8月下旬以来、久々のコンサートに出かけました。8月下旬は
上原彩子のピアノ・リサイタルと東京都響の定期演奏会を聴きましたが、今日はそれらを組み合わせたものです。
上原彩子と東京都響の共演、しかもインバルのマーラー・ツィクルスのスタートでもあります。これは聴き逃せません。そのため、横浜からわざわざ遠い池袋まで出撃しました。
その努力は報われました。
上原彩子のベートーヴェンはチャーミングで陶酔的ですらありました。こんなベートーヴェン演奏もあるんですね。これだけでもコンサートに満足するところですが、コンサート後半はインバル+都響の新マーラー・ツィクルスがいよいよ始動。《巨人》の凄まじいフィナーレは再来年の交響曲第9番までのツィクルスが素晴らしい演奏になることを予感させる祝典的なファンファーレに思われました。
今日のプログラムは以下です。
ピアノ:
上原彩子 指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op.19
《休憩》
マーラー:交響曲第1番 ニ長調 《巨人》
まずは真っ赤なドレスに身を包んだ
上原彩子が巨匠インバルを従えて登場です。
新マーラー・ツィクルスの始動にベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏するとは、何とも粋な選曲です。古典派の交響曲を完成したとも言えるベートーヴェンを冒頭に演奏して、マーラーのシンフォニーズの原点を示す意図でしょう。それもベートーヴェンがモーツァルトの古典派音楽を引き継ぎつつ、自己の音楽を確立しつつあったピアノ協奏曲第2番はマーラーの《巨人》にぴったりです。マーラーもこの第1交響曲で新しいシンフォニーの世界を確立していったわけですからね。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番は意外に演奏機会の少ない作品で、saraiも過去に聴いた記憶がありません。それだけに
上原彩子がどう弾くのか、興味津々です。事前に予習したのは、ペライアとアラウです。最近はベートーヴェンと言えば、彼らの美しいタッチの演奏がsaraiのお気に入りなんです。
上原彩子がうなずくと、インバルの棒が振り下ろされ、都響の演奏が始まります。今日の都響は四方恭子、矢部達哉のダブルコンマスを始め、第1ヴァイオリンの強力な女性陣、すべてのパートがベストメンバーです。弦楽の美しい響きは最良のベートーヴェンの音楽を奏でていきます。まさに納得のベートーヴェンです。堂々として、たおやかで、力みのない自然な演奏です。その間、上原彩子は強く息を弾ませながら、高ぶる気持ちを抑えきれない様子です。2列目の中央の席にいたsaraiからはすぐそこに上原彩子がいるので、表情がよく見てとれます。プロの演奏家もこんなに緊張するのかと驚きました。やがて、上原彩子がピアノの鍵盤を叩き始めました。よく響く切れのある演奏です。ピアノはスタインウェイで響きのよいこと、この上なしです。美しいピアノの響きはアラウの響きにも匹敵するほどです。違いと言えば、アラウのためのきいた演奏と上原彩子の切れのある新鮮な演奏というところでしょうか。ペライアと似たスタイルにも思えます。一言で言えば、重厚な演奏ではなくて、美しい響きの演奏です。saraiの聴きたいベートーヴェンとも言えるでしょう。フレージングと言い、明快で正確な打鍵と言い、パーフェクトな演奏です。強いて問題点を挙げれば、強い打鍵で少し音が割れ気味になることですが、大ホールの中ですぐ近くで聴いているsaraiだけの問題かも知れませんね。逆に弱音の美しい響きにはうっとりするだけです。ピアノの音の素晴らしい奔流に身を任せているだけで第1楽章がいつの間にか終わってしまいました。カデンツァは思い切ったダイナミズムと奔放とも言えるテンポの動かし方で、ピアノのソロ演奏を満喫できました。即興性を感じさせてくれる素晴らしいカデンツァでした。
第2楽章がこの日の演奏の白眉とも言えるものでした。古典的でロマン的、一見、相反するような概念を見事に融合した演奏です。抒情的でよく歌う演奏で、実際、上原彩子の歌声も聴こえました。装飾音(ターン)の弾きこなしの素晴らしさにも絶句しました。それに彼女の陶酔した表情もその音楽とぴったり寄り添うものです。実にチャーミングでセクシーな音楽、ベートーヴェンからこういう音楽を引き出すことのできるピアニストは凄いとしか言えません。音楽スタイルはまったく異なりますが、時代を超えて、マーラーのピアノ協奏曲を聴いている感じと言えば、言い過ぎでしょうか。マーラーがもしピアノ協奏曲を作曲したら、緩徐楽章でどのように音楽を展開したのかと思わず想像してしまうような演奏だったんです。モーツァルトのピアノ協奏曲の影響を色濃く残した作品であると思っていましたが、この曲はなかなか奥深い作品であることが今更ながら、理解できました。
第3楽章は切れのあるタッチでばりばりとピアノを弾いていきます。ピアニズムの見事さに脱帽です。ずい分、弾き込んだんでしょうね。かなり速いテンポの演奏ですが、オーケストラもしっかりと付いていきます。この楽章も圧巻の演奏でした。
爽快でかつ陶酔的なベートーヴェンでした。第2番でこれだけの演奏とは恐れ入りました。第1番ではなく、第2番を演奏してくれて、本当によかったという感想です。上原彩子の奔放な演奏をしっかりと支えたインバルの巨匠としての実力もやはり見逃せません。このコンビでショスタコーヴィチでも聴きたいですね。
休憩後、いよいよ、マーラーです。インバルと東京都交響楽団のマーラーは既に《復活》、《大地の歌》を聴いていますが、いずれも最高水準のマーラー演奏でした。ベルティーニ亡き後、再び、感動のマーラーが聴けそうです。
大編成でベストメンバーの東京都交響楽団がステージ上に並び、インバルが指揮を始めます。
第1楽章は静かな弦のフラジオレットから始まり、明るい響きの音楽が展開されます。後半、少し熱を帯びますが、全体に平静に美しい弦の響きが心に残ります。
第2楽章は低弦が印象的なスケルツォでここでも都響の弦の実力が遺憾なく発揮されました。
第3楽章は葬送の旋律に始まり、葬送の旋律に回帰します。
そして、嵐のような第4楽章が始まります。意外に最初からは全開モードではありません。これがインバルの構成感でしょう。インバルのマーラーはベルティーニと違って、細部を磨き上げるのではなく、全体の構成を考え抜いた表現になっています。以前聴いた《復活》も《大地の歌》もフィナーレに向かって、頂点を目指す構成でした。そして、この日の《巨人》も最後の3分間に向けて、圧倒的な感動を盛り上げていきます。すべてはフィナーレに向けての周到な準備作業だったとも言えます。金管の立奏のあたりのめくるめき感動はインバルのマーラー演奏の頂点です。そして、単に交響曲第1番《巨人》の演奏に留まらず、マーラーがその後、次々と完成させていった傑作シンフォニー群を予感させる序章としてのファンファーレを感じさせるものでもあります。感動的ではありますが、あくまでも祝典的で楽天的にも思えます。これが交響曲第5番をひとつの頂点として、《大地の歌》、交響曲第9番の深遠とも思える世界に変容していくことを考えると身震いする思いです。
インバルのマーラー・ツィクルスはマーラーの全交響曲の構成も念頭に置いた演奏であり、最後に完結する交響曲第9番に向けての長い道のりを見通した演奏であることを感じさせる今回の交響曲第1番《巨人》でした。日本のオーケストラでマーラーの高水準の演奏が聴ける稀有な機会であり、その演奏に立ち会うことができる幸せを感じています。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽