今年、最後の高額チケットのコンサート。まあ、それにふさわしい充実度のコンサートでした。最近のヤンソンスの充実ぶりには目を見張るものがあります。一時、体調不良で先が危ぶまれましたが、このまま、長生きして、真の巨匠になるのではと思わされます。頑張ってほしいものです。
また、クリスチャン・ツィメルマンのピアノは初めて、実演に接しましたが、その力演には正直、驚きました。自分の耳でちゃんと聴かないと、その人の実力は分からないものですね。そんなに期待しないで聴きましたが、大変な演奏でした。ブラームスをこんなに弾きこなせる人がいたんですね。ダイナミックなフォルテの演奏から、抒情的なパッセージまで、見事な演奏でした。また、今後、要チェックのピアニストが増えました。現在、世界中に素晴らしいピアニストがあふれている状況で、嬉しいことですが、聴衆としては、経済状況も含めて、嬉しい悲鳴というところです。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番は力を入れて、予習しました。このコンサートに向けて、予習したのは以下。
ジュリアス・カッチェン/ピエール・モントゥー指揮/ロンドン交響楽団(1963年)。
ルドルフ・ゼルキン/ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管(1968)。 LPレコード。
クラウディオ・アラウ/カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/フィルハーモニア管(1960年)。スタジオ。
クラウディオ・アラウ/ラファエル・クーベリック指揮/バイエルン放送響(1964年)。ライブ。
クラウディオ・アラウ/ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮/北ドイツ放送交響楽団(1966年)。ライブ、モノラル。
クラウディオ・アラウ/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮/モスクワ放送交響楽団(1968年)。ライブ。
クラウディオ・アラウ/ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1969年)。スタジオ。
カッチェン得意のブラームスは素晴らしいピアノですが、モントゥー指揮がややミスマッチ。ジュリーニ、クーベリック、ハイティンクあたりと組めば、素晴らしかったでしょう。残念です。ゼルキンは期待しましたが、ピアノの線が細く、力強さに欠けます。もしかしたら、CDなら音が改善されているかもしれません。後でチェックしてみます。セルは素晴らしい演奏です。
残りはアラウのピアノで、スタジオ録音2種、ライブ録音3種、聴きました。いずれもアラウのための利いたスケール感のある演奏で、美しい響きと深い表現に満ちており、素晴らしいこと、この上なし。これらを聴いているとほかのピアノが聴けなくなります。スタジオ録音はどちらも音質が素晴らしく、ジュリーニもハイティンクも彼らのブラームスの世界を表現している素晴らしい演奏。ライブでは、モノラル録音ながら、シュミット・イッセルシュテットとの共演が素晴らしい演奏です。熱さで言えば、クーベリックとのライブの凄まじい演奏も魅力的。ロジェストヴェンスキーはロシアらしい重厚な音で、アラウの音の響きとの対比が面白い演奏です。
これらの中から、saraiが今後も繰り返し聴きたいのは、アラウとジュリーニ、そして、ハイティンクの共演盤です。これ以上の演奏は望みません。
R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」もこの際、力を入れて、予習しました。軸となったのはフルトヴェングラー指揮のものです。
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1942年2月17日、ライヴ録音)
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1947年9月16日、放送用録音)
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1951年3月1日、ローマでのライヴ録音 )
フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィル(1953年8月30日、ザルツブルグ音楽祭でのライヴ録音)
フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィル(1954年3月、スタジオ録音)
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1954年4月27日、ティタニア・パラストでのライヴ録音 )
クレメンス・クラウス指揮/ウィーン・フィル(1950年6月録音、スタジオ録音)
カラヤン指揮/ウィーン・フィル(1960年、スタジオ録音)
カラヤン指揮/ベルリン・フィル(1972年、スタジオ録音)。カラヤンはベルリン・フィルと1982年に再録音。これは以前聴いたのでパス。
フリッツ・ライナー指揮/シカゴ交響楽団(1954年、スタジオ録音)。ステレオ録音。素晴らしい音質。
フリッツ・ライナー指揮/シカゴ交響楽団(1961年、スタジオ録音)。
クラウス・テンシュテット指揮/ロンドン・フィル(1986年、スタジオ録音)。
ゲオルク・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団(1973年、スタジオ録音)。
ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1973年、スタジオ録音)。
フルトヴェングラーは濃密とも思える後期ロマン派の香りに満ちた魅力的な演奏。ベルリン・フィルとの演奏では、1947年と1951年が切れ込み鋭く、ロマンティックさも兼ね備えた大変な演奏。ウィーン・フィルとの演奏では、1953年8月30日、ザルツブルグ音楽祭でのライヴ録音の緊張感、1954年3月のスタジオ録音の高音質で柔らかい表現のいずれも必聴ものです。
このフルトヴェングラーの演奏に並ぶのがクレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルです。シャープできびきびした表現はさすがにR.シュトラウスの盟友ならではの表現。
カラヤン、ライナー、テンシュテット、ショルティ、ハイティンクはいずれも音質のよいステレオで、それぞれの持ち味を出した名演揃い。
ともかく、この曲は聴き込むほど、その素晴らしさが身に沁み入ってきます。
そういうところで今日の演奏です。
今日のプログラムは以下です。
指揮:マリス・ヤンソンス
ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン
管弦楽:バイエルン放送交響楽団
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15
《休憩》
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」 Op.20
R.シュトラウス:オペラ『ばらの騎士』組曲 Op.59
《アンコール》
シュトラウスⅡ:ピツィカート・ポルカ
リゲティ:ルーマニア協奏曲から第4楽章
前半のブラームスのピアノ協奏曲第1番は大曲です。第1楽章から、クリスチャン・ツィメルマンの気魄に満ちた演奏で充足感を味わいます。マリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団も堂々たる演奏でピアノを支えます。しかし、この曲の本領は第2楽章以降。第2楽章ではツィメルマンのピアノがブラームスのピアノ独奏曲のように味わい深く奏でられます。いいですねえ・・・ブラームスを味わい尽くすという感じです。時折はいるオーケストラとの掛け合いも見事です。そのまま、素晴らしく響くピアノが勢いよくメロディーを奏でながら、第3楽章に突入していきます。実にダイナミックな表現。些細なミスはその気魄が飲み込んでいきます。激しく、ピアノとオーケストラが絡み合い、見事なフィナーレで大満足。ツィメルマンのスケール感のある美しく鳴り響くピアノの音色にすっかり魅了されました。
休憩後は楽しみにしていたR.シュトラウス。まさに期待通りの演奏でした。交響詩「ドン・ファン」はフルトヴェングラーの濃密なロマンティシズムこそありませんでしたが、壮麗で颯爽としていて、若き日のR.シュトラウスの新しい音楽創造の勢いを具現化したものでした。
オペラ『ばらの騎士』組曲は、オペラの流れに沿って、組曲化して、最後にコーダを付けたものですが、これはあくまでも管弦楽曲の味わいです。オペラティックな雰囲気はそれほどありません。もちろん、聴衆はそれぞれのオペラ体験から、オペラ『ばらの騎士』のシーンを想像してしまうかもしれませんけどね。途中、オックス男爵のワルツのあたりから、演奏は盛り上がります。第3幕の3重唱以降はロマンとやるせなさが漂います。ちょっとしたウィーンの茶番劇だったのよ・・・そういうフレーズで、人生の無常さを思わせられます。ウィーン風の音楽に包み込まれて、己の人生の総括に至ってしまいそうです。そういう気持ちに浸っていると、最後はまたオックス男爵のワルツで華々しく、曲は閉じられます。
そういえば、今年は久しぶりに楽劇《ばらの騎士》を聴かなかったことを思い出しました。そのかわり、今年の終わり近くに、組曲であれ、『ばらの騎士』を聴かせてもらって、感謝です。
アンコール2曲目は、バルトークちっくな曲が流れると思ったら、それはリゲティでした。同郷の作曲家はルーマニアの民俗音楽を同様に使って、ポスト・バルトークとも思える音楽を作ったんですね。大変な曲をアンコールで演奏してくれたヤンソンスとバイエルン放送交響楽団に感謝です。
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