後半のプログラム、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番は静かに精妙な和音で始まりました。何か、凄いことが起きそうだと感じ始めたのは第4楽章。いつもはすっと聴いてしまう第4楽章が妙に心に響いてきます。そして、第5楽章のカヴァティーナ。その優しく、悲しい旋律に心を打たれ、うっすらと涙が滲みます。この素晴らしいカヴァティーナの後には、いつものフィナーレではなく、大フーガ。そう、それしかないでしょう。このカヴァティーナの後をあっさりとしたフィナーレで閉じてはいけません。ベートーヴェンが最初に意図した通りの大フーガこそ、ふさわしい音楽です。しかし、意外におとなしい演奏で始まりました。これは静かなカヴァティーナにあまりの飛躍で大フーガを演奏すると、連続性が損なわれるという意図かもしれません。しかし、それも一時のこと。当時としては革命的であったであろう不協和音の激しい嵐が襲ってきます。不協和音が収まっても、嵐が静まることはありません。凄絶な精神の叫びが響き渡ります。もう、これは音楽という枠で捉えられない人間の原初的な精神の昇華です。厳密なソナタ形式を確立したベートーヴェン自身が、芸術の根本に立ち返って、音楽の規則や形式から自由を獲得して、自らの内面をさらけだしたものです。それをハーゲン・カルテットが芸術の使徒として、我々、聴衆に提示してくれたんだと思います。この精神の嵐に対して、saraiはもう無防備に立ち尽くし、涙がとめどなく流れ落ちるに任せるだけ。それ以上、何ができるでしょう。ベートーヴェンの魂がハーゲン・カルテットの魂を通して、saraiの魂に流れ込んできます。魂の一体化、芸術の神髄ですね。
今回のチクルスでは、正直言って、出来、不出来はありました。でも、今日のような演奏をできる団体はsaraiの知る限り、誰もいません。きっぱりと断言できます。恐ろしいほどの実力を持った弦楽四重奏団であることをはっきりと思い知らされました。ベートーヴェン後期の3曲の弦楽四重奏曲、第13番、第14番、第15番は不滅の音楽ですが、それらをハーゲン・カルテットが超絶的なレベルで演奏してくれました。これらを聴いたのはsaraiの人生の財産とも言えます。彼らのCDを販売していましたが、ある意味、恐くて聴けそうにもないというのが正直なところ。いつの日か、気持ちも落ち着いたら、聴いてみましょう。
これ以上、もう書けませんが、今日のプログラムだけは紹介しておきます。
弦楽四重奏曲第9番ハ長調Op.59-3《ラズモフスキー第3番》
《休憩》
弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130 + 大フーガ 変ロ長調Op.133
そうそう、このコンサートは今年のベストをハイティンク+コンセルトヘボウ管のブルックナー交響曲第8番と競うことになりそうです。今年は本当に音楽の当たり年でとても嬉しい!!
なお、これまでのチクルスについては、前期シリーズの1日目はここ、2日目はここ、3日目はここ、そして、後期シリーズの1日目はここ、2日目はここをご覧ください。
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