ちょうど、インバル+都響のマーラー・ティクルスが始まったところで、絶好の機会なので、聴いてみようと思い立ちました。
saraiは実は《嘆きの歌》を聴いたことがなく、急遽、予習に励みました。聴いたのは以下です。
シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団
ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団
ラトル指揮バーミンガム市交響楽団
ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団
シャイー指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
不思議なことにいずれのCDも素晴らしい演奏で甲乙つけがたしの感があります。そういえば、マーラーのCDって、難しいことを言わなければ、よい演奏が多いですね。特にこの《嘆きの歌》はマーラーの自己陶酔の熱い思いがないので、客観的な美しい演奏が可能なのかも知れません。いずれにせよ、どのCDも名指揮者と名オーケストラですから、高水準な演奏は当たり前かもしれません。もし、1枚選ぶとしたら、やはり、ハイティンク盤になるでしょう。ただ、後述しますが、このCDは最終稿の第2部+第3部で、第1部ははいっていません。第1部も含むCDなら、ブーレーズかシャイーでしょうか。saraiは必ずしも第1部も演奏すべきだとは思っていません。純音楽的に第2部+第3部でこの《嘆きの歌》は十分に充足していると感じるからです。このCDの顔ぶれを見ると、クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団がCD録音していないのが惜しまれます。べストな演奏が期待できたような気がします。
さて、この《嘆きの歌》の成り立ちですが、初稿版ではマーラーはコンクールに応募するために意欲的な取り組みをして、3部から成る大規模な作品に仕立て上げました。しかし、当時の音楽状況ではまったく不評でコンクールは落選し、誰も認めてくれませんでした。あきらめきれないマーラーは構成を見直し、より小規模な作品に改訂し、最終稿では独唱者の数を減らしたり、第1部もすべてカットしました。
マーラー自身が初演したのは、この最終稿で第2部+第3部だけの作品です。ですから、もう、それを今でも演奏すればいいと思うのですが、後日(マーラーの死後)、初稿版が発見され、しかも当初は第1部の初稿版のみが公開されたため、第1部は初稿版で、残りの第2部+第3部は最終稿で演奏されるということが主流になったようです。確かに長大な第1部も美しい音楽で、見つかった以上、演奏しないのはもったいないとは思いますが、マーラーの意図には反しているような気がします。最近、すべての初稿版が公開され、3部とも初稿版で演奏することが主流になっているようです。本日の演奏は第1部は初稿版で、残りの第2部+第3部は最終稿だそうで、指揮者のインバルの意図だということです。
今日のプログラムは以下です。
指揮:エリアフ・インバル
合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ
ソプラノ:浜田理恵
メゾソプラノ:小山由美
テノール:福井敬
バリトン:堀内康雄
合唱:スーパー・コーラス・トーキョー
管弦楽:東京都交響楽団
ワーグナー:ジークフリート牧歌
《休憩》
マーラー:カンタータ《嘆きの歌》(全3部)
まずはワーグナーの後期ロマン派の香気がたちのぼる名作《ジークフリート牧歌》です。これはとてもよい演奏でうっとりしてしまいました。特に弱音で繊細な部分の演奏が心に沁み入ります。今日の東京都響はコンサートマスターが山本友重で、いつもの第1ヴァイオリンの強力な女性奏者群の一部が欠けた布陣で、前回のマーラー・ティクルス開幕の《巨人》のベストメンバーに比べると、もうひとつの感はありますが、さすがにそれでも都響の演奏は素晴らしい響きです。なお、マーラーの《嘆きの歌》には、ワーグナーを思わせるところが多々あります。それを意識しての選曲なんでしょう。インバル自身は愛とロマンティシズムが共通しているので選曲したとは説明していました。まあ、この選曲は妥当かも知れませんが、《嘆きの歌》のワーグナー的な部分には、《パルジファル》を連想してしまいます。ですから、《パルジファル》の前奏曲というのもよかったかなとも思いました。
休憩後、いよいよ、マーラー《嘆きの歌》です。最弱音で第1部が開始されます。メロディーが始まると同時に、テンポが少し早いことに気が付きました。もっと、じっくりと粘って、美しい響きを引き出してもらいたいものです。なんだか、オーケストラの演奏も平板で、ディテールのほりの深さにも欠けます。それでも声楽がはいってくるあたりからはテンポも落ち着きましたが、演奏はしっくりときません。この第1部は美しい響きに満ちた演奏の筈なんですけどね。後半は幾分、部分的に美しい響きが感じられますが、インバルらしい構成感には欠けています。このままの演奏で終わるんだったら、つまらないと思ってしまいました。
ところが第2部が始まると、まったく違う音楽が響き始めました。まさにインバルのマーラーです。構成感があり、ディテールの繊細さも兼ね備えています。合唱も独唱も好演しています。満足して、残りの曲を楽しめました。曲自体がまだマーラーになりきっていないマーラーですから、それはそれで仕方がないでしょう。《復活》のような高揚感には欠けますが、これがマーラーの交響曲第0番、もしくは第-1番とは思えます。
あくまでもsaraiの想像ですが、インバルは最終稿の第2部+第3部に馴染んでおり、曲を深く把握していたんでしょう。初稿版の第1部は十分に把握しきれていなかった印象です。本来は最終稿の第2部+第3部だけを演奏すればよかったのでしょうが、世の流れで第1部をカットできなかったと思われます。次回はきちんと全体を初稿版で完全把握した演奏を望みたいと思います。
とは言え、正直なところ、saraiはマーラーを聴くんだったら、《復活》や《大地の歌》を聴きたいですね。実際、インバル指揮の両曲は素晴らしい演奏でした。どんなに《嘆きの歌》を名演奏しても、感動の深さは比べられないと思ってしまいます。今日はマーラーの若き日の作品に接したということで満足しておきましょう。
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