2015年6月26日金曜日@アムステルダム~ハーレム~ライデン/3回目
ハーレムHaarlemのクライス通りKruisstraatを街の中心地に近づいています。と、何やら、街の中心には似合わないものを発見。通りの右手に美しい鉄柵で囲まれた一角があります。贅沢な邸宅の雰囲気です。何かの公的な施設なのでしょうか。

鉄製の美しい門の中には綺麗な庭園とお屋敷が見えます。鉄製の門の上部には黄金で飾られた文字がデザインされています。調べてみると、ここはオランダの歴史的な「ホフィエHofje」の1つHofje van Oorschotでした。金文字は、その名称とここが造られた年号1769を示しています。オランダでは昔から、個人の慈善や慈善団体によって、高齢のために働けなくなった人(特に未亡人などの女性が対象となることが多い)のために慈善事業として救貧院が建てられました。救貧院といってもいろいろありますが、高齢者を対象にしているのが他の救貧院とは違っています。また、宗教施設でもありません。救貧院には必ず専用の中庭が付属しており、その建物の住人専用の中庭は「ホフィエHofje」と呼ばれます。ハーレムには21のホフィエがあるのですが、ここはアムステルダムの豪商だったWouterus van Oorschotが1768年の死亡時に遺言で財産を寄託して作られたホフィエで、Hofje van Oorschotという名称で呼ばれています。

門の隙間から、よく中を覗いてみましょう。救貧院と言えば粗末な施設を想像しますが、中庭も建物も大変立派です。これもオランダの栄華の遺産なのでしょうか。

ハーレムではホフィエの建物が近代的に建て替えられたものもありますが、そのひっそりとした入口などは当時のままだそうです。ホフィエは一般に公開されているので、季節ごとの庭園めぐりが楽しめるようです。ちなみにハーレムの主要なホフィエは以下の通り。左の数字は建てられた年号です。
1395 - Hofje van Bakenes / de Bakenesser kamer
1440 - Vrouwe- en Antonie Gasthuys
1472 - Brouwershofje
1489 - Hofje van Loo
1607 - Frans Loenenhofje
1609 - Hofjes Codde en (1684) Van Beresteyn (verplaatst)
1610 - Bruiningshofje
1615 - Luthers Hofje
1616 - Hofje In den Groenen Tuin
1616 - Hofje van Guurtje de Waal
1640 - Zuiderhofje
1650 - Hofje van Willem Heythuijsen
1662 - Wijnbergshofje
1730 - Hofje van Staats
1760 - Hofje van Noblet
1769 - Hofje van Oorschot
1773 - Remonstrants Hofje
1787 - Teylers Hofje
1866 - Proveniershof (voormalig Proveniershuis)
このように書き並べてみると、ここにあったホフィエは歴史的には比較的新しいものなのですね。再びこのハーレムの街を訪れる機会があれば、ホフィエ巡りというのも一興ですね。
煉瓦塀には、このホフィエの入いり方が書いてあります。10時から開場するようですから、もうすぐですね。でも今日はパスして、次の機会にしましょう。

このホフィエの先でクライス通りKruisstraatはスメーデ通りSmedestraatにぶつかって、終わります。通りの左手の角には、オランダ発の生活雑貨店エマHEMAの店舗が見えます。ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグ、フランス、イギリス、スペインにも店舗を構えるチェーン店ですが、オランダ国内には500店舗近くも展開しているそうです。雑貨、衣類のみならず食料品まで揃えています。

この角から右の方を眺めると、緑豊かなクロヒト通りKrochtが続いています。

スメーデ通りにぶつかった正面には宝飾品店F.J. Driessen Juweliersがありますが、そのお店の前に道標が立っているので、道を確認しましょう。

これが道標です。チェックすると、街の中心Centrumにあるツーリスト・インフォメーションとフランス・ハルス美術館Frans Hals Museumが同じ方向です。そちらに向かうことにします。

宝飾品店の右横からの路地、バルテルヨリス通りBarteljorisstraatに入ります。色んなお店が立ち並ぶ賑やかな路地です。路地の左側にチーズ専門店トロンプKaashuis Trompがあります。オランダならではの魅力的なお店ですね。旅先でなければ、たくさん買っていきたいところです。

その2つ先にはお馴染みのH&M。H&Mは美しい路地のスカウテン通りSchoutensteegの角にあります。その路地の向かいには、コリー・テン・ボーム博物館Corrie ten Boomhuis Museumがあります。日本ではアンネ・フランクの家は知っていても、このコリー・テン・ボーム博物館は知られていません。もちろん、saraiも知りませんでした。オランダには、ナチスの支配に対して、ユダヤ人や抵抗運動のオランダ人をかくまっていた家が多数あったそうです。時計店を営んでいたテン・ボーム家もそういう活動をしていて、最上階にあったテン・ボーム家の末っ子コリーの寝室のキャビネットの裏に隠し部屋を作り、多くの人をかくまっていました。しかし、戦争終結も間近い1944年に密告で、ゲシュタポがテン・ボーム家に乗り込み、一家全員が捕えられて強制収容所に送られました。結局、生き残ったのはコリーただ1人という悲惨な結末を迎えました。戦後コリーは、戦争の悲惨さと限界状況の中で人間性を失わないことを世界中で訴えたそうです。それがヨーロッパ人の良心なのですね。我々日本人も見習いたいと心の底から思わずにはいられません。現在、このテン・ボーム家の建物は博物館として、コリーの寝室の隠し部屋などを公開しています。路地で若い女性たちが入場を待っているようですね。

コリー・テン・ボーム博物館の2つ先は切妻屋根の建物があります。1階は服飾店になっています。

2つ先の建物も煉瓦造りのいかにもオランダ風の建物。このバルテルヨリス通りには、こういう建物が立ち並んでいます。歩いているだけで楽しい路地です。

オランダらしいと言えば、配偶者は路地に停められている自転車に興味をそそられたみたいで、じっと観察を始めます。これは木製の自転車。

これは前部に荷物を載せて運ぶ自転車ですね。実用車です。

普通の自転車はこれ。がっちりした実用一点張りの自転車ですね。もっとファッショナブルにすればよいのではと思うのは日本人の感性でしょうか。

バルテルヨリス通りを抜けて、ゼイル通りZijlstraatに出ます。目の前の立派な煉瓦造りの大きな建物は市庁舎に連なる建物です。

ゼイル通りをちょっと左に出ると、そこはグローテ・マルクト広場Grote Marktです。街の中心に到着です。駅から歩いて15分でした。

広場の路面を見ると、煉瓦を敷き詰めています。ある意味、オランダは煉瓦文化ですね。

これは広場の北側。緑の木々が綺麗です。

今歩いてきたバルテルヨリス通りを振り返って眺めます。車が多く駐車しているのが美しくないですね。

広場の西側にはツーリスト・インフォメーションがあります。その後ろに見えているのは市庁舎の建物です。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

ツーリスト・インフォメーションで有料50セントの市内地図を買い、いろいろ教えてもらいます。対応してくれたスタッフは、とっても綺麗な英語を話すテキパキしたおば様です。そうそう、孫達にまだ絵葉書を出していません。絵葉書を買おうとすると、切手もどう?と聞いてくれます。もちろんお願いします。さらに、後で絵葉書を持ってきてくれれば出してあげるわよとのこと。本当に何から何までよく気の付く人で、ありがたいです。
ツーリスト・インフォメーションを出て、広場の周りの観光を始めましょう。
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テーマ : ヨーロッパ
ジャンル : 海外情報