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ベルギー・ゲントで《神秘の子羊》に感動!

今日は朝一番でゲントの聖バーフ大聖堂の祭壇画《神秘の子羊》を見ました。今回の旅の目的はこの《神秘の子羊》を見ること。想像通りの素晴らしい作品でした。ファン・エイク兄弟が描いた油彩画は完璧な出来栄え。画面上でじっとこちらを見つめる子羊の姿は神々しいとしか表現できません。聖母マリアやキリストも実に細密な表現で、これが油彩画の初期の作品とは信じられません。フランドル絵画を代表するだけでなく、西欧絵画の最大傑作と言っても過言でありません。現在、修復作業中ですが、パネルを順番に修復しているおり、現在は扉の裏側のパネルを修復中。表側の9枚のパネルは普通に展示されていて、ラッキーでした。修復中の様子はゲント美術館で見ることができました。ゲント美術館は旧市街の中心から離れているため、トラムでゲント・セント・ピータース駅まで行き、そこから歩きました。地図を見ながら探していると、犬を連れて散歩しているおじさんが親切に案内してくれたために迷わずにすみました。犬も先に立ち、案内してくれました。ありがとう!

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旧市街に戻って、フランドル伯居城からのゲントの3塔+1塔の眺めも最高。絶景でした。

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ランチは鍋にいっぱいのムール貝とベルギー・ビール。ベルギー名物のフライドポテトもいただき、満足。

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夜はゲント・オペラ劇場でフランダース・オペラ(ゲントとアントワープが本拠地)でオペラ《フィガロの結婚》を聴きました。極上の出来栄えに満足。満月のゲントの町を歩いて、ボートハウスのホテルに無事、帰着。

明日はブルージュに移動します。


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テーマ : ヨーロッパ
ジャンル : 海外情報

 

音楽も演出も極上:オペラ《フィガロの結婚》@フランダース・オペラ 2015.6.30

ベルギーで音楽を何も聴かないのも何だと、お友達に教えられたゲントのフランダース・オペラ(フラームス・オペラ?)の公演です。今日はブリュッセルのモネ劇場でもラフマニノフのオペラをやっていますが、両方を秤にかけて、指揮者がバロックの名手マクリーシュだということに魅力を感じて、このオペラを選択。結果は大当たり。素晴らしいフィガロが聴けました。

まず、あの有名な序曲が快速で始まり、若干のアンサンブルの乱れがあり、あれっと思いましたが、さほどのことはありません。それよりもピリオド奏法のオーケストラだったことにびっくり。でも、よく考えてみれば、指揮がマクリーシュなので当たり前ですね。一昨年、バーゼルでフィガロを聴いたときもピリオド奏法でした。ヨーロッパのオペラハウスではモーツァルトのオペラもピリオド奏法がおおはやりなんですね。バーゼルのオーケストラは若いメンバーでしたが、このフランダース・オペラはベテラン揃い。オーケストラの演奏はそこそこですが、マクリーシュの職人肌の指揮が見事です。去年、都響を指揮したときと比べて、まさにホームグラウンドでいきいきと目配りの利いた指揮ぶりです。

歌手は全員、よく声が出ていて、よかったんですが、特に演技が素晴らしい。なかでもレシタティーボを歌うときの表情付けが全員、見事です。やり過ぎの感もなくはないのですが、まあ、喜劇仕立てのオペラ(オペラ・ブッファ)ですから、これでいいと思います。スザンナ役のウェステンドルプは若くて綺麗でオーバーアクションが似合っていました。これほどの演技を引き出したのは演出家の功績でしょう。オーソドックスながら、素晴らしい演出でした。舞台装置も温室のような感じの綺麗なものを幕ごとに舞台奥に拡張していくという見事なもの。意外に奥行のある舞台に感心していたら、目の錯覚をうまく利用したものでした。これもバロック風ですね。

歌唱では何といって、伯爵夫人を歌ったユリア・クライターの豊かな声の響きに魅了されました。第3幕のアリアの美しいこと、こんな美しいアリアは聴いたこと、ありません。あのフリットリだって、これほどは歌えませんでしたからね。

終幕の伯爵が夫人に許しを請う素晴らしい音楽。saraiの大好きなシーンですが、マクリーシュはここで長いパウゼを入れ、思い入れたっぷりに伯爵に歌わせます。まさに音楽のピーク。伯爵夫人の優しい許しの歌は感動なしには聴けません。そして、見事なテンポの切り換えで最後の音楽に突入。これぞ、音楽の楽しみの極みです。高揚感たっぷりにフィナーレ。圧巻のフィガロでした。

プログラムとキャストは以下です。

  指揮:ポール・マクリーシュPaul McCreesh
  演出:Guy Joosten
  管弦楽:フランダース・オペラ管弦楽団Symfonisch Orkest Opera Vlaanderen

  モーツァルト:オペラ《フィガロの結婚》

  アルマヴィーヴァ伯爵:Levente Molnár
  伯爵夫人:ユリア・クライターJulia Kleiter
  フィガロ:David Bizic
  スザンナ:Julia Westendorp
  ケルビーノ:Renata Pokupić
  バルトロ:Peter Kalman
  マルチェリーナ:Kathleen Wilkinson
  ドン・バジリオ:Adam Smith
  アントニオ:Piet Vansichen
  バルバリーナ:Aylin Sezer


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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

 

ブルージュで運河クルーズと美術館巡り

ゲントのボートハウスホテルで朝食をいただき、すぐにチェックアウトして、荷物を引っ張って、最寄りのゲント・ダンポールト駅まで歩きます。ほんの10分ほどです。海水浴に向かう大勢の子供たちと同じ電車に乗って、ブルージュに移動。

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ブルージュの駅構内にあるツーリスト・インフォメーションでブルージュのシティ・カード3日券と公共交通機関3日乗り放題チケットを購入し、駅前から11番のバスで旧市街の中心地マルクト広場の先の停留所ウォールストラアートまで移動。そこから、運河に面するホテルはすぐそこでした。事前にGOOGLEストリートビューで何度もホテルのレセプションまでの移動をチェックしていたので、初めての場所とは思えないほど頭にしっかりと画像が焼き付いています。
荷物を預けて、シティ・カードで運河クルーズ。ボートに乗って、30分ほどでブルージュの町のほとんどを体験。

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次はグルーニング美術館でヤン・ファン・エイクの名画『ファン・デル・バールの聖母子』と対面。昨日の《神秘の子羊》と同様に実に細密な表現に驚かされます。

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続いて、聖ヨハネ施療院でメムリンクの名画の数々と対面。なかでも《聖ウルスラの聖遺物箱》はベルギー7大秘宝の一つとされる素晴らしい美術品です。

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ともかく、今日のブルージュは絶好の好天でとても暑く、これまでの旅の疲れもあって、ここでホテルでお昼寝休憩。部屋の窓から運河を見おろしながら、惰眠をむさぼります。夕方を過ぎても一向に暑さは尋常ではありませんが、夜7時半ころに近くのレストランに食事に出かけます。あたりはまだまだ明るい日差しです。昨日に続き、また、ムール貝(今日はブルージュ・ビール蒸し)とベルギー・ビール。これが癖になっています。美味しいですからね。
これでブルージュの1日目はおしまい。今日は久々に楽をしました。

明日は北海に面したオステンドの近くの小さな町にあるポール・デルヴォー美術館を訪ねます。


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テーマ : ヨーロッパ
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北海沿岸はビーチ花盛り

今日はブルージュから電車に乗って、北海沿岸の港町オステンドに遠征。と言っても、電車でわずか15分です。そこからは北海の海岸線を走るトラムで1時間。北海の小さな町シント・イデスバルドを訪れます。目的はベルギーのシュールレアリスト、ポール・デルヴォーの美術館です。小さな町の小さな中心地から綺麗な住宅地へ歩いて、ひっそりとポール・デルヴォー美術館が佇んでいました。

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訪れる客もほとんどいなくて、充実したコレクションを配偶者と2人で独占しました。ここはデルヴォーがアトリエにしていた建物です。その建物にデルヴォーの初期から晩年に至る作品群が展示され、さらに彼の列車模型や骸骨といった収集品も展示され、彼の生涯を概観することができます。デルヴォーのファン、シュールレアリズム好きは行かなくてはいけないような聖地とも言えます。展示を見た後は併設した可愛いカフェで一休み。何故か、カフェには数組の客がいました。カフェだけに立ち寄る人もいるのかな。カフェで休んでいるうちに突然の雷雨も通り過ぎ、北海のビーチに向かいます。途中にあった魚屋さんでニシンの酢漬けの玉ねぎのみじん切りのせとマグロときゅうりの海苔巻を調達し、ビーチでいだきました。とても美味。北海の海の幸はなかなかです。

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わずかな人たちが美しいビーチで泳いだり、水際を歩いたり、思い思いの楽しみに打ち興じています。北海のビーチ、初体験です。

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また、トラムに1時間乗って、オステンドの町に戻り、そこのビーチものぞきます。ここはたくさんの海水浴客で賑わっています。夏のバカンスの中心地なんですね。港を歩くと、魚料理の屋台が並んでいたので、夜の食べ物をゲット。鍋でぐつぐつ煮ているものがあるので何かと思ったら、エスカルゴとのこと。2ユーロのエスカルゴはとても美味しく、配偶者とスープの奪い合い。

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電車でブルージュに戻って、夕方の涼しさの中、美しい街並みを散策。やはり、運河の風景は美しい。

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配偶者は歩き疲れて、ホテルでぐったり。ごめんなさい。
その後、復活した配偶者とささやかな夕食。部屋の窓からの眺めは格別です。暮れなずむ夕暮れの運河の風景はとても幻想的な美しさ。美しい夕暮れ・・・感動的です。

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明日もブルージュの街歩きを楽しみ、夕方にはブリュッセルに向かいます。


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ブルージュの街歩きを満喫

今日は早めに起きて、朝食前にブルージュの街歩き。朝は人通りが少なくて、気持ちよく散策できます。ヨーロッパの観光地はどこでもそうです。一昨日から配偶者の強い提案がありました。ブログに掲載する写真も人影のない、いい写真が撮れます。

まずはホテル前の運河からスタート。

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運河沿いにひとしきり歩きます。運河クルーズで巡ったコースの復習です。運河にかかる苔むした石橋の美しさこそがブルージュの華と言えます。

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次にブルグ広場、マルクト広場、シモン・ステヴィン広場と広場を巡って、市庁舎、聖血礼拝堂、鐘楼、救世主大聖堂、聖母教会を見て歩きます。ほとんどは何度も見たものですが、朝の静けさの中では印象が異なります。
これはまだ、観光客のいないマルクト広場にすっくと聳える鐘楼です。

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また、運河に沿って、ホテルに戻ります。運河と並木の織り成す美しさは朝ならではです。

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朝食後、今度はブルージュのシティ・カードをフル活用して、ブルージュ観光。
まずはマルクト広場の鐘楼に上ります。高さ83mの螺旋階段はとても厳しいですが、何とか上り終え、街の絶景を鑑賞。ブルージュの街並み、教会の塔、そして、はるか先にはフランドル平原まで見渡せます。

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意外に運河は建物の陰になり、あまり見えないのが残念です。

市庁舎、聖血礼拝堂、チョコレート物語(博物館)、聖母教会、ベギン会修道院と巡ったところで、疲れ切って、ダウン。ランチを兼ねた休息です。
息を吹き返して、最後に救世主大聖堂を見学して、ブルージュ観光を完了。

バスで駅に出て、電車でブリュッセルに向かいます。電車は混み合っていましたが、ファーストクラスのチケットを買っておいたお蔭でゆったりと座れました。オランダやベルギーは原則、国内移動電車は自由席しかありませんから、混み合いそうならば、少し張り込んでファーストクラスに乗るのが無難です。もっとも今回、オランダはすべてセカンドクラスに乗車しましたが、何とか座れました。ベルギーは基本、ファーストクラスに乗っています。

ブリュッセル南駅に着いて、ホテルに向かおうとしますが、駅構内が広く、様子が分からないお上りさん状態です。とりあえず、トイレで落ち着いてから、行動開始と思いましたが、駅の有料トイレの使用法であたふた。トイレの後、大きな画面のインフォメーション案内でおおよそのメトロの場所を見極めて、移動。何とかメトロ駅には到着するものの、チケット自動販売機に行列し、その使い方に苦戦しながらも何とかチケットをゲット。もっとも回数券を買えなくて、1回券の購入になりましたが、まあ、いいでしょう。次にメトロに乗ろうとしたら、逆方向のホームに入ったことに気づき、近くのお姉さんに正しいホームを教えてもらいます。いったん、チケットを自動改札に通しましたが、1回券でも1時間以内は乗り換え自由なので、再度、自動改札を通ることができました。何とか、メトロに乗って、ホテルの最寄駅に到着。地上に出ると、ホテルが見えたので、迷わずにホテルに到着し、ちょっとしたトラブルはありましたが、無事にチェックイン。4つ星のデザインホテルの美しい部屋は冷房が効き、快適です。今日はもう外に出ずに部屋でゆっくりしましょう。

明日はブリュッセル市内観光です。


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ブリュッセルは夜も燃えている

いやはや、ブリュッセルの暑いこと! 日本も顔負けの蒸し蒸しした暑さ。通りの温度計を見ると、34度。もう、真夏です。こんな日は美術館巡りに限ります。まずは配偶者が大ファンのベルギーのシュールレアリストのマグリットの家に行きます。なお、マグリット美術館は明日、予約を入れてあります。
ホテル前のメトロ駅で1日乗車券を買って、地上に戻ってトラムの94番に乗ろうとするけど、走っていません。どうやらガイドブックの情報が古くて、トラムの経路が変更になったようです。正しくは93番のトラムに乗ればいいことが停留所の地図で分かりました。ずいぶん、北のほうまで行って、最寄りの停留所で降りて、マグリットの家を探しますが道を1本間違えて、ぐるりと迂回。何とか番地表示を見て、見つけました。普通の家なので、見たって分かりはしません。ドアも閉まっていますが、ドアに何やらメッセージがあります。何故か、意味がするりと分かると思ったら、日本語でした。(日本語のほかは、フランス語、オランダ語、英語、ドイツ語)

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「ベルを2回鳴らせ」という指示に従うと、しばらくして、女性がドアを開けてくれました。ドアを入ったところで館内の細かい説明をしてくれて、入館料一人7.5ユーロを支払うと、2階から日本語の案内パンフレットを持ってきてくれました。ここはマグリットがまだ売れない頃に24年間借りていたアパートです。彼の生活が垣間見え、興味深い訪問になりました。それにしても、日本人対応がこんなにいいのは、余程、日本人の訪問者が多いのでしょう。マグリットは日本人受けがいいのですね。
次は評価する人もいるエクセル美術館に向かいます。93番のトラムと71番のバスを乗り継ぎ、最寄りのバス停に降り立ちますが、ここではたと当惑。案内表示もなく、右も左も分かりません。途方に暮れていると、配偶者が通りかかったマダムをつかまえて、何とか美術館へのルートを訊き出しました。半信半疑で教えられたほうに向かうと途中で案内表示があり、本当に美術館がありました。

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配偶者に感謝です。クノップフ、デルヴォー、マグリットというベルギーの画家の作品が見られたのでよしとしましょう。何故か、ロートレックの作品も揃っていて、得した気分。

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また、71番のバスに乗って、ブリュッセル中央駅に移動。そこから歩いて、有名ワッフル屋でベルギーワッフルのピスタチオアイスクリームのせ(チョコレートソース添え)を美味しくいただきました。ともかく暑いので、冷たいものがほしかったんです。

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元気を回復して、ブリュッセル一番の観光スポット、グラン・プラスへ行きます。大変な観光客です。市庁舎、王の家、ギルドハウスで囲まれた広場は豪華な雰囲気の広場。ジャン・コクトーが《豊穣なる劇場》と評したのが正鵠を射ていると感じます。当時、余程の富に恵まれて、官民一体で築き上げた一大建造物群だったのでしょう。

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感心しきりですが、お腹も空いてきました。
ここはブリュッセルの一番の名物料理ムール貝を有名レストラン、シェ・レオンに食べに行きましょう。広場から歩いてすぐです。ベルギーで3回目のムール貝、それにベルギービールをたらふくいただきました。満足です。

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これで今日の日程は完了。夜になってもブリュッセルの街は燃えたぎっています。早く、ホテルに戻って、エアコンを利かせた部屋で涼みましょう。

明日も美術三昧。王立美術館とマグリット美術館を訪問します。明日も暑そうです。


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ベルギー王立美術館で1日まったり・・・クノップフの名画に感動

今日はゆっくりとホテルを出て、11時の開館と同時にベルギー王立美術館に入館。お昼ご飯も含めて、5時まで滞在。実に6時間も鑑賞してしまいました。ベルギー王立美術館は古典美術館、近代美術館、マグリット美術館の3つのドメインに分かれていますが、地下通路で結合されているため、ずっと建物からは出ずじまい。その間、外では雨が降った模様ですが、まったく気が付きませんでした。また、館内はガンガンに冷房が効いていて、寒いくらい。暑い日にはこの美術館にこもるのが一番です。もっとも、今日は雨になったこともあり、昨日までの暑さは一段落。ようやく普通の陽気に戻ったようです。
美術館の探訪記はいずれ詳細編で報告します。まず、館内に入ると、素晴らしく豪華なエントランスホールが出迎えてくれます。

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古典美術館には、フランドル絵画、ベルギー絵画は粒よりの作品が展示されていました。ウェイデン、ブリューゲル、ボッス。さらにsaraiのご贔屓のクラナッハの素晴らしい作品もありました。このビーナスはクラナッハの全作品の中でも傑作の一枚です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンのピエタも素晴らしい作品。ヤン・ファン・エイクの作品にもひけをとらない優れた作品です。聖母マリアの悲しみの表現、聖母マリアの青い衣装と聖ヨハネの赤い衣装の対比の見事さも素晴らしいですが、その精緻さを極めた表現がフランドル絵画の最大の特徴です。

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レンブラント、ルーベンスの作品も高水準。謎の画家ロベール・カンパンの傑作を見られたのも収穫の一つ。これらの古典絵画を見るだけで一息つきました。美術館内のカフェテリアでランチをいただき、また、鑑賞開始。ルネ・マグリットの名作群を鑑賞。年代を追って、鑑賞しましたが、1階~3階に分けて展示してある作品のうち、1階の後期の作品以外には、正直、失望。1階の数点の傑作のみがマグリットらしさを現していました。最後に近代美術館を見ようとしたら、購入済のチケットでは入れないことが分かり、急いで入口のチケット売り場で近代美術館の分を追加購入。肝心のポール・デルヴォーの作品は一部のスペースが改装中のため、見られませんでしたが、素晴らしいクノップフの作品を見られたことが今回の王立美術館訪問の最大の成果でした。
これはイギリスの詩人エドマンド・スペンサーが書いた寓意詩《妖精の女王》の登場人物、女騎士ブリトマートと裸体のアクレイジアを描いた作品。いずれも6歳下の妹マグリットを思わせる顔が描かれています。この官能美はベルギー象徴派という枠を超えて、永遠の美を感じさせます。saraiはこの作品の前で立ちすくんでしまい、この作品から立ち去りがたく感じてしまいました。感動の一枚です。

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ラファエル前派のバーン・ジョーンズの作品も魅力的でした。ともかく、最後に素晴らしいクノップフを見られたことで大満足のベルギー王立美術館でした。

美術館を後にして、中央駅で明日のディナン遠征の鉄道チケットを購入。その後、昨日に続き、グラン・プラスをちらっと見て、また、昨日のレストラン、シェ・レオンで生牡蠣を食し、大満足。
暑さも一段落したので、体力も回復し、元気一杯のsaraiです。

明日はアルデンヌ地方を訪れて、ベルギーの旅を終えようと思います。


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アルデンヌの美しい街と古城

今日はオランダのお友達の街を訪問する予定でしたが、お友達に急用ができたため、予定を変更して、ベルギー南東部のアルデンヌ地方を訪れることにしました。主要な目的地はディナンの町です。ブリュッセル・シューマン駅から直通のインターシティに乗ります。シニアチケットのファーストクラスで一人往復で13ユーロと格安です。シューマン駅の周りは報道陣がTVカメラを備え付け、撮影準備中。ここには欧州議会やEU理事会、EU委員会本部といったEUの主要機関の施設が集中しており、ギリシャ問題の討議を始めようとしており、緊迫感が漂っています。

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そんな中、saraiと配偶者は呑気な二人旅。もし、インタビューされたら、何と答えようとふざけあっていましたが、もちろん、誰からも無視。

1時間半の電車の旅でディナンに到着。ムーズ川沿いに広がる町の景観に思わず、歓声を上げます。

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準備不足なので、とりあえず、ツーリストインフォメーションを訪ねます。そこの親切な女性スタッフの支援で今日の計画が固まります。ディナンの町では、シタデル(要塞)、教会、ムーズ川クルーズの3点セット。それに近郊の古城アンヌヴォワ城を訪れることにします。特にアンヌヴォワ城はアクセスが非常に悪く、普通はレンタカーで訪問するようですが、バスと徒歩で訪問し、帰りは最寄りの鉄道駅まで歩くというルートを提案してもらい、その方向で行動することにします。本当にこの女性スタッフの丁寧な対応に感謝するのみです。

まずはケーブルカーでシタデルがある岩壁の上に上ります。シタデルからはまさに絵のような風景が望めます。

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シタデルのガイドツアーにも途中から参加させてもらい、要塞内部を拝見。フランス語のガイドですが、ちゃんと日本語の案内パンフレットも渡してくれました。もっとも最後にお礼のチップを徴収されましたけどね。

シタデルから下に下りて、教会を見て、ムーズ川沿いのクルーズ船乗り場へ。45分のクルーズは結構暑くかったのですが、川風で何とか凌げます。小さな町の要所はほとんど見ることができます。川面の先に見える眺めも格別ですね。

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ディナンの町見物の最後はこの町が生んだ偉人?のサックス氏宅訪問。名前でピンとくるかも知れませんが、楽器のサックスを考案した人です。この人がサックス氏です。

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町中、サックスの看板が氾濫していました。

さて、駅前に戻り、バスでアンヌヴォワ城に向かいます。女性運転手に最寄りのバス停で下してねってお願いしておいたら、何と一番近くの交差点で降ろしてくれました。メルシー! 500mほど坂道を上ると、アンヌヴォワ城。お城というよりも最高に美しい庭園でした。

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あまりの美しさに茫然としながらの庭園巡り。青空に浮かぶ雲も庭園の風景に溶け込み、美の極致。これも自然と人間の融合。まるでマーラーの交響曲第3番と同じテーマです。配偶者はルネ・マグリットの描いた青空と雲に思いを馳せています。

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無理しても来てよかったねと配偶者と熱い会話になります。この上はこのお庭を見ながらのディナーといくしかありません。お庭を見下ろすテラスからの食事は舌よりも目の楽しみのほうが大きかったかも。帰りは30分ほど歩いて最寄りのゴディン駅へ。腹ごなしにはよい散策になりました。
ベルギーの旅の最後は思わぬ古城訪問になり、大満足。

明日は最後の訪問地パリに移動します。また、音楽三昧です。


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やはり豪華だったパリのオペラ座

今日でベルギーの旅も終わり。多分、もう来ることはないベルギーです。もう、見るものは見て、思い残すところはありません。アントワープ、ゲント、ブルージュ、北海沿岸、ブリュッセル、アルデンヌと周り、美しい文化に触れることができました。午前中はコングレ記念塔、サン・ミッシェル大聖堂あたりを散策して、ブリュッセル観光も完了。
これは壮大なサン・ミッシェル大聖堂。現皇太子とマチルド妃の結婚式もここで行われました。

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ブリュッセル南駅から、タリスに乗って、一路、最後の目的地パリを目指します。アムステルダムからアントワープまでの移動で既にタリスには乗車しましたが、それはセカンドクラス(Comfort2)で乗り心地は今一つ。今度はファーストクラス(Comfort1)で、乗り心地は抜群。横2+1列のゆったりサイズのシートで無料のランチサービスも付きます。

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ランチの後はあまりの心地よさにsaraiはうとうと。はっと気が付くと、もうパリの北駅に到着。わずか1時間半の鉄道の旅でした。そう言えば、昨日のアルデンヌのディナンへも1時間半でした。配偶者から、同じ1時間半でも、ずい分、違うわねって言われました。違うって、何が?
これはパリ北駅に着いたタリスです。かっこいいですね。

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久しぶりのパリです。4年ぶりになります。ブリュッセルよりもさらに大都会ですが、さすがにお上りさん状態にはなりません。北駅でメトロの10回券を自動販売機に並んで買って、ちゃんとメトロを乗り継いで、ホテルの最寄駅ブーランシュに到着。ホテルは駅前の筈ですが、見当たりません。仕方がないので、住所を見て、通りの1本1本をチェック。ありました。ど派手なムーラン・ルージュのお隣でした。ホテルのドアを見つけたのは配偶者のお手柄。チェックインでもたつきましたが、無事に今回の旅の最後のお宿に入れました。移動と暑さで疲れて、夜のオペラまでは部屋で休養です。
パリのオペラ座(ガルニエ)も4年ぶり。マルク・ミンコフスキ指揮グルノーブル・ルーヴル宮音楽隊がオーケストラ・ピットに入り、グルックの代表作のオペラ《アルチェステ》を厚い響きで美しく、華麗に演奏。さすがの演奏に大いなる感銘を受けました。主役のアルチェステを歌ったソプラノのヴェロニク・ゲンスのピュアーな美しい歌唱が心に沁みました。やはり、バロック・オペラはいいなあ!! それにパリのオペラ座のオペラは何となく、とてもお洒落に感じます。
お洒落ついでに幕間にオペラ座のお洒落具合を観察してみます。すごく豪華です。ほかの街でこんなに豪華に装飾すると、けばくなるでしょうが、パリでは文句なしに豪華でゴージャス、そして、お洒落になるから不思議です。オペラ座の2階のテラスからの風景もとてもお洒落。ホテル・ル・グランやカフェ・ド・ラ・ペを始め、美しい建物が夕日に輝いています。

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内部のロビーは黄金に輝いています。

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大階段の装飾、意匠、構造も豪華絢爛。

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ホール内部のシャガールの天井画のパリの風景も以前よりも綺麗になったように感じます。修復でもしたのかな。

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素晴らしい音楽を聴き、大満足。これが今回の旅での最後のオペラでしたが、締めにふさわしい充実した内容でした。気分を良くして、最高級カフェのカフェ・ド・ラ・ペで大散財して帰りました。

明日もオペラ座(ガルニエ)で、今度はバレエを見ます。ヨーロッパの文化は汲みつくせない深さと広さを持っています。


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ミンコフスキによる素晴らしきグルックのオペラ《アルチェステ》@パリ・オペラ座(ガルニエ) 2015.7.7

何と言っても、ミンコフスキ指揮のグルノーブル・ルーヴル宮音楽隊のしっかりした低音部をベースにした繊細かつ華麗なアンサンブルの美しさに音楽を聴く喜びを触発され尽くしました。グルックの音楽、オペラがこんなに美しいものだとは思ってもみませんでした。特にひそやかな抒情を歌う場面での音楽ときたら、うっとりするのみです。ミンコフスキがオーケストラの響きを極限まで抑え、タイトルロールのアルチェスト役のヴェロニク・ゲンスが抒情の限りを尽くして歌うシーンでの感動といったら、オペラ好きのかたならば、状況をお察しくださると思います。オーケストラだけが美しい音楽を奏でるところも素晴らしさの限りです。
コリフェ4人(合唱隊の先導役)の素晴らしい歌唱も見事でした。特に若いソプラノの見事な歌唱にはほれぼれ。合唱も素晴らしく、合唱とコリフェが交互に歌うシーンは舞台上の位置をよく考えてあり、素晴らしい効果を生んでいました。
演出は白墨で黒板にリアルタイムに絵を描いていくのが骨子になっていました。演奏開始前からのそういう演技と言い、最近の流行のようですね。まあ、これは可もなし不可もなしと言う感じです。おっと驚いたのが幕間休憩後の第3幕で、それまでピットにいたオーケストラが舞台に上がり、舞台の前面と一番奥、そして、ピット内で歌手たちが演技・歌唱したことです。視覚面では効果がありましたが、これって、演奏会形式のオペラみたいだし、その上、ピットの分、音楽が後ろに引いてしまったみたいで、音楽面では確実にマイナスになっていました。特にそれまで美しく響いていたオーケストラの音が遠くなり、今回の公演で一番素晴らしかったオーケストラの良さを減じてしまった格好です。saraiの個人的な思いでは、演出はあくまでも音楽を美しく聴かせることを最優先にすべきだと感じていますが、残念ながら、最近はしばしば、音楽を軽んじた結果になる演出も見受けられます。今回は音楽が素晴らしかっただけにもったいないことだったと思います。演出のオリヴィエ・ピィはアヴィニョン演劇祭のディレクターをしていた人だそうです。

ところでこのグルックのオペラは最初、イタリア語版で作られて、ウィーンで初演されたものです。グルックの有名なオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》と同様にフランスで再演するにあたって、フランス語版に書き変えて、フランス好みに音楽の追加・変更を行い、パリ版としたものが今日公演されたものです。グルックはドイツに生まれ、オーストリアで活躍し、その後、音楽教師として仕えていたマリー・アントワネットに従って、フランスに渡りました。生涯でドイツ語のオペラを一つも作らず仕舞でした。そんな時代だったのでしょう。まるでイタリアの作曲家かフランスの作曲家と誤認してしまいそうですが、最後はウィーンで亡くなったれっきとしたドイツ・オーストリア系の作曲家です。しかし、今日のオペラを聴いていると、いい意味でフランスのバロックの音楽家と思えてしまいます。このオペラはウィーンでは今でもウィーン版(イタリア語版)で上演されているんでしょうか。

プログラムとキャストは以下です。

  指揮:マルク・ミンコフスキMarc Minkowsk
  演出:オリヴィエ・ピィOlivier Py
  管弦楽・合唱:グルノーブル・ルーヴル宮音楽隊Chorus and Orchestra of Les musiciens du Louvre Grenoble.

  グルック:オペラ《アルチェステ》(パリ版:フランス語版)初演1776年4月23日、パリ/Paris,王立音楽アカデミー/Opera national de Paris(パリ・オペラ座)

  アルセスト/Alcesteテッサリア地方ペライの王女(S)
    ヴェロニク・ゲンスVéronique Gens
  アドメート/Admeteテッサリア地方ペライの王(T)
    スタニスラス・ド・バルベイラクStanislas de Barbeyrac
  祭司長/High Priest アポロ神殿の祭司長(Br)、エルキュール/Herculesギリシャの英雄ヘラクレス、アドメート王の友人(Br)
    ステファーヌ・デグーStéphane Degout
  エヴァンドロ/Evandreアドメート王の信頼篤き廷臣(T)、コリフェcoryphée alto
    Manuel Nuñez Camelino
  コリフェCoryphée soprano
    Chiara Skerath
  アボローン/Apollonアポロの神(Br)、伝令官/Herald アドメート王の廷臣(B)、コリフェCoryphée basse
    Tomislav Lavoie
  コリフェCoryphée ténor
    Kevin Amiel
  託宣者/Oracle神のお告げを伝える者(B)、地獄の神/Thanatos死の神(B)
    François Lis


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さすがにバレエの殿堂:バレエ《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》@パリ・オペラ座(ガルニエ) 2015.7.8

さすがにパリ・オペラ座のバレエです。実に完成度の高い舞台を見せてくれました。まさにバレエの殿堂にふさわしいものです。とは言え、このバレエ《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》自体はフランス生まれのバレエですが、このバレエ振付はフレデリック・アシュトンが英国ロイヤル・バレエで1960年に行ったものをそっくり、そのまま、2007年にパリ・オペラ座に持ってきたものです。そういう意味では、ロイヤル・バレエが作り上げたバレエをパリ・オペラ座のバレエ・ダンサーたちが演じているもので、両者を融合したバレエと言えます。舞台装置も含めて、ロイヤル・バレエと全く同じものです。舞台で踊っているダンサーの後ろにいるダンサーたちの小芝居の仕草までロイヤル・バレエを思わせるものです。

主役のリーズを踊ったレティツィア・ガロニの小気味よい踊りが光りました。驚くことに彼女はまだコリフェ(パリ・オペラ座のランクではエトワール、プルミエール・ダンスーズ、スジェに続く4番目のランク)なんですね。エトワールが踊る役柄に抜擢されたのですから、余程、将来を嘱望されているんでしょう。試されていると言ってもいいのかもしれません。まだ、23歳くらいのようです。第3幕でのタンバリンの踊りの見事さには、目を奪われました。試験としては合格かも知れませんが、年末の昇格試験をパスしないと上には上がれないそうです。頑張ってほしいですね。
コーラスを踊ったマチアス・エイマンはエトワール。見事な踊りに客席が沸きました。日本公演ではバジルを踊った人ですね。

パリ・オペラ座で見るバレエの楽しさは格別でした。

プログラムとキャストは以下です。

  指揮:Philip Ellis
  振付:フレデリック・アシュトンFREDERICK ASHTON
  管弦楽:パリ・オペラ座管弦楽団

  バレエ《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》LA FILLE MAL GARDÉE 音楽:フェルディナン・エロール 編曲:ジョン・ランチベリー

  リーズ:レティツィア・ガロニLetizia Galloni
  コーラス:マチアス・エイマンMathias Heymann
  未亡人シモーヌ:Yann Saïz


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モンマルトル散策

泊まっているホテルがモンマントルのブーランシュなので、安易ですが、今日はモンマルトルを散策してみましょう。
その前に早起きして、近くのパン屋で朝食用のバゲットを調達。パリの朝食は焼きたてのバゲットでしょう。

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朝食後、まずは起点になるピガールまでメトロ一駅分、歩きます。この界隈は結構、いかがわしいお店も並んでいます。パリでも下町ですね。ピガール広場からモンマントル・バスという小型バスに乗って、モンマルトルの丘の上を目指します。歩いて上るのは大変なので、丘の上から散策を開始します。バス路線があまり、よく分からないので、丘の一番上のバス停で下り損ね、慌てて、坂道を下り始めたところで降ります。ワイン畑のあたりです。いったん、丘の上のサクレクール寺院まで坂道を少し上ります。久々のサクレクール寺院です。

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そこから、パリの市街地を展望します。観光客の多さにも驚きます。パリでも有数の観光地ですね。

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サクレクール寺院を見学。ここには以前も来ましたが、寺院の内部は初体験。ビザンチン様式の美しい内部です。
そこから、モンマルトル博物館(ルノワールの住居)、ワイン畑と見て歩きます。ここでできるワインは周辺のレストランで飲めるそうです。

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ムーラン・ド・ラ・ギャレットはちょっと探して見つけました。次は洗濯船を目指しますが、これはどうしても分かりません。いったん、探すのを諦めましたが、その後、偶然に発見。しかし、洗濯船のあった跡があるだけです。なお、洗濯船はピカソ、ルノワール、モディリアーニらがアトリエを構えていたところです。

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ここまでで充分に疲れたので、休息を兼ねて、眺望のよいテラス・ホテルへ歩きます。7階の展望レストランでシャンパンをいただきながら、眺めを楽しみます。本物のシャンパンを飲むのもずい分、久しぶりのような・・・。遠くエッフェル塔も見えます。今回のパリ滞在でエッフェル塔を見る唯一の経験になりそうです。

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元気の出たところで、ゴッホが弟テオのアパートに居候していた建物を見ます。銘板が張ってありました。ゴッホがパリに出てきて、2年ほど住んだ記念すべき場所です。ゴッホのファンとしては、見逃せない場所です。

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最後は滞在しているホテル近くのカフェ・デ・デュ・ムーランを外から覗きます。映画《アメリ》が撮影されたところ。カフェの奥に《アメリ》のポスターが貼ってありました。

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ほぼ、モンマルトルの要所は巡りました。疲れたのでホテルの部屋で休息。
夜はパリ・オペラ座でバレエを見て、大満足。これでオペラ、コンサート、バレエは予定通り、すべて見た(聴いた)ことになります。計14回の嬉しい経験になりました。

明日は1日、パリ見物。夜の便で帰国です。ヨーロッパからの現地レポートは今回で終了します。帰国後、ブログを再開しますので、また、お付き合いくださいね。


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旅を終えて、ぐったり・・・パリの最終日もフル活動

無事、帰国し、懐かしの我が家でゆったりというよりもぐったりしています。やはり、3週間の旅は疲れました。

旅の最終日はホテルをチェックアウト時間ぎりぎりに出て、重い荷物を持って、パリ北駅に向かいます。メトロを乗り継ぎましたが、3つの駅とも階段しかなくて、エスカレーターもエレベーターもなし。メトロの駅も改修してもらいたいですね。横浜の京急線の我が家近くのローカル駅ですら、エレベーターが最近設置されました。ともあれ、何とか北駅のロッカー室に荷物を格納することができ、真夜中の帰国便の出発まで、最後の最後まで目いっぱいの観光を楽しむことができます。

まずはフィンランドの女性作曲家サーリアホの《貴婦人と一角獣》をテーマとした音楽に触発されて、そのテーマとなった《貴婦人と一角獣》のタペストリーを見に行きます。サーリアホの音楽についてはここをご覧くださいね。タペストリーが展示されているのはパリのクリュニー美術館、現在の中世美術館です。ソルボンヌ大学に近い美しい建物が建ち並ぶ賑やかなところに位置しています。入館すると中世の彫刻、絵、ステンドガラスなどが膨大に展示されていますが、やはり、ひときわ異彩を放っていたのは、《貴婦人と一角獣》の6枚のタペストリー。配偶者は各タペストリーに登場する一角獣の可愛さを賛美していました。中世に宗教的なテーマではなく、哲学的とも思える命題による一角獣の物語が描かれたのに驚かされます。

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博物館近くのイタリアンレストランが目につきます。そこで美味しいパスタをいただきます。アルデンテではありませんが、アラビアータ風にぴりりとした辛みのソースで疲れた胃にぴったり。これはパリ風のイタリアンですね。

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お腹をみたして、ブーローニュの森にあるバガテル公園のバラ園を見に行きます。メトロとバスを乗り継ぎ、最寄りのバス停からもよく分からない道を歩き、バガテル公園の入り口に到着。ここはてっきり無料だと思っていたら、入り口のお兄さんから「一人6ユーロ要るよ」って言われて愕然。ブログで無料で入場した人の話がありましたが、あれは何? さらのお兄さんがバラ園はクローズしているよと言われて、また愕然。苦労して、ここまで来たのに。でも、よく聞くと、クローズしているのはたった30分。はいはい、そのくらいなら、公園内を散策して待ちますよ。今日は余裕の日程ですからね。園内に作られた滝や悠然と徘徊する孔雀を見ます。

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そのうちにすぐに30分経ち、広大な園内をバラ園に向かいます。規模の大きい綺麗なバラ園でした。

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花好きの配偶者は大喜び。彼女のために来たんですから、saraiとしても嬉しいですよ。配偶者はバラの写真を一心に撮っています。

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バガテル公園を見終わったのが夕方5時頃。最後はsaraiのお楽しみの時間。旅の最後はオルセー美術館で締めくくりましょう。こんな時間からオルセー美術館と思われるかもしれませんが、今日、木曜日は運よく、夜間展示の日、なんと9時45分まで鑑賞できます。帰国便が11時20分出発ですから、ゆっくり鑑賞できます。それに6時以降は割引料金で見られます。バスとメトロ、PERで移動して、チケット購入の列に並ぶと、ちょうど6時になりました。改装後のオルセー美術館は初めてです。前回、改装工事中のなか、無理な展示を見て、がっかりして以来です。
まず、2階のゴッホとゴーギャンの展示コーナーを見て、満足。ゴッホの後期の名作の充実度は今回の旅で見たアムステルダムのゴッホ美術館を上回ります。ゴッホの自画像が素晴らしいです。
続いて、5階の印象派の大展示スペース。モネ、ルノワールなど名だたる画家の作品が一堂に会しています。こうやって見るとシスレーの絵も印象派としてはモネに並ぶレベルなのが分かります。セザンヌの作品群の素晴らしさにも魅了されます。詳しくは詳細編で書きましょう。
0階では、象徴派のギュスターヴ・モローの5枚の完成作品にあまりの素晴らしさに驚天動地。ここまで描くかという超精密さで彼の内面世界(心象風景)をきらびやかに表現しています。

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ギュスターヴ・モロー美術館には膨大な未完成作品が展示されていますが、あれらがすべて完成されていたたら、凄かったでしょうね。
シャヴァンヌの作品のコレクションも素晴らしく、美しさの限りを尽くした作品が並びます。芸術性の観点では賛否両論あるでしょうが、とりあえず、美しければ、いいんじゃないでしょうか。saraiの目は楽しめました。
1時間半ほどで特急で好きな作品だけをピックアップして、楽しみました。詳細編でのご紹介をお楽しみに。ゴッホ、ゴーギャンの作品以外は写真撮影ができるようになっていました。以前は撮影禁止だったんですが、ヨーロッパの趨勢は写真撮影を可にしているところが増えてきています。日本でも特別展は別ですが、常設展は写真撮影を許可してもらいたいものです。美術の大衆化が進むでしょう。

北駅で荷物をピックアップして、空港へ。エール・フランスが搭乗手続きを何でもかんでもセルフ・サービスにしているためか、荷物のドロップオフに始まり、出国審査、手荷物検査すべてが大行列。超余裕の時間に空港に行ったのに、搭乗ゲートに着いたときには既に搭乗が始まっていました。普通はWEBチェックインしていれば、荷物のドロップオフなそは簡単に終わる筈です。今回のエール・フランスは確かに安かったのですが、すべてが効率化、オプション化でLCCみたいになっています。これじゃ、リピーターになる気はしませんね。少々高くてもANAのサービスが素晴らしいと思えてしまいます。ただ、エール・フランスはシステムが悪いだけで、スタッフの人たちの対応がよかったのには救われました。

羽田までは機内食を食べた後はぐっすり。朝食で起こされました。羽田には何と予定よりも40分も早い到着。3週間ぶりに日本ということで、配偶者の強い提案で4階の江戸小町でお蕎麦を美味しく食べて、旅の成功を祝いました。

今回だけはヨーロッパの現地で書けませんでしたが、これもリアルタイムのレポート。今回でリアルタイムレポートの完了。旅のグランド・フィナーレです。



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テーマ : ヨーロッパ
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ホテルあれこれ・・・目標の1泊1万円は?

旅先からのレポートで、あまり触れられなかったホテルの話を最後にまとめて、ご紹介しておきましょう。

saraiの旅はそんなにけちけち旅行じゃありませんが、と言って、もちろん豪華旅じゃありません。ホテルについても、原則を決めています。

 1、2人で100ユーロ、できれば1万円
 2.朝食なしも可(安くするためとカフェなどでの食事を楽しむため、それに朝寝をしたいから)
 3.無料WIFI(ブログをアップするためには必須)
 4.バスタブ付き

さて、今回の旅でこの原則はクリアーできたでしょうか。特に宿泊料金が厳しいですね。
ホテルはウィーン、アムステルダム、ゲント、ブルージュ、ブリュッセル、パリの6つ。

ウィーンのホテルはNH ウィーン ベルヴェデーレ。Standard Double、朝食なし、無料WIFI、バスタブ付きで何と1泊9200円。完全に原則クリアー。場所も便利で空港へのSバーンの発着するレンヴェーグRennwegから歩いて5分ほど。71番のトラムの停留所もレンヴェーグRennwegかウンタレス・ベルヴェデーレUnteres Belvedereのどちらも歩いて5分。トラムで街の中心のオパー(ケルントナー・リンク)へ5分ほど。街歩きの拠点に最適でした。部屋の窓からはウィーン大学の植物園が広がり、その先はベルヴェデーレ宮殿。鳥の声が聞こえ清々しい環境で、散策するには最高です。気持のよい立地です。

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部屋も広くて快適。電気ポットもあるので、お茶も飲めます。最悪だったのはネットの遅さ。あまりの遅さに寝不足になりました。ブログを書かない人には関係ないですけどね。

アムステルダムのホテルはホテル ピート ハイン。Standard Double、朝食なし、無料WIFI、バスタブ付きで1泊15300円(約120ユーロ)。かなりお高いです。前回の旅で、アムステルダムで安いホテルに泊まったら、チェックインにも手間取り、エレベーターもなし。さらに最悪だったのは建物の入り口の鍵が開けづらくて、最後はドアに指を挟んで怪我をするというおまけ付き。これがトラウマになったので、今回は高くてもまともなホテルにしました。もっとも前回泊まったホテルは、専用の素晴らしいサウナがあって(共用ですが、宿泊者がsarai達だけ)、気持ちのいい時間を過ごせましたので、悪いばかりじゃなかったんですけどね。
今回のホテルはフォンデル公園に面する環境のよい場所にあり、空港へのバス停からも近く、トラムの停留所も歩いて5分ほど。トラムで街の中心のダム広場やアムステルダム中央駅へ直通で行けます。国立美術館、ゴッホ美術館、市立美術館へも歩いて5分から10分と便利でした。すぐ近くに、シーフード・バーという海鮮料理の美味しいお店があったのもよかったです。大きなパン屋さんも近くにあり、朝食に便利(茹で卵もフレッシュジュースもある)。日曜が休みなのは仕方がありませんがね。部屋の窓からはホテルの中庭が見え、周りの住居からは市民の生活ぶりが垣間見れて面白かったです。部屋も広くて、立派。ネットは高速で便利。電気ポットはありませんでしたが、頼めば貸してもらえるようです。
これがホテルの正面です。自動ドアなので、指を挟む恐れはありません。

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ゲントのホテルはボートホテル。ホテル ザ ボーテル。ダブルルーム、朝食込み、無料WIFI、バスタブ付きで1泊17000円(125ユーロ)。とてもお高いです。一度ボートハウスに泊まってみたかったし、朝食込みなので、こんなものでしょう。確かに運河沿いに係留されているボートハウスでした。

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このホテルはゲント・ダンポールト駅Gent-Dampoortから歩いて10分ほどと便利。街の中心へも歩いて15分ほどです。部屋はまあまあの広さ。肝心のボートハウスですが、少しも揺れないのでボートと思えず、部屋にいるとボートの実感がないのが残念。ボートハウスらしいといえば、部屋の電気を点けるときは必ず窓をしっかり閉めないと、虫が大量に入り込むとのこと。実際、窓が開いていたら虫が入ってきました。でも、締め切ると扇風機を最強で回しても暑いんです。寝るときに電気を消して、窓を開けました。これがボート生活の常識! ネットは高速。電気ポットはありませんでしたが、キッチンに行って拝借してしまいました。

ブルージュのホテルはホテル ブールゴンシュ ホフ。ダブルルーム カナルビュー、朝食込み、無料WIFI、バスタブ付きで1泊19000円(約150ユーロ)。今回の旅で一番高いホテルです。ブルージュだけは、大枚はたいても運河沿いの眺めのよいホテルに泊まりたかったんです。部屋の窓から眺めた夜の運河の風景は幻想的でした。

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このホテルは旧市街のど真ん中。ブルージュの街歩きに最適。朝の散策は素晴らしい思い出になりました。部屋も広くて、ネットも高速。電気ポットもあり、お茶が飲めました。

ブリュッセルのホテルはホテル ブルーム。スタンダード ダブルルーム、朝食なし、無料WIFI、バスタブ付きで1泊9000円。完全に原則クリアー。場所も便利でメトロのボタニーク駅の目の前。ブリュッセル南駅へもメトロで乗り換えなし。92番と93番のトラムの停留所も目の前です。市街の中心へもトラム1本で行けます。目の前にコンビニみたいなスーパーがあるのも便利。朝食やちょっとした夜食には困りません。
部屋は広くてお洒落。ちょっとしたデザインホテルです。

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電気ポットもあるので、お茶も飲めます。ネットも超高速。我が家よりも早いかも。

ところで、このホテルは宿泊料は前払いしていたのに、チェックイン時に保証金50ユーロを支払わせられました。心外です。チェックアウト後、数日で返金するとのことですが、果たしてちゃんと戻ってくるでしょうか? こういうことは今までで初めての経験です。ということで、このホテルはお勧めできません。(50ユーロは無事に返金されました。当然ですけど、なんだかホッとしました。)

パリのホテルはレジデンス ブランシュ。Comfort Studio, Kitchenette、朝食なし、無料WIFI、バスタブなしで1泊13000円。パリのホテルはやはり高いですね。今回の旅で、ここだけがバスタブなし(事前にリクエストを怠りましたが、パリはバスタブなしが多い)。ここは、よく言えばパリのアパルトマンのようなスタイルで、ちょっとしたキッチンがついています。驚いたのはベッドの真上の天井に取り付けられた巨大な扇風機。落ちてきたら大怪我しそうで、高速回転ははばかられました。建物の入り口は、暗号キーを打ち込む方式。チェックインの際は、ブザーを押してレセプションを呼ぶのですが、saraiが到着したときはレセプションのおじさんが10分ほど離席していたらしく、応答なしでやきもきしました。なお、レセプションは2階(日本式に言うと)にあり狭い階段しかなくて、重い荷物を運びあげるのに大変でした。レセプションから部屋へは小さいですがエレベータがあります。部屋はまあまあの広さ。キッチンがあるので、近くのパン屋さんやスーパーで買い物すれば、アバルトマン生活も楽しめるかも。場所はモンマルトルのど真ん中なので、食事や買い物には困りません。お隣はムーラン・ルージュです。

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窓を開けているとモンマルトらしい賑々しさで煩いですが、窓を閉めると静かです。暑くて窓を開けると大変ですが、幸いにもパリは暑さも一段落したので窓を閉められてラッキー。ネットは高速で文句なし。

今回は円安の波をもろに受けて、1泊平均で13,000円。1泊100ユーロはクリアできましたが、1泊10,000円の目標は大幅にオーバー。どのホテルもよいホテルだったので。よしとしましょう。


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テーマ : ヨーロッパ
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絶望的な暗さに慄然!ポリャンスキーのチャイコフスキー@横浜みなとみらいホール 2015.7.12

ヨーロッパで音楽三昧して、一昨日に帰国して、早速のコンサート。音楽からは離れられません。

今日のコンサートはチャイコフスキーの後期の交響曲3曲というヴォリュームたっぷりの内容でしたが、最後の交響曲第6番ロ短調「悲愴」について、コメントするだけで十分でしょう。それだけ、その第6番に照準を合わせた演奏でしたし、聴いているsarai自身も集中力を持って、第6番を聴くことができました。

その曲の開始はかすかな暗闇の淵から一筋の光を求めるか如きのあえぎのような響きです。どこまでも沈み込むような響きが続きます。次第に切迫した響きが高まっていきます。激しい高まりになりますが、実に暗い響きに慄然とします。人によっては爆演と感じるかもしれませんが、saraiにはロシアの厳しい冬を思わせる暗い響きを感じるのみです。このまま、暗い悲しみを湛えながら第1楽章を閉じます。第2楽章は美しい響きですが、ロシアの大地を思わせる重い響きでもあります。じっと何かに耐えながら、希望を抱こうとしますが、胸の奥底では空しい企てであることを承知しているかのようです。音楽だけはどこまでも美しく響いていきます。第3楽章は激しい気持ちの高まりを抑えきれずに次第に爆発していきます。凄い迫力ですが、底流には暗い気持ちが続いていることには変わりはありません。気持の高ぶりが頂点に達したとき。不意に第3楽章が終え、一瞬の間の後に悲痛な慟哭の響きが胸に突き刺さります。第4楽章の開始です。何と言う響きでしょう。人はこれほどの絶望に胸を引き裂かれなければならないのでしょうか。しかし、これは序章に過ぎませんでした。この悲痛な響きが続き、そして、短いゲネラルパウゼの後、さらなる慟哭が魂を揺さぶります。これには心が耐え切ることができません。暗い絶望感で深い闇の中に落ち込んでいくのみです。闇の中で暗い響きを聴き続けます。そして、低弦の下降音型が静かに消え去り、深い闇は閉じられます。その先には一筋の光もない虚無の世界。

ある意味、「悲愴」をストレートに表現した演奏だったかもしれません。しかし、これでは救いはどこにあるのでしょう。ロシアの深い闇を覗きこんでも、そこは無。マーラーだって、絶望の淵で必死に愛にすがろうともがきましたが、ここには救われない死があるのみ。

大変、インパクトのある「悲愴」の演奏でした。拍手ができないほどの強い感銘を受けました。ポリャンスキー、恐るべし!

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:ヴァレリー・ポリャンスキー
  管弦楽:ロシア国立交響楽団

  チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調Op.36

   《休憩》

  チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op.64

   《休憩》

  チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」Op.74

アンコールはなし。もちろんです。指揮者のカーテンコールをしなかった聴衆には不満です。


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ウィーンで音楽三昧:ナッシュマルクトの蚤の市

2014年6月14日土曜日@ウィーン

旅の20日目、今日は土曜日。土曜日にナッシュマルクトNaschmarktに隣接した広場で催される蚤の市に出かけます。何か目的があるわけではなく、単なる物見遊山です。実は、なかなか機会がなく、本格的な蚤の市へ行くのは初めてなんです。

ホテルを出ると、怪しい空模様です。雨さえ降らなければ、涼しいので良しとしましょう。

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ナッシュマルクトの最寄りの地下鉄駅カールスプラッツKarlsplatzに降り立ちます。駅前には緑の多い公園レッセル・パークResselparkもあります。街中のオアシスですね。

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ナッシュマルクトの方に向かいますが、エジプトのような妙な飾りの付いた建物が見えます。ウィーン工科大学の中央図書館Technische Universität Wien Hauptbibliothekです。

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ナッシュマルクトに到着。一番先に出迎えてくれるのは魚介料理のお店Nordseeです。

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八百屋さんの店先には、美味しそうなシュパーゲルが並べられています。

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ちょっと天気が下り坂ですが、涼しくて気持ちのよい温度。天気は悪くてもナッシュマルクトは大勢の人で賑わっていて、人波をかき分けながら蚤の市に向かって進みます。蚤の市の会場に着いてみれば、そこは地下鉄のケッテン・ブリュッケン・ガッセKettenbrückengasseの駅の前。先ほど地下鉄に乗って通過した駅です。なーんだ。

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ところで、このケッテン・ブリュッケン・ガッセ駅はここから見ると、さもない建物に見えますが、なんとオットー・ヴァーグナー設計の歴史的建造物です。近くに寄って見てみましょう。なるほど、正面にはそれらしい装飾がありますね。でも、カールスプラッツの旧駅舎には及ばないものに思えます。

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蚤の市はとても大勢の人で賑わっています。さすがに凄いものです。

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蚤の市の会場の横には、オットー・ヴァーグナー設計による有名な建物のマヨリカハウスMajolikahausが見えています。右隣の黄金装飾の建物はメダイヨンマンションです。なかなか派手な装飾ですね。

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蚤の市はガラクタの寄せ集めのように思えますが、それなりの価格が付けられているものもあります。この価値が分かる人には掘り出し物なのでしょうね。
お友達に陶磁器の金継ぎを趣味にしている人がいるので、お土産に古い陶磁器の欠けたものを安く購入しようと目論んでいましたが、残念ながらそんな掘り出し物は見つかりません。
これが雑多に並べられたガラクタの山。

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ガラクタの山から面白そうなものを見つけようとチェックしていると、キリがないほどです。

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小さな額を安価に入手。これはお友達へのお土産。

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ぶらぶら歩いていると、LPレコードが目につきます。ホルンの天才デニス・ブレインのモーツァルトのホルン協奏曲です。これがたったの1ユーロ。一応検盤して、埃こそ付いていますが大きな傷はなさそうなので、お買い上げ。

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満足して立ち去ろうとすると、そこのお兄ちゃんがsaraiを引き留めて、他のLPレコードも見せようとします。saraiも嫌いな方ではないので見せてもらいましょう。ジャケットもない袋だけのLPがあり、盤のラベルを読むと、何とオペレッタのオムニバス盤です。それも5枚もあります。これはセットでないと意味ないでしょう。5枚を3ユーロに値切って、商談成立。よく調べると、実際は3枚のセットと2枚のセットのようです。3枚セットの方は壊れた外箱があったので中身をチェックすると、なかなかよさそう。これは後で、オペレッタの師匠Steppkeさんに教えを乞いましょう。(後日、師匠が詳しい鑑定をしてくれました。感謝!)

さらに配偶者が、金継ぎのお友達のお土産にちょっとした皿を見つけ、これも入手。
お兄ちゃんも商談成立でご機嫌な様子です。

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これにて、蚤の市の見学とお買い物は終了。いよいよ小雨が降ってきたので、よい頃合いです。お店の人達は、商品を手早く片付け始めます。

ホテルに帰る前にランチを頂きましょう。ナッシュマルクト近くの有名カフェ、カフェ・ドレクスラーに入ります。ここは初めてです。これがカフェ・ドレクスラーの店内。お昼を過ぎているせいか、店内はがらがらです。

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ランチメニューはありませんが、終日食べられる朝食メニューがあるので、それを頂きます。ウィーン風朝食セット(大)とドレクスラー朝食セットにします。ゆで卵やスクランブルエッグなどがついた一般的な朝食メニューです。あまりに一般的すぎて、感動がなく肩透かしです。

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カフェから出ると、雨は上がっています。こちらのお天気は本当によく分かりません。蚤の市から戻りホテルに重い戦利品を置き、昼過ぎのウィーン交響楽団のコンサート会場のウィーン楽友協会に向かいます。カヴァコスのヴァイオリン、ユロフスキとウィーン響の重厚で個性的なマーラー版エロイカを聴き満足。詳細記事はここです。

夜のウィーン・フィルのコンサートまでには大分時間があります。そこで、ウィーンに来ている友人のえりちゃさんに電話をかけて強引に引っ張り出し、カフェ・シュヴァツツェンベルクでお茶とおしゃべり。
これは夕食代わりのオムレツです。美味しいです。

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デザートのケーキもいただきます。

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ようやくコンサートの開演時間が迫ってきたので、3人で急いで楽友協会に舞い戻ります。今度はウィーン・フィルの演奏会。3人で素晴らしい響きのブルックナー第4番(第3稿)の演奏を聴き、大満足。詳細記事はここです。

明日も音楽のダブルヘッダー。ウィーン・フィルの楽友協会コンサートとウィーン国立歌劇場のオペラ《ナクソス島のアリアドネ》を聴きます。素晴らしい音楽の予感がします。楽しみです。


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ウィーンで音楽三昧:R・シュトラウス展と楽劇《ナクソス島のアリアドネ》でうっとり

2014年6月15日日曜日@ウィーン

旅の21日目、今日は日曜日。朝の11時からウィーン楽友協会でウィーン・フィルのコンサートです。豪華なコンサートホールで配偶者もsaraiもご機嫌です。

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素晴らしいシューベルト、レーガー、モーツァルトが聴けました。コンサートの詳細記事はここです。

コンサート後、今日もコンサートをご一緒した友人のえりちゃさんとランチです。アルベルティーナ美術館に併設するお洒落なレストランDo&Coに行きますが、全席予約ということで断られてしまいました。それではと、カフェ・オーバーラーに河岸を代えます。こちらは空いています。奥の方のがらがらの席に落ち着きます。

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カフェ・オーバーラーにはランチメニューがあります。メインも2種類から選べます。
まずはスープ。

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メインの魚(ツァンダーZanderのフィレ)です。

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メインの肉(仔牛肉のステーキ)です。とても美味しい。

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Do&Coよりも安価なランチにありつけ、かえってよかったかも。
ケーキの美味しいことで有名なカフェ・オーバーラーらしく、デザートに小さなケーキが付きます。

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美味しそうなケーキが並んでいますが、もう食べられません。残念!

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食後、いったん友人とお別れして、saraiと配偶者はアルベルティーナ美術館の横にある劇場博物館Theater Museumに行きます。3日前から始まったR・シュトラウス展をのぞいてみましょう。エントランスのロビーは豪華ですね。

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展示会場の2階に上がります。

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展示会場の入り口です。オペラを中心にした展示のようです。

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これはオスカー・ワイルドの原作による楽劇《サロメ》の大詰めの場面。サロメが生首に口づけするところ。

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これは楽劇《サロメ》の公演ポスターですね。意外にウィーン国立歌劇場のものがありません。先鋭的な作品だったので、昔は国立歌劇場での上演は少なかったのかな。

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これはサロメ役の写真。大胆な衣装だったんですね。

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これはサロメの舞台衣装かな。綺麗ですね。

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指揮するR・シュトラウスを描いた絵画。珍しいですね。

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R・シュトラウスの頭部の彫像です。

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これは多分、楽劇《薔薇の騎士》をイメージした影絵ですね。実にお洒落です。

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これは楽劇《薔薇の騎士》のポスター画。

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これは楽劇《薔薇の騎士》の登場人物を描いた絵。衣装のデザイン画でしょうか。

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これは楽劇《薔薇の騎士》の主役の2人、オクタヴィアンと元帥夫人(あるいはソフィー?)の舞台衣装です。何て綺麗でしょう。

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最後にR・シュトラウスのデスマスク。波乱の一生でしたが、素晴らしい音楽を我々に残してくれました。

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サロメ、エレクトラ、薔薇の騎士などのオペラにまつわる詳細な展示でした。それぞれのオペラのコーナーでは音楽も流れています。耳馴染んだ曲につい聴き惚れてしまいます。特に、薔薇の騎士の甘い旋律はうっとりしてしまいます。
暗い話題であるナチスとの関連についても展示があります。オペラ《無口な女》の台本を書いたシュテファン・ツヴァイクがユダヤ人であったために、R・シュトラウスは執拗な圧力をナチスから受けます。要職を解かれますが、オペラ《無口な女》からツヴァイクの名前を消すことは頑として撥ね付けます。その結果、このオペラ《無口な女》は上演3回だけで上演禁止になってしまいます。一方、作家のツヴァイクは夫妻で亡命を余儀なくされて、亡命先のブラジルで夫妻2人で自殺することになります。この旅で、ザルツブルグの丘の上を散策中、ツヴァイクの邸宅近くに銅像と彼の名前を冠した散歩道を歩いたことを思い出します。
このR・シュトラウス展でもツヴァイクは大きな扱いを受け、博物館の中庭には、ツヴァイクがヨーロッパからアメリカ大陸に亡命したときの汽船の大きな写真が展示されています。まるで、R・シュトラウス+シュテファン・ツヴァイク展みたいです。

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ツヴァイクの魂に報いるためにも、戦争反対の意思の輪を広げたいものです。(後日、みすず書房から出ている上下2巻のツヴァイクの自伝的随筆《昨日の世界》を読み、その強い反戦意識に感銘を受けました。それにしても、彼がブラジルのペトロポリスで自殺した直接の引き金が、日本軍のシンガポール占領だったことをどれだけの日本人が知っているでしょう。)

その後、友人のえりちゃさんともご一緒に、この旅で2回目のR・シュトラウスの楽劇《ナクソス島のアリアドネ》をウィーン国立歌劇場で鑑賞し、またまた感動。詳細記事はここです。

明日はウィーンの最終日。ポリーニのピアノ・リサイタルを聴きます。明後日にはミュンヘン経由で帰国の途につきます。長い旅も終盤です。


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ウィーンで音楽三昧:ベルヴェデーレ宮殿で見るシーレの名画

2014年6月16日月曜日@ウィーン/1回目

旅の22日目、今日はウィーンの最終日。明日は帰国です。最後にウィーンの美術館を1つのぞきましょう。無性に、エゴン・シーレの《家族》が見たくなりました。ベルヴェデーレ宮殿に行きましょう。

その前に腹ごしらえ。今日もウィーンのカフェで朝食です。初めて行くカフェ・ブロイナーホーフCafé Bräunerhof。王宮近くのミヒャエル広場からすぐのところにありますが、観光客の少ない穴場的存在のカフェです。やはり、行ってみると空いています。カフェでは、現地の人はたいていテラス席に座りますね。

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saraiはそのテラス席ではなく、建物の中の席に座るのが好みです。お洒落で落ち着いた空間が広がっています。

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今日は朝食セットにスープとオムレツをつけてみます。
まず、朝食セットのパン。

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そして、ジュースとコーヒー。

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ダンプリング入りのスープ。

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ハムとチーズは朝食セットに含まれます。

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これは追加したオムレツ。

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朝食セットのゆで卵。

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とても美味しくいただきました。

今日のウィーンもとってもお天気がいいので、フォルクスガルテンVolksgartenに寄って薔薇を見ていきましょう。カフェ・ブロイナーホーフを出て、シュテファンプラッツStephanplatzまで歩きます。ウィーンで最後に見る聖シュテファン大聖堂は、青空を背景にすっくと立っています。

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このシュテファンプラッツから地下鉄に乗って、フォルクステアーターVolkstheaterまで移動します。

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少し歩くと、フォルクスガルテンです。お天気もよく、緑の公園はのんびりとしています。

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盛りではなかったけれど綺麗な薔薇を見ることができて、配偶者はそれなりに満足したようです。赤い薔薇の向こうにヴォティーフ教会の尖塔も見えています。

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フォルクスガルテンからはD番のトラムでベルヴェデーレ宮殿に向かいます。
ベルヴェデーレ宮殿の上宮の横にはブルックナーが住んでいた建物があります。

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ここでブルックナーは名作の交響曲第9番を作曲しました。残念ながら未完に終わりましたが、作曲された第3楽章まででも不朽の傑作です。ブルックナーに挨拶しないで素通りはできませんね。これはブルックナーの住居だったことを示す銘板です。

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ベルヴェデーレ宮殿の上宮に向かいましょう。

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上を見上げると、真っ青な空にぽっかりと白い雲が浮かんでいます。自然の美しさを胸に、人間が作り出した美を味わいましょう。

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ベルヴェデーレ宮殿の上宮にある美術館に入場。クリムトの傑作も揃っていますが、シーレの傑作群が心を打ちます。
今回は、《4本の木》の素晴らしさに感銘を受けます。亡くなる前年の1917年に描かれた作品です。血のような色の夕日の空を背景に、4本の木の存在感が凄いです。単なる風景画ではありません。シーレの胸のうちはいかなるものだったのでしょう。

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シーレの最高傑作《家族》にも再会します。最晩年、1918年の名作に感動です。

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特に1917年と翌年の亡くなる1918年のシーレ作品はすべて傑作揃いで、saraiは大好きなものばかりです。
これは1917年に描かれた《抱擁》です。愛を超えて、優しい気持ちを永遠に封じ込めたような素晴らしい作品です。

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これは1918年に描かれた《エディット・シーレ、画家の妻》です。シーレの妻への深い愛情を感じさせる作品です。この年に妻エディットも亡くなり、後を追うようにシーレ自身も亡くなるとは・・・。

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この美術館では、クリムトの名作を無視することはできませんね。最高傑作の《接吻》です。1907年から1908年の作品です。何と言う美しさでしょう。

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もう1枚、《アダムとイヴ》です。《接吻》の約10年後、1917年から1918年に描かれました。《接吻》のように豪奢な金箔が使われることはなくなりましたが、官能美は永遠にクリムトのトレードマークです。クリムト最晩年の集大成の1枚です。

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珠玉の作品群を見て、とても満足。大好きなシーレの絵のほとんどは、ウィーンでしか見られませんからね。


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ウィーンで音楽三昧:ウィーンの旅は意外な終わりに・・・愕然!

2014年6月16日月曜日@ウィーン/2回目

ベルヴェデーレ宮殿でシーレの作品群を見終えて、庭園を見下ろします。いつもながら美しい庭園です。その先にはウィーンの市街が見渡せます。先ほど間近に見た聖シュテファン大聖堂も見えています。

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ベルヴェデーレ宮殿の建物を出て、美しい庭園を歩いてみましょう。広大なベルヴェデーレ宮殿の庭園に出ました。まずはスフィンクス像に恒例の《タッチ》。何とも言えない手触りに満足(笑い)。これを見た観光客に笑われます。

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庭園から見たベルヴェデーレ宮殿(上宮)です。華麗なバロックの館です。

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庭園は長い間工事中でしたが、久しぶりに訪問するとすっかりと工事は完了し、美しい庭園はすっきりとした姿。

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スフィンクスは庭園にいっぱい設置されています。

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微妙にそれぞれ顔が違いますね。このスフィンクスは一体、何体あるんでしょう。少なくとも20体はありそうです。

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庭園には花がいっぱい。春ですね。

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ここからは庭園の形が異なっています。先に見えるのは下宮です。

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振り返ると、庭園の先に上宮の美しい姿が見えます。噴水から水も上がっています。今まで噴水から水が上がっているのは見たことがなかったような気がします。工事中でしたからね。

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少し角度を変えて眺めるとこんな感じ。美しい眺めです。

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バロック(風?)の噴水です。

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長旅で疲れていた配偶者もこの美しい庭園で穏やかな表情になりました。もう、明日は帰国です。ご苦労様でした。

ベルヴェデーレ宮殿の後は、最後のお買い物。お土産はスーパーが1番。ウィーン国立歌劇場近くにあるスーパー(グランドホテルの隣)で、ささっとお土産をゲット。これですべて終わったと言いたいところですが、どうしても寄りたいところがあります。そうです。saraiの1番のお気に入りのカフェ、カフェ・ハイナーです。ランチをいただきましょう。
ケルントナー通りの本店がお気に入りです。2階に上がります。そんなに混み合っていません。

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窓際の特上の席に落ち着きます。窓からはケルントナー通りを行き交う人たちを眺めることができます。

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ランチ・メニューをオーダーすると、まずはパンが運ばれてきます。

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次はスープ。

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メインはショートパスタ。

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もうひとつのメインはミックス・サラダ。

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相変わらずの美味しさです。それにやはり、ケーキも欠かせません。ポット入りの紅茶とともにいただきます。

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saraiのケーキはこれ。

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これで満足。ハイナーに寄らずして、ウィーンを去ることはできません。

ホテルに戻り一休みして、楽友協会での最後のコンサートに向かいます。ポリーニのピアノ・リサイタルを聴きます。ホール内に入るまで全く気が付きませんでしたが、なんと突然のキャンセルです。別の若いピアニストが代わりに弾くそうです。愕然・・・。人生、そんなに何でも思う通りにはいかないっていうことですね。代演のリサイタルは途中休憩まで聴きましたが、素晴らしい新人ピアニスト登場という事件にはなりえない凡庸な演奏。がっくりしながら楽友協会の外に出て、今夜のリサイタルのポスターを見ると、ポリーニの名前の上に代演者の名前がべったりと貼り付けられています。

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明朝、ミュンヘン経由で帰国の途につきます。長い旅もこれでほとんどオシマイですが、まだ旅は完全に終わったわけではありません。ミュンヘンでのお楽しみがあるんです。ポリーニのキャンセルにもめげないで、ミュンヘンで大いに楽しむことにしよう。


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束の間のミュンヘン:ウィーンを飛び立ち、トランジットのミュンヘンへ

2014年6月17日火曜日@ウィーン~ミュンヘン/1回目

旅の23日目、今日は帰国の日です。saraiは最後の最後まで楽しまないと気が済みません。ミュンヘン経由で帰国するので、そのミュンヘンでちょっと楽しんでいきます。
そのために、ウィーンからミュンヘンへは朝早い便に乗ります。早起きして、ホテルを早々にチェックアウトして、ウィーンの空港に急ぎます。いつもは朝が遅いsaraiも眠い目をこすりながらの朝立ちです。空港行のSバーンに乗るために、ウィーン・ミッテ駅のあるビルの前に着いたのは早朝6時半です。まだ薄暗いですね。

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地下プラットホームに下りるエスカレーターがありました。

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地下プラットホームに向かいます。

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ウィーン・ミッテ駅Wien Mitteのプラットホームに到着。

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プラットホームにスタンバイしたのは6時35分。予定していた45分発のSバーンにぴったりと間に合いました。

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シュベヒャート空港には予定通りの時間に到着し、余裕で孫たちへの絵葉書を投函。絵葉書よりも自分たちの帰国の方が早いですが、そんなことは気にしません。

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荷物を預けます。受け取りは最終目的地の羽田です。ということは、ミュンヘンでは荷物なしで身軽だということです。出国カウンターも抜けて、搭乗口に到着。ミュンヘン行のルフトハンザ機はスタンバイ中です。

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いざ、搭乗。無事に席に着きました。

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この搭乗機はEmbraer195。初めて乗る機種です。120人乗りの小さな飛行機です。ブラジルの航空機メーカー、エンブラエル社が製造・販売している小型ジェット旅客機です。

9時に飛行機は飛び立ち、ウィーンの街を眼下にします。

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さらば、ドナウ川。

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ジェット機はぐんぐん上昇しながら、ウィーンを離れていきます。

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早くもミュンヘンが近づいてきます。下に見えているのはイン川でしょうか。

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ジェット機は旋回しながら、どんどんと高度を下ろしていきます。

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10時にはミュンヘンの空港に降り立ちました。間近にエンブラエル社の小型ジェット旅客機を眺めます。美しい機体です。これが日本期待の新ジェット旅客機MRJのライバル会社の主力機なんですね。

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トランジットに過ぎないミュンヘンで5時間程の余裕時間を作り、空港から市内に繰り出します。トランジットのミュンヘンで最後の悪あがきです。

ミュンヘンの空港ビルの外に出ます。

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空港の地下駅からSバーンに乗ります。まずはチケットを購入。

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5人まで使用できるファミリー用の1日乗り放題チケットを購入します。21.3ユーロです。

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空港からS8(Sバーン)に乗り、マリエン広場Marienplatzに急行します。空港から約40分です。

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電車がやってきました。ミュンヘンでの貴重な5時間の滞在を楽しみます。

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まずはミュンヘンの朝ごはんを楽しみます。


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束の間のミュンヘン:パウラーナーで朝食を

2014年6月17日火曜日@ウィーン~ミュンヘン/2回目

ミュンヘンに到着後、空港からSバーンに乗って、約40分後、マリエン広場Marienplatzの新市庁舎前に立ちました。11時を少し過ぎたところです。これからは時間との闘いでもあります。午後3時過ぎには羽田行きの飛行機に乗っていなくてはなりませんからね。

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この広場をゆっくりと見ていたいところですが、ぐずぐずしている時間はありません。ミュンヘンでの朝ごはんを楽しむことにしているんです。マリエン広場の東側、旧市庁舎の建物のほうに向かいます。

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イム・タール通りをまっすぐ進むと、目的のお店、パウラーナー・イム・タールPauraner im Talが見えてきます。ミュンヘン白ビールの老舗醸造元パウラーナー・ビールPaulaner Brauereiの直営店です。

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勝手知ったるお店に入り、どんどん奥に進んで、中庭のテラス席に直行。明るくて気持ちのよい空間です。

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早速、朝ごはんを注文。
まずはパウラーナーの白ビールWeißbierが運ばれてきます。

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続いて、お目当ての白ソーセージWeißwurstです。この白ソーセージと白ビールの黄金の組み合わせこそ、ミュンヘンの美味しい朝ごはんです。

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白いポットのお湯の中に浮かんでいる白ソーセージを1本すくって、皿の上に移します。

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ナイフとフォークで白ソーセージの皮をくるりと剥きます。これで準備完了。

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ズューサー・ゼンフSüßer Senfという甘酸っぱい辛子でいただくのがミュンヘン流。いつ食べても、ミュンヘンの白ソーセージは絶品です。配偶者も満足そうです。無理しても来た甲斐がありました。
満足してお店を出ます。また、いつか、朝ごはんを食べに寄りましょう。

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ミュンヘンへ寄った用事はまだ、これだけでは終わりません。次の目的地に急ぎましょう。まずはマリエン広場に戻ります。旧市庁舎の建物が見えていますね。

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いっぱいの自転車が駐輪しています。ミュンヘンも自転車王国なんですね。

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通りの向かいには、白ソーセージ、白ビールの美味しいお店ヴァイセス・ブロイハウスWeisses Bräuhausが見えています。パウラーナー・イム・タールのライバル店です。どちらのお店も同じくらい美味しいのですが、パウラーナー・イム・タールには中庭のテラス席があるのがプラスポイントなんです。

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広場の手前にはこんなものが・・・。何故、こんなものが??

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マリエン広場に到着。しかし、ここは通過するだけ。

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広場のエスカレーターで地下に直行。

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マリエン広場の地下を歩いて、地下鉄のプラットホームに向かいます。

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マリエン広場から地下鉄を乗り継ぎ、青騎士の館、レンバッハ美術館に向かいます。今日の目的地です。
レンバッハ美術館の最寄り駅ケーニヒスプラッツKönigsplatzに到着。地上に出ると、大きな広場があります。広場の中央には、白亜の堂々たる建物があります。これはプロピュライオンPropyläenという門です。古代ギリシャの神殿へ通じる門を模しているようです。バイエルン王のルートヴィヒ1世が1816年に造ったものです。ルートヴィヒ1世は、ノイシュヴァンシュタイン城などを造ったバイエルン王国最後の国王ルードヴィヒ2世の祖父です。

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さあて、レンバッハ美術館はどれかな。広場の先にそれらしい建物が見えます。しかし、これは違いました。グリュプトテークGlyptothekという古典古代彫刻の美術館でした。

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レンバッハ美術館はこれでした。結構、地味な建物ですね。

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ともあれ、この美術館に向かいます。初見参です。これまで、この美術館が工事中でなかなか見る機会に恵まれませんでした。ようやく、青騎士の殿堂で、青騎士の美術作品を鑑賞できます。ワクワクです。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のフランツ・マルク

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/3回目

ケーニヒス広場からレンバッハハウス美術館を視認しました。はやる気持ちを抑えながら、美術館に向かいます。

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通りを渡ると、目の前がレンバッハハウス美術館です。

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思えば、2001年にミュンヘンを訪れた際に時間切れで行き損ねて、それ以降は行くたびに工事中のための閉館のために入れず、およそ15年越しの夢が叶います。実は15年前はそれほど、青騎士Der Blaue Reiter(20世紀初頭の前衛芸術運動の名称です)には興味がなかったのですが、10年ほど前から興味を持ち始めたんです。今や、青騎士を代表する画家たち、カンディンスキー、マルク、マッケ、ミュンター、クレー、ヤウレンスキーはお気に入りの画家。とりわけ、クレーとマルクは大好きな画家です。3年前には、青騎士の郷とも言えるムルナウとコッヘルの町も訪れて、ミュンターハウスとフランツ・マルク美術館で彼らの作品を鑑賞しました。そして、遂に本丸のレンバッハハウス美術館に足を踏み入れます。

まずは窓口でチケットを購入。一人10ユーロ。結構、お高いですが、構いませんよ。

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入ると、この美術館は結構、広くて、戸惑います。肖像画家フランツ・フォン・レンバッハの邸宅が美術館になっていると聞いていたので、もっと狭い建物だと思っていました。肝心の青騎士のコレクションは2階にあるようです。美術館にするためにかなり増築した模様です。2階へ急ぎましょう。

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2階にDer Blaue Reiter(青騎士)という展示室があります。さあ、いよいよです。

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わー、あります、あります。青騎士の絵画がずらっと並んでいます。真っ先に目に飛び込んできたのは、フランツ・マルクの強烈な色彩の動物の絵です。saraiも好きですが、それ以上に配偶者が大好きなんです。2人で目を合わせて、喜び合います。やっと見ることができました。ということで、まずはフランツ・マルクの作品だけを選別して、ご紹介します。

フランツ・マルクは1880年に生まれ、第1次世界大戦に従軍し、1916年のヴェルダンの戦いで36歳の生涯を閉じます。画家として活躍したのは10年足らずです。パリ留学中にゴッホの絵を見て、自由なタッチの絵画に目覚め、ミュンヘンでカンディンスキーと運命的な出会いを果たし、彼と青騎士を結成し、抽象絵画の道を目指すことになります。日本ではあまり知られていない画家ですが、これから、評価が高まっていくことを願っています。そのマルクの素晴らしいコレクションがここにあります。

《帽子の少年》です。1902年、マルク22歳頃の作品です。これはまだ従来の枠に囚われた普通の絵。まだ、マルクらしさは見られません。

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《インダースドルフIndersdorf》です。1904年、マルク24歳頃の作品です。この絵もまだまだ、マルクらしさの片鱗も見られません。

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《豹》です。1904年、マルク24歳頃の作品です。これは珍しい彫刻作品。なかなか動物の存在感が感じられます。しかし、マルクの世界ではありません。

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《オークの木》です。1909年、マルク29歳頃の作品です。ゴッホの影響が如実に感じられますね。

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《放牧された馬Ⅰ》です。1910年、マルク30歳頃の作品です。マルクはまだ、自分の世界が掴めていませんね。

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《猫と裸婦》です。1910年、マルク30歳頃の作品です。マルクには珍しい裸婦を描いたもの。淡い色彩も珍しく、マルクの絵とは思えません。

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《青い馬Ⅰ》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。突如、マルクが目覚めました。まず、色彩の固定観念から解き放たれたようです。ちなみに彼の死後ですが、ヒトラーがマルクの馬の絵を見て、馬が青い筈はないと言って、退廃芸術家の烙印を押したそうです。本当にヒトラーは芸術音痴だったんですね。

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《牛、赤と緑と黄色》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。これは素晴らしいですね。遂にマルクの世界が一挙に爆発したという感じです。

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《雪の中の鹿》です。1911年、マルク31歳頃の作品です。これは表現手法だけの素晴らしさを超えて、怯える鹿に託して、自らの感情や世界の緊張感を表した作品と言えます。

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《猿》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。マルクの様式が確立されて描かれていますが、色彩は比較的、落ち着いています。

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《森の中の鹿Ⅱ》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。この頃は1作1作、目覚ましいばかりの躍進が見られます。色彩の勢いの凄まじさはどうでしょう。

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《修道院の庭の鹿》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。これは色彩のキュービズムですね。実際、彼はプリズムで色彩の分割を試みていたようです。もう、彼の勢いはとどまるところをしりません。

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《雨の中で》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。色彩のキュービズムを通して、彼は世界の痛みを表現しているかのようです。時代の緊張感を写し取ったのでしょうか。戦争勃発はすぐそこまで来ています。

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《虎》です。1912年、マルク32歳頃の作品です。マルクの代表作のひとつです。厳しい色彩表現とともに、あえて具象性を高めて描いた虎の鋭い眼光の先には何が見えているんでしょう。

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《マンドリル》です。1913年、マルク33歳頃の作品です。マンドリルはアフリカに生息する猿だそうです。淡い色彩で抽象性を高めた作品です。彼がもっと長生きできたら、素晴らしい抽象画を生み出していったことでしょう。かえすがえすも残念です。

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《鳥たち》です。1914年、マルク34歳頃の作品です。もう世界は緊張感の頂点に達しました。色彩で切り裂かれた鳥たちは我々人類の象徴でしょうか。これはマルクの遺した人類への警告です。起こしてはならない戦争でした。そして、それは2度までも起こり、現在の人類も逃れることのできない呪縛のなかにあります。マルク自身はこの2年後にその戦争で命を落とします。暗くて厳しい作品に悲鳴を上げたくなります。

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ここでは見られませんでしたが、同じ最晩年の作と言える《戦うフォルム》はミュンヘンの別の美術館ピナコテーク・デア・モデルネ (Pinakothek der Moderne)にあるそうです。壮絶を極めたその作品はもうマルクらしい作品とは言えないかもしれませんが、次はその作品を見て、マルクの魂に追悼を捧げましょう。

レンバッハハウス美術館には、マルク以外にも青騎士の素晴らしい作品が膨大にあります。是非、明日以降もsaraiに付き合って、その素晴らしい作品群を鑑賞してくださいね。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、1/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/4回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞します。
そもそも、レンバッハハウス美術館は第2次世界大戦で破壊された後、再開されるにあたり、現在のように青騎士の膨大なコレクションを展示する美術館として生まれ変わりました。それは青騎士のメンバーの一人であったガブリエーレ・ミュンターが彼女のコレクションを寄贈したのが契機でした。そのコレクションの根幹をなしたのがワシリー・カンディンスキーの90点以上の油彩作品だったんです。彼女はかって恋人だったカンディンスキーのコレクションをナチスから守り抜きました。カンディンスキーの前衛的な抽象絵画はナチスから退廃芸術の烙印を押されていました。その彼女が死守した貴重なコレクションは1957年にミュンヘン市に寄贈され、青騎士の芸術が永遠に残されることになりました。

カンディンスキーはモンドリアンとともに抽象絵画の始祖と呼ばれています。1866年にモスクワで生まれたカンディンスキーは1896年にミュンヘンに移り、本格的な芸術活動を始めます。30歳という遅いスタートでした。このミュンヘンで1910年頃に抽象絵画の道を切り開きます。ミュンターと生活を共にしたのはこの時期です。青騎士の活動もこの頃です。第1次世界大戦の勃発とともにミュンターとも別れて、ロシアに移り住みます。ロシアの新しい芸術活動の中心になりますが、スターリンの台頭を機にドイツに移り、バウハウスで教鞭をとりながら芸術活動を続けます。このバウハウス時代がカンディンスキーのもっとも充実した時期でした。ナチスの台頭でバウハウスを追われたカンディンスキーはフランスに移り、第2次世界大戦の終焉する直前、1944年にパリ郊外で亡くなります。最晩年はナチスの弾圧もあり、不遇な最期でした。

カンディスキーの作品群を見ていきましょう。

《ミュンヘン、イーザル川》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。ミュンヘンで本格的に絵画を描き始めて5年。まだ、普通の風景画ですね。

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《Schleuseのための習作》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。

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《アクチョールカ─秋》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。 アクチョールカはウクライナ北東部,スームイ州の都市です。モネの絵画に心酔していたとあって、印象派的な作品です。

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《ミュンヘン、イギリス庭園》です。1901年、カンディンスキー35歳頃の作品です。この頃はこういう印象派風の作品で腕を磨いていたようです。

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《シュヴァービング、ニコライ広場》です。1901~1902年、カンディンスキー35~36歳頃の作品です。風景画家のようにこういう作品を量産していますね。

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《湖のある山の風景》です。1902年、カンディンスキー36歳頃の作品です。このあたりは将来のムルナウの絵を予感させるものも感じられます。

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《コッヘル―シュレードルフ》です。1902年、カンディンスキー36歳頃の作品です。

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《オランダ、ビーチチェア》です。1904年、カンディンスキー38歳頃の作品です。タッチが大胆になり、作風が変わってきました。

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《サンタ・マルゲリータ》です。1905年、カンディンスキー39歳頃の作品です。

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《セーヴル》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《サン・クルー公園─秋Ⅱ》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《ラパッロの入江》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。

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《馬上のカップル》です。1906年、カンディンスキー40歳頃の作品です。この時期、こういう面白い画風になっていました。

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《色とりどりの人生》です。1907年、カンディンスキー41歳頃の作品です。なかなかの作品です。ただ、この画風を極めてもそれなりの画家で終わっていたでしょう。

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《オーバーラウ近郊 秋の習作》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。明らかに大きな変化が見られます。風景の中の形と輪郭がぼやけてきます。

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《ムルナウ - 《塔のある風景》のための習作》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。少しずつ変化していますが、まだ、大きくは踏み込めてはいませんね。

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《ムルナウ - グリースブロイの窓からの眺め》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。セザンヌ風に平面的な描き方になっていますが、まだ、色や形へのこだわりが残っています。それでも色彩感覚はかなり自由になっているのが面白いですね。

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《ムルナウ - シュタッフェル湖の眺め》です。1908年、カンディンスキー42歳頃の作品です。この頃は本当にセザンヌ風の美しい風景画を描いていました。

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カンディンスキーが新しい作風に踏み込むのは翌年のムルナウの風景からです。ここまでは試行錯誤しながらの模索期間でした。
次回はカンディンスキーが大きく弾けるところを見ていきましょう。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、2/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/5回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

前回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞しています。前回は1908年までの作品を見てきました。まだ、カンディンスキーが自己の様式を確立するまでには至っていませんでした。今回は1909年にバイエルンの自然の中に佇むムルナウの町で一気に自分の進む道を見つけていく過程を見ていきます。この2年間の彼の充実ぶりはどうでしょう。この過程を経て、その後、1911年に青騎士が生まれることになります。まさにこの2年は青騎士の誕生の歴史でもあります。

《ムルナウ - 虹の見える風景》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。まだ、ものの形はありますが、細かいところは一切デフォルメされています。色も同様です。抽象化への道がいよいよ始まりました。

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《ムルナウ - 城と教会》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。ものの形や色はその具象性を示すためではなく、画面を構成する要素として、画面全体の構成美を高めることに主眼があるようです。画家の美意識を覗き見ているようで、楽しいですね。

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《ムルナウ - グリュン小路》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。抽象化はまだ途上です。

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《ムルナウ近郊の鉄道》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは素晴らしい。具象性と抽象性のバランスがとれています。ただ、抽象化への道は止まることはありません。

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《コッヘル - まっすぐな道》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。コッヘルはムルナウ近くの小さな村です。この作品ではモノは単純化されることによって、その存在感を増しています。モノは単純な直線とべた塗りの色彩で構成されるようになってきました。絵画の本質を問うような作品です。

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《コッヘル - 墓地と牧師館》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。抽象化されない部分が残りますが、具象の判別は難しくなってきました。

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《コッヘル - 墓地》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは粗いタッチの印象派とも見紛う感じ。この時代は1作1作が実験的であったんでしょう。抽象化は目的ではなく、美に至る過程をいかに見い出すかが問題ですからね。

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《コッヘル - 散歩道と家並み》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これは対象の選択がよかったようです。抽象化が自然なプロセスに感じられます。

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《 室内(私の食堂)》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これはマティスを思わせる色彩ですね。具象性の高い作品です。

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《山》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。いやはや、この作品あたりになると、もう、何が描かれているかは判然としません。赤と青と緑が盛り上がったところが山なんだろうとしか、言えません。一気に抽象化が進んでしまいましたね。実は山の上にはモスクワのクレムリンの玉ねぎ型の塔が描かれていて、山の麓には2人の人間がいます。もちろん、実際に見た風景ではなく、画家の心象風景なんでしょう。しかし、何が描かれているかが重要ではなく、シンプルな形と色の持つ根源的とも言える美感が伝わってくる作品です。

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《馬》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。白馬を中心モティーフにした抽象的作品です。そう言えば、カンディンスキーの作品にはよく白馬が登場します。上の《山》にも白馬に乗った人が描かれていました。

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《オリエント風》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。これがオリエント風かどうかはさておき、実にリッチな色彩に満たされた作品です。画面上の色の構成を追及して、素晴らしい美感に到達しています。具象的な作品では、こういう賑やかな色彩構成は難しいでしょう。

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《インプロヴィゼーションⅡへの習作》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。カンディンスキーは自らの絵画論「芸術における精神的なもの」の最終章で、彼の考える《純粋芸術》(抽象絵画とも言っていいかもしれません)に至る3つの構成について述べています。1つ目は外面的な自然・対象から受ける直接的な印象を描く《Impression:印象》。2つ目は無意識のうちに心の中でわきあがる印象を描いた《Improvisation:即興(インプロヴィゼーション)》。3つ目はそれをじっくりと心の内面で練り上げて作り出す《Composition:コンポジション》。そのいずれも抽象絵画へのアプローチ手段となりうるものですが、どうしても、印象よりも、インプロヴィゼーションやコンポジションのほうが抽象性が高くなっていったのはもちろんのことです。カンディンスキーはこの3つの系列の絵画シリーズを並行的に制作していきました。この作品はインプロヴィゼーションの先駆けとも言える作品です。この後、5年間でこのインプロヴィゼーション・シリーズは30枚ほど描かれます。カンディンスキーの内面にある記憶や想像が描かれているので、その抽象度は極めて高いものです。

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《インプロヴィゼーション6(アフリカ)》です。1909年、カンディンスキー43歳頃の作品です。インプロヴィゼーションとしては意外に明快な作品ですが、それは雰囲気だけ。ディテールは何も分かりません。明るい色彩が印象的です。

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《教会のある丘の風景》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。色彩のかたまりの持つ力強さが画面に力を与えている作品です。

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《教会のあるムルナウ》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。これは色彩の具象性すらも奪ってしまい、曖昧模糊とした画面構成になっています。柔らかいカラートーンは分かりますが、ここまでやられると、saraiもお手上げです。

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《牛》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。まあ、言われれば、牛と乳搾りをしている女性、その先の風景が見えますが、この作品の主眼はそういうものを描き出すことではないでしょう。ふんわりした柔らかいフォルムと淡い色彩でそこはかとない雰囲気を味わう作品だと感じます。

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《《秋 I》のための習作》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。マッシブな山とそれを輪郭とした幾何学的な町が見事に構成されています。

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《《冬Ⅱ》のための習作》です。1910年、カンディンスキー44歳頃の作品です。カンディスキーらしい暖色系の色彩と家々の鋭角的なフォルムで構成された作品です。

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カンディンスキーはこの2年間で抽象絵画の先鞭をつけ、その後の道筋も示しました。そして、ミュンヘンの前衛画家たちが青騎士という芸術運動の旗のもとに集うことになります。
次回はカンディンスキーの最終回。彼のその後の成熟した画業を辿ります。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のワシリー・カンディンスキー、3/3

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/6回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

前前回からは青騎士のリーダー、ワシリー・カンディンスキーの作品を鑑賞しています。前回は1910年までの作品を見てきました。カンディンスキーが抽象絵画を確立していく過程がそこにありました。今回はそれ以降、抽象絵画を育てて大きな花を開かせ、2回の世界大戦の激動の嵐の中を生き抜き、パリ近郊で不遇の生涯を終えるまでの歴史を辿ります。とはいえ、このレンバッハハウス美術館のコレクションは青騎士時代が中心で、ミュンヘンを離れた後の作品は最近、収集したり、貸与されているものがほとんどです。

《印象 III(コンサート)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。カンディンスキーの代表作です。20世紀初頭の傑作絵画で、今見ても前衛芸術の輝きを放っています。印象シリーズの1枚ですから、実際に彼自身が見た光景を内面で再構成したイメージが絵画化されています。この光景というのが1911年1月2日のシェーンベルクのコンサートです。一体、どんなコンサートだったのか、気になりますね。調べてみると、《3つのピアノ曲》 Op.11(1909年作曲)と弦楽四重奏曲第2番 Op.10(1908年作曲)です。シェーンベルクが後期ロマン派の音楽から無調音楽に到達していく過程にあった頃です。弦楽四重奏曲第2番は第4楽章にソプラノ独唱が加わり、しかも無調で書かれたという大変な作品です。この曲が書かれた1908年というと、シェーンベルクの妻マティルデ(ツェムリンスキーの妹)が画家ゲルストルと不倫の末、駆け落ちしようとした年でシェーンベルクは私的にも音楽的にも大きな変動がありました。ともあれ、分野は異なりますが、前衛芸術の創造を目指していた2人の天才が初めて出会ったのがこのとき。シェーンベルクの新鮮な音楽に触発して生まれたのがこの傑作です。黒い塊がグランドピアノで黄色い塊が音楽とされていますが、それよりも画面全体の勢いに注目したい絵画です。ちなみにこの年、後期ロマン派の天才作曲家マーラーが亡くなります。時代の変化を感じますね。

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《印象IV(地方警官)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これも印象シリーズ。この年、印象シリーズは6点制作されます。この作品はバイエルン王国の摂政宮ルーイトポルト90歳の誕生日を祝うミュンヘンでのたいまつ行列の様子をもとに描いたようです。

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《印象Ⅵ(日曜日)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。これが印象シリーズの6枚目。

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《インプロヴィゼーション18(墓石)》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。つい2年前のコッヘルの墓地の絵といかに変わったことでしょう。革命的との思える時代です。その進歩は留まるところをしりません。

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《インプロヴィゼーション 19A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

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《万霊節Ⅱ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。抽象化の道を突き進むカンディンスキーですが、こういう漫画チックとも思える人物が満載されている絵も描くのが面白いですね。これを見ても抽象化は目的ではなく、彼の美を求める感性のひとつの動きに過ぎなかったことが分かります。

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《インプロヴィゼーション 19》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。青が主調の色彩と2群に分かれた人物の行進は画家の内的な心情の吐露なのでしょう。意味するのは戦争を前にした時代と青騎士設立という画家の周辺の動きなど、複雑な思いを絵に託したものでしょうか。

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《聖ゲオルクⅢ》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。ドラゴンを槍で退治する聖ゲオルク伝説を描いたものです。カンディンスキーはこの題材を好んでいたようです。

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《インプロヴィゼーション 21A》です。1911年、カンディンスキー45歳頃の作品です。

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《モスクワの貴婦人》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。これはまた珍しい作品ですね。カンディンスキーがシャガールを模したか、またはシャガールがカンディンスキーを模したのかというような画風です。故郷をイメージすると、時代を遡ってしまうのでしょうか。

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《インプロヴィゼーション 26(ボート漕ぎ)》です。1912年、カンディンスキー46歳頃の作品です。題名を知って見ると、ああそうかとイメージできますが、オールの直線が画面に鋭い印象を与えています。

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《コンポジション7のためのスケッチ2》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。大作コンポジション7はトレチャコフ美術館に所蔵されていますが、色と形が画面中に氾濫する傑作です。その作品に向けて、何枚ものスケッチを重ねました。コンポジションは内面のイメージを練り上げていくものですが、実際、その内面での熟成状況をこれらのスケッチで我々も知ることができます。

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《コンポジション7のためのスケッチ3》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。前のスケッチ2に比べて、このスケッチ3ではイメージが明確になってきたことが分かります。コンポジション7へのイメージはほぼ熟成したようです。スケッチ1はもっと曖昧模糊としていたんでしょうね。スケッチ群とコンポジション7を並べた企画展をやれば、カンディンスキーの内的な動きが理解でき、その意図が完璧に理解できそうな気がします。ちなみに油彩の習作は10枚ほどあるそうです。水彩や素描の習作も合わせると30枚ほどになるそうです。コンポジションはやはり、内的な熟成のために膨大な時間をかけた作品群なのですね。そんなカンディンスキーの集大成とも言えるコンポジション・シリーズの作品数はさすがに10点ほどに留まるそうです。

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《インプロヴィゼーション 大洪水》です。1913年、カンディンスキー47歳頃の作品です。題名の大洪水というのは、ノアの方舟の大洪水のことです。絵を見ても判然とはしません。ちなみにコンポジション6は大洪水をテーマにした作品ですが(エルミタージュ美術館所蔵)、内的な熟成を重ねているので、具体的なイメージの湧く作品ではありません。同じ題材でインプロヴィゼーション、コンポジションの違いが実感できるものです。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.3の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。米国の企業家エドウィン.R.キャンベルの依頼で4枚のパネル画を制作しますが、これはその習作です。なお、No.4の習作は日本の宮城県美術館にあるそうですね。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.3の小さな習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

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《E.R.キャンベルのための壁画No.2の習作》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。

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《無題 インプロヴィゼーション I 》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。思うさま、大胆に描き切った作品です。

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《インプロヴィゼーション 渓谷》です。1914年、カンディンスキー48歳頃の作品です。カンディスキーがミュンターとヘレンタールの渓谷を訪れた際の記憶に基づいて描かれた作品です。やがて訪れる二人の別れを予感する憂愁が激しい色彩と形の下に塗り込まれています。

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《モスクワ - ズボフスキー広場》です。1916年、カンディンスキー50歳頃の作品です。なぜか具象的なイメージの作品です。10年前に描かれていてもおかしくないほど。

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《赤い染みⅡ》です。1921年、カンディンスキー55歳頃の作品です。モスクワ時代の作品。マレーヴィチなどの構成主義の画家と交流し、こういう幾何学的な画面構成の画風に転換していきます。

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《黒い四角の中で》です。1924年、カンディンスキー58歳頃の作品です。この作品はニューヨークのグッゲンハイム美術館から永久貸与されているようです。オリジナル?である有名な1923年の作品とは異なるようですが、そっくりですね。1923年の作品はグッゲンハイム美術館で展示されています。ますます、幾何学的な表現が進んでいます。

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《様々な部分》です。1940年、カンディンスキー74歳頃の作品です。1933年から亡くなる1944年までのパリ時代の作品。老いても前衛を走り続けるカンディンスキーの気概が感じられます。クレーの作品にも通じる音楽的な表現が印象的です。第2次世界大戦中の時代の暗さを感じさせない画家の透徹した内面が画面を支配して、見るものの心を慰めてくれますね。

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60点ほどのカンディンスキーの大コレクションを鑑賞できました。実は5年ほど前に三菱一号館での「カンディンスキーと青騎士」展で休館中だったレンバッハハウス美術館から出展された作品を見てはいました。この日鑑賞した作品の半分ほどは既にそこで目にしたものでした。しかし、さらに残りの作品も見ることができて、とても満足です。カンディンスキーの志した芸術とは何なのか。抽象絵画はどう生み出されたのか。少し分かったような気がしました。

まだまだ、レンバッハハウス美術館の膨大な青騎士コレクションの鑑賞は続きます。いましばらく、saraiにお付き合いくださいね。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のガブリエーレ・ミュンター

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/7回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回はガブリエーレ・ミュンターの作品を取り上げます。彼女は青騎士のメンバーの一人で、カンディンスキーの弟子。それ以上に1904年から1914年までカンディンスキーのパートナーとして生活を共にし、芸術活動のパートナーでもありました。第1次世界大戦の勃発でミュンヘンを去ったカンディンスキーとは別れることになりましたが、彼女がムルナウの家でカンディンスキーを始めとした青騎士の膨大なコレクションを守り抜き、第2次世界大戦後の1957年にそのコレクションをミュンヘン市に寄贈することを決めました。現在、我々がレンバッハハウス美術館で青騎士のコレクションに接することができるのは彼女のお蔭です。なお、ミュンターは1877年にベルリンで生まれ、1962年にムルナウで亡くなりました。

《風景画を描くカンディンスキー》です。1903年、ミュンター26歳頃の作品です。女性ゆえに公の芸術院への入学が拒絶されていました。入学できる絵画学校が限られていたミュンターは1901年の冬にミュンヘンのファランクスという芸術学校に入ります。そこで彼女は教鞭をとっていたカンディンスキーに出会います。1903年ころに2人は恋愛関係になります。周辺には秘密の恋愛でした。カンディンスキーには法律上の妻アーニャの存在がありました。1903年の夏、ミュンターはカンディンスキーの夏季講習会に参加して、風景画を学びますが、この作品はその頃のものでしょう。印象派の描き方を学んだ成果が表れています。

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《カルミュンツ》です。1903年、ミュンター26歳頃の作品です。1903年、ファランクスの芸術学校はミュンヘンからオーバープファルツ地方のカルミュンツに移りました。この作品はその頃のものです。後期印象派風の作風です。

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《サン・クルー公園の並木道》です。1906年、ミュンター29歳頃の作品です。同棲関係にあったミュンターとカンディンスキーは1906年6月から約1年間、パリ近郊のセーヴルに滞在していました。この作品はそこで描かれたものです。パリで印象派の作風を確立しました。明るい光が描かれています。

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《ムルナウ湿原の眺め》です。1908年、ミュンター31歳頃の作品です。セザンヌ風の平面的な画面構成が印象的です。このあたりから、ミュンター独自の優しく、暖かな画風が明確に表れてきたようです。

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《じっと聞き入る(ヤウレンスキーの肖像)》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。この頃にヤウレンスキーとヴェレフキンのロシア人カップルと知り合うようになり、ヤウレンスキーが新たに修得していた黒い輪郭線で縁取りした画面構成を学ぶことになります。ミュンター独自の感性もあいまって、見事な作品に仕上がっています。平面的でシンプルな画面構成は彼女なりの抽象化であったようです。

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《マリアンネ・フォン・ヴェレフキン》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。ヤウレンスキーの裕福なパトロンであった男爵令嬢ヴェレフキンです。ヴェレフキン自身もヤウレンスキーに絵画の手ほどきをした優れた女流画家でした。そういう背景を見事に表現した作品と言えます。

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《ヤウレンスキーとヴェレフキン》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。ヤウレンスキーとヴェレフキンという奇妙なカップルを風景の中に見事に描き込んでいます。

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《コッヘルの墓地の十字架》です。1909年、ミュンター32歳頃の作品です。この頃、ミュンターとカンディンスキーは似たような画風の作品を描くようになっていきます。相互に影響しあったようです。後にカンディンスキーはむきになって、ミュンターからの影響を否定するようになります。弟子でかつ私生活上のパートナーから影響を受けたことはカンディンスキーのプライドが許さなかったのでしょうか。この作品もカンディンスキーに影響を与えた1枚かもしれません。

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《秋の風景》です。1910年、ミュンター33歳頃の作品です。これはシンプルな構成の見事な風景画ですね。カンディンスキーが描いたと言えば、信じてしまいそうです。しかし、カンディンスキー以上の出来栄えかもしれません。カンディンスキーが影響を受けるのも仕方がないほどの素晴らしい作品です。

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《冬の村の道》です。1911年、ミュンター34歳頃の作品です。この作品も素晴らしいですね。カンディンスキーとどこが異なるのか、考えてみましたが、彼女の作品はある意味、表現主義の1歩手前で踏みとどまっているような気がします。それが彼女の美質であり、限界でもあったのかもしてません。見るものの心をどこか、和ませてくれるような絵画です。

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《テーブルに向かう男(カンディンスキー)》です。1911年、ミュンター34歳頃の作品です。1909年、ミュンターはムルナウで家を購入します。そこはカンディンスキーと一緒に過ごした家であり、マルクやヤウレンスキーが集った家でもあります。その家のテーブルで寛ぐカンディンスキーの姿を描いたものでしょう。5年後の破局は微塵も予感させません。

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《カンディンスキーとエルマ・ボッシ》です。1912年、ミュンター35歳頃の作品です。エルマ・ボッシはミュンヘン新芸術家協会に属していた上流画家。この作品もムルナウの家の中が描かれています。

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《室内で》です。1913年、ミュンター36歳頃の作品です。ムルナウの家の室内だと思われます。ミュンターの自画像でしょうか。

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《聖ゲオルクとドラゴン》です。1913年、ミュンター36歳頃の作品です。ミュンターとカンディンスキーは好んで、この聖ゲオルクの題材を取り上げています。保守勢力をドラゴンに見立てて、それに革命を起こす象徴として聖ゲオルクを描いたのでしょうか。

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《メディテーション》です。1917年、ミュンター40歳頃の作品です。第1次世界大戦の勃発でロシアへの退去を余儀なくされたカンディンスキーとはスイスのボーデン湖畔で1914年にいったんは別れることになります。しかし、ミュンターは第3国でカンディンスキーと再会するために、中立国スウェーデンに1915年に移り住みます。年末にはカンディンスキーもストックホルムにやってきます。翌年の1916年3月にストックホルムを発ってロシアに戻ったカンディンスキーは2度と帰ってくることはありませんでした。それでも、ミュンターはここでカンディンスキーが戻ってくるのを待ち続けました。1917年にはカンディンスキーは別のロシア人女性と結婚します。後にミュンターはそのことを知ります。この作品はきっと、ミュンターがカンディンスキーが戻ることを夢見ていた頃に描かれたのでしょう。なぜか、この作品はミュンターには珍しく表現主義的な表現に思えます。皮肉なものですね。

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《ロシア人の家》です。1931年、ミュンター54歳頃の作品です。この頃、ミュンターは生涯の伴侶となるアイヒナーと関係を強めて、創作意欲も高まっていました。ロシア人の家というのは、ミュンターがムルナウに購入し、青騎士の中心になった家のことです。ムルナウの町の人たちはロシア人芸術家が多く出入りする、この家をロシア人の家と呼んだそうです。この家は今では、ミュンターハウスという博物館になっています。庭からはムルナウの町の美しい眺めが楽しめます。青騎士ファンの聖地のひとつです。

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1957年はミュンターが80歳の誕生日を迎えました。その年にミュンヘン市に青騎士のコレクションを寄贈しました。5年後、彼女はムルナウの家で生涯を閉じました。後半生の伴侶、アイヒナーはその4年前に他界していました。ミュンターを語らずして、青騎士の館、レンバッハハウス美術館は語れません。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のアウグスト・マッケ

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/8回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

青騎士は20世紀初頭の前衛的な美術運動でした。カンディンスキー、マルクの主導により、ミュンヘンで1911年に起こされて、第1次世界大戦の勃発する1914年までのわずかな期間で終焉しましたが、その影響は大きいものでした。ドイツ表現主義や抽象絵画の大きなうねりを作り出しました。青騎士の終焉の直接的な原因である第1次世界大戦でマルクは戦死しますが、同じく、青騎士の中心メンバーだったアウグスト・マッケも27歳の若さで戦死します。今回はこのマッケの作品を取り上げましょう。

《林檎を持つ肖像》です。1909年、マッケ22歳頃の作品です。それにしてもこの絵に描かれている女性のとても魅力的なことに惹き付けられます。このモデルは誰でしょう。実は結婚したばかりの妻エリーザベトです。妻が林檎を持っているのは意味があります。マッケはパリでの画家修業を終えて帰ってきたところです。この時代、パリで林檎というと・・・セザンヌですね。パリでセザンヌの絵画に大いにに影響を受けました。しかし、この絵の魅力は何と言っても新妻の美しさです。慌てて、エリーザベトを描いたほかの絵も見ましたが、やはり、美しい! 彼女が5年後には未亡人になるとは悲劇です。

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《ネコと静物(家の精霊) 》です。1910年、マッケ23歳頃の作品です。セザンヌばりの静物を想像するとビックリです。にやけた表情の猫、バックのジャズのバンドのポスターなど、賑やかで明るい作品です。セザンヌのように多視点でも描かれていません。これって、なんでしょう。でも、心が和む絵です。

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《青い背景の3人の裸婦》です。1910年、マッケ23歳頃の作品です。これまた、セザンヌの大水浴を想像すると裏切られます。わざわざ、構図を平板化しているような印象です。

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《ベルンハルト・ケーラーの肖像》です。1910年、マッケ25歳頃の作品です。ベルンハルト・ケーラーは美術コレクターでマッケのパトロンでした。パリ留学は彼の援助によりました。美しき妻エリーザベトはケーラーの姪です。

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《私たちの大通り、灰色の空》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。マッケの絵が大きく変わっていくのは、1910年のマルクとの出会いが契機でした。表現主義的な絵画に変わってきています。

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《庭の花》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。色彩が魅力的です。構図が不安定なのもいいですね。

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《馬の上のインディアン》です。1911年、マッケ24歳頃の作品です。すっかり、青騎士的な絵画に変身しました。

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《座る裸婦》です。1912年、マッケ25歳頃の作品です。マッケには珍しいブロンズ像作品です。うーん、モデルは妻エリーザベトでしょうか。それなら、もっと美しく作ってほしかったですね。

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《動物園Ⅰ》です。1912年、マッケ25歳頃の作品です。これは素晴らしい作品です。マッケの魅力が爆発。色彩が鮮やかで、構図はシュールにも感じます。

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《花の絨毯》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。鮮やかな色彩を獲得したようです。

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《山羊と子供たち》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。まるで先輩のマルクを思わせる絵画です。

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《遊歩道》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。マッケ独自の画風を確立しつつある作品です。色彩、構図ともに見事です。グラデーションを多用することでもっこりした雰囲気を醸し出しています。

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《帽子店》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。画風が安定しています。

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《橋の上の散歩》です。1913年、マッケ26歳頃の作品です。少し色彩を抑えていますが、紛れもないマッケの到達した高いレベルの作品に仕上がっています。

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《トルコのカフェ》です。1914年、マッケ27歳頃の作品です。色彩が目覚ましく明るくなり、構図も大胆です。この先、マッケの画風がどう進化していくかが楽しみですが、マッケに残されたのは数か月だけでした。ちなみにマッケはトルコを訪れたことはなく、これはミュンヘンのトルコ風のカフェを描いたもののようです。

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晩年、といってもマッケは20代半ばですが、素晴らしい傑作を残しています。あと数年あれば、とてつもない絵画を描き上げたような気がします。かえすがえす、マルクと同様に惜しい逸材を戦争で失いました。起こしてはならない戦争でした。マッケは日本ではほとんど知られていない画家ですが、その素晴らしい才能に注目したい画家の一人です。

もう少しだけ、レンバッハハウス美術館の青騎士の画家たちの作品紹介にお付き合いください。


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若きヴァイオリンの逸材・・・日下紗矢子&ペーター・ブルンズ デュオ・リサイタル@横浜市磯子区民文化センター杉田劇場 2015.7.25

最近、名前を見ること多いヴァイオリニストの日下紗矢子の演奏を一度、聴いてみようと思って、チェロとのデュオリサイタルに足を運んでみました。聴いてみた結果、その卓抜した演奏にすっかり魅了されました。まず、テクニックがしっかりしていること、これは当たり前かも。芸大を首席で卒業し、読売日本交響楽団のコンミスをやっているほどですからね。それに安定した演奏・・・音楽を十分に把握していることをうかがわせます。そして、最大の美点は超高音の響きの美しさです。ヴァイオリンはやはり、これが一番のポイントですね。スローなパートで美しい高音を響かされると、うっとりとしてしまいます。

最初のラヴェルはそこそこの演奏。ピアノとのソナタと違って、同じ弦楽器のチェロとのソナタなので、同質性の高い弦の響きが美しいアンサンブルになります。綺麗な演奏なのですが、もう一つ、インパクトが感じられませんでした。

次のシュルホフの二重奏曲は素晴らしい演奏。第1楽章からぐっと惹き付けられて、集中して聴いてしまいました。シュルホフの作品を聴くのは初めてです。シュルホフは20世紀前半に活躍したチェコの作曲家。ユダヤ人で左翼的な思想を持っていたために弾圧の対象になり、ソ連に脱出する直前にナチスに囚われて、強制収容所で結核で亡くなりました。そのため、彼の作品はずっと埋もれていて、演奏されるようになったのは最近のことだそうです。このシュルホフの作品はちょっとノントナール風にも聴こえますが、しっかりとトナール音楽です。当時は前衛的だったと思われる響きですが、日下紗矢子は見事に表現します。特にゆったりした部分を実に美しく演奏します。よいものを聴かせてもらいました。シュルホフの曲もよく、日下紗矢子もよしという演奏でした。今日のリサイタルで一番の聴きものでした。

休憩後、コダーイの二重奏曲です。この曲は演奏者がヴィルトオーソ的に弾きまくるような曲の作りになっています。ヴァイオリンもチェロも思う存分、自在な演奏で弾きまくります。演奏者も気持ちよく演奏しているようです。こちらも十分に楽しませてもらいました。日下紗矢子は素晴らしいテクニックで衒いのない演奏。まあ、芸術性を云々するような曲ではありませんが、素晴らしい演奏に耳を楽しませてもらいました。

今日のプログラムは以下です。

  ヴァイオリン:日下紗矢子
  ピアノ:ペーター・ブルンズ

  ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
  シュルホフ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 

   《休憩》

コダーイ:二重奏曲Op.7
    
   《アンコール》
     グリエール:ヴァイオリンとチェロのための8つの小品 Op.39~第4曲《カンツォネッタ》

庄司紗矢香の輝くような個性とはまた違ったタイプですが、室内楽では安定した演奏が素晴らしく、今後、とても期待できそうです。ちなみに庄司紗矢香よりも4歳年上ですが、パガニーニ国際コンクールで庄司紗矢香が1999年に史上最年少で優勝した翌年の2000年に惜しくも第2位になり、キャリア的には遅い登場となりました。ヒラリー・ハーンとは同い年。ユトレヒトで聴いたジャニーヌ・ヤンセンは1歳上。国内外、この世代のヴァイオリニストは才能がひしめいています。saraiはまた、楽しみな逸材を見つけた感じで嬉しいリサイタルになりました。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のアレクセイ・ヤウレンスキーとマリアンネ・フォン・ヴェレフキン

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/9回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

青騎士のメンバーの一人であったアレクセイ・ヤウレンスキーは1865年、ロシアで生まれました。彼は貧乏なロシア帝国士官でしたが、幸運とも言える運命の出会いで裕福な男爵令嬢マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(1860年ロシア生まれ)に絵画の指導を受け、経済的な援助も受けることになります。そして、彼女とカップルで1896年にミュンヘンに画業修業のためにやってきました。後期印象派の画風にどっぷりと浸かっていたヤウレンスキーとヴェレフキンは1908年にカンディンスキーとミュンターに出会います。ここから、相互に影響しあって、ヤウレンスキーは独自の画風を切り開いていくことになります。

《ムルナウの夏の夕暮れ》です。1908~1909年、ヤウレンスキー43~44歳頃の作品です。後期印象派を脱して、平面的な描き方になっています。ヤウレンスキーらしい黒の輪郭線も現れています。構図といい、色彩感覚といい、素晴らしい作品です。

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《舞踏家アレクサンダー・ザッハロッフの肖像》です。1909年、ヤウレンスキー44歳頃の作品です。とても有名な作品。1度見たら、忘れられませんね。これが画家の個性というものでしょう。

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《果物のある静物》です。1910年、ヤウレンスキー45歳頃の作品です。セザンヌの静物との違いに驚かされます。なんと平坦な表現でしょう。

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《座っている裸婦》です。1910年、ヤウレンスキー45歳頃の作品です。このころはフォーヴィズムの影響を強く受けています。それでもヤウレンスキーらしい隈取のある安定感は独特のものです。

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《成熟》です。1912年、ヤウレンスキー47歳頃の作品です。これもフォーヴィズムの作品。頭部のみをズームアップした絵画の先駆けとなるものです。1917年以降は頭部を描いた絵画に没頭することになります。

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《スペインの女》です。1913年、ヤウレンスキー48歳頃の作品です。フォーヴィズムから少し脱しつつありますが、なんと、あくの強い作品でしょう。嫌いじゃありませんけどね。

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《瞑想》です。1918年、ヤウレンスキー53歳頃の作品です。1917年から描き始めた《不思議な頭部》シリーズです。モデルは女性画家エミリー・シェイヤー(ガルカ・シャイヤー)だとされています。彼女は1916年に知り合った若い女性で当時25歳。彼女はヤウレンスキーの絵を紹介する役割を果たし、それまでのヴェレフキンの役割を引き継ぎます。不思議にヤウレンスキーはまわりに助けてくれる女性に事欠きませんね。もっとも、シェイヤーは絵画の紹介販売の手数料として、45%も取ったそうですから、一筋縄ではいかない女性だったようです。

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《瞑想、祈り》です。1922年、ヤウレンスキー57歳頃の作品です。次第に頭部の絵画は宗教的な祈りに変化していきます。ヤウレンスキーにとって、絵を描くことは神に祈りを捧げる行為と同一だったようです。この《瞑想》シリーズの絵も最後は救世主の顔に変容していきます。

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《愛》です。1925年、ヤウレンスキー60歳頃の作品です。いったん、救世主の顔に変容した《瞑想》もさらにデフォルメされ、《愛》に変容します。彼は3年前に自分の子供を以前産ませたメードのヘレーネと結婚しています。その際、ヴェレフキンとも別れました。私生活的にも、そして、芸術的信条にも思うところは色々あったのでしょう。

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ヤウレンスキーのパートナーだったヴェレフキンの作品も見ておきましょう。

《自画像》です。1910年、ヴェレフキン50歳頃の作品です。いかにも、表現主義的な絵画です。

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《プレロヴェル川》です。1911年、ヴェレフキン51歳頃の作品です。プレロヴェル川はバルト海の入り口に流れる狭い流れです。青騎士的な風景画ですね。

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ヤウレンスキーはクレーとも関わり合いの多い画家でした。以前、ベルンのクレーセンターで、《クレーとヤウレンスキー》という特別展を見ましたが、そのときから、とても気になる画家になりました。今回、このレンバッハハウス美術館で再度、まとめて作品を鑑賞し、saraiのお気に入りの画家の一人に定着したかもしれません。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のフランツ・フォン・シュトゥック

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/10回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回は青騎士の画家たちの師匠格のフランツ・フォン・シュトゥックの作品を見ていきましょう。彼の弟子には、カンディンスキー、クレーなどがいます。シュトゥック自身は象徴主義の画風であったので、弟子たちに直接的な影響は与えていないと言えますが、時代の前衛の絵画を描くという気骨だけは伝わったようです。シュトゥックは1862年にドイツに生まれ、1928年に亡くなりました。

《野生の狩り》です。1888年、シュトゥック26歳頃の作品です。何か、おどろおどろしい雰囲気です。

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《傷ついたケンタウルス》です。1890~1891年(鋳造は1905年)、シュトゥック28~29歳頃の作品です。これはブロンズ像の作品です。彼は彫刻家でもありました。

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《闘うアマゾン》です。1897年、シュトゥック35歳頃の作品です。モデルは彼の米国人の妻メアリのようですね。

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《アマゾン》です。1897~1898年、シュトゥック35~36歳頃の作品です。このブロンズ像はとても美しいですね。

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《サロメ》です。1906年、シュトゥック44歳頃の作品です。当時、はやりの題材でした。いかにも象徴主義的な絵画です。

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いつか、ミュンヘンにある彼の設計・内装によるヴィラ・シュトゥック (Villa Stuck)を訪れたいと思っています。


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束の間のミュンヘン:レンバッハハウス美術館のパウル・クレー

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン/11回目

青騎士の館、レンバッハハウス美術館を鑑賞しています。

今回でレンバッハハウス美術館の作品紹介も終了です。しんがりはやはり、パウル・クレーにしましょう。saraiの好きな画家10人にはいるクレーです。美術館でクレーの作品を見つけると、配偶者と思わず、目を合わせて、にっこりとしてしまいます。彼も青騎士の画家の一人です。カンディンスキーやヤウレンスキーとのつながりも強かったようです。とりわけ、マルクとは親友で彼の戦死には相当、打撃を受けたようです。クレーは1879年、スイスのベルン近郊で生まれ、後にミュンヘンで絵を学び、ドイツで活躍しますが、ナチスの弾圧でスイスに亡命し、そこで難病の皮膚硬化症を発症し、5年の療養生活の後、1940年に無念の死を遂げます。療養中も制作を続け、線画で描いた天使シリーズは名高いですね。saraiもわざわざ、ベルンのクレーセンターを2度も訪れて、天使シリーズも含めて、傑作の数々を鑑賞しました。同じベルンのベルン市立美術館には最高傑作の《パルナッソス山へ》が所蔵されています。光輝く名画中の名画です。ベルンはクレーのファンの聖地です。しかし、このレンバッハハウス美術館にもクレーの傑作が所蔵されています。今回はそれを見ていきましょう。


《破壊と希望》です。1916年、クレー37歳頃の作品です。第1次世界大戦の勃発後、2年。この年、クレー自身も出征します。繊細な線で描かれた緻密な作品ですが、クレーの心の内を表現しているのでしょう。

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《R町》です。1919年、クレー40歳頃の作品です。同じ年に代表作《R荘》(バーゼル美術館所蔵)も描かれています。具象的な素材をコラージュしたような作品。見どころは全体の構成感と色彩の妙でしょう。

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《破壊された場所》です。1920年、クレー41歳頃の作品です。小さな画面に描き込んだのは、クレー自身も従軍した第1次世界大戦の恐ろしい経験でしょう。親友マルクの戦死も影を落としているのだと思います。美しく、そして、痛ましい絵画です。

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《ローズ・ガーデン(薔薇園)》です。1920年、クレー41歳頃の作品です。この年、クレーはバウハウスの教授に迎えられました。この頃、クレーは無機的なもの(人工物など)と有機的な自然を組み合わせて、統合的な世界を絵画の中に作り出そうとしていました、この作品は丸い薔薇と直線的な煉瓦や建物を組み合わせて、統合的な美を表現しています。シックな色合いでピースを積み上げた構図の素晴らしさ・・・画家の美的センスに驚くばかりです。

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《野いちご》です。1921年、クレー42歳頃の作品です。これは演劇を意識した作品でしょう。画面全体は舞台で、そこに登場するのはいちご人間。一体、どういうドラマが展開されるのでしょう。こういう作品が最終的には、天使シリーズに収斂していくのかな。

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《野生の人》です。1922年、クレー43歳頃の作品です。アルルカンの衣装を着た、生々しい人間の姿。上下に描かれている矢印は人間の様々な欲望を表しているようです。

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《植物劇場》です。1924年、クレー45歳頃の作品です。その後、1934年に手を加えて、1935年にベルンの個展で発表した作品です。10年がかりで完成させた作品とも言えます。大変な作品です。傑作だと思います。これも画面が舞台になっていて、登場人物は植物たちです。しかし、植物と言っても現実的なものではなく、クレーが夢想する植物。シュールな作品とも思えます。一番の見どころはそういう道具立てではなく、暗い茶系の色彩で統一されて、その中にさまざまな形象が配置されている画面全体のとてつもない美感にあります。こういう感覚でsaraiを魅了してくれるのは、クレーとピカソの2人だけです。

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《赤の上の果実》です。1930年、クレー51歳頃の作品です。クレーはプロ並みのヴァイオリンの腕前だったそうですが、この作品で使っている赤いハンカチはそのヴァイオリン用のあごあて布だったそうです。素材をそのまま活かした作品は珍しいですね。

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《リズミカルに、より正確に、自由に》です。1930年、クレー51歳頃の作品です。クレーは音楽の律動感を絵画で表現することに情熱を燃やしていました。この作品もその1枚。

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《海辺の崖》です。1931年、クレー52歳頃の作品です。最高傑作《パルナッソス山へ》と同じく、点描画で描かれています。点描と言っても、スーラのように細かい点で描くのではなく、大きな点で描いています。彼は1926年のイタリア旅行でラヴェンナを訪れ、ビザンチン美術に触れ、それを契機にモザイク風の点描画を描くようになったようです。

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《解剖学的ヴィーナス》です。1933年、クレー54歳頃の作品です。まるでレントゲン写真で撮ったヴィーナスみたい(笑い)。

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《大天使》です。1938年、クレー59歳頃の作品です。クレーの天使と言えば、白い背景に黒い線だけで描いたものを思い浮かべますが、線画には違いがなくても、背景に美しい色彩が施された本作も素晴らしいですね。

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青騎士時代のクレーの作品がないのが残念ですが、クレーの素晴らしい作品を鑑賞できて、幸せです。

今日は遂に青騎士の素晴らしい絵画を鑑賞することができました。カンディンスキーはもとより、マルク、マッケ、ミュンター、クレー、ヤウレンスキーなど、傑作の山です。いやはや、聞きしに勝る素晴らしいコレクションでした。青騎士の芸術を堪能しました。


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命日に聴くバッハ:ミサ曲ロ短調、バッハ・コレギウム・ジャパン@サントリーホール 2015.7.28

バッハは265年前の今日、1750年7月28日に亡くなりました。ですから、今日は命日。彼の最期の完成作品にして、集大成とも言えるミサ曲ロ短調を聴くにはよい日ですね。

そう思いながら、厳粛な気持ちで聴き始めました。最初のキリエを聴くと、胸が感動でいっぱいになります。実に清らかな美しい演奏ですが、それだけではなくて、深い内容を湛えています。驚くようなレベルの素晴らしい演奏です。技術的にも最高ですが、それよりもピュアーな精神性の満ちているところに魅了されます。とりわけ、合唱のソプラノパートの美しさには心を打たれます。古楽器アンサンブルの朴訥とした響きがそれにぴったりと合います。結局、全編、感じたことはそれだけです。それで十分ではないでしょうか。最高のミサ曲ロ短調を聴けました。

いくらなんでも、感想がそれだけというのは何ですので、もう少しだけ。
特に前半のキリエ、グリーリアに感銘を受けました。一番、素晴らしかったのは合唱です。バッハの声楽曲はやはり、合唱が命です。
後半では、第24曲のベネディクトゥス。菅きよみのフラウト・トラヴェルソにはいつも感銘を受けますが、ここでも究極とも思える演奏。現代フルートでは絶対味わえない響きを堪能させてくれました。彼女のオブリガートとともにテノールの櫻田亮も美しい響きの絶唱。
第26曲のアニュス・デイもカウンター・テノールのロビン・ブレイズのピュアーな歌唱に感銘を受けました。女声のアルトでは絶対に不可能な清らかさです。女声好きのsaraiも納得の歌唱でした。
女声好きとしては、ソプラノのハンナ・モリソンの美しい声の響きに魅了されました。ソプラノのよいアリアがないのが残念です。

ところで、今回もそれなりに予習しました。

 1961年録音。カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団
  マリア・シュターダー、ヘルタ・テッパー、エルンスト・ヘフリガー、キート・エンゲン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 1967年録音。オットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団、BBC合唱団
  アグネス・ギーベル、ジャネット・ベイカー、ニコライ・ゲッダ、ヘルマン・プライ、フランツ・クラス

 1990年ライヴ録音。サー・ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団&合唱団
  フェリシティ・ロット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ、ウィリアム・シメル、グウィン・ハウエル

 1990年ライヴ録音。セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル、マインツ・ヨハネス・グーテンベルク大学バッハ合唱団
  バーバラ・ボニー、ダニラ・ドノーズ、マリア・ルクサンドラ、コルネリア・ヴルコップ、ペーター・シュライヤー、ヤロン・ヴィンドミュラー

 1994年ライヴ録音。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団
   ルート・ツィーザク、ロバータ・アレクザンダー、ヤルド・ファン・ネス、キース・ルイス、デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン

 1996年録音。トーマス・ヘンゲルブロック指揮フライブルク・バロック・オーケストラ、バルタザール・ノイマン合唱団

 2010年ライヴ放送録画@NHKホール。アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、アーノルト・シェーンベルク合唱団
  ドロテア・レッシュマン、エリーザベト・フォン・マグヌス、ベルナルダ・フィンク、ミヒャエル・シャーデ、フローリアン・ベッシュ

カール・リヒターは極め付きの演奏。テッパー、フィッシャー=ディースカウの独唱は最高です。オットー・クレンペラーも素晴らしい演奏。圧倒的です。サー・ゲオルク・ショルティも予想以上の演奏。これはフォン・オッターのアニュス・デイが見事。セルジュ・チェリビダッケも美しい、納得の演奏です。カルロ・マリア・ジュリーニはもっと高い評判になってもいい最高の演奏。優しく滋味深い表現に癒されます。バイエルン放送交響楽団&合唱団も素晴らしい演奏です。トーマス・ヘンゲルブロックは評判通り、古楽の響きを活かした現代風の素晴らしい演奏。アーノンクールの来日演奏はsaraiはサントリーホールで聴きました。放送でもアーノルト・シェーンベルク合唱団の素晴らしさが伝わります。レッシュマンも好調です。シャーデ、フィンクはサントリーホールのほうがよかったようです。ホールの違いもあるのかもしれません。全体にサントリーホールでの演奏が最高だったような気がします。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:鈴木雅明
  ソプラノ:ハンナ・モリソン
  ソプラノ:レイチェル・ニコルズ
  アルト(カウンターテナー):ロビン・ブレイズ
  テノール:櫻田亮
  バス:ドミニク・ヴェルナー
  合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
   ヴァイオリン(コンサート・ミストレス):若松夏美
   フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ

  J.S.バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV232

   1部(ミサ)と2部(ニケーア信経)の間に《休憩》

先日は素晴らしい《マタイ受難曲》も聴きました。今日のミサ曲ロ短調と合わせて、バッハの最高傑作の2作品はいずれも素晴らしい演奏。日本でこんなに手軽に聴けて、本当にいいのって感じです。バッハというより、西洋音楽の最高峰とも称される2曲の究極の演奏が聴けて、幸せです。あとはヨハネ受難曲を聴きたいものですが、とりあえず、9月には、モイツァ・エルトマンが共演する農民カンタータを聴きます。エルトマンに聴きに行くと約束しちゃいましたからね。ともかく、しばらくはBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)がマイブームになりそうです。


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ミュンヘンから無事に帰国!これにてフィナーレ

2014年6月17日火曜日@ミュンヘン~2014年6月18日水曜日@羽田

レンバッハハウス美術館で青騎士の絵画を堪能しました。さあ、ミュンヘン空港からの帰国便に飛び乗りましょう。

地下鉄とSバーンを乗り継いで空港に戻り、羽田行きの便への搭乗に間に合いました。いやはや、忙しい! トランジットの5時間をフル活用しました。
空港の搭乗口からは準備中のルフトハンザ機が見えます。ほっとします。

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さあ、帰るぞ!!

機内への搭乗が始まりました。シートに体を落ち着けると、もう帰国したようなものです。
飛行機は予定通りの時刻に離陸。安定飛行に移ると、スナック菓子が配られます。

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スナック菓子をぽりぽり食べながら、ようやくリラックス。
食事が配られます。

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食事も終わり寝る時間ですが、なんとなく映画を見始めます。《グランド・ブダペスト・ホテル》という奇妙な映画です。何か心に引っ掛かるものがありますが、それが何かははっきりしません。
そのうちに配偶者も同じ映画を見始めて、見終わる寸前に素っ頓狂な声を出します。えっ、何? 配偶者は最後のクレジットを見て、「これって、シュテファン・ツヴァイクじゃないの?」
何と何と、その通りでした。映画監督がシュテファン・ツヴァイクの著作を読んで、その古き良きヨーロッパ文化に魅せられて、そのイメージを映画で表現したそうです。
旅の終わりは、またシュテファン・ツヴァイクに回帰してしまいました。帰国後の課題はシュテファン・ツヴァイクを読むことですね。(帰国後、《昨日の世界》はもちろん、小説も読みました。活字上のことではありますが、素晴らしい最高の友に出会った思いです。許されれば、彼とじっくりとお話をしたかったというほど、気の合う友です。一方的な関係ですけどね。)
ところで、この映画の中で、奇妙で変な絵の代表としてエゴン・シーレの絵が出てきたのにはびっくり。配偶者と苦笑してしまいました。

やがて、うとうとしているうちに飛行機は日本海上空にさしかかります。たたき起こされて、眠気眼で朝食をいただきます。

2015072804.jpg


ミュンヘンから長時間飛行の末、羽田に無事着陸。いささか疲れて、電車に乗って自宅に着くなり、そのままお昼寝で爆睡。夕方遅く、ようやく元気を回復しました。

今回も23日に及ぶ長い旅でした。
この旅では、新しいお友達もでき、以前からのお友達とも交友。エル・グレコ、音楽という旅のテーマも十分に堪能でき、実り多い旅になりました。シュテファン・ツヴァイクという新しい友もできましたしね。

詳細編の掲載は、途中で今年のウィーン・オランダ・ベルギー・パリの旅を挟んでしまい、大幅に遅れて申し訳けありませんでした。ようやく、これにて終了です。昨年の10月から、長期にわたるご愛読ありがとうございました。


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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
大学入学直後からの長いお付き合い、素晴らしい伴侶に巡り逢われて、幸せな人生ですね!
京都には年に2回もお越しでも、青春を過ごし

10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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