唱団の関係者と思われるかたがCDの販売を行っています。当然、聖トーマス教会合唱団による「マタイ受難曲」も販売しています。今日の素晴らしい演奏を聴いて、購入するかたもいらっしゃるでしょうが、演奏メンバーがほとんど同じとは言え、CDは初期稿による演奏なので、購入後、CDを聴かれて、その違いにびっくりするんではないかと老婆心にかられました。また違った演奏が聴けて良いとも言えますけどね。
さて、場内アナウンスがはいり、第2部の開始です。

第2部は第36曲から第78曲までです。

第36曲から第44曲までは「大祭司の尋問」になります。

第36曲は、アルト独唱と合唱です。長閑なイメージの曲です。例の男性のアルトは第1部に比べると、声の響きが明らかによくなっています。どうも、今日は声が不安定だったのかも知れません。

第37曲では、エヴァンゲリストによって、祭司たちのイエスの罪のでっちあげの画策ぶりが語られます。

第38曲は、また美しいコラールです。人間の醜さへの慰めでしょうか。

第39曲では、偽証による不利な証言に対して、イエスが沈黙も守る様が語られます。

第40曲、第41曲は、テノールの独唱でイエスの沈黙の意味するところが明かされます。沈黙によって、無辜の罪を受け入れ、人々の苦しみを代わりに受けようと歌われます。第41曲のアリアではテノールの鋭い歌唱が印象的です。

第42曲では、大祭司によるイエスへの尋問の様子が語られます。最後に合唱で激した民衆がイエスに死罪を求める様が歌われます。

第43曲では、民衆がイエスを殴りつける様が合唱で凄まじく歌われます。

第44曲は、その悲しい様を静めるかのように簡潔なコラールが歌われます。しみじみ・・・

第45曲から第48曲までは「ペテロの否み」になります。

第45曲、第46曲は、イエスによって予言されていた一番弟子のペテロの否みのシーンが語られます。最も信頼されている筈のペテロがある意味、イエスの信頼を裏切る場面です。誰にでもある人間の弱さが心に突き刺さります。自分には、そんな弱さ・ずるさがないと言える人なんて、いるでしょうか。そう思うと、この場面の悲惨さは辛く感じます。ペテロ自身も自己嫌悪に陥り、ひどく泣くところで第46曲は終わります。最後の「ひどく(苦く)」という意味のドイツ語のビターリッヒという言葉がエヴァンゲリストによって、思いを込めて歌われると、何かしら、ジーンと感じるものがあります。

第47曲は、そのビターリッヒという言葉を受けて、アルトの素晴らしいアリアが歌われます。「マタイ受難曲」中、最高の名曲、いや、もう古今東西、名曲中の最高の名曲です。エルバルメ・ディッヒ、マイン・ゴット(憐れみたまえ、我が神よ)とアルトの独唱で繰り返し歌われます。伴奏はオブリガート・ヴァイオリンです。ここでも最初に弾き始めたオブリガート・ヴァイオリンは抑えた表現です。しかし、ゲヴァントハウスのコンサートマスターです。アルトの独唱と絡み合い始めるとテンションがあがり、素晴らしい響き。不満に感じていた男性のアルトもここでは熱唱。ここで感動しない人はこのコンサートに来た甲斐がないとまで言い切りたいと思います。saraiは感動を通り越して、涙が出ました。これが聴けただけでも、今日の「マタイ受難曲」を聴きに来て、良かったと思いました。この曲以降は「マタイ受難曲」でも名曲が目白押しに続きます。

第48曲は、明るい雰囲気のコラールで第47曲のアリアで感動さめやらぬ心をやさしく受け止めてくれます。美しい合唱・・・

第49曲から第51曲までは「ユダの自殺」になります。

第49曲、第50曲では、ユダが己の罪におののいて、貰った銀貨を返し、さらには首をくくって自殺する様が語られます。

第51曲では、独奏ヴァイオリンと弦楽合奏でさながら、ドッペル・コンチェルトを思わせるバロック風のノリのよい曲が演奏され、その上にバスの独唱によるアリアが歌われます。ここでのバスは声域が少し高めということもあり、美しい歌唱で満足でした。

第52曲から第58曲までは「ピラトの尋問」になります。

第52曲では、ピラトの尋問に対して、イエスがやはり沈黙を守る様が語られます。

第53曲は、またもや、受難コラールの登場ですが、歌詞はイエスが行くべき道を決めて沈黙を守るという内容です。美しいメロディー、美しい合唱です。

第54曲では、ピラトと群衆のやりとりの様が語られ、ピラトの赦免するのはイエスか、バラバという問いに対して、民衆の答える「バラバ」という合唱の美しく強い響きに聴衆としては戦慄を覚えます。さらに最後に対位法的な合唱で「イエスは十字架にかけるべし」と歌われ、「マタイ受難曲」の中核部にはいっていきます。この対位法的な合唱は第59曲でも繰り返され、その対称構造から、第54曲から第59曲の間は十字架を意味すると言われているそうです。歌詞の内容はともかく、この合唱の素晴らしさは尋常ではありません。

第55曲は、コラールで群衆の残酷な声を静めてくれます。

第56曲では、ピラトが「彼(イエス)はどんな悪いことをしたのか」と思わず、つぶやきます。

第57曲、第58曲は、ソプラノの独唱です。またまた、ゼルビッヒの素晴らしい歌唱にうっとりします。第58曲のアリアでは通奏低音なしでフルート主体の高音部だけの伴奏で清らかな天上の歌声が素晴らしく響きます。「アウス・リーベ」(愛故に)という言葉が心に沁みます。ソプラノのアリアはこれで聞き納めです。残念ですが、満足でもありました。

第59曲から第63曲までは「判決と鞭打ち、嘲弄」になります。

第59曲では、裁きの場面に戻り、群衆の「イエスは十字架にかけるべし」の合唱で十字架構造が閉じます。さらに群衆はイエスを死罪にする責任を負い、自分達とその子孫がその責任を持つと言い切ります。ここに至って、ピラトはあきらめて、イエスに鞭打たせ、十字架に架けることにします。

第60曲、第61曲は、アルトの独唱です。本来なら、このあたりでコラールのはいりそうなものですが、アルトの独唱がその代わりを受け持ちます。第61曲のアリアは第47曲のアリアに次ぐ名曲「わが頬の涙」です。ケンネン・トレーネン、マイナー・ヴァンゲンという歌詞が繰り返し、歌われます。ここでの男性のアルトは第47曲のアリアほどの出来ではなく、残念ですが、その代わり、ここでもゲヴァントハウスの弦楽合奏は素晴らしい響きでした。

第62曲では、兵卒たちがイエスに赤い衣を着せ、茨の冠をかぶせて、嘲弄する様が語られます。

第63曲は、たまらず、受難コラールで癒しを与えてくれます。このあたりの受難コラールは素晴らしく表情豊かです。第1節を朗々と歌い上げ、第2節は抑えた合唱でしみじみ感があります。ただ、第2節はもっと小さな声に抑えた歌唱だとさらなる感慨深さが感じられたような気もしました。いずれにせよ、美しい受難コラールでした。

第64曲から第66曲までは「十字架への道行き」になります。

第64曲では、イエスがゴルゴタの丘に引き立てられる場面が語られます。

第65曲、第66曲は、バスの独唱です。第66曲のアリアはヴィオラ・ダ・ガンバの重々しい独奏を伴うもので名曲ですが、まあ、納得の歌唱だったと言えるでしょう。ところでヴィオラ・ダ・ガンバはこのアリアの数曲前で調弦を始めたのはびっくりでした。そんなにこの楽器は狂いやすいものなんでしょうか。

第67曲から第70曲までは「磔刑」になります。

第67曲、第68曲では、十字架につけられたイエスがみんなから嘲弄される様が語られます。激しい合唱も印象的です。

第69曲、第70曲は、アルトの独唱です。このあたりのアルトの歌唱もかなり響きが悪くなり、もうひとつです。

第71曲から第73曲までは「イエスの死」になります。

第71曲で、イエスは最後の言葉「エリ、エリ、ラマ、アサブタニ」を発して、息絶えます。

第72曲は、葬送の曲とも思える最後の受難コラールです。フリギア旋法で表情が変わった、この受難コラールはこの重要な場面にふさわしい名曲です。聖トーマス教会合唱団の素晴らしい合唱の響きにも感動です。音楽的には、もう、ここで終結でしょう。もう満足です。静かな感動で終えたいところです。ただ、「マタイ受難曲」は宗教曲ですから、ここで終わるわけにはいきませんね。後を聴きましょう。エピローグかな。

第73曲では、天地が鳴動する様が激しく語られます。絵画で言えば、ティントレット風・・・。その後に合唱で「あの人はやはり神の子だったのだ」というフレーズで衆愚を皮肉ります(非キリスト教信者のつぶやきです。気にしないでくださいね。)。

第74曲から第78曲までは「埋葬」になります。

第74曲、第75曲は、バスの独唱です。ヴァイオリンが奏する木々のざわめきの様子は清々しい感じです。ゲヴァントハウスの弦楽セクションの素晴らしさと相まって、気持ちよく聴けます。バスもなかなかの好演です。

第76曲では、イエスが埋葬され、岩に封印されます。

第77曲は、バス、テノール、アルト、ソプラノの順に1節ずつ、独唱があり、その間に合唱が挟まる形式です。最後にソプラノのピュアーな歌声が聴けて、幸せでした。

第78曲は、終結合唱です。全管弦楽と全合唱でのしめくくりです。ここで盛り上げて、終わりという曲ではありません。それとなく、簡潔にこの超大作がフィナーレです。

残念ながら、指揮者が手を下ろす前に心ない聴衆の拍手がはいりました。興をそぎますね。素晴らしい演奏だったので、もっと最後に静寂の時間を持ちたかったのに・・・。イエスも沈黙の大事さをこの曲を通して、教えてくれたのではなかったでしょうか。

ともあれ、素晴らしい演奏に3時間、集中して聴けて、こんな幸せはありません。管弦楽、合唱は素晴らしいの一言。独唱もアルトを除いて、満足です。特にエヴァンゲリスト役のマルティン・ペッツォルト、さらにはソプラノのウーテ・ゼルビッヒは最高でした。そうそう、指揮のゲオルク・クリストフ・ビラーは拍を明確に刻む的確な指揮で全体をまとめあげていました。彼の手腕のよって、素晴らしい構成の演奏になっていました。この人達の演奏でロ短調ミサ曲も聴いてみたいものです。

以上です。ここまで読んでくれた人がいれば、感謝あるのみです。



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この記事へのコメント

1, soraotoさん 2012/02/29 10:57
はじめまして。
私は昨日、オペラシティでこのマタイ受難曲を見ました。
私はあまり曲自体に造詣が深いわけではないのですが、
まったく同じような感想を持ちましたので、コメントさせていただきました。

アルト、バスについてもしかり・・・
最初のアルトであれ?と思い、途中からよくなるのも、
昨日も同じでした。やはり若いゆえの経験不足なのでしょうか。

ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者をフォローしますと、(自分はチェリストですので、肩をもちます 笑)ガット弦は大変温度、湿度に弱く、
舞台上の暑さでは、どんどん音が狂ってきます。
なので、あの前で調弦を行うのはやむおえないのではと思っています。

2, saraiさん 2012/02/29 15:21
soraotoさん、コメントありがとうございます。
それに長大な記事を読んでもらえて、嬉しいです。

soraotoさんも同じような感想を持たれたとのこと。この記事も、あまり、的外れな感想でもなかったようですね。

ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のフォロー、分かりました。ガット弦なんですね。それで狂いやすい。やむを得ないのかな。

また、コンサートの記事を読みにおいでくださいね。

3, ハルくんさん 2012/02/29 18:20
こんにちは。

またまた、みなとみらいですれ違いだったようですね。
当日のマタイ聴いていましたよ。

一昨年の聖十字架合唱団も素晴らしかったですが、トーマス教会合唱団、やはり素晴らしいですね。ただ、ビラーのテンポが随分と速過ぎに感じてしまい、昔のカントールの指揮した演奏が懐かしかったです。ちょっとせわしなかった印象でした。
アルトが棒の余り好まないカウンターテナーだったのもマイナスポイントかな。その他詳しくは拙ブログに記事アップしました。

この合唱団を聴いたのは、なんと30年以上ぶりでしたが、これからは来日の度に聴きに行くと思います。神様に召される前にせいぜい聴いておかなくては。(笑)

4, ehimeさん 2012/03/01 11:12
sarai様
私も昨日サントリーホールでのマタイを聴き同じような感想でした。
若い男性がアルトを歌うマタイは初めてでした。ベテランの女性アルトに比べると深みも声量もなく物足りなかったのですが、ベテラン歌手にはない清らかさを感じました。
ヴィオラダガンバもなかなか聴く機会がないのでとても新鮮でした。
本日が公演最終日になりますが、当日券でもう一度聴きに行こうと思っています。ゲバントハウスと聖トーマス教会合唱団に完全にノックアウトされました。。。

5, saraiさん 2012/03/01 12:49
ハルくんさん、こんいちは。

やはり、来られていたんですね。マタイ受難曲はマーラーの9番同様、聴き応えがありますね。聖トーマス教会はなかでも素晴らしかったです。テンポは終わってみれば、えらく速かったことに気が付くぐらい、そんなには気になりませんでした。まあ、第1曲あたりはじっくりとゲヴァントハウスの響きを聴けたほうがよかったかも知れませんが、まあ、少年合唱の素晴らしいこと、この上なしって感じでした。聖トーマス教会合唱団はよく来日しているようですね。saraiもこれから聴き逃せません。聴きながら、神に召されるかもしれませんが・・・(笑)

6, saraiさん 2012/03/01 12:53
ehimeさん、初めまして。コメントありがとうございます。

みなさん、同様な感想を抱かれたようですね。やはり、マタイ受難曲は素晴らしいです。今回はもう聴きにいきませんが、また、再来日時はかけつけたいと思います。
最終日の公演、しみじみと味わってください。

また、コメントをお願いします。

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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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