ウィーンの原点ウィンドボナ巡りを続けています。今はアム・ホーフ広場に来ています。広場のまわりはとても立派な建物が並んでいます。広場北には一際大きな建物が建っています。レーダラー・ホフ (Ledererhof;なめし職人広場) と言う建物です。これは皮なめし職人 (Lederer) の同業組合(ツンフト) 本部がここにあったことからついた名前です。

広場西側の建物の前には、赤い車両が並んでいます。ここは消防局の建物になっています。左側の薄いクリーム色の建物は『メルクライン・ハウス (Das Maerkleinsche Haus) 』で18世紀前半にヒルデブラント (Johann Lukas von Hildebrandt) によって設計されましたバロック様式の美しい建物です。この建物には消防隊博物館もあります。その右隣の濃いピンクの建物は『細い家 (Das Schmale Haus;シュマーレハウス) 』で、16世紀に建てられた古い建物です。

消防局の右側には、何やら、いわくありげな建物。この正体って? 16世紀後半にアム・ホ―フ広場の後ろのフェルバー小路 (Faerbergasse) に建てられたものが母体に次第に隣接する建物と結合し、アム・ホーフ広場の前まで拡大しました。この建物は1683年のトルコ軍侵攻で破壊後、修復され、武器庫 (Das Buergerliche Zeughaus) として使用されるようになりました。1848年の三月革命では、この武器庫から学生たちに武器が配られた歴史があります。現在は消防署の本部になっています。建物正面上部には金色の地球儀を支えている二体の石像、『永続性』と『強さ』が立っていましたが、現在は修復工事中で取り外されています。

ウルバニ館の隣には、お洒落なオープンテラスのあるレストラン。

ウルバニ館とアム・ホーフ教会に挟まれた旧コンラット宮には、Ma Maisonというショップが入っています。

旧コンラット宮とアム・ホーフ教会の間はアーチでつながっていて、そのアーチの下はシュールホーフ(Schulhof)という小路が抜けています。

折しも、そのシュールホーフからアーチをくぐって、白馬の2頭立ての白塗りの馬車がアム・ホーフ広場に出てきました。まるで、バロック時代にさまよいこんだような気持ちになります。

アーチに続くのは、アム・ホーフ教会の建物です。

このアム・ホーフ広場を離れて、今度はティーファー・グラーベン通りTiefer Grabenを歩きます。ティーファー・グラーベンという名称は深い濠という意味で、ローマ時代のウィンドボナの濠があったことを示しています。

この通りの両側には、風格のある建物が続いています。

どこまでも立派な建物が続いています。

建物の壁に派手な壁画があります。よく見ると、ベートーヴェンが1815年から1817年まで住んでいたと書いてあります。作品101、102、98、106、137と明記されているので、ここでこれらの作品が作曲されたのでしょう。それぞれ、ピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101、チェロソナタ第4番作品102-1、チェロソナタ第5番作品102-2、連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』Op.98、ピアノ・ソナ第29番 変ロ長調『ハンマークラヴィーア』 Op.106、弦楽五重奏曲フーガ ニ長調 Op. 137ということになります。晩年の名作揃いですね。

この建物を過ぎて、さらにティーファー・グラーベン通りを進みます。

正面に立体交差の橋が見えてきました。ホーヘ橋(Hohe Brucke)でしょう。1903-4年に作られたそうです。ウィーンでは新しいものですね。

ホーヘ橋のアーチの下に差し掛かりました。

橋の上に上る階段もありましたが、上らずにこのまま、ティーファー・グラーベン通りを進みます。橋の上の通りはヴィップリンガー通りWipplingerstraßeです。

橋の下です。

通りを進んだところから、ホーヘ橋を振り返ってみます。立派な建物に囲まれています。

これはHotel Orient。綺麗な装飾です。

通りには、気になる装飾のある建物がずらりとならんでいます。右手に続く石段の先には、聳えるように立つマリア・アム・ゲシュターデ教会Katholische Kirche Maria am Gestadeの尖塔も見えます。

ティーファー・グラーベン通りはこのあたりでお終いです。さらにウィンドボナの跡を追う散策は続きます。
散策のルートを地図で確認しておきましょう。

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