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古都セゴヴィア訪問:こだわりのアルカサルの姿を求めて、どこまでも

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/9回目

セゴヴィアの城壁の外に出て、ようやくアルカサルの美しい姿を眺めることができました。エレスマ川近くの広い緑地からの眺めです。


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アルカサルは船のような形になっていて、ここからは船首を左の角度から見る感じ。


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ですが、saraiはどうしても右の角度から見たいんです。それが見られるところを探しながら、移動しましょう。足が疲れて、足裏も痛くなっていますけどね。
また自動車道路に復帰して、さらに先に進みます。どんどん歩いていくと、川沿いに立派な門が見えてきました。


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門の前に着きました。この門はFuencisla門で、1706年に建てられたバロック様式のものです。市内へ通じる門として建造され、最近、修復作業を終えたところで、美しい姿の門です。


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この門を過ぎてさらに先に進みますが、アルカサルが見える筈の方向は木々や丘に阻まれて視界が得られません。このまま進んでもダメなようです。残念ながら、元来た道を戻ることにします。
先ほどの緑地が近づいたところで、自動車道路の分岐路があります。最後のチャンスとばかりにこの分岐路、クエスタ・デ・ロス・オヨス通りCalle Cuesta de los Hoyosを進むことにします。道路は上り坂で、自動車はばんばん走っていきますが、徒歩ではなかなか過酷です。もう少しだけは進んでみて、アルカサルが見えるかどうか確かめてみましょう。既に配偶者は疲れ切って、かなり後ろから歩いてきます。祈るような気持ちで坂道を上っていくと、歩道が少し広がったところがあります。ここに近づいていくと、何と木々の間にアルカサルの姿が見えてきました。一度に疲れが吹っ飛びます。あれほど願っていた船首を右から見たアルカサルの姿です。


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後ろから歩いてくる配偶者にも声を掛けて、さらに眺めのよい場所に移動します。木々の上にアルカサルの美しい姿を見ることができます。苦労して頑張った甲斐がありました。


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もう少し場所を変えて、道の脇にある縁石に乗って、もう1枚。


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これがsaraiの総決算の入魂のアルカサル。美しいですね。白雪姫の城のモデルになった絶景、セゴヴィアのアルカサルです。


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調子に乗って、もう一枚。


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本当に満足しました。が、どっと疲れも出てきました。これから、長い道のりを歩いてセゴヴィアの街の中心に戻らないといけません。
ここまでの道のりを地図で確認しておきましょう。なお、Fuencisla門は地図の外側。ずい分、無駄足を使ってしまったんです。


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緑地前まで戻ってきて、船首の左からのアルカサルを再び見ます。えっ、右でも左でもそんなに変わりはしないっていうことは言いっこなしですよ。


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この先に左に分岐する道があり、その道の先に変わった形の教会が見えます。何と12角形の教会です。これは13世紀にテンプル騎士団によって建てられたラ・ベラ・クルス教会Iglesia de la Vera Cruzです。とても近くまで歩いていく体力は残っていないので、写真を撮るだけで失礼します。


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エレスマ川を渡ります。城壁はもうすぐ。


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城壁沿いの通りを歩き、サンティアゴ城門が見えてきました。


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ようやくサンティアゴ城門まで戻ってきました。アーチをくぐると、セゴヴィアの旧市街です。


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城門を抜けてまっすぐ歩くと、ラ・プエルタ・デ・サンティアゴ通りCalle la Puerta de Santiagoにぶつかります。ここにまた日本語表示もある道しるべ。先ほどは右の方から歩いてきましたが、今度はまっすぐにマヨール広場を目指して、左の方に歩いていきます。


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そろそろお腹も空いてきたので、今日のもう一つのお楽しみの子豚の丸焼きの老舗メゾン・デ・キャンディッドに向かいます。
アルカサルの眺めを楽しんだ後のここまでのルートを地図で確認しましょう。


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この後は次回で。








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古都セゴヴィア訪問:老舗レストランで名物の子豚の丸焼き・・・道に迷い、バスにダッシュ

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/10回目

城壁の外を歩き回ってアルカサルを眺めた後、サンティアゴ城門を抜けて城壁内の旧市街に戻ってきました。ここから、ローマ水道橋に隣り合わせの老舗レストラン、メゾン・デ・キャンディッドに向かいます。ずっと石畳みの上り坂が続き、すっかり疲れ切った足がガタガタです。分岐路にマヨール広場への道しるべがあったので、それに従うことにします。しかし、それから先は狭い路地がくねくねと曲がりくねって続いていて、方向感覚を失います。迷いながらもなんとかマヨール広場が見つかったときには、心底ほっとしました。こんなに道が入り組んでいることが分かっていれば、最初に来たときの道をそのまま戻るんだったと後悔しましたが、《後悔、先に立たず》です。ともかく、マヨール広場に着きました。


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マヨール広場からは、先ほど歩いてきた道を戻ります。ファン・ブラボ通りを歩いていくと、ラ・カナレハ展望台に到着。ちらっと美しい眺めを見るだけで、そのままセルバンテス通りに進みます。


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ここからはローマ水道橋のあるアソゲホ広場はすぐです。広場に着き、メゾン・デ・キャンディッドのお店に向かいます。もうすぐ1時ですから、そろそろ開店でしょう。お店に着いたのは1時まであと10分くらいというときでした。開店まで待つつもりでいたら、お店には既に客が入っています。1時にしか開店しないと案内書には書いてあったのにね。このレストランは見た目は古い小さなお店ですが、中はかなり広くて、大勢の客が入っています。食事だというと狭くて急な階段を上って2階に案内されました。


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2階はいかにも老舗という雰囲気の部屋です。まだテーブルはがらがら空いています。居心地のよさそうなテーブルに案内されました。疲れ切っているので、椅子に座って、やっと少し楽になりました。


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メニューを手渡されましたが、スペインで初めての食事でオーダーが難しい。子豚の丸焼きを注文するのは最初から決まっているのですが、それ以外に何を注文しようかと迷います。決心もできないうちに、子豚の丸焼きを1人前と・・・と言い出すと、それで了解とのこと。えっ、それでいいのって思いつつ、飲み物のミネラルウォーターもお願いします。冷えたミネラルウォーターはすぐに出てきました。


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そのまま待っていると、出てきました。子豚の丸焼き、すなわちコチニーリョ・アサードCochinillo Asadoです。


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これが1人前。1人前とのことですが、2人でもこれで十分そうです。残念ながら、子豚の頭(顔)は拝見できませんでした。1匹で6人前だそうですから、1人前分を調理場で切り分けてきたようです。


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取り皿に1切れずつ分けていただきます。


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皮がパリパリのジューシーなお肉が美味しいです。味は結構、脂っこいです。美味しいかどうかというよりも、これは名物料理ですから食すことに意義があります。結果的に、2人で1人前が我々にはちょうどいいくらいの量でした。
お店の壁の綺麗な装飾を見ながら、名物料理をさっぱりと美味しく頂きました。


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入店して、20分ほどで食事を終えてしまいました。ウェイターさんがこの無理なオーダーを通してくれて本当に良かったです。スイーツでもとメニューを見ますが、なかなか適当なものが見当たりません。コーヒーのみをお願いしましたが、これがまた美味しかった。スペイン風のたっぷりミルクのコーヒーは我々の好みに合っています。最後に担当のウェイターさんが、お土産に日本語のパンフレットをプレゼントしてくれました。日本人だとは言わなかったのにね。気が利いていますね。


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パンフレットの中に、子豚の頭の付いた1匹分のコチニーリョ・アサードの写真がありました。これで子豚の顔も拝見したことにしましょう。


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思ったより食事が早く済んだので、2時発のマドリッド行のバスに乗るべくバスターミナルを目指します。が、道を1本間違えたらしく、とんでもない場所に迷いこんでしまい、 自分の今いるところさえ分かりません。街の広場の地図の看板の前で困り果ててしまいました。と、配偶者が子供連れのおばさんを呼び止め、ここはどこ? バスターミナルは?と話しかけます。
おばさんは「私、英語はダメなのよ」。
配偶者も「私もほとんどダメ」。
などと言い合いながら、何とか地図の看板上でバスターミナルへの行き方を教えてもらっています。主婦はすごいですね。saraiは驚きながら、2人の会話らしきものを見守るばかりです。ともかく、教えてもらった通りにバスターミナルに向かいましょう。迷ったせいで、時間を無駄に使ってしまいました。急いで正しいルートに復帰しましょう。ここからは何人もの地元の人に道を訊きながら進みます。と、目印にしていた教会を発見。サン・ミリャン教会Iglesia de San Millánです。この教会はアラゴン王のアルフォンソ1世によって建てられました。外部に見えているロマネスク様式の回廊の柱頭が美しいです。が、じっくりと鑑賞している暇はありません。先を急ぎましょう。あと数分でバスは出発してしまいます。


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なんとかバスターミナル近くまで来たはずですが、もう発車5分前です。バスターミナルはこの辺りにあるはずなのに、バスターミナルなんて建物の裏などにあることが多いせいか見つかりません。と、配偶者が木立のかげに大型バスを1台みつけました。そこにむかってダッシュ。近づくと、バスがたくさん停まっています。バスターミナルに駆け込みます。出発直前です。 saraiはバスチケットを買いに窓口へ、配偶者はマドリッド行きのバスを探します。配偶者はバスを発見すると、バスの運転手に出発を待ってもらうようお願いしています。運転手さんは快諾。これがそのバス。


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saraiは窓口でチケットを無事、購入。マドリッドへの直通バスは1人8.09ユーロ。高速電車が1人12.7ユーロですから、ずい分安いですね。


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無事に予定よりも45分も早いバスに乗れました。座席も2人並んだ席を確保。ほっとしました。


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我々が座席に着くとバスはすぐに発車。我々のせいでバスの出発が3分ほど遅れました。ゴメンナサイ!


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バスはターミナルから通りに出ていきます。通りからはこのバスターミナルの出入り口だけが見えていますから、ここがバスターミナルだとは容易には分からないでしょう。


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今回歩いたルートを地図で確認しましょう。もっとも2回も道を迷ったたので、正確な道は分かりませんけどね。


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バスでマドリッドに戻りますが、この後は次回で。









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古都セゴヴィア訪問:セゴヴィアから高速バスでマドリッドへ

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/11回目

セゴヴィアからマドリッド行のバスはバスターミナルを出て、大通りのエセキエル・ゴンサレス通りPaseo Ezequiel Gonzálezを走り出します。


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バスは、新市街の中を走り、ロータリーで右折して、サン・ラファエル自動車道Carretera San Rafaelに入ろうとします。ロータリーに面して、古風な門が見えます。これはマドリッド門Puerta de Madridです。1703年から市場門La Puerta del Mercadoとして建造が始まったバロック様式の門です。アルフォンソ6世のマドリッド征服の凱旋門として作られたそうです。


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ロータリーで右折すると、道路は鉄道線路を越していきます。この鉄道は在来線です。高速鉄道の線路は別のところを通っています。


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セゴヴィア駅のプラットホームも見えてきました。セゴヴィアを訪れたのは高速電車だったので、この駅で降りてはいません。セゴヴィア駅を見るのは初めてです。


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この鉄道駅の前にバスの停留所があり、客をひろっていきます。マドリッドまで直通のバスですが、この停留所だけは例外的に停まるようです。でも、ちょっと不思議です。ここからは鉄道でもマドリッドに行けるのに、わざわざバスに乗る人もいるんですね。普通電車はマドリッドまで2時間、バスは1時間15分と、バスのほうが早いからでしょうか。料金はほぼ同じです。


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ここからバスはサン・ラファエル自動車道をしばらく走り、市街を抜けて、そのまま高速道路AP-61に入っていきます。インターチェンジからは交差して走る高速道路SG20が見えます。高速電車のセオヴィア駅から市内へのバスで見たのはこの高速道路SG20でした。


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バスは高速道路を走りますが、まわりは大平原。


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高速鉄道とは違いトンネルもなく、周りのスペインらしい風景に配偶者は感激して見入っています。


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どこまでも大平原が続く中、高速道路AP-61を走っていきます。どこにも料金所がないので、この高速道路は無料開放されているようです。

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道路沿いに牧草地があり、黒い牛が草を食べています。スペインと言えば闘牛ですから、スペインには牛がつきものですね。


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高速道路AP-61を15分ほど走り、高速道路AP-6に合流。合流後、すぐに料金所があります。この高速道路AP-6は有料なんですね。


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ゲートは日本と同様に機械通過式ゲートと係員のいるゲートに分かれています。バスはそのどちらでもない右側3列ある大型車用ゲートを通過。へーっ、これがスペイン風。


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1時間15分でマドリッドのプリンチペ・ピオPríncipe Píoのバスターミナルに到着。このバスターミナルは地下鉄駅プリンチペ・ピオPríncipe Píoに隣接しています。ここで地下鉄に乗り換えて、今日の最終目的地のプラド美術館に向かいます。この地下鉄駅は屋根がガラスに覆われて、明るい光に満ちています。


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ここからは10番線の地下鉄に乗ります。


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10番線でトリブナル駅Tribunalに向かいます。


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トリブナル駅で1番線の地下鉄に乗り換えて、プラド美術館の最寄駅アトーチャAtochaへ向かいます。アトーチャ駅に着いて、ここからは徒歩でプラド美術館へ。いよいよ、美の殿堂でこのスペインの旅の目的であるエル・グレコの名画に対面します。エル・グレコの街トレドに向かう前の前哨戦です。この後は次回で。









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英国の音楽尽し!東京都交響楽団@東京芸術劇場 2014.11.4

東京都交響楽団の定期演奏会では、今やチェコ音楽も看板プログラムですが、英国の音楽も聴きものです。今日は英国の音楽尽しのプログラム。ヴォーン・ウィリアムズ、ディーリアス、ウォルトンとそろい踏み。あとはエルガーを残すくらいですね。
今日演奏されるヴォーン・ウィリアムズのノーフォーク狂詩曲第2番を予習しようとして、手持ちのCDのヴォーン・ウィリアムズ全集を探しても、第1番しかありません。おかしいと思って調べたら、第2番と第3番は作曲家自身が破棄した幻の作品なので、全集にも収録されているわけがありません。しかし、第2番は最近、復活されて、CD化もされているようです。その唯一のCDがヒコックス指揮のロンドン交響楽団のもの。ネットからダウンロードして聴いてみました。やはり、ノーフォーク地方の民謡を主題にした作品で、長閑な曲でした。そんなに無理して復活させなくても、第1番で十分だったのではと思わなくもありません。
ディーリアスのヴァイオリン協奏曲は、やはり、今まで聴いたことがありません。チェロ協奏曲はもちろん、聴いていますけどね。予習したCDでこの曲を初めて聴きましたが、とても素晴らしい演奏でした。
 タスミン・リトル(ヴァイオリン)、A.デイヴィス&BBC響
ウォルトンの交響曲第1番は初め、次のCDを聴きましたが、さすがハイティンクらしい堂に入った演奏。
 ハイティンク&フィルハーモニア管
別のCDも聴いてみました。
 プレヴィン&ロンドン響 併録(ウォルトン:ヴィオラ協奏曲(ヴィオラはバシュメット))
これが大当たり! こういうのを隠れた名盤とでも言うのでしょう。あまりの素晴らしさに度肝を抜かれました。内面に秘めたエネルギーに満ちた演奏に大変、感動を覚えました。このウォルトンの作品の本質を抉り出すような演奏です。プレヴィンの評価もsarai的には、うなぎのぼり。それにこのCDはRCAから出されたものですが、プレヴィンのRCAものは実際はDECCAの録音チームの手によるものだとかで、素晴らしい音質で曲のダイナミズムを余すところなく伝えてくれます。《プレヴィン:RCAイヤーズ》というシリーズの1枚です。以下のリンクからHMVオンラインで購入できます。sarai絶対のお勧めです。
 交響曲第1番、ヴィオラ協奏曲 バシュメット(ヴィオラ)プレヴィン&ロンドン交響楽団

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というわけで、この隠れ名盤を聴き、にわかにウォルトンの交響曲第1番を聴くのが楽しみになってきました。果たして、マーティン・ブラビンズ指揮の東京都交響楽団はプレヴィン&ロンドン響の演奏にどれほど肉薄できるでしょうか。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:マーティン・ブラビンズ
  ヴァイオリン:クロエ・ハンスリップ
  管弦楽:東京都交響楽団

  ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第2番ニ短調
  ディーリアス:ヴァイオリン協奏曲
   《アンコール》プラキディス:2つのきりぎりすの踊り ヴァイオリン独奏のための

   《休憩》

  ウォルトン:交響曲第1番変ロ短調

まず、前半はヴォーン・ウィリアムズのノーフォーク狂詩曲第2番からです。これは英国外での初演になります。初演っていいですね。曲はチェロの独奏で静かに始まります。初演とは思えないほど、見事に整ったアンサンブルです。いかにも英国を思わせる木の温もりを思わせる響きが聴こえてきます。特にヴィオラの演奏が素晴らしい。とても素晴らしい演奏に聴き入ってしまいました。静謐な部分の演奏が特に見事でした。ヒコックス&ロンドン交響楽団のCDも凌駕するかと思える演奏に感銘を受けました。

前半の最後はディーリアスのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンのハンスリップは若手の女性ですが、ザハール・ブロンの指導を受けているとのことで、堅実な演奏を聴かせてくれました。及第点の演奏ですが、さらにヴァイオリンの響きに磨きをかけると演奏の質が上がると感じました。うっとりとヴァイオリンの響きに酔いしれるというところまではいかなかったのが残念です。アンコール曲はラトヴィアの作曲家プラキディスの民族音楽的な要素を現代音楽風にまとめた、ちょっと難しそうな曲。まったく知らない作品で虚を突かれました。面白くは聴かせてもらいました。

休憩後は、いよいよ、期待していたウォルトンの交響曲第1番。ウォルトンの内面から湧き出てくるエネルギーがどれほど体感できるかと固唾を飲んで、聴いていましたが、第1楽章は不発。プレヴィンがこの作品について、「あまりにも多くの音符が詰まっているようにみえる。弦楽パートは非道なほどだ。しかし、すべての16分音符が交響曲のサウンドを作るのに必要なのだ。」(CDのライナーノートより引用)と述べ、ロンドン交響楽団のすべての能力を引き出した結果、素晴らしい演奏が実現されましたが、今日の都響の演奏は都響の能力を最大限発揮したとは思えない演奏で、第1楽章は音符の多さにアンサンブルの響きが整わないままに終わってしまいました。それでも、第2楽章以降は立て直し、ほぼパーフェクトな演奏だっただけに第1楽章の演奏が悔やまれます。それだけ、難しい曲だったのでしょう。第3楽章の味わい深い演奏、第4楽章のダイナミックな演奏は素晴らしかったので、気持ちよく聴き終えることはできました。いやはや、残念な演奏でした。もっとも、プレヴィンの演奏と比べると、ハードルが高過ぎて、どの演奏も不満に思えるのかもしれません。

ともあれ、マーティン・ブラビンズの作りだす英国音楽の世界はなかなか聴きもの。今後とも期待したいところです。
今日のコンサートのおかげで隠れ名盤を知ることができたのが一番の成果だったのかな。









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エル・グレコはプラド美術館から:アトーチャ駅から、また、迷って、ようやく、プラド美術館へ

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/12回目

プラド美術館の最寄駅アトーチャAtochaに到着。地上に上がると、そこはエンペラドール・カルロス5世広場Plaza Emperador Carlos Vの前の大きなロータリーです。正面にはスペイン国鉄のアトーチャ駅の姿が見えます。


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ここから、またまたsaraiが道を間違え、ソフィア王妃センターの横のアトーチャ通りRonda de Atochaに迷い込んでしまいました。しばらく歩いて間違いに気が付き、再びアトーチャ駅の前に戻ってきました。


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これは農林水産省Ministerio de Agriculturaの建物です。この建物を左の方に進むのがプラド美術館への正しいルートです。


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プラド通りPaseo del Pradoを歩いて、プラド美術館を目指します。通りの右手には王立植物園La Tienda del Real Jardín Botánico de Madridが広がり、緑のあふれる通りです。


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小鳥もさえずっています。


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プラド美術館Museo Nacional Del Pradoの建物に到達しました。


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建物中央のベラスケス門の前で、ベラスケス像に対面。ベラスケスはプラド美術館の顔と言ってもいい存在です。


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チケットを購入するためには、さらに建物の北側に進む必要があります。北側にはゴヤ像があります。彼もプラド美術館の顔ですね。


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建物の北側を周り込むと、やっとチケット売り場を発見。


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アトーチャ駅からプラド美術館までの徒歩ルートを地図で確認しておきましょう。迷ったせいで、結局、2倍以上も無駄足を使いました。ちゃんと地図で確認せずに適当に勘に頼ったせいで迷いました。配偶者にゴメンナサイです。


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さて、もう4時過ぎでチケット窓口は空いています。 行列なしです。美術館のセット券のパセオ・デル・アルテPaseo Del Arte(プラド美術館+ソフィア王妃芸術センター+ティッセン・ボルミネッサ美術館)を買います。1人25.6ユーロです。プラド美術館以外にソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルミネッサ美術館にも行く予定ですからね。


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美術館の中で手荷物をコインロッカーに預けようとしますが場所が分からず、またまた迷子。館内を3周して、ようやくロッカーの場所が分かりました。結局、美術館で鑑賞し始める前に無駄な1時間ほどを費やしました。
館内案内のパンフレットも入手しましたが、誤ってポルトガル語版をゲットしてしまいました。


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それでも、館内のマップとしては問題ありません。
これがベース階(日本式では1階)です。


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これが1階(日本式では2階)です。ここの中央部分の8B~10Bにエル・グレコがあるようです。まずはそこを目指します。


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いよいよ美術鑑賞を開始。これから3時間くらいかけて、プラド美術館をくまなく見尽くしました。膨大な絵画コレクションです。それについては次回で。










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白熱のブラームス:レーゼル&ゲヴァントハウス四重奏団@紀尾井ホール 2014.11.6

秋の夜は室内楽。それもブラームスがぴったりです。今日は紀尾井ホールで、ピーター・レーゼル/ドイツ・ロマン派ピアノ音楽の諸相2014と銘打ったコンサートで、ブラームスの室内楽を代表する曲のひとつ、ピアノ五重奏曲が演奏されます。レーゼルと共演するのは、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団。現代のドイツを代表するピアニストと弦楽四重奏団による演奏ということで、いやがうえにも期待が高まります。

この際ですから、ブラームスのピアノ五重奏曲をCDできっちり、予習することにしましょう。名盤はほぼ網羅できたと思います。以下の9枚のCDを聴きました。

 ゼルキン&ブッシュ四重奏団
 デムス&ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団
 ゼルキン&ブダペスト弦楽四重奏団
 ルビンシュタイン&グァルネリ四重奏団
 エッシェンバッハ&アマデウス四重奏団
 ポリーニ&イタリア四重奏団
 レオンスカヤ&アルバン・ベルク四重奏団
 ラーンキ&バルトーク四重奏団
 フライシャー&エマーソン四重奏団

レオンスカヤ&アルバン・ベルク四重奏団以外はすべて、聴き応えがありました。また聴きたくなるのは、録音は古くても音質的には十分なゼルキン&ブッシュ四重奏団です。アドルフ・ブッシュの綿々たるヴァイオリンの響きが何とも魅力的です。でも、まあ、普通なら、ゼルキン&ブダペスト弦楽四重奏団か、ポリーニ&イタリア四重奏団あたりがお勧めということになるますね。

今日のコンサートはメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番とシューベルトの弦楽四重奏曲第12番《四重奏断章》も演奏されます。
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番は以下のCDを聴きましたが、見事な演奏でした。

 エマーソン四重奏団(メンデルスゾーン:弦楽四重奏のための作品全集)

シューベルトの弦楽四重奏曲第12番《四重奏断章》は以下のCD、LPを聴きましたが、どちらも素晴らしい演奏。ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団というのは、バリリ四重奏団の第1ヴァイオリンのワルター・バリリが引退した後、ウィーン・フィルのコンサートマスターのウィリー・ボスコフスキーがその後を引き継ぎ、名称も変わったそうです。バリリ四重奏団同様に当時のウィーン・フィルの典雅な響きを聴かせてくれます。バリリ以上に音色が艶やかにも感じました。

 メロス四重奏団(シューベルト弦楽四重奏曲全集)
 ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団(LPレコード)

さて、今日の演奏はどうだったでしょう。

まず、今日のプログラムは以下です。

  ピアノ:ピーター・レーゼル
  弦楽四重奏:ゲヴァントハウス弦楽四重奏団

  メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 Op.80
  シューベルト:弦楽四重奏曲第12番ハ短調《四重奏断章》 D703

   《休憩》

  ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調 Op.34

   《アンコール》
    ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調 Op.34 第3楽章


1曲目のメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番は決してポピュラーな曲ではありませんが、とても心に響く曲です。解説によると、メンデルスゾーンが姉ファニーの急逝に対する悲嘆のなか、姉に捧げるレクイエムとして書いた曲だそうです。メンデルスゾーン自身もこの曲を書き終えるとすぐに姉と同じ脳卒中でこの世を去ったそうです。しかし、この曲は美しいですが、そんなに悲しみに浸るだけの曲ではありません。
第1楽章冒頭、激しくトレモロで演奏される流麗な曲は、いかにも、疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)を感じさせられます。メンデルスゾーンが活躍したライプツィヒを本拠地とするゲヴァントハウス弦楽四重奏団は、メンデルスゾーンの晩年とは思えない若々しい情熱に満ちた調べを鮮やかに表現してくれます。さすがに第2楽章以降は哀しみも感じさせられる響きが聴けますが、あくまでもロマン派の情熱に満ちた表現で見事な演奏。ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の看板になりそうな音楽であると思いました。

2曲目はシューベルトの弦楽四重奏曲第12番《四重奏断章》。何故か、メンデルスゾーンの曲と雰囲気が似ています。それでも、やはり、シューベルトらしい室内楽のエッセンスがぎっしりとつまった演奏に満足。室内楽を聴く喜びに浸してくれる名演奏でした。

休憩後はいよいよ、今日のメインプログラムであるブラームスのピアノ五重奏曲。まさにドイツの正統的な演奏を思わせる堂々とした表現でした。音楽をリードしていたのはピアノのピーター・レーゼルです。どっしりと落ち着いた演奏で、ブラームスの世界を満喫させてくれました。それにとても熱い演奏でした。白熱のブラームスです。晩年のブラームスなら、もっと渋く演奏してもらいたいところですが、こういうブラームスもいいですね。ブラームスの交響曲を1曲、聴いた感覚です。注文をつけるとしたら、ヴァイオリンがもっと抒情的な響きも聴かせてほしかったということでしょうか。まあ、ピアノ主導の演奏ですから、こんな感じでいいのかもしれません。満足の演奏でした。アンコールでもう一度、第3楽章が聴けて、たっぷりとブラームスの室内楽に浸ることができました。

1日置いて、明後日はレーゼルのピアノ独奏でブラームスの超名曲の間奏曲(Op.117)が聴けます。ピアノ五重奏曲同様に楽しみです。










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エル・グレコはプラド美術館から:エル・グレコの傑作に感動!!

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/13回目

今回のスペイン訪問は何と言っても、没後400年の記念の年にエル・グレコの作品を一挙に見ることです。saraiはエル・グレコの大ファンですからね。

エル・グレコは1541年にクレタ島のカンディア(現イラクリオン)に生まれたギリシャ人です。本名はドメニコス・テオトコプーロスと言いましたが、スペインに渡ってからは、発音しづらい本名では呼ばれずに、ドメニコ・グリエゴ(ギリシャ人ドメニコ)とかエル・グリエゴ(ギリシャ人)と呼ばれていたようです。死後、エル・グレコと呼ばれるようになりました。《エル》Elはスペイン語の定冠詞、《グレコ》Grecoはギリシャ人を意味するイタリア語です。イタリア語が使われるのは、スペインに来る前にイタリアで絵の修業をしたからでしょうか。本人は自作にサインする場合は必ず、ギリシャ語で本名を書いていたそうです。

エル・グレコは画家を志して、1567年頃にヴェネツィアに行き、ティツィアーノの工房で修業。1570年にイタリアの芸術の中心地ローマに移動。20代後半からの約10年をイタリアで過ごしました。この後、1576年頃に画家としての成功を夢見て、フェリペ2世のもとでエル・エスコリアル造営が始まり、多くの美術家が集まっているスペインに向かいます。宮廷画家になる望みはフェリペ2世に気に入られなかったので実現しませんでしたが、スペインの宗教・学問の中心地であったトレドで画家として成功し、その生涯をトレドで過ごし、そこで1614年に没することになります。

こういう経緯からも、エル・グレコの作品の多くは今でもトレドに集中しています。また、今年はちょうど没後400年の大展覧会で世界中から、エル・グレコの作品がトレドに集まっています。そういうわけで、明日エル・エスコリアル修道院でエル・グレコの作品を見て、明後日にはトレドでエル・グレコ三昧する予定です。トレドでエル・グレコを見るのが今回の旅の一番の目的です。今日はそれに先駆けて、プラド美術館のエル・グレコ作品を鑑賞します。

エル・グレコの作品が展示されている2階の中央部分の8B~10Bに直行します。
ありました。エル・グレコの作品がずらっと並んでいます。壮観です。

順に鑑賞します。ただし、ここで紹介するのは主なものだけです。

これは《聖三位一体》です。1577~80年頃、エル・グレコ36~39歳頃の作品です。この作品はトレドでの最初の作品のひとつです。サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂から依頼された主祭壇画です。この時期にこれだけの作品を描き上げていたのは驚異的です。晩年の特徴の曲がりくねった身体表現こそありませんが、実に画の中心にあるキリストの身体の劇的な表現はどうでしょう。


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これは《医師ロドリーゴ・デ・ラ・フエンテ、またはある法学者の肖像》です。1588年頃、エル・グレコ47歳頃の作品です。エル・グレコは肖像画家としても一流でした。この作品も人物の高貴な内面を感じさせられる芸術的な表現が見て取れます。


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これは《聖アンデレと聖フランチェスコ》です。1590~95年頃、エル・グレコ49~54歳頃の作品です。左の人物が十二使徒のひとり、聖アンデレ、右の人物がアッシジの聖フランチェスコ。つまり、この二人の人物は1000年以上の時間で隔てられています。その二人がこの画面上で対話しています。画の上での奇蹟が描かれているわけです。聖フランチェスコの右手の形に注目です。画全体を覆う静謐さがエル・グレコの素晴らしいところでしょう。


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これは《受胎告知》です。1597~1600年頃、エル・グレコ56~59歳頃の作品です。これは素晴らしいですね。これはプラド美術館所蔵の作品中、最高の作品です。このあたりから、エル・グレコの芸術が完成に向かいます。まずは受胎を告げられるマリアの美しさ。そして、画面全体の劇的な空気感の素晴らしさ。エル・グレコにしか描けない世界です。この絵の前で立ちすくんでしまい、いったん立ち去った後も何度も戻って見入ってしまいました。あえて、この作品をプラド美術館の至宝と勝手に決めてしまったsaraiです。


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これは《精霊降臨》です。1600年頃、エル・グレコ59歳頃の作品です。キリストが昇天した後に、精霊が降臨してくる奇跡が描かれています。精霊を見上げるマリアと十二使徒たちの厳かな雰囲気が伝わってくる傑作です。画を見ている我々も思わず、天を仰いでしまいそうになります。


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これは《フリアン・ロメロと守護聖人》です。1600年頃、エル・グレコ59歳頃の作品です。白い衣装がロメロで、その上の黒い騎士が守護聖人です。エル・グレコらしい大胆な構図が目を引きます。特に守護聖人の傾けた首の角度が秀逸に感じます。


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これは《ある若い騎士の肖像》です。1600年頃、エル・グレコ59歳頃の作品です。こちらを見る人物の目が活き活きと描かれています。まあまあの作品でしょう。


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以下の3作品は貸し出し中で見られませんでした。しかし、貸し出し先がトレドなので、明後日には見ることができるでしょう。

これは《胸に手を置く騎士の肖像》です。1577~79年頃、エル・グレコ36~38歳頃の作品です。


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これは《キリストの磔刑》です。1600年頃、エル・グレコ59歳頃の作品です。


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これは《羊飼いの礼拝》です。1612~13年頃、エル・グレコ71~72歳頃の作品です。


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ここでエル・グレコの傑作群を見て、やはり、スペインに来て、よかったとしみじみと感じました。

後は落ち着いて、プラド美術館のほかの作品を鑑賞しましょう。










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ずっしりと重いブラームス:ペーター・レーゼル・ピアノ・リサイタル@紀尾井ホール 2014.11.8

秋の日はブラームスのピアノ曲もいいものです。今日は紀尾井ホールで、一昨日のピーター・レーゼルの室内楽コンサートに引き続いて、ドイツ・ロマン派ピアノ音楽の諸相2014と銘打ったコンサートの2回目で、ソロのピアノ・リサイタル。ドイツの正統的な音楽を代表するピーター・レーゼルのピアノでブラームスの後期のピアノ曲、それにシューマンとシューベルトを組みませたドイツ・ロマン派の名曲を堪能しましょう。

このところ、ちょうど、ブラームスのピアノ曲にはまっているところです。特に今日演奏される後期のOp.117は特に心に残る名曲のうちのひとつ。Op.116からOp.119までの4つはブラームスが残してくれた宝物のような音楽です。《3つの間奏曲》Op.117を集中的に聴いておきます。聴いたのは以下のCDです。

 ジュリアス・カッチェン(ブラームス・ピアノ作品全集)
 ウィルヘルム・ケンプ(ブラームス後期ピアノ作品集、LP,CD)
 グレン・グールド(ブラームス間奏曲集)
 イェルク・デムス(クラウディオ・アラウ追悼:ブラームス博物館、ブラームス・フリューゲルとスタインウェイ)
 ヴァレリー・アファナシエフ(ブラームス後期ピアノ作品集)
 エリーザベト・レオンスカヤ(ブラームス・ピアノ作品集)

本命はブラームスを弾くために生まれてきたような早逝の天才ジュリアス・カッチェンのブラームス・ピアノ作品全集ですが、間奏曲だけは、グレン・グールドのピアノが凄過ぎます。グレン・グールドはバッハのCDよりもブラームスの間奏曲のCDのほうが素晴らしいと思います。ぐいぐい引き込まれる演奏です。実はsaraiが人生で初めて出会ったブラームスのピアノ曲のCDがこのグレン・グールド盤だったので、刷り込みもあるのかもしれません。クラウディオ・アラウの録音がないのが何とも残念です。

シューマンのフモレスケは以下のCDを聴きました。

 クラウディオ・アラウ(ARRAU HERITAGE Schumann)
 アンジェラ・ヒューイット

アラウのシューマンは何を聴いても最高です。ヒューイットのCDは初めて聴きましたが、なかなか魅力的。これから、ご贔屓にしようかな。

シューベルトのピアノ・ソナタ第20番はこれまでさんざん、ブレンデル、ポリーニ、ケンプで聴いてきました。今回は以下のCDを聴きました。

 クラウディオ・アラウ(ARRAU HERITAGE Schubert)
 マレイ・ペライア(新盤)
 アンドラーシュ・シフ(シューベルト・ピアノ・ソナタ全集)

アラウとペライアはもう文句の言いようのない素晴らしさ。今回、シフのシューベルトを初めて聴きましたが、ユニークな演奏ながら、すっかり魅了されました。ソナタ全曲聴いてみましょう。
予習はそんなものでした。

さて、今日の演奏はドイツ最後の巨匠とも思えるレーゼルです。と言っても彼はまだ60代。東ドイツ出身なので、古い人に思えてしまいますが、まだまだ、今後の活躍も期待できます。

まず、今日のプログラムは以下です。

  ピアノ:ピーター・レーゼル

  ブラームス:3つの間奏曲 Op.117
  シューマン:フモレスケ 変ロ長調 Op.20

   《休憩》

  シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D959

   《アンコール》
    シューベルト:4つの即興曲 D899 Op.90より 第3番変ト長調
    ブラームス:ワルツ集 Op.39より 第15番変イ長調
    シューマン:子供の情景 Op.15より、第7番《トロイメライ》

リサイタルの曲目がいいですね。ドイツ・ロマン派を代表する名曲ばかりです。聴いても聴いても聞き飽きることのないドイツ・ロマン派。シューベルト、シューマン、ブラームスのピアノ曲を聴いていると、もう、それだけで人生が終わっても悔いがないと思ってしまうくらいです。

1曲目のブラームスの3つの間奏曲 Op.117。ブラームスが避暑地のバート・イシュルで書いた名曲です。第1曲は子守歌ですが、レーゼルが弾くと、とても重々しく響きます。とても子守歌という優しい響きではありません。ドイツらしい重心の低い演奏です。心の奥底に何か、ずっしりとした苦渋を秘めているようです。第2曲にはいると、少し、柔らかい響きが美しく聴こえてきますが、曲が進行していくと、やはり、ずっしりとした響きに捉われます。第3曲は最初から、重苦しい響きで始まります。しかし、ピアノのタッチは素晴らしく美しいんです。とても荘重なブラームスでした。そして、これこそ、本物のブラームスとも感じました。CDで聴くなら、カッチェンとかアラウでブラームスを聴きたいところですが、リファレンスとしてはこのレーゼルも座右に置かないといけないかもしれません。

2曲目はシューマンのフモレスケ。ブラームスのような重い響きを予想していたら、さにあらず。いかにもシューマンらしい瑞々しく柔らかい響きです。抒情に満ちあふれたシューマンにうっとりと聴き入ります。この曲はシューマンがクララと結婚する前年にウィーンで書いた曲です。ウィーンではアラベスクと花の曲を書いています。クララはパリにいて、シューマンはクララに思いを寄せながら、このロマンあふれる曲を書きました。恋心を秘めて、表情豊かな曲を仕上げました。レーゼルはとても美しいシューマンを描き出します。美しいピアノのタッチはシューマンにぴったり。レーゼルのシューマンをもっと聴いてみたいという思いが強くなりました。

休憩後はシューベルトの大曲、ピアノ・ソナタ第20番 D959です。これまた、シューベルトらしい響きを聴かせてくれました。大好きな第2楽章のロマンチックさにうっとりと聴き入りました。しかし、凄かったのは第4楽章。美しい主題が繰り返されますが、左手で主題を弾き、右手の高音で装飾するパートの素晴らしさに息を呑みます。そして、フィナーレに向かっての疾走は感動もの。素晴らしいシューベルトでした。

そして、アンコールで弾いたシューベルトの即興曲でもさらなる高みの演奏。三連符アルペジョのさざ波のような響きが盛り上がり、深い憧憬を感じさせてくれます。最高のシューベルトです。それにsaraiはこの曲が大好きなんです。今日一番の演奏でした。大満足!
シューマンのトロイメライもとてつもなく、美しい演奏でした。《子供の情景》全曲を聴きたくなりました。

ドイツの重鎮、レーゼルのピアノ独奏のドイツ・ロマン派は素晴らしい演奏で、音楽を満喫しました。来年も来日して、演奏してくれるんでしょうか。









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稀有なソプラニスト:アルノ・ラウニック@上大岡ひまわりの郷 2014.11.9

今日は上大岡ひまわりの郷のコンサート・シリーズの2014年秋の2回目。
CT(カウンターテナー)全盛とも思える時代になってきましたが、ソプラニストは稀有な存在です。ソプラニストというのは、CTがアルトの声域なのに対して、さらに高い音域を出せる男性のソプラノ相当の歌手のことです。定義があいまいなので、CTとソプラニストの境界が明確なわけではありません。CTはファルセット(訓練された裏声)で歌い、ソプラニストはナチュラル・ヴォイス(地声)で歌うとも言われますが、saraiが聴いていて、やはり、高音域はファルセットで歌っているとしか思えません。このへんも曖昧模糊としています。ともかく、男性でソプラノが歌う曲が歌えるというのが凄いことです。saraiが過去聴いたなかでもCTのフィリップ・ジャルスキーはソプラニストと思える声の持ち主でしたが、はっきりとソプラニストとして歌うのは今日のアルノ・ラウニックが初めてです。どういう声か、興味がつのるなか、リサイタルは始まりました。

まず、今日のプログラムは以下です。

  ソプラニスト:アルノ・ラウニック
  ピアノ:みどり・オルトナー

  D.スカルラッティ:ソナタ ニ長調 K.33 (ピアノ独奏)
  グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~われ、エウリディーチェを失いて
  ヘンデル:歌劇「セルセ」~ ラルゴ“懐かしい木陰”
  ヘンデル:歌劇「アルチーナ」より “ヒルカニアの石造りの住まいに“
  D.スカルラッティ:ソナタ ニ短調 K.9 / ソナタ ニ短調 K.159 (ピアノ独奏)
  カッチーニ:わが麗しのアマリリ
  ジョルダーニ:愛しい私の恋人(カロ・ミオ・ベン)
  デュランテ:愛に満ちた乙女よ
  カッチーニ:アヴェ・マリア
  ブロスキ:ハッセの歌劇「アルタセルセ」への挿入曲:私はあの船のように

   《休憩》

  シューベルト(リスト編):ウィーンの夜会 第6番 (ピアノ独奏)
  J.シュトラウス:オペレッタ「こうもり」~ オルロフスキー公のクープレ“客をもてなす祖国の習慣”
  モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」~ ケルビーノのアリア“恋とはどんなものかしら”
  シューベルト:至福、ます、アヴェ・マリア
  モーツァルト:グルックの歌劇「メッカの巡礼」の「愚かな民が思う」による10の変奏曲 (ピアノ独奏)
  モーツァルト:歌劇「皇帝ティトの慈悲」~ セストのアリア“私は行く”

   《アンコール》
    ヘンデル:歌劇「リナルド」~ “私を泣かせてください”


まず、ピアノのみどり・オルトナーの解説があり、彼女のピアノ独奏でドメニコ・スカルラッティのソナタ。後で演奏したソナタも含めて、3曲ともミケランジェリのCDでよく聴いた曲です。スカルラッティにしては響かせ過ぎの感がありますが、演奏者は心得た上での表現なのでしょう。
さて、ソプラニストのアルノ・ラウニックの歌唱はまず、グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」のオルフェオのアリアです。高く美しい声です。小さなホールなので、無理に大きな声を出さずに響きますから、繊細な表現で歌います。ジャルスキーほどの声の伸びとピュアーさはありませんが、見事な歌声です。続くヘンデルの有名なアリアも同様に美しく歌われます。間近でそっと歌われるソプラニストの歌声はとても楽しめます。

次のイタリア古典歌曲4曲はこの日、最高に楽しめました。特にカッチーニの2曲はあまりの美しい歌にうっとりして、聴き入ってしまいました。《アヴェ・マリア》は究極の美を感じました。リサイタル終了後もずっと耳に美しい歌声が残っていました。

前半の最後は伝説のカストラートのファリネッリのために書かれたアリア。ファリネッリのために書かれたアリアというとポルポラの歌劇が有名ですが、これはファリネッリの兄リッカルド・ブロスキがロンドンでのデビューのために書いたアリア。ポルポラが書いたアリアのような迫力のあるアリアをラウニックが見事に歌いこなしました。ジャルスキー同様に、アジリタはいまひとつでしょうか。まだ、CTでバルトリ並みにアジリタが歌える人はいませんから、それも仕方ないですかね。

休憩後は、ピアノ独奏の後、「こうもり」のオルロフスキーの歌が観客席の背後から聴こえてきます。お洒落な演出で、聴衆の間を歩き回りながらの熱唱。この人は繊細な高音が美しいです。続いて、ケルビーノのアリア。先日はザルツブルグでファジョーリの歌唱でケルビーノのアリアを聴いたばかりですが、それは別のアリア《自分で自分が分からない》でした。いずれにせよ、どちらも素晴らしいケルビーノ。やはり、そのうち、CTがケルビーノを歌う《フィガロの結婚》を聴けるかもしれませんね。

次はシューベルトのリート3曲。これは女声のソプラノの優しい歌声に軍配があがります。聴いていて、エリー・アメリンクの美声を思いだし、無性に聴きたくなります。アメリンクでずい分、聴いた曲です。これはCTには向かないかな。

最後はモーツァルトの歌劇「皇帝ティトの慈悲」のセストのアリアです。セストというとカサロヴァの持ち役ですが、CTでもなかなかいいですね。男性らしく、迫力に満ちていました。

アンコールは予想通り、ヘンデルの歌劇「リナルド」から“私を泣かせてください”です。横の配偶者を見ると、嬉しそうにしていました。美しいアリアですからね。

saraiのオペラ好きの心をくすぐってくれる楽しいリサイタルでした。あー、オペラが聴きたい。とりあえず、ヴィデオでも見ましょうか。









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エル・グレコはプラド美術館から:ベラスケスの画業を辿って

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/14回目

プラド美術館はエル・グレコを見るために訪れましたが、プラド美術館では主役は何と言ってもベラスケスです。ベラスケスの最高にして、最大のコレクションがプラド美術館にあります。

ベラスケスは弱冠24歳の若さでスペインの宮廷画家に抜擢されました。若きフェリペ4世が「今後いっさい、ベラスケス以外の画家に私の姿は描かせないことにする。」と宣言し、1623年10月6日、ピントール・デル・レイPintor del Rey(国王付きの画家)に任命します。この後、ベラスケスは37年間、宮廷画家として、さらには宮廷役人の最高職の王室配室長として、61歳の生涯を全うします。
ベラスケスは1599年、セビーリャでポルトガルの下級貴族を父に持ち、生まれました。彼はこの地で画家としての修業を始め、いつか、宮廷画家を目指すようになっていました。同郷の宰相オリバーレス公伯爵の招へいで国王フェリペ4世の肖像画を描くチャンスを得て、見事、国王の信頼を勝ち得ることができました。29歳のとき、特使としてやってきたフランドルの大画家ルーベンスとの出会いで芸術について語り合い、彼からイタリア行を強く勧められます。国王の許しでベラスケスはヴェネツィア、ローマ、フィレンツェを訪れ、そこでイタリア芸術、すなわち、人体表現、空気遠近法、色彩表現などを学び、これを糧として、帰国後、ベラスケスは大きく飛躍します。傑作を次々と描きながら、ベラスケスの心には、再度のイタリア訪問の機会を求める気持ちが高まっていきます。1648年、フェリペ4世がハプスブルグ家のオーストリア皇女マリアーナと再婚することになり、その記念のための新しい装飾画を購入するために、ベラスケスは翌年、イタリアへ旅立ちます。イタリアで2年の夢のような日々を過ごしたベラスケスはフェリペ4世からの再三の帰国命令で後ろ髪を引かれるような気持ちでスペインに戻ります。帰国後は宮廷役人として重職をこなすためにあまり絵を描くこともできなくなります。そういう時期に57歳で描いた最後の大作が名画《ラス・メニーナス》です。1660年、王女の婚礼準備でフランスを訪れますが、帰国後、過労で体調を崩し、その年の8月6日に61歳の生涯を閉じました。

ベラスケスは生涯で120枚の油彩画を描きましたが、《ラス・メニーナス》を始め、宮廷画家として描いた傑作の数々がプラド美術館に収蔵されています。今回はプラド美術館の作品を通じて、彼の画業をたどってみましょう。

これは《東方3博士の礼拝》です。1619年頃、ベラスケス20歳頃の作品です。まだ、宮廷画家になる前、セビーリャ時代の作品です。この頃は宗教画を描いていたんですね。とても珍しいです。この作品を描く前年の1618年に師匠のパチェーコの娘フアナと結婚し、翌年、長女フランシスカが誕生。この作品は妻と娘をモデルに聖母マリアと幼な子イエスを描いたものとされています。とても美しい絵です。


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これは《黒衣のフェリペ4世》です。1623~28年頃、ベラスケス24~29歳頃の作品です。ベラスケスが宮廷画家になって、間もなく描いたフェリペ4世のほぼ等身大の肖像画です。とても引き締まった表現です。それにしてもフェリペ4世はいかにもハプスブルク家特有の顔立ちですね。出っ張った顎に厚い唇、垂れ目に大きな鼻。笑ってしまいます。


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これは《バッカスの勝利(酔っ払いたち)》です。1628~29年頃、ベラスケス29~30歳頃の作品です。ルーベンスに出合った頃か、イタリア訪問中に描かれたものでしょうか。バッカスを見ると、どうしてもカラヴァッジョの影響を感じてしまいます。明暗の表現が豊かになりました。


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これは《巫女(画家の妻フアナ?)》です。1632年頃、ベラスケス33歳頃の作品です。こういう横顔の女性像は珍しいです。画家の妻がモデルとも言われています。古典的な表現が目立ちます。


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これは《ブレダの開城(長槍)》です。1634~35年頃、ベラスケス35~36歳頃の作品です。この作品はオランダ南部の要衝ブレダの攻防戦で1625年にオランダがスペインに敗れたときの情景を描いています。中央右がスペイン軍の名将アンブロジオ・スピノラ、左がブレダ総督のユスティヌス・ファン・ナッサウです。敗れたナッサウが城門の鍵を渡しているのに対して、スピノラが肩に手を置き、ねぎらっています。潔い情景です。画面の右端の人物が画家の自画像だと言われています。


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これは《狩猟服姿のフェリペ4世》です。1634~35年頃、ベラスケス35~36歳頃の作品です。フェリペ4世は狩猟と女遊びが趣味という遊び人だったそうです。国民は重税にあえぎましたが、国王の遊び好きの副次効果として、芸術と文化が大いにスペインに栄えたそうです。物事の裏と表ですね。


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これは《狩猟服姿のフェルナンド親王》です。1635年頃、ベラスケス36歳頃の作品です。マドリッド郊外の狩猟休憩塔の壁面を飾るために描かれた作品のひとつ。フェルナンド親王はフェリペ4世の弟。みんな、遊び好きだったようです。これでは、大王国スペインも傾きますね。


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これは《馬上のバルタサール・カルロス皇太子》です。1635~36年頃、ベラスケス36~37歳頃の作品です。皇太子5、6歳のときの騎馬像ですが、いかにもリアル感がありません。名画家ベラスケスといえども、国王に仕える肖像画家として、こういうものも描かざるを得なかったんですね。我々、庶民も信念に反して、生活のために志を曲げることもあります。天才画家もやはり、人間ですからね。バルタサール・カルロス皇太子はフェリペ4世とイサデル・デ・ブルボン王妃の間に生まれた長男です。この作品はブエン・レティロ宮殿(今は焼失)の《諸王国の間》に、両親の騎馬像とともに飾られていました。


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これは《イサデル・デ・ブルボン王妃騎馬像》です。1635~36年頃、ベラスケス36~37歳頃の作品です。この作品もブエン・レティロ宮殿の《諸王国の間》に、王と息子の騎馬像とともに飾られていました。


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これは《道化フアン・カラバーサス》です。1636~38年頃、ベラスケス37~39歳頃の作品です。道化や矮人も宮廷に雇われていました。ベラスケスは彼らの肖像も手を抜くことなく、リアルに描き上げました。


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これは《オリバーレス公伯爵騎馬像》です。1638年頃、ベラスケス39歳頃の作品です。ベラスケスのパトロンであった宰相オリバーレス公伯爵の騎馬像です。この色彩の美しさはイタリア訪問で学んだ表現のひとつです。


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これは《セバスティアン・デ・モーラ》です。1644年頃、ベラスケス45歳頃の作品です。これも道化・矮人シリーズの1枚。


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これは《ローマのヴィラ・メディチの庭園、アリアドネのパビリオン》です。1649~50年頃、ベラスケス50~51歳頃の作品です。2度目のイタリア訪問時に描いた作品。まるで未完成のように見えるほど、粗いタッチで描いた風景画です。フランス印象派の作品を先取りしたような作品と言えます。


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これは《ラス・メニーナス(女官たち)》です。1656年頃、ベラスケス57歳頃の作品です。ベラスケスの代表作であり、プラド美術館最高の至宝です。こればかりは本物を見ないとその本質は分かりません。とても大きな作品で、画面の隅々まで見所が満載です。これまで写真や画像で見ていたのとあまりに印象が異なるのに驚かされました。正直言って、素晴らしい作品かどうかは分かりませんが、実に面白い作品です。しばらく、じっと見入っていました。画面の中心はマルガリータ王女。彼女はこのとき5歳。ベラスケスの自画像も印象的です。女官たちも実も印象的。特に王女の右にいる女官に惹きつけられました。手前の犬も大変、存在感があります。


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これは《ラス・メニーナス(ベラスケスによる)》です。1957年、ピカソの作品です。ピカソは《ラス・メニーナス》にインスピレーションを得て、44枚の連作を描きましたが、これはその1枚。バルセロナのピカソ美術館に所蔵されています。あのピカソもこの《ラス・メニーナス》をたいそう気に入ったようですね。何故か、ベラスケスの姿は省略されています。


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これは《アラクネの寓話(織女たち)》の部分です。1657年頃、ベラスケス58歳頃の作品です。《ラス・メニーナス》と並ぶ晩年の代表作と言われています。この作品は当初、織物工場を描いたものとされていて、《織女たち》と呼ばれていました。しかし、実は神話画だったんです。とても内容が難しい絵です。織物が得意なアラクネが学芸の女神ミネルヴァに挑み、怒りを買って、糸を紡ぐ蜘蛛(アラクネ)に変えられるという話を描いたものです。画面構成が深い内容を持っているようですが、絵として、saraiの好みではないので、これ以上、深入りはやめましょう。


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これは《マルガリータ王女》です。1660年頃、ベラスケス61歳頃の作品です。この作品がベラスケスの絶筆になりました。この作品はウィーン美術史美術館にある《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》の描かれた翌年に描かれましたが、弟子にして娘婿(長女のフランシスカと結婚)のデル・マーソが最後に筆を加えて完成させたそうです。昨年、ブダペスト国立美術館でそのフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソが描いた《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》を見ました。そのときの記事はここです。デル・マーソの描くマルガリータは師匠のベラスケスそっくりです。あっ、このプラド美術館で見るつもりだったデル・マーソの描いた《黒い喪服姿のマルガリータ王女》をちゃんと鑑賞するのを忘れてたっ!!


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プラド美術館で膨大なベラスケスのコレクションを見て、彼の画業を網羅することができました。プラド美術館の鑑賞も半ばは終えたようなものですが、あと一人、ゴヤは外せませんね。それは次回で。









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エル・グレコはプラド美術館から:もう一人の宮廷画家ゴヤ

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/15回目

プラド美術館では、ベラスケスと並んでゴヤも最重要の画家です。

ゴヤもベラスケスと同様に宮廷画家に上り詰めますが、24歳の若さで宮廷画家になったベラスケスに対して、43歳でようやく宮廷画家の地位を手に入れたゴヤ。人間性でも、出世欲、金銭欲、自己顕示欲の強かったゴヤはあまりに人間的な面が見える画家です。

フランシスコ・デ・ゴヤは1746年、スペインのアラゴンの荒野の小さな寒村で生まれました。彼はそういう片田舎出身でしたが、27歳で一流画家になる野望を胸にマドリッドに向かいます。彼の傍らには新妻のホセファ、彼女は宮廷画家フランシスコ・バイユーの妹でした。この縁故関係を活かして、マドリッドの王立タペストリー工場の下絵(カルトン)を描く仕事を得ます。やがて、国王カルロス3世に認められる日がやってきます。ゴヤ、33歳のときです。翌年、彼はサン・フェルナンド王立アカデミー会員の肩書を得、画壇での評価を高めていきます。そして、新しい国王カルロス4世の即位とともに、ゴヤは43歳にして、宮廷画家の地位をつかみます。ようやく、社会的地位と経済的な余裕が持てたゴヤでしたが、思わぬ試練に襲われます。47歳のゴヤは突然、原因不明の高熱に襲われ、命の危機に陥ります。何とか一命を取り止めたゴヤでしたが、この高熱でまったく聴覚を失ってしまいます。以後、ゴヤは音のない世界を生きることになります。しかし、こういうときにこそ、その人間本来の真価が試されることになります。ゴヤは己の魂と向かい合うようになり、真の芸術家として、高みに上っていきます。彼の芸術はよりリアルな表現を追求していくことになり、天才芸術家の仲間入りを果たすことになります。53歳で首席宮廷画家に抜擢され、不朽の名作《カルロス4世とその家族》を描き上げます。芸術家の真実の目で、冷徹に宮廷の主役たちの心の奥底を抉り出すような名作中の名作です。宮仕えの身でありながら、心に臆するものもなく、これまで宮廷画で誰も描かなかった、国王夫妻の下劣とも思える品性を絵で表現してしまいました。このとき、近代リアリズム絵画が誕生しました。
この頃、ゴヤはスペイン1の美貌とも言われたアルバ公爵夫人とのアバンチュールも経験し、当時としては衝撃的であった《裸のマハ》を描き上げますが、それは厳格なカトリック社会であったスペインで許される筈もなく、密かに注文主の屋敷に所蔵されていました。この作品は実に150年ぶりにスペインで描かれた裸婦像でした。この作品もまた、ヨーロッパ近代絵画の幕開けを告げるものでした。こうして、ゴヤは新しい絵画の世界の先駆者となっていきます。ナポレオン戦争、スペイン王家の継承争いなど激動の時代のなか、ゴヤは宮廷画家の地位を守り、したたかに生きていきます。やがて、高齢となったゴヤは公の場を退き、マドリッド郊外のキンタ・デル・ソルド(聾者の家)と名付けた家に隠棲します。その家の壁中に描いたのが、晩年の傑作《黒い絵》シリーズ全14作です。74歳でゴヤは混乱のスペインからフランスのボルドーに居を移します。そして、1828年、82歳でそのボルドーの地で没しました。波乱の時代を生きた一人の天才画家の人生は愛と野望に満ちたドラマを思わせるものです。そういう彼の生み出した芸術作品は今日なお、プラド美術館で光り輝いています。その多面的な彼の芸術世界を見ていきましょう。

これは《日傘》です。1777年頃、ゴヤ31歳頃の作品です。ゴヤがタペストリーの下絵(カルトン)を描いた作品。フランスのロココ美術の影響が感じられます。この頃、スペイン王家はハプスブルク家からフランスのブルボン王家に変わっており、フランスの華やかな文化に包まれていました。ゴヤは1775年から1792年まで、63枚のタペストリー下絵を制作しました。下絵には、当時のスペインの民衆風俗が描かれており、マホ(伊達男)、マハ(伊達女)が登場しています。風俗を描いたのは当時としては斬新なものでしたが、ひたすら、明るく描かれた絵には、民衆のリアルな生き様は表されていません。天才画家ゴヤの登場はまだまだ後のことです。


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これは《木登り》です。1791~92年頃、ゴヤ45~46歳頃の作品です。ゴヤはたびたび、子供の姿を描いています。子供の世界に入り込んだような表現が見事な作品と言えます。


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これは《ゴヤの妻、ホセファ・バイユウ》です。1798年頃、ゴヤ52歳頃の作品です。ゴヤと40年連れ添うことになる妻のつつましい姿が描かれています。宮廷画家バイユウの妹だった、この妻との結婚がゴヤの一流画家への飛躍の足掛かりになりました。ゴヤはアルバ公爵夫人とのスキャンダラスな恋など、浮名を流しましたが、妻はじっと寄り添っていたようです。


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これは《着衣のマハ》です。1798~1805年頃、ゴヤ52~59歳頃の作品です。これは誰でも知っている作品ですね。saraiも学生時代、京都の展覧会で両方のマハを見て、下宿の壁に大きなポスター(着衣のマハ)を張っていたことを懐かしく思い出しました。


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これは《裸のマハ》です。1798~1805年頃、ゴヤ52~59歳頃の作品です。《着衣のマハ》とセットで、時の宰相ゴドイが屋敷で鑑賞していたという話が残っています。普段はこの《裸のマハ》は《着衣のマハ》の裏に隠されていたとのことです。今の我々の目で見れば、この程度の裸婦像はエロティックでもなんでもありませんけどね。宗教裁判の厳しかったカトリックの国スペインでは、見つかれば、大変な事件だったようです。実際、saraiは両方のマハでは、《着衣のマハ》のほうが色っぽくて、好きなんです。


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これは《チンチョン伯爵夫人》です。1800年頃、ゴヤ54歳頃の作品です。この女性はカルロス3世の弟、ドン・ルイス親王の長女です。彼女は国王カルロス4世の従妹ですが、カルロス4世の王妃マリア・ルイサの愛人だったゴドイと結婚。不幸な結婚生活を送った彼女へのゴヤの憐れみが感じられる肖像画です。このあたりから、天才画家ゴヤの対象の内面を抉り出す眼差しの鋭さが発揮されるようになってきました。


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これは《カルロス4世とその家族》です。1800~01年頃、ゴヤ54~55歳頃の作品です。これは凄い傑作です。人間の内面の奥底を絵で表現する究極のリアリズムの作品と言えます。ある批評家が「まるで宝くじにあたったパン屋夫婦のようだ」と評したそうですが、王家の家族の姿を遠慮会釈なしにリアルに描き上げた作品です。そこには尊敬の念もなく、理想化した表現もありません。ベラスケスの作品も生ぬるく思えるほどです。国王カルロス4世の遊び好きなだけの愚鈍そうな表情、王妃マリア・ルイサの高慢かつ狡猾そうな好色女の風情・・・この王家の没落を見据えているような情景です。画家自身は画面左端から冷やかに視線を送っています。まあ、よく、こんな絵を怒りもせずに国王夫妻が受け取ったものですね。よほどの太っ腹か、あるいはお人好しだったんでしょう。


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これは《巨人》です。1808~12年頃、ゴヤ62~66歳頃の作品です。謎めいた不思議な絵です。とてつもない巨人が山の向こうを歩き回り、手前では群衆が逃げ惑っています。ナポレオン戦争中に描かれたので、この巨人が何を象徴しているのか、色々な解釈があるようですが、下手な解釈などせずに、この絵の破壊力をそのまま、受け入れるのが一番ではないかとsaraiは思います。


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これは《1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘》です。1814年頃、ゴヤ68歳頃の作品です。これはナポレオン軍へのスペイン民衆の蜂起を描いたものです。ナポレオンが没落した後、フェルナンド7世が王として、凱旋しますが、その際にゴヤが「ヨーロッパの暴君に対する、我々の輝かしき反乱と崇高な英雄的行為を、絵筆によって永遠に残すために」と申し出て、描いた作品です。この絵は確かに雄々しく戦う姿をダイナミックに描いていますが、次の作品とセットで見ると、意味合いが変わってきます。


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これは《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》です。1814年頃、ゴヤ68歳頃の作品です。上の作品とセットになったもので、民衆の蜂起が鎮められ、反逆者として処刑されます。ゴヤはリアリズム画家としての透徹した視線で戦いの悲惨さを浮き彫りにしています。


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これは《フェルナンド7世》です。1814年頃、ゴヤ68歳頃の作品です。スペインに凱旋した国王を宮廷画家たるゴヤが描いたものです。一見、若くて、凛々しい国王の姿にも見えますが、誇りと自信に満ちた表情は民衆を見下す暴君の姿とも重なって見えます。父カルロス4世の裏返しのような姿です。


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これは《自画像》です。1815年頃、ゴヤ69歳頃の作品です。人間の世界の真実を見極めて、その表情は疲れ切って、絶望的にも思えます。孤独感も漂っています。芸術を極めた人間はとても幸福ではいられないようです。


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これは《砂に埋もれた犬》です。1820~24年頃、ゴヤ74~78歳頃の作品です。「聾者の家」に描かれていた《黒い絵》シリーズの一枚。《黒い絵》は1870年代に「聾者の家」の壁から漆喰ごとはがされて、カンヴァスに移され、現在はこのプラド美術館で展示されるようになりました。この作品は砂の上に首から先だけを出した犬の姿がとても印象的。そこに何を見るかは鑑賞者の人生に委ねられることでしょう。


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これは《わが子を食うサトゥルヌス》です。これも《黒い絵》シリーズの一枚。これはそのまま、おぞましい絵です。ゴヤの食堂に描かれていたそうです。食欲をなくしてしまいそうです。


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これは《サン・イシドロ祭》です。これも《黒い絵》シリーズの一枚。祭のシーンと言っても、亡者たちの集まりにしか見えませんね。


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これは《妖術師の夜宴へ》です。これも《黒い絵》シリーズの一枚。これは幻想的な絵ですね。日本のアニメの先を行ったような作品です。


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これは《魔女の集会》です。これも《黒い絵》シリーズの一枚。これは題名通りの絵です。まだ、魔女狩りもあった時代の作品であると思うと、意味深くもあります。


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これは《レオカディア》です。これも《黒い絵》シリーズの一枚。レオカディアは長年連れ添った妻ホセファが1812年に亡くなった後に、ゴヤが一緒に暮らした女。同棲が始まった頃、ゴヤは68歳、レオカディアは24歳の人妻だったというから、驚くほかはありません。しかも、2年後には娘ももうけたというからさらにびっくり。結局、ボルドーでゴヤが亡くなったときには、このレオカディアとその娘が最期を看取ったそうです。


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これは《ボルドーのミルク売り娘》です。1825~27年頃、ゴヤ79~81歳頃の作品です。ゴヤ最晩年の作品です。《黒い絵》シリーズを描いた画家が高齢でこんなに瑞々しい作品を残したとは、ゴヤの多面性のあらわれでしょうか。こういう作品で人生を締め括ったのは、ゴヤの心の闇が晴れたのでしょうか。なんだか、救われたような気持ちになります。


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ゴヤのコレクションも膨大なものでした。エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの傑作群を見るだけでもプラド美術館詣でが大いに報われますが、まだまだ、名画はあるようです。









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エル・グレコはプラド美術館から:謎の画家ボッスも見逃せない

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/16回目

プラド美術館はエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ルーベンスの作品の質と量は凄まじいものです。そして、何と言っても、ハイライトはボッスの《快楽の園》を始めとした珠玉のコレクション。配偶者は感嘆の声、しきり。よいものを見させてもらいました。

ボッス(ボス)は謎に包まれた画家です。本名はヒエロニムス・ファン・アーケンでボッスというのは通称です。彼の暮らした町がネーデルランド(オランダ)のス・ヘルトーヘンボスだったことから、その町の名前の一部からとられたものです。「ボッスBosch」というのは、「森」という意味だそうです。少ない記録によると、画家の家系に生まれて、年上の裕福な女性と結婚したたため、お金には困らなかったので、自由な創作活動を行えたということです。分かっているのはここまでです。生まれた年も、作品の制作年もすべて不明です。亡くなったのは1516年のことです。

ボッスが描いたのは、終末観ただよう1500年頃の社会不安と道徳低下の世相を反映し、人々の信仰が薄れて、罪が蔓延した現実でした。彼の描く絵には、地獄の恐怖が生々しく表現されて、人々が犯す罪へ警鐘が打ち鳴らされています。そう書くと、いかにもおどろおどろしいだけの絵のように思われるかも知れませんが、彼が地獄のモンスターとして描いた空想上の生き物の造形的な面白さは、現代の日本のアニメも顔負けです。ユーモラスさには思わず、笑ってしまいます。

現在、ボッスの真筆とされる作品は世界で40点ほどと言われています。フェルメール並みの少なさですね。ヨーロッパの大きな美術館でも、滅多にボッスの作品は見かけませんし、あったとしても1~2点ほどです。ボッスの作品中、最大の大きさ(縦2.2m、横4m弱)のトリプティカ(3連祭壇画)の《快楽の園》はブリュッセルのナッサウ伯の邸宅の祭壇画として描かれました。16世紀後期、ネーデルランドはスペインの支配下になり、この祭壇画はスペイン国王のフェリペ2世に献上されました。当時のスペインは厳格なカトリックの支配する国家だったので、こういう淫らなモチーフ満載の絵が受け入られるわけはないのですが、どういうわけか、フェリペ2世はこの絵をいたく気に入り、《人間の罪悪と愚蒙を描いた偉大なる風刺画》と絶賛します。フェリペ2世というと、エル・グレコがエル・エスコリアル修道院のために描いた傑作《聖マウリシオの殉教》を気に入らず、倉庫に投げ込んだ当人です。そのフェリペ2世がボッスには夢中になったしまいました。ボッスが死んだ後も作品を収集するようになります。10点以上の作品をエル・エスコリアル修道院に集めて、たいそう愛したそうです。そのボッスの世界最大のコレクションが現在はプラド美術館で展示され、世界中のボッスのファンが連日、詰め掛けています。実際、saraiが《快楽の園》の前に立ったとき、大勢の人たちが集まっており、その間から、苦労して、作品を鑑賞したほどです。プラド美術館で一番人気でした。

これがその《快楽の園》です。


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ともかく、大きな画面に幻想的なシーンがびっしりと緻密に描かれています。数えられませんが、200人以上の全裸の男女が野原や池や林の中で悦楽をむさぼっています。それが中央パネルの絵。左翼の絵には、アダムとイブが楽園の中にいます。右翼の絵には、恐ろしい地獄の責苦です。

中央パネルの絵の悦楽のイメージは、7つの大罪のうち、「淫欲」を表したものだと言われます。


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この絵は1500年の節目の年に終末論が論じられて、死後の幸福よりも現世の快楽に走った世相を戒める意味で描かれたと言われています。そこには当時60歳頃だったボッス独自の世界観も著されいます。それは、この世は愚かな大衆の集まりであるという考えで、その世界観をこの作品で大胆に展開したわけです。それって、現代にも大いに通じるところがありますね。こういうところが現代人の心を捉えて、人気が高まっているようです。そういうことは別にしても、ともかく、この絵はどこの部分を見ても面白いんです。あっちを見てはくすっ、こっちを見てはくすっ・・・笑ってしまいながら、いつまでも見飽きることがありません。数十ものシーンがありますから、1時間以上見ても見尽せないでしょう。

いくつかのシーンを見てみましょう。これは中央パネル左上にある奇怪な建物。ボッスの創造力には驚きます。


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これは中央パネルの上部の悦楽の泉。女性だけが水浴しており、その人数は全部で24人。1日の時間を表します。時間を表現したのは、女性の美しさの移ろいやすさを示したものです。


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これは中央パネルの下部左のシーン。ムール貝を運ぶ男の姿は十字架を担うキリストの姿を連想します。しかし、ムール貝の中では2人の男女が絡まり合って、事に及んでいます。こんなのを描いちゃって、いいんでしょうか。


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右翼のパネルの右下では、修道女が男を口説いています。しかし、修道女はどうやら豚のようです。修道女は淫欲と大食の2つの罪を犯しているんでしょう。横からちょっかいをだしているけったいな昆虫怪物は何でしょう。気持ち悪いですね。


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こんな具合に見ているとキリがありませんが、しばらく、配偶者とあれは何だろうとか言いながら、見続けていました。鑑賞客が減ることはありませんでした。

ところで、この3連祭壇画は左右のパネルを閉じることができます。閉じると裏に描かれた絵が現れます。それがこれです。天地創造のシーンを描いたものです。世界が創造されて3日目、天と地が分かれたところです。


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いやはや、これは大変な絵です。これだけを見るためでもプラド美術館を訪れる価値があるでしょう。

次の絵を見ましょう。これは《7つの大罪》です。中央の円が7つに区切られており、大罪がそれぞれ描かれています。4隅の円は「死の床での終油」、「最後の審判」、「天国」、「地獄」が描かれています。画面の中心にはキリストがいます。下に書かれているのは「心せよ、心せよ、神は見給うなり」で、この絵は神の巨大な目が描かれていることが分かります。罪を犯しそうな人への警鐘の絵画です。フェリペ2世はこの絵を自分の寝室に飾っていたそうです。我が国の政治家たちも寝室にこの絵の複製画でも飾っておいたら、いかがでしょう。


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これは《干し草車》です。これも3連画ですが、これは中央部分のパネルです。左右には、楽園と地獄のパネルがありました。中央にある大きな干し草は富を象徴しており、まわりには貪欲に駆られた人々が7つの大罪を犯している様が描かれています。そういう人々に最後の審判を下すべく、上空から、キリストが見守っています。この絵もまた、人々の罪への警告です。


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ボッスの作品のテーマは一貫していることが分かります。その作品を支える見事な色彩と緻密な構成がボッスの芸術です。世界中の人がその素晴らしさを賞賛して、プラド美術館に通ってきます。









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ペライア、快心のモーツァルト with アカデミー室内管@サントリーホール 2014.11.13

正直言って、ペライアに全幅の信頼を置いているsaraiも今日のコンサートは行こうか、どうか、悩みました。いったんは行かないと決意しました。以前聴いた、内田光子の弾き振りのモーツァルトの協奏曲が期待外れだったので、弾き振りに対する不信感があったからです。しかし、結局、最終的に聴きに行って、とてもよかった! 最高のモーツァルトでした。こういう演奏が聴きたかったんです。それにしても、ペライアのピアノの響きの美しかったこと、期待以上の素晴らしさでした。

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番は名曲中の名曲、いまさら予習することはありませんが、ペライアの演奏だけ、聴いておきましょう。

 ペライア&ヨーロッパ室内管弦楽団(DVD)
 ペライア&イギリス室内管弦楽団(CD)

イギリス室内管弦楽団はペライアが若い頃(30歳頃)の演奏ですが、勢いがあり、切れのある素晴らしい演奏。ヨーロッパ室内管弦楽団とのDVDはその10年以上後の映像ですが、音質がよくなった分、聴き応えがします。それに映像は面白いですね。

モーツァルト以外の曲も予習。メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第7番は聴いたことがありません、初めてCDで聴いてみました。少年が作曲したとは思えない完成度です。

 クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

バッハのピアノ協奏曲第7番はペライアのCDを聴きました。普通はチェンバロの演奏で聴きますが、ペライアのピアノのピュアーな演奏もなかなかです。

 ペライア&アカデミー室内管弦楽団

ハイドンの交響曲第94番《驚愕》はこれまで、意外にあまり聴いていないので、まとめて聴いてみました。フルトヴェングラーの古典的な演奏がぴったりきます。セルの演奏も素晴らしいものでした。セルの晩年の演奏はどれも素晴らしいことを最近、認識させられました。

 フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1951年)
 オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィル 
 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
 カザルス指揮マールボロ祝祭管弦楽団
 アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

さて、今日の演奏についての感想です。

まず、今日のプログラムは以下です。

  ピアノ&指揮:マレイ・ペライア
  管弦楽:アカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)

  メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲第7番ニ短調
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467

   《休憩》

  J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第7番ト短調 BWV 1058
  ハイドン:交響曲第94番ト長調 Hob.I-94《驚愕》


1曲目のメンデルスゾーンは指揮者なしで、アカデミー室内管弦楽団の弦楽器奏者だけでの演奏。彼らのお得意のスタイルですね。少年メンデルスゾーンが交響曲の習作として作曲したものですが、よほど、バッハの音楽を参考にしたのでしょう。古典的な雰囲気が感じられます。そこに既にメンデルスゾーンらしい清々しさが芽吹いています。アカデミー室内管弦楽団の響きは第1楽章はもうひとつでしたが、第2楽章からは響きが澄み切ってきて、颯爽とした演奏でとても満足できました。

2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。これが聴きたくて、このコンサートに足を運びました。ペライアの弾き振りなので、一抹の不安があります。冒頭のオーケストラはほどよく響き、いよいよ、ペライアのピアノ。あれっ、なんだか、ペライアらしい美しい響きが聴こえてきません。不安的中か・・・しばらくすると、ペライアのエンジンがかかってきたか、えもいわれない素晴らしい響きと切れのよいタッチ。モーツァルトのピアノ協奏曲はこうでなくてはいけないというような理想的な響きにうっとりと聴き惚れます。そのペライアの美しい響きに呼応するようにアカデミー室内管弦楽団も透き通るような美しい響き。映画音楽でも有名な第2楽章にはいると、ますます、天国的な美しさ。曲もよし、演奏もよし。ただただ、聴き入るだけです。第3楽章はペライアの神業的なシャープな演奏が展開されます。ペライアの若い頃のシャープな切れ味の演奏と同様の素晴らしい演奏。もう、これ以上のモーツァルトは今後聴けないでしょう。最高の演奏でした。今日のコンサートでは、モーツァルトのピアノ協奏曲はこの1曲きりでしたが、もう、それで十分に満足しました。

休憩後のバッハのピアノ協奏曲も美しく、深みのある演奏でした。ピアノの豊かな響きは現代のコンサートホールにはぴったりかもしれません。小ホールなら、チェンバロでの演奏もいいでしょうが、サントリーホールのような大ホールならば、スタインウェイのピアノの響きはホールを包み込むようです。バッハの名曲は楽器が何であれ、素晴らしいです。モーツァルトのピアノ協奏曲と同様に大満足でした。

最後のハイドンの交響曲第94番《驚愕》はおまけのようなもの。ペライアの指揮は堅実なもの。ハイドンはこれでいいでしょう。美味しいデザートを味わわせてもらいました。これがアンコールのようなものですから、アンコールはなし。欲を言えば、ペライアのピアノ独奏のアンコールを途中にはさんでほしかったですけどね。

明日はアヴデーエワのピアノ・リサイタルを聴きますから、ピアノ独奏は十分に楽しめるでしょう。







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       ペライア,  

驚異のピアニスト、ユリアンナ・アヴデーエワの感動のリサイタル@東京オペラシティ 2014.11.14

これほどのピアノ演奏が聴けるとはまったく予想していませんでした。saraiの生涯、最高のピアノ演奏です。無論、CDも含めてです。これまで、現存するピアニストではマレイ・ペライアが最高のピアニストだと思っていましたが、今日からはユリアンナ・アヴデーエワが最高にして最強のピアニストと認定します。もちろん、saraiの勝手な思い込みですから、悪しからず。

今日はモーツァルト、リスト、ショパンを弾きましたが、モーツァルトを弾くときはモーツァルト弾き、リストを弾くときはリスト弾き、ショパンを弾くときはショパン弾きというように、作曲家のスタイルに合わせた多彩で知的なアプローチには脱帽です。とりわけ、リストの演奏が素晴らしく、巡礼の年《ダンテを読んで》はもう、ありえないような演奏。予習で聴いたアラウの演奏も素晴らしい演奏でしたが、それをはるかに凌駕する演奏。リストのピアノ曲の真髄を極めたような演奏を聴いているうちに感動の波が襲ってきました。リストの作品を聴いて、こんなに感動したのは初めてです。ともかく、ピアノの豊かな響きが圧倒的。それに加えて、実に音楽的な表現が自然に表出する感じ。スーパーモードとしか思えない演奏です。どこにも無理がなく、軽やかにピアノを弾いていますが、何せ、これはリストの難曲です。前回聴いたリサイタルでは、こんなに凄かったという記憶はありません。この1、2年で高みに上り詰めたということでしょうか。

今日のプログラムは以下です。

  ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ

  モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番ニ長調 K.284
  リスト:ヴェルディのオペラ《アイーダ》より、神前の踊りと終幕の二重唱 S.436
  リスト:巡礼の年 第2年《イタリア》から、ダンテを読んで(ソナタ風幻想曲)


   《休憩》

  ショパン:24の前奏曲 Op.28

   《アンコール》
     ショパン: ノクターン ヘ長調 op.15-1
     ショパン: ワルツ 変イ長調 op.34-1
     ショパン: マズルカ 変ロ長調 op.7-1

1曲目のモーツァルトのピアノ・ソナタ第6番はモーツァルトらしい粒立ちのよいタッチの響きに乗せて、高貴とも思える音楽が展開されます。長大な第3楽章の変奏曲の終盤あたりで、思わず、はっと居住まいを正します。香気が立ち上るような何と美しい音楽なんでしょう。神が乗り移ったような演奏、ミューズが舞い降りてきたようです。最高のモーツァルト、最高の音楽です。

2曲目のリストは打って変わって、華やかな演奏です。《アイーダ》のエジプト風の妖しい調べを幻想的に演奏していきます。しかも自在な演奏です。先ほどまでの古典的な響きや表現とは異質な演奏ですが、芯は同じく、音楽的な演奏だということです。知的に考え抜きながらも、自然に音楽的な表現になるのがこのアヴデーエワの美質のようです。

3曲目のリストは初めから、圧倒的な迫力の演奏です。思いっ切り、激しいアプローチですが、彼女の超絶的な技巧は冴えわたり、まったく、ミスらしいミスもないパーフェクトな演奏。自然に楽々と弾きこなしているようですが、聴いているこっちは次第に熱くなっていきます。大変な感動に襲われました。こんなピアノ演奏を聴くのは初めてです。《ダンテを読んで》がこんなに凄い曲だったとは・・・ピアノ音楽の奥義を聴かされた思いです。最高の音楽体験となりました。

休憩後のショパンの前奏曲は前半に聴いたリストがあまりに凄過ぎて、少し、拍子抜けの感じ。それでも、第12番あたりから、演奏が冴えわたり、後半は素晴らしい音楽です。最後の第24番は素晴らしい響きに魅了されました。

アンコールはショパン3曲。特に有名なワルツは少し乱暴とも思えるほどの凄まじい演奏。究極のショパンです。

アヴデーエワ最高!! 来年のショパンのコンチェルトもチケット入手済です。とても楽しみです。今後、聴き逃せないアーティストがまた一人増えました。







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       アヴデーエワ,  

エル・グレコはプラド美術館から:ムリリョと言えば《無原罪の御宿り》、そして、素晴らしきフランドル絵画の傑作群

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/17回目

プラド美術館には、まだまだ、名品があります。

スペインを代表する画家のひとり、ムリリョも見逃せません。
ムリリョは1618年、アンダルシア地方のセビーリャに生まれました。以後、ずっと、そこで活躍しました。50歳以降の1670年から晩年まで、その芸術は頂点に達します。宗教画の世界で、スティロ・バポローソ(薄もやの様式)と呼ばれる、画面がぼんやりと柔らかい薄もやに包まれた幻想的な表現で描いた聖母マリアの姿はムリリョならではのものです。特に繰り返し描いた《無原罪の御宿り》はムリリョの独壇場の画題です。無原罪の御宿りというのは、聖母マリアの処女懐胎のことではなく、マリア自体もその母アンナの胎内にいたときから、原罪を逃れていたというものです。つまり、男女の情欲なしにマリアも生まれてきたというもので、マリア信仰の基礎になる考え方です。そういう無原罪の存在としてのマリアが描かれたのが《無原罪の御宿り》の絵画で、言わば、そのスペシャリストであったのがムリリョです。無論、エル・グレコの《無原罪の御宿り》も大傑作ですが、ムリリョは飽きることなく、何枚もこの《無原罪の御宿り》の傑作を描き続けました。

これはその《無原罪の御宿り》の一枚です。1670~80年頃、ムリリョ52~62歳頃の作品です。ムリリョの描くマリアはあどけなさを残し、とっても愛らしい存在に感じます。この画題では、いつもほとんど同じ構図ですが、天を仰ぎみるマリアの美しさはなんとも言えません。夢か幻のようなマリアの姿はマリア信仰にふさわしく神々しいものです。


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これも《無原罪の御宿り》の一枚です。1678年頃、ムリリョ60歳頃の作品です。真っ白い衣に青いマントのマリアは三日月に乗って、天使たちに支えられながら、天から舞い降りてきます。キリスト教徒ならずとも、マリアにうっとりと魅了されてしまいます。あー、マリアが可愛い!!


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これはそれらの作品に先立って、若い頃にムリリョが描いた《ロザリオの聖母子》です。1650年頃、ムリリョ32歳頃の作品です。聖母子が実にリアルな人間として、写実的に描かれています。夢幻などではなく、現実に存在する人間です。しかし、ここでもマリアは美しいですね。この美しい表現はロココ美術の先駆けとなるものでした。


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これは《善き羊飼い(善き牧者としての幼児キリスト)》です。1655~60年頃、ムリリョ37~42歳頃の作品です。フェリペ5世の王妃がセビーリャ滞在時に気に入って買い上げて、以後、アランフェス宮殿の国王夫妻の寝室に飾れていたそうです。牧歌的な美しい作品です。画題は、罪を犯した人間が悔い改めて、それを神が受け入れる姿を、子羊が迷っているのを羊飼いが見つけることができて、喜んでいる姿として、なぞられた教義≪善き羊飼い≫です。きっと、スペイン国王も人間としての救いを希求していたんでしょう。


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スペイン絵画はここまでにします。まだ、スルバランとか重要な画家はいますが、スペイン人画家以外の素晴らしい作品もあります。

まずはフランドル絵画で、ヤン・ファン・エイクと並ぶファン・デル・ウェイデンです。
ファン・デル・ウェイデンは近年、ぐんぐん評価がうなぎ上りの初期フランドル絵画を代表する画家です。しかし、世界に約60点ほど残る彼の作品のうち、1点も確実に真筆と認められている作品はないという異常な状況です。その中で、ほぼ真筆であろうと言われている作品が3点あり、資料が一番多いのが次の作品です。

これは《十字架降下》です。1435年頃、ウェイデン35~36歳頃の作品です。これは素晴らしい傑作ですね。緻密な表現ではヤン・ファン・エイクに一歩譲るかもしれませんが、実に深い表現の作品です。亡くなったキリストを悼む空気感が強く感じられます。構図も考え抜かれた素晴らしいものです。宗教画を超えて、人間の普遍的な悲しみが見事に表現されています。初期フランドル絵画、恐るべしと思いました。


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次は同じ15世紀から16世紀にかけて活躍したドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーです。

これは《自画像》です。1498年頃、デューラー26歳頃の作品です。あらゆる自画像の見本とも思える出来栄えの素晴らしい作品です。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある自画像も見事な作品ですが、こちらも同様な価値を持つ作品です。それにしても、若きデューラーの自信満々の姿って、笑ってしまうほどです。


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これは《アダムとイブ》です。1507年頃、デューラー35歳頃の作品です。いやはや、これも傑作ですね。特にイブの裸婦像が独特な表現で素晴らしいです。身体の微妙なバランスの感じがなんともいえません。


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次は16世紀フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル(父)です。

これは《死の勝利》です。1562年頃、ブリューゲル32歳頃の作品です。ブリューゲルというと、必ず、その絵に寓意を込めています。この作品の寓意は、死は貴賤の違いにかかわらず、誰にも訪れるというもの。画面上、あらゆる階層の人間が死に襲われる様が描かれています。当時、ペストがヨーロッパ中に大流行したことも下地にあります。また、フェリペ2世のフランドルへの暴政に苦しまされた民衆の暴動も頻発し、この絵はスペイン圧政への抗議も込められています。それにしても画面一杯に広がる様々な表現の多様さは凄まじいばかりです。


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次はオランダを代表するというか、世界的巨匠のレンブラント。

これは《アルテミシア》です。1634年頃、レンブラント28歳頃の作品です。アルテミシアは古代小アジアの提督の妻で、夫の死後、夫の遺灰を飲み込み、自らを夫の墓と化したと言われています。モデルは妻サスキア。夫婦の愛をこの作品に込めたのでしょう。


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次は17世紀フランドル最大の画家にして、スペインを外交官として訪れたルーベンスです。ベラスケスとも親交を結びました。

これは《三美神》です。1636~37年頃、ルーベンス59~60歳頃の作品です。ルーベンスが外交官としてスペインを訪問して以来、フェリペ4世はルーベンスの絵画の虜となっていきました。作品収集を続ける中、ルーベンスが1640年に亡くなります。死後、競売に出された作品の中から、この《三美神》を購入しました。こうして、プラド美術館に素晴らしいルーベンス・コレクションが出来上がることになります。実はこの作品以外にも素晴らしい作品が満載です。ですが、saraiは残念ながら、ルーベンスは好みではないので、コレクションの中の最高の一枚だけを紹介するだけにします。この作品はルーベンスの美点が表出している傑作です。


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プラド美術館のコレクションもあとイタリア絵画を残すのみとなりました。次回をお楽しみに。







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エル・グレコはプラド美術館から:イタリア絵画も傑作揃い

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/18回目

プラド美術館には、イタリア美術の名品も揃っています。

まず、フィレンツェのドメニコ修道会の修道士として、絵筆をとったフラ・アンジェリコです。彼は1400年頃にフィレンツェ近郊で生まれました。本名はグイド・ディ・ピエトロですが、愛称フラ・アンジェリコで呼ばれています。フラ・アンジェリコとは「天使のような修道士」という意味です。彼の描く控え目な表現の宗教画には、その天使もよく登場します。テンペラ画、フレスコ画で描かれる静謐で瞑想的な宗教画は現代人にも心の安らぎを与えてくれます。

これは《受胎告知》です。1435~45年頃、フラ・アンジェリコ35~45歳頃の作品です。フラ・アンジェリコの《受胎告知》と言えば、フィレンツェのサン・マルコ修道院の階段を上がったところに描かれているフレスコ画がとても有名ですが、プラド美術館にも、ほぼ同時期に描かれた作品が展示されていて、驚きました。印象としては、ほぼ同じような構図の作品です。大天使ガブリエルがマリアに懐胎を告げている雰囲気はそっくりで、控え目にマリアが受胎を受容しているのがしみじみと心に伝わってきます。受胎告知は3月25日とされており、庭園には春の花々が美しく咲いています。その庭園には、アダムとイブの楽園追放のシーンが描かれていますが、これはサン・マルコ修道院の絵には描かれていません。また、神からの強烈な光線がマリアに降り注ぎ、精霊も描かれていますが、これもサン・マルコ修道院の絵には描かれていないものです。全体として、こちらの作品のほうが鮮やかな表現になっています。なお、写本の細密画も含めて、フラ・アンジェリコの《受胎告知》は15点ほど現存するようです。


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次は北イタリア、ヴェネツィアでルネサンス期に活躍した天才画家マンテーニャです。彼は同世代の画家ジョヴァンニ・ベリーニと義兄弟であったことが知られています。ベリーニとは作風はかなり異なり、テンペラ画であくまでも写実を追求しました。執念とも思えるほどです。

これは《聖母の死》です。1460~62年頃、マンテーニャ29~31歳頃の作品です。若い頃の作品ですが、ここでも写実に徹する作風が見られます。悲しみにくれて亡くなる聖母マリアは老いた女の姿で描かれています。それまでは聖母は美しき存在として、若く描かれていましたが、マンテーニャは写実に徹したのです。まあ、saraiは若く、美しいマリアが好きなので、正直、この絵は趣味に合いません。マンテーニャの画力は認めますけどね。


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次はsaraiの大好きなボッティチェリです。プラド美術館にもボッティチェリの力作があるのでびっくりしました。それも連作が並んでいました。この連作はボッカチオの《デカメロン》に基づいた青年ナスタジオの恋物語です。ただ、どうやら、この作品はボッティチェリが下絵だけを描いて、後は工房の弟子に任せたらしいとのことです。十分にボッティチェリらしさのあふれた作品なんですけどね。
以下、《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語》、1482~83年頃、ボッティチェリ38~39歳頃の作品です。全部で4枚からなる板絵です。ここには3枚がありました。残りの1枚はアメリカの個人蔵だそうです。この連作はフィレンツェの有力な家系、プッチ家とビーニ家の婚礼の記念で、新婚夫妻の寝室を飾るスパリエーラ(装飾用の羽目板)として描かれました。この婚礼はメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコが仲介者でした。ロレンツォはボッティチェリのパトロンですね。

これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第1の挿話》です。画面中央にいる赤いタイツの青年ナスタジオが恋人パオラ・トラヴェルサーリに拒絶されて、悩んでいます。彼が林の中を歩いていると、白い馬に乗る騎士に追いかけられる裸の美女を目撃します。実はこの美女は恋人の騎士につらくあたって、その騎士を自殺に追いやったのです。その報いとして、彼女は犬と騎士に追い掛け回される責苦に合うことになっているのでした。青年ナスタジオは自分と同じような境遇の二人が地獄の責苦に合っているところを見てしまったのです。


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これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第2の挿話》です。白い馬の騎士に追いつかれた美女は背中を切り裂かれます。画面の奥のほうでは、また、白い馬の騎士に美女が追い掛け回されています。つまり、美女は殺されては生き返り、また、追いかけられるという地獄の責苦を繰り返し、受けているのです。画面には複数の時間の場面が一緒に描かれています。異時同図法です。


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これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第3の挿話》です。青年ナスタジオは恋人パオラ・トラヴェルサーリを祝宴に招き、自分が見ていたヴィジョン、白い馬の騎士と美女の地獄の責苦を見せて、恋人の翻意を促します。青年ナスタジオに冷たかった恋人パオラ・トラヴェルサーリはこの地獄の責苦を見て、彼と婚約します。ちなみに第4の挿話は、青年ナスタジオと恋人パオラ・トラヴェルサーリの盛大な婚礼の場面です。


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次は聖母子の画家ラファエロです。

これは《羊を連れた聖家族》です。1507年頃、ラファエロ24歳頃の作品です。構図的には、よく描かれています。幼な子イエスと父ヨセフの見つめ合う様子が微笑ましいです。しかし、残念ながら、マリアがもうひとつ美しく描かれていませんね。これでマリアの顔が美しければ、超名作だったのに・・・。


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次はコレッジオです。コレッジオは1481年頃に北イタリアのモデナ近くのコレッジョで生まれ、パルマを中心に活躍しました。パルマの大聖堂は彼の見事な絵で埋め尽くされていて、圧巻です。特に天井画の見事さには圧倒されました。

これは《ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)》です。1520~24年頃、コレッジオ31~35歳頃の作品です。新約聖書・ヨハネ福音書20章17節に、復活したイエスがマグダラのマリアに姿を見せる場面が記述されています。その場面では、マグダラのマリアが、イエスが復活したことを喜んで、彼に触れようとしますが、イエスは「ノリ・メ・タンゲレ(私に触れるな)」とマグダラのマリアに命じます。イエスはその理由を「わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから」と告げます。キリスト昇天はこの後のできごとです。もちろん、昇天してしまった後は、地上の人間は誰もキリストに触れることはできません。愛の救済者たるキリストにしては冷たい仕打ちにも思えますが、この意味はキリスト教の教義なので、非キリスト者たるsaraiには解説できません。ただ、その場面を描いたコレッジオの作品の写実のあまりの見事さには息を呑んでしまいます。


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最後は半世紀もの間、ヨーロッパ随一の大画家として、ヨーロッパ中の王侯・貴族から注文が絶えなかったヴェネツィアの巨匠ティツィアーノです。スペイン王室は、1529年以来、神聖ローマ帝国皇帝(スペイン国王でもある)カール5世と彼の息子のフェリペ2世の2代にわたって、ティツィアーノの最大のパトロンとなります。ティツィアーノは1576年にペストで死去。スペインには膨大なティツィアーノのコレクションが残されました。ここでは、代表作の2枚だけを見ていきましょう。

これは《ミュールベルクのカール5世騎馬像》です。1548年頃、ティツィアーノ58歳頃の作品です。カール5世とティツィアーノには、こんなエピソードが残されています。画家のアトリエを訪れた皇帝が、画家が落とした絵筆を拾うために跪きます。当時、画家と言えば、身分は職人でした。その画家に絶大な権力を持つ絶対君主がひざまずいたのです。芸術家の栄光の時代が始まったのです。ティツィアーノが初めて、カール5世の肖像画を描いたのは、1530年のボローニャでの戴冠式でのことです。それ以来、皇帝はティツィアーノ以外には肖像画を描かせなかったということです。それほど、心酔したということです。1548年に帝国議会の開かれたアウグスブルグで二人は会っており、その際に、この騎馬像が描かれました。実に堂々たる騎馬像ではありませんか。カール5世はティツィアーノの肖像画で後世にそのイメージ、それもとびっきり素晴らしいイメージを残すことになりました。もちろん、ティツィアーノも最強のパトロンを得ることで名声を手に入れることになりました。まさにウィン・ウィンの関係です。


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これは《ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド》です。1548年頃、ティツィアーノ58歳頃の作品です。これも同時期にカール5世のために描かれた作品です。アウグスブルグに会いに行くときにティツィアーノが持参した作品です。この裸婦の構図は、ジョルジョーネの大傑作《眠れるヴィーナス》に由来するものです。《眠れるヴィーナス》は未完のまま、ジョルジョーネが世を去ったため、ティツィアーノが完成させました。その素晴らしい裸婦の構図に基づいて、ティツィアーノは本作以外にも、《ウルビーノのヴィーナス》や《ダナエ》を描いています。本作はそれらとは左右逆のポーズになっています。本作では、ヴィーナスが意味ありげにキューピッドに何やら、ささやきかけています。それにオルガン奏者が意味ありげな視線を送っています。一説では、このオルガン奏者はカール5世を模したとも言われています。のちに同じ画題で、カール5世の息子のフェリペ王子(後のフェリペ2世)にも制作したといいますから、よほどにスペイン王室にこの享楽的とも言える作品が気に入られたのでしょう。フェリペ2世のためには、魅惑的な作品《ダナエ》も制作しています。この《ダナエ》もプラド美術館に展示されています。とても美しい作品でした。これらの作品を愛したことから考えると、厳格なカトリックを信仰する、お堅いイメージのフェリペ2世ですが、彼も相当に享楽的な一面があったようですね。


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プラド美術館の膨大な作品群をひとつ残らず見るために、3時間もの時間を要してしまいました。もう、2度と来ることはないでしょうが、心残りはありません。







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この記事へのコメント

1, 健一さん 2014/12/24 12:31
プラド美術館に前回行ったのは、もう20年以上前のことになりますが、魅力的な絵がたくさん並んでいて、数年後には再訪しようと思っています。

「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」は大変、惹かれる作品ですね。ボッティチェリは大好きな作品です! 大人の童話とでも言えるような物語自体も面白いですが、それを鮮やかな絵画の世界にして見せてくれているボッティチェリの巧みさに感嘆します。

なお実際の制作には確かに協力者の手が多く入っているようですが、今のボッティチェリ研究者は、ボッティチェリ自身がナスタジオや騎士など主要な人物を描いたと考えているようですよ。

2, saraiさん 2014/12/24 21:01
当ブログはもうすぐ閉鎖になるので、コメントは引っ越し先のブログに移行させてもらいました。ご了承くださいね。移行先は以下です。

?ttp://sarai2551.blog.fc2.com/?no=25

?はhです。
 

エル・グレコはプラド美術館から:美術鑑賞の後は、初のバル体験(エスタード・プーロ)

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/19回目

いやあ、プラド美術館を見尽して本当に疲れました。そもそも、今日はセゴヴィアで予定外に歩き回って疲れ切っていた上に、プラド美術館での3時間にも及ぶ鑑賞。疲れないわけがありません。それでも、目的のエル・グレコの作品鑑賞はもちろん、ベラスケス、ゴヤ、ボッスを始めとした傑作群と対峙し、大変満足しました。
でも、プラド美術館は広くて複雑で、とっても観づらいのが欠点ですね。なんとかならないかしら。
美術館から外に出ると、もう7時半になっていました。美術館の東側の階段の上で、綺麗な教会が夕日を浴びて輝いています。この教会はサン・ヘロニモ・エル・レアル教会San Jerónimo el Realです。1501年創建のゴシック様式の教会で、代々のスペイン国王の戴冠式が行われたとのことです。


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美術館見学でくたびれ果てましたが、最後は食い気。スペイン名物のバルに初見参です。もう遠くまで歩いていく気力も体力もないので、美術館近くの有名バル、エスタード・プーロEstado Puroに向かいます。プラド美術館の前のプラド通りPaseo del Pradoがカノバス・デル・カスチーリョ広場Plaza Cánovas del Castilloにぶつかったところの角に、このバルがあります。地図で確認しておきましょう。


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首尾よくテラス席に座れました。ここからはカノバス・デル・カスチーリョ広場が見えます。マドリッドの広場らしく、広場の真ん中で噴水が上がっています。


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フォークとナイフの収まった紙ケースがテーブルに置かれ、その紙ケースにはメニューがプリントされています。なかなか効率的ですね。


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スペインのスパークリングワイン、カヴァをいただきながら、タパスをいただきます。


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スペインのバルで最初にいただく記念すべきタパスは、アスパラガスの天ぷら(本当に天ぷらってメニューに書いてあります)です。


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続いて、タラのすり身のフライ。


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初めてのタパスを堪能。大変、美味でした。

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このバルでもうひとつ驚いたのは、メニューにサラダは2種類しかないのに、その1つが「ジャパニーズサラダ」なんです。カルパッチョ風かなと思いますが、びっくりですね。

このバルで休んで元気が出たところで地下鉄の駅アトーチャAtochaまで歩き、そこから地下鉄1号線に乗ってホテルの最寄り駅グラン・ヴィアGran Viaまで行きます。


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地下鉄駅からホテルはすぐ。疲れた足を引きづりながら、ホテルに辿り着きました。長くて、収穫も多かった1日でしたが、本当にくたびれ果てました。saraiの足裏には豆までできました。初日から頑張り過ぎましたね。実は、この後遺症はスペイン滞在中ずっと残り、スペインでは常に疲れた状態のままでした。

ホテルではさらに驚いたことが・・・ホテルにはルームサービスがあったのですが、その案内パンフレットの表紙の図柄が「すし」なんです。もちろん、そのルームサービスの内容もお寿司が中心で、ルームサービスをやっているお店の名前がSUSHICLUBです。


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「ginza」という回転寿司屋もあるようです。恐るべし・・・ヨーロッパの「すし」ブーム!

さて、大変疲れたので、ゆっくりとベッドで休みます。

明日は雨模様のようです。明日はエル・エスコリアル宮殿でエル・グレコを見て、夜はこの旅で最初のオペラを聴きます。







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エル・エスコリアル修道院を訪問:またまた、バスターミナルが分からずにウロウロ・・・

2014年5月28日水曜日@マドリッド/1回目

旅の3日目、マドリッド滞在2日目です。今日はエル・エスコリアルに出掛けます。

エル・エスコリアルには立派な修道院があるのですが、目的は修道院付属の美術館にあるエル・グレコの「聖マウリシオの殉教」を観ることです。午後は雨になるとの予報なので、早く行ってきましょう。ホテルは朝食なしのプランなので、身支度をしてさっさとホテルを出ます。まだ8時を少し過ぎたところ。いつものsaraiにしては早い行動です。


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ホテルの最寄り駅カリャオCallaoから、地下鉄3号線でバスターミナルのある駅モンクロアMoncloaに向かいます。ルートを地下鉄マップで確認しておきましょう。


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モンクロア駅に着き、バスターミナルを探します。昨日もバスターミナルを探すのに苦労しましたが、確かにバスターミナルは見付けにくいです。いったん地下の駅から地上に出て探しますが、バスターミナルがあるような感じがしません。駅に戻って案内表示を探しますが、表示もありません。おかしいですね。駅員さんに聞きますが、ここにはバスターミナルはないとのこと。英語を話せる人も少ないので、話の内容がよく分かりません。もう一度構内に入り駅を確認しますが、saraiは間違いないと確信するだけです。再び地上に出てバスターミナルを探しますが、やはり同じことで見つかりません。新聞などを売っているお店のおばさんに聞くと、ずっとまっすぐ進んだ先の地下にあるとのこと。駅からそんなに歩かされるのも変ですが指示通りに進むと、それらしいところに出ました。なんとここは昨日セゴビアからのバスが最初に着いたターミナルでした。大きな特徴的な建物があったので、一体どこどこだろうと思っていたところでした。ここはモンクロア広場で、建物は空軍司令部でした。広場には凱旋門も見えています。


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地下への入り口もありました!


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地下に下りてびっくりです。ものすごく大きなバスターミナルです。


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エル・エスコリアルへの乗り場を探しましょう。


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ようやくエル・エスコリアルへの乗り場を見つけました。3番乗り場です。


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発車時間を確認します。発車までにまだ20分ほど時間があるので、朝御飯を食べましょう。近くにパン屋さんがありました。


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総菜パンが色々あります。中身が分からないのが困りますが、形で決めます。


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温めてくれるようなので、コーヒーと一緒にお願いします。コーヒーはもちろんミルクコーヒーです。美味しいので構いませんが、コーヒーはどうもこれしかないようです。これが今日の朝食です。


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パンの中身が分からず不安ですが、思いきって食べてみると、美味しい! 1つはミートソース、もう1つはホワイトソースのポテトサラダのようなものです。ずっしりと詰まっていて食べごたえもあります。



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大満足の朝御飯になりました。急いで乗り場に戻ると、長い行列が出来ていました。一番最後に並んでいた美人のお姉さんに確認すると、このバスがエル・エスコリアルに間違いなく行くようです。saraiはご機嫌な気持ちになりました。実は、意外にスペインは美人が少ないと不満だったのです。ようやく美人のお姉さんとお話が出来ました。

664番のバスに乗り込み出発です。チケットは運転手から購入します。チケットといっても、単なるレシートです。どうやらスペインのバスのチケットは、ペラペラの領収書の紙っぺらのようです。でも、エル・エスコリアルまで1人4.2ユーロです。


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バスは地下のターミナルを出て、地上の大通りに出ました。


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数分で高速道路近くに出ます。


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高速道路を走り出し、昨日と同様にどこまでも続く広野を進みます。


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バスはエル・エスコリアルに向けて、順調に走っていきます。この後は次回で。






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エル・エスコリアル修道院を訪問:ええっ・・・エル・グレコが見られない!

2014年5月28日水曜日@マドリッド/2回目

マドリッドの地下鉄モンクロア駅の地下バスターミナルから、エル・エスコリアルに向かいます。地図を見るとよく分かりますが、昨日行ったセゴヴィアと同じ方向です。


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したがって、バスが走る高速道路沿いの風景は昨日見た風景と似通っています。大平原が広がっています。


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どこまで走っても同じ風景が続きます。厚い雲が広がる空に少し青空も見えてきました。天気が良くなるといいな。


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エル・エスコリアルまで高速を走り続け、40分ほどでエル・エスコリアルの街に入ります。


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50分ほどでエル・エスコリアルの小さなターミナルに到着です。別荘地のような住宅街です。通りをまっすぐ進むとエル・エスコリアル修道院の筈です。


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綺麗な並木道を進むと、木々の緑の先に尖塔が見えてきました。エル・エスコリアル修道院でしょう。


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修道院が見えていても、すぐにはたどり着きません。道も広く建物も大きいので、意外に遠いんです。


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やがて、ものすごく大きな建物の前に出ました。この巨大な建物は修道院などというものではありませんね。写真にも全貌は収まりきりません。


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広い前庭には大勢の子供や年寄りの団体が並んでいます。私達がたどり着くと、ちょうど10時の開門でした。


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団体客をかき分けて前に進み、中に入ります。個人客用の窓口でチケットを購入。1人10ユーロです。


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団体客を脇目に見て、どんどん案内表示にしたがって進みます。


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立派な部屋が続きますが、修道院と言ってもこのあたりは美術館になっていて、古い絵画が並んでいます。お目当てのエル・グレコの1枚を探してどんどん進みます。が、見つからないうちに美術館を出てしまいました。これはいけません。係りの人に尋ねると、向こうから年配の職員が答えてくれます。エル・グレコの作品は修復中! エエエエ・・・訪問の目的はエル・グレコの最高傑作のひとつである《聖マウリツィウスの殉教》を見ることなのに、何と展示されていないとはショック! やっと出掛けてきたのに・・・・。そんな大切な情報は流してほしいですね。
これが、見られる筈だった《聖マウリツィウスの殉教》です。以前、大塚国際美術館で見て感銘を受けた陶板画です。この陶板画は、実際にこのエル・エスコリアル修道院の本物を写真に撮って陶板に焼き付けたものですから、本物同様の筈です。


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ガッカリして元気のないまま、何の興味もない王家の霊廟や図書館の中を進みます。とは言え折角ですから、地下の王家の霊廟は見ておきましょう。薄暗い空間に壮麗な棺が並んでいます。


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天井は豪華なドームになっていて、金色に輝いています。


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これが有名な歴代の国王達の棺です。上から、カルロス5世(カール5世):神聖ローマ帝国皇帝(この人だけはスペイン王ではなく、皇帝と書かれています。スペイン国王としてはカルロス1世ですね。)、フェリペ2世(カルロス5世の息子で、スペイン国王と書かれています。)、フェリペ3世、フェリペ4世です。有名画家たちのパトロンだった人達です。カルロス5世とフェリペ2世はティツィアーノ、フェリペ4世はベラスケスですね。


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これは、上から、カルロス2世、ルイス1世、カルロス3世、カルロス4世。カルロス3世とカルロス4世はゴヤゆかりの国王ですね。


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これは、一番上がフェルナンド7世。カルロス4世の息子でゴヤは宮廷画家として仕えました。


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王家の霊廟を抜けて先に進みますが、広くてなかなか出口に到達できません。迷路のような修道院の中を、出口に向けてまっしぐらですが、この後は次回で。






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一見、意味不明ですが、その実、凝ったプログラム・・・東京都交響楽団@サントリーホール 2014.11.20

今日は本来、クリストファー・ホグウッドの指揮の筈でしたが、病気降板。その後、彼の訃報が流れました。今年の9月末に亡くなったそうです。ご冥福をお祈りしましょう。クリストファー・ホグウッドと言えば、彼のモーツァルトの交響曲全集の録音は衝撃的な事件だったことを思い出します。ピリオド奏法のモーツァルトの演奏のレコードを興味津々で聴いていたことを覚えています。そのホグウッドの指揮を実演で聴ける機会は永遠に失われてしまいました。
で、ホグウッドが指揮する筈だったプログラムをそのまま引き継いだのが、ポール・マクリーシュです。ポール・マクリーシュはルネサンス&バロック音楽のスペシャリストとして、注目の指揮者で、彼も初聴きです。

ということで、今日のプログラムはホグウッドが自身で指揮するつもりで考えたものなんでしょうが、何故、こういうプログラムになるのか、少しも分かりません。バロックはおろか、モーツァルトなどの古典派もプログラムに組み込まれていないだけでなく、コープランドというアメリカ音楽まで入っています。それにR・シュトラウスにメンデルスゾーンというのは、ホグウッドの得意分野に思えません。
ところがです。実際にコンサートを聴いて、納得がいきました。
今日のコンサートはとてもよいコンサートでした。一番、光ったのは、メインの曲目だったメンデルスゾーンの交響曲第5番《宗教改革》です。これはホグウッドが校訂した楽譜で演奏されました。そういえば、ホグウッドは音楽学者でした。彼はメンデルスゾーンまで研究対象にしていたんですね。彼の遺産となる楽譜での演奏だったわけです。
最初のコープランドの《アパラチアの春》はフルオーケストラ版ではなく、原典版の小編成のメンバーでの演奏。室内楽的な静謐さが目立ちました。アメリカでの活動も多かったホグウッドが満を持して、プログラムに組み込んだのでしょう。これまでと全然、イメージの違う曲に聴こえました。凝ったプログラムだったのですね。
R. シュトラウスは生誕150年を記念して、プログラムに組み込んだのでしょうが、滅多に聴けない曲を選んできました。これまた小編成の管楽アンサンブルの曲で、しかもR.シュトラウスが17歳で作曲したという、ごく初期の作品です。
3曲とも演奏機会の少ない曲ばかりでした。しかし、いずれも味わい深い曲ばかり。コンサートを聴き終わり、充実感を感じた、素晴らしいプログラムでした。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:ポール・マクリーシュ
  管弦楽:東京都交響楽団

  コープランド:アパラチアの春-13楽器のためのバレエ(原典版)

   《休憩》

  R. シュトラウス:13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 Op.7
  メンデルスゾーン:交響曲 第5番 ニ短調 op.107《宗教改革》
              (ホグウッド校訂版第2稿)

まず、前半はコープランドの《アパラチアの春》。通常のフルオーケストラ版の組曲とは、メロディーこそ同じですが、雰囲気ががらっと変わり、それに省略がないので、長大な曲です。第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがそれぞれ2人ずつ、それにコントラバス、フルート、クラリネット、ファゴット、ピアノの計13人の奏者で演奏されます。室内オーケストラというよりも、室内楽に近い演奏です。気持ちのこもった演奏です。第7曲の有名な旋律、アパラチアのシェーカー教徒の讃美歌《シンプル・ギフトSimple Gifts》のあたりで高揚した演奏になり、終盤は実に静謐な演奏になります。都響の弦のトップ奏者たちが勢ぞろいした感のある弦楽アンサンブルの演奏は見事だけでなく、心にしみいるような素晴らしさ。フルートとクラリネットも美しい音色。最後は胸がジーンとなりました。

休憩後は、R. シュトラウスの《13管楽器のためのセレナード》です。今年は生誕150年の節目の年で、ずい分、コンサートやオペラを聴きました。今年はまだ、何曲かを聴く予定です。CDもずい分、聴きました。もっとも、来年も聴き続けることになるでしょう。最も好きな作曲家の一人ですからね。そういうR. シュトラウスですが、これは聴いたことがありませんでした。急遽、以下の録音をネットでダウンロード購入し、予習しました。CDは少ないようです。

 ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル

これはとてもよい演奏でした。
で、今日の演奏は出だしはよかったのですが、今一つの演奏でした。個々の管楽器の響き、アンサンブル、満足できませんでした。残念です。まあ、珍しい曲を聴けて、よかったと思いましょう。

最後はメンデルスゾーンの交響曲第5番《宗教改革》です。子供のときに聴いて、訳の分からない曲だと思って、以後、聴いていませんでした。実に久しぶりに予習のために聴いてみました。ところが、これがなかなか素晴らしい曲。子供時代には理解できなかったようです。予習したのは次に3枚。

 トスカニーニ&NBC交響楽団、1953年12月録音で《イタリア》とカップリングした超名盤
 アバド&ロンドン交響楽団、1984年2月録音
 ハイティンク&ロンドン・フィル、1978年11月録音

トスカニーニはともかく、《イタリア》と同様にカンタービレとシャープさが最高の名演。アバドは爽やかでロマンティックな、彼らしい演奏で文句なし。ハイティンクは、第3楽章の静謐さ、第4楽章の盛り上がりが素晴らしく、感動して聴き入ってしまいました。ロンドン・フィルとの相性もよかったようです。最高の演奏です。

ということで、予習後はこの曲目に期待大になりました。そして、期待通りの素晴らしい演奏でした。やはり、都響の弦楽セクションが素晴らしく、メンデルスゾーンとは相性ばっちりです。第3楽章はとても美しく、うっとりと聴き入りました。少し、メロー過ぎたかもしれませんが、この曲はそれでもOK。そして、圧巻は第4楽章。都響には珍しく、対向配置でしたが、終盤の対位法的な部分で第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが綺麗に分離して聴こえ、素晴らしい響き。そのままの勢いでフィナーレに突入。聴き応え十分で大満足でした。頭の中で主題のメロディーが渦巻いたままの帰宅になりました。

R.シュトラウスは節目の年でよく聴いていますが、何故か、メンデルスゾーンもこのところ、聴く機会が多く、それもヴァイオリン協奏曲とか《イタリア》、《スコットランド》のような有名曲ではなく、ニッチな曲ばかり。メンデルスゾーンって、ブームになってるんでしょうか。お蔭でsaraiもメンデルスゾーンを再評価する気持ちになっています。






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4人だけのウィーン・フィル再び:シュトイデ・カルテット@鶴見サルビアホール 2014.11.21

今年6月のキュッヒル・カルテットに続き、ウィーン・フィルのメンバーで固めた弦楽四重奏団の演奏を聴きます。第1ヴァイオリンのシュトイデはキュッヒルと同じく、ウィーン・フィルの現役コンサート・マスター4人のうちの一人ですが、まだまだ、若手のヴァイオリニストです。ほかのメンバーも若く、キュッヒル・カルテットの精度の高い演奏に対して、シュトイデ・カルテットは元気がよく、勢いのある演奏です。とはいえ、どちらのカルテットも全員ウィーン・フィルのメンバーなので、ウィーン・フィルの響きを継承しており、室内楽というよりもウィーン・フィルのシュリンク版オーケストラという感じ。実際、弦楽四重奏団としては破格の豊かな響きです。今日のホールが客席が100しかないコンパクトなホールのせいもあり、音が大き過ぎるほどです。まあ、理屈抜きで聴き応えがあります。

今日のプログラムは以下です。

  弦楽四重奏:シュトイデ・カルテット
   第1ヴァイオリン:フォルクハイト・シュトイデ
   第2ヴァイオリン:ホルガー・グロー
   ヴィオラ:エルマー・ランダラー
   チェロ:ヴォルフガング・ヘルテル

  モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387
  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 Op.95「セリオーソ」

   《休憩》

  シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」

   《アンコール》
    ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 Op.96「アメリカ」より 第2楽章

1曲目のモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番はいわゆるハイドン・セットの1番目を飾る曲。名曲です。勢いのあり、よく響く演奏でしたが、それがこの曲には少し裏目に出たようです。気持ちよくは聴けましたが、感銘を受けることはできませんでした。予習した以下のCDでは、ハーゲン・カルテットに近い演奏でしたが、もっとオーソドックスな演奏がぴったりくるような気がします。

 バリリ四重奏団、エマーソン・カルテット、ハーゲン・カルテット

バリリ四重奏団は時代は違いますが、やはり、ウィーン・フィルのメンバーで固めた弦楽四重奏団です。さすがに素晴らしい演奏でした。最近の演奏ではエマーソン・カルテットが出色の出来。ハーゲン・カルテットは少し、癖のある演奏で好き嫌いが分かれるでしょうが、saraiはもう一つに感じました。

2曲目はベートーヴェン中期の最後を飾る第11番、いわゆる、「セリオーソ」です。これはシュトイデ・カルテットの強い響きがぴったりとはまり、素晴らしい演奏でした。特に第4楽章の有名な旋律を聴いて、高揚感を味わうことができました。今年6月にキュッヒル・カルテットでも同じ曲を聴きましたが、その演奏も素晴らしく、この曲は、変な言い方ですが、ウィーン・フィルと相性のよい曲のような気がします。予習したのは以下のCD。

 ブッシュ四重奏団(1932年)、ヴェーグ四重奏団の新盤

ブッシュ四重奏団は間違いなく、素晴らしい演奏ですが、今回、初めて聴いたヴェーグ四重奏団の演奏に大変、感銘を受けました。中期の四重奏曲の勢いと後期のヴェーグ四重奏団の味わい深さを兼ね備えたような名演でした。

休憩後はシューベルトの弦楽四重奏曲の名曲中の名曲、第14番「死と乙女」です。これは素晴らしい演奏でした。まさに一糸乱れぬアンサンブル、鉄壁の演奏です。ウィーン・フィルのメンバーならではの響きとアンサンブル。この曲は本当は切々たる味わいの深い演奏が好きなのですが、今日のような第1楽章のバリバリとした演奏、そして、第2楽章では対極的に抑えた表現と見事に弾き分けられると納得せざるを得ません。第4楽章のフィナーレの凄まじいアンサンブルも迫力たっぷりで感銘を受けました。予習したのは以下のCD。

 ブッシュ四重奏団(LPレコード)、メロス・カルテット

ブッシュ四重奏団のLPレコードはsaraiにとって、宝物のようなものです。中古レコード屋さんをあさっていて、発掘したものです。saraiの理想の演奏です。CDも持っていますが、響きが違います。メロス・カルテットのシューベルト弦楽四重奏曲全集はリファレンス盤のようなものです。ただ、ブッシュ四重奏団のような、沁み入るような抒情はブッシュ四重奏団だけのものです。

アンコールは、これも名曲中の名曲、ドヴォルザークの「アメリカ」です。ちょっと、思いっ切り弾き過ぎのような気もしましたが、それはそれで見事な演奏でした。満足です。

今日はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトというウィーンを代表する作曲家の名曲をウィーン・フィルのメンバーで聴けて、とても幸せなコンサートでした。






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エル・エスコリアル修道院を訪問:エル・グレコは空振りでマドリッドへの帰路に

2014年5月28日水曜日@マドリッド/3回目

エル・エスコリアル修道院ではエル・グレコを見られず、落胆しながら迷路のような内部空間をひたすら進み、ようやく建物の外に出ることが出来ました。建物を出ると、そこは修道院の美しい中庭です。


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このパティオのような中庭は《王の中庭》と呼ばれており、正面にはバシリカの建物が建っています。


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中庭から出るアーチから見た中庭とバシリカです。


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中庭を抜けると、大勢の子供たちが紙飛行機を飛ばしている裏庭に出ました。


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子供達の間を抜けて建物に戻ろうとしたら、そこに立っていた男の人が、ここは学校だよと教えてくれました。学校まであるんだ。


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ぐるりと学校を避けて回り込んで、修道院の表側に向かいます。


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ようやく出口にたどり着きました。エル・エスコリアル修道院を訪問するものの空振りになり、くたびれただけで残念です。さっさとマドリッドに戻りましょう。バスターミナルに向かって、サン・ロレンソ・デル・エスコリアルの街の中の道を歩きます。美しい道が続きます。


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綺麗な広場もあります。


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街の中からも、まだエル・エスコリアル修道院のバシリカの鐘楼が見えています。


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街は静けさに包まれて、綺麗な建物も並んでいます。


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バスターミナルに到着。ここからマドリッド行のバスに乗ります。チケットは来た時と同様にバスのドライバーから購入。1人4.2ユーロです。


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乗り込んだマドリッド行のバスは661番のバスで、来たときとは違う経路で街中を走ります。来たときの664番のバスとは異なり、高速道路を走りません。車窓から見える家々の庭のバラが綺麗です。行きよりは少々時間がかかりますが、それでもたかだか10分程度の違いで異なる景色を眺めることができ、楽しいです。
大きな湖の前に出ました。自然の湖ではなく、バルマヨル貯水池Embalse de Valmayorのようです。


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鏡のような湖面が綺麗です。


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貯水池を過ぎると、牧場で牛たちが草を食べています。長閑です。


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その先は木々が生い茂る荒野が続きます。


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661番のバスは664番のバスのようにマドリッドまで直行ではなく、あちこちバス停に停まって走ります。それでも、もうすぐマドリッドです。


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バスの中でゆっくりと昼食の検討会も出来ました。今日もバルに立ち寄って、ランチをすることにしるす。プエルタ・デル・ソル近くのバルに行きましょう。そうこうするうちにモンクロアのバスターミナルに到着。この後は次回で。





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美し過ぎるザハーロワ:ボリショイ・バレエ《白鳥の湖》@オーチャードホール 2014.11.24

1年に2回ほど見るバレエ。まだまだ、初心者です。8回目にして、遂にバレエの名作《白鳥の湖》を見ます。それもこのバレエを初演したボリショイ・バレエです。そして、何よりもこのバレエを見るなら、バレリーナはこの人と決めていた憧れのスヴェトラーナ・ザハーロワが踊ります。
ザハーロワは超美人バレリーナで一目見たら、誰でもファンになってしまうスーパースター。その彼女も1979年生まれといいますから、早35歳。今回見逃したら、彼女の踊るオデット姫は見損なうかもしれません。焦って、チケットを購入しました。もう、完全にミーハー状態です。
念を入れて、ちゃんとDVDで予習。もちろん、ザハーロワの踊る《白鳥の湖》。残念ながら、ボリショイ・バレエのものはなくて、ミラノ・スカラ座のものです。これはウラジーミル・ブルメイステル振付によるもので、最後はハッピー・エンドです。振付はともかく、何よりもザハーロワの美しい姿が見られるのが最高です。特に黒鳥、オディール役のときの美しいバレエが出色です。

今日の公演ですが、ザハーロワの手足が長くて、しなやかな肢体の美しさはため息が出ます。やはり、第3幕、オディールに扮したときのザハーロワの美しいこと、素晴らしいです。第2幕のオデット姫では悲しげで無表情だったのに対し、オディールに扮すると笑顔が美しく、魅惑的です。踊りもオデット姫のスローなバレエに対して、切れのあるバレエを見せてくれます。有名な32回連続のフェッテ(黒鳥のパ・ド・ドゥ)も見事。もっとも、配偶者は回転数を数えていたそうで30回転しかしていないと言っていましたが、そんなのどうでもいいでしょう・・・綺麗でしたからね。ザハーロワがもっとも輝いたのは、カーテンコールでの笑顔です。思わず、saraiはスタンディング・オベーション。パーフェクトで美し過ぎるザハーロワのオデット/オディールでした。

バレエを見始めて、本当によかったと思った1日でした。

今日のプログラム・キャストは以下です。

  バレエ:白鳥の湖

 元振付:マリウス・プティパ、レフ・イワノフ(1895年1月15日、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場で蘇演されたプティパ・イワノフ版)
       アレクサンドル・ゴールスキー(1933年、ゴールスキー版)
   改定振付:ユーリー・グリゴローヴィチ(2001年3月2日、グリゴローヴィチ新改訂版)
   音楽:ピョートル・チャイコフスキー
  指揮:パーヴェル・ソローキン
   管弦楽:ボリショイ歌劇場管弦楽団

   オデット/オディール:スヴェトラーナ・ザハーロワ
   ジークフリート王子:デニス・ロヂキン
   王妃:クリスティーナ・カラショーワ
   悪魔ロットバルト:ウラディスラフ・カントラートフ
   王子の家庭教師:ヴィタリー・ビクティミロフ
   道化:デニス・メドヴェージェフ
   王子の友人たち:アンナ・ニクーリナ、クリスティーナ・クレトワ

今日の振付ですが、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場で蘇演されたプティパ・イワノフ版をもとにしています。これは世界中、どこでもそうでしょう。共産政権下では、プティパ・イワノフ版をもとに、王子が悪魔に打ち勝ち、現世でオデット姫と結ばれるという演出で、イデオロギーの勝利とも思える改変をしていましたが、2001年のグリゴローヴィチ新改訂版では、もっとも悲しい結末。オデット姫が死に、王子に救済はおとずれないというものになりました。チャイコフスキーの音楽にもっともふさわしい形にしたと思われます。いずれにせよ、バレエの美しさはどちらにせよ、変わらず、永遠です。

来年はマリインスキー劇場が来日公演で《白鳥の湖》を上演するようです。もし、ロパートキナが踊るようなら、また、見てみたいものです。それで《白鳥の湖》は打ち止めにしてもよいでしょう。





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ヤンソンス+バイエルン放送交響楽団@サントリーホール 2014.11.25

今年、最後の高額チケットのコンサート。まあ、それにふさわしい充実度のコンサートでした。最近のヤンソンスの充実ぶりには目を見張るものがあります。一時、体調不良で先が危ぶまれましたが、このまま、長生きして、真の巨匠になるのではと思わされます。頑張ってほしいものです。

また、クリスチャン・ツィメルマンのピアノは初めて、実演に接しましたが、その力演には正直、驚きました。自分の耳でちゃんと聴かないと、その人の実力は分からないものですね。そんなに期待しないで聴きましたが、大変な演奏でした。ブラームスをこんなに弾きこなせる人がいたんですね。ダイナミックなフォルテの演奏から、抒情的なパッセージまで、見事な演奏でした。また、今後、要チェックのピアニストが増えました。現在、世界中に素晴らしいピアニストがあふれている状況で、嬉しいことですが、聴衆としては、経済状況も含めて、嬉しい悲鳴というところです。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は力を入れて、予習しました。このコンサートに向けて、予習したのは以下。

 ジュリアス・カッチェン/ピエール・モントゥー指揮/ロンドン交響楽団(1963年)。
 ルドルフ・ゼルキン/ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管(1968)。 LPレコード。
 クラウディオ・アラウ/カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/フィルハーモニア管(1960年)。スタジオ。
 クラウディオ・アラウ/ラファエル・クーベリック指揮/バイエルン放送響(1964年)。ライブ。
 クラウディオ・アラウ/ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮/北ドイツ放送交響楽団(1966年)。ライブ、モノラル。
 クラウディオ・アラウ/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮/モスクワ放送交響楽団(1968年)。ライブ。
 クラウディオ・アラウ/ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1969年)。スタジオ。

カッチェン得意のブラームスは素晴らしいピアノですが、モントゥー指揮がややミスマッチ。ジュリーニ、クーベリック、ハイティンクあたりと組めば、素晴らしかったでしょう。残念です。ゼルキンは期待しましたが、ピアノの線が細く、力強さに欠けます。もしかしたら、CDなら音が改善されているかもしれません。後でチェックしてみます。セルは素晴らしい演奏です。
残りはアラウのピアノで、スタジオ録音2種、ライブ録音3種、聴きました。いずれもアラウのための利いたスケール感のある演奏で、美しい響きと深い表現に満ちており、素晴らしいこと、この上なし。これらを聴いているとほかのピアノが聴けなくなります。スタジオ録音はどちらも音質が素晴らしく、ジュリーニもハイティンクも彼らのブラームスの世界を表現している素晴らしい演奏。ライブでは、モノラル録音ながら、シュミット・イッセルシュテットとの共演が素晴らしい演奏です。熱さで言えば、クーベリックとのライブの凄まじい演奏も魅力的。ロジェストヴェンスキーはロシアらしい重厚な音で、アラウの音の響きとの対比が面白い演奏です。
これらの中から、saraiが今後も繰り返し聴きたいのは、アラウとジュリーニ、そして、ハイティンクの共演盤です。これ以上の演奏は望みません。

R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」もこの際、力を入れて、予習しました。軸となったのはフルトヴェングラー指揮のものです。

 フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1942年2月17日、ライヴ録音)
 フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1947年9月16日、放送用録音)
 フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1951年3月1日、ローマでのライヴ録音 )
 フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィル(1953年8月30日、ザルツブルグ音楽祭でのライヴ録音)
 フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィル(1954年3月、スタジオ録音)
 フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1954年4月27日、ティタニア・パラストでのライヴ録音 )
 クレメンス・クラウス指揮/ウィーン・フィル(1950年6月録音、スタジオ録音)
 カラヤン指揮/ウィーン・フィル(1960年、スタジオ録音)
 カラヤン指揮/ベルリン・フィル(1972年、スタジオ録音)。カラヤンはベルリン・フィルと1982年に再録音。これは以前聴いたのでパス。
 フリッツ・ライナー指揮/シカゴ交響楽団(1954年、スタジオ録音)。ステレオ録音。素晴らしい音質。
 フリッツ・ライナー指揮/シカゴ交響楽団(1961年、スタジオ録音)。
 クラウス・テンシュテット指揮/ロンドン・フィル(1986年、スタジオ録音)。
 ゲオルク・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団(1973年、スタジオ録音)。
 ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1973年、スタジオ録音)。

フルトヴェングラーは濃密とも思える後期ロマン派の香りに満ちた魅力的な演奏。ベルリン・フィルとの演奏では、1947年と1951年が切れ込み鋭く、ロマンティックさも兼ね備えた大変な演奏。ウィーン・フィルとの演奏では、1953年8月30日、ザルツブルグ音楽祭でのライヴ録音の緊張感、1954年3月のスタジオ録音の高音質で柔らかい表現のいずれも必聴ものです。
このフルトヴェングラーの演奏に並ぶのがクレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルです。シャープできびきびした表現はさすがにR.シュトラウスの盟友ならではの表現。
カラヤン、ライナー、テンシュテット、ショルティ、ハイティンクはいずれも音質のよいステレオで、それぞれの持ち味を出した名演揃い。
ともかく、この曲は聴き込むほど、その素晴らしさが身に沁み入ってきます。

そういうところで今日の演奏です。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:マリス・ヤンソンス
  ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン
  管弦楽:バイエルン放送交響楽団

  ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15

   《休憩》

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」 Op.20
R.シュトラウス:オペラ『ばらの騎士』組曲 Op.59

   《アンコール》
    シュトラウスⅡ:ピツィカート・ポルカ
    リゲティ:ルーマニア協奏曲から第4楽章

前半のブラームスのピアノ協奏曲第1番は大曲です。第1楽章から、クリスチャン・ツィメルマンの気魄に満ちた演奏で充足感を味わいます。マリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団も堂々たる演奏でピアノを支えます。しかし、この曲の本領は第2楽章以降。第2楽章ではツィメルマンのピアノがブラームスのピアノ独奏曲のように味わい深く奏でられます。いいですねえ・・・ブラームスを味わい尽くすという感じです。時折はいるオーケストラとの掛け合いも見事です。そのまま、素晴らしく響くピアノが勢いよくメロディーを奏でながら、第3楽章に突入していきます。実にダイナミックな表現。些細なミスはその気魄が飲み込んでいきます。激しく、ピアノとオーケストラが絡み合い、見事なフィナーレで大満足。ツィメルマンのスケール感のある美しく鳴り響くピアノの音色にすっかり魅了されました。

休憩後は楽しみにしていたR.シュトラウス。まさに期待通りの演奏でした。交響詩「ドン・ファン」はフルトヴェングラーの濃密なロマンティシズムこそありませんでしたが、壮麗で颯爽としていて、若き日のR.シュトラウスの新しい音楽創造の勢いを具現化したものでした。
オペラ『ばらの騎士』組曲は、オペラの流れに沿って、組曲化して、最後にコーダを付けたものですが、これはあくまでも管弦楽曲の味わいです。オペラティックな雰囲気はそれほどありません。もちろん、聴衆はそれぞれのオペラ体験から、オペラ『ばらの騎士』のシーンを想像してしまうかもしれませんけどね。途中、オックス男爵のワルツのあたりから、演奏は盛り上がります。第3幕の3重唱以降はロマンとやるせなさが漂います。ちょっとしたウィーンの茶番劇だったのよ・・・そういうフレーズで、人生の無常さを思わせられます。ウィーン風の音楽に包み込まれて、己の人生の総括に至ってしまいそうです。そういう気持ちに浸っていると、最後はまたオックス男爵のワルツで華々しく、曲は閉じられます。
そういえば、今年は久しぶりに楽劇《ばらの騎士》を聴かなかったことを思い出しました。そのかわり、今年の終わり近くに、組曲であれ、『ばらの騎士』を聴かせてもらって、感謝です。

アンコール2曲目は、バルトークちっくな曲が流れると思ったら、それはリゲティでした。同郷の作曲家はルーマニアの民俗音楽を同様に使って、ポスト・バルトークとも思える音楽を作ったんですね。大変な曲をアンコールで演奏してくれたヤンソンスとバイエルン放送交響楽団に感謝です。






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室内楽の歓び:シューマン・カルテット@鶴見サルビアホール 2014.11.26

若手の弦楽四重奏団、シューマン・カルテットを初聴き。2007年に結成したばかりのキャリア7年目のグループですが、今回はもう2度目の来日だそうです。グループ4人のうち、3人はシューマン兄弟で、彼らの母親は日本人ピアニストだそうですから、日本ともつながりが強いのでしょう。

第1ヴァイオリンのエリック・シューマンはソロ奏者としても名高いので、レベルの高い演奏を聴かせてくれると期待しながら、演奏を聴き始めましたが、最初のモーツァルトは意外に平凡でおとなしい演奏です。モーツァルトは自然な演奏スタイルでも構いませんが、それでも、やはり、うっとりと聴かせてほしいものです。そして、次のショスタコーヴィチ。これは第1番ということで、ショスタコーヴィチの最初に作った弦楽四重奏曲ですが、とても完成度の高い素晴らしい曲です。しかし、この曲の演奏は個性に乏しく、あまりに穏健過ぎる演奏で、物足りない感じ。楽しみにしていたので、残念な演奏でした。

休憩後の後半はシューマンの作品です。シューマンの室内楽のなかでは、あまり聴かない曲で、予習しても、明快なイメージがわきにくい曲です。予習したのは次の2枚。

 メロス四重奏団
 ツェートマイアー・カルテット

ということで、これもあまり、よい演奏は期待できないだろうと思いながら、演奏に耳を傾けます。第1楽章の冒頭は実にロマンティックなフレーズが続きますが、演奏はそれなりの感じ。しかし、曲が進むにつれて、おっという感じで演奏に引き込まれていきます。インティメットな表現で、シューマンらしい温もりを感じます。まるで、シューマンの自宅に招かれて、ロベルトとクララ夫妻とともに音楽を楽しんでいるように感じます。シューマン兄弟自体も音楽一家に育ったので、きっと、子供の頃から、シューマンの室内楽に親しんできたのではないでしょうか。そういう手触りがする音楽です。シューマン兄弟はケルンに育ったので、ロベルト&クララ・シューマンが最後に暮らしたボンやその前に暮らしたデュッセルドルフも近いので、ロベルト・シューマンは地元の音楽家という感じでしょう。それに同じシューマンの名前でもあるので、親近感も抱いていたに相違ありません。実際のところはよく分かりませんが、そういう想像をしてしまうほど、確信に満ちた演奏だし、愛情に満ちた表現です。シューマン・カルテットの演奏スタイルが現代に珍しく、穏やかで温もりに満ちていることがシューマンの音楽にぴったりと合っているのかもしれません。素晴らしい演奏というよりも、聴いていて、心が豊かになり、幸せな気持ちになるような不思議な演奏でした。演奏者の優しい気持ちに包まれて、穏やかな音楽の喜びを感じることができました。

今日のプログラムは以下です。

  弦楽四重奏:シューマン・カルテット
   第1ヴァイオリン:エリック・シューマン
   第2ヴァイオリン:ケン・シューマン
   ヴィオラ:リザ・ランダル
   チェロ:マーク・シューマン

  モーツァルト:弦楽四重奏曲第21番ニ長調 K.575
  ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番ハ長調 Op.49

   《休憩》

  シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調 Op.41-1

   《アンコール》
    ハイドン:弦楽四重奏曲第79番 ニ長調 Hob.III:79 Op.76-5『ラルゴ』 より 第2楽章『ラルゴ』

アンコールのハイドンも美しい演奏で、しかも優しさにあふれていました。室内楽のインティメットな愉悦を思い出させてくれた素晴らしいコンサートでした。



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マドリッドで美術とオペラ:名門バルのムセオ・デル・ハモンで美味しいタパス

2014年5月28日水曜日@マドリッド/4回目

エル・エスコリアルからのバスはマドリッドのモンクロアのバスターミナルに到着。
バスターミナルから地下鉄のモンクロア駅に移動しようとすると、すぐ目の前に地下鉄の駅の案内が! 往きのときにとても分かりにくく、かなり歩かされたあの駅です。saraiは狐につままれたような納得のいかない気持ちです。朝のドタバタ騒動は何だったんでしょう。ホームに入っても、朝はこんな駅だったっけと首を傾げてしまいます。朝降りた駅とは情景が違います。そこへ乗客の乗っていない空の電車が入ってきました。「あれ、ここが始発駅なんだ?」と配偶者がつぶやきます。「そうですよ、朝降りた駅も終点の駅だったでしょ」とsaraiが配偶者に答えると、配偶者は「はあ~、朝降りた駅は終点ではなかったよ」と突っ込んできます。そう言えば、朝は我々が電車を降りても、まだ乗客が乗ったままで電車が出発したことを思い出しました。ここに至って、ようやくsaraiは事態を理解できました。「これで謎がとけたよ、降りる駅を間違えたんだ」と配偶者に言うと、配偶者は唖然として呆れ顔です。地下鉄のマップをもう一度見直すと、やはり一駅見落としていました。3駅目で降りるつもりで地下鉄マップを見ていましたが、実際は4駅目で降りるのが正解でした。それで一駅早く降りてしまい、朝の混乱劇が始まったんです。読み違えてた地下鉄マップはこれ。これが見落とした駅です。地下鉄マップがちょっと分かりにくいと、言い訳けモードに入ります。


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配偶者に機嫌を直してもらって、お昼をいただくムール貝の専門店ラ・リオに行きましょう。地下鉄3号線でモンクロア駅Moncloaからソル駅Solに移動します。今度は朝と逆の経路ですが、朝は見落とした駅を間違えないように注意します。


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ソル駅から地上に上がると、そこはプエルタ・デル・ソルPuerta Del Sol「太陽の門」という名前の広場です。マドリッドで観光客が集まる広場です。有名な熊と山桃の像がありました。この像の前は人気スポットのようです。


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広場に面して、マドリッド自治政府庁舎があります。時計台のある綺麗な建物です。


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この庁舎の前の歩道にスペイン中の国道の起点を示すゼロkmプレートがはめ込まれています。テレビの旅番組でよく紹介されているものです。一応、記念に見ておきましょう。スペインの地図が描かれています。でも、まわりでは誰も見ている人はいません・・・。


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と、広場の中央を騎馬警官が通り過ぎます。観光用にも役立ちそうですね。


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広場の観光を終え、ムール貝のバルに向かいます。その辺りは狭い路地が入り組んだところです。


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お目当てのお店がなかなか見つかりません。その辺りのお店の人に聞いても知らないようです。路地を行きつ戻りつしますが、どうにも見つかりません。


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諦めて、近くの生ハムの専門店ムセオ・デル・ハモンMuseo del Jamónに変更。が、これが大当たりです。


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バルになっている1階は超満員だったので、2階のレストランに上がります。ここのテーブルは空いています。


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壁には生ハムがずらりと吊り下げられています。壮観です。イベリコ豚でしょう。


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メニューをチェックします。生ビールのピッチャーと食べ物のセットメニューがあります。


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こちらはコーヒー、ジュースとスナックのセット。


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こちらは盛り合わせプレート。


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こちらは単品メニュー。これがいいですね。


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こちらも単品メニュー。豊富な品揃えです。


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こちらは生ハム(イベリコ豚)とチーズのメニュー。


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まずはスペイン産の白ワイン。スペインのワインの本場バルデペーニャス(Valdepeñas)産の安くて、美味しいワイン。


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料理は、まず、イベリコ豚の生ハムとメロンMelón Con Jamón。このメロンの甘くて、美味しいこと! これぞ、生ハム・メロン。


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定番のおつまみのチャンピニョン・ア・ラ・プランチャChampiñones a la planchaも本当に美味しい。要するにマッシュルームの鉄板焼きですが、肉厚のマッシュルームがジューシーで美味しいんです。


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カウンター席でなかったのは残念ですが、バルの美味しいタパス料理を堪能しました。テーブル席でゆっくりして、疲れもとれたしね。この後は次回で。




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マドリッドで美術とオペラ:ピカソの大傑作の《ゲルニカ》・・・実物は素晴らしい!!

2014年5月28日水曜日@マドリッド/5回目

名門バルのムセオ・デル・ハモンの2階のテーブル席で、美味しいランチをいただきました。スペイン産の白ワインはボトルで4ユーロと驚く安さ。しかも、飲み残しはお持ち帰りです。
階下に降りていくと、そこのカウンターは客で一杯です。バルは、やはりカウンターで立ち飲み、立ち食いするものですね。ちょっと疲れそうですけど。


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スペイン到着3日目のスペイン初心者としては、このバルのカウンターに並ぶ人達に分け入っていく気持ちはとても起きません。うーん、悔しいですね。


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このバルは生ハム専門店でもあるので、ずらっと並ぶ生ハムを販売しています。スペインを去るまでには、イベリコ豚の生ハムをゲットしたいものですが、今日はまだ時期尚早。


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腹ごしらえが出来たところで、ソフィア王妃センターにピカソの傑作《ゲルニカ》を見に行きましょう。地下鉄に乗るために再び、プエルタ・デル・ソルの広場に向かいます。広場に到着し、地下鉄のソル駅への入り口に入ります。


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地下鉄ソル駅のホームを移動していると、駅中の路上ミュージシャンのエレキギターが聞こえてきます。甘ったるいスローテンポの《パリの散歩道》です。羽生のスケートを思い浮かべながらミュージシャンの前を通り過ぎ、ホームへと角を曲がった途端、弾いている曲が変わりました。えっ、この選曲は私達に向けてだったのでは・・・。50セントを握りしめミュージシャンのもとに戻ります。目と目が合うと、お互いにっこりです。日本の羽生を世界の羽生と認めてくれたのが嬉しくて、ささやかな小銭ですがケースに投げ入れます。言葉は交わさなくても気持ちは通じたのですね。こんな触れ合いは楽しいです。
地下鉄1号線でソル駅からアトーチャ駅Atochaまで移動。


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地下鉄駅アトーチャからソフィア王妃センターMuseo Nacional Centro de Arte Reina Sofíaに行くのは、昨日に続いて2回目。今日はさすがに迷うことはありません。昨日購入した美術館の共通入場券パセオ・デル・アルテでさっと入場。館内マップだけはちゃんといただきます。


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まずはゲルニカを探します。館内マップを見ると、ピカソは4階と2階にあるようです。


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まずは4階まで展望エレベーターで直行します。


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エレベータからはガラス越しに外の風景がよく見えます。


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ソフィア王妃センター前のサンタ・イザベル通りCalle de Santa Isabelの広場が見下ろせます。


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広場の周りの建物の向こうの風景もよく見えます。建物の先に見える緑は王立植物園Real Jardín Botánicoのようです。


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4階のフロアでゲルニカを探します。が、ピカソはあれども、ゲルニカはありません。それでも、探している途中にいい絵にも出合いました。

これはカンディンスキーの《無題(Sin título)》です。1924年の作品です。抽象的な作品ですが、カンディンスキーにしては分かりやすい作品です。


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同じ部屋にカンディンスキーの《中央の3つの丸(Mitten Kreise)》もあります。こちらは1932年の作品です。ちょっとクレーの作品かとも思ってしまいました。


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ミロの作品もあります。《華やかな翼のスマイル(The Smile of the Flamboyant Wings)》です。1953年の作品です。ミロらしい綺麗な絵ですね。


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なおもゲルニカを探しますが、なかなか見つかりません。建物の隙間からはアトーチャ駅も見えました。


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業を煮やして係に尋ねると、2階の206だよと教えてくれました。2階に移動すると、確かにありました。ピカソの大傑作の《ゲルニカ》です。この超有名な作品は、ゲルニカ爆撃と同じ1937年に開催されたパリ万博のスペイン館の壁画として描かれたそうです。


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実物の素晴らしさに感嘆しました。イメージしていたより繊細で美しい作品です。歴史的な背景がなければ、《虐たげられる人々》というタイトルを贈りたいところです。しばらく佇みながら絵に見入りました。

今日は体力を損耗しているので、あと1点、ダリの《窓際の少女》を見るだけにします。1925年の作品です。


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ダリには珍しく、写実的な作品です。超精密画と聞いていましたが、それほどではありません。が、情緒を湛えた作品です。この絵のモデルは妹のアナ・マリアですが、少女にしては少しエロティックな感じもあります。ダリはアングルの絵を参考にしたと言っているようですが、この構図は明らかにフリードリッヒの名作《窓際の婦人》をもとにしているようにsaraiは思います。フリードリッヒの作品と比較すると、saraiの好みではフリードリッヒの作品に大差で軍配があがると感じました。

これでソフィア王妃センターの絵画鑑賞は完了。目的のゲルニカを見たので満足です。夜はこの旅の最初のオペラですが、それは次回で。





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マドリッドで美術とオペラ:レアル劇場での刺激的で魅力的なオペラ《ホフマン物語》

2014年5月28日水曜日@マドリッド/6回目

ソフィア王妃センターの絵画鑑賞を終え、地下鉄でホテルに戻り、夜のオペラに備えての小休息。
休息後、ホテルをちょっと早めに出ます。オペラの前にお茶するからです。
オペラ公演のあるレアル劇場Teatro Realの最寄の地下鉄駅オペラ駅Óperaへは、ホテルの最寄のグランヴィア駅Gran Viaから、地下鉄5号線でたった2駅です。実はこの立地の便利さでこのホテルを選んだので、当たり前と言えば当たり前です。


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あっという間にレアル劇場の前に立つことができました。この建物は1850年に完成した由緒あるものです。レアル劇場の東側はイサベル2世広場Plaza de Isabel IIです。広場の中央には、オペラファンでこのレアル劇場を建てさせたイサベル2世の像が建っています。


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レアル劇場を挟んで、このイサベル2世広場の反対側には、王宮前のオリエンテ広場Plaza de Orienteが広がっている筈です。劇場の南側のカルロス3世通りCalle Carlos IIIを、西の方に歩いていきます。すると、ぱっと視界が開けて、オリエンテ広場の向こうに王宮が見えます。緑の広場には花が咲いていて綺麗です。


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オリエンテ広場の中を歩いて、王宮の方に向かいます。広場には綺麗に刈り込まれた樹木が並んでいます。


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オリエンテ広場の真ん中には、フェリペ4世Felipe IV の騎馬像が建っています。その騎馬像の向こうには、王宮Palacio Realの建物がよく見えます。王宮はフェリペ5世が完成させた建物で、2700もの部屋があるそうです。が、王宮はここから見るだけにします。マドリッドでの観光にさける時間は限られていますからね。


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近くの有名カフェ、カフェ・デ・オリエンテCafé de Orienteに立ち寄り、 夕食代わりのケーキとコーヒーをいただくことにします。席についてメニューをお願いすると、届いたのは食事のメニュー。カフェメニューはないとのこと。エエッ、メニューがない!! そういえば周りのテーブルにはコーヒーとビールしか出てません。


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別の店にしようと席を立つと、入り口のすぐ近くのケースにはケーキが並んでいます。それなら、これらとコーヒーにすればよいということなり、席に戻ります。
これがそのチョコレートケーキとコーヒー。


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配偶者はアップルパイです。


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カフェ文化は遠くウィーンには及ばず、ケーキの種類は乏しく、昔風の甘すぎるケーキに辟易。
このカフェでお茶していると、外ではものすごい雨が降り出し、道行く人は大慌てです。私達はお茶していたので、雨に降られず幸いでした。まだ、天気の運は続いています。

オペラの開演時間が迫り、隣にあるレアル劇場に移動します。劇場のロビーはとっても立派な内装です。


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しばしロビーを観察しますが、もうホールの内部に入れそうです。


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今日のチケットはこれ。演目は《ホフマン物語》です。200ユーロを超える料金はなかなか高額ですね。


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近くにいたスタッフから公演プログラムを買い求めます。表紙の写真は後で分かりましたが、このオペラの舞台セットの写真でした。ただし、手前の女性の裸像は、実際のオペラでは何とフルヌードの女性でした!


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これがホール内部です。さすがに豪華です。


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今日のオペラ《ホフマン物語》はかなり刺激の強い演出で面白いものです。ともかく、第1幕は日本では絶対上演不可能だと思えるほど、次々と過激であられもない姿の女性が現れます。その姿に気持ちを奪われないで、オペラの音楽に集中するのが大変でした。1回目の幕間では、頭を冷やすために劇場の外に出ます。夜の8時半ですが、外は明るく、レアル劇場は夕日に輝いています。こちらは西側のオリエンテ広場に面したレアル劇場です。


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しばらく、劇場前のオリエンテ広場で夕涼みです。劇場の右隣は先ほど、お茶したカフェ・デ・オリエンテです。


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第2幕以降はもう舞台に過激な姿の女性は登場しません。オペラに集中します。saraiが密かに世界3大メゾソプラノと呼んでいるフォン・オッターの絶唱はさすがです。しみじみとした心のこもった歌唱にsaraiはうっとりでした。詳細はここにアップ済です。

明日は午前中マドリッドを散策し、午後にはトレドに移動してエル・グレコを見ます。トレドでエル・グレコを見るのはスペイン訪問の最大の目的です。ホテルはちょっとはりこんで、昔の修道院をホテルにリノベーションしたパラドール・デ・トレドに泊まります。この旅最大のクライマックスになる筈です。





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マドリッドの最後はマヨール広場で:チュロスの有名店チョコラテリア・サン・ヒネス

2014年5月29日木曜日@マドリッド~トレド/1回目

旅の4日目、マドリッド滞在3日目です。今日は午後3時頃にトレドに移動します。それまでの時間はマドリッドでやり残したことをやるだけです。
やり残したことと言っても、美術館は堪能したし、オペラも満足しました。昨日までの無理な体力消耗で少々疲れたのでのんびり過ごすことにしましょう。一応マドリッドを見物しますがあまり無理をせず、マヨール広場周辺を歩くだけに絞ります。目覚まし時計は9時に設定です。ところが、場所は便利だけど声が筒抜けのホテルで、人の話し声で早目に目が覚めました。 窓の外を見ると、今日は素晴らしい青空です。
荷物をまとめて早く出掛けましょう。
チェックアウトし、荷物を預けて出発です。レセプションは混み合っていますが、何とかチェックアウト。


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ホテルを出てまずやることは、絵はがきを出すことです。スペインのポストは黄色で、あちこちにあります。ホテルの近くでも発見済みです。問題は切手ですね。タバコ屋さんにあるはずですが、それが見つかりません。街角に花屋さんはあるんですけどね。


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皮肉にも、郵便局の車が何台も停まっているのですが、切手は売ってくれる筈もありません。それらしい店で聞きますが、切手は置いてないとのこと。切手の置いてあるお店の方向を教えてもらい、探します。かなり歩き回った挙句、タバコ屋さんを発見。


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お店のお姉さんは、国際郵便かと聞いてくれて、切手を売ってくれました。郵便って本当に安いですね。たった1枚0.9ユーロです。受け取った切手は意外に大きくしっかりして、固さがあります。配偶者がなんだか舐めてもくっつかなさそうと思っていると・・・お姉さんが呆れたように、この切手はシールになっていて、剥がして使うことを配偶者に教えてくれました。無事にポストに投函です。


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いつ孫たちに届くかなと配偶者は思案しています。絵葉書を出してから思ったけど、ポストの横にあった宝くじ売り場に切手は置いてあったのかもね。

さて、出掛けましょう。地下鉄でグランヴィア駅Gran Viaからソル駅Solまで移動します。地下鉄1号線でたった1駅だけの移動です。


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その前に地下鉄のチケットを購入。10回券はあっと言う間に使い切ってしまいます。また、10回券を購入。


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ソル駅に着いて、マヨール広場Plaza Mayorに向かいます。広場に行く前にやることがあります。マドリッドでも最後にし残したことは食い気です。スペイン名物のチュロスを食べないとね。カフェが期待できない代わりに、チョコレート屋さんのチュロスが人気なのかも。有名なチュロス屋さんのチョコラテリア・サン・ヒネスChocolatería San Ginésを目指します。お店を探していると、可愛い美味しそうなケーキ屋さんはいっぱいあります。


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これも美味しそう。


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またまた美味しそう。


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マヨール通りCalle Mayorを歩いていると、右手の路地の先に行列を発見。


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目指すお店でした。チョコラテリア・サン・ヒネスです。


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外もお客さんで一杯です。


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入り口で、お店のスタッフにテーブルが空いているかと尋ねると、立って食べればいいじゃないかと言われます。でも、せっかくだからゆっくり座りたい。ちょっと待つと客の回転が早く、すぐに席は見つかりました。


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それもその筈、メニューはチュロスのみ。チュロス(揚げ菓子)とチョコラーテ(ホットチョコレート)のセットをいただきます。チュロスは細いのと太いの(ポラス)との2種類あるので、その2種類をお願いします。といっても、まずレジに並んで会計をして、ウェイターにレシートを渡して、席で待つのです。


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カウンターの奥でどんどんチュロスを作っています。注文とは関係なくどんどん作っているようです。チュロス専門ですから、話は早いですね。


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しばらくすると席にチュロスが運ばれてきます。


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これがチュロス。上が細いチュロスで下に太いの(ポラス)があります。


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細い方が一般的で人気なのか、出来立てでパリパリ熱々でしたが、太い方はちょっとしんなりしてました。甘すぎるのが難ですがなかなか美味しいですよ。


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壁には来店した有名人の写真が張ってあります。


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朝ごはんの代わりにどんどんいただきます。


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この後、楽しい出会いがありますが、それは次回で。





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Author:sarai
首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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