スタートにふさわしい超弩級のコンサートでした。
メイン演目のショスタコーヴィチの交響曲第7番は見かけの派手さの内に秘められた不可思議な魅力に満ちた音楽です。都響の心技一体とも言える渾身の演奏。そして、カエターノの見事な指揮にすっかり魅了されました。長大で大規模な交響曲を完璧に暗譜し、確信を持った見事なタクト捌きでした。
この日のプログラムは以下の内容です。
指揮:オレグ・カエターノ
チェロ:古川展生
管弦楽:東京都交響楽団
芥川也寸志:チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート
《休憩》
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調Op.60「レニングラード」
最初は芥川也寸志の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」。初聴きです。
初めはミニマル・ミュージックかと思いましたが、もっと複雑な構成です。前半、後半の2つの部分に分かれて(1楽章構成で続けて演奏されます)、前半はABABAの2部形式、後半は急緩急の3部形式。とても緊張感と不安感に苛まれたような音楽です。まるで戦争前夜の限界状況を描き出したかのような作品です。実際に作曲された1969年と言えば、1970年安保の前年ですが、1960年安保のような盛り上がりはありませんでしたしね。むしろ、戦後経済の高度成長期にはいったところです。もしかしたら、米ソの冷戦構造や核ミサイルなどの軍拡競争を憂いていたのでしょうか、何が作曲家の心に暗い重圧を与えていたんでしょう。曲の最後は熱く締めくくられますが、大変、重苦しいものを残す作品です。独奏チェロの古川展生の熱演も光りました。
休憩後、ショスタコーヴィチの交響曲第7番です。第1楽章から、ばりばりと派手な音楽が展開されます。第1主題が明瞭に、明瞭過ぎるくらいにくっきりと演奏されます。バーンスタイン+シカゴ響と似たような感じです。第2主題も明確なフォルムで演奏されます。中間部にはいると、小太鼓の連打のリズムに乗って、メリー・ウィドウの「マキシムに行こう」を巧妙に取り入れたメロディーが静かに弦楽器群で始まります。11回の単調とも言える変奏を繰り返しながら、頂点に上り詰めていきます。ラヴェルのボレロを下敷きにした手法です。そして、頂点に上り詰めたまま、圧倒的な音量で耳が痛くなるほどの爆発が続いていきます。それもやがて沈静化すると、ファゴットが執拗にアイロニーとも沈鬱とも思える複雑な響きを続けます。やがて、コーダにはいり、弦楽器が美しい響きで最初の主題を情感を込めて演奏。
第2楽章は哀惜を込めた演奏で始まり、中間でまた爆発的な盛り上がり、そして、また、哀惜を込めた演奏で静かに終わります。
圧巻だったのは第3楽章です。管楽器によるコラール、弦楽器によるロシア的郷愁のラルゴの繰り返しで始まり、途中、美しいフルートの独奏を経て、また、大爆発。その後が今日の演奏の白眉でした。ヴィオラによる第2主題の演奏の素晴らしさに胸を打たれました。もう、心がとろけるようです。哀切を極める演奏です。そして、追い打ちをかけるように、第3楽章冒頭のコラールが第1ヴァイオリンで透明に演奏されます。ここでsaraiの心はすっかり崩れ去り、感動の極み! さらに弦楽器がラルゴ主題を演奏し、もう涙、涙の感動です。
そのまま、第4楽章に入っていきます。感動の渦に巻き込まれたsaraiは高揚していく音楽に翻弄されるのみ。カエターノがたたみかけるように都響のアンサンブルを鼓舞していきます。そして、圧倒的なフィナーレ。
第3楽章から第4楽章にかけての魔術のような演奏には参りました。インバル以外で都響をこんなに鳴らし切った指揮者はいませんでした。それにしても都響の演奏の素晴らしいこと、恐るべし。個々の技量は別にして、トータルにはシカゴ交響楽団に迫る勢いでした。
音楽シーズンの皮切りに凄い演奏を聴かせてもらいました。4日後の日曜日からは、ハーゲン・カルテットのベートーヴェン・チクルスの後半が始まります。3日連続で残り8曲を聴きます。楽しみでなりません。
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