初めてアンドラーシュ・
シフの演奏をCDで聴いたのは、友人が是非聴いてほしいとフランス組曲のCDを貸してくれたときです。そのアルバムには今日の演目のフランス風序曲も含まれていました。それまではバッハの鍵盤音楽のピアノ演奏と言えば、グレン・グールド、そして、クラウディオ・アラウのファイナル・セッションのパルティータ4曲、それにマルタ・アルゲリッチの若い時のバッハ・アルバムだけを聴いていました。アンドラーシュ・
シフのフランス組曲のアルバムを聴いて、いっぺんに魅了されました。すぐにパルティータのCDも購入し、聴いてみましたが、これは今一つ。後年、パルティータは新録音のアルバムが出て、大変満足しています。
シフのバッハ演奏は若い時から一定のレベルにありましたが、昨今の充実ぶりは目を見張るものがあります。パルティータはアラウ(4曲のみ)、アルゲリッチ(第2番のみ2種の録音あり)、
シフがsaraiにとって3強です。フランス組曲、フランス風序曲は
シフが断トツ。
シフの他のバッハのCDもどんどん再録音してくれることが望まれます。
そういうわけで、前からシフのバッハ演奏を実演で聴きたかったんですが、これまで機会に恵まれませんでした。今年、来日することを知りましたが、サントリーホールやみなとみらいホールではバッハの演奏はありません。がっかりしていたら、紀尾井ホールだけでバッハの演奏があることを知り、これは是非、聴いてみたいと思い、優先予約で確実にチケットを入手するために紀尾井ホール会員に入会。首尾よく、チケットを入手できました、それも最上に近い席です。
実は今日まで3泊4日で京都の旅に出かけており、今日は京都から新幹線に乗って、直接、紀尾井ホールに向かいました。寒の戻ってきた夕刻、期待に胸を膨らませて、四ツ谷の駅に降り立ちました。そして、生涯の中でも最高のバッハに出会うことができました。
まず、今日のプログラムを紹介しておきます。
J.S.バッハ:二声のインヴェンション BWV772-BWV776 第1番~第5番
バルトーク:子供のために BB53 Sz.42より10曲
J.S.バッハ:二声のインヴェンション BWV777-BWV781 第6番~第10番
バルトーク:(スロヴァキア)の民謡からの3つのロンド BB92 Sz.84
J.S.バッハ:二声のインヴェンション BWV782-BWV786 第11番~第15番
バルトーク:組曲 Op.14, BB70 Sz.62
《休憩》
J.S.バッハ:フランス風序曲 ロ短調 BWV816
バルトーク:ピアノ・ソナタ BB80 Sz.80
《アンコール》
J.S.バッハ:フランス組曲第5番 ト長調 BWV831(全7曲)
J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ト長調 BWV971より第1楽章
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番 ハ長調 BWV846 前奏曲とフーガ
最初は二声のインヴェンションから初めの5曲です。第1番の耳慣れた曲が流れてきますが、シフの独特の節回しに魅了されます。30年前のCDでも同じスタイルではありますが、現在のシフはレベルの異なる演奏です。大きく違うのは響きの豊かさです。完全にペダルから足を離したノンペダル奏法ですが、とてもそれを感じさせない響きの豊かさがあります。それでいて、音の濁らないピュアーな響きでもあります。ピアノはスタインウェイですが、何かピアノに仕掛けでもあるかのような驚異的な演奏です。この響きはパルティータの新録音でも感じたものです。シフの演奏している姿を見て思いました。この人は大変バッハの音楽に愛情を注いでいて、まるで慈しむかのようなデリケートな演奏です。こういう気持ちをたゆまなく抱いて、長い月日の努力を経て、素晴らしいバッハの演奏に到達したんだという強い思いにかられました。子供の練習曲とも言える二声のインヴェンションが芸術の薫り高い音楽に昇華した演奏に驚愕していているうちに第5番まで終了。
次に休みも置かずにまるでバッハのインヴェンションの続きのようにバルトークの《子供のために》が始まります。この曲もバルトークが書いた練習曲。繊細な響きではありますが、バッハの音楽のようにまではソフィスティケートされていなかったのは残念。もっともシフは野性味を表現したかったのかもしれません。バルトークはシフにとって《お国もの》になりますが、民族的な表現を志向せずに20世紀の古典音楽のような表現に聴こえました。なお、バルトークはペダルを使った演奏。それでもペダルの使い方は最小限です。
次はまた二声のインヴェンションの第6番に戻ります。ここではバルトークから少し間をおいての演奏です。バルトークとの対比で実に優しげな音楽が始まります。第7番ホ長調は大変素晴らしく、心に沁み入る演奏です。バッハの鍵盤音楽の最高レベルの音楽に聴こえます。じっと聴き入り、大きな感銘を受けました。続く第8番ヘ長調は一転して、愉悦に満ちた演奏です。弾き始める前にシフの口許から軽い笑みがこぼれていました。自在な演奏に心が高揚します。続く第9番は第7番と同様に感銘深い音楽。シフの起伏の大きい音楽表現にますます驚くばかりです。
次のバルトークは当日演奏曲目の変更になったものです。当初は《3つのブルレスケ》でした。《民謡からの3つのロンド》は予習ももちろんしていませんし、CDでも未聴の曲です。民謡をもとにしたバルトークらしい音楽ではありましが、正直、演奏を把握するところまではいきませんでした。多彩な表現と繊細な響きだけが耳に残りました。
次は二声のインヴェンションの最後の5曲です。何と言っても最後の第15番ロ短調のフーガが素晴らしく、感銘を受けました。
次はバルトークの組曲です。これは耳馴染んだ曲でもありますし、シフの見事な演奏に乗せられました。バルトークらしい激しさとリズムを持った曲ですが、ある意味、とても上品な表現。saraiも昔はスリリングな演奏を好みましたが、こういう豊かな響きで古典的に演奏されるのも感銘を受けます。年齢、時代とともに音楽の感じ方も変わります。バルトークも先鋭さだけでなく、音楽の深みで聴く時代になってきたのかもしれません。まあ、それも演奏家の優れた音楽性あったればこそ、ですけどね。
休憩後、この日のメインの2曲。
まず、バッハのフランス風序曲です。第1曲の序曲の素晴らしいこと。荘重な付点のメロディーの美しさ、フーガの繊細な表現が繰り返されて、とても高揚感を覚えました。続く舞曲も素晴らしく、特にガヴォット、パスピエには心が躍ります。そして、最後のエコーには感動。素晴らしい最高のバッハを聴きました。少なくともこの時点ではそう思っていました。
最後はバルトークのソナタ。これは素晴らしい。組曲と同様にスリリングさと野性味で押し通すような低レベルの演奏とは根本的に違っています。人気最高の若手某ピアニストの演奏をテレビで聴いたことがありますが、今日の演奏の対極のような演奏で音楽というよりもスポーツのようで、派手にスリル感だけを前面に出したものでした。今日のシフの演奏はバルトークの音楽の奥深さ、精妙な和音・不協和音の響きとリズム、これらが交錯して、20世紀最高とも思えるピアノ音楽を見事に表現したものでした。最後に椅子が後ろにずれるほどの激しい表現も音楽の高みに上り詰めたものと思います。最高のバルトークでした。
アンコール曲は当然、バッハとバルトーク、1曲ずつかと思っていました。
ところが、まず、バッハではありましたが、凄く耳馴染んだ曲が流れてきます。最初は分かりませんでしたが、2曲目、3曲目と続きます。あっ、これはフランス組曲です。何番かは分かりかねますが、saraiの大好きな曲です。フランス組曲を弾かせたら、断トツのシフが目の前で素晴らしい演奏です。CDの演奏も素晴らしかったですが、これはそんなものではありません。結局、フランス組曲第5番を全曲弾いてくれました。この日、最高の演奏でした。実にピュアーな響きで華のある演奏。フランス組曲も再録音してほしいですね。
アンコール2曲目は、何とイタリア協奏曲。まるで、バッハの名曲演奏会のようになってきました。イタリア協奏曲はいたずらに派手な演奏が多いですが、シフの演奏は節度のある美しい演奏です。うっとりと聴き入っていたら、第1楽章でやめてしまいました。フランス組曲同様、全曲演奏してくれるものだと思っていたのに残念。
しかし、アンコールの3曲目がありました。それも平均律です。大好きな第1番が鳴りはじめたときは信じられませんでした。分散和音のような前奏曲の素晴らしい響き、それに続く素晴らしいフーガ。リサイタルの最高の締めになりました。だって、平均律の後に弾ける曲なんてありませんものね。平均律に匹敵するのはゴールドベルク変奏曲ですが、これは長すぎる!
アンコールがリサイタルの第3部のようになりました。それも最高のメインです。
シフのバッハの素晴らしさに驚愕し、高揚した気持ちのまま、帰途に着きました。旅の疲れも吹っ飛びました。そうそう、明日からはその京都の旅の記事を書き始めます。ご愛読ください。ブダペストの旅はそれまで休止しますので、悪しからず。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽