O先生は20年前に参加したヨーロッパオペラツアーでお友達になった“オペラの強者(つわもの)”でした。
sarai自身はその2年前の1回目のヨーロッパオペラツアーでオペラデビューしたばかりのオペラ初心者でしたが、O先生は毎年、年末年始休暇、GW、夏休みの計3回、ヨーロッパ各地のオペラを鑑賞し続けていたオペラの大ベテラン。saraiの初心者ならではの生意気なオペラ談義にも、にこにこと軽く受け流してくれる優しい方でした。バイロイト音楽祭にも日本人では早くから参加していた方でしたが、一切ご自身のオペラへの深い造詣をひけらかすこともない謙虚な方でもありました。
このときのヨーロッパオペラツアーにはsaraiと配偶者、saraiの母の3人で参加しましたが、5月の連休にヨーロッパ各地の歌劇場を巡り、何と11日連続でオペラを鑑賞するという物凄いものでした。パリの新オペラ座(バスティーユ)、ベルリン・ドイツ・オペラ、ハンブルグ歌劇場と周り、最後はウィーン国立歌劇場でした。ウィーンに着いた頃には、O先生ともすっかり仲良しになっていました。
ウィーンでは、O先生のお友達のウィーン・フィルのコンサート・マスターのキュッヒルさん夫妻のお家に連れていってくださいました。saraiの音楽好きぶりを見ていたO先生のsaraiへのサプライズのプレゼントで、この1992年の5月3日は忘れられない日になりました。その日の夜のウィーン国立歌劇場で、O先生達と一緒にロイヤルボックスでR・シュトラウスの楽劇《エレクトラ》を聴いたのも思い出になっています。このオペラを演奏したウィーン国立歌劇場管弦楽団は豪華なダブルコンマスで、当時の第1コンサートマスターのヘッツェルさんと第2コンサートマスターのキュッヒルさんが並んで座っていたのも思い出です。ヘッツェルさんはこの年、ザルツカンマーグートのザンクト・ギルゲンの山を登っているときに転落して亡くなりました。《エレクトラ》はベーレンスの熱唱もあり、素晴らしい公演でした。
saraiのヨーロッパオペラツアーへの参加はこの2回目で終了し(財政破綻!)、この後は個人旅行でのヨーロッパオペラ鑑賞になり、O先生とヨーロッパでご一緒することはなくなりました。
この後は、国内の海外のオペラハウスの引っ越し公演で、会場でご一緒する機会が多く、年に2~3度はお会いしてました。その頃やっと、saraiもO先生とまともなオペラ談義ができるようになってきました。
こういう時に急にO先生から電話でご連絡をいただいたことがあります。サントリーホールでのウィーン・フィルのコンサートのチケットがあるけど、行かないかという嬉しいお誘いです。saraiはウィーン国立歌劇場で、実質ウィーン・フィルのオーケストラは聴いてはいましたが、ウィーン・フィル自体の演奏は生で聴いたことがなかったんです(財政的問題)。最初にウィーン・フィルを聴けたのはO先生からのプレゼントのお蔭でした。貧しい音楽好きの中年へのO先生の優しい眼差しだったんでしょう。感謝あるのみです。
毎年3回の海外ツアーを数十年続けたO先生も体力的な問題(自分で荷物が持てない)で海外ツアーを止めたとお聞きしたのは5年以上前になるでしょうか。最近は国内のオペラ・コンサートも億劫になったとかでお会いする機会もなく、年賀状だけでのお互いの近況報告になっていました。
今年も年賀状を出しましたが、一向にO先生からの年賀状が届きません。心配になって、今日お宅に電話してみました。ご家族の方から、昨年末にお亡くなりになったことを聞き、暗然としたわけです。まあ、予感はありました。
急遽、我が家で配偶者と追悼オペラを聴くことにしました。
O先生と言えば、迷うことなく、R・シュトラウスの楽劇《薔薇の騎士》です。《薔薇の騎士》の公演でご一緒すると、O先生は「私は結局、《薔薇》が好きなのよねえ」とおっしゃってました。オペラを見尽くした挙げ句にたどり着いたのは《薔薇の騎士》だったんです。
実はsaraiも思いを同じくするものです。《薔薇の騎士》にこだわって、この数年ヨーロッパ各地の歌劇場で《薔薇の騎士》を聴き続けています。
O先生もsaraiも忘れられないのは、今は亡きカルロス・クライバーの畢生の指揮によるウィーン国立歌劇場の来日公演での《薔薇の騎士》です。
saraiは東京文化会館の中央3列目の間近からクライバーの華麗な指揮に見ほれた1994年10月15日の公演を1回だけ、聴きました。人生最高の経験となる圧巻のオペラ公演でした。もちろん、O先生は最前列中央に陣取っていました。そのときのO先生のお話が今でも忘れられません。この来日公演で、クライバーはまったくキャンセルすることなしに、計6回も《薔薇の騎士》を振りましたが、O先生はそのうち、4回も聴くとのことでした。できれば、6回全部聴きたいと目を輝かせていました。今のsaraiは分かりますが、この《薔薇の騎士》はその価値がありました。たった1回しか聴かなかった自分が残念でたまりません。せめて半分の3回でも聴いていたらなあと今では反省しています。
このクライバーの《薔薇の騎士》をO先生を偲んで、聴くことにしましょう。来日公演の記録は残っていませんが、来日公演に先駆けて、ウィーンで3月に公演した記録があります。東京での公演を彷彿とさせる素晴らしい演奏です。歌手もまったく同じです。
きらめくような前奏(クライバーの指揮が凄い!)に続いて、第1幕。幕の後半のフェリシッティ・ロットの歌う元帥夫人のモノローグに胸を打たれます。そして、大好きな第2幕の銀の薔薇の献呈のバーバラ・ボニーの美しい歌唱。涙なしには聴けません。第2幕の最後のオックス男爵のワルツは、クルト・モルの歌とクライバーの素晴らしい指揮が光ります。圧倒的です。第3幕のフォン・オッター、フェリシッティ・ロット、バーバラ・ボニーの3重唱はもう伝説的とも言っていい素晴らしいものです。ここで感動できなければ、オペラを聴く必要はないと断じたいくらいです。実演ではクライバーが3歌手とオーケストラを完全に支配していた様子が今でも脳裏に焼きついています。これがオペラの真髄です。
O先生とsaraiはこの《薔薇の騎士》のオペラ空間を共有したかと思うと、最後は涙なしには聴けませんでした。
O先生のオペラ魂にご冥福をお祈りします・・・
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