プラド美術館には、イタリア美術の名品も揃っています。
まず、フィレンツェのドメニコ修道会の修道士として、絵筆をとったフラ・アンジェリコです。彼は1400年頃にフィレンツェ近郊で生まれました。本名はグイド・ディ・ピエトロですが、愛称フラ・アンジェリコで呼ばれています。フラ・アンジェリコとは「天使のような修道士」という意味です。彼の描く控え目な表現の宗教画には、その天使もよく登場します。テンペラ画、フレスコ画で描かれる静謐で瞑想的な宗教画は現代人にも心の安らぎを与えてくれます。
これは《受胎告知》です。1435~45年頃、フラ・アンジェリコ35~45歳頃の作品です。フラ・アンジェリコの《受胎告知》と言えば、フィレンツェのサン・マルコ修道院の階段を上がったところに描かれているフレスコ画がとても有名ですが、プラド美術館にも、ほぼ同時期に描かれた作品が展示されていて、驚きました。印象としては、ほぼ同じような構図の作品です。大天使ガブリエルがマリアに懐胎を告げている雰囲気はそっくりで、控え目にマリアが受胎を受容しているのがしみじみと心に伝わってきます。受胎告知は3月25日とされており、庭園には春の花々が美しく咲いています。その庭園には、アダムとイブの楽園追放のシーンが描かれていますが、これはサン・マルコ修道院の絵には描かれていません。また、神からの強烈な光線がマリアに降り注ぎ、精霊も描かれていますが、これもサン・マルコ修道院の絵には描かれていないものです。全体として、こちらの作品のほうが鮮やかな表現になっています。なお、写本の細密画も含めて、フラ・アンジェリコの《受胎告知》は15点ほど現存するようです。

次は北イタリア、ヴェネツィアでルネサンス期に活躍した天才画家マンテーニャです。彼は同世代の画家ジョヴァンニ・ベリーニと義兄弟であったことが知られています。ベリーニとは作風はかなり異なり、テンペラ画であくまでも写実を追求しました。執念とも思えるほどです。
これは《聖母の死》です。1460~62年頃、マンテーニャ29~31歳頃の作品です。若い頃の作品ですが、ここでも写実に徹する作風が見られます。悲しみにくれて亡くなる聖母マリアは老いた女の姿で描かれています。それまでは聖母は美しき存在として、若く描かれていましたが、マンテーニャは写実に徹したのです。まあ、saraiは若く、美しいマリアが好きなので、正直、この絵は趣味に合いません。マンテーニャの画力は認めますけどね。

次はsaraiの大好きなボッティチェリです。プラド美術館にもボッティチェリの力作があるのでびっくりしました。それも連作が並んでいました。この連作はボッカチオの《デカメロン》に基づいた青年ナスタジオの恋物語です。ただ、どうやら、この作品はボッティチェリが下絵だけを描いて、後は工房の弟子に任せたらしいとのことです。十分にボッティチェリらしさのあふれた作品なんですけどね。
以下、《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語》、1482~83年頃、ボッティチェリ38~39歳頃の作品です。全部で4枚からなる板絵です。ここには3枚がありました。残りの1枚はアメリカの個人蔵だそうです。この連作はフィレンツェの有力な家系、プッチ家とビーニ家の婚礼の記念で、新婚夫妻の寝室を飾るスパリエーラ(装飾用の羽目板)として描かれました。この婚礼はメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコが仲介者でした。ロレンツォはボッティチェリのパトロンですね。
これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第1の挿話》です。画面中央にいる赤いタイツの青年ナスタジオが恋人パオラ・トラヴェルサーリに拒絶されて、悩んでいます。彼が林の中を歩いていると、白い馬に乗る騎士に追いかけられる裸の美女を目撃します。実はこの美女は恋人の騎士につらくあたって、その騎士を自殺に追いやったのです。その報いとして、彼女は犬と騎士に追い掛け回される責苦に合うことになっているのでした。青年ナスタジオは自分と同じような境遇の二人が地獄の責苦に合っているところを見てしまったのです。

これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第2の挿話》です。白い馬の騎士に追いつかれた美女は背中を切り裂かれます。画面の奥のほうでは、また、白い馬の騎士に美女が追い掛け回されています。つまり、美女は殺されては生き返り、また、追いかけられるという地獄の責苦を繰り返し、受けているのです。画面には複数の時間の場面が一緒に描かれています。異時同図法です。

これは《ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第3の挿話》です。青年ナスタジオは恋人パオラ・トラヴェルサーリを祝宴に招き、自分が見ていたヴィジョン、白い馬の騎士と美女の地獄の責苦を見せて、恋人の翻意を促します。青年ナスタジオに冷たかった恋人パオラ・トラヴェルサーリはこの地獄の責苦を見て、彼と婚約します。ちなみに第4の挿話は、青年ナスタジオと恋人パオラ・トラヴェルサーリの盛大な婚礼の場面です。

次は聖母子の画家ラファエロです。
これは《羊を連れた聖家族》です。1507年頃、ラファエロ24歳頃の作品です。構図的には、よく描かれています。幼な子イエスと父ヨセフの見つめ合う様子が微笑ましいです。しかし、残念ながら、マリアがもうひとつ美しく描かれていませんね。これでマリアの顔が美しければ、超名作だったのに・・・。

次はコレッジオです。コレッジオは1481年頃に北イタリアのモデナ近くのコレッジョで生まれ、パルマを中心に活躍しました。パルマの大聖堂は彼の見事な絵で埋め尽くされていて、圧巻です。特に天井画の見事さには圧倒されました。
これは《ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)》です。1520~24年頃、コレッジオ31~35歳頃の作品です。新約聖書・ヨハネ福音書20章17節に、復活したイエスがマグダラのマリアに姿を見せる場面が記述されています。その場面では、マグダラのマリアが、イエスが復活したことを喜んで、彼に触れようとしますが、イエスは「ノリ・メ・タンゲレ(私に触れるな)」とマグダラのマリアに命じます。イエスはその理由を「わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから」と告げます。キリスト昇天はこの後のできごとです。もちろん、昇天してしまった後は、地上の人間は誰もキリストに触れることはできません。愛の救済者たるキリストにしては冷たい仕打ちにも思えますが、この意味はキリスト教の教義なので、非キリスト者たるsaraiには解説できません。ただ、その場面を描いたコレッジオの作品の写実のあまりの見事さには息を呑んでしまいます。

最後は半世紀もの間、ヨーロッパ随一の大画家として、ヨーロッパ中の王侯・貴族から注文が絶えなかったヴェネツィアの巨匠ティツィアーノです。スペイン王室は、1529年以来、神聖ローマ帝国皇帝(スペイン国王でもある)カール5世と彼の息子のフェリペ2世の2代にわたって、ティツィアーノの最大のパトロンとなります。ティツィアーノは1576年にペストで死去。スペインには膨大なティツィアーノのコレクションが残されました。ここでは、代表作の2枚だけを見ていきましょう。
これは《ミュールベルクのカール5世騎馬像》です。1548年頃、ティツィアーノ58歳頃の作品です。カール5世とティツィアーノには、こんなエピソードが残されています。画家のアトリエを訪れた皇帝が、画家が落とした絵筆を拾うために跪きます。当時、画家と言えば、身分は職人でした。その画家に絶大な権力を持つ絶対君主がひざまずいたのです。芸術家の栄光の時代が始まったのです。ティツィアーノが初めて、カール5世の肖像画を描いたのは、1530年のボローニャでの戴冠式でのことです。それ以来、皇帝はティツィアーノ以外には肖像画を描かせなかったということです。それほど、心酔したということです。1548年に帝国議会の開かれたアウグスブルグで二人は会っており、その際に、この騎馬像が描かれました。実に堂々たる騎馬像ではありませんか。カール5世はティツィアーノの肖像画で後世にそのイメージ、それもとびっきり素晴らしいイメージを残すことになりました。もちろん、ティツィアーノも最強のパトロンを得ることで名声を手に入れることになりました。まさにウィン・ウィンの関係です。

これは《ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド》です。1548年頃、ティツィアーノ58歳頃の作品です。これも同時期にカール5世のために描かれた作品です。アウグスブルグに会いに行くときにティツィアーノが持参した作品です。この裸婦の構図は、ジョルジョーネの大傑作《眠れるヴィーナス》に由来するものです。《眠れるヴィーナス》は未完のまま、ジョルジョーネが世を去ったため、ティツィアーノが完成させました。その素晴らしい裸婦の構図に基づいて、ティツィアーノは本作以外にも、《ウルビーノのヴィーナス》や《ダナエ》を描いています。本作はそれらとは左右逆のポーズになっています。本作では、ヴィーナスが意味ありげにキューピッドに何やら、ささやきかけています。それにオルガン奏者が意味ありげな視線を送っています。一説では、このオルガン奏者はカール5世を模したとも言われています。のちに同じ画題で、カール5世の息子のフェリペ王子(後のフェリペ2世)にも制作したといいますから、よほどにスペイン王室にこの享楽的とも言える作品が気に入られたのでしょう。フェリペ2世のためには、魅惑的な作品《ダナエ》も制作しています。この《ダナエ》もプラド美術館に展示されています。とても美しい作品でした。これらの作品を愛したことから考えると、厳格なカトリックを信仰する、お堅いイメージのフェリペ2世ですが、彼も相当に享楽的な一面があったようですね。

プラド美術館の膨大な作品群をひとつ残らず見るために、3時間もの時間を要してしまいました。もう、2度と来ることはないでしょうが、心残りはありません。
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この記事へのコメント
プラド美術館に前回行ったのは、もう20年以上前のことになりますが、魅力的な絵がたくさん並んでいて、数年後には再訪しようと思っています。
「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」は大変、惹かれる作品ですね。ボッティチェリは大好きな作品です! 大人の童話とでも言えるような物語自体も面白いですが、それを鮮やかな絵画の世界にして見せてくれているボッティチェリの巧みさに感嘆します。
なお実際の制作には確かに協力者の手が多く入っているようですが、今のボッティチェリ研究者は、ボッティチェリ自身がナスタジオや騎士など主要な人物を描いたと考えているようですよ。
2, saraiさん 2014/12/24 21:01
当ブログはもうすぐ閉鎖になるので、コメントは引っ越し先のブログに移行させてもらいました。ご了承くださいね。移行先は以下です。
?ttp://sarai2551.blog.fc2.com/?no=25
?はhです。