今日のプログラムは以下です。
指揮:ヤクブ・フルシャ
管弦楽:東京都交響楽団
オーボエ:広田智之
ドヴォルザーク:弦楽のための夜想曲 ロ長調 Op.40 B.47
マルティヌー:オーボエと小オーケストラのための協奏曲 H.353
《休憩》
スーク:交響曲第2番ハ短調 Op.27《アスラエル》
まず、ドヴォルザークの夜想曲です。これは滅多に聴けない曲です。もちろん、初聴きです。これは弦楽5部のための曲です。弦楽セレナードを連想すると、美しそうな曲であることが予想されます。しかし、手元に予習用のCDさえ持っていません。原曲が弦楽四重奏曲第4番の第2楽章なので、それで代用して予習。しかし、実際にはそれなりにこの原曲を書き換えたようで、少し、内容が異なっていました。
今日の演奏はとても瞑想的で静謐に感じます。saraiは予習が中途半端なこともあって、消化不足気味ですが、それでも心に沁みる演奏です。フルシャは完璧にこの曲を把握しきっているようです。やわらかで大きな振りの見事な指揮。また、都響の弦楽セクションは素晴らしい響き。今日は四方恭子、矢部達哉のダブルコンマスでほぼベストの布陣。この布陣では、素晴らしくて、当たり前でしょう。10分足らずの短い曲ですが、ホール全体がチェコ色に染まるような美しい演奏にすっかり堪能しました。
次はマルティヌーのオーボエ協奏曲。この曲はモーツァルト、R・シュトラウスと合わせて、3大オーボエ協奏曲と言われている名曲だそうです。もっとも、誰が3大オーボエ協奏曲を決めたのは知りません(笑い)。ともあれ、3大オーボエ協奏曲自体がニッチだし、その上、マルティヌーとくれば、これはなかなか聴く機会がありません。これももちろん、初聴きです。これはちゃんとCDできちんと予習しました。マルティヌーらしいモダンな音響の明るい曲です。もっともモダンと言っても、作曲されたのが1955年ですから、この時期、調性もあり、構成も古典的な、この曲は、時代の先をいくモダンとは言えないかもしれません。ただ、現代的な視点で考え直せば、調性があろうがなかろうが、その作曲家の個性を反映し、かつ、訴求性のある音楽ならば、聴くに値する芸術と思います。そういう意味では、今後、もっと演奏機会が増えていく曲の一つになりうると思います。それはマルティヌーの音楽全体にも言える話です。ただ、大きな問題は若いうちにチェコを出たまま、歴史の大波(ナチス、冷戦体制)に呑み込まれ、死ぬまでチェコに帰国することはままならず、そのため、チェコという音楽基盤が希薄になったということがあります。このオーボエ協奏曲もボヘミア的な雰囲気は感じません。インターナショナルな音楽、悪く言えば、国籍不明にも感じてしまいます。saraiの聴き込みも不足していますから、もっとマルティヌーを聴き込んでいけば、印象も変わっていくかもしれません。何だかんだと言いながら、大変、興味を持っている作曲家の一人なんです。
今日のオーボエは都響の首席の広田智之。このところ、都響の木管は好調なので、彼の演奏も期待できます。実際、綺麗な響きのオーボエに満足でしたし、やはり、フルシャのサポートは素晴らしいものでした。楽章を追って、音楽のノリもよくなっていきました。第3楽章はノーカット版の演奏だったので、CDで聴くことのできなかった2番目のカデンツァも聴けて、満足。この曲もsaraiがまだまだ消化不足でしたが、珍しい曲が聴けて満足といったところ。
休憩後、スークの交響曲第2番《アスラエル》です。ヨゼフ・スークは同名の孫のヴァイオリニストのほうが身近な存在です。この祖父のほうのスークはこれまで、ヴァイオリンの小曲くらいしか聴いた覚えがありません。しかし、彼はドヴォルザークの直系の弟子で、彼の妻もドヴォルザークの愛娘なんだそうです。チェコの正統的な音楽の中心にいた人なんですね。ちなみにマルティヌーはプラハ音楽院でスークから教育を受けたそうです。
この交響曲第2番《アスラエル》は5楽章構成で全体は2部に分かれ、第1部は師ドヴォルザークの死を追悼するもの、第2部は愛妻の死を追悼するものです。愛妻オティーリエは前述した通り、ドヴォルザークの娘ですが、父ドヴォルザークの死の翌年、若干27歳の若さで父の後を追うように亡くなったそうです。師と愛妻を次々と失ったスークの胸中はいかばかりだったでしょう。
今日の演奏はフルシャの暗譜での気魄のこもったもの。第1部は師の追悼にふさわしく、実にダイナミックな迫力満点の演奏。ただ、日本人的感覚では、追悼という厳かな雰囲気が乏しいのが不思議です。国民性の違いでしょうか。ドヴォルザークで連想するボヘミア的な要素も多くはありません。第2部は愛妻の死を悼むということで、第1部よりは胸に迫るものがあります。第4楽章は静謐な音楽の中で、優しい愛情が感じられる美しさにあふれています。四方恭子のヴァイオリンソロも華を添えます。亡き妻の思い出という風情が感じられます。第5楽章に至り、激情が噴出します。妻の死とそれに対する嘆き、怒り、もろもろの感情でしょうか。フルシャも激しい指揮、受けて立つ都響も渾身の演奏。しかし、その激しさよりもラストの静けさがより印象的でした。繊細なフィナーレがこの曲の最大の聴きどころに思えました。
チェコ音楽への共感・理解が不足しているsaraiですが、フルシャの演奏するチェコ音楽には、とても惹かれます。チェコ音楽の真髄に迫っていくようなフルシャには、今後とも期待しましょう。来シーズンもマルティヌーの交響曲第4番とカンタータ《花束》が予定されています。楽しみです。既にマルティヌーの交響曲第6番は素晴らしい演奏で聴いているので、残りは4曲です。フルシャがマルティヌーの交響曲を全曲、演奏してくれることを願うばかりです。
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