今日は上大岡ひまわりの郷コンサート・シリーズの2012年秋編の2回目のコンサートです。
このところ、毎回、感動!ってばかり書いて、実は今日も感動!というのは少し気が引けますが、本当に感動しました。
これで6回連続で感動のコンサートです。自分でも感性がおかしくなったのかしらんと思うのですが、希有な“当たり”のコンサートが続いているんです。
今日は比較的地味な室内楽のリサイタルですが、プログラムを見ても、マイナーな曲目が並び、通好みを通り越しているような気がします。
いわゆる名曲(有名曲)は皆無ですし、これまで1度も聴いたことのないバーバーとグリーグの曲もあります。
でも、本当に室内楽の醍醐味を味わうことのできる素晴らしいリサイタルでした。
チェロのアントノフは2007年のチャイコフスキーコンクールで優勝したロシアの俊英でテクニック、美音はもちろん、音楽性も素晴らしかったのですが、一番感銘を受けたのは精神性の高さ(感受性の高いハート)です。彼の演奏を聴いていると、すべての芸術の原点は、芸術作品の送り手(音楽の場合は演奏家)と受け手(音楽の場合は聴集)の間の魂の共鳴(あるいは魂の融合とまで言っていいかも知れません)だということに思い至ります。彼のチェロの響きを聴いているわけですが、もう、それは2次的なもの:単に演奏家と聴集の心をつなぐ手段でしかなく、リサイタルの場を支配しているのは彼の魂の叫びが自分の魂の奥深いところを直接揺り動かしている精神的な力です。音楽の外的な姿であるメロディーや響きはすべて、うすぼんやりとデフォルメされたようにしか感じられず、アントノフの心だけを受け止めている自分に気が付きます。
本物の芸術に出会ったときには、いつも感じる、あの感覚です。忘我の境地になって、芸術家の心と一体化した心だけの存在に昇華している自分があります。音楽はもちろんですが、素晴らしい絵画に出会ったときも希有に感じる感覚です。ココシュカの《風の花嫁》(バーゼル市立美術館)、ゴッホの《オーヴェールの教会》(オルセー美術館)など数回しか経験していませんが、美術でも同じ感覚に陥ることがあります。そう言えば、文学作品もそうですね。
こういう芸術的昇華を期待して、飽きずに芸術に接し続けているのかも知れません。
話がそれてしまいましたが、もうひとつ、このリサイタルで感銘を受けたのはチェロのアントノフの演奏だけではなく、ピアノのイリヤ・カザンツェフの演奏です。まさに彼ら二人は心をひとつにした室内楽の理想を具現化していました。それどころか、ピアノの独奏部分での美しい響きと音楽的表現は素晴らしく、ずっとチェロなしで聴いていたかったほどです。それもその筈、カザンツェフは2000年の若いピアニストのためのショパン国際コンクールで入賞した実力のある俊英です(演奏会のパンフレットにはショパン国際ショパンコンクールで入賞コンクールで入賞とありましたが、これは明らかに間違いのようです)。二人の音楽性が共鳴して、さらなる高みの音楽に達したのでしょう。楽器の違いを超えて、二人は同質性の響き、音楽表現を実現していました。一人の演奏家が同時にチェロとピアノを演奏していると言っても過言でありません。室内楽では2つの個性のぶつかり合いというのもスリリングで素晴らしいのですが、個性が融合した演奏はさらに素晴らしいことに初めて気が付きました。もちろん、片方が伴奏になっては駄目ですけどね。これだけ、実力のある音楽家が心をひとつにした演奏に至るには、お互いの信頼・尊敬のもとに、文字通り、血の滲むような練習をしたことは間違いないでしょう。本当に頭が下がります。
今回もこれ以上書くことは何もありませんが、それぞれの曲目の演奏にも触れないといけないでしょう。
今日のプログラムは以下です。
チェロ:セルゲイ・アントノフ
ピアノ:イリヤ・カザンツェフ
ショパン:序奏と華麗なポロネーズ Op.3(M.ジャンドロン編曲)
シューマン:民謡風の5つの小品 Op.102
バーバー:チェロ・ソナタ Op.6
《休憩》
グリーグ:チェロ・ソナタ イ短調 Op.36
《アンコール》
ショパン:マズルカ第45番イ短調(遺作) Op.67-4
ショパン:ワルツ第3番(華麗なる円舞曲) Op.34-2
まず、ショパンです。最初は序奏から始まります。チェロの最初のフレーズを聴いただけでsaraiはいい気持ちになりました。溜のある見事な節回しです。序奏は余裕を持った朗々とした響きのある演奏ですが、何といってもハートのある演奏です。ポロネーズにはいると、ダイナミックで熱い演奏です。ピアノもショパンらしい美しい響き。チェロの響きでもショパンの美しさを感じられた素晴らしい演奏で、嬉しい驚きです。予習した巨匠ロストロポーヴィチを上回る演奏に思えました。
次はシューマンです。第1曲はシューマンらしい親しみに満ちたメロディーが明快に演奏されました。シューマン好きとしては満足の演奏です。第2曲は子守歌を思わせる優しい曲ですが、まさに曲想を忠実に演奏し、ほのぼのとした思いを持ちました。第3曲はsaraiが密かに「五木の子守歌」と勝手に呼んでいる親しみやすい主題が印象的な曲です。これは実に聴き応えがありました。この作品の中核をなす部分ですが、深い精神性に満ちた演奏に感銘を受けました。第4曲はこれまでの曲と一転して、祝祭的な雰囲気の勢いのある曲です。力強い演奏にこちらの気持ちも高揚してきます。最後の第5曲はフィナーレにふさわしく強く、そして、ときに優しく、終わりは気持ちよく盛り上がって、エンド。とてもよいシューマンです。これも予習したマイスキー、ロストロポーヴィチを上回る素晴らしい演奏です。
次はバーバーです。一応、予習しましたが、ほとんど初聴きに近い曲です。ところが、ぐいぐい引き込まれる演奏です。第1楽章から感動の思いで聴いていましたが、中間部の激しく熱い演奏には、もう、大感動です。アントノフの熱い心に魂を揺さぶられる思いです。第2楽章の深い響きにも気持ちがおさまることはありません。感動が深くなるばかり。第3楽章の燃え上がるような情熱には、もうこちらの心が耐えきれないほどです。バーバーの曲が何を表現しようとしているのかは理解できませんでしたが、心の奥深いところにどろどろとしたものが流れ込んできました。情念の音楽です。室内楽でこんなに感動したことはかってないことです。音楽は生で聴かないと分からないものです。それにしても、アントノフがこの曲を驚異的なレベルで手中に収めていることに感銘を受けました。ここまで演奏するには、一体、どれほど、譜面を読み込み、練習を重ねたんでしょう。もちろん、テクニックの問題ではありません。音楽的に理解し、噛み砕き、自分の表現に作り上げるということです。こういう演奏が本当に完璧な演奏というのでしょう。
休憩中にあわてて、ロビーに駆け込み、アントノフのCDを買い求めました。サイン会に参加して、感動した気持ちを伝えたかったんです。CDはR・シュトラウスとラフマニノフのチェロ・ソナタという、またまた、マイナーな曲目ですが、構いません。素晴らしい演奏であることは確信しています。
休憩後、最後のグリーグです。何というか、もう、曲がどうとか、そういうことは一切、心から排除されました。ただただ、チェロの響きを介して、アントノフの魂の声を聴きながら、自分の心に同調させていました。もちろん、美しい響き、暗鬱な気分、優しい声は聴こえてきます。
しかし、心が澄みきって、深い感動に浸っていることがすべてです。きっと、このグリーグのソナタは名曲だったんでしょう。そうでなければ、こうして、魂が揺さぶられることはありませんからね。でも、音楽は究極的には、手段として、心を表現するものなのでしょう。それが可能になるのが名曲なんだと思いました。一期一会の体験でした。
サイン会では、息子のような年齢のアントノフに感動した心を伝えましたが、若い彼は優しく微笑んで、サンキューとだけ・・・。それでいいんです。気持ちは伝わったでしょう。
上大岡ひまわりの郷コンサート・シリーズで最高だっただけでなく、これまで聴いた室内楽で最高のコンサートでした。
やっぱり、音楽なしには生きられません・・・。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽