前回に続いて、アルテ・マイスター絵画館のフランドル・オランダ絵画の続きを見ていきましょう。このセクションには、イタリア絵画以上に素晴らしい作品が並びます。中でも、これから見ていくフェルメールとレンブラントの作品は凄いとしか言いようがありません。
ヴァン・ダイクの《赤い腕バンドをつけた鎧の男の肖像》です。1625年から1627年頃、ヴァン・ダイク26~28歳頃の作品です。ヴァン・ダイクはイタリアでの修行でルネサンスの巨匠やティツィアーノの作品から強い影響を受けました。当時、肖像画家を自任していたヴァン・ダイクが描いた作品ですが、暗めの落ち着いた色調で凛々しい若い男性の鎧を着けた姿を見事に表現しています。若い男の顔の表情の表現が素晴らしいですね。心の静かな内面まで感じさせられます。

レンブラントの《サスキア》です。1633年頃、レンブラント27歳頃の作品です。レンブラントが世話になっていた美術商の親戚の娘サスキアと結婚することになるのはこの作品が描かれた翌年の1634年のことです。サスキアはレンブラントよりも6歳ほど若く、サスキアの父は元レーワルデン市長で上流市民階級に属していました。レンブラントはこの結婚を通じて、上流市民階級の多くの顧客を獲得することになります。レンブラントが人気肖像画家として華やかに活躍するのはサスキアが死去する1642年までのことでした。レンブラントが人生の幸福感を味わったのはこの時期でした。この時期にサスキアはレンブラントの油彩作品だけでも10数点の作品に登場し、私生活においても芸術活動においてもなくてはならない存在でした。この作品でのサスキアの微笑みは来たるべきレンブラントの黄金時代を予感させるものですね。

レンブラントの《放蕩息子の酒宴の場面を演じるレンブラントとサスキア》です。1635年頃、レンブラント29歳頃の作品です。この作品は28歳で上流市民階級の娘サスキアと結婚したレンブラントがその翌年、幸福と喜びの絶頂の様子を描いたものです。ちょっと浮かれ過ぎの感もありますが、人生の絶頂期ということで許されるのではないでしょうか。しかし、近年になって、この作品の解釈が変わってきました。以前は題名も単に《レンブラントとサスキア》ということでした。今では、新約聖書・ルカ福音書にある放蕩息子の物語の主題が作品に秘められていると考えられています。それはそうですよね。あれだけの天才画家レンブラントが単に楽天的なものを描くわけがありませんよね。そう考えると、一種のアイロニーさえ感じられます。

レンブラントの《ガニュメデスの誘拐》です。1635年頃、レンブラント29歳頃の作品です。この作品では鷲に姿を変えたユピテルが、トロイア王国の建国者トロスの息子で、絶世の美少年のガニュメデスをお小姓として天上に誘拐する様が描かれています。もっとも美少年と言ってもガニュメデスの泣き叫ぶ顔は悲惨さを超えてユーモラスでもあり、また、恐ろしさのあまり、放尿している様子も微笑ましいものです。迫力と言い、ユーモアと言い、構図の見事さも含め、天才レンブラントの鮮やかな作品と言えるでしょう

レンブラントの《婚宴で謎をかけるサムソン》です。1638年頃、レンブラント32歳頃の作品です。この作品で描かれている内容は長い物語の一部の場面です。ここで描かれている場面はサムソンがペリシテ人の娘と結婚する場面です。この結婚式でサムソンは列席したペリシテ人たちにひとつの謎かけをして、謎を解いた者に賞品として、衣を与えることを約束します。その謎とは「食べるものから食べものが出た。強いものから甘いものが出た。強いものとは何か?甘いものとは何か?」です。こんな謎は解けっこありません。単にその結婚式の前に、サムソンがライオンを倒し、そのライオンの死体にミツバチが群がったことを見た経験を踏まえての謎かけだったんです。もちろん、誰も答えられなかったわけです。画面の中央にでんと座って、強い光があたっているのがペリシテ人の花嫁です。その右側にいる長い髪の男がサムソンでペリシテ人の男たちに夢中になって、謎かけをしています。この絵では、その後の物語の展開も暗示しているようです。花嫁と花婿のちぐはくさ加減です。
この場面の後日檀は次のようなものです。花嫁にせがまれて、つい、サムソンが謎の答え、すなわち、強いものはライオンで、甘いものはミツバチだと明かします。花嫁はペリシテ人の一人にぽろりとこの正解を教えていまいます。正解を言い当てられたサムソンは何と残虐にもほかのペリシテ人たちを殺して奪った衣をこの男に与えます。その残虐行為に怒った花嫁の父親によって、サムソンの結婚は数日で終了。その後、サムソンはますますペリシテ人に残虐行為を働きます。
このレンブラントの描いた歴史物語は光の使い方こそ、彼の面目躍如ですが、絵そのものからの感銘はさほど受けないというのがsaraiの正直な感想です。

レンブラントの《赤い花を持つサスキア》です。1641年頃、レンブラント35歳頃の作品です。サスキアの落ち着いた美しさが内面から滲め出てきているようです。21歳でレンブラントと結婚したサスキアはこのとき28歳で、サスキアも、そして、レンブラントも人生の頂点。しかし、この翌年に突然、サスキアは亡くなります。これが人間の運命でしょうか。

フェルメールの《娼家にて》です。1656年頃、フェルメール24歳頃の作品です。この作品はフェルメールの初期作品で、署名はもちろん、年記もはいっています。年記がはいった作品はわずか3点しかなく、この作品はその最初のものです。この作品は一見、風俗画ですが、テーマは放蕩息子を扱ったもので、宗教画家を目指したというフェルメールの過渡的な作品とも言えるでしょう。正直なところ、saraiには一見して、この作品がフェルメールの真作かどうかがよく分かりません。フェルメール好きのsaraiにしても、こんな作品をありがたがって鑑賞する趣味はありません。

フェルメールの《手紙を読む女》です。1659年頃、フェルメール27歳頃の作品です。この作品はこの窓辺から差す光とその光に照らされた室内で女が無心の行為にふけるというフェルメール劇場の開幕となった記念碑的作品です。この典型的パターンに到達したフェルメールは世界の永遠を写し取る大芸術家に飛翔しました。本当に素晴らしい作品です。saraiは《デルフトの風景》と《牛乳を注ぐ女》の2作を異常に愛していますが、この作品もそれらに次いで好きな作品です。窓辺で手紙を読みふける女の一瞬の姿を精密に描き切ることで、大袈裟に言えば、宇宙の永遠の神秘を描きとったと思える、フェルメールの天才的な芸術性を強く感じます。アルテ・マイスター絵画館では、ヤン・ファン・エイクの《3連祭壇画》と並ぶ至宝と思います。

フランドル・オランダ絵画は本当に堪能しました。次はドイツ絵画に移りますが、何と言ってもsaraiの大好きなクラナッハの作品が楽しみです。
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