コンサートは5コマに分かれており、1コマは前半2曲で休憩15分、後半1曲という感じで、全5コマで15曲になります。コマとコマの間は約40分の休みがあり、その間に昼食や夕食を急いで食べることになります。このほか、saraiの場合は横浜の自宅から片道2時間かかりますから、このコンサートは朝9時に家を出て、帰りは夜12時を過ぎることになります。まさに修行ということです。
もちろん、予習という準備も必要です。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は既に聴いているフィッツウィリアム弦楽四重奏団のほかに、ブロドスキー弦楽四重奏団、ルビオ弦楽四重奏団、ボロディン弦楽四重奏団(新盤)を聴き、そこで力尽きました・・・疲れた! 本当はさらにボロディン弦楽四重奏団(旧盤:第1番~第13番)とエマーソン弦楽四重奏団を聴こうと思ったんですが、それは今後の課題にします。あと、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のほとんどを初演したベートーヴェン弦楽四重奏団も聴きたいところです。
今日、演奏したアトリウム弦楽四重奏団は初聴きでその名前すら知りませんでしたが、大変な実力の持ち主でした。ロシア出身の弦楽四重奏団で現在はベルリンを活動の本拠にしています。2000年にサンクト・ペテルブルグ音楽院に学ぶ4人で結成。現在、メンバーは30代半ばということです。若いですね。彼らはインターナショナルな響きのモダンなスタイルのアンサンブルで、繊細で精密な音楽表現を志向しているグループに思われましたが、ロシア風の熱い音楽表現も随所に感じられました。メンバーでは特に第1ヴァイオリンのアレクセイ・ナウメンコの美しい響きが印象的。紅一点のチェロのアンナ・ゴレロヴァのスケールが大きく、深々とした響きも素晴らしいものでした。第2ヴァイオリンのアントン・イリューニンは目立つシーンが少なかったですが、なかなかの実力を発揮していました。ヴィオラのドミトリー・ピツルコの響きも素晴らしく、是非、このヴィオラでバルトークの弦楽四重奏曲も聴いてみたいと感じました。いずれも粒ぞろいの実力者の集団です。
今日のコンサートは、いずれの曲も高い水準の演奏でびっくりです。それも尻上がりに調子を上げていきます。白眉は第9番、第8番。素晴らしい演奏でした。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は雪解け(スターリンが死去し、その後を継いだフルシチョフがスターリン批判演説)以降、変質していったように思います。第10番あたりが境目でしょうか。トナーリティは堅持するものの、ノントナールな要素がどんどん増えていきます。トナーリティと音楽の芸術性の高さは関係ありませんが、ショスタコーヴィチの創造力の頂点がこの第9番、第8番あたりにあったように感じます。そして、これらの作品はそれほどノントナールな響きは感じられません。体制下では、西欧風のノントナールな要素は封じ込められたのでしょう。しかし、体制下で自由が束縛されていても芸術的な創造力はみなぎっていたと感じます。
以上のように書いたのは、4コマ目の第12番まで聴いたところでした。最後の5コマ目を聴いて、以上の前言は翻さなければなりません。この最後のコマの第13番~第15番が最高の演奏で、これらの後期の弦楽四重奏曲の真価を今夜、初めて、実感しました。ノントナールな響きも板に着いたというか、自分の芸術の中に見事に取り込んでいます。全曲聴き終わった時点で総括すると、第10番あたりまではある意味、保守的とも思えます。少なくとも、第13番以降はバルトークの弦楽四重奏曲にも比肩する素晴らしい作品群です。20世紀、バルトークの跡を継いだのは紛れもなく、ショスタコーヴィチだということを確信できました。
今日のマラソンコンサートでショスタコーヴィチの人生を追体験したような感すらありました。交響曲第5番の成功の後に書いた最初の弦楽四重奏曲から、最後の交響曲の第15番の後、死の前年に書いた最後の弦楽四重奏曲まで、彼の人生を辿る旅でした。
では、今日のコンサートの感想を順に書いていきましょう。
1コマ目のプログラムです。
午前11時
弦楽四重奏曲第1番ハ長調 Op.49(1938)
弦楽四重奏曲第2番イ長調 Op.68(1944)
《休憩》
弦楽四重奏曲第3番ヘ長調 Op.73(1946)
まず、第1番です。第2楽章、冒頭、ヴィオラのソロが美しく、それにチェロのピチカートが入ってくるところの美しい演奏は際立っていました。第4楽章、フィナーレは圧巻の迫力でした。
次は第2番です。第1楽章、明らかにここからアトリウム弦楽四重奏団のエンジンがかかってきました。第1ヴァイオリンの高域での下降旋律の美しさは素晴らしく、気魄の力演です。この調子で最期の第15番まで続くのだろうかと心配になるほどです。第2楽章、第1ヴァイオリン以外は単一音の持続、その上に第1ヴァイオリンの自在な飛翔。途中、全楽器が熱く歌い上げ、最後はまた最初の単一音の持続と第1ヴァイオリンの自在な飛翔に戻ります。第1ヴァイオリンの美しい響きが光ります。第4楽章、主題が各楽器に順番に引き継がれ、そして、頂点を迎えます。最後は迫力のフィナーレでしめです。
次は第3番です。第1楽章、肩の力の抜けた軽妙な開始ですが、響きの美しさが素晴らしいです。この曲から、さらに響きに磨きがかかってきました。いよいよ、エンジン全開です。ところでショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は軽い始まりと言っても油断ができません。単純で明快な主題、あるいは動機としか言えないようなものがそのまま展開して終わるのかと思っていたら、途中で大変身して、激しく高潮していくことがよくあります。この楽章も激しく高潮して、素晴らしい演奏になりました。第3楽章、スターリンを密かにパロディったとも言われる楽章ですが、激しい気魄の見事な演奏です。第4楽章、厳かな演奏が続き、最後はチェロのソロで静かに終わり、休みなく、次の楽章に。第5楽章、激しい演奏が続きますが、最後は第1楽章の冒頭のメロディーが回想され、音楽も沈静し、第1ヴァイオリンのピチカートが3度鳴らされて、曲を閉じます。素晴らしい演奏でした。
2コマ目のプログラムです。
午後1時30分
弦楽四重奏曲第4番ニ長調 Op.83(1949)
弦楽四重奏曲第5番変ロ長調 Op.92(1952)
《休憩》
弦楽四重奏曲第6番ト長調 Op.101(1956)
まず、第4番です。第1楽章、辻音楽師のアコーディオンか、あるいは古い教会のオルガンかを思わせる素朴なメロディーで始まりますが、音楽は次第に複雑に高揚していきます。第2楽章、第2ヴァイオリンとヴィオラの伴奏に乗って、第1ヴァイオリンが美しい響きを聴かせてくれます。まったく、第1ヴァイオリンのナウメンコの響きは冴えわたっています。それにチェロも加わって、リッチなサウンドを響かせます。とても美しい音楽です。第3楽章、歯切れのよい演奏。第4楽章、静謐なフィナーレが印象的。心に沁みてきます。
次は第5番です。全3楽章が続けて演奏されます。全体に瞑想的な気分が支配的で夢でも見ているかの如き、美しい演奏です。途中、激しく高揚するところもあり、迫力のあるアンサンブルの響きも魅力的でした。
次は第6番です。この曲を作曲する前に最初の妻ニーナの死、母の死もありましたが、「雪解け」も始まり、私生活でも第2の妻マルガリータとの結婚(短命には終わりましたが)もあり、この曲は全体に明るさが支配的に感じます。それもこのアトリウム弦楽四重奏団の解釈なんでしょう。第3楽章、この楽章は葬送とも言われており、軽い悲しみをたたえているものの、聴きようによっては、少し憂鬱さを秘めた心の安定感とも感じます。ショスタコーヴィチとしては、不思議な曲です。
3コマ目のプログラムです。
午後3時50分
弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調 Op.108(1960)
弦楽四重奏曲第8番変ハ短調 Op.110(1960)
《休憩》
弦楽四重奏曲第9番変ホ長調 Op.117(1964)
まず、第7番です。第3楽章の強い響きのフーガと静かなフィナーレが印象的でした。
次は第8番です。いよいよ、全15曲の弦楽四重奏曲もこの曲で折り返し。この曲はショスタコーヴィチの創造力が頂点に達した名曲。15曲中、もっとも有名な作品です。第1楽章の静謐さから第2楽章の激しい表現への突然の飛躍の見事さに感服します。フィナーレは静謐な響きで消え入るように曲を閉じます。アトリウム弦楽四重奏団の気魄と繊細さが発揮された素晴らしい演奏でした。美しい響きに魅了され、音楽の味わいを堪能しました。
次は第9番です。第8番と双璧をなす創作力が頂点に達した作品です。今日、これまでの中では最高の演奏でした。第1楽章、ヤナーチェックっぽいと感じるメロディーが新鮮に響きます。第2楽章、一転して、官能的とも思える響きにうっとりと夢見心地になります。まるで「トリスタンとイゾルデ」を思わせますが、禁断の愛ではなく、第3の若い妻イリーナへのときめきでしょうか。ショスタコーヴィチは50代半ばです。第3楽章、スケルツォですが、まるでウィリアム・テル序曲のようなリズム音型で激しい突進を見せます。第5楽章、これまでの各楽章のテーマを回想し、最後は激しい突進で劇的なフィナーレとなります。会場がどよめくような素晴らしい出来でした。saraiも強い感銘を受けました。
4コマ目のプログラムです。
午後5時50分
弦楽四重奏曲第10番変イ長調 Op.118(1964)
弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 Op.122(1966)
《休憩》
弦楽四重奏曲第12番変ニ長調 Op.133(1968)
このあたりで、聴くほうのこちらの疲れも頂点に達してきました。少し、集中力がなくなったかもしれません。そのあたりを勘案して、saraiの感想を読んでくださいね。
まず、第10番です。第2楽章、シンフォニックな激しい響き。第4楽章、フィナーレの第1ヴァイオリンのノントナールな響きが印象的でした。
次は第11番です。第1楽章、ノントナールな響きが美しく感じます。第1ヴァイオリンの演奏も見事です。全体的に素晴らしい演奏でした。第9番、第8番に次ぐ高いレベルの演奏でした。実に美しい響きが耳に残りました。
次は第12番です。トナーリティはあるのですが、どんどん、ノントナールな響きに満たされていき、疲れてきた耳には、捉えどころがなくなってきます。演奏が美しいだけに、かえって訴求力のない音楽に聴こえてきて、意識が音楽から乖離していきます。
5コマ目のプログラムです。これが最終セッションです。
午後8時20分
弦楽四重奏曲第13番変ロ短調 Op.138(1970)
弦楽四重奏曲第14番嬰ヘ長調 Op.142(1973)
《休憩》
弦楽四重奏曲第15番変ホ短調 Op.144(1974)
1時間強の長い休憩で、また、saraiも復活を遂げました。じっくり、集中して、最後まで聴きとおしましょう。
まず、第13番です。これは今日一番の名演でした。ノントナールな響きが幽玄の響きに感じられます。それだけ、アトリウム弦楽四重奏団のアンサンブルが冴えわたっており、響きが純化しているということでもあります。ショスタコーヴィチの創造力のピークは過ぎたかもしれませんが、これは枯淡の境地でしょうか。この曲がこんなに素晴らしいことを初めて、今夜の彼らの演奏で教えられました。
次は第14番です。関係ありませんが、saraiと配偶者はこの曲が作曲された年に結婚しました。第1楽章、ちょっと散漫な音楽に聴こえます。第2楽章、第13番と同様に素晴らしい響きです。緩徐楽章がノントナールな響きに合っているようです。しかし、頂点は第3楽章のフィナーレにあります。弦楽四重奏曲の極致とも思える響きの彩の輝き。甘美とも思える究極の響きに強く胸を打たれました。
次は第15番です。関係ありませんが、saraiと配偶者の長男はこの曲が作曲された年に生まれました。
演奏開始前、サプライズで場内が真っ暗になりました。4つの譜面台を照らす光だけが見えます。この曲は死の前年に作曲されましたが、ショスタコーヴィチは自らの死を悟っていたそうです。最後にして、最長の告別の弦楽四重奏曲です。この第15番の演奏の演出として、この暗闇は素晴らしいアイディアですね。もう、演奏の中身には触れません。最高に素晴らしい演奏でした。胸にジーンとくるだけでした。この感動は、全15曲を1日、聴きとおして、味わったものだけに与えられる最高のプレゼントだと思います。因みにこの第15番ほど、このアトリウム弦楽四重奏団にふさわしい曲目はありません。前作の第14番までは必ず、ベートーヴェン弦楽四重奏団が初演を受け持っていましたが、この第15番では、ショスタコーヴィチの長年の盟友ベートーヴェン弦楽四重奏団のメンバーも欠落し、演奏できず、代わりに初演したのは、タネーエフ弦楽四重奏団でした。そのタネーエフ弦楽四重奏団から直接、指導を受けたのがこのアトリウム弦楽四重奏団です。まさにショスタコーヴィチからの直系です。話を戻しましょう。演奏が終わり、譜面台を照らしていた光も消えました。真の暗闇です。ぱらぱらと拍手は置きますが、大半の人は身じろぎもせずに余韻の中にいます。やがて、照明が付き、明るくなると、もう、会場全体がスタンディングオベーション。演奏者も聴衆も一体になって、連帯感で結ばれた感動の時です。
これだけのコンサートは人生でも何度も経験できるものではありません。
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この記事へのコメント
sarai様、毎日とても楽しみに拝見しております。
一度だけ、昨年10月サントリーホールでのティーレマン記事へのコメントをさせていただいた者です。
その折にはお優しいお返事をありがとうございました。
この度もたいへん詳しく貴重な報告と感想に感謝でいっぱいです。
そして 武蔵野文化会館までようこそおいでくださいました!
武蔵野市に住みながら、この日はどうしても都合がつかず、演奏はもちろん、聴衆の様子もとても気になっておりました。
sarai様はじめ聴衆のみな様さすがですね。
こういう壮大なプログラムは、奏者だけでなく聴衆も一体となって作り上げていかないと成功しないのでしょう。
アトリウム弦楽四重奏団は いつだったか、朝のBCクラシッククラブで観たのですが、若いのに素晴らしい!という印象を持ったことをよく覚えています。
sarai様、これからもよろしくお願いいたします。 お礼まで。
2, saraiさん 2013/12/04 02:53
anさん、こんばんは。saraiです。
武蔵野に住まれているのなら、聴けなかったのは残念でしたね。素晴らしいコンサートでした。ハーゲン・カルテットのベートーヴェン・チクルスにも匹敵する内容で、料金は?分の1。15曲聴き終わったときの感動は何とも表現できません。聴衆全体が盟友に思えました。
コメントをいただき、また、力づけられました。また、コメントで力を与えてくださいね。