カプツィナー修道院Kapuzinerklosterの教会の内部に入ります。実に簡素な空間です。フランシスコ会系だからなのかな。

マリア像はとても素晴らしい雰囲気です。思わず頭を垂れてしまいます。

教会の外に出ると、カプツィナー山Kapuzinerbergの案内図がありました。山(丘?)を巡る散策路が整備されているようです。少し歩き回ってみましょう。

カプツィナー修道院の横に銅像が立っています。一体、誰の銅像なのかなって、近寄ってみます。
これがsaraiとシュテファン・ツヴァイクとの運命的な出会いでした。今や、シュテファン・ツヴァイクはsaraiの大事な旧友という感じの存在です。このときは、そういう名前の作家もいたねっていう軽い感じでした。この後、ウィーンでの出会い、日本への帰りの飛行機の中の体験と偶然が重なっていきます。シュテファン・ツヴァイクは、ユダヤ系のオーストリア市民で大変な知識人。ナチスの台頭で故郷のオーストリアに居られなくなり、イギリス、アメリカ、そして、最後はブラジルへと放浪を余儀なくされます。古き良きヨーロッパ文明の終焉に絶望し、さらに旧日本軍によるシンガポール占領に大変なショックを受け、1942年にブラジルのペトロポリスで妻と共に自殺というのが彼の最期でした。彼の最高の著作《昨日の世界》(みすず書房、上下巻)を読み、改めて戦争の非人間性を実感しました。それにしても、最近の日本の右傾化、戦争に向かっての傾斜には心を痛めるばかりです。シュテファン・ツヴァイクについては、またブログで触れたいと思います。彼と知り合ったのはこの旅の大きな収穫でした。

ここにシュテファン・ツヴァイクの記念碑があるのは、彼がこのカプツィナー山の古い屋敷に1919年から1934年まで住んでいたからです。今もこの辺りに、その屋敷シュテファン・ツヴァイク・ヴィラStefan Zweig Villaが残っています。現在は個人所有らしく、見学できないのが残念です。シュテファン・ツヴァイクが住んでいた頃は有名なヨーロッパの知識人がひきも切らずに訪れていたそうです。ちょうどその頃にザルツブルク音楽祭も始まったので、多くの音楽家も訪れたとのことです。
散策を続けると、また別の銅像があります。

ここはモーツァルト広場で、モーツァルトの像が立っています。ここには以前、モーツァルトがオペラ《魔笛》の一部を作曲した《魔笛の小屋》が、ウィーンから移築されていたそうです。現在は同じザルツブルグのモーツァルテウム大ホールの裏手の「バスチオン(砦)庭園」に移設されたそうです。

ここからは森の中の散策路になります。その先に要塞として建てられたフランツィスキ城がレストランになっていて、絶品料理を出してくれるらしい。今日のランチはそこにしましょう。

大木の茂る緑の美しい森の散歩は気持ちがいいです。小鳥の声も聞こえます。ちょうど1時の鐘が鳴り渡ります。気分は最高です。美しい散歩道です。所々で視界が開け、眺望が楽しめます。ザルツァッハ川の対岸のホーエンザルツブルグ城も見えます。同じくらいの高さにありますね。

ここではザルツァッハ川の流れが見下ろせます。

要塞の塀にぶつかりました。

この塀に沿った階段が始まります。もう地理は分かりませんが、この階段を上っていくしかありません。

階段が延々と続きます。かなりきついです。ヒーヒーいいながら上ります。

案内標識が出てきましたが、カプツィナー修道院まで20分という情報以外はほとんど役に立ちません。

ここまで、こんなに階段を上ってきましたが、まだ先は見えません。

ようやく建物が現れました。カプツィナー修道院から40分かかりました。目指すレストランのフランツィスキ城のようです。

果たして、このレストランは営業中でしょうか? 不安な気持ちで建物の前に向かいます。
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